尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

6月の映画日記②-新作の話

2014年06月30日 20時38分53秒 | 映画 (新作日本映画)
 6月に見た新作映画の話。後の方になると忘れてしまいそうなので先に書くけど、「ホドロフスキーのDUNE」が非常に面白かった。「エル・トポ」などの「カルト・ムーヴィーの大家」、アレハンドロ・ホドロフスキーが、70年代初頭にSF映画「DUNE」に取り組んでいたという。オーソン・ウェルズやサルバドール・ダリなんかに出演交渉をしている。先ごろ亡くなったギーガーを美術に起用した初めての映画だという。結局、予算がふくらみすぎてホドロフスキーはクビになり、デヴィッド・リンチが監督したわけだけど、この記録映画を見ると、「エイリアン」も「ブレードランナー」もホドロフスキーのこの「幻の映画」なくしては出来なかったと判る。映画マニア向きだがダリのシーンなんか貴重。

 見て欲しいのがスウェーデン映画「シンプル・シモン」。「アスペルガー症候群」とは今は言わないけど、自分はアスペルガーだとバッジをつけてるスウェーデンの男の子の話。兄が世話しているが、兄の恋人を怒らせてしまう。代わりに兄の恋人探しを勝手に始めるけど…。その世界とのずれぶりを暖かく見つめる映画で、かなり「自閉」度が高いケースだと思うけど、発達障害を正面から描く映画。

 映画そのもので一番良かったのは、コーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」かなと思う。でもコーエン兄弟の中では一番というわけではない。昨年のカンヌ映画祭グランプリの、60年代初頭ニューヨークの売れないフォークソング歌手の話。歌も素晴らしく、当時の風俗も興味深い。シカゴまで何故か車で行くシーンの不可思議なロードムービーもいい。ラストにボブ・ディランらしき若者が登場する。どんな時代、どんなジャンルでも売れっ子が登場する前に、売れない無名の担い手がたくさんいた。でも、この映画の主人公、ルーウィンはやっぱり迷惑なヤツだなあとあまり同情できない…。

 かなりヒットしてる「チョコレートドーナツ」は、70年代アメリカの実話がもとだというが、ゲイのカップルがダウン症の子どもを養育しようと頑張るが、当局に認められず裁判で闘う話。ゲイのカップルより、麻薬中毒の実母の方がマシという当時の通念が子どもを追いこんで行く。話は興味深いし、主人公の描き方も納得できるんだけど、暗いところで手持ちカメラで撮っているシーンが多く、画面が揺れているのが僕には気にかかってしまう。最近の映画に多いけど、ホントはクレーンで固定してじっくり芝居を見せて、時々効果的なアップを入れて欲しいという昔ながらの映画手法が懐かしくなる。

 アメリカ映画では、今日他の映画を見るつもりで出かけたのに時間の都合で新文芸坐に行って「大統領の執事の涙」と「LIFE!」を見た。どっちも安定した面白さの映画。社会的テーマもあるけど安心して見られる展開になっている。「執事」の方は、「ジュリア」以来だと思うけど、ジェーン・フォンダとヴァネッサ・レッドグレーブの共演。(全然絡まないけど。)「LIFE!」は「虹を掴む男」のリメイクだけど、アイスランドのスケボー大滑降あたりからグッと面白くなる。こういう映画が求められているのかなあという感じがした。見て得した感じもする佳作。

 音楽映画では、フィルムセンターのEU映画祭で「オーバー・ザ・ブルースカイ」を見た。先に公開されているベルギー映画で今年のアカデミー外国語映画賞ノミネート。ベルギーでブルーグラスをやってる男と妻の物語。物悲しい展開になっていくが、じっくり見せる佳作。僕がよく判らなかったのが、2012カンヌ映画祭監督賞のメキシコのレイガダス「闇のあとの光」。マジックリアリズムの映画版だけど、メキシコの現実もよくわからず、映像の一つ一つは美しいのだが、全体の意味がよく判らない。「全体の意味」など求めるなと言われそうだけど。日本映画では新作は一本だけ。石井裕也の「ぼくたちの家族」で、これは案外な拾い物だった。「舟を編む」がフロックではない証拠の演出力。母親の病気をきっかけに、ある家族の危機が露わになる。かつて引きこもりだった過去のある長男の妻夫木聡始め、家族はどう対処するか。じっくり見せて日本社会の今を考えさせるんだけど、こういう「ちょっと重い」映画はだんだん忘れてくるところもある。

