もじもじ猫日記

好きなこといっぱいと、ありふれない日常

「十三人の刺客」

2010-11-21 23:09:19 | 映画
11/18 
最近は公開終了前すべりこみばかり。

三池監督で、時代劇で斬り合い
これは気合いれなくては。
そう思っていたせいで、
最初の切腹シーンの凄まじさがこちらの想像にまかせられる範囲で
『今回はマイルド?』と思いました。

暴君というより狂人の斉韶の場面も
『首、切ってるよね、今』という想像がつく表現だったので。

しかし、三池監督だもの。
あの「みなごろし」の女性のシーンで『やっぱりか!』
古今東西ああいう話はありますが(西太后とか)
ああもはっきり映し出されると凄惨きわまりなく
将軍の弟君を討つという命がけの職務を
受ける気にならないわけがない。

斉韶の数々の悪行は狂人そのもので
しかし時折口にする言葉の端に
どのくらいの割合が生まれつきの要素なのか考えることがありました。
「忠義忠義と口にするが~」
「このワシが老中になるのだぞ」
家臣に突きつけるように吐く言葉。
狂人である自分を殺してくれる者(止めてくれる者)を
探していたのではないか、
そう思うにはあまりにも残虐非道の限りの尽くし方ですが。

ゴローさんは素晴らしい狂人っぷり。
わりと、もう少しあざとくなるのね、彼。
三池監督の演出の妙でしょう。
本来左利きでぎこちない箸使いなんですが
食事の場面で右で箸を使っていた姿と
戦いの場面など身体の動きのクセも取れてましたから。
(あの食事の仕方が怖いこと怖いこと。家臣に食べさせるのかと思いきや・・・)

見所はなんといっても落合宿の戦い。
50分が長くないです、全く。
少数での戦うための数々の仕掛けがダイナミックで見入ります。
一人が何人倒せばいいのか、計算もできない人数。
そして、戦いが続く中
当然
十三人の仲間は一人ずつ欠けていくわけで
その死に方の壮絶さも見せ場。

人の脂や骨を切ることの刃こぼれで、
刀一本で切り殺せる人数には限りがあるそうで
大量に用意された刀を抜いては敵を切っていく場面の伊原さん
鬼ですよ鬼。
そこに続く若き一番弟子も切って切りまくる。
彼は死にゆく間際まで、戦う師匠の姿を見つめていました。
切ない。
この役の窪田くんは、私注目してた人です。
いい。

松方さんはバラエティなんぞ出ない方がよろしいのでは。
さすがの殺陣と重厚さで画面を圧倒していて
死にっぷりもさすが。
松方さんがいないと成立しないかもよ、この作品。
銀幕にスターのいた時代のスター。

最後の戦いの場面、
因縁もあった二人の対決場面は、かっこいい殺陣というより斬り合い。
人を斬る、殺すということが実はかっこ悪く
お互いにどんなに死に物狂いになるか。
勝って首をとったとしても、すっきりとするわけではないのだ。

ひとり生き残った男は、どうやって生きてゆくのだろう。
侍でなくなるということは、今の時代の失業よりも過酷なものであったろう。
しかし、
人がみんな侍である必要はなく、
自分の生死を人に委ねなくても生きてはいける。
山の民ほど自由ではなくとも。

侍って、実はそんなにいいもんじゃないぜ。
バカ殿でも命がけで守らくちゃなんないし、
憎くない相手も切らなくゃなんないし、やせ我慢も必要だし。
これで結構大変なんだぜ。
が、裏テーマかな。と思った次第です。

山の民の伊勢谷くん、ワイルドだけど下品じゃないのよね。
一徳さんまでアレしちゃいますけどね。
人柄?

他のキャストもはまってますね。
ごひいき古田さんと近藤公園くんは、わりかし地味だったかも。
役所さんは、もうね、
市村さんが芝居が重くなくて良かった。
舞台の方、映像だと芝居の重い人いますので。

これ、純粋ゴローちゃんファンは大丈夫なのかな?
「チャングム」流れで「親切なクムジャさん」観に来て
あんぐりしてた人みたことあるけど。
そうそう。
地飛沫や血の量は、韓国映画で慣れたので驚かなかった。
あと、最後にきて首転がし放題の三池監督。
やっぱりね、でした。

痛快時代劇とはちと違いますが
アクション娯楽作品としては一級だと思います。

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