すいません、以前も同じ内容の記事を書きました。引用はこちら。
>宮崎の家族3人殺害、高裁が死刑判決支持
読売新聞 3月22日(木)14時16分配信
宮崎市の家族3人殺害事件で殺人と死体遺棄罪に問われ、1審・宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた無職奥本章寛(あきひろ)被告(24)について、福岡高裁宮崎支部(榎本巧裁判長)は22日、被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。
裁判員裁判の死刑判断に対する控訴審判決は、同日午前の東京高裁判決に続き2件目。
判決によると、被告は2010年3月、自宅で長男(当時5か月)の首を絞めるなどして窒息死させ、妻(同24歳)と義母(同50歳)をハンマーで殴り殺害した。
控訴審では、犯行動機について「義母の叱責などで追い込まれ、殺すしかないと判断した」とする被告の心理鑑定が新たに採用された。弁護側は鑑定結果などを基に無期懲役にするよう求めたが、判決は、鑑定を踏まえても、動機が自己中心的だとした1審の判断に誤りはなく、死刑が不当とは言えないと結論づけた。 最終更新:3月22日(木)23時34分
で、真相はわかりませんが、この事件には次のような背景があったようですね。当時の私の記事から引用します。
>宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 「どんな刑でも受ける」被告、謝罪の言葉 /宮崎
◇第4回公判
宮崎市の家族3人殺害事件で、殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛(あきひろ)被告(22)の裁判員裁判は22日、宮崎地裁(高原正良裁判長)で第4回公判が開かれた。奥本被告は「この生活から抜け出したいと思い、義母を殺害するしかないと思った」などと殺害の動機を語った。また、「どのような刑でも受け入れる覚悟です」などと述べた。24日は検察側の被告人質問がある。【川上珠実、中村清雅】
■被告人質問
午前10時、弁護側による被告人質問が再開された。
義母の貴子さんから「あんたのことは自衛隊を辞めた時から気にくわん」「あんたの両親は何もしてくれん」などと非難され、被告は「本当は家に早く帰りたいのに、家に居場所がなくて帰れなかった」などと帰宅が遅くなっていった経緯について語った。
今年2月23日、被告の故郷で雄登ちゃんの初節句をすることを巡って、貴子さんと口論。その際、貴子さんから頭をたたかれ、被告の出身地を差別的な言葉で中傷されたことや「離婚したければ離婚しろ。慰謝料をがっつり取ってやる」などと言われたとも語った。
2日後の25日。
「もう限界だと思った。何とかこの生活から抜け出したいと考えた。義母を殺害するしかないと思った」と殺害を決意した時期について明らかにした。くみ子さんと雄登ちゃんについては「義母を殺害したらくみ子がいるので、私が捕まってしまう。雄登は赤ちゃんなので、お母さんと一緒がいいと思った」などと3人殺害の動機についても語った。
犯行当日については涙声で次のように説明した。
「(首を絞めた)雄登を浴槽に沈め、扉を閉めました。中からバシャバシャという音が聞こえた時、雄登の苦しんでいる姿が思い浮かびました。でも、こうするしかないと思いました」
3人の遺体については、会社の資材置き場に重機で穴を掘って埋める計画だったが、「操縦技術がないので掘れなかった。雄登だけを埋めて、2人は強盗殺人に見せかけようと思った」などと説明。
事件については「後悔しております」。「夢であってほしいか?」と聞かれ、「毎日……、毎日思っています」と涙した。雄登ちゃんについては「(自分と似ているのは)唇だと思っていた。あやすと笑った顔が一番頭に残っている。ごめんねということしか思いつきません」とおえつした。
妻と義母や、親族らにも謝罪の言葉を述べ、「私はどのような刑でも……、どのような刑でも受け入れる覚悟です」と語った。
==============