 ドキュメントの「SAYAMA」だけ独立して書いたけど、映画としても面白いけど冤罪事件の広報という意味もある。だから、6月に見た新作映画はまとめて言えばどうもいま一つだった感じなんだけど、最後に「美しい絵の崩壊」を取り上げておきたい。これは「女子の友人」がそのまま大人となり、社会的にも成功し夫と子どももいる、そういう二人。今も美しい。まあ女優の名を挙げれば、ナオミ・ワッツとロビン・ライトという人になるが、夫とも死別、離別し、成長した二人の男の子と暮らす。そのうち、子どもを交換して、それぞれが恋人関係となってしまう。原作はノーベル賞作家のドリス・レッシングの「グランドマザーズ」。集英社文庫から出ている。これを持ってたので、この機会に読んでみた。原作はフランスが舞台だけど、映画はオーストラリアに移している。海岸の風景が美しく、見ていて快い。でも映画と原作はかなり違う。原作の方がすごい。「女性力」というか、二人の女が最後まで支配する世界の話である。でも映画では、ある種の悲劇のように描く。この違いに、スター映画の宿命なのかもしれない。原作は短編で、他に3つの中短編が入っていて、それがなかなか面白い。
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6月の映画日記①-旧作の話

2014年06月29日 23時56分15秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今フィルムセンターでやっている増村保造作品をかなり見ているのだが、それはまた後にまとめて書きたい。6月に見た昔の映画は雑多にわたるが、しばらく行ってなかった神保町シアターで何本か見た。「エロスのある風景」なる特集である。中平康監督「結婚相談」は芦川いづみが結婚相談に訪れた沢村貞子が所長をしている相談所が怪しげで、芦川いづみが窮地に陥っていくという奇怪な作品だった。沢村貞子は様々な役をこなした名脇役だけど、増村保造が伊藤整原作を映画化した「氾濫」を見たら、若尾文子の母親ながら船越英二に誘惑されてホテルに連れ込まれていた。おっと、びっくり。

 木村恵吾監督「牝犬」は京マチ子のビッチぶりが凄まじい。木村恵吾という人は、戦時中に「歌ふ狸御殿」を作り、戦後は「馬喰一代」や「痴人の愛」で知られる。この映画は知らなかったけど、京マチ子が何と志村喬をたらしこんでしまう。館林支店に集金に行った帰りに、浅草のダンサーに入れあげて失踪した部下を探しに行ったのである。そして金を入れたカバンを忘れ、そのままになってしまった。「嘆きの天使」である。久松静二「沙羅の門」は、水上勉原作の映画化で琵琶湖の近くの村の寺が舞台。森繁の住職が妻の死後、後妻をめとる。と思うと、禅宗は籍を入れてはいけないとか。草笛光子の後妻と、団令子の先妻の子が助け合って、仏教の女性差別を照らし出す。森繁が一度も籍を入れてないから、「独身を通して仏に使えた」と称揚されるラストのグロテスクな論理に驚いた。石井隆の「夜がまた来る」は見てなかった。夏川結衣の「名美」が、潜伏捜査中に殺された麻薬取締官の夫の復讐を行う。根津甚八が懐かしかった。

 藤田敏八「バージンブルース」(1974)は、40年ぶりの再見。秋吉久美子三部作の最後である。この年、かぐや姫の「神田川」がヒットし映画化争奪戦になり東宝が獲得した。そこで日活は「神田川」の次のシングル「赤ちょうちん」を秋吉久美子で映画化してヒット、続いて「妹」「バージンブルース」を作った。(出目昌伸監督、草刈正雄、関根恵子の東宝映画は評価されず、「赤ちょうちん」「妹」は2作ともベストテンに入った。)その年、夏の参議院選挙で東京選挙区に突然野坂昭如が立候補し、善戦した。(僕はまだ選挙権がなかった。)その野坂昭如は永六輔、小沢昭一と「中年御三家」と称して歌手活動をしていて、「バージンブルース」はそのときの持ち歌である。映画はやはりあまり成功していないのだが、岡山に秋吉久美子と長門裕之が流れていく様が非常に懐かしかった。秋吉久美子は浪人生で、寮の先輩に万引きに誘われ、発覚して逃げいているのである。これを見たのがちょうど浪人時代で、まあ予備校に行っていたのだけど、この秋吉久美子三部作は全部見に行った。倉敷の大原美術館の庭で野坂昭如が「黒の舟唄」を弾き語りするシーンがあった。倉敷は初めての一人旅で高校生の時に行った町。映画というか、ただ懐かしいなあという感じで見た。

 続いて武田一成「おんなの細道 濡れた海峡」を見る。これは日活ロマンポルノで、日活100年で特集された時にやったけど見逃した。東北を三上寛と女たちがさすらう映画だとは知ってたけど、田中小実昌の原作とあった。三上寛がいつも「ポロポロ」とつぶやいていて、これはコミさんの最高傑作「ポロポロ」にインスパイアされた作品のようだった。ビックリしたなあ。

