世界変動展望

私の日々思うことを書いたブログです。

センチメーター級直径のバルク金属ガラスの捏造について - 井上明久事件

2012-12-09 00:17:57 | 社会

井上事件の争点の一つにセンチメーター級の直径を持つ完全なバルク金属ガラス([1])の捏造がある。これには(1)(2)二つの論点がある。

(1)ガラス単相のセンチメーター級直径のバルク金属ガラスは本当にできるのか?

もともと井上事件の発端は2007年に広く配布された匿名投書である。この投書は井上らが作製したと主張するセンチメーター級の直径を持つ完全なバルク金属ガラスの再現性が得られないと主張するものだった。井上と張(北京航空航天大学教授)は1993年の論文で直径10mm , 16mmの円柱状バルク金属ガラスができたと報告した[2]。

図1 井上と張が発表した直径10mm, 16mmのバルク金属ガラス [2]

匿名投書に対する調査を行った調査委員会(委員長 庄子哲雄理事(当時))は論文の主張は「結晶の含まれない高品位の直径16mmの金属ガラス棒ではなく、結晶が均一に混じったガラスの形成」であり、完全なバルク金属ガラスができないという指摘は告発者の誤解だと斥けた[9]。

ところが、共同研究者の張が庄子委員会の報告後に東北大と共同で追加報告し、記者会見した。それによると論文で述べた作製法は従来の水焼き入れ法ではなく改良水焼き入れ法で、この方法を使うことでガラス単相のバルク金属ガラスができると述べ、再現実験も行った。

図2 東北大学調査委員会と張によるバルク金属ガラスの再現報告 [3]

当初の大学の報告と張の報告は矛盾している。名誉毀損裁判でも井上は「完全なバルク金属ガラスを作製したとは一切論述していない」と主張した[4]。井上と張の主張は矛盾しておりどちらが正しいのかよくわからない。

今までの話を総合すると、センチメーター級直径のガラス単相の円柱状バルク金属ガラスは作製できるかどうか不明。張の主張に関しては青木清(北見工業大学名誉教授)が様々な不可解な点があるため虚偽ではないかと主張している。

少なくともこの点に関しては後の学術研究の発展のために真偽を確立しなければならない。前から思っているが、東北大や張は図2のように再現した試料を出しているのだから、これを第三者がX線回折実験をする等して本当にガラス単相かを確認すればよいと思うが、なぜそれをしないのか不明。

きちんとした再現実験が必須。

(2)井上はこれまでガラス単相のセンチメーター級直径のバルク金属ガラスができたと主張していたのか?

少なくとも井上は裁判で「完全なバルク金属ガラスを作製したとは一切論述していない」と主張し、ガラス単相の材料作製を否定している。これが本当かどうかが問題で裁判でも争われている。

少なくとも多くの研究者が井上はガラス単相のセンチメーター級バルク金属ガラスを作製したと思っていて、それゆえに名声や巨額の研究費が与えられた。井上ができもしない材料をできたと主張していたならば極めて悪質、背信的で、甚大な研究費の詐取だ。井上の主張の真偽を確かめることも重要である。

確かに井上は不正疑惑論文でガラス単相の金属ガラスができたと記載していない。しかし、井上は他の解説資料などでセンチメーター級のfullyなバルク金属ガラスができたという趣旨の発表を行っている。

図3 井上が"fully”なバルク金属ガラスができたと主張した学術資料についての説明資料 [4]

"fully"はいくつかの英英辞典を調べると"completely(完全に)"という意味だ[6]。また"critical diameter(臨界直径)が30mm等と記載されており、この範囲内は完全なバルク金属ガラスができたと主張しているように見える。

これに対し井上は"fully"は"完全に"という意味ではなく"十分に"という意味だと主張した。そして"critical diameter"という言葉はそれよりも小さな大きさでは完全なガラスを作製できることを意味するわけではないと主張した[5]。

しかし、[5]の主張のとおり井上らが出願した特許をみると、「金属ガラス合金のガラス形成能は、銅鋳型鋳造により非晶質相100%の合金鋳造棒を製造できる最大直径を意味する臨界直径と・・・[7]」、

「Zr55Cu30NiAl10の組成では、傾角鋳造法で、20mmの径の非晶質バルク材とすることができるが、CAP鋳造法では、30mmの径のバルク材全面が非晶質であった。[8]」

