ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

なにはともあれ良かったと思う(米国とキューバの国交正常化)

2015-07-02 00:00:00 | 社会時評

昨日流れた記事を。

><米キューバ>国交正常化に合意
毎日新聞 7月1日(水)11時25分配信


. 【ワシントン西田進一郎】米国とキューバは6月30日、双方の大使館再開と外交関係正常化で合意した。米主要メディアが同日、米政府高官の話として一斉に報じた。オバマ米大統領が7月1日午前11時(日本時間2日午前0時)に合意内容を盛り込んだ声明を発表する。両国はキューバ革命後の1961年に国交を断絶しており、54年ぶりの国交正常化となる。

 米国がハバナに、キューバがワシントンにそれぞれ置いている利益代表部を大使館に昇格させる。米政府は、大使館再開について少なくとも15日前に議会に通告しなければならない。ロイター通信は、ケリー米国務長官が7月下旬にハバナを訪問し、大使館再開の式典に出席する可能性があると報じた。

 オバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長は昨年12月、国交正常化交渉の開始を発表。今年1月からワシントンとハバナで断続的に交渉を行ってきた。交渉開始と並行し、米国は旅行や送金などの規制を一部緩和した。

 4月には、パナマで開かれた米州首脳会議で59年ぶりに両国の首脳会談が行われ、関係改善を加速させることに合意。米国務省は5月、キューバに対するテロ支援国家指定を33年ぶりに解除するなど、両国の関係は急速に改善に向かっている。しかし、キューバの民主化や人権など、米国が重要視している分野で双方の立場が大きく異なる問題も残っている。

もうひとつ

>国交回復と大使館設置へ=米・キューバ、歴史的合意―あす未明に正式発表
時事通信 7月1日(水)7時3分配信


. 【ワシントン、サンパウロ時事】米国とキューバは30日までに、国交回復と大使館の相互設置で合意した。7月1日に正式発表する。両国は1961年に国交を断絶しており、半世紀以上を経て外交関係を再開する歴史的な合意となる。
 キューバ外務省によると、国交回復と大使館再開に関して、オバマ大統領からキューバのラウル・カストロ国家評議会議長に宛てた親書が1日に、両国当局者間で手渡される。
 オバマ大統領は1日午前11時(日本時間2日午前0時)にキューバに関する声明を発表する。ロイター通信によれば、大使館再開の式典に出席するため、ケリー米国務長官が7月下旬にキューバの首都ハバナを訪問する可能性がある。
 両国は昨年12月に国交正常化交渉の開始を発表。今年1月から5月まで、ワシントンとハバナで断続的に計4回交渉を開いた。米政府によるキューバのテロ支援国指定が関係回復への障害だったが、オバマ政権は5月、82年以来の指定を正式解除した。 

>オバマ大統領は1日午前11時(日本時間2日午前0時)にキューバに関する声明を発表する。

この記事は、日本時間の2日午前0時にアップされる設定にしてありますから、するとこの記事はオバマ声明と同時の発表ということになりますかね。つまりこの記事を書いている段階では、私はその声明を確認していないわけです。

いろいろなご意見はあるでしょうが、とりあえずこの両国が国交を回復したのは良かったですね。もともと米国がキューバとの関係を拒否し続けた理由の一つには、明らかに「飼い犬に手をかまれた」みたいな心理があったし、今回国交回復に至った理由としては、キューバに直接利権を持っていた世代がほぼ死に絶えて、フィデル・カストロもトップ(国家評議会議長)を退いた事情もあったかと思います。たぶん米国でも、フィデルのキューバとは国交を回復したくないが、ラウルなら考えてもいい、みたいな人たちは少なくなかったはず。

1990年代初めは、キューバの最大のスポンサーであるソ連が崩壊したため、キューバも体制の維持は厳しいのではないかという観測も流れましたが、この難しい時期をキューバは乗り切れたので、そう考えるとあらためてキューバの底力というか強靭さみたいなものを感じます。たぶんですが、今日にいたるまで共産党の体制をキューバが保持し続けている理由の1つは、この共産党(キューバ共産党)が、キューバという国の特性とその時代の変化に対応して行く柔軟性を保持し続けたからなのでしょう。それはラテンアメリカの後進性、地理的特性の問題でもあるかもしれませんし、カストロの清廉さなども寄与しているのでしょう。