 新文芸坐の仲代特集は見てる作品が多く一度も行かなかった。和田誠特集はホントは全部見直したい気がしたけど、全部行くのは大変で結局「怪盗ルビイ」だけ行った。併映の羽仁進「恋の大冒険」も見てなかったので。これは1970年作品で、山田宏一、渡辺武信が脚本に加わったコメディ。前田武彦が社長の「迷竹ラーメン」に今陽子(ピンキー)らが雇われるが、怪しげな会社で何があるのか。由紀さおりが出てくるなど、今見ると懐かしい70年風俗が満載で、個人的には面白かった。和田誠の第二作「怪盗ルビイ」は昔もけっこう好きで、今回見ても小泉今日子と真田広之が楽しい。出演してる脇役も豪華で、岡田真澄、天本英世、つい最近亡くなった斎藤晴彦らが出ている。こういう「お遊び映画」も大事だと思う。アニメの「怪盗ジゴマ 音楽編」も素晴らしく良かった。

 シネマヴェーラ渋谷で千葉真一特集で、僕はほとんど見てないので見たい気もしたけど、他とか血合い結局まだ一回しか行ってない。それは「新幹線大爆破」と「ファンキーハットの快男児」である。後者は深作欣二の初期短編で、当時の東京ロケが今見ると楽しい小編。こういう勢いのある短い映画は見ていて楽しい。一方「新幹線大爆破」は公開当時以来の再見で、当時実はあまり評価しなかったのだが、フランスでヒットしたりとかでだんだん日本の犯罪映画の傑作として伝説化していった。今回はニュープリントなので、まあ見てみようかと思ったのだが、やはりどうも乗れない部分が多かった。もちろん基本アイディア(新幹線が減速すると爆発する)はいいのである。でも、倒産した中小企業主、「全共闘くずれ」、沖縄生まれの青年という犯人側の構成が実にイージーで興を削ぐ。犯人側も北海道の現場でタバコの吸い殻から身元を突き止められるなど、愚の骨頂。犯人側がそうなら、対応する国鉄や政府も決まりきった感じで、乗客になるとほとんど個性のない大勢が右往左往している。中年男(高倉健)が脅迫電話をかけているのが明らかなのに、せっかく共犯が出てきても泳がせずに逮捕しようとして、しかも失敗する。警察側の対応も愚の一言。特に、長瀞でカネの受け渡しをしようとするところで、その男を捕まえてくれと通りかかった練習でランニング中の柔道部員に頼むところはアホらしい。まあ、日本警察の無能を描くのかもしれないが、そういう対応が続いてどうもシラケる。
 ラスト近く、高倉健が山本圭に「もし金が手に入ったらどこに行くか」と聞いて、「革命がうまく行った国にいってみたい」というのには、ほんと呆れた。なんだ、それはどこのことか。そんな国は世界のどこにもないところから出発してないから、ミスを犯すのである。はっきり言って、愕然とした。せっかくのアイディアがもったいないなあと昔思ったけど、今回見直してもほとんど同じ思いだった。
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辻原登の不思議な世界-辻原登を読む⑧

2014年06月27日 23時26分12秒 | 本 (日本文学)
 全然反響もないわけだけど、これだけ面白い作家がもっともっと読まれなくてはおかしいと思い、辻原登の本について7回も書いてきた。8回目でオシマイ。他の作品と短編などをまとめて書いておく。辻原登という人は、特に21世紀になってあらゆる文学賞を総取りするような勢いで活動している。主な受賞歴をまとめると下記のようになる。(ゴチックは今まで触れてない本、触れた本はリンク先参照。)

1990年 『村の名前』(第103回(1990年上半期)芥川賞
1999年 『飛べ麒麟』(第50回(1998年度)読売文学賞
2000年 『遊動亭円木』(第36回谷崎潤一郎賞
2005年 『枯葉の中の青い炎』(第31回川端康成文学賞
2006年 『花はさくら木』(第33回大佛次郎賞
2010年 『許されざる者』(第51回毎日芸術賞
2011年 『闇の奥』(芸術選奨文部科学大臣賞
2012年 『韃靼の馬』(第15回司馬遼太郎賞
2013年 『冬の旅』(第24回伊藤整文学賞
2013年 『新版 熱い読書 冷たい読書』(第67回毎日出版文化賞書評賞

 最後の本は評論でまだ読んでいない。評論では「東京大学で世界文学を学ぶ」(集英社文庫)、「熊野でプルーストを読む」(ちくま文庫)などという魅力的な題名を持つ本があるけど、結構長そうでまだ読んでいない。他の本としては、「発熱」(文春文庫)という長編小説は読んでなくて、今はもう本屋にないようだ。「円朝芝居噺 夫婦幽霊」(講談社文庫)は図書館で借りて読んだ。円朝の知られざる怪談の速記録が見つかったという体裁の不思議な作品で、つまりは「円朝作品」だと見れば少し薄味かと思うけど、速記談義なども含めて「奇妙な味の辻原作品」としては忘れがたい。

