十字架について今思うところ

 「さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、……。
 この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。そこには酸いぶどう酒のいっぱいはいった入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。
 イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。」(ヨハネ伝19:23-30)

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 罪について、稚拙さを承知の上で書いてみた。
 そうすると、どうしても「十字架」、ここを避けて通ることができない。
 しかしながら「十字架について」、この最重要事項については、私は嬰児以上の者ではないことを明記する。
 その嬰児が、少しずつ少しずつこの「十字架」に向き合ってゆこう、そう思い立ち、当座思いつくことを書く試みをする。
 この「最重要事項」が本稿だけで終わるはずがないことは重々承知の上で、「今後のヒント」位にはなるだろうか…、本稿はその程度の位置づけと自ら割り切っている。

 上に「ヨハネ伝での十字架の箇所」、その聖書箇所を取り上げてみた。
 僅か8節しか、費やしていない。
 「この量」は、他の福音書においても同様のはずだ。
(パーセンテージに換算すれば、「その扱いの少なさ」は更に明確になることと思う。)
 この「ある種の淡泊な取り扱い」、これは前々から本当に疑問だった。
 教会でもらった「ルカ伝ベースの宣教ビデオ」では、十字架のシーンを痛々しく描写していた。釘を打たれるのを嫌がるイエス……。
 映画「パッション」に至っては、悪いが「福音」とは似て非なるものと考える。
(告白すると、DVDを購入してしまった。これは「処分」する。)

 ところで昨晩、私は「自らの記録」を綴る作業に着手した。
 いつ終わるとも知れぬ、密やかなる作業だ。
(もっぱら自身の「整理」のための作業にすぎない。)

 今まで、私の「悩み苦しみ」は、実にしばしば「病気」という形で現れ続けた。
 それはそれは、様々な病気…。

 「最後の1ヶ月」。
 神は「その悩み苦しみ」を、「病気」なぞというオブラートで包むことすら許さず、「悩み苦しみ」を「悩み苦しみ」として、とことん容赦なく、真っ正面から私に叩き付け続けた。
 「ヨブ記の項」で書いたとおり、それこそ「ひとりぽっちの私」に、厳父たる神は情け容赦がなかった。
(「日記」の方を2006年8月にほとんど書けなかったのは、そのことが最大唯一の理由である。)
 そうして焦燥しきった私は、最後に残った書物「聖書」に手を伸ばした。
 しかし、…なぜヨハネ黙示録の1-3章を開いたのであろうか。
 「これだ! これこそが私の求めていたもの! 求めていたものがこの広大なる世界などには全く存在せず、実に、こんなにも「ちっぽけ」な書物の中にあったとは!」
 無我夢中になって、ヨハネ伝を読み進めた。
 ひとことひとこと、それは大きく頷きつつ。
 そして、イエスの「この言葉」。
 「わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ伝6:48)
 これぞまさしく、神が私にたたきつけた「とどめ」だった。
 そう! まさしく「イエスそのもの」が「食物」であり「飲み水」(ヨハネ伝4:14参照)であったとは!
 私はあたかも、「聖書というちっぽけな書物」の中にすっぽりと「逃げ隠れる」こと叶ったかのようであった。
 そして…、私は「死んだ」。

 さて、ほんじつ2006年9月22日。
 今日も私は生きていて、こうして何かを書き綴っている。
 だが、「死んだ」のだ。
 でも「生きている」。
 あるいは「これ」を指して「復活」と呼ぶのであろうか……、それは今の私には力量不足にすぎる課題だ。「新生」、「回心」……、様々な語句群の、一体どれに当てはまるのだろうか……。
 だが、そのようなカテゴライズ作業の類に、今の私は実に何らの意味も見いだしていない。

 そして、「死んだ」時というのは、冒頭のヨハネ伝の如く「8節くらい」の長さにすぎない。
 無論、その前の「苦しみの長さ」に比べればの話だ。
 なにしろ「大罪の処刑」なのだ、なるほど確かに最高刑たる「十字架」に相当するのも至極もっとも…。
 省みて、そう思う。
 ただ、その「十字架」の期間というのは、やはり「8節くらい」の長さ、それで済んだようだ。
(後日談というのも無論あるのだが、それはさて措こう。)

 上のヨハネ伝においても、また他の福音書においてもそうなのだが、イエスは「痛い」とか「つらい」などとは一言たりとも言ってはいない。
 昔日見た上述のビデオや映画の類とは、ここが大きく違うと私は思う。
(更に言えば、「似て非なるもの」。)
 マタイ27:50「大声で叫んで」やマルコ15:37「大声をあげて」は、果たして「苦しみ」の極大点としての「大声」なのかどうか、私には判断できない。
 あるいは「勝利の雄叫び」の類だとしたら……?
 想像し始めたら、きりがない。
 …やはり「聖書」は、「この8節」という時間帯の「イエスの心理」、その解釈を許さないように今の私は思えるのだが、どうであろうか。

 時系列は前後するようだが、「イエスはご自分で十字架を負って、」(ヨハネ伝19:17)、そう、神から課せられた使命、それが何であるかはともかく、それを、このイエスのようにしっかり背負うのみ、この意識は日に日に増している。
 イエス御自身も、仰る。
 「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」(マタイ10:38)

 また、話は前後するが、パウロも言う。
 「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

 そのとおりに、今「生きている」のは「十字架につけら」たからこそ、私も自身について心からそう思う。
 だからこそ、パウロは次のように宣言して、そして宣教を行ったのではなかろうか。
 「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」(1コリント1:23新共同訳)
 その「十字架につけられたキリストを宣べ伝えてくれて」ありがとう、何しろこの「聖書」を遺してくれたんだ…、今の私はこのパウロにもそのように感謝している。

 「十字架」それ自体というのは、全く何の意味もない。
 実に、「単なる丸太細工」、これ以上に、何の意味(価値)があろう?
 しかしながら、「十字架にかかったイエス」、これは、間違いようもなく最重要事項(価値)だ。
 一方で、この最重要事項の扱いは「8節」程度の長さ……。
 「その前」。
 「その後」。

 「十字架とは何か」。
 この最大難問についての、些細なヒントをしたためた以上のものではない。
 ただ思う、結婚式場やホテルでの「チャペル」上部に安置された「十字架工芸」、私はこれに、全くもって何の意味をも見いだすことができない。
 そのことくらいは、ここまで書き記していって、そして自身で確認できたと思う。
 今日のところはこれでよかろう、静かに確認印を押してみる。
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罪について

