ルーツな日記

ルーツっぽい音楽をルーズに語るブログ。
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ジョニー・オーティス、エタ・ジェイムス、安らかに…

2012-01-21 23:28:45 | ブルース
THE JONNY OTIS STORY VOLUME 1 1945-1957: MIDNIGHT AT THE BARRELHOUSE

1月17日、『ゴッド・ファーザー・オブ・リズム&ブルース』と賞されるジョニー・オーティスが亡くなられました。享年90歳。1940年代から、R&Bの黎明期を駆け抜け、R&Rの創世にも一役買った偉大なレジェンド。

1921年、米カリフォルニア州生まれ。両親はアメリカへ移民してきたギリシャ人でした。ではなぜ白人の彼が『ゴッド・ファーザー・オブ・リズム&ブルース』と賞されるのでしょうか?

彼は幼少期を黒人居留区で過ごしました。黒人の空気や文化をたっぷり吸収し、カウント・ベイシーなどのビッグ・バンドに憧れたそうです。18歳の時にドラマーとしてステージに立ち、その後、イリノイ・ジャケーやレスター・ヤングなどのバンドでもドラマーを務めました、45年には自己名義による「Harlem Nocturn」(キャバレーの定番曲として知られるあの曲ですね。)のヒットを放ち、プロデューサー/アレンジャーとしての才能も開花させます。

しかし彼の凄いところは、ただミュージシャンとしてヒットを飛ばすだけではなく、自身の経営するクラブを立ち上げたことです。47年にワッツ地区にて開業した「バレル・ハウス」です。さらにタレント・スカウトに力を入れ、次々に新しい才能を見いだしていきます。彼が見初めた、もしくは活動初期にバック・アップしたとされるアーティストは、リトル・エスター、ジャッキー・ウィルソン、ハンク・バラード、ビッグ・ジェイ・マクニーリー、ビッグ・ママ・ソートン、リトル・リチャード、ジョニー・エイスなどなど、そうそうたる名前が並びます。なかでもリトル・エスターがロビンズ(後にコースターズとなるグループ)と共に録音し大ヒットした「 Double Crossing Blues」や、ビッグ・ママ・ソートンの「Hound Dog」などはジョニー・オーティスが手掛けたものとして有名ですね。

さらにオーティスは、クラブとタレント・スカウトの成功を受け、その自身のバンドを率いて全米巡業に出かけたそうです。バンドメンバーはほとんど黒人だったことでしょうから、まだ人種差別の激しい時代、大変な事だったと思われます。しかしこのツアーは大成功し、やがて彼の一座は『ジョニー・オーティス・ショー』と呼ばれるようになったとか。

また50年代以降、ラジオのDJを務め、自らの選曲による「ジョニー・オーティス・ショー」を繰り広げていたりもしたそうです。レコード、クラブ、巡業、さらに電波と、メディア総動員でR&Bを広めていた訳です。もちろん彼自身もミュージシャンであり、ドラムス、歌はもちろん、ヴィヴラフォンの名手でもありました。また、彼の率いたバンド・メンバーには、バック・ビートの開祖アール・パーマーや、後にジェイムス・ブラウンの元でファンク・ギターのオリジネイターとなるジミー・ノーランなども加わってました。

ミュージシャンとしてはもちろん、バンド・リーダー、ソング・ライター、アレンジャー、プロデューサー、タレント・スカウト、レーベル・オーナーなど多角的なの活躍により、リズム&ブルースの隆盛に多大な貢献を残したジョニー・オーティス。ちなみにエリック・クラプトンが「461 OCEAN BOULEVARD」に収録した「Willie And The Hand Jive」という曲。これは元々58年にジョニー・オーティスが自己名義で大ヒットさせた曲。案外、クラプトンもオーティスの業績に敬意を表してこの曲を取り上げたのかもしれませんね。




ETTA JAMES / R&B DYNAMITE

そして今週はもう一人、偉大なR&Bレジェンドが亡くなられてしまいました。かねてからその病状の悪化が心配されていた「ブルースの女王」、エタ・ジェイムスです。1月20日、白血病の合併症により亡くなられたそうです。享年73歳。

1938年、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれたエタ・ジェイムス。彼女のデビューは1955年、モダン・レコードからの「The Wallflower」でしたが、このデビューをお膳立てしたのも、ジョニー・オーティスなのです。

エタ・ジェイムスは15歳(14歳?)の時にピーチズという女性3人組のヴォーカル・グループを結成し、ジョニー・オーティスの元を訪れます。そこで「Roll With Me Henry」という曲を披露するのですが、これはハンク・バラードのヒット曲「Work With Me Annie」のアンサー・ソングとして作られた自作曲でして、これがジョニー・オーティスのお眼鏡にかなう訳です。そして彼は彼女達をモダン・レコードのスタジオへと連れていきます。1954年のことです。そこには男性シンガーのリチャード・ベリーも呼ばれ、バック・バンドはジョニー・オーティスのドラムスを含む彼のバンドが務めました。こうして録音された「Roll With Me Henry」は、「The Wallflower」と改題されリリース。見事、R&Bチャートのトップに輝きました。

60年代になると、エタはチェスと契約。「At Last」、「Tell Mama」、「I'd Rather Go Blind」などのヒット曲及び名唱の数々を残します。その後も浮き沈みはあったものの、コンスタントにアルバムをリリースし続けてきました。また、映画「キャデラックレコード」ではビヨンセがエタ役を演じ、あらためてエタの存在が浮き彫りにされたことも記憶に新しいですね。遺作となったのは昨年リリースされた「THE DREAMER」。病状がかなり悪いと噂されていた時期のまさかの新作リリースに驚かされたものです。まさに死の直前まで歌い続けたディーヴァ。最新作収録のスロー・ナンバー「Misty Blue」は泣けます。



そしてジョニー・オーティス。60年代以降も息子シュギー・オーティスを伴っての「COLD SHOT」や、豪華ゲストを率いて全盛期のジョニー・オーティス・ショーを再現したような「THE JOHNNY OTIS SHOW LIVE AT MONTEREY!」など、名盤を送り出してきましたし、90年にはジョニー・オーティス・ショーとして来日もしています。そしてsoul searcher 吉岡正晴さんのブログによりますと、晩年はオーガニック農業家となり、牧師となり、ホームレスに食事を与えたり、チャリティーの仕事にも熱心にかかわっていたそうです。


ジョニー・オーティスさん、エタ・ジェイムスさん、安らかに。



*上のアルバム、ジョニー・オーティスは「Harlem Nocturn」「 Double Crossing Blues」「Hound Dog」「Willie And The Hand Jive」など代表曲てんこ盛りの好編集盤。エタ・ジェイムスは「The Wallflower」を収録した初期音源集。どちらも古き良き50年代のR&Bの熱気が感じられて最高です。若き日の二人に思いを馳せながら。



Etta James - Wallflower (Roll with me Henry)