 少し辻原作品を振り返っておけば、90年に「村の名前」で芥川賞を受けてデビューしたわけである。同時に候補となっていたのは、小川洋子、荻野アンナ、奥泉光、佐伯一麦など後に芥川賞を受賞したり活躍する作家が多い。(次回の受賞は小川洋子「妊娠カレンダー」だった。)この作品は、中国で仕事をしている日本人がいつの間にか不思議な村に迷い込むという話で、非常に面白かった。でも、その後はあまり評判になるような本もなく、全然読んでなかった。今、初期の短編集「家族写真」(1995)が河出文庫に入っているので、この機会に読んでみたが、表題作は面白いけど全体には今一つという感じだった。

 次に読んだのは、「飛べ麒麟」(角川文庫)で、これは遣唐使を舞台とする冒険小説で、中国が舞台という点では「村の名前」と同じだが、全然違った味わいにビックリしながらも面白いから十分楽しんで読んだ。ここから、「歴史長編小説作家」という顔が前面に出てくる。その系列で今回読んだのは「花はさくら木」で、歴史小説で悪役が多い田沼意次が善玉で出てきて、今のところ日本史上最後の女性天皇である後桜町天皇が絡むという大胆不敵な歴史冒険小説である。朝日新聞に連載され、当時時々読んでいた。今回初めてまとめて読んでみて、面白いには面白いけど、結構淡泊なのに驚いた。というのも、「許されざる者」や「韃靼の馬」、「冬の旅」などを読んでしまうと、その小説世界がもっともっと広く深い小説が後に書かれるんだと思ってしまうのである。それぐらい、「許されざる者」や「韃靼の馬」の小説世界の大きさは類を絶している。この時代に書かれたもっとも重要な本であるのは間違いないと思う。

 一方、辻原作品には「不思議な味わい」の系列があり、そっちも捨てがたい。今回紹介した中では、旧前田邸を舞台にした「抱擁」などがそれである。「闇の奥」もちょっとそんな感じだけど、あえて「メタ文学」にしてる「前衛作品」なので、無理には勧めない。小説読みに慣れた人でないと難しいと思うかもしれない。マジック・リアリズムと呼んでもいい。僕が3作目に読んだ辻原作品である「遊動亭円木」も谷崎賞を受賞した純文学の名作だけど、目が悪くなって引退同様の落語家が主人公という「奇妙な味」の小説である。文庫で読んだんだけど、今の文春文庫のラインナップに入ってないのは残念。どこかで再刊して欲しい。

 そして最後に紹介するのが、川端賞受賞作品を含む「枯葉の中の青い炎」。川端賞というのは短編の優秀作品に限って対象にする文学賞だけど、実に不思議な物語である。新潮文庫に入っていたが、これも今は絶版のようで、出た時に買っておかないと本も入手が難しい時代。7年前に買った文庫をやっと読んだ。「300勝目前のスタルヒン、運命のマウンドに立つ。そのとき伝説の小壜の封が解かれた。」この帯だけではうまく伝わらない。スタルヒンというのは、戦前戦後のプロ野球で活躍した白系ロシア人の大投手で、もちろん実在人物である。旭川の球場をスタルヒン球場というように、今も知られた名前だけど、詳しいことを知っている人はもう少ないだろう。1955年まで(38歳)選手を続け、300勝したのも事実なら、1957年1月に不思議な自動車事故で40歳で突然世を去ったのも事実。その事実の上に、この小説はもう一人実在人物を配する。南洋諸島で客死した作家中島敦である。そして不思議に不思議を重ねた運命の末に、この両者が交錯する時に何が起こったか。何だ、こりゃの驚きと同時に、感銘必至の野球小説。こんな発想もできるのか。やっぱり、この短編は多くの人に読まれるべきだ。

 ということで、辻原作品紹介終り。読んで絶対損はない。というか、「許されざる者」「韃靼の馬」などは人生に影響を与える本。「寂しい丘で狩りをする」を読まずにストーカー問題は語れない。「ジャスミン」「冬の旅」は小説として面白いと同時に、阪神淡路大震災を通して「日本人と地震」を考えるときに必読の書。これらの作品はもっともっと知られなくてはならない。
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国境を超える歴史冒険小説-辻原登を読む⑦

2014年06月26日 21時40分39秒 | 本 (日本文学)
 一冊の本の紹介としては最後となる、辻原登「韃靼(だったん)の馬」(2011、日本経済新聞社)は、639頁もある長大な歴史冒険大ロマンだけど、ものすごく面白い。2400円もする分厚い本だけど、思い切って買って、重いけど毎日持ち歩いて読み切った。こんなに面白い充実した読書体験ができるとは。第15回司馬遼太郎賞受賞とあるけど、多くの人は知らないままではないかと思う。なんともったいないことか。