上の部
 悲嘆
 内心の分離 (英語は略す)
 脱罪術 その一 リバイバル
 脱罪術 その二 学問
 脱罪術 その三 自然の研究
 脱罪術 その四 慈善事業
 脱罪術 その五 神学研究
 神学校
 忘罪術 その一 ホーム
 忘罪術 その二 利欲主義 (英語は略す)
 忘罪術 その三 オプティミズム(楽天教) (小見出しを略す)
下の部
 罪の原理
 喜びの訪れ
 信仰の解
 楽園の回復 (英語は略す)
 贖罪の哲理
 最終問題
(内村鑑三「求安録」の「見出し」、教文社全集1所収版より)

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 今の私には、「罪」、この重大項目を理路整然としたためることの到底叶わぬ者である。
 試みに書いてみると、「大罪が自身の身に横たわっている」、まずは、この厳粛たる事実に気付くかどうか(そのためにこそ、聖書がある)。
 次に気付いたとして、「自分自身の大罪」、こいつは、消そうとしても消えず、小さくしようとしてもそれすら叶わない、こうして、もがき苦しむ。
 そして「きらめくばかりのある一点」。
 そうして、「自分自身の大罪自体」は受け入れつつ、「その大罪」と付き合う…。
 つまり「大罪それ自体がなくなりはしないことを受け入れる」。
 これが、今の私が考えている「罪の解決」である。
 まあ、仮説にすぎない。
 「もがき苦しみ」、その最果ての地点で、イエスは「その人の身代わりになって」十字架で死んでくださった。「きらめくばかりのある一点」とは、ここを言う。
 この「贖罪の十字架」にしても、今の私の幼稚な理解にすぎない。
 そうして、「もがき苦しんでいた自己」は、死ぬ。
 イエスが十字架の上で死んだように。
 そして、イエスは復活するのだ!
 そういうわけで、その人は新生(「回心」)を果たす。
 かくして「大罪との共存」叶う、そういう考えだ。

 「私の中には、ぶっとくて黒い蛇が棲み着いている」。
 確か三浦綾子の言だと記憶していた(ことばそのものは、うろ覚え)。
 「蛇」に気付き、「蛇」と格闘し、そして遂に「蛇と共存する」。これこそ、イエスによる罪の解決だ、そう思う。

 もっぱらそのことを書き記そう、そう思って、本棚にある限りの彼女の著作を片っ端から斜め読みする。
 「蛇」の話は、どこにもなかった。
(ネットで調べても、どうも出てこない。)
 ところで私は三浦綾子の文章というのは、「高校文学少女」程度、それくらいにしか評価していない。
 「三浦綾子は『文壇』では全く評価されていない」という話を、昔日教会で耳にしたことがある。
 少し前に「道ありき」を読み、またさくじつ随分と斜め読みして、まあ、「文壇」の「ぶ」にも及ばない、申し訳ないがそういう印象以上のものはない。
 三浦綾子のファン層。
 第一、「右手にメロドラマ、左手に聖書」という一群(専業主婦に多いか?)。
 第二、「教会(註:イエスではない)を仲介者とする理想のめおと像」、この虚像にあこがれプロテスタント教会推薦図書群の一を読む、そういう一群。
 この両者以外にはなんらの存在価値もない文章群、今の私は三浦綾子をそのように位置づけている。
 例えば「道ありき」は、「いい材料」をたくさん持ってきているのに、何の重み付けもせずに「箇条書き」するばかりで、勿体ないなとすら思った。これでは「本」ではなくて「文章」にすぎない。
 一方で、遠藤周作の「沈黙」。
 10ページほど読み進めていって、その筆力の強さに叩きのめされた。
(ただ、遠藤周作が描く「イエス像」を、私は全否定している。そして、そのことと「作家としての腕の善し悪し」とは、全く別個の事項である。)

 三浦綾子の文章をざっと斜め読みして思ったこと。
 「この人は『教会が教えるとおりの『罪』を言い広めただけで、実は『罪』に気付いていなかったのかもしれない……』。
 「信仰三部作」と「教会」でもてはやされるその一冊、「光あるうちに」(新潮文庫)は、特にひどいと思った。

 「罪とは何か」の項 ( P.24-75 )。
 「『原罪とは何ですか』という便りが殺到し、……。私は『人間が生まれながらにして持っている罪のことです』などと答えたりしたが、……」( P.24 )。
 逆に私は彼女に問いたい。「人間が生まれながらにして持っている罪」とは何ですか、と。
 これでは禅問答ではないか。私が彼女の文章を「教会の受け売り」と書く所以である。

 続けて彼女は書いている。
 「『性欲も、食欲も原罪だそうです』と座談会で語っておられ、わたしはこまったなあと思った……」。(同頁)。
 そりゃあ、言われるべくして言われ、当然の帰結として「こまる」だろうに、位にしか思わない。
 彼女の「教会の受け売り」の程は、本書の P.38 、「○原罪」という項の記載が雄弁だ。引用はしないが、それこそ「教会の卸問屋」以外の何者でもないと思った。

 もう少し続けることの愚を、お許し願いたい。
 P.161 の記載。
 「この『光あるうちに』も、『主婦の友』誌に連載されて……。あと二章で一応終わらせていただくわけだが、『大変わかりやすくておもしろい』『感動しています』という読者の方の手紙に、私は励まされてきた。」

 「主婦の友」という雑誌に「罪」をしたためて、「わかりやすくておもしろい」、「感動した」じゃあなあ……、私は寧ろ「がっくりした」という印象すら覚えた。
 三浦綾子は「聖書をメロドラマに貶めただけではないのか……」、そんな気さえしてきた。

 もう一冊、彼女の「本」を取り上げよう。
 「愛の奇才 西村久蔵の歩んだ道」(新潮文庫)。
 この本には、ひとつだけ「資料的価値」を僕は見いだしている。
 それは、敗戦直後、日本がどれほど混乱していたか、そのことを微かに見ることができる、ということだ(あくまで「微かに」程度だが)。
 西村久蔵さんは、確かに素晴らしい方だったこと、受け合いである。
 だが、この「本」で「描かれた」彼は、単なるヒューマノイドだ。
 人間を革命すると、こうなるのか……、そうとも思う(これはさすがに言い過ぎか)。
 「蛇」について書いたのは、違う人だったかな……?

