ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

梶原一騎と極真空手についてのおもしろいインタビュー(3)

2011-10-30 03:56:06 | 格闘技

―(聞き手)「これ以上、プロレスとかクマとかはいいんじゃねえの?」っていう。

山田 だから必然的にね、梶原一騎と大山倍達が離別するのも歴史の必然なわけですけども、もちろんそりゃあお金が絡んでケンカになったりとか、いろんなことがあったんでしょうけど。

―そういう見方ができるということですね。

山田 極真と梶原一騎が組んで膨らませた幻想っていうのはそういうものなんですよ。だけど、それじゃあ極真も月謝を取って生徒を増やして、地道な経営をしていくときには邪魔になってくるんですよね。それはしょうがないんですよ。ルールも確立させて、そこに向って日々練習させていかないと回転していかないんですから。で、現実の極真のほうを確立してくるにつれ、そういった余分なものっていうのは…。

―邪魔になりますねぇ、まったく(笑)。

山田 その分岐点になったのは、ウィリー(・ウィリアムス)が三瓶 啓二とやって暴れちゃったところかな。あそこらへんが境目でしょうね。俺もウィリーがあそこで暴れだして「とんでもねえヤツだな」と怒る側にいたわけですよ。だけどウィリーとしては梶原一騎に言われてやったわけですけど…。

猪木さんと異種格闘技戦をやるためにはあそこで勝ち上がるわけには…ってことですよね。

山田 そう、あのあと猪木戦があったわけですよね。おそらくあそこでみんなの反発が予想外に大きかったんじゃないですかね。確かにあの場に梶原一騎的な世界観が入ってくると、非常に違和感があった。聖なるものを汚されたみたいな怒りがあったわけだよ、観てる人たちには。

―梶原一騎の局面切り的な要素で膨らんでいった極真自体が、それを逆に汚れたものとして排除するとは皮肉なものですね。

山田 そうですよ。皮肉だけど、しょうがないですね。極真側からしたら、それを排除していかないと。

―でも、これはどこの世界にもあるようなことかもしれないですね。ピエロが排除されていくっていうのは。

山田 そうですね。どこでもあることですけど、ちょうどそういう境目があの大会だったですね。だからいまの極真はそういう意味でももう幻想もなくなって、「最良の空手だ」って言い出しちゃったわけだから、梶原一騎的な夢はないんですけども、いまの極真に「また最強だって言ってくれ」とか言うのも酷でしょうけど、歴史のなかで一時期そういう時代があったということですね。

―ドラム缶を引くといまの極真になるという。

山田 そうですね。大山倍達個人のなかでは非常に梶原一騎的な、まあプロレス的なって言うとまた誤解が生じますけども、そういうた局面で対応するような宮本武蔵的な強さをもっていたし、そういうところに極真のロマンがあったんですね。で、実際に大山倍達は強かったと思いますよ。どんな場でケンカしても強かった人だと思います。

―普通の競技者とは違う発想ですもんね。

山田 ドラム缶に穴を開けるとか、そういう発想でやらないですから。競技には必要ないし、過剰な力なわけですよね。だから離れることは必然だったわけだよなあ。まあ、悲しいっちゃあ悲しいし、梶原一騎みたいな物書きがいまの時代にまた出てよといってもなかなか難しいですしね。

―グレーな世界だったら成立しますけどね。

山田 俺が言うのもなんだけども、その可能性がわずかに残されてるとしたらプロレスですね。で、ちょっと話は逸れるけどいちおう続きを言うとですね、総合格闘技っていうのは結局一つのルールなんですね。そこで追及される最強っていうのも、結局、ルールのなかの最強だ、と。そういうふうになってくると、簡単に言えばですね、そもそも最強っていうのは順位をつけることだから、スポーツ化しないと1位2位が出ないんですね。「じゃあ大山倍達は何番目に強い?」って言われたとき、出ないですよね。

―出ないですね。

山田 大山倍達とかはそういう枠に入らないことによって強さの幻想があったわけですけどね。

―確かに競技っていう目で見ると、ウィリーは競技者としての成績はふるわないですけど、存在としていまだに覚えているのはウィリーですもんね。

山田 幻想があったからね。だから梶原一騎も大山倍達もロマンの実態っていうものを理解していましたよね。ロマンの構造っていうかね。

―その二人が組んだんだから、あんなブームが起きますよね。

山田 起きますね。多局面っていうのは、ある意味、測定不能だんですよ。測定不能だからあそこまでの幻想が膨らんだと思うね。でも、いまは測定可能な時代、あんな幻想はもう生まれないでしょうね…。

[11年2月某日/都内・某所にて収録]

山田さんのプロフィールを紹介します。

>やまだ・えいじ■元『フルコンタクト空手』編集長、現『BUDO-RA BOOKS』編集長。格闘技興行の花がまだ咲き乱れる前の80年代後半から、「やる側」の視点で格闘技の編集などを手がける。プロレスファンからは本気で嫌われた大ヒールだが、非常に熱くておもしろかった時代を結果的に演出してくれた。口癖は「ザンス」らいしいけど、一度も発しなかった。なぜだ!?

(引用ここまで)

さいごに山田氏の写真を。



引用はこちらから。

(了)

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2 コメント

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梶原一騎センセイといえば (凡人69号)
2011-10-30 22:26:14
「プロレススーパースター列伝」なんていうのもありましたね。熱心な読者ではなかったのですが、あれも相当話を膨らましていたみたいですけど。

>プロレスファンからは本気で嫌われた大ヒール
山田氏といえば、プロレスファンのあいだでは「前田日明に横浜アリーナの女子トイレでボコボコにされた」ことで有名になってますが、プロレス的ないわゆる“アングル”なのか、ガチンコなのかどっちなんでしょうね?
(“アングル”嫌いの前田だから、ガチなんでしょうけど。)
返信する
>凡人69号さん (Bill McCreary)
2011-10-31 06:28:21
>プロレススーパースター列伝

あれも、極真空手系のと同じで、プロレス界に食い込むためのものだったんでしょうね。

>前田日明に横浜アリーナの女子トイレでボコボコにされた

これもすさまじいエピソードではありますね。たぶんガチなんでしょうけどね。
返信する

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