 帯の言葉を引用すると、「18世紀、激動の東アジア。伝説の天馬を追って、海を越え、大陸を駆け抜けた日本人青年がいた。」「爛熟期の徳川(パクス・トグガワーナ)、緊迫化する日朝関係を背景に、壮大なスケールで贈る一大伝奇ロマン!」

 この小説には多くの実在人物が登場する。新井白石とか雨森芳洲とか。雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)といっても知らない人が多いかもしれないが、江戸時代に対馬藩で朝鮮外交をになった儒学者で、白石とは木下順庵門下の同窓である。5代将軍綱吉が死去し、6代将軍に甥の家宣が就任すると、新井白石は側近として政治の実権を握り政治改革を進める。そして、将軍交代を機に派遣されてくる「朝鮮通信使」も両国で準備が進められていた。ところが事務折衝の最終段階になって、白石は朝鮮側からのあて名を「日本国大君」から「日本国王」に変えさせようとする。この問題は複雑な経緯があるので、詳しいことは書かないが、その是非とは別に困ったのは対馬藩である。対馬藩はつねに日本側(徳川幕府」と朝鮮側に挟まれ苦労が絶えなかった。その対馬を軸にして、日本と朝鮮の関係を描くのがこの小説である。

 と言っても、これでは何も伝えられない。実在人物は小説世界を成り立たせる道具立てに過ぎず、主人公は対馬藩の通訳の家に生まれた青年、阿比留克人(あびる・かつんど)で、彼の日本、朝鮮、さらには「満州」へと至る、冒険と謀略の大歴史ロマンなのである。物語は二部に分かれ、一部は先の家宣将軍時代の朝鮮通信使の話である。何とか無事に済ませたい対馬藩の一員として、阿比留克人は縦横無尽の大活躍。しかし、どうしても決着をつけねばならぬ問題があり、やむを得ず朝鮮側武将と決闘に及び、罪に問われる。そこまででもめったに読めない歴史小説の傑作である。朝鮮通信使を案内して、日本の当時の事情が物語られるのも興味深い。特に大阪の町で、米の先物市場を見て商品経済の本質を考える場面、日経新聞連載だけに読者へのサービスでもあるだろうけど、「日本」を考える際に重要な参考となるのではないか。

 克人はやむを得ぬ次第とはいえ日本に住めない身となり、武士ながら死ぬことならず、朝鮮へ逃亡することとなるのが第二部の設定である。当時の事情を物語りながら、日本と朝鮮の文化、歴史の違いなどがだんだん理解されてくる。これは江戸時代を舞台にした「カルチャー・ギャップ」小説とも言える。当時、国を捨て、国を超える生き方は出来なかった。しかし、ここに小説というフィクションではあるけれど、国にとらわれず義で結ばれる関係が描かれる。ある種の「ユートピア」でもあるだろう。朝鮮王朝からも自由な村を作り、陶芸に生きる克人。しかし、歴史は彼にもう一つの使命を与えるのである。それは対馬藩から吉宗将軍に献上する「伝説の汗血馬」を探し出せと言うものだった。何と言う破天荒な話だろうか。でも、年に一度、満州族が国境の町に来て馬を売買するらしいという。その北国の馬市に乗り込み、さらに国境を越え、満州の荒野へ。これはチベットやモンゴルを舞台にしたいくつもの冒険ノンフィクションより断然面白い。こんなに面白い冒険小説は、今までに何冊も読んでないと思う。

 しかも、「伝説の汗血馬」をめぐる場面は、動物小説としても最高の出来で、馬をめぐる小説や映画はいっぱいあるけれど、ここまで馬が生き生きと描かれているものも少ないのではないか。いや、ビックリの小説で、興奮すること請け合い。恋愛ロマンの彩りもほのかに漂い、政治謀略小説や経済小説、武侠小説でもあり、かつ動物小説でもあるが、一言で言えば大冒険小説。重くて大変だけど、これは絶対に面白い。でも、これを読むと、日本と朝鮮半島の関係をじっくり学び、考えることになる。「ジャスミン」で現代中国を考え、「韃靼の馬」で前近代の日朝関係史を考える。双方の誤解の上に成り立っていたとも言える「朝鮮通信使」という存在もよくわかる。朝鮮という文化と向かい合う大変さも理解できる。そういう意味では、今まさに読んでおくべき現代性も持っている。こんな面白くて、ためになる本を読んでないのは人生の大損である。(竹島をめぐる小さな記述だけが余計なように僕には思えた。)
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「ジャスミン」という大ロマン-辻原登を読む⑥