 こう書いてゆくと三浦綾子批判のように見えるが、実はそうではないことを、ここに記しておく。
 今日の記事、それはあくまでも「罪」についてである。
 「『罪』が本当に分からなかった」人が書いてしまったが故に、「わかりやすくておもしろい」なんていう「とんちんかんな感想」を読者から頂いてしまう…。
 本当に「罪」に気付こうものなら、内村鑑三が「求安録」でしたためたように七転八倒の苦しみにのたうち回る、今の私はそう思う。
 「おもしろい」わけが、ないじゃないか。
 苦しみにのたうち回ってのたうち回って、最後に贖罪の十字架輝き、新生叶う……。
 今の私がぼんやり思っていることを最も端的に記すと、このような記し方になる。

 冒頭に挙げた「求安録」、その「見出し」。
 特に「上の部」、ここにこそ、その「のたうち回り」を見る。
 「下の部」は基本的に、個人的には興味がない。
 ただ一点を除いては。
 「ただ一点」、それは「最終問題」の項であり、この箇所はこころから同意する。
 わけても、次に掲げる最後の一節。

 「さらばわれは何なるか
  夜暗くして泣く赤子
  光ほしさに泣く赤子
  泣くよりほかにことばなし」

 内村鑑三は、自分の無力さ加減を嫌と言うほど認めた、そのことを上のように綴ったのだなと、今の私は解釈している。
 「その無力さ」をとことん認めた上で、さてどうしましょうかと、「ナザレのイエス」の手を借りて、自身の二本足で立ち上がる。
 そう、正に「認める」、ここが辛くて辛くてかなわないから、「上の部」に種々並べ立てられたように、様々な「脱罪術」や「忘罪術」を試みてはやはりこの方法もダメだ……そのように「そびえ立つ罪」からの逃避を試み続け、試み続ける。
 そうやっていって、しかしかえって「罪の壁」は高みを増すばかりだ。
 とうとう「忘罪術 その三 オプティミズム(楽天教)」にまで行ってしまうのも、頷くことができる。
 そしてある時! 贖罪の十字架が光り輝き、例えば次の聖句のようになる。

 「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:24-26)

 「針の穴」を「らくだ」が通ること叶うのは、ただ神の故あってのことと思う。

 今の私には「贖罪の十字架」については、語る資格自体全くない者であることを深く自覚している、そのことを付記しておく。
 ただ、「ナザレのイエス」だけが唯一の処方箋だ、このことは確かだとも記しておこう。
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サマリアの女

 「女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 」(ヨハネ伝4:17-18)

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 ヨハネ4章、いわゆる「サマリアの女」の箇所、そのやりとりの「要所」、それが冒頭の聖句。
 イエスがこの女の身について「預言したこと自体」は、今の私には比較的どうでもよい(神だから当たり前、くらいにしか考えていない)。
 この女の前歴、それは「夫が五人あった」。
 すなわち、とっかえひっかえ、5人の男と結婚しては離婚してを繰り返して、しかし満足を得られず、そうして今は「6人目の男」と同居中、そういう、正に「底なし沼の欲望女」なのである。

 「自由という名の無秩序」。
 その無秩序状態のさなか、欲望のままに身をやつしやつし……、気付くと「男は6人目」。
 この状態をこそ「死んでいる状態」、イエスはそう断ずる。
 このイエスが与えるもの、それこそが「永遠のいのち」なのである(例えばヨハネ3:16参照。下に引用した)。
 ヨハネ伝の著者・ヨハネさんが「サマリアの女の箇所」を記したのは、その「死んでいる状態」と「永遠のいのち」、その対比を鮮やかに描きたかったからなのではなかろうか、そう想いを馳せる。

 そして、この「サマリアの女(男)」が山ほどいるように、お見受けする。
(テレビのスイッチを入れてみれば、「その類の情報」が溢れ出てくる。)

 実に、もっぱら「死んでいる状態」の人間に「永遠のいのち」を与えるがために、このイエスは来られた。

 病人を癒すために来られたならば、2000年後の今も全世界で活躍されているに違いない。
 5000人の給食の奇跡(ヨハネ6:5-15参照)のような、「マテリアルなしるし」を行うために来られたならば、2000年後の今も、最貧国と呼ばれる地で盛んに働いておられたことだろう。
(なお、特にヨハネ6:15に注目されたい。ヨハネ伝にしかない「特徴的な記載」である。)
 繰り言になるが、実に、もっぱら「死んでいる状態」の人間に「永遠のいのち」を与えるがために、このイエスは来られたのである。

 ここにヨハネ伝3:16、「聖書の中の聖書」を引用しよう。

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ伝3:16)

 そう、神は、「ひとりとして滅びることな」い、そのようになることを真に願っておられるはずだ。

 「御子」は、商売道具などではない。
 ましてや、おのれの権威付けの道具に用いるなど、御自身がお断りするだろう。
 両者とも、いやというほど見てきた「七年間」であった。

 何度でも繰り返すが、実に、もっぱら「死んでいる状態」の人間に「永遠のいのち」を与えるがために、このイエスは来られたのである。
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詩篇第4篇

 「あなたは私の心に喜びを下さいました。
 それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。
 平安のうちに私は身を横たえ、
 すぐ、眠りにつきます。
 主よ。あなただけが、
 私を安らかに住まわせてくださいます。」(詩4:7-8)

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 「詩」、その一部のみを取り上げることの愚を、重ねてご容赦願いたい。
 ゆうべ、丑三つ時に目が覚めてしまった。
 とりたてて慌てふためくこともなく、まずは椅子に腰掛け、手元の聖書、その詩篇を開いた。
 そして、今度は詩篇第4篇を、やはり丹念に眺めていた。

 ところで、教会でよく耳にした言葉だが、「旧約は新約の目で読め」。
 なんのことやら、さっぱり分からずじまいだった。
 だが、「丑三つ時」に開いた詩篇第4篇を繰り返し眺めていて、なんとなく分かったような気もした。

 「あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。」(4:7)