と記載されている。確かにある英和辞典では"fully"に「十分に」という意味がある[6]。しかし、どう考えても井上はセンチメーター級のガラス単相のバルク金属ガラスができたと主張しているようにしか見えない。[5]によると、裁判で井上は[7]の特許記載は弁理士が勝手に書いたもので自分は知らないと主張しているという。

私見だが、特許等の記述をあわあせて総合的に考えると、井上が主張したバルク金属ガラスとはガラス単相のものだと判断するのが当然で、井上はこのような材料ができると嘘の主張をしたのではないかと感じる。またfullyを"十分に"という意味だと主張したこと等は不正を逃れるための嘘の主張だと思う。また井上が完全なバルク金属ガラスの作製を否定したのも、当初は完全なバルク金属ガラスの作製を主張していたが、都合が悪くなったので主張を翻しただけのように見える。

井上や東北大はこのようなものをきちんとした説明と思っているのかもしれないが、言葉の意味を不可解でもとかく不正でないようにとらえようとしているだけで、きちんとした説明とはとてもいえない。

少なくとも完全なバルク金属ガラスを作製したと十分にとらえられる形で何度も論文や特許を発表した井上は、虚偽の主張をしたといわれても仕方ないだろう。そもそも井上と共同研究者の張の主張が矛盾している点が不可解で、井上の主張が嘘だとする証拠の一つだ。

おそらく井上は森口尚史と同じように自らの名声のために大げさに自らの成果を宣伝し、できもしないのをできたと主張したのだと思う。多くの人がそれに騙されたのだろう。虚構の成果で名声や巨額な研究費が与えられた。極めて悪質な事件だと思う。

☆名誉毀損裁判で捏造が認定される条件

[5]をみると残念ながら捏造の認定には科学を超えた誰でもわかる立証をする必要があるらしく、裁判での捏造の認定はなかなか難しい印象を受けた。捏造の認定には争点となっているアーク溶解炉を用いた作製が虚偽だったことを立証する必要があるという。井上の[2]の再現性を確認した[14]の論文では金属ガラスの質量を考えると、当時研究室にあった装置の溶解質量の限界を超える金属ガラスを作製したことになるので捏造ではないかと争われている。

図4 捏造が疑われるバルク金属ガラス [14]

[5]を見る限り井上も溶解限界に関しては認めているようだ。しかし、井上は2つは本当は別物でそれぞれの質量は溶解限界に達していないから捏造ではないと主張しているという。

論文では”Figure 1 shows the outer surface and transverse cross section of the bulk Zr55Al10Ni5Cu30 alloy with a diameter of 30 mm and a length of about 50 mm prepared by the suction casting method. (図1は吸引鋳造法によって作製した直径30mm、長さ約50mmのZr55Al10Ni5Cu30 バルク合金の外表面および断面を示している。)"(平成22年7月20日 井上・横山翻訳裁判所提出)と記載されているし、「断面はエッチングされた状態であり、もし結晶相が存在すれば観察される。外表面および断面はともに非常に白い光沢があり、結晶相の析出によるコントラストの相違は見られない。表面と断面の様子は、表面および中心部が結晶相の無いガラス相のみから構成されていることを示している。」(同上、英語原文省略)と記載されている[13]。

論文の主張は表面及び断面に非常に白い光沢があって、結晶相の析出によるコントラストの相違がないのでガラス相だと主張しているのだから、別個の試料の断面と表面を比べてこのような主張をしてもガラス質であることの証拠にならないし、そもそもなぜこのような不自然な主張をしたのか不可解だ。どう考えても論文では一つの試料を分割して2つに分けたと主張している。井上はアーク溶解炉の限界の争点で合理的な説明ができないから、このような苦しい弁明をしているのではないか。おそらく井上は論文の記載はうっかりミスあるいは悪意のない不十分なものと弁明するのだろう。

井上の主張はたくさん不合理な点がある。「"fully"は"完全に"ではなく"十分に"という意味だ。」「完全な非晶質という趣旨の記載は弁理士が勝手に書いたものだ。」「論文に掲載した試料は元は一つのもの分割したものではなく、それぞれ別に作ったものだ。」なんとしても不正を隠蔽するために、苦しい言い訳をいくつも重ねているようにしか見えない。みなさんにはどう映るだろか?

