世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

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アザミの効用とは?-赤毛のアン、第37章

2009-05-31 00:00:19 | スポーツ・芸能・文芸

赤毛のアン(原名 Anne of Green Gables)の第37章に次の文がある。

アン「今ではみんな私の髪を金褐色だっていってくれるわ。もっともジョーシー・パイは別だけど。

お葬式の日にね、ジョーシーったら私の髪が前よりもっと赤くなったみたいだっていうの。少なくとも喪服を着ると赤さが目立つんですって。

マリラ、ジョーシーを好きになろうとすることなんてもうやめようと思うの。これまで、そのために涙ぐましいほどの努力をしてきたつもりだけど、どうしてもジョーシーを好きにはなれないわ。」

マリラ「ジョーシーはパイ家の一人だからね。気に障るようなことばかり言うはめになるのさ。

あの手の人間でも社会に役立つことがまるっきりないとは思わないけど、せいぜいアザミの効用といったところだろうね。

「アザミの効用」とはいったいなんだろう?アザミとは参考[1]のような紫色のトゲのある花である。アザミは花だから、一般的な効用は飾るなどして楽しむことだろう。昆虫にとっては蜜を集める対象でもある。

しかし、この場合の「アザミの効用」とはそのようなものではない。アザミは昔スコットランドに偵察に来た敵兵がアザミのトゲを踏んで悲鳴を上げて捕まったことから戦に勝ち、以来スコットランド救国の花とされている。そのためスコットランドではアザミが国花となった。

アザミは周りが味方ばかりでなく敵もいることを知らせる役目を果したわけだ。赤毛のアンの第37章で出てくる「アザミの効用」とはその意味の効用であり、マリラは「ジョーシー・パイやパイ家の人たちは、周りの人たちに世の中には味方ばかりでなく敵もいるんだということを知らせるくらいの役目は果すだろう。」といっているわけだ。

こんなのスコットランドでのアザミの意味を知らなければわからない。

赤毛のアンを読んだことのない人のために少し解説をすると、アンは自分の赤い髪をとても気にしている。11歳の時にギルバートがアンの赤い髪を「にんじん」といってからかい、彼女の逆鱗にふれ石盤で頭を叩かれたほどだ。そのアンに対して「髪の毛が以前より赤くなった。」というのは、アンを怒らせる発言である。

アンが「ジョーシーを好きになるために、これまで涙ぐましいほどの努力をしてきた。」と言うくらい、アンはジョーシーのことが嫌いである。嫌いな人を無理に好きになろうとするのは涙ぐましいほどの苦痛なんだろう。

嫌いな人をそこまでして好きになろうと長年努力してきたなら、なぜギルバード・ブライスを5年も許さず無視し続けたんだろう。アンはそういう努力をギルバートにこそ向けるべきであった。

参考
[1]アザミの写真

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挑戦者決定戦は木村一基-橋本崇載-第50期王位戦

2009-05-30 15:05:52 | 囲碁・将棋
第50期王位戦の挑戦者決定戦は木村一基-橋本崇載となった。どちらが勝っても王位初挑戦となる。特に木村は初タイトル獲得なるだろうか。

参考
[1]渡辺明:"王位リーグと競馬。" 渡辺明ブログ 2009.5.30

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史上最強力士は誰?

2009-05-30 00:28:25 | スポーツ・芸能・文芸
史上最強力士は誰か。相撲ファンではしばしば出る話題である。しかし、時代が違う力士同士の相撲内容や実績を比較して最強力士を決めることはできない。例えば、現代と江戸時代では相撲の様子がかなり違う可能性がある。例えば、現代の大横綱と呼ばれる大鵬が江戸時代の雷電爲右エ門より弱いとは断定できない。

それに取り組みには相性というものがある。優勝回数や連勝などの実績が相手より下回っていたとしても相手に高率で勝利することはある。

だから、史上最強力士が誰か断定することはほとんど不可能である。しかし、時代ごとに最強力士と呼ばれる人がいるので、その人を紹介する。

江戸時代
第4代横綱 谷風梶之助
無類力士・大関 雷電爲右エ門

明治時代
第22代横綱 太刀山峯右エ門

昭和時代
第35代横綱 双葉山定次
第48代横綱 大鵬幸喜
第55代横綱 北の湖敏満
第58代横綱 千代の富士貢

平成時代
第66代横綱 貴乃花光司
第68代横綱 朝青龍明徳
(将来的にはおそらく)
第69代横綱 白鵬翔

白鵬は除くとしても、上記の人はいずれもその時代で最強とされる力士だろう。雷電と白鵬以外は皆大横綱と呼ばれている。

記録を純粋に信じて、最も実績の高い力士を判断すると私は

第4代横綱 谷風梶之助 通算勝率 94.9%
無類力士・大関 雷電爲右エ門 通算勝率 96.2%
第22代横綱 太刀山峯右エ門  幕内勝率 87.8% 横綱勝率 96.6%