 この箇所を「マテリアルよりも、ずっと優れたものがある」、そのように読めるのは私だけであろうか。
 これぞイエスが語る福音、「わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:48)そのものではないか、これぞ「新約が約束するもの」、というのが「今の私」の見解だ。

 試みに、詩篇第1篇、やはりその一部と対比させてみよう。
 「その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩1:3)

 これは…、「旧約が約束するもの:マテリアル」を詠んでいるものであって、「新約が約束するもの:永遠のいのち」とは似て非なるものなのではなかろうか。
 「律法を守れば『繁栄』する」、そういう内容を詠んだ詩のような気がする(詩1:2に注目されたい)。

 そして、この「旧約の約束」というのは、創世記からヨシュア記あたりまでをずっと俯瞰してゆくと、当時の神の約束というのは確かに「マテリアル」だったのだろうな、そういう思いがこみ上げる。
 なにしろエジプトの地にて虐げられ、「神の主導」で出エジプトを敢行、紅海が割れて海を渡り、そしてシナイ半島を訳も分からずぐるぐる回っていたユダヤ人達なのだ(出エジプト記参照。モーセはどこまでも「神のしもべ」だ)。
 かくなる「大遠征」の「勝利条件」、それが「乳と蜜の流れる地」(たとえば出3:8)なのは、寧ろ当然の帰結だろう。
(この「乳と蜜」という語句は、出エジプト記からヨシュア記まで限定して検索するだけで「膨大な検索結果が出力される」ことを付記しよう。アブラハムの生涯も、参照されたい。)

 私は個人的に、上に挙げた詩篇第1篇を好意的に読んだことは一度たりともなく、苦々しさすら感じたことさえある。
 何故なのかずっと分からずに来たのだが…、「この難問」が「丑三つ時」に、ようやくにして「解けた」、そういうことにしておこう。
 私が最初に行った教会では、詩篇第1編、その「1:1-3だけ」を「そのまんま」、何度も何度も繰り返し「さんび」していたことを思い起こす。フォークギターをかき鳴らしつつ…。
 当時から私は、ほんとにいやいや「歌って」いた。
 「旧約は新約の目で読め」、そう「教会」は常々言っていたはずなのだが…。
 そのことを思い起こしても……、やはり個人的には教会は「卒業」、その思いを日々確認する。まさしく「自己の確認作業」だ。
 そして、私は個人的には「詩篇第1篇は不要」、そう結論づけた。これは時期尚早にすぎるだろうか。

 ところで「聖書の人」ブログ(思うところがありリンクしていない)の運営者は、この21世紀日本の地にて、「無宗教主義」というものを唱えている。
 100年前の日本人・内村鑑三が唱えた「無教会」よりも更に徹底している、そういう感を持つ。
 ああ、かくいう私も「無宗教」の人なのかな……、と、これはまあ、仮説の域を出ない。
 実は電車にして1時間も要さぬ某所にて、「無教会」の集会が毎週持たれている。
 そのこと自体は、3年前には既に知っていた。
 何度か、真剣に検討した。「行ってみようか…」。
 少し前、あるサイトにて、「無教会主義の『指導者』?の最新メッセージ」を耳にする機会を得た。
 しばらく耳を傾け続け、…「これ、『教会』とどこが違うの?」、そう思って、途中でサイトを閉じることにした。
 私が「無教会を検討」することは、もう二度とない。あの「音声」の検討、これで必要にして十分だろう。
(無教会の方々がこの小記事に接して気分を害されたならば、ご容赦願いたい。無教会の方が運営し続けているサイトに、内村鑑三のご子息の回想が掲載されているので、そちらをご参照願いたく思う。)
 そして、「無宗教」の人が三人寄らば「宗教」になりそして「教会」を形成し、……、そうぼんやりと想っている。

 寄り道がすぎた。
 詩篇第4編は、「新約の目で読むことができる」旧約の詩、そう思い至った。
 冒頭に上げた聖書箇所どおりに、「丑三つ時」に聖書を開いた私は、ふと気付くと、椅子の上ですやすやと眠っていた。
 「平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。」とは、よくぞ詠んでくれたものと、今書き記していてさえ、その思いは強くなるばかりだ。
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警醒社

 「著者ははじめ本書をアメリカで出版しようとし、……。日本における出版者も容易に得られず、最後に、著者の著作の出版社であった警醒社にこの出版を託した。」
(「余は如何にして基督教徒となりし乎」、岩波文庫、内村鑑三著・鈴木俊郎訳、その解説(鈴木氏記す)より)

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 某ブログ上にて「互いに愛し合う」兄弟との世間話のやりとりを見入った後、スーパーに行った。
 行きすがら、たまたま思いついたことなのだが……。
 この小記事のタイトルを「警醒社」とした。
 明治時代に「実在」した本屋さんなのだろう。
 さすがに今回は少しは実証的にやるか、そう奮起して、たまたま手元にあった「余は如何にして……」の、本文、は今はいい、「解説」、そこに「実証的な情報」はあるだろうかと思いつつ斜め読みしていたら、やはりあった。
 それが、冒頭に抜き出させていただいた「余は如何にして……」の日本語版出版過程、その「記録」。
 「警醒社」という本屋さんの実在、それを実証的に説明するには、この程度で十分だろう。意外なことで「仕事の手習い」が花開いた恰好だ。

 時は明治時代。
 「警醒社」。
 このころ「警醒」という語句をのれんに挙げているというのは、想像にすぎないのだが、しっかりした大志を有した出版社であり、でもメシは食うわけだから「商いもさせていただきます」、そういうスタンスの本屋さんだったことと思う。
 いや、「著者(内村鑑三)の著作の出版社であった警醒社」なのだから、「想像」ではなく実際にそうだったろう。
 ただ、パトロン的なところもあったかも知れない。それでもよしとする。
 そう、「しっかりした大志」、その上に立った「商い」。
 実際、ほんじつ引用させていただいた「岩波文庫」の岩波さんは、内村鑑三の弟子であり、今もって内村鑑三の本を絶やさず出してくださっているのは、「恩義」の類を想起する。
(でも、「全集」が段ボール1個分18万円也は、やはり敷居が高すぎます。せめてばら売りしてください。)