それで記事を読んでいて、私が注目したいのがこちら。

>米国がハバナに、キューバがワシントンにそれぞれ置いている利益代表部を大使館に昇格させる。

つまり不倶戴天の敵みたいな印象がある両国も、お互いにちゃんと利益代表部を設置しているということです。これは興味深いですね。翻って日本と北朝鮮、双方とも利益代表部はないですよね。考えるに、やはりこれの設置は必須じゃないですかね。日本には、朝鮮総連という北朝鮮の利益代表部に類するものはありますが、平壌には日本の利益代表部なるものはない。不定期で連絡事務所が開設されたことはあるようですが、現在はないようです。まずはこれの恒常的設置を必要としませんかね。北朝鮮は、朝鮮総連を利益代表部にすればいいでしょう。そういうことを政府なり与党が主張したら、荒木和博や西岡力は激怒するでしょうが、しかし必要なことでしょう。

ちなみに日本も、中華人民共和国と国交を回復する以前にも、北京に連絡事務所は設置されていました。Wikipediaの「日中国交正常化」の項目を引用しますと

友好貿易とLT貿易

1960年夏の池田内閣の誕生と合わせるかのように、中国側から対日貿易に対して積極的なアプローチがなされてきた。そして松村謙三、古井喜実、高碕達之助、等の貿易再開への努力ののち、日中貿易促進会の役員と会談した際に周恩来首相から「貿易三原則」(政府間協定の締結、個別的民間契約の実施、個別的配慮物資の斡旋)が提示されて、ここから民間契約で行う友好取引いわゆる「友好貿易」が始まった。これはあくまで民間ベースのものであったが「政治三原則」「貿易三原則」「政経不可分の原則」を遵守することが規定された政治色の強い側面があり、日本国内では反体制色の強い団体や企業が中心的な役割を果たしていた。

そこで、これとは別に政府保証も絡めた新しい方式での貿易を進めるために1962年10月28日に高碕達之助通産大臣が岡崎嘉平太(全日空社長)などの企業トップとともに訪中し11月9日に「日中総合貿易に関する覚書」が交わされて、政府保障や連絡事務所の設置が認められて半官半民であるが日中間の経済交流が再開された。この貿易を中国側代表廖承志と日本側代表高碕達之助の頭文字からLT貿易と呼ばれている。しかし1963年10月7日に日中貿易のため中国油圧式機械代表団の通訳として来日した人物が亡命を求めてソ連大使館に駆け込み、その後台湾へ希望先を変えて、その後もとの中国への帰国を希望する事件が発生した(周鴻慶事件)。政府は結局中国へ強制送還したが、国府が反発して日台関係が戦後最悪といわれるほど悪化し、その打開に吉田元首相が訪台してその後にお互いの了解事項を確認した「吉田書簡」を当時の国府総統府秘書長張群に送り、その中で二つの中国構想に反対して日中貿易に関しては民間貿易に限り中国への経済援助は慎むことなどの内容があって、LT貿易に関しては影響を受けた。しかし池田首相の日中貿易に対する積極的な姿勢は変わらなかった。

さらに1964年4月19日、当時LT貿易を扱っていた高碕達之助事務所と廖承志事務所が日中双方の新聞記者交換と、貿易連絡所の相互設置に関する事項を取り決めた(代表者は、松村謙三と廖承志)。同年9月29日、7人の中国人記者が東京に、9人の日本人記者が北京にそれぞれ派遣され、日中両国の常駐記者の交換が始まった(日中記者交換協定)。

ということです。

 1991年から日朝の国交回復への話し合いが(断続的とはいえ)続いているわけですが、それにもかかわらず利益代表部あるいは連絡事務所のたぐいもいまだ設置されていないわけで、あらためて日朝間の関係の厳しさを痛感します。いずれにせよ今後の米国とキューバの関係に要注目です。

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5 コメント

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Unknown (bogus-simotukare)
2015-07-02 06:08:55
次は米イラン、米朝で同様の進展をお願いしたいところですね(日本人としては拉致解決という意味で米朝、「ホルムズ湾の掃海」などという馬鹿な事を安倍に言わせないと言う意味で米イラン。)。

>ラウル・カストロ

彼はフィデルの弟で同世代というか近い年齢ですからね。「ポストラウル」がうまくやってけるのか気になるところです。

>難しい時期をキューバは乗り切れた

まあそれは中国、北朝鮮、ベトナム、ラオスなんかもそうですね(北朝鮮、ラオスは貧乏国なので乗り切ったと言えるか微妙な気もするが、中国、ベトナム、特に中国について言えば「経済的な意味で言えば大成功」でしょう)。

