もじもじ猫日記

好きなこといっぱいと、ありふれない日常

除夜の鐘鳴ってるよ~

2016-12-31 23:28:15 | Weblog
うわー、
映画の感想UPできた、なんとか。
駆け込み2016年だな。
雑になっていたら、すいません(誰に?)
紅白見ないと時間ありあまる。

今年も色々ありまして
思わず中也とか口ずさんでしまいそうですが
ぐっとこらえて
「運動神経悪い芸人」でひと笑いして寝ましょうか。

長年のお客様も通りすがりのお客様も
読んでくださってありがとうございます。

よたよたでも進めばなんとかなるものです。

では、よいお年を!

「恋人たち」

2016-12-31 23:27:18 | 映画
2016.2.12

橋口監督の作品は
いつも心が痛くなるものばかりだ。
彼が知らない感情は描かないのかもな、と思う。

通り魔に妻を殺された男の悲しみと絶望の底なしさ加減。
ふわふわと人の口車に乗ってしまう、どこかだらしない女。
居丈高なエリート弁護士。

いつまでも悲しんでいるな、と何故彼に言えるのだろう?
そういう人は善人の顔をしているが、人の悲しみに寄り添おうとはしない。

そうか
善人のつもりの物見高い人々が多すぎて
世の中が息苦しいのか。
自分に非があるわけではないのだ。
寄り添ってくれないならほっといてくれないか、と思うことの多さよ。

しかし、「ぐるりのこと」のように
ささやかな光が差す終わり方も監督の知っていることなのだろう。

「ふきげんな過去」

2016-12-31 23:06:50 | 映画
2016.7.22

なんかよく解らないところが面白い映画でした。

高校生の果子は異様に人生つまらなさそうだ。
家がエジプト料理屋ってのも謎。
ある日
爆弾作って逃げて死んだことになってる叔母、未来子が突然現れる。
そうしたら何故か父親がオタオタし始める。
でも退屈はなくならない果子はぶーたれ顔のまま。

小泉さんがふみちゃんのお母さん!
そりゃ私も歳を取るはずだ。
じゃなくて
果子ちゃんの退屈さがわかるけどわからない。
爆弾の作り方も知りたくない。
なのに面白く観られました。






「FAKE」

2016-12-31 22:53:31 | 映画
2016.7.22

ゴーストライター問題とは何だったのか?
新垣氏はなぜ突然記者会見をしたのか?
そもそも、佐村河内氏は作曲が出来るのか?

報道、マスコミ、感動の消費、貪欲で無責任な人々
都合よく切り取られる事実

森達也は、佐村河内氏を常に観察している。
彼の持っているうさんくささや矛盾を突くが、
それは悪意ではない。

佐村河内氏に出演依頼をしてきたテレビ番組の製作者について
「悪意は無いが、誠意もない。面白ければいいだけだ」
そう言い切った森達也の言葉が頭に染みついた今年であった。


機会があったら観た方がいいと思います。

「太陽の蓋」

2016-12-31 22:40:40 | 映画
2016.9.2

あの日福島の第一原発で何が起きていたのか、
真実を知っている人は本当はいないのではないだろうか、という恐怖を感じた。

ドキュメンタリードラマ。
当時の東電のテレビ会議など、私でも見たことのある情報で作られているのに
細切れのその情報を集めて描くと、
どれだけ恐ろしいことが起きていたのかが解って改めて怖くなった。

何も終わっていなくて
今日も誰かが作業をしていたはずだし
責任を取った人も組織もいなくて
それを仕方ないと思わせられそうになっている。
なんでだ?

関係者が実名で出てくるので
これは映画でしか出来ないだろうな。




「怒り」

2016-12-31 22:17:00 | 映画
2016.11.2

静かな住宅街で起きた夫婦惨殺事件。
現場に残された血文字『怒』

これは黒沢清なら、文字を見た人がどんどん殺しちゃうパターンだよな。
そんな余裕があったのは最初だけだった。

自分が愛したり心を許している人を
ある日突然”殺人者”ではないかと疑い始める心の不確かさ。
過去も背景も知らない人間に心を許すことは危険なのか?
ある日満ちて爆発する”怒り”に支配されることを
他人事だと割り切って生きてゆけるのか?

現実を生々しく描く監督なので
『今』社会に満ちる理不尽さや暗黒を目の前に突き付けられるのが
キツかった。
沖縄の今。家出した愛子ちゃんの居た場所。エリートサラリーマンの夜の刹那。
欲望の垂れ流し。肥大した好奇心。


うーん、簡単じゃないわ。
だからすぐに感想書けなかったんだね。
でも、見て良かった作品。

「聖の青春」

2016-12-31 21:53:06 | 映画
2016.12.7

本を読んだ時に泣いたなぁ、と思いつつ映画館へ。

もうね、
村山聖という人の真っ直ぐさや頑固さ、将棋への尋常じゃない思い。
人を引きつける性格。
松山クンがご本人に見えちゃう。
将棋、しかない。
将棋、だけあればいいと走り続けた人。

ライバルとして戦った羽生善治を演じた東出クン。
かなりガタイがいいはずが、
盤を挟んで対局している姿が羽生なのね、恐ろしいほど。
寝ぐせとか、扇子の使い方とか体勢を似せたとは思うけど
羽生善治に見えるんだよなぁ。