 時を経まして平成18年の現代日本。
 民放、新聞、総合出版社。あまたあるマスコミ。
 彼らの繰り出す数々主張の中には、「警醒」をイメージするものが少なからず見受けられる。
 だが、思う、「金を稼ぐために『警醒』という手段で煽っているだけ、カネが動いて儲かれば、あとはどうでも、知ったことか」、と。
 「村上ファンド」の村上さんは「賞味期限」が過ぎた模様。ほんの一例ですね。

 ところで、「情報は鮮度が命」ということばを、相当昔に聞いたことがある。
 「情報でメシを食う人々」(株式の人、為替取引の人くらいなら容易に想像つくのだが…)にとっては、確かに、情報は少しでも速く、そして、鮮度は命そのものだろう。そのことについて、特に思うことはない。現在経済システム、以上でも以下でもない。
 が、巷にあふれる「警醒」という類の「情報」にとって、果たして「情報は鮮度が命」だろうか?
 一時期、村上ファンドの村上さんは、悪の権化みたいな大々的な報道ぶりだったが、今は音沙汰一つないように感ずる。
(ちなみに、「株式の人」にとっては、まさにそれでいいんだと、率直に思う。)

 「警醒」ということばを例にとって……。
 100年前と現在との違い、その仮説の提示にすぎない。

[おことわり]
 上に、「マスコミ」という語句を、ここは選んで用いました(ほんとは「マスメディア」の方を用いたい)。
 ところで「ブログ」というのは、「一億総マスコミ」にしてくれたな、そういう思いは、やはりありますね。
 で、ですね、本ブログなんですが、いちおうは、丹精込めて作り上げた「庭園」なのです。
 敬意を評しつつ「あのー、見せていただいてよろしいでしょうか?」というご来客には、もちろん喜んで応対し、喜びを分かち合いたく思います。
 ですけども、土足で入り込んできて、「折角のチューリップ」も踏んづけちゃう…。 「ああ、やはり一億総マスコミ、これは『受け入れる必要』があるのかな……?」、しばらく思いあぐねていました。
 幸いにして、このブログには、「コメントを消す自由」が与えられています。
 なにしろ、丹精込めているつもりなのです。
 いかに善意であろうとも、「福音書について」のコメントとして、「それ(また内容の一部分)」とは全く無関係のコメントが付いたのは、率直に申し上げて不快感を覚えたのです。
 そして私は、……「一億を相手にしている」わけでは、全くない…。
(聖書の人相手の「薄商い」という割り切りです。)
 そう思い至りまして、今後は、たとえ善意が認められるものでも、「庭園荒らし」と「私が判断」したコメントは、申し訳ないのですが今後は削除することと致します。
 「一億総マスコミ、これを『受け入れる必要』は、私にはなかろう」、そう結論づけました。
 ここにお断り申し上げます。

 蛇足ながら、名ブログ「生協の白石さん」は、「管理人」さんが主人公の「白石さん」に礼儀正しく了解を取って、その上で運営しているということを付記したく思います(本にしっかり書いてあります)。
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兄弟姉妹の交わり、その効用

 「神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。」(1ヨハネ3:23)

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 さくじつ、「パウロの暗さ」についてしたためた(こちらを参照)。

 ほんじつ「福音書雑感」を書き上げ無事アップし、散歩に出掛け、そうして、よせばいいものを、「自分の書いた雑記」をまた読み返している。
本日書いた日記を参照下されば、そう思う)。
 要するに、どこまでも「自分の確認作業をし続ける存在」かと、そうあっさりと割り切って、その上で割り切って読み返している。

 さてロマ書7章の「暗さ」、この「暗い」という所感は「ある人の指摘」によって初めて気付いた訳だから、…なるほど確かに「兄弟姉妹の交わり」が生きた好例だ、そう気付き、おもむろに聖書を開いた。

 「この手のお題」はパウロ書簡にいくらでもあるだろうから、「検索ソフト」でパウロ書簡に限定して「兄弟」とだけ入力すれば、いくらでも気の利いた聖句が出てきて、そのうちの一つを実にあっさりと「我田引水」できるだろう……。
 そう思いつつ、あえてパウロ書簡群は開かず検索ソフトも使わずに、聖書を開いた。
 「ヨハネの手紙第1」。
 今の僕にとっての「旬」は、ヨハネさんのように思えた、それ以上に深く考えた選択ではない。
 最初から斜め読みしていこうか…、そういう「ゆっくりずむ」作戦を立案する。
 すると、……やはりヨハネさんは書き出しからして違う、寄り道させていただくが、まず冒頭、ヨハネさんは次のように書き記し始める。
 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、」(1ヨハネ1:1)。
 長々とパラグラフ丸ごと引用する必要もまたないように思う。
 やはり今しばらくは「ヨハネ派」だな…、そうのように、軸を改めて定めよう。

 そうして斜め読みし続けていって、いくつかの「候補」をボールペンでメモ書きしてゆき、冒頭の聖句に突き当たって、これを冒頭に頂戴することにした。
 こうやって「ゆっくりずむ」作戦を敢行してみると、「今の自分」には全てが肥やしになるように思えるのは、気のせいだろうか。
(「2ヶ月後の自分」には、けっして採用できない戦術だ。)

 「キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うこと」。
 「ブログ」というスタイルの長所なのか短所なのかは判断がつかないのだが、付されたコメント、これは「意識してクリックしなければ」実は気付かずに通り過ぎる性質のものである(ある人から指摘されて初めて気付いた)。
 さて、……コメントにてご指摘いただいたことを「本文」にて書くのがマナーに適するのかどうか全く分からないので……、「Aさんからコメントを」頂戴した、と書き出す「試み」をお許し頂きたい。
 どういう旨のコメントかというと、ヒルティの書物には「同胞教会讃美歌」という語句が頻出するところから察するに「いわゆるブレズレン」ではないか、という、穏やかな「たしなめ」である。
 私は「ブレズレン」という語句には、初めて接した。
 Aさんへのコメントへの回答として、私は少しばかし書かせていただいたのだが、焦点はもっぱら次のひとことかと思う。
 「Aさんとこうしてやりとりさせていただいていることこそ、「ブレズレン」なのかと思います」。

 このAさんとは、冒頭の聖句にある「私たちが互いに愛し合う」仲、そう思うのは、あるいは私の思い上がりだろうか。
(他にも、当ブログにてコメントを付してくださる方、また、某ブログ群、こちらでは、もっぱら私の方からしばしばコメントを付けさせていただく方々、等々、これらの皆さんを包括して、今私は思い描いている)。
 そう、実に「兄弟姉妹の交わり、その効用」は、実に大きい、本来的には。
 だから、昔日の教会での「交わり」への回想も、懐かしさという「みかん色」の色彩を伴ったものだった。

