柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

表裏

2012-02-05 15:22:51 | Weblog
安全至上主義、ゼロ信仰、潔癖強迫症社会について承前。2/3の朝日新聞記事です、粉ミルクの放射線量を市民が測定して、高濃度を発見してという騒ぎです。「市民測定、企業動かす」という見出しです。福島に市民測定所を経営するNPO法人があるんだそうです。行政に頼っていたのでは子供を守れないとかで設立したんだそうです。以前にメーカーが放射性セシウムを22~31Bq/kg検出して、それは国の暫定基準値の1/6以下だけれども無償交換に応ずると発表していたんだそうです。で、このNPOが別の粉ミルクを測ってみると20~53Bq/kg出たそうで、メーカーの検査をすり抜けて市場に汚染ミルクが出回っている!という告発モノです。Bq(ベクレル)は放出されている放射線量そのまま、Sv(シーベルト)はBqにあれこれ定数を掛けて人体への影響を表す数字です、検出されたセシウムはそのミルクを1kg飲んでも0.001mSv(1μSv)だったそうです。何度も何度も一つの基準として示されるのは100mSvです、耳タコの方もいらっしゃいましょう。でもこれは外部照射の(医療放射線など)基準で、慢性的な内部被曝の数字ではないのです。赤ん坊が飲んで内部被曝して今後どうなるかを人類はまだ知らないのです、チェルノブイリしか人類が経験していないことです。ですから基準も立てようがない、原爆のデータを準用するしかない。暫定するしかない。だから国が出す、それを行政が敷く、企業が参考にする。その数字が安全かどうかわからないからとにもかくにもゼロにしろ。この理屈はわかりますが、ゼロじゃない!と無闇に検査して自ら危険を不安を煽りたてるのはいかがなものでしょうか。メーカーは工場(埼玉)での噴霧乾燥工程でフィルターを通して吸いこまれた外気に漂うセシウムが付着したのだろうと言ってます。どうしろというのでしょうかね。だから測るなよ。そう言いたいのですがこれは乱暴な言でしょうね。結果として隠してるということになりますから。調べたらこうなのに調べないのは不作為だと怒られましょう。でも行政がやらないから市民がやるという図式化するところ、行政を怠慢として置くところ、市民を無用に被害者に仕立てる所、気に入りません。よく言われるように1950,60年代の核実験の時代に大量の放射線が降ってきて、その影響でどれだけの子供が癌になって死んだのか、データがないからわからない、だから参考にならぬのではなくて、だから大丈夫なのだと何故ならぬのでしょうね。このくらいだから大丈夫だよと、どうして言わないのでしょうね。そこを言いたいです。ゼロじゃないと危ない。そんなことは絶対ないことです。絶対と言えるのか?なんて噛みつかれそうですが言えるでしょうきっと。無菌防菌に馴らされた頭と心は汚いもの危ないものをそう意識しながら傍におかれなくなっている、全くひ弱な精神構造になっているのでしょう。あなたの手のひらにどれだけの黴菌がついているか。あなは食事の度にどれだけの汚いものを体に入れているか。天からどれほどの目に見えぬ体に感じない危険物が降り注いでいるか。国難と言われている時に被害者意識を振り回して眉を顰めて「未だこれだけ出ている・・」なんて呟くのにどれだけの意味がありましょうや。調べてみたらこれだけだったから大丈夫だ!とどうして言えないのでしょうね。メーカーばかりを叩くことが今必要なことでしょうかね。どちらが国民に、この国に利することかは明らかでしょうに。
 もう一つは言葉狩り。今朝の読売新聞の記事です。「ガイジ」撲滅へ本腰、と大きな見出しです。ガイジって何?御存知でしたか?障害児という意味の差別語だそうです。あいつガイジやからな。こんな使い方するんでしょうか。福岡市教育委員会が独自教材を作って啓発するんだそうです。これも馬鹿馬鹿しいでしょう?例によって人権侵害です。人の社会は平等ではないのです。人の体や能力は一人一人違うんです。そこを教えることこそが一番大切な教育でしょう。時には乱暴に教えないと。人権を振り回す手合いは、言葉狩りすることによって、差別はいけないと言いながらそう言いながら差別意識を煽り拡大し、人の心に深く沁み込ませて自分達を優位に置き、そうでない者達を排除していくのです。「言われる側の気持ちを考えることで、使ってはいけない言葉だと実感させる必要がある」んだそうです。「相手を攻撃し、自分が優位に立とうとする社会風潮が子供達の言葉にも影響しているのでは」ないか、だそうです。そう言ってるあんた方が一番の差別推進者です!ガイジがダメならショウガイジと呼ぶのはどうなんでしょうか。この記事に障害児と記載してあるのがまだ許せました、これを障がい児などと書いてあろうものなら・・真実を隠蔽する空っぽの平等至上主義と偽善。低い所、無い者、欠けている者に合わせることを強要してそうでない者の精神と能力を蝕む悪しきイデオロギーの匂いがプンプンします。社会風潮の所為にするところいかにも左翼的です。障害児はそういう自分の人生を生きていくばかりなのです。子供の時からそう覚えていかねばならぬことでしょうに。どうして真実を隠すのでしょうか。左翼さん達の偽善の根っこはここにあります。被害者は子供たちです。もっと乱暴でいい筈です。違いますか。
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