ニコデモへの賛辞

 「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。この人が、夜、イエスのもとに来て言った。
 ……
ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか。」
(ヨハネ3:1,2,4)

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 「ユダヤ人の指導者」というものになるには、パリサイ人だか律法学者だか、それを何十年もやって、そうして50歳になって「認められた者」がやっと「指導者」になること叶う、それほどの「難関」ということを聞いたことがある。

 ところで、ヨハネ伝3:4、上に挙げたニコデモの受け答え「もう一度、母の胎にはいって……」、こんな受け答えの愚かしさそれ自体について指摘する人はとても多い。
 しかし、どの人の話も、「こいつは愚かだ」でおしまいだ。

 私も、「もう一度、母の胎にはいって……」それ自体は、もちろん愚かしい言だと思う。
 50歳以上の、それも「指導者」という立場にある人が、こんなにも愚かというのは、一体どうしたことであろうか。
 ニコデモは、全くの悩みの中にいた、私はそう断ずる。
 底なし沼のような深き悩み。「ノイローゼ」と言って差し支えなかろう。
 だから、このニコデモの愚かさそれ自体について、「こいつは愚かだ、おしまい」と切り捨てることには、勿体なさを感じる。
 何故といって、イエスはそのような人々を救うがためにに来られたのだから。

 ところで、上に挙げた聖書箇所は、ヨハネ伝のまだまだはじめの方、イエスが「注目」を浴びる?よりもだいぶ前の頃のエピソードである(対照して、ヨハネ10:24参照)。
 この「ノイローゼ・ニコデモ」は、イエスに唯一の光明を見いだし、夜(そう、指導者なのだから、正に誰にも見つからないように、ひっそりと)、弱冠30歳のイエスのもとを訪れる。
 「議員」という肩書きの人、ニコデモ。
 彼が弱冠30歳、まだ海のものとも山のものとも分からない頃のイエスのもとを訪れた(ヨハネ2:23に注目されたい)。
 愚かな言それ自体よりも、真っ先にイエスに光明を見いだし、それも自分の方からイエスを訪れたニコデモ。
 そのことに敬意を表し、このニコデモの姿を賛辞したく思う。

 自分自身の経験則に照らした全くの想像にすぎないのだが、イエスのそれはそれはいきいきとしたいのち満ちあふれる表情、迷い類の凡そ見られない「弁論」、そして「しるし」(これが何かは分からない)。
 イエスのこういったものを見て、「自分の悩みを救う人は弱冠30歳のイエス、そこにしかない!」、これはもう、藁をもすがる思いだったのではあるまいか。
 ちなみに、指導者の側にある人々がイエスに悩みの類を相談した、そういう人は、4つの福音書全てを俯瞰しても、ニコデモただひとりだ。
 だから、なおのこと、私はこのニコデモへの賛辞を惜しまない。

 イエス埋葬の時に、やはり「有力な議員ヨセフ」(マルコ15;43)が、相当の勇気をふるってその埋葬を執り行うだが、このヨセフにしても、ヨハネ伝は「イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ」(ヨハネ19:38)と、やや否定的なニュアンスで彼を紹介している。
(このニュアンスと対照的なのがルカ伝なのだが、そのことについては今はさて措こう。)

 どの人もそうだと思うのだが、悩みの種それ自体は尽きない。
 古今東西。
 このニコデモのように、特に悩み深き時というのも、やはりどの人にも訪れる。
 だからといって、「この人こそ救ってくれる!」とばかり、誰にでも彼にでも盲目的についていくのは、特に今の時代は、決して、けっして、やってはならない(ここは言葉をよほど選んだ)。
 そういうわけで、「ニコデモを見習え」というのもまた、誤りかと思う。
 ただイエスのみを見よ。

 ニコデモ。
 どんなに少なくとも50歳以上の人。
 人を見る目というものも、相当程度培われていたことと思う。なんといっても「指導者」なのだ。
 そのニコデモは、いの一番にイエスに光明を見いだした。
 対して、彼以外の「議員」側の人々は、もっぱら利害ばかり考えて、イエスを亡き者にしようとばかり考えている(数多ある中一箇所だけ挙げるなら、ヨハネ11:47参照)。
 繰り言になるが、ニコデモに大きな賛辞を表してやまない。
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