VIENTIANE, Laos発:メコノ河の堤に近い仮小屋で41歳の男が月曜日午後の陽光の下で漁網を繕っていた(6月17日MINDANEWS)
Mr. Khamla Phimmalangは彼が幼少の頃から漁を続けている。彼の日常は5.00 pm に漁をはじめ、翌朝に終了する。少なくとも12時間は網で魚を獲っている。 「自分はこれまで漁網だけを使用してきた」と彼はVientiane Timesに語り, 絡んだナイロン網を直していた。小さな小屋に似ている彼の小船は河の上で過ごす際の雨や寒さから彼を守るために作られていた。彼はターポリンの屋根を設け、彼のボートは河の中ほどの浮き桟橋の柱に繋がれている。
Mr. Khamlaはよい魚は河のタイ側にいる、底は深く水質も良い。一方ラオス側には様々に倒木が流れてくる。彼は漁網が流木を捉えることに文句を言う。Mr. Khamla は生計のために漁師を続けてきた、デモこの20年間で魚が次第に減っているという。「20年以上前には毎日少なくとも10キロの魚を獲った」4月と5月は漁がおおかったという。「今は、一日平均で4-5キロしかない。時にはまったく獲れない日もある」と。
彼は漁獲減少はメコン河にあまりに多くの漁師が存在するからだという。「とにかく、魚の漁は毎日減っている」といい、生活の収入を維持するためには魚の値段を上げるしかないという。 彼は3-4キロの重さのナマズをキロあたり30,000 kipで売っていたが今は60,000-70,000 kipで販売するという。「たいていの場合は他の集落や市場で売る。人々は自分の魚を堤防で待っていて買ってくれる」と彼は言う。
水生資源調査センターの次長Dr. Sinthavong ViravongはMindaNews紙にメコン河の魚は枯渇したという。Dr. Sinthavongによれば枯渇の主因は,産卵数の危機的な減少と若年魚の接餌場の欠如だという。彼によれば100年前はビエンチャンの周囲のメコン河は洪水のシーズンには小河川を経て洪水域と田んぼに繋がっていた。「このつながりが魚に機会を与えていた。国に小型のコイ科の魚の場合がそうで、産卵期の間に産卵場所に到達できていた」という。Dr. Sinthavongは魚は魚は新しい世代を毎年生産できる。その産卵数が漁獲で失われた分をカバーするという。
1966年以降大規模な洪水によりビエンチャンは被害を受けた。洪水に対処して市内には堤防が作られたという。「それ以降、洪水域、田んぼとメコン河の連携が消滅してしまった」と彼は言う。この次長は網や釣りの代わりの近代的な漁具が魚の数の減少の原因だという。また、人口の急増や市内の開発行為が「魚が騒々しい場所を離れて適所に逃げた原因」という。(以下省略)