塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

遠藤、前人未到の境地に達するも

2015-01-17 23:59:29 | 日記
 日本代表通算150キャップ

 信濃毎日新聞のような一般紙でも報道されるくらいですから、遠藤の歩んできた道のりはまさに前人未到の領域と言えます。

 彼はドイツ代表の第一人者であったロタール・マテウスを敬愛しているようですが、性格は正反対ですね。

 マテウスは現役時代、クリンスマンとの折り合いの悪さ、インテル在籍時の離婚問題などメディアから多くの批判を浴びた経験を持ちますが、ヤットは自ら、ガチャピンと写真撮影するくらいですから。

 でも、彼の功績を素直に讃える事は難しい。

 そうも思います。

 少なくとも一人の選手にこれだけ過多をさせてきた事が問題ですし、むしろ彼が仕えてきたオシム、岡田、ザッケローニ、そしてアギレと、他の選手に任せきれなかった過去と現在。

 この点を注視すべきでしょう。

 ジーコも遠藤を評価していましたが、ワールドカップ本戦での起用はありませんでしたが、2003年からの12年、日本代表と遠藤はまさに表裏一体と言えます。

 代表監督は国籍を問わず一人のみです。

 一方で代表選手は少なくとも

 「日本国籍を持ち、代表監督が認める戦績と体調、そして精神力を兼ね備える選手」

 という、幅広い観点から招集できます。

 しかし、遠藤を上回る力量の持ち主がいなかったのか、歴代の監督たちが彼で充分と判断したのか意見は割れるでしょうが、結局は遠藤だけが中盤の底に君臨し続けています。

 これは彼を批判しているのではありません。

 イラク代表が敗れた腹いせで発言したのではない、日本はもっと若手を使うべきという指摘が、遠藤の150キャップを通じて如実になった、そう感じたためなのです。
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Jクラブの新作ジャージを眺めながら

2015-01-17 00:19:55 | 日記
 ナイキがサポートするレッズ、アントラーズ、そしてサンフレッチェの2015年モデルを発表しました。

 アンブロは一足先にガンバとFC東京の新作を公開し、アディダスは18日に横浜・F・マリノスのデザインを公開します。

 ある意味、この時期の新作ジャージ公開が一番楽しみと言えますし、それは昇格、降格、優勝争いという成績面とは無関係という、純粋な楽しみだからですよね。

 そこで新作を見ながら感じた事を記します。

 1・今、サンフレッチェ・ファンは何を思う。

 既にお馴染みになったレッズへの移籍があるであろうことは、多くのファンが覚悟していたと思います。

 一方で韓国代表ファン・ソッコが鹿島アントラーズへ移籍し、中盤の要である高萩洋次郎がウエスタン・シドニーへ移籍する事の衝撃は、非常に深いと感じます。

 特に高萩がアジア王者とは言え、Aリーグへの移籍を決断したことを僕も含めて意外に思う方が多いと思います。

 でも彼からすれば、この決断は

 「意外でも何でもない」

 事になるのでしょう。

 さて、今後サンフレッチェはどうのような形で補強を実現させるのでしょうか。

 僕は海外旅行はおろか、国内便の飛行機すら乗った経験がありません。

 今は様々な航空会社が鎬を削っていますが、かつて横浜フリューゲルスを熱心に応援していた方はANAを利用するでしょうか?

 横浜・F・マリノスのFはフリューゲルスのFですし、派生したクラブが今の横浜FCですね。

 佐藤工業のスポンサー撤退によりANAだけでは経営が厳しいと言う判断での合併でしたが、今のように3部制であれば下から出直す事が出来たように感じます。

 僕は熱心なファンではありませんが、Jリーグに関心を持ち続けているという観点では、ANAは利用しない気がしますね。
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ナンバー1とナンバー2の関係を探る

2015-01-17 00:04:48 | 日記
 僕はどう贔屓目にみてもナンバー1の器ではありません。

 ナンバー2でも3でも構わないわけですが、僕はナンバー1が抱える負担を軽減させる方が、何だか自分らしいと思います。

 逆に言えば、そのナンバー2の域から完全に脱出したモウリーニョ、自分の戦術を選手に意識させることに長けたユルゲン・クロップやトーマス・トッヘルは、素晴らしい力量の持ち主と言えます。

 勿論、アシスタント・コーチ(ナンバー2)が必ずしも監督(ナンバー1)を夢みるわけではないでしょうし、逆にヴィラス・ボアスのように野心を隠さない人物もいます。

 でも最近思うのです。

 ナンバー2はあくまでナンバー1があってこそ輝くと。

 現実社会ではその逆が垣間見える事は難しいですよ。

 鬼平犯科帳は池波正太郎先生の代表作ですが、先生は主人公の鬼平の配下に、佐嶋与力を付ける形にしています。

 年齢は佐嶋の方が上なのですが、鬼平を信頼しきっている彼は、この頭領を下で働くことをいきがいに感じます。

 そして自分よりも年齢が上にも関わらず、鬼平は酒の席で彼を親しげに呼びかけ、自分が留守で屋敷におらずとも、佐嶋が控えていれば問題ないという形を築いています。

 ナンバー1にはナンバー2が不可欠ですが、ナンバー2にも1が不可欠。

 言い換えれば先生は主役に様々な同心を起用する事で、普段は賞賛して貰えないい市井の人々の潤いを与えていたように思います。

 僕は主任や課長に業務報告を吸い上げますが、主任代行の僕に業務報告をされても、慣れていないためになかなか良い判断、意見を述べる事が出来ません。

 アシスタント・コーチが優秀であれば、監督はそれでけで儲け者なのでしょうが、やはりその多くが何時かは

 「自分も監督に」

 と思うのでしょう。
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