>1960年夏の池田内閣の誕生と合わせるかのように、中国側から対日貿易に対して積極的なアプローチがなされてきた。

この記述が正しいとしてですが
1)中国は「池田は岸程の反中国ではない」と見なしていた
2)周鴻慶事件の決着(今は勿論当時だって経済的利益を考えれば「台湾に躊躇なく送る」なんてできないわけです)などを考えるにその中国の読みはおそらく正しかった
と言えるんでしょうね。
 小生、正直、中国と言う国を「蒋介石、毛沢東、周恩来、トウ小平」などのビッグネームを生み出した「スゴイ国」「ある意味日本なんか及びもつかない国」だと思ってますがこういう記述を見るとそう言う思いを改めて強くします。
それと今後「岸退陣、池田内閣誕生後アプローチがあったように」
>ポスト安倍内閣の誕生と合わせるかのように、中国側から対日外交に対して積極的なアプローチがなされてきた。
つうことにたぶんなるんでしょうね(苦笑)。

>松村謙三、古井喜実、高碕達之助

松村:
東久邇宮内閣で厚生大臣兼文部大臣、幣原内閣で農林大臣、第2次鳩山一郎内閣で文部大臣。
古井:
戦前、内務省警保局長(今の警察庁長官)、内務次官などを歴任。
戦後、公職追放で退官。追放解除後に政界進出。第2次池田内閣で厚生大臣、第1次大平内閣で法務大臣。
高碕:
 戦前、東洋製罐(高碕の創業した会社)社長、満州重工業総裁を歴任。戦後、電源開発総裁を経て政界入り。第1次鳩山一郎内閣経済審議庁長官、第2次、3次鳩山一郎内閣経済企画庁長官、第2次岸内閣通産大臣(科学技術庁長官、原子力委員会委員長兼務)
ということで全員保守政治家ですからね。
 「自民党は歴史的には決して反中国極右政治家だけの集まりではなかった」わけです。

>周鴻慶事件

「周鴻慶事件」でググったら上位に
『池田内閣における中日関係と大平正芳(その三) 』
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/4220/1/KJ00004466058.pdf
なんてのがヒットしました(当時、大平は池田内閣外相)。
 大平は池田内閣外相として周鴻慶事件に、田中内閣外相として日中国交正常化に、と中国に「結果的に」ですが深く関わったわけです。
 このpdf、ざっと読みましたがなかなか面白いですね。
1)この事件時の法相は岸信介派で台湾ロビーの賀屋興宣
 まあ、結局「中国送還」で片がつきますが、賀屋は当初「送還反対」ですし、池田首相、大平外相も「賀屋の扱い」には苦慮したことでしょう。
2)台湾側が「周を中国に引き渡したら台湾で反日暴動が起こって日本人に危害が加わっても責任とれない」と脅しまがいのことを言ったため「非常時に台湾の日本人を救出するため海自艦船の派遣」が検討された
3)
・『人民日報』は論評を掲載し, 周鴻慶事件に対する日本政府の措置は「公正かつ合理的」であると異例の評価を与えた。『人民日報』が日本の保守政権を褒めたのは恐らくこれが最初であった
・「周鴻慶事件」は(中略)台湾と外交関係を維持しながら,人民中国との経済交流を拡大する,事実上の「2つの中国」政策を進めていた日本が,その「2つの中
国」何れかの主張の2者択一を迫られたという点において戦後中日関係史上特筆すべき事件であった。
・池田内閣による前向きな中国政策は,(中略)様々なファクターが作用したが,(中略)以下の4点に要約しうる。
 まず第一に,日本産業界の中国大陸市場への進出の強い願望が,池田内閣をして対中関係改善に踏み切らせるという内因であった。(中略)広い国土と膨大な人口を擁する中国は日本の産業界にとって魅力的な存在であった。
(中略)
 第3に,中日接近を唱える石橋湛山,松村謙三及び高碕達之助等をはじめとする自民党内における助言グループの存在とその行動は,池田内閣による中日関係を打開し,進捗する上で,接合剤的な役:割を果した。(後略)
・大平の中国観には,以下のような諸側面が含まれていると思われる。
(中略)
 巨大な中国市場は,日本の貿易振興,そして,日本の国益に合致するものである。
(中略)
「貿易の機会が開拓可能であれば,それは開拓していくべきものと心得ている」
「少なくとも経済交流は正常なものでありたい,現在の日中間の経済交流というものは必ずしも満足すべきものではない」といった大平の答弁は,経済合理主義的発想から生まれたそのものである。中江要介は「大平さん(中略)は西欧合理主義者で(中略)である。まだ国交正常化の前であったが,大平は不動の地位を築いてきた中華人民共和国と隣にありながら,日本がその固と関係を持たないというのは不自然だと考えていた。況んや,経済的には巨大な市場ではないかと,履を一足ずつ売っても何億という履が売れるのだ,中国市場を何とかもっと自由に使いたいという論法があった」と証言した。
(pdf論文の記述)
 引用が長くなりましたがまあ、そういうことなんですかね。いつもの「経済は大事だ」と言うお話ですね。
返信する
キューバへの経済進出を唱える産経 (bogus-simotukare)
2015-07-02 06:12:53
産経新聞
『【経済インサイド】
米国との関係正常化の「キューバ」に商機 支倉常長以来の「親日国」 蜜月関係復活なるか』
http://www.sankei.com/premium/news/150702/prm1507020001-n1.html