一つ強調したいのは、上のような状況は現実の不正調査で珍しくなく、不正としないためにわざと過失等の不正でない方向で済ませる研究機関、ジャーナル、公的機関(学振等)も珍しくないということだ。研究機関やジャーナルの編集委員会には研究不正疑惑の指摘が珍しくない。中には疑惑量が多いものもある。被疑者は不正を認めると甚大な不利益を被るから、ほとんどのケースで過失等を主張し不正を否定する。そうしたものの調査裁定を行う際に、大事にしたくないとか被疑者を庇いたいという理由で調査側が不正と判断したくない場合に、合理性なくわざと不正を否定することは珍しくない。

例を上げれば名市大の岡嶋研二・原田直明の捏造事件がある。大量のデータ流用と偽装工作がありながら「学会発表の練習用の資料に仮に載せたデータをうっかり投稿してしまった」と虚偽の説明をジャーナルにしたが、驚いたことにジャーナルは受理し訂正で済ませた。東大の加藤茂明の捏造発覚の発端となったネイチャー論文も大量にデータの流用の不正がありながら、当初の過失という主張を受理し訂正で済ませた。独協医大では3編の論文が二重投稿とされたが、「3編の論文はいずれも後に投稿した一方の学術誌を研究会の抄録であると誤認していたため投稿したものであり、故意によるものではなかった。」とし不正としなかった。

確かに驚異的に偶然が重なって多くの誤りが生じたという可能性は観念的にはあり得る。しかし、上のように驚異的に偶然が重なっただけで悪意はないと判断するのは、あまりに合理性を欠く。どれだけ疑義が膨大でも常に"過失だった。悪意はなかった。"という都合のいい驚異的な偶然が起きるはずがない。例えばみなさんは井上の上のような不可解な主張の数々を見て、井上の主張を信用できるだろうか?

私見だが、ジャーナルや文科省、学振といったところは特に被疑者が過失と主張すれば盲目的に過失で済ませているのが通常で、大学等でも調査では東北大や獨協医大のように誰かの保身のために合理性なくわざと不正でないと判断し、隠蔽するところは珍しくない。このような対応は絶対に許すべきでなく、改善策もあきれるほど主張してきた。

正直言って井上が捏造をしたという点はほとんどの研究者にとって明白だと思うものの、裁判でそれを認定するとなると立証レベルが全然違うのだろう。裁判官は捏造の認定に消極的な印象を受ける。

民事裁判は私的紛争の公権的解決を目的とするから、学術上の問題の解決は本来の目的ではない。学術問題を裁判で決着させるべきではないという点は理解できるし、材料工学は非専門の裁判官が世界の第一人者の井上に対して捏造を認定するのはかなり難しいのもわかる。

しかし、今まで大学や学会が腐っていて、不正を握りつぶしていたから仕方なく裁判にしてまで争っているのだろう。不正の認定に対して消極的になることが正義に適うかというと、私はこのケースでは否だと思う。

そんなことをやっても悪いことをした人や機関が喜ぶだけで、不正や腐った体質は何ら改善することなく、これまでどおり劣悪な体質のままになってしまう。井上事件に対して毅然と捏造の認定をすることが正義に適う。

☆東北大学の自浄作用の発揮と第三者調査機関の常設

齋藤文良(東北大名誉教授)は講演で「研究担当の理事にガイドラインを守るべきだとしつこくいっている。油断は禁物だと思っているが、ようやく新しい執行部はそういう方向にむかいつつあると思っている。[10]」と発言し、東北大学が自浄作用を発揮する兆候があることを示した。

私は井上事件に対して東北大学が自浄作用を発揮して解決することが一番望ましいと思っている。これまで不正を隠蔽する劣悪な研究機関だと思われてきたからだ。自主的解決は少しでも同大の信用を回復するだろう。

齋藤は「完全な第三者から構成される調査委員会で調査されれば結果はどこへいっても信用される。それをやらないから信用されない。」とも述べている[10]。東北大のガイドラインでは「当該研究分野の研究者であって本学に属さない者を含む調査委員会を設置する」とあるので、全員が第三者でも規定違反ではないが、通常は内部者と外部者の混合となる。これでもきちんと規定を守っているし、それが通常。ガイドラインを守れとしつこく主張した以上、都合の悪い規定運用は無視するというのは通らないので文句は言えないだろう。

しかし、齋藤がいうように井上事件は東北大全体の信用を大きく損ねるものだから、内部者が調査に関与すれば公正さを欠くという点は正しい。だからJSTの御園生委員会は日本学術会議などに第三者機関を設置して調査すべきだと提言した。東北大のガイドラインに従って公正に調査できないなら、御園生委員会が提言するように日本学術会議などに第三者機関を作って調査した方が公正さが期待できるし、筋も通っている。

