ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

たまには心温まる記事を紹介

2010-01-18 21:34:42 | Weblog
最初に読者の皆様にお断りしておくことがあります。

いま私大学院に通っていまして、今週あたりからレポートウィークです。よって、今までのように毎日更新できるかどうかわかりません。一応その旨ご了承願います。

では本題の記事に移ります。

このブログは基本的に殺伐とした内容が多いってことはないかもしれませんが、どちらかというと社会の矛盾を糾弾するみたいな部分が無きにしも非ずです。が、たまには私が新聞を読んでいて感銘を受けた記事を紹介しちゃいましょう。

朝日新聞のこちらの記事です(魚拓 p.1 p.2)。

要所を引用させていただきますと…。

>1995年の冬。がれきの積み重なる街に、手書きの張り紙があった。「地しんでお家(うち)をなくしたお友だち」へ――。阪神・淡路大震災の発生から17日で15年。張り紙を作った少女のメッセージは、いまも人々の心の中のささやかなともしびとなっている。

 被災直後の神戸市東灘区。倒壊した民家の前に、かわいらしい文字の張り紙があった。

 「地しんでお家(うち)をなくしたお友だち しばらくの間 わたしの家に来て下さい。京都市立葵(あおい)小学校2年 大石彩未(あやみ)」

 自宅の電話番号も書かれていた。通りかかった保育園理事長の箕浦(みのうら)太一郎さん(74)=神戸市垂水区=は心を打たれ、思わずカメラのシャッターを切った。「こんな小さな女の子が何とかして困った人を助けたいと思っている」。昨年、震災にまつわる思い出の写真を募集した朝日新聞に寄せた。

 23歳になった大石さんはいま、京都造形芸術大学の3年生。「人の心を楽しくさせたいと思ったんですね」。張り紙を15年ぶりに写真で見て、そう振り返った。

(中略)

大学教授の父は学生と一緒に救援物資を持って神戸へ向かう計画を立てた。ついていくことになった大石さんは、自分にできることはないか考えた。

 テレビニュースは避難所の体育館に身を寄せる子どもたちの姿を伝えていた。「地震でつらい目にあったお友達をぎゅっと抱きしめてあげたいな」。張り紙作りを思いつき、幼稚園時代の仲良しからもらった宝物の色鉛筆を取り出した。1文字ずつ色を変えて数枚を仕上げた。大好きだったリカちゃんの写真も添えた。

地震から4日後、被災地に入った。兵庫県西宮市から西へ向かって、目的地を決めずに国道2号を歩いた。道路は裂け、電柱が倒れている。辺りに連なるブルーシート。10キロほど歩き、約1200人が避難する神戸市東灘区の小学校に着いた。物資を渡し、トイレ掃除などを手伝った。

 家路につく前、大石さんはリュックから張り紙を取り出し、周辺の被災した家々に張って回った。父も手伝ってくれた。

 結局、張り紙を見た人からの電話はなかった。「幼心に、何もできなかったという思いが残りました」。それでも、あの時の体験は貴重なものになった。

 大学で演劇を学ぶ大石さんは2年ほど前から、テレビドラマや映画に出演するようになった。俳優を目指したのは、震災ボランティアのように人を勇気づけ、明るい気持ちになってもらいたいとの思いがあったからだ。

(後略)


「要所」といいながらほとんど引用しちゃいました。

大石さんについて私は何も知らないので、ちょっと調べてみたら東映京都に所属する女優さんみたいですね。ブログもありました。

それにしても、大学教授だというお父さんも偉いですね。ふつうそんな張り紙やめろっていいますよね。たぶん娘さんの姿にお父さんも心を打たれたんでしょうね。

大石さんの今後の活躍を期待したいと思います。
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