2014年06月25日 22時40分55秒 | 本 (日本文学)
 先月(2014年5月)に辻原登の作品を連続して紹介したけれど、最近になく反響も少なかったのには、僕も少し驚いた。どうも全然読まれていないようだけど、その時紹介できなかった作品について書きたい。これほど面白く、また深く、そして為になる作家は、今の日本にいないのではないだろうか。

 一応、前回書いた作品を書いておく。
恋と革命の大ロマン-辻原登を読む①」→「許されざる者
われらの時代の冬-辻原登を読む②」→「冬の旅
寂しい丘で狩りをする-辻原登を読む③」→「寂しい丘で狩りをする
旧前田邸と『抱擁』-辻原登を読む④」→「抱擁
第三のムラカミ-辻原登を読む⑤」→「闇の奥」「父、断章
 ここで一端切ったのは、他のことを書きたくなったこともあるが、それより辻原登の作品は長大なものが多くて、ストックがつきてしまったのである。この機会に読もうと思ったけど、長い作品が読み切れなく、それを待っていると先に読んだ「許されざる者」や「冬の旅」を忘れてしまいそうである。その後、「ジャスミン」と「韃靼の馬」という長大な小説を読んだので、この機会にまとめて紹介。

 まずは「ジャスミン」だけど、とにかく面白い。心躍る大恋愛小説で、僕には「許されざる者」の次に熱中して読んだ。読書の喜びを全身で感得できる。2004年に文藝春秋から刊行され、2007年に文春文庫に入った。解説まで入れて、全部で558頁と長い小説だけど、絶対に損はない。文庫を買ったまま、7年も放っておいたけど、もっと早く読めばよかった。

 この小説の冒頭近くに、登場人物たちの次のような会話が出てくる。9ページ。
「それ、とってもいいブレスレットだね」
「ウルムチのおみやげ……」
「修一だね。彼はもう帰ってきてるんだろ」
 これを読んでいた日に、中国新疆のウルムチで爆破事件が起こったとニュースが伝えていた。ニュースの焦点が出てきて、自分の名前も出てくる。こんなことがあるのか。大体、登場人物に自分の名前が出てくることが少ないが、(川端康成「山の音」のようなケースもあるけど)これほどタイミングが合うことも稀だ。

 この小説は「彬彦」という人物が、新鑑真号に乗って神戸から上海に向かうところから物語が動き始める。いまどき飛行機で行けばすぐ着く距離をあえて船で行く。「中国で行方不明になった父が生きているかもしれない」という情報があり、父探しにはなんだか船が合うと思ったからである。上海で会う父の旧知の映画監督(謝晋を思わせる)は、父が戦前に中国名で喜劇役者をしていたと教える。父の人生は、戦時中の謀略と愛に彩られた謎めいた人生だった。からくも日本に帰国できたというのに、戦後になって国交もない時代に中国からの手紙に呼び寄せられるように密航してしまった。死んだと思われていたが、「伊藤律の例」もあるから生きているかもしれない。天安門事件(1989年)の起こった後の頃の物語。

 船の出迎えであった謎の美女。映画監督のロケに行くと、その女性は女優だったのか。本人は港に行っていたことを否定するが。彼女は有名な人気女優だったが、恋人が「民主派」で指名手配されていることでも知られていた。様々ないきさつの上、彼はその逃避行に関わることになっていく。そして二人に間には、いつの間にか恋の気持ちも芽生えていくが、中国を逃げ回る中で生き延びることで精いっぱいで、もはや永遠に出会えないのか。という数年間を経て、日本での思いがけない再会。そして陶酔の時間。その時起こったのは…1995年1月17日の朝。

 この小説は、日本人が今真剣に向き合わなければならない二つのテーマと真っ向勝負を挑んだものである。それは「中国」と「地震」である。中国の人権状況はそのようなものか。中国の民主化は可能か。中国の民族問題(特にウィグル)はどのように考えるべきか。この小説の主人公たちは、この大テーマと格闘し、様々な情報を提供する。それを日中の大ロマン、恋愛小説として書き切る力量。これほど心躍る大ロマンを現代の日中両国を舞台に描けるとは。

 と同時に、主人公たちの再会の日々を、阪神淡路大震災とぶつけた作者のたくらみのすごさ。日本は近隣諸外国との関係と同時に、国土がいつ大地震に見舞われるか判らないという事実とも正面から向き合って生きていかないといけない。大震災を描いて、これほど心に深く刻まれる小説も珍しい。(辻原著「冬の旅」も印象的だけど。)地震で深く傷ついた神戸の町と主人公だが…という話は実際に読んでもらうとして。