齋藤は完全な第三者で調査委員会が構成されないから、東北大の調査結果は信用されないと述べているが、少し正確でないと思う。東北大の調査結果が信用されない最大の原因は、客観的な証拠の山から不正は明白なのに、不正でないと判断しているからだ。たとえ完全な第三者機関が調査しようとも結果が同じなら、おそらく世間から笑いものにされるだろう。齋藤は不正が認定されない原因は完全な第三者機関が調査しないからだと思っているようで、確かにそうした機関が調査すれば公正な調査をするかもしれない。

しかし、JSTの御園生委員会や東北大の有馬委員会の調査結果を見ると、大事にするのを避けたり井上を守ろうとしている印象も受け、必ずしも公正に調査をやっていない印象を受ける。また、文科省や学振の対応を見ると、被疑者を守るためかどうかは知らないが、とかく不正でない方向で処理しているように見え、第三者がやったからといって必ずしも公正にやるとは限らないと思う。無論、被疑者の所属機関が調査するよりずっと公正だろうが。

客観的かつ公正に調査をするには、単に第三者調査機関を設置すればよいというのではなく、規則をきちんと守り、被疑者を守ったり大事にするのを避けるために不正の認定をためらうことが絶対にない積極的な機関を必ず設置しなければならない。

文科省の役人などは最終的に東北大学が自浄作用を発揮して解決すれば大学の自律性に任せられるから、そういう機関の設置は必要ないと愚かな考えをするかもしれない。

仮に東北大が自浄作用を発揮するにせよ、金属学会とともにこれまで不正を組織的に隠蔽してきた甚大な汚点が消えるわけではない。研究機関が不正を隠蔽した場合に有効な解決策が全くなく、不正を放置するしかない現在の重大問題は全く解決していない。組織が不正を隠蔽した場合に、井上事件の告発者らのようにネットで活動を逐次公開、書籍の出版、長年裁判を実施するといったことまでやって不正の改善を図るのは一般人にはとても現実的ではなく、不正を放置するしかない。井上事件も日野や大村らが甚大な努力を続けてきたから改善にむかっているのであって、一般人なら間違いなく不正は闇にほうむられていた。

井上事件の教訓を忘れることなく、客観的、公正、厳正、積極的、徹底的に不正を取り締まる第三者調査機関の設置を必ず実施しなければならない。

最後に齋藤は講演で「東北大学の名誉のためにいっておくが、おそらくこうした問題は今後起きないんじゃないかと思う。」といっているが、私は少し懸念がある。本橋ほづみ(東北大医学部准教授)や山本雅之(東北大東北メディカル・メガバンク機構長)らに不正の問題が生じたら、どうなるのか。山本雅之は副学長や医学部長を務めた偉い人で里見進総長は医学系出身[11]。追究者たちはどうしているのだろう。過去を思うと少し心配になる[12]。

参考
[1]完全なバルク金属ガラス:結晶が混じらないガラス単相のバルク金属ガラスのこと。
[2]Materials Transactions, JIM34(1993)1234-1237
A. Inoue, T. Zhang, N. Nishiyama, K. Ohba and T.Masumoto
[3]井上総長に係る匿名投書への対応・調査委員会による報告の公表後における関連研究と再現性について 2008.1.31、関連1,2(匿名投書への調査報告書),3,トップ。- 2007.12.25頃
[4]井上総長の研究不正疑惑の解消を要望する会(フォーラム):井上事件名誉毀損裁判の資料 2011.11.13
[5]松井恵:名誉毀損裁判の最新状況 2012.12
[6]fullyの意味、Oxford Advanced Learner's dictionaryの結果、及び Cambridge Dictionaries Online の結果 、英辞朗の結果 2012.12
[7]特開 2008-95162 : 文章
[8]特開 2009-68101 : 文章 
[9]日野秀逸、他:"研究不正と国立大学法人化の影―東北大学再生への 提言と前総長の罪" 社会評論社 2012.11.25
[10]齋藤文良の講演 2012.12
[11]山本雅之の紹介
[12]世界変動展望 著者:"本橋ほづみ(Hozumi Motohashi)らが不適切研究! - 東北大学医学系グループ" 世界変動展望 2012.7.20
[13]日野秀逸、他:"研究不正と国立大学法人化の影―東北大学再生への 提言と前総長の罪" 社会評論社 2012.11.25
[14]Materials Transactions, JIM 37(1996)185-187
A.Inoue and T. Zhang