◇起訴内容
3月1日午前5時ごろ、宮崎市花ケ島町の自宅で、生後5カ月の長男・雄登ちゃんの首を両手で絞め、浴槽に沈めるなどして殺害。遺体を勤務していた会社の資材置き場に埋めた。また、妻のくみ子さん(当時24歳)と義母の池上貴子さん(同50歳)の頭部をハンマーで殴るなどして殺害したとされる。
毎日新聞 2010年11月23日 地方版
で、当時の私の記事は次のようにまとめられています。
>私が気になったのは
>>被告の出身地を差別的な言葉で中傷
というところです。
実態は不明ですので何とも言えませんが、この凶悪な事件の最大の原因は、もしかしたらここにあるのではないかなと思いました。ほかはともかく、この発言は許せなかったのではないかと。もちろんだからといって被告の犯行に同情の余地があるとは思いませんが。
高裁でも死刑判決が維持されたことで、事実上この被告人の死刑はほぼ確定したといってもいいかもしれません。それにしても、出身地を差別的な言葉で中傷されたときの被告人の心境を想うと、個人的には複雑な気持ちになりました。もちろん人を殺してしまっては、同情はできませんが。
3月25日追記:この事件に関して、こんな記事を見つけました。
>〈 第3回公判 〉
宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 被告、前しっかり見据え
◇弁護側質問に被告
宮崎市の家族3人殺害事件で、殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛(あきひろ)被告(22)の裁判員裁判は19日、宮崎地裁(高原正良裁判長)で第3回公判が開かれた。被告人質問で奥本被告は「(3人に対しては)申し訳ないという言葉しか思いつきません」と謝罪した。弁護側の証人として被告の母親ら2人が出廷した。【川上珠実、中村清雅】
◇「家庭、痛々しかった」
◆母親への尋問
午前10時過ぎ、奥本被告の母親が出廷。被告について「明るくて誰にでも声を掛ける子だったが、頑固な所もあって言い出したらきかなかった」と話した。剣道に打ち込んでいた幼少時代について語り始めると、被告は宙を仰いで涙をこらえたり、タオルで何度も目元をぬぐって鼻を赤くした。
家庭の様子について母親は「貴子さんに気を使っていつも敬語だった。痛々しいくらいだった」と声を詰まらせた。また、被告に仕送りをしていたことも明かした。
3人の葬儀で貴子さんの元夫に「『章寛の気持ちもよくわかる。私も貴子さんとその母親にいろいろ言われて家を出た』と言われて、章寛と同じ思いをしたんだなって思った」と話した。
これに対して、被害者参加した遺族の代理人弁護士が「元夫はそんなことは言っていないと言っている」と尋問。母親は「言いました。それは忘れることができません」と反論した。
◇「家に帰りたくなかった」
◆被告人質問
午後2時5分過ぎ、弁護側による被告人質問が始まった。
「初めに言っておきたいことは」との質問に、被告は前をしっかりと見据えたまま「申し訳ないという言葉しか思いつきません」と謝罪し、「3人の顔を今でも毎日思い出すか」には「はい」と答えた。
自衛隊に勤務していた09年3月に、出会い系サイトを通じて知り合ったくみ子さんと結婚し、09年8月ごろ、約400万円の車を月3万円のローンで購入したため、家計が苦しくなったことなどについて語った。
また、貴子さんには大声で〓責(しっせき)されることが積み重なり、09年10月ごろから「仕事が終わっても家に帰りたくなくなった」などと述べた。
◇「優しい少年だった」
◆幼なじみへの尋問
午後1時20分過ぎ、被告の出身地福岡県豊前市で、幼少時から被告を知る女性(48)が証言した。
「3人を殺害するなんて極悪非道な人間だと思われても仕方ないが、私の知っているあっくん(被告)は本当に優しくて純朴な少年だった。何があっくんを苦しめ、変えたのか……」と涙を流し、地域で約150枚の情状酌量を求める嘆願書が集まったと訴えた。
