世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

羽生善治大逆転勝利!王将位防衛!-第57期王将戦

2008-02-29 00:40:40 | 囲碁・将棋
 第57期王将戦第5局は羽生善治王将の世紀の大逆転勝利で幕を下ろした。終局では久保八段が勝勢で、勝つのは時間の問題と思われていた。私も結果をチェックする前に久保の勝利を予想していたが、まさかの羽生善治勝利。世紀の大頓死で、羽生が勝利した。このような将棋は見ていると面白い。
 羽生はこれで二冠を堅持。タイトル獲得数を68期に伸ばした。棋戦優勝32回を含めると、タイトル獲得、棋戦優勝通算100回目である。

時効のない事件-ロス疑惑

2008-02-27 00:22:16 | 社会
 ロス疑惑で被疑者が逮捕されたが、事件発生から27年も経っているのに逮捕するとは驚きだ。新しい証拠があるらしいけれど、日本ではとっくに時効になっている事件で、かつ被疑者の無罪が確定している。米国の法でどのように裁かれるのかわからないが、時効がないというのもこのような事件で機能してくることになる。

雛人形の飾り方への違和感

2008-02-25 03:38:37 | 社会

もうすぐ雛祭りで、百貨店へいくと雛人形が売られている。現代では人形たちから見て男雛を右、女雛を左に飾るのが慣例である。しかし、どうもこの置き方が右大臣、左大臣の置き方の関係で整合性が無く違和感がある。

古来日本は唐の影響で右よりも左の方が尊いとされた。つまり、右大臣と左大臣では左大臣の方が高位なのである。男雛、女雛は天皇、皇后であり、現代では通じる考えではないが、少なくとも江戸以前は男性の方が女性よりも高位とされていた。だから古来の雛人形の置き方は、人形から見て左に男雛、右に女雛を飾る。これなら、右大臣、左大臣の上下関係からも整合性のとれた配置といえる。


しかし、現在では右大臣、左大臣の配置はそのままに男雛を右、女雛を左に飾る。それがなんとも整合性が悪い。明治時代の文明開化で西洋文化が流れ込み、上位は右、下位は左という考え方が広まり大正天皇、昭和天皇と右側に着座するのを見て世間では男雛と女雛を逆に配置するようになった。つまり、右の方が上位だからといって男雛を右においたわけだ。

右が上、左が下というなら右大臣、左大臣の配置も逆にすべきである。それなら整合性がとれる。所詮は名称の問題で、重要なのはその人の中身だから左大臣よりも右大臣が高位になったのなら旧左大臣が新右大臣になるべきだ。左右の上下関係が逆になったからといって、旧右大臣が旧左大臣よりも高位になるはずがないのである。

しかし、よく考えてみるとすごくおかしい。歴史的な事実を現代でいくら変えようとしても無理である。現代でいくらあがこうとも右大臣よりも左大臣の方が高位なのである。そして、左大臣が右に配置されたら左大臣ではないではないか。

現代式の雛人形でも左大臣、右大臣の配置を換えないのは名称故に違いない。そして、雛人形とは歴史表現だから彼らの上下関係も変わっていない。雛人形の配置では左が上位に思える。しかし、男雛を右に飾っている。なんとも整合性が悪い配置だ。

雛人形の配置などどうでもいい問題だし、時代によっていろいろ置き方があっていいと思う。しかし、現代式の配置は日本の歴史を考えると整合性のない配置である。


最高のプレゼントの解釈-YAWARA !

2008-02-25 00:58:52 | スポーツ・芸能・文芸
浦沢直樹の人気作「YAWARA!」の最大の焦点は主人公柔と相手役の松田耕作との恋愛である。柔道以上にそれが読者の人気の的になっていた。話の中で二人の恋愛はいくども盛り上がるのだが、その一つに「最高のプレゼント」の回がある。
 
概略をいうと、父親がライバル本阿弥さやかのコーチと知り、父との戦いを避けるために柔道をやめることを決意した柔を松田耕作が復帰するよう説得するというものだ。柔が5歳のときに父を巴投げで投げて以来父が修行の旅に出てしまい、自分のせいで家族がバラバラになったと心に深い傷を負う柔にとっては、父との戦いを避けるのは仕方のないことらしく、何よりも精神的なものに価値を置く柔らしい選択といえる。精神論者が「家族の絆」なんていう精神論の金看板のようなものを持ち出して柔道をやめる理由にするのだから、復帰の説得は絶望的に思える。

松田耕作もなかなか説得に苦労したが、解決は本人が知らぬ間に起こっていた。クリスマスイブの夜に松田の書いた柔の記事を見て、松田の応援や思いやりに気がついて柔道復帰を決意する。

