Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

弥生の壺

2016-11-27 21:52:28 | Weblog

 登呂遺跡で発掘された出土遺物775点が平成28年度、国の重要文化財に指定された。これを記念して平成28年9月17日~11月27日まで登呂遺跡周辺でいろいろの催物が開催されている。その一つとして、登呂博物館で他の遺跡から出土したものも含めた特別展が開かれている。ここには登呂遺跡から出土した遺物の他に愛知県の朝日遺跡や奈良県の唐子・鍵遺跡や佐賀県の吉野ケ里遺跡からの出土品も展示されている。また弥生時代のものとして最初に発見された土器(東京都文教区弥生町東京大学構内で発見されたもので、この地名を取ってこの時代を弥生時代としたという。この土器は東京大学総合研究博物館に保存されている)が今回特別に貸出されて出展している。

 日本の弥生時代の土器が、登呂遺跡博物館に集積展示されていることは、考古学に興味を持っている人にとっては見逃せない展示である。私も登呂博物館に出かけた。今日が最後に日であり、駐車場はほぼいっぱいの状態であった。小さな子供さんを連れた夫妻や高齢の男性も多いように感じたが、特段混み合っている感じではなかった。博物館の一階は最近リニューアルされたのか、弥生体験展示室が出来ていて竪穴住居、高床倉庫、祭殿、水田が再現されて子供達が中に入り弥生時代の生活を興味深げに体験していた。

 二階は特別展の会場となっていた。私は”弥生”の由来が出来た東京で発見された弥生式土器に興味があった。それは部屋の一番目立つところにガラスの囲いの中に納まっていた。黄色がかった土器できれいな形で出土されたようで光の加減か光沢を感じた。他の土器と違て気品があった。1000点以上の遺物は、土器や石の矢じり、それに木鍬、木をくりぬいた船などに混じって弦を張った大小幾つかの楽器かあった。これは登呂遺跡で発見されたもので現在の琴の原形のようであった。そして登呂の遺跡は朝日遺跡や唐子・鍵遺跡の物に比べ装飾や加工など乏しいように思ったが、ここからは弥生時代の平和な農村の生活があったようだ。

 登呂遺跡は約6ヘクタールほどが公園として整備されている。これは他の遺跡に比べ甚だ小さな規模である。先日行った佐賀の吉野ケ里遺跡は5倍ほどの規模であったように思った。そこには柵や堀を巡らせ外敵から守る生活している様子が見えた。登呂にはそうしたものが見つかっていない。そして登呂遺跡周辺には同様な遺跡が点在していて、そこと平和裏に交流を行っていたようである。琴のような楽器が出てきたことは、生活の中に音楽があり陽気に過ごしていた弥生人が想像できた。