 この小説は、基本は恋愛小説で、もう一つの面が中国情報小説といえるだろうが、実は読後の感想はもっと違った思い出となる、それは「まれに見る料理小説」という側面である。中華料理が主だけど、とにかく美味しそうなのである。神戸の中華街や上海の街中で、こんなに美味しい匂いが漂う小説も珍しいだろう。「口福感」に満ちた小説である。でもどんなレストランで食べる料理よりも、上海で風邪を引いた時に飲むために買ってくるスープが美味しそう。もう冒頭から神戸のフランス料理の店である。そこは元は広東料理の店だった。バターを一切使わない店だという。「明石のはしりの鯔(ぼら)で、背開きにして手長海老のムースを詰め、朴葉で包み、軽く蒸して香りづけしたあと、粗塩で窯を作って焼いてある」といった具合である。こんな素晴らしい小説にはそうめぐり会わないと思うから、まだ書店にある文庫を買って少しづつ読むのをお勧めする。ところで、料理もおいしそう、恋愛も素敵、地震は恐ろしいのだが、やはりウィグル族の悲しみも胸に迫る。
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リティ・パニュ監督の映画-カンボジア虐殺の記憶

2014年06月24日 23時44分23秒 |  〃 (世界の映画監督)
 引き続いて映画の話だけど、今回紹介するのは「国際問題」のカテゴリーに入れた方がいいのかもしれない。リティ・パニュという監督の映画で、僕も一つも見ていない。知ってる人も非常に少ないのではないかと思う。僕は原則として「見た映画」について書きたいのだが、書かないと知らないままになるのではないかと思って、事前に紹介する次第。7月5日から、渋谷ユーロスペースで「消えた画 クメール・ルージュの真実」という映画が公開される。今年のアカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品。それに先立ち、リティ・パニュ監督特集「虐殺の記憶を超えて」が同じユーロスペースで行われる。6月28日から7月4日まで、一日3回にわたり、旧作5作が上映されるのである。
   
 見てないからチラシをもとに書くが、リティ・パニュ監督という人は、「カンボジアで生まれ、クメール・ルージュの支配下、13歳で労働キャンプを脱出しフランスにわたり、映画監督になるという驚くべき人生を歩んできた」と書いてある。年齢が出てないので、映画のサイトで調べたら1964年生まれだった。カンボジア内戦でクメール・ルージュのポル・ポト政権が勝利したのは、1975年のことだった。ベトナム戦争の終結と同じである。以後、ベトナムとの間で国境紛争が相次ぎ、1979年にベトナム軍がカンボジアに侵攻して、ポル・ポト政権が崩壊した。

 「消えた画」という映画は、「犠牲者の葬られた土から作られた人形たちが、35年前の虐殺の成り行きを語り始め、発掘された映像によってその悲劇が紐解かれていくのだった」とある。チラシを見れば、その人形の写真が載っている。こういうやり方があったのか。町山智弘氏はいみじくも「アクト・オブ・キリング」が「演劇療法」だとすれば、「消えた画」は「箱庭療法」だと言っている。なるほど。これはまた、内容とともに方法の問題としても、見過ごすわけにはいかない映画のようである。2013年のカンヌ映画祭で「ある視点部門」グランプリを受賞している。

 一方、特集上映される5本も興味深い映画ばかりである。2011年にフランスで作られた「飼育」は、名前から判る通り、大江健三郎の芥川賞受賞作品の映画化である。日本でも大島渚によって映画化されたが、この映画ではカンボジアで撃墜された米軍機の黒人パイロットがクメール・ルージュ支配地区で「飼われる」という刺激的な設定になっているそうだ。2011年の東京国際映画祭で上映されたと言うが、全く知らなかった。この監督が何本作っているのかは知らないが、今回上映の中で最初の作品は「さすらう者たちの地」(2001)で、山形国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを取った。カンボジアで光ケーブル敷設作業を通して、土地を失う農民、復員兵士らがさすらうさまを描くという。

 次の「S21」(2002)は、チラシによれば「代表作と言える傑作」と書いてある。虐殺の加害者と被害者をその場所に集めて、非人間的な過酷な日々を再現していくという。これは驚くべき発想の映画である。というか、「映画」ではあるけど、映画は形式というか手段であって、「過去を克服する試み」というべきだろう。しかし、映画を作る、映画を見るという行為の中には、本質的にそのような「祈り」のようなものがいくぶんか入っている。この映画も世界各地で受賞している。次の「アンコールの人々」(2003)は、アンコールワットの遺跡修復の人々と土産売りの少年を通して、クメール文化と伝説をたどる。「紙は余燼(よじん)を包めない」(2007)は、プノンペンで娼婦として暮らす5人の女性を描く黒く映画。今回上映の作品の中ではただ一つ「カンボジアの今」を記録する。しかし、エイズや貧困を描きながらも「内戦の傷深く、腐敗したカンボジア社会の底辺に暮らす瀕死の魂たちへの鎮魂詩」だとある。どの映画もただカンボジアに限らず、現代を生きる人々に重大な問いを突きつけている。