 ここまで書いて、なお「自分自身についてのみ」、再確認したい。
 「私は、個人的には『教会』は『卒業』した」と。
 誤解を招くことはやはり恐れるのでここで重ね重ね書くと、「このこと」を人様に押しつけるつもりなど、みじんもない。
 ギデオン協会の小記事にてしたためたように覚えているが、「教会ニーズ」は潜在的に大きいこともまた私は、知っている。
 だからこそ、「教会の否定」もまた、不本意なところである。

 「ブレズレン」なる語句の意味を知らない今の私が想うところ……。
 それは、「今現在の私の兄弟姉妹との交わり」、それは、ネット上での「互いに愛し合う」兄弟姉妹との「ブレズレン」な短いやりとり、その日々の繰り返しなのだろうか…。
 と、これもまた「自己確認作業」をしてみたまでのこと、ということを付記しておく。
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4つの福音書について

 「初めに、ことばがあった。」(ヨハネ1:1)

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 上に挙げた聖句は、ヨハネ伝、その書き出し。
 そのあまりに深淵な意味、それは今の私の、はるか及ばぬところだ。
 「ことば」、これは「ロゴス」の意だと、それこそ耳にタコができるほど聞かされてきた。
 かたや、「電気でメシを食っている身」としては、「ロゴス」→「ロジック」→「論理(回路:デジタルの根幹技術)」と、「風が吹けば桶屋が儲かる」式にすらすら出てきて、すると「ことば」と言われても、やはりちょっとぴんとこない。
 ヨハネが「記そう」、そう思い立って筆を執り、まず一筆、「初めに、ことばがあった」とはじめに措く。
 ……やはりあまりに深淵にすぎ、今の私の「力量」の、到底及ぶ領域ではない。

 さて、ほんじつしたためようとすることは、冒頭の聖句とは、ほぼ関係がない。
 新約聖書には、4つの福音書が収録されている。
 マタイ伝。
 マルコ伝。
 ルカ伝。
 そしてヨハネ伝。
 この4つの「伝記」について思うところを綴りたく、筆を執った。

 既に何度か書いているが、福音書を読みふけった。
 教会に所属していた頃、これもまた、よく聞かされた説明だ。
 「マタイ福音書はユダヤ人向けに書かれ、マルコ福音書はギリシャ人向けに書かれ……」。
 詳細は忘れた。

 穏やかに、違うのではないでしょうか、そう申し上げたく思う。
 なにしろ、「イエスの伝記」というスタイルの書物である、4つの福音書とも。
 そうすると、寧ろ、こう見る方が自然なのではあるまいか。
 「マタイさんが見たイエス伝」。
 「マルコさんが見たイエス伝」。
 「ルカさんが見たイエス伝」。
 「ヨハネさんが見たイエス伝」。

 つまり四者四様に「イエスの伝記」をしたためた、それが「4つの福音書」の成立とその性質、そのように捉える方が、こころもち、より「福音書」に親しみやすくなるように思えるのだが、いかがだろうか。

 ところでヒルティは、書いている。
 「むしろ、あなたは自分でキリスト教をその源において、即ち、福音書のうちに、とりわけキリストみずからの言葉の中に、求めなさい。」(眠られぬ夜のために・1 「1月1日」の項より。岩波文庫、草間・大和訳)
 この言をかじりついて読みふけっていた3年ほど前?は、ふーん……と思いつつ読み飛ばした。
 しかしながら記憶にはしっかり根付いていて、つい最近思い起こして、そしてこのヒルティの言に頷くことができる自分を見いだす。それで今は、もっぱら福音書ばかりを読んでいる。
 「キリストみずからの言葉」、その「パーセンテージ」。
 これはもう、ヨハネ伝が群を抜いている。このことは、端的に記すのみで十分かと思う。
 続いてマタイ伝。特に圧巻なのは「山上の説教」(マタイ5-7章)。
 今の私は、この「2つの伝記」が、とりわけて有り難い。

 マルコ伝はマルコ伝で、荒削りながら、ところどころ心の底から有り難い、そう思うことのできる箇所が、やはり何箇所もある。
 ルカ伝、……実は今の私は、このルカ伝とは、やや距離を取っている。
 ルカさんの思い入れが強すぎるように思えてならない。
 サービス精神が旺盛だ。
 ここまで「バイアスを掛けてしまう」と、「ある種の誤解」も招きやすいのではなかろうか……、これは今の私の、ほんのちょっとした仮説の域を出ない。
(ごめんなさい、ボキャブラリー不足を率直に認めます。)
 一箇所、ルカ伝から引用しよう。
 「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ2:51-52)
 4福音書の中で、「少年時代のイエス」のエピソードを綴っているのは、このルカ伝だけ、このこともまた、端的に記すのみで十分かと思う。
 では今の私がルカ伝を無視しているのかというと、実は全くそうではなく、少し前も、ルカ伝1章の某箇所にそれは大きな慰めを受けたことは、謝意を込めて記しておこう。

 「福音書」という名の「伝記」。
 四者四様の視点からの、4つの「伝記」。
 それぞれが、やはり「イエス」そのものを伝えるのだから、「よきおとづれ」、すなわち「福音」以外の何者でもない。
 だから、この4つの伝記がもっぱら「福音書」と呼ばれることもまた、十分に理解がゆく。
 しかしながら、ここ最近、私は、例えば「ヨハネ福音書」とは綴らず、意識して「ヨハネ伝」としたためている。
 それは、「伝記」という性質、その重視…、今の私は自らについてそう判断している。
 それ以上でもそれ以下でもなく、1年後には再び「ヨハネ福音書」と書いているかも知れない、その程度にすぎない。