の3人が他の力士より実績が高く圧倒的な強さを誇っていたと思う。この3人と他の力士の決定的な違いは勝率の高さである。勝率が際立って高いので圧倒的な強さを感じさせる。太刀山は谷風、雷電に比べれば幕内勝率が低いといえるが、横綱になってからの勝率は彼らに比肩する。太刀山は大関になってから休場を除いて13場所横綱・大関として出場したが、負けたのはたったの5回のみである。

つまり、横綱・大関での出場場所(休場除く) 13場所 107勝5敗5分3預である。
横綱・大関で太刀山は圧倒的強さだったといえよう。

相撲の神様などと言われ、横綱としての理想像とされることがある双葉山ですら、
幕内成績 276勝68敗1分33休 勝率 80.2%
横綱成績 17場所(休場含む) 180勝24敗22休   勝率 88.2%

最多優勝回数の大鵬ですら、
幕内成績 746勝144敗136休 勝率 83.8%
横綱成績 58場所(休場含む) 622勝103敗136休 勝率 85.8% 

大鵬は谷風、雷電、太刀山、双葉山と違って年2場所制ではなく6場所制であることに注意してほしい。

昭和以降の大横綱はそこそこ負けるが、谷風、雷電、太刀山、特に谷風、雷電の勝率は非常に高く圧倒的な強さを誇っていたのがわかる。谷風、雷電は生涯、太刀山は横綱、大関在位中ほとんど無敵の強さを誇っていたといえる。

谷風梶之助の通算成績
49場所 258勝14敗16分16預5無勝負112休 勝率 94.9% 優勝相当21回 63連勝
現役期間 約25年(1769年4月~1794年11月)、当時 年2場所制

雷電爲右エ門の通算成績
35場所 254勝10敗2分14預5無勝負41休 勝率 96.2% 優勝相当 28回 44連勝
現役期間 約21年(1790年11月~1811年2月)、当時 年2場所制

谷風、雷電ともに20年以上の力士人生で10~15回くらいしか負けていない。端的に言って、驚異的である。

記録を純粋に信じて、一番高い実績の力士を論じた場合は、おそらく谷風と雷電が1,2位だろう。私の感では最強力士はやはり雷電だと思う。その理由は抜群の優勝相当成績回数のためだ。雷電は優勝率(=優勝回数/幕内在位数)が80%で、他の大横綱たちに比しても、飛び抜けて高い。2位の大鵬ですら、優勝率は46.4%なのだ。雷電以外のどんな力士も優勝率は50%に届いていない。年2場所制では優勝20回以上を達成するのはほぼ不可能なのに、雷電は30回近い優勝相当成績を達成したのだから、非現実的な優勝相当回数といえる。

さしもの谷風も優勝回数では雷電に及ばない。しかし、勝率では雷電と谷風はほぼ同じ程度の実績で、甲乙付けがたい。勝率も1.3%しか違わないし、負け数も4しか違わない。谷風の方が4年長く相撲を続けていることを考えると、それくらいの差で優劣はないと思う。

連勝記録ではさすがの雷電も谷風に及ばない。雷電は44連勝だが、谷風は63連勝だ。さらに、江戸、京都、大阪本場所を含めた谷風の98連勝は2位(双葉山の69連勝)の記録を大きく突き放している。それに、優勝20回以上、50連勝以上、通算勝率9割以上を達成したのは大相撲の長い歴史の中で谷風だ。さらに、谷風は雷電よりも品格がよく、横綱の模範とされている。寛政の相撲黄金時代をもたらしたのは谷風の影響が一番大きいし、現在の相撲界の発展への貢献という点でも谷風の方が雷電よりも大きい。それは強さと関係ないとしても。

谷風には小野川というライバルがいて、雷電には誰もライバルがいなかったため、優勝回数の達成の難度という点では雷電の方が谷風よりも有利という気はするけれど、それでも優勝回数や優勝率の違いの点で、雷電の方が谷風よりも実績が高いといえる。なぜなら、やはり最大の実績は優勝回数だから。