(2010年11月20日 毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20101120ddlk45040627000c.html
元の新聞記事はすでに削除されています。
>3人の葬儀で貴子さんの元夫に「『章寛の気持ちもよくわかる。私も貴子さんとその母親にいろいろ言われて家を出た』と言われて、章寛と同じ思いをしたんだなって思った」と話した。
これに対して、被害者参加した遺族の代理人弁護士が「元夫はそんなことは言っていないと言っている」と尋問。母親は「言いました。それは忘れることができません」と反論した。
真相はわかりませんが、このくだりが個人的に印象に残りました。最後の情状証人の女性の発言からしても、すくなくとも被告人の男性が昔からどうしようもない人間だった・・・ということはなかったようですね。
4月7日追記:被告人が上告をしました。記事はこちらから。
><宮崎3人殺害>奥本被告が上告
毎日新聞 4月5日(木)12時51分配信
宮崎市で家族3人を殺害したとして殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛被告(24)の弁護団が5日、求刑通り死刑とした1審・宮崎地裁判決を支持した福岡高裁宮崎支部判決(3月22日)を不服として上告した。
弁護団の黒原智宏弁護士は「1、2審の量刑が妥当かどうか、最高裁の判断を仰ぎたい」と話した。
控訴審判決によると、奥本被告は10年3月、生後5カ月の長男の首を絞めるなどして殺害し、妻(当時24歳)と義母(同50歳)の頭をハンマーで殴るなどして殺害した。【中村清雅】 最終更新:4月5日(木)13時14分
5日の上告というと、まさに上告期限ぎりぎりですね。
あるいは、被告人自身はこの判決で仕方ないと考えていたのを弁護団が説得して上告になったのかもしれません。とりあえず私としては、最高裁判決(取り下げの可能性もあるかもしれません)までこの事件には注目したいと思います。
>宮崎の家族3人殺害、高裁が死刑判決支持
読売新聞 3月22日(木)14時16分配信
宮崎市の家族3人殺害事件で殺人と死体遺棄罪に問われ、1審・宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた無職奥本章寛(あきひろ)被告(24)について、福岡高裁宮崎支部(榎本巧裁判長)は22日、被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。
裁判員裁判の死刑判断に対する控訴審判決は、同日午前の東京高裁判決に続き2件目。
判決によると、被告は2010年3月、自宅で長男(当時5か月)の首を絞めるなどして窒息死させ、妻(同24歳)と義母(同50歳)をハンマーで殴り殺害した。
控訴審では、犯行動機について「義母の叱責などで追い込まれ、殺すしかないと判断した」とする被告の心理鑑定が新たに採用された。弁護側は鑑定結果などを基に無期懲役にするよう求めたが、判決は、鑑定を踏まえても、動機が自己中心的だとした1審の判断に誤りはなく、死刑が不当とは言えないと結論づけた。 最終更新:3月22日(木)23時34分
で、真相はわかりませんが、この事件には次のような背景があったようですね。当時の私の記事から引用します。
>宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 「どんな刑でも受ける」被告、謝罪の言葉 /宮崎
◇第4回公判
宮崎市の家族3人殺害事件で、殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛(あきひろ)被告(22)の裁判員裁判は22日、宮崎地裁(高原正良裁判長)で第4回公判が開かれた。奥本被告は「この生活から抜け出したいと思い、義母を殺害するしかないと思った」などと殺害の動機を語った。また、「どのような刑でも受け入れる覚悟です」などと述べた。24日は検察側の被告人質問がある。【川上珠実、中村清雅】
■被告人質問
午前10時、弁護側による被告人質問が再開された。