 塩野さんの「ローマ人の物語」(だったかな?)がベストセラーとのこと。
 少し前、新聞の書籍宣伝に目を見やると、「キリストの勝利」という巻が発刊されたという情報、それを私は取得した。
 優先順位というものはやはりあるわけで、今はこの大作に手を付けるつもりはない。3年後くらい後になるのではなかろうか。
 「キリストの勝利」、おそらくは、ローマ帝国での「キリスト教国教化」のあたりを取り上げているのではないかと、想像する。
 そのローマは、ユダヤ人を切り捨てる……。
(何で読んだのか忘れてしまった。)
 新約の時代にはユダヤ人は既に「全世界」に存在していたが(使徒行伝を斜め読みするだけで十分だろう)、ほんとうにちりぢりになって全世界に散らばってしまって、1700年間もの間、流浪の民として生き延び続ける。
 「イディオッシュ語」。
 正確な呼称は忘れてしまったのだが、つい四半世紀前まで、ロシアあたりのユダヤ人が使っていた「言語」。
 ラジオに親しんだ私は、そのこと自体は子供の頃から知っていた。今も使われているのかどうかは、存じ上げない。
 ほんとうに世界中、ちりぢり散らばっていたことの、ほんの一例証として、よく調べもせずに「一言語名」を取り上げてみた。
 こうやって書いてゆくと、「マタイ福音書がユダヤ人宛」説は、破綻するのでは? そうとも思う。
 ローマはユダヤ人を見捨てたのだから、「ユダヤ人宛のマタイ福音書」は「消しゴムで消す」のでは? そう考えるのが素直なところではないかと思うがいかがだろうか。
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パウロの新生記録

 「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。
 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」(ローマ7:21-25)

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 少し前、どこかで、私自身を省みて「物心付いてこの方、パウロ派だった」ということを書いたように思う。
 今はもっぱら福音書と詩篇とに親しみ、他方、パウロはしばらく封印するつもりでいた。

 さて、今朝起きてパソコンを立ち上げると、ある方からの私信が届いていた。
 まず、その私信への返信をコンパクトに綴った(やはり少しく、だらだら長くなってしまったのだが)。
 続いて、下の記事・ヨブ記、これは何しろ前々から大切に温めていたテーマだったから、これと静かに格闘することを試みる。

 随分と時を経て、先ほどしたためた自身の書いた「返信」を再読していって、ふと気付いた。
 「パウロの新生記録」…。
 それで、今日だけ「封印」を解いて、ロマ書を開いてみた。

 ロマ書7章、ここを僕はどれほど親しんだことか。
 なんといっても、「律法? そんなの守れっこねーじゃん!」、そう「開き直る」ための理論武装として「悪用する」には恰好の箇所なのだから。
 ところで、昔日私が教会に入り浸っていた頃、「聖書の中でどこが一番好きか?」というお題での「分かち合い」なる名のミーティングが持たれた、そのことを併せて思い出した。
 私がロマ書7章だ、と言うと、ある人が「…暗いところが好きなんですね」と言っていたのが、今も印象深い。
 私は、ロマ書全体を俯瞰してはいない。だから、「ロマ書全体の中での7章の位置づけ」については、語る資格を全く有していない。
 それでも、これを書くのは、まさしく「ロマ書7章」のその「暗さ」故である。

 ところで、私の性格、その一大特徴は完璧主義である。
 これは治らない。「馬鹿は死んでも治らない」の謂いと全く同様である。
 「完璧な世界」を、どこまでも追い求め続けていった。
 数学、物理、電気……。
 そして実に、「完璧な世界」、その究極こそ「神の律法」である、そう気付いたのは、やはりつい最近のことであり(こちらを参照)、これを前にすると、ただただ叩きのめされるしかない「いと小さき醜き我」を嫌と言うほど味わい続けるのみであり、でもやはり律法にあこがれ続けては、また打ちのめされ、……それを繰り返し続けつつもなお、「完璧さをあこがれては打ちのめされ続ける醜い自分」と親しくお付き合いして日々やってゆくのだろうと、今はそう思う。

 …パウロも、あるいはそうであったのではあるまいか?
 そう仮説を立ててのち、昔親しんだロマ書7章を、しかし昔とは全く異なる読み方をもって斜め読みした。
 そう、確かに昔日ある人が言ったように、「暗い」箇所だ。
 そして、暗くて当たり前だ、そうとも思う。
 この箇所は、パウロの「ざんげ録」、その類のように読み取れるのだが、いかがであろうか。
 「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」、かつてのパウロは、本当に心からそう叫んだであろう、そう勝手に想像している。
 そして、下の記事・ヨブ記と全く同様に、パウロも「ある一点」を、「ここ」で迎える。
 「そこ」について、パウロは「沈黙」という手法を用いて、雄弁に語っているような気がする。
 そして、突然、全く唐突に「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」という、あふれんばかりの感謝の念の表明に切り替わる。
 文章として単に読み進めてゆくと、ここは実に、「文脈」など、ものの見事に、全くつながっていない。
 このこと自体については、前々からやはり謎ではあった。
 その「謎解きもできた」、そう思うのは、いささかはやりすぎかとも、また思う。

 「究極の苦悩の叫び」。
 「語られない沈黙の一点」。
 「歓びわきあがる、感謝の念の表明」

 そのように綴り上げたのではなかろうか、そう想像する「パウロの新生記録」、その論拠は、ロマ書7章の中でも、上に挙げた聖書箇所だけで十分かと、今は思う。

 意図せずしてほんじつは、ヨブ記とロマ書7章、この2つの全く異なる箇所から、「同じこと」についての2つの記事を記した。
 「新生」と「回心」のどちらの用語を用いようか、それは考えて、……だが考えることを放擲して、「サイコロで半と出たので」、「新生」の方を採ってみたにすぎないことを付記しておく。
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ヨブ記のすごみ

 「あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか。
 あなたには神のような腕があるのか。神のような声で雷鳴をとどろき渡らせるのか。」(ヨブ40:8-9)

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 昨日私は、「雅歌」や「伝道者の書」は卒業した旨をしたためた。
 あれやこれやと「頭の中の整理作業」をしていったさなか、きらめきが一層まばゆいほどだった書物、それはヨブ記だった。
 それで少し前に、ヨブ記を斜め読みしていた。

 ヨブ記。
 もう、書き出しからして私は読みたくもない書物だった。
 「ウツの地」(1:1)、ここで、既にして気が滅入る当時の私。
 それでも意地で読んでみても……、この大部作、何度読んでももののみごとにさっぱり訳が分からない。
 何人もの人物が登場するのだが、ヨブも含めたどの人の言っていることも一理あるように思えて、するとこの書物は何を言いたいのか、ますますさっぱり分からなかった。