しかし、この実績はあまりにも高すぎるので本当かと疑ってしまう。雷電の優勝相当成績は現在の年6場所制に直せたら、非現実的に高い優勝回数になるだろう[1]。年2場所制で優勝相当28回なんて、あまりにも非現実的すぎて「そんなの嘘じゃない?」と思うのが普通だ[1]。記録としては世の中で真正なものとして通用しているので、一応それに従っているが。

太刀山の時代は明治時代で相撲も多くの人に公開されているから、嘘があれば誰かに指摘されて間違いと判明していようが、江戸時代の相撲記録はどれほど記録が正確なのだろう。だからこそ、実績評価の冒頭で「記録を純粋に信じて、最も実績の高い力士を判断すると」と断った。

明治末期~大正初期の横綱・常陸山のように幕内通算勝率90.9%という人もいるから、案外江戸時代では勝率90%以上ということもあり得るのかもしれない。現代では江戸・明治・大正時代の谷風、雷電、梅ヶ谷(初代)、常陸山といった人たちの勝率を出すのはほとんど期待できないが、当時は90%以上の通算勝率は現実的だったのかもしれない。

いずれにせよ、最強力士の候補として昭和・平成の大横綱の他に谷風、雷電、太刀山といった江戸・明治の大横綱・大関が入るのは間違いない。

参考
[1]本文でも述べたように、年2場所制で優勝20回以上を達成するのはほとんど不可能である。雷電以外のどんな力士も優勝率50%に届いていない。仮に、15歳から38歳まで力士を勤めるとして、幕内を勤められるのは前相撲~十両を各1場所で通過しても、42場所程度である。42場所のうち、半分を優勝しても21回だから、優勝20回以上はかなり難しい。ほとんど不可能といってよい。

しかし、雷電は優勝相当28回、優勝率80%なので、非現実的に高いといえる。雷電の優勝回数を年6場所制に直せたらどのくらいなのかはわからない。場所数が3倍になったからといって、雷電がそれに応じて優勝を3倍していたかはわからない。だから、単純に28×3 = 84回優勝相当とはいえない。

故に、参考にならない可能性が高いが、以下のような検討をしてみる。

現在は幕内を勤められてもせいぜい120場所(20年)くらいだろう。現にそこまで長く幕内を勤めた力士はいない。そのうちの半分を優勝したとしたら、優勝回数は60回になる。歴代1位の優勝回数である大鵬ですら、32回だから、これだけでもかなり非現実的だ。

雷電の場合は、幕内を35場所(約20年)勤めて、優勝相当28回、優勝率80%だから、年6場所制でも優勝60回以上の価値はあると思う。雷電は優勝率80%だから、120場所勤めて優勝率80%なら、優勝回数96回になってしうが、先にも述べたとおり、場所数が増えたからといって、それに応じて優勝回数が増えるとは限らない。

しかし、雷電の場合は現実に達成した優勝率から30%も落として計算したののだから、少なくとも60回以上の優勝に相当する実績があると推測できる。

以上は、確実な根拠に乏しい推測なので、正しい計算ではないとしても、雷電の優勝相当回数が年6場所制の優勝回数に直せたとしても、非現実的に高い優勝回数になるのは間違いないだろう。
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旅立ちの日に

2009-05-29 00:08:49 | 合唱・音楽
『旅立ちの日に』(作詞・小嶋登、作曲・坂本浩美(現・高橋浩美)、編曲・松井孝夫)は1991年に埼玉県秩父市立影森中学校の教員によって作れた。

卒業式で歌われることがある曲で、序奏、中奏(1番と2番の間のピアノ演奏)、終奏のピアノ演奏がとてもきれいで気に入っている。

前にCMのBGMで流れているのを聞いたことがある。そこそこに知名度はある曲だと思う。中学校の教員によって作られた曲としては「マイバラード[1]」があるが、この曲もマイバラードと同じく生徒とよく接する教員が作ったと感じさせる歌詞となっている。

そこそこよい曲だと思う。

参考
[1]世界変動展望 著者:"マイバラード"  世界変動展望  2009.2.14

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人の事は外見だけでは決められない

2009-05-28 00:06:20 | Weblog
「今の私を見ただけじゃ、思いもかけないだろうがね。でも、人の事は外見だけじゃ決められないよ。」

そんな言葉をどこからか聞いた。それはそうでしょう。

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