二人は待ち合わせの喫茶店ですれ違うが、柔がバスに乗ることろを松田が目撃し、走っておいかけることに。柔がバスの中から松田を見つけて

柔「松田さん!記者やめないでください。」
松田「辞めるわけないだろ!」
柔「私、柔道やりますから!」

安堵する松田。クリスマスということで、手袋の入ったプレゼントを柔に投げて渡す。それが最高のプレゼントの回の結末だ。
 
さて、最高のプレゼントが何かということでいくつかHPで解釈がわかれていた。松田の渡した手袋が入ったプレゼントを指すといったものもあれば、柔が松田に柔道復帰を宣言したこと指すといったところもあった。確かに、松田にとっては柔を柔道に復帰させるのが最大の目的であったから、彼にとっては最高によい知らせだったに違いない。

しかし、思うに、柔と松田の恋愛が最大の焦点という背景を考えて、"最高の"プレゼントが最高なのは柔にとって意中の人である松田からもらえたプレゼントだからだ。作品の中では松田が柔に好意を持っているのははっきりしているのだし、柔から松田がもらったプレゼントが最高というのは読者にとって当たり前の面白くない解釈である。やはり柔が松田に好意を持っていて、自分の好きな男性からもらえたことが柔にとって最高のプレゼントと解釈するのが、多くの読者にとって納得がいく解釈ではないだろうか。

では最高のプレゼントの内容はなんだろう。松田からもらった手袋が入ったプレゼントだろうか?これは私の私見だが、最高のプレゼントとは手袋が入ったプレゼントではなく、松田が自分にかけてくれた長年の優しさや思いやりであったと思う。プレゼントの本質は品物ではなくて、それにつまっている贈る人の想いである。何よりも精神的なものに価値を置く柔にとっては、意中の男性からの優しさや思いやりは、まさに最高のプレゼントといえよう。

自分にとって大切な「家族の絆」を理由に柔道をやめた柔が松田のプレゼントで柔道復帰を決意したのだから、そのプレゼントが柔にとって家族の絆以上に大切なものであったことが表現されている。まさに最高のプレゼントだ。

読者にとっては、柔が松田を好きという展開が何よりも嬉しい展開のようだが、作者側がそれを狙ってつくっていたのかはわからない。

しかし、私にとって一番納得がいく最高のプレゼントの解釈は以上のようなものだ。

耳をすませばの感想

2008-02-23 00:21:30 | スポーツ・芸能・文芸
 金曜ロードショーで「耳をすませば」(1995)が放送されいた。何度も放送されたものだが、結構好きな作品である。中学生当時の純粋な気持ちが溢れる作品だと思う。誰しも進路については迷うものだが、自分がどう行きたいか、何をしたいのか、それを決めてがんばるのが一番だと思う。
 この作品は音楽もとてもよいと思う。BGMは聞いていて心地よいものである。この作品は原作が少女マンガらしいのだが、読んだことがない。かなり内容は違うのかもしれない。
 思えば、この作品は主人公が西老人の恋人とルイーゼの生まれ変わりとして描かれているのだろう。バロンを見て

「不思議ね。ずっと前からあなたのことを知っていた気がする。ときどき会いたくてたまらなくなるわ。」

という言葉を主人公が述べるシーンがある。大いに意味ありげなセリフだ。物語が完成して西老人の店のドアを開けて登場するシーンも、直前の西老人の恋人の夢とすごく重なる。
 おそらく、西老人が一生懸命探しても見つからなかったところをみると、彼の恋人は戦争でなくなってしまったのだろう。恋人の人形もおそらく失われてしまったと思われる。
 時代を超えて出会うというのは運命的なものを感じるが、西老人の約束は孫の代で果たされることになったといえよう。
 思えば、本当にやりたいことをやって生きている人とは、この世でどれほどいるのだろうか。たまには大事なことを思いかえしたい。

矢内理絵子女流名人位防衛!

2008-02-21 01:12:03 | 囲碁・将棋
 第34期女流名人位戦、矢内女流名人-斎田女流四段の対戦は矢内女流名人が3連勝で3連覇をはたした。矢内理絵子はなかなか強い。クィーン名人も達成するかもしれない。
 昨日は王将戦の第4局も行われていて羽生善治が勝って3勝1敗とした。王将位防衛に大手だが、おそらく防衛を果たすだろう。

オバマ氏の攻勢

2008-02-19 01:50:30 | 国際
 1年前に極めて優勢だったヒラリー氏はオバマ氏の猛追でついに逆転されてしまった。スーパーチューズデーでカリフォルニアを制したヒラリー氏を見ると、まだ若干有利だと思っていたが、大差を追い上げた勢いがまだまだとまっていないのだろう。今後どうなっていくのだろう。