「東北大大学院歯学研究科のグループが発表した論文に不正があったとされる問題で、実験結果を捏造(ねつぞう)したとして懲戒解雇された同研究科元 助教の上原亜希子さん(42)が同大に地位確認と慰謝料1000万円を求めた訴訟の判決で、仙台地裁(斉木教朗裁判長)は28日、請求を棄却した。 [1]」
こんなの当たり前。あれだけデータ流用をやっていて捏造がなかったと争う方がどうかしている[3]。2010年5月に仙台地裁は 「データに類似性が認められたからといって、流用があったと結論付けることは早計」とし、上原亜希子の地位保全の仮処分を命じていたが、予想通り覆った [2]。そもそもこんな判断をしたことが間違いだった。裁判官の科学レベルの乏しさを証明する判断だったが、きちんと覆って本当によかったと思う。裁判で はデータ流用が認定され、懲戒解雇は有効と判断された。上原亜希子は仮処分中に受けた給料等をきちんと返還しなければならない。
以 前にも述べたことであるが、なぜ上原亜希子はこれほどの流用による捏造の証拠がありながら、不正はなかったと争うのか理解不能だ。端的に言って異常であ る。訴状によれば論文4本でデータ流用による捏造をしたとして懲戒解雇されたが、複数の論文の複数のデータにわたって流用が行われたのは、故意の不正の決 定的証拠といえる。異 なる条件での複数の実験で偶然酷似した結果が得られることは絶対といっていいほどないことだし、流用があったと断言できる。また複数回それを繰り返してい ることからも過失ではなく故意と断言できる。異なる実験で偶然いくつも酷似した結果になったとか、複数回データをうっかりと使いまわしてしまったというの は、過失とすると極めて不合理である[4][5]。
不正の決定的な証拠をいくつも突きつけられながらも、 まだ不正を否定し争うのは非常に悪質である。上原亜希子には全く反省がない。科学界から永久追放されるのは当然だ。上原亜希子の異常さを考えると、どうせ 高裁に控訴すると思うが、やはり控訴した。事実上決着はついているのに、なぜ時間やお金を大量につぎ込んでまで争い続けるのか全く理解できない[3]。い い加減に不正を認めて、研究界と関わろうとすることをやめてもらいたい。
端的にいって、これほど悪質な人物は大迷惑である。
参考
[1]nikkansports.com 2012.2.28
[2]世界変動展望 著者:"データ捏造の東北大元助教の地位保全等を仙台地裁が決定" 世界変動展望 2010.5.18
[3]世界変動展望 著者:"上原亜希子は不正の明白な証拠がありながらなぜ争うのか?" 世界変動展望 2011.8.22
[4] 裁判で要求される合理的な疑いを超える程度の証明とは「刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であ る。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは,反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく,抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても,健全な社会常識に照らして,その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には,有罪認定を可能とする趣旨である。」(平成19年10月16日最高裁決定)、民事事件でも基本的に同じです。
[5] 裁判の認定ではデータ流用があったことを合理的な疑いを超える程度で証明しなければなりません(あくまで裁判での話[7])。本文で書いたとおり、上原亜 希子の被疑事実のような異なる実験でデータが酷似する可能性はどれくらいかというとはっきりと調査したわけではありませんが、科学常識から考えて100回 やっても1回もないでしょう。確率的にはもっとずっと低いと思います。流用に関しては合理的な疑いを超える証明があったことは明白です。
このように客観的な事実から流用に関しては争えないことがほとんどです。ですから大概のデータ流用事件は、被疑者は流用は争わず、過失だったと争うのが普通です(その意味でも流用を否定する上原はかなり珍しいといえるでしょう)。では、流用があったとしてそれが過失で起きた可能性はどのくらいあるでしょうか。これに関しては正確な調査データはなくわかりません。毎日新聞によると『日本学術会議が全国の大学、研究機関、学会を対象に初めて実施した論文や研究資金などに関する不正の実態調査で、有効回答数の12.4%にあたる164機関が「過去10年間に不正行為の疑いがあった」と答えた。[6]』 ここでいう不正とは捏造、改ざん、盗用だけでなく論文の多重投稿、研究資金の不正使用などあらゆる不正を含みます[6]。『不正行為の疑いは計236件あ り、そのうち150件が「不正があった」と認定された。認定された不正の内訳は、▽論文の多重投稿52件▽研究資金の不正使用33件▽研究の盗用31件▽ データ改ざん5件▽プライバシーの侵害4件▽データねつ造3件▽その他22件。論文にまつわる不正が全体のほぼ3分の2を占め、研究資金の不正使用が約2割だった。 』とあります。