 さてここで、ヨブ記のプロットを、ここに記そうと思う。

1章:幕開け
2-31章:四人の友との「とんちんかんなやりとり」
32-37章:エリフ乱入、滔々と「説教」
38-41章:ひとりぼっちのヨブに神が容赦なく「メッタ斬り」
42章:ヨブの「真の悔い改め」、そして幕引き

 冒頭の聖句は、上に書いた神の「メッタ斬り」シーン、その中でも、これが際だって情け容赦ない! そう私が感じた箇所を厳選した。
 この厳父・神と対峙して、一体誰が耐えられようか。
 繰り言になるが、この神の「メッタ斬り」シーン、ヨブは実に、ひとりぼっちだ。
 かたや、四人の友と「とんちんかんなやりとり」をやっている頃のヨブは、かえって頑なになってしまう。
 一箇所だけ取り上げて例証するならば、「ヨブはまた、自分の格言を取り上げて言った。」(27:1)。
 「自分の格言」。
 「言われれば言われるほど、かえって自説が出てきて、それをけっして曲げない」、そんな恰好だろうか。
 ヨブ記を記した人というのは、ほんとにすごい! と、ただただ驚嘆するほかない。

 そしてヨブも、「一点」、そこで、「真の悔い改め」に至る。
 そう、これこそまさしく、「真の悔い改め」だと、私は思った。
 この「一点」までの、その長いこと長いこと……。
 もっぱらそれを綴った書物、それがヨブ記であり、一言一言の解釈それ自体というのはどうでもよい、今の私はそう理解している。
 「たったひとつのこと」を説明するがための大部作、それがヨブ記であり、あたかも上等の古典文学のような感すら、私にはある。

 振り返って、主な登場人物。
 ヒーロー:ヨブ。
 脇役:四人の友、エリフ。
 ヒロイン??:厳父・神
 どーでもいい人:ヨブの妻(2:9)。

 このヨブ記を丹念に読むと言うことは、今後私はしないだろう。
 だが、そんなヨブ記は最も身近なパートナー、今の私は、そう位置づけている。
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ギデオン協会の聖書

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

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 今日は写真を掲げてみた。
 某ホテルに備え付けられていた、ギデオン協会の聖書。
 世界各国の様々な「ことば」が並記されている。
 中国語の「漢字」に目が行って、あ、これは、ヨハネ3:16、この聖句を世界各国語で紹介しているのか、と、ようやくにして思い至った。
 ゆうに3ページほど、各国語が並記されていただろうか。

 今の私は、ヨハネ伝3:16は、確かに巷間言われているように「聖書の中の聖書」、聖書の中の大支柱だ! そう位置づけている。
 ひとことひとことが、ありがたい。

 ところで私は、ギデオン協会には敬意を常々感じている者である。これは、今もってなお、そうだ。
 「この宝物」・聖書を、学校で、病院で、ホテルで配布し、ほとんど全てのそれらが放擲され、それでもなお配り続けているうちに、ごくごく一部の人が「この宝物」に光明を見いだし救われる。

 ある晩私は、とある初老の男性と帰り道を共にしたことがある。
 ギデオン協会の方で、寡黙でおとなしい方だった。
 私はお調子者なので、ぺらぺらとしゃべり出す。
 「ギデオン協会の働きは、ほんと尊いですよねー。学校とかで聖書配って、でも、みんな押し入れの中に捨てちゃうんだけど、それでも日々配り続けて……」、大方、こんな話で切り出したろうか。
 「…押し入れの中から見つかった聖書で、私は救われました。」
 静かな、しかし重みのある回答だった。
 この方がギデオン協会の、労多くして実の少ない役務に身を投ずる、その理由は、今思い出して、かろうじて微かに分かる程度にすぎない。
 この方も、聖書に「宝物」を見いだした、そのことだけは、確かだろう。

 今日の写真を撮影した晩、私はほうほうの体でホテルに「逃げ帰り」、「そうだ、何といってもホテルなんだから聖書は置いてある!」、それで見いだし、この「救急箱」にすがりついた。

 上に記したように、ギデオン協会への感謝の念は尽きない。
 だからこそ、穏やかに申し上げたい。
 上の写真は、もっぱら「ある聖句」を用いて、「聖書はワールドワイドの書物だ」、と言わんという意図かと思う。
 聖書は、そういうものではないように思う。
 これは、「ヨハネ3:16」を用いたお遊びの類だ、そう思う。残念だが。
 また、このように「聖書は(キリスト教は)ワールドワイドだ」とやって、この二百年間、どれほどの失敗をしてきたことか。
 聖書をワールドワイドにしたくて、でも、全く異なる現実。
 ところでガンジーは、おおよそ次のようなことを言っている。
 「聖書はそのものは素晴らしいが、もし、イギリス宣教師・牧師が聖書通りに生きていれば、インドはとうにキリスト教国になっていたであろう。」
 かの地(パキスタンとバングラデシュも含む)の現状、それは周知のことと思う。
 私は「この島国」で七年ほどやってきて、そうして、このガンジーの言に静かに頷く者である。
 私が教会に通い出した頃、「日本のクリスチャン人口割合は1%」と言われていた(「分子」がどのようなものなのかは、全く不明)。
 私が教会を去る頃、「人口割合は0.8%」と小耳に挟んだ。
 やればやるほど、「割合」が落ちる……。

 私自身は、(昨日書いたように)教会には別れを告げた。
 だが、教会を全否定する者でもまた、ない。
 教会を要する人々、というのが確かにいることを知っているからだ(それもおおぜい)。
 その点では、昨日の記事は、誤解を招きやすかったかと思う。
 だからこそ、教会も、「そのニーズ」を満たしてあげて欲しく思う。
 教会内でしばし「この人を見よ!」という偉人伝?を見かけたが、本当に「この人をこそ見よ!」という人は、実はひっそりと世を去った人々だと思う(私はお一人、巡り会うこと叶った。そして、このお一人で、十分に満ち足りた)。

 ギデオン協会の方々がもし、この「秘湯の地」の小記事を見かけられましたならば、初心に戻って下されば、そう思います。
  今日も寡黙に聖書を配り続ける「聖書を生きる方々」に向けて笑顔でエールを送りたく、筆を執らせていただきました。
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