Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

演劇を鑑賞する

2016-11-13 22:17:06 | Weblog

 静岡県川根町を舞台にした演劇「高き彼物」が静岡の芸術劇場SPACで行われた。以前はあまり興味を持たなかった演劇であったが、最近演出者と役者との妙味を感ずるようになってからは時たま行くようになった。SPACでは10月の「東海道四谷怪談」に続いてであるが、今回のストーリーに興味を持ったのも事実である。それは静岡に近い川根町が舞台であって、ノンフィクションなのかもしれないが、この物語が私が30代半ばのころの話であり、それにも興味を持った。

 会場に入ると、ほぼ満員の状態で、前列に近い指定された席に座った。会場には若い人も多く演劇に興味を持った人が多いことを知った。物語の概要は『1978年夏、川根町の雑貨屋が舞台であり、前年友人をバイク事故で亡くした高校生Aは、友人を死なせてしまったのに、友人の過失にして処理されたことへの罪悪感から立ち上がれずいた。Aは、1年経ったその事故現場に来て懺悔の気持ちで一日佇んでいた。近くに住む雑貨屋の主人Bは、怪訝に思いAを家に連れてきて、傷心している彼に対して、時には熱く、時にはおおらかに、心の傷を癒そうとする。そのBも、高校教師のとき、一人の複雑な家庭の学生を救おうと尽力したが、その時の自分の不注意から学校を辞めなければならなくなり実家に戻っていた。AもBも、正しく生きたいと願う気持ちを持ちながら、そこには人には言えない秘密を持っていたのだ。その葛藤の中で笑い、涙、驚きがあり、人間の多面性を享受していく様を巧みに描かれた内容であった』

 この中で好演したのは、雑貨屋の主人Aで、設定された年齢より若く見え、落ち着いた貫禄はなかったが、内面から出る表現は、登場する人物を一つにまとめ、ややもすると深みのない劇になりがちなところを、上手に纏めていた。そのわき役たちもよかったが、その中でA(寡夫)を慕うCは、自分の気持ちを、ストレートに伝えたいのにそれが出来ないもどかしさと、ここぞと思う一場面での演技は彼女の密かさが伝わる名演技であったと思う。それにお祖父さん役の役Dの朴訥とした演技もこの劇になくてならない人物であったように思った。

 この演劇を見て感じたことは、人間は生きてきたことを振り返ると、誰しもがその過程でいろいろの難題に直面してきている。それは、後に大きく引きずったものもあるし、時間の経過とともに解決され、忘れ去られることもある。そうした経験が人間を形つくり年輪として刻み込まれるもので、それが生きていくことだと思う。表面的には、幸福そうに見えていても外面に出さない心に残る傷をどのように解決していくのかを考えさせる内容であった。