単純計算で不正の疑いのうち150/236 = 0.6355 ≒ 63.6%が不正だったことになります。逆に言えば過失か無実だったものは36.4%だったと いうことです。論文に関する不正が全体の3分の2ですから、論文に関する不正の疑いは全研究機関のうち8~10%くらいの割合あった感じがします。データ 流用に当たる捏造、改ざんは150件中5件なので、認定された不正のうち3.3%です。不正嫌疑全体に占める捏造、改ざんの割合もあまり大きく変らないで しょう。1割より有意に小さいと思います。仮に1割が捏造、改ざんの嫌疑、そのうち過失か無実だったものが36.4%だとすると、全研究機関のうち論文の 不正の疑いが発生した割合が8~10%なので、「全研究機関のうち0.8~1%程度で、過去10年間に捏造、改ざんの疑いが発生した。そのうち過失か無罪のものは0.29~0.36%だった。」という計算になります。
無論これは「過去10年間で研究機関で不正の疑いが発生した件数や割合」ですから「全研究資料中でデータ流用が疑われる件数や割合」ではありません。しかし、こういう数値だけみてもデータ流用が疑われる研究発表はほとんどなく、疑いが生じてもそのうち過失のデータ流用の割合はもっと少ないこ とは一般の読者でもわかると思います[8]。実際に研究をしている人ならうっかりデータ流用してしまったというミスがほとんどないことは経験的にわかって いるはずです[8]。研究資料を100本読んでもデータ流用の疑いを持つ資料に遭遇することはほとんどないでしょう。現実にあなたが研究資料を100本読 んでどれくらいデータ流用の疑い持ったでしょうか?そんな資料に遭遇することはほとんどないでしょう。100本中1本もないのが普通だと思います。全研究機関で10年間に発生する捏造、改ざんの疑いの割合が1%未満ですから、5年間に過失のデータ流用が発生する確率は1%よりずっと小さく、発生確率を1%としても非常に高い見積もりです。
現 実にどれくらいの確率で過失のデータ流用が起きるのかわかりませんが、少なくとも上原亜希子のように約20回もデータ流用をしたというのは、過失とすると 極めて不合理です。仮に過失のデータ流用発生確率が1%とすると、不正行為当時の上原の発表文献数が100本程度だとして、うち20回過失のデータ流用が 起きる確率は100C20(0.01)20(0.99)80≒2.4×10-20。上原亜希子が過失でデータ流用した可能性が絶対といっていいほどないことは大雑把な計算からも明らかです。
仮に研究資料を21件発表したとしてデータ流用の疑いが2件あったとします。2回過失のデータ流用をしてしまった確率は21C2(0.01)2(0.99)18≒0.0173 (1.7%)。研 究資料21件中で過失のデータ流用が起きる確率は1.7%しかありませんから、20件程度の文献中で2件過失のデータ流用が見つかっただけでも、「うっか り新しいデータと過去のデータを取り違えて発表した又は同一データだが条件を書き間違えて発表した」と言い分けするのはかなり苦しいといえます。「過失により1.7%の確率でしか発生しない珍しいことが偶然起きた」と考えるのは不合理だからです。即ち、このケースでは故意を認定すべきということになります。
[6]毎日新聞 2006.12.12 記事はここ。
[7]裁判では立証責任がある方が合理的な疑いを超える程度の証明をする義務があります。しかし、研究機関の不正の調査では文科省のガイドラインで 「調査委員会の調査において、被告発者が告発に係る疑惑を晴らそうとする場合には、自己の責任において、当該研究が科学的に適正な方法と手続に則って行わ れたこと、論文等もそれに基づいて適切な表現で書かれたものであることを、科学的根拠を示して説明しなければならない。」(第2部ローマ数字 4.3(2)①)「・・・被告発者が自己の説明によって、不正行為であるとの疑いを覆すことができないときは、不正行為と認定される。また、被告発者が生 データや実験・観察ノー ト、実験試料・試薬の不存在など、本来存在するべき基本的な要素の不足により、不正行為であるとの疑いを覆すに足る証拠を示せないとき(上記(2))も同様とする。」(第2部ローマ数字4.3(3))と定められているので、立証責任は被疑者側にあり、自己の説明で科学的根拠をもって不正でないことを立証しないと不正とされるルールです。
[8]このように計算しなくても、科学者は過失のデータ流用が非常に珍しいことだと経験的にはわかっています。にも関わらず、研究機関でデータ流用を過失で済ますことが珍しくないのは、研究機関の保身やリスク回避のために「本当は故意だがわざと過失と裁定する」ことがしばしばあるということです。無論、被疑者の過失という言い分けは嘘の可能性がかなり高いで す。わざと不正を握りつぶす研究機関は自己改善してほしいものです。以前も述べたことがありますが、被疑者の所属研究機関に調査裁定を委ねる現状の制度は 公平な調査等を行わないことが珍しくないので、制度を改善し、第三者的な機関に調査裁定を委ねる等した方がいいでしょう。