どこまでも将棋の高みに行こうとした村山は
ガンの治療より対局を選ぶ。
時間に限りがあるからだ。
そこまで彼自身となった将棋と出会えたことは、幸せだったのだろう。
子供の頃病院で、死が近くにいる日々の恐怖と戦える手段でもあったのだから。


久しぶりにスクリーンで筒井道隆を見たのもうれしかった。
冴えないおっさんでしたが(役が)
昭和の景色も懐かしかったな。

「永い言い訳」

2016-12-31 21:03:05 | 映画
2016.12.13

衣笠幸男、有名な野球選手と同じ名前をつけられたせいか
生まれつきなのか
自意識過剰の嫌なヤツだ。
それで作家なんていう自意識を磨くに事欠かない職業についているので
傲慢でもある。

自分に書くことを勧めてくれた妻とも仲が冷え切っていたが
別れるほどの勢いもなく浮気をしている。
妻が事故で死んだ時も彼は自宅に女を連れ込んでいた。
常に留守電になっている固定電話にかかってきた訛りのある言葉を女と笑ったが
それは妻の死を伝える警察からの電話だった。

突然の妻の死に
泣かない、泣けない。悲しくないのか、喪失感も味わえない幸男。
気になるのは世間体とテレビ映り。
一緒に事故にあった妻の親友の夫、陽一の感情的な様にうろたえるが
気まぐれのように子供の世話をすると言い出し、
慣れない子どもとの生活と家事を始める。

子どもがいる暮らしの乱雑さと煩雑さに慣れた幸男が
そこに居場所を見つけたように輝くのがなんだか腹立たしかった。
ただの良いとこどりじゃないか。
中学への進学の話も、所詮外野なのに。

しかし、
何かを慈しみながら暮らすことは夏子とも出来たはずだった
そう気がついた幸男が柔らかな表情をみせるようになるまでの流れが
自分の感情を手当てしながら生きてゆくことの大切さを描いていた。


西川監督は、本当にイヤな人の描写が上手いなぁ。
友達になれないかもな。
少ししか出ない深津絵里のインパクトが素晴らしい。

よし、あとは印刷するだけだ

2016-12-31 11:59:13 | Weblog
年賀状、昨日、やっと
あらら、おや~、えいっ!とPC前で喋りながら
ネットで探した素材を、
頑なにワードでフォントやレイアウトを試すこと3時間。
テンプレが何故かいやなんだもん。

これからお節を取りに行って
おそばも食べてこようかな。
掃除はテキトーのテキトーのテキトーで止む無し、
年は明ける大丈夫だ。

映画の感想を年内に、と思っていたが
もう一日しかないじゃーん、無理じゃーん。
あ、紅白見ないからいけるかも?

大みそかも除雪のお仕事の方は朝からフル回転。
重機の音がずっと聞こえています。
それ以外はとても静かな年の暮れ。

「ニコラス・ウイントンと669人子どもたち」

2016-12-30 15:48:43 | 映画
2016.12.28

ナチスのユダヤ人迫害はドイツ国内に止まらず、
侵略したチェコスロヴァキアから、ユダヤ人の子供を国外に逃がしたのが
イギリス人青年ニコラス・ウイントンだった。
彼はビジネスに長けた普通の青年であったが、
友人に誘われて行ったチェコスロヴァキアの難民キャンプで事の重大さに気づき
その商才をフルに発揮し
資金の用意、受入国との交渉、子どもたちの合理的な輸送手段をやり続け
669人の子供をイギリスに脱出させた。
1939年3月14日から8月2日までのわずかの期間にだ。

映画の中で彼は何度も「商行為のように進めなければならなかった」と自分を責めるように話すが
子供たちに番号を振り、カタログから選ばせるように受け入れ家庭を探したことをいうなら
優れた手段だったと思う。
子どもたちの写真、名前、性格などをノートに記し、
子どもを選んだ家庭の調査までしていたのだから。

ニコラス(映画内ではニックと呼ばれている)は最大の輸送として計画をしていた250人の子どもたちが
第二次世界大戦勃発のため脱出できなかったことをずっと悔やんでいた。
そのためか自分の成したことを語ることはなく
妻が子どもたちのノートを発見する50年後まで
彼が助けた子供たちが事実を知ることもなかったのだ。
子どもたちは世界各地で生き延びて、その家族を含めると6000人まで命を繋いでいた。

当時の実際の映像と、現在のニコラスや大人になった子どもたちのドキュメントのコントラスト。
助かったと解っていても、緊迫感が高まったあと
今を生きている人々が思い出を語る安心。
しかし、モノクロの世界に止まるよりなかった親たちはナチスによって殺されてしまった。

ニコラスが成した善は、
それを受けた人から、その話を聞いた子どもたちから、講演を聞いた子どもたちから広がってゆく。


それにしても、
くまのパディントンがユダヤから逃げ延びた子どもたちだったとは知らなかった。
首から番号と名前を書いた札を下げて、トランクひとつで異国に逃げた子どもたち。
知らなかった自分を恥じるより
知ったことを何かにつなげていきたい、そう思った。