義母の貴子さんから「あんたのことは自衛隊を辞めた時から気にくわん」「あんたの両親は何もしてくれん」などと非難され、被告は「本当は家に早く帰りたいのに、家に居場所がなくて帰れなかった」などと帰宅が遅くなっていった経緯について語った。
今年2月23日、被告の故郷で雄登ちゃんの初節句をすることを巡って、貴子さんと口論。その際、貴子さんから頭をたたかれ、被告の出身地を差別的な言葉で中傷されたことや「離婚したければ離婚しろ。慰謝料をがっつり取ってやる」などと言われたとも語った。
2日後の25日。
「もう限界だと思った。何とかこの生活から抜け出したいと考えた。義母を殺害するしかないと思った」と殺害を決意した時期について明らかにした。くみ子さんと雄登ちゃんについては「義母を殺害したらくみ子がいるので、私が捕まってしまう。雄登は赤ちゃんなので、お母さんと一緒がいいと思った」などと3人殺害の動機についても語った。
犯行当日については涙声で次のように説明した。
「(首を絞めた)雄登を浴槽に沈め、扉を閉めました。中からバシャバシャという音が聞こえた時、雄登の苦しんでいる姿が思い浮かびました。でも、こうするしかないと思いました」
3人の遺体については、会社の資材置き場に重機で穴を掘って埋める計画だったが、「操縦技術がないので掘れなかった。雄登だけを埋めて、2人は強盗殺人に見せかけようと思った」などと説明。
事件については「後悔しております」。「夢であってほしいか?」と聞かれ、「毎日……、毎日思っています」と涙した。雄登ちゃんについては「(自分と似ているのは)唇だと思っていた。あやすと笑った顔が一番頭に残っている。ごめんねということしか思いつきません」とおえつした。
妻と義母や、親族らにも謝罪の言葉を述べ、「私はどのような刑でも……、どのような刑でも受け入れる覚悟です」と語った。
==============
◇起訴内容
3月1日午前5時ごろ、宮崎市花ケ島町の自宅で、生後5カ月の長男・雄登ちゃんの首を両手で絞め、浴槽に沈めるなどして殺害。遺体を勤務していた会社の資材置き場に埋めた。また、妻のくみ子さん(当時24歳)と義母の池上貴子さん(同50歳)の頭部をハンマーで殴るなどして殺害したとされる。
毎日新聞 2010年11月23日 地方版
で、当時の私の記事は次のようにまとめられています。
>私が気になったのは
>>被告の出身地を差別的な言葉で中傷
というところです。
実態は不明ですので何とも言えませんが、この凶悪な事件の最大の原因は、もしかしたらここにあるのではないかなと思いました。ほかはともかく、この発言は許せなかったのではないかと。もちろんだからといって被告の犯行に同情の余地があるとは思いませんが。
高裁でも死刑判決が維持されたことで、事実上この被告人の死刑はほぼ確定したといってもいいかもしれません。それにしても、出身地を差別的な言葉で中傷されたときの被告人の心境を想うと、個人的には複雑な気持ちになりました。もちろん人を殺してしまっては、同情はできませんが。
3月25日追記:この事件に関して、こんな記事を見つけました。
>〈 第3回公判 〉
宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 被告、前しっかり見据え
◇弁護側質問に被告
宮崎市の家族3人殺害事件で、殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛(あきひろ)被告(22)の裁判員裁判は19日、宮崎地裁(高原正良裁判長)で第3回公判が開かれた。被告人質問で奥本被告は「(3人に対しては)申し訳ないという言葉しか思いつきません」と謝罪した。弁護側の証人として被告の母親ら2人が出廷した。【川上珠実、中村清雅】
◇「家庭、痛々しかった」
◆母親への尋問
午前10時過ぎ、奥本被告の母親が出廷。被告について「明るくて誰にでも声を掛ける子だったが、頑固な所もあって言い出したらきかなかった」と話した。剣道に打ち込んでいた幼少時代について語り始めると、被告は宙を仰いで涙をこらえたり、タオルで何度も目元をぬぐって鼻を赤くした。