まあベトナム相手にも「日本企業の商機増大」とか言ってましたけど産経の「アンチ中国、北朝鮮」て「反共というのとは少し違う」んでしょうね。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2015-07-02 22:21:46
>日本人としては拉致解決という意味で米朝、「ホルムズ湾の掃海」などという馬鹿な事を安倍に言わせないと言う意味で米イラン。

イランは大国ですから、ここが一番の難物ですかね。イスラエルがOKにならないとイランとの交渉は進まないかもです。

>「ポストラウル」がうまくやってけるのか気になるところです。

ラウルの後の指導者の体制になったら、キューバの良い部分も中国のような拝金主義になるんじゃないかという指摘はいろいろされていますね。このあたりは、まさにお手並み拝見です。

>この記述が正しいとしてですが
1)中国は「池田は岸程の反中国ではない」と見なしていた
2)周鴻慶事件の決着(今は勿論当時だって経済的利益を考えれば「台湾に躊躇なく送る」なんてできないわけです)などを考えるにその中国の読みはおそらく正しかった
と言えるんでしょうね。

岸では相手にならんが、池田なら、というところでしょう。佐藤はだめだが、ポスト佐藤なら、と同じです。それでおっしゃるとおり、中国の読みは正しかったということでしょう。

>小生、正直、中国と言う国を「蒋介石、毛沢東、周恩来、トウ小平」などのビッグネームを生み出した「スゴイ国」「ある意味日本なんか及びもつかない国」だと思ってますがこういう記述を見るとそう言う思いを改めて強くします。

いまお挙げになった4人ほどの超大物は、日本には出現していませんね。まあそういう点では、比較の対象にもならんでしょう。それ以降でも、例えば胡前主席のような優秀な人間と、安倍みたいな最高レベルの馬鹿とでは比較の対象にもならんでしょう。

>つうことにたぶんなるんでしょうね(苦笑)。

おそらく自民党の一部や財界の人間も、ポスト安倍でどうやって中国との関係を改善するかというのは、最大の懸念材料でありなんとかしなければいけないことだと考えているでしょう。

> 引用が長くなりましたがまあ、そういうことなんですかね。いつもの「経済は大事だ」と言うお話ですね。

中国との関係で、日本がどれだけ金儲けをしたかということです。それを認識できない人間に、政治や経済なんて語る資格はありません。
返信する
利益代表部 (inti-sol)
2015-07-04 20:21:10
そう、実質的には大使館設置というのは利益代表部の看板を付け替えるだけのことです。日本が北朝鮮に利益代表部(的なもの)は、必要だと思いますけど、安倍政権じゃ期待するだけ無駄というもの。

それから、産経がキューバへの経済進出を唱えているというのは初めて知りましたが、米国とキューバが国交回復交渉に入った昨年12月の時点では、反対とは明言しないものの、反共色丸出しの釘刺し的な「主張」を出していました。
http://www.sankei.com/column/news/141219/clm1412190002-n1.html
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>inti-solさん (Bill McCreary)
2015-07-05 20:21:06
>そう、実質的には大使館設置というのは利益代表部の看板を付け替えるだけのことです。日本が北朝鮮に利益代表部(的なもの)は、必要だと思いますけど、安倍政権じゃ期待するだけ無駄というもの。

日本と北朝鮮の関係というのも特異なところがあり、緒戦総連のような北朝鮮の利益を代弁する大きな組織がありますからね。それを利用するのが必要ですが、なかなかそうもいかないし、おっしゃるように安倍政権でそのような期待はできないですよね。

>反対とは明言しないものの、反共色丸出しの釘刺し的な「主張」を出していました。

米国がOKなら、はばかるものなし、っていうところですかね。
返信する

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