家庭の様子について母親は「貴子さんに気を使っていつも敬語だった。痛々しいくらいだった」と声を詰まらせた。また、被告に仕送りをしていたことも明かした。
3人の葬儀で貴子さんの元夫に「『章寛の気持ちもよくわかる。私も貴子さんとその母親にいろいろ言われて家を出た』と言われて、章寛と同じ思いをしたんだなって思った」と話した。
これに対して、被害者参加した遺族の代理人弁護士が「元夫はそんなことは言っていないと言っている」と尋問。母親は「言いました。それは忘れることができません」と反論した。
◇「家に帰りたくなかった」
◆被告人質問
午後2時5分過ぎ、弁護側による被告人質問が始まった。
「初めに言っておきたいことは」との質問に、被告は前をしっかりと見据えたまま「申し訳ないという言葉しか思いつきません」と謝罪し、「3人の顔を今でも毎日思い出すか」には「はい」と答えた。
自衛隊に勤務していた09年3月に、出会い系サイトを通じて知り合ったくみ子さんと結婚し、09年8月ごろ、約400万円の車を月3万円のローンで購入したため、家計が苦しくなったことなどについて語った。
また、貴子さんには大声で〓責(しっせき)されることが積み重なり、09年10月ごろから「仕事が終わっても家に帰りたくなくなった」などと述べた。
◇「優しい少年だった」
◆幼なじみへの尋問
午後1時20分過ぎ、被告の出身地福岡県豊前市で、幼少時から被告を知る女性(48)が証言した。
「3人を殺害するなんて極悪非道な人間だと思われても仕方ないが、私の知っているあっくん(被告)は本当に優しくて純朴な少年だった。何があっくんを苦しめ、変えたのか……」と涙を流し、地域で約150枚の情状酌量を求める嘆願書が集まったと訴えた。
(2010年11月20日 毎日新聞)
http://mainichi.jp/area/miyazaki/news/20101120ddlk45040627000c.html
元の新聞記事はすでに削除されています。
>3人の葬儀で貴子さんの元夫に「『章寛の気持ちもよくわかる。私も貴子さんとその母親にいろいろ言われて家を出た』と言われて、章寛と同じ思いをしたんだなって思った」と話した。
これに対して、被害者参加した遺族の代理人弁護士が「元夫はそんなことは言っていないと言っている」と尋問。母親は「言いました。それは忘れることができません」と反論した。
真相はわかりませんが、このくだりが個人的に印象に残りました。最後の情状証人の女性の発言からしても、すくなくとも被告人の男性が昔からどうしようもない人間だった・・・ということはなかったようですね。
4月7日追記:被告人が上告をしました。記事はこちらから。
><宮崎3人殺害>奥本被告が上告
毎日新聞 4月5日(木)12時51分配信
宮崎市で家族3人を殺害したとして殺人罪などに問われた同市花ケ島町、無職、奥本章寛被告(24)の弁護団が5日、求刑通り死刑とした1審・宮崎地裁判決を支持した福岡高裁宮崎支部判決(3月22日)を不服として上告した。
弁護団の黒原智宏弁護士は「1、2審の量刑が妥当かどうか、最高裁の判断を仰ぎたい」と話した。
控訴審判決によると、奥本被告は10年3月、生後5カ月の長男の首を絞めるなどして殺害し、妻(当時24歳)と義母(同50歳)の頭をハンマーで殴るなどして殺害した。【中村清雅】 最終更新:4月5日(木)13時14分
5日の上告というと、まさに上告期限ぎりぎりですね。
あるいは、被告人自身はこの判決で仕方ないと考えていたのを弁護団が説得して上告になったのかもしれません。とりあえず私としては、最高裁判決(取り下げの可能性もあるかもしれません)までこの事件には注目したいと思います。
「出身地への悪口で殺意が生まれた」というのが事実ならどうしてもそういう深刻なものを予想してしまいますね。普通、出身地への暴言で殺意なんて生まれないと思いますからね。
だから殺していいというわけではもちろんないですが、もしそうならこの義母も相当の問題人物ですし,死刑判決ってのはもやもやしますね。
>普通、出身地への暴言で殺意なんて生まれないと思いますからね。
と思いますので。
ただそれにしても奥さんと子どもさんは関係ないよなあと考えちゃうと、やはりなんとも重苦しくなってしまいます。
殺すという最悪の選択ではなく、手の打ちようがいくらでもあったはずなのに、ある意味もっとも安易な(と言っていいのかどうかは分かりませんが)解決策に走ってしまうところは、短絡的といわれても仕方のないところでしょう。
しかし、確かにいろいろな意味でやりきれない事件ですね。
>手の打ちようがいくらでもあったはずなのに
離婚したってどうせ慰謝料なんか払えないのだから、何とかなるでしょうにね、っていう気もしますし。どのみち最悪の選択をこの被告人はしてしまいました。
>しかし、確かにいろいろな意味でやりきれない事件ですね。
そうなんです。だから私も再びこのブログで記事にしたのです。
大変難しい問題とは思いますが、もし私やid:Bill McCreary氏さんの読みが正しいならば私個人は「差別を助長しないような形で書くべきではなかったか」と(もちろんそう言う記事を書くのが難しいことはわかりますが)。
最近の若者(もちろん被差別出身でない若者)はおそらく「被差別問題」など知らないでしょうから「出身地をけなされたぐらいで殺すなんて何という凶暴な男か。俺ならそんなことはしない」という相当、問題のある理解をしかねないと思います。
こういう問題は可視化した方がいいのではないかと思います。
そうですね、確かにこの話が事実でしかも真相が私たちの想像通りだとしたら、これはこれでまさに差別が殺人を引き起こしてしまったわけですがから、これは非常に重大なことになります。
>最近の若者(もちろん被差別出身でない若者)はおそらく「被差別問題」など知らないでしょうから
そうですねえ、最近の同和教育の実態について何も私は知識がないんですが、おそらく昔とくらべて充実しているということはないでしょうから、被差別問題に対する認識はそうとうに薄くなっているとは思います。
>こういう問題は可視化した方がいいのではないかと思います。
どう可視化するかですね。そしていま思いついたんですが、世の中の殺人事件(にかぎりませんが)の割合はわかりませんが、いくつかは確実にこのような差別発言(同和問題にかぎりません)が発端になっているかと思います。
しかし義母が引っ越したいと口うるさく章寛君に言っていたみたいです。
以前はくみ子さんの白い軽自動車に乗っていた章寛君ですが、新車購入の理由は章寛君は語ってはくれませんでした。ここは私の推測ですが、これも口うるさく言われていたのではないでしょうか。お金がすべてではないですが、お金にルーズな母娘に翻弄されて心の余裕もないまま追い詰められて行った…そんな印象を受けました。
>結婚前、彼女の妊娠の責任から自衛隊を自ら辞めた章寛君は、結婚後くみ子さんの滞納していた年金や携帯代を退職金で精算。お金に余裕がなかった様です。
はい、できちゃった婚だったらしいことはわかったので、その辺ちょっと夫婦仲に問題があったのかなという気はしていたのですが、
>結婚後くみ子さんの滞納していた年金や携帯代を退職金で精算。お金に余裕がなかった様です。
というのが事実であれば、それは彼にとっても相当な経済的な負担になりますね。
>以前はくみ子さんの白い軽自動車に乗っていた章寛君ですが、新車購入の理由は章寛君は語ってはくれませんでした。ここは私の推測ですが、これも口うるさく言われていたのではないでしょうか。お金がすべてではないですが、お金にルーズな母娘に翻弄されて心の余裕もないまま追い詰められて行った…そんな印象を受けました。
はい、私も被告人のお母さんが仕送りしていたという話をして、いったい何をそんなに金がかかっていたのか(奥さんや、義母は働かなかったのかとも考えました。「無職」だったみたいなので)、と気になっていました。たしかにおっしゃるようなところは事件の一面としてあったのかもしれませんね。精神的な部分だけでなく金銭的な部分でも追い込まれていたとなると、それはかなり気の毒です。
貴重なコメントありがとうございます。