 カンボジアで何が起こったのか。ベトナム戦争が激化した60年代末、カンボジアのシハヌーク国王は親北ベトナムの「中立政策」を続けて、注意深く戦争に巻き込まれるのを防いでいた。ベトナム、ラオスでは内戦が続き、タイは米軍の要請で南ベトナムに派兵していた。そんな中、北ベトナムは南北をつなぐ「ホーチミン・ルート」の一部をカンボジア領内を遠し、シハヌークも黙認していた。しかし、アメリカは1970年にカンボジア空爆に踏み切り、親北ベトナムのシハヌーク政権をクーデタで打倒してしまった。その時中ソ歴訪中だったシハヌークは、その後北京に留まり、亡命政府を組織する。こうして、カンボジアも内戦の渦に巻き込まれ、中国の影響が強くなった。カンボジア国内では、以前からフランス留学中に共産主義者となったポル・ポトらの革命運動があったが、このポル・ポトらの「クメール・ルージュ」が中国の援助を得て一挙にしえ力を拡大していく。1975年の政権奪取後は、都市文明を否定し農村に人を移動させ、知識人を絶滅させるような政策を進めた。数百万の死者が出たと言われている。20世紀に世界で起こったいくつもも悲惨な事態の中で、人口比からすればナチスによるユダヤ人虐殺に並ぶものではないかと思う。

 クメール・ルージュの支配がこれほど苛烈とは世界では誰も思っていなかった。「革命」後に「反革命派」が処刑されたり、思想が制限されることはあるとしても、国を支える住民そのものを半減させてしまうような政策が行われるとは誰にも信じられなかった。これは「共産主義」の本質なのか。このようなグループが国家権力を握れたのは何故なのか。まだ理解されていないことは多い。現在のカンボジア政府は、反ポル・ポトの人民党政権が続いているが、ASEANで中国が問題となった時には、やはり中国よりのスタンスを取っている。それを見れば、「世界政治は地政学なのか」という感じがしてしまうが。カンボジアはその後、自衛隊のPKOが初めて派遣されたところとなる。日本でも「カンボジアに学校を作ろう」といった運動が盛んに行われている。もっと深くカンボジアを理解するためにも、必見の映画ではないかと思う。
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映画監督増村保造の特集上映

2014年06月23日 23時27分03秒 |  〃  (日本の映画監督)
 映画を遅くまで見ていて2日ほど空いたけど、少し映画の話題を。最近は旧作の上映紹介をあまりしてないけど、東京では古い日本映画の特集はいつもどこかでやっている。書いても書いても書き切れない。でも時々は事前に紹介しておきたくなる。今回は、大映を中心に活躍した増村保造(ますむら・やすぞう 1924~1986)の全映画作品57本+テレビ作品1本の計58作品の連続上映。国立近代美術館フィルムセンターで6月24日から9月7日まで行われる。

 生年を見ると、今年は増村の生誕90年にあたる。没後30年近くなり、市川雷蔵や若尾文子の大ファンだという人以外には、若い人の知名度も少なくなっているようだ。撮影所システムの中で作っていた時代には当たり前のことだけど、増村は実に様々のタイプの映画を撮った。文芸映画、女性映画、サスペンスやミステリーなど幅広く一定水準の映画を量産した。今でもよく上映される映画もあるけど、見てないどころか名前もよく知らない、例えば「不敵な男」「親不孝通り」「恋にいのちを」「うるさい妹たち」「ぐれん隊純情派」などといった映画も上映される。映画史に関心がある人には見逃せない。

 ずっと大映で撮っていた増村は、大映倒産後は勝プロやテレビで作っていたが、自分でも「行動社」を興し「大地の子守歌」(1976)と「曽根崎心中」(1978)を作り、どちらも大きく評価された。(前者はキネマ旬報3位で、後者は2位。)僕が同時代に見た増村作品は、72年のATG映画「音楽」、75年の「動脈列島」を含めた4本だけ(遺作となった角川の「この子の七つのお祝いに」は見ていない)なので、先の2作の印象が非常に強い。「大地の子守歌」の原田美枝子(18歳でキネマ旬報主演女優賞を受賞した)、「曽根崎心中」の梶芽衣子の驚くべき迫力ある演技に打ちのめされるような感動を覚えた。また「曽根崎心中」では宇崎竜童を主演に抜てきし、それまでのダウン・タウン・ブギウギ・バンドのイメージを一新するような名演にも驚嘆した。60年代にも面白い映画がいっぱいあるけど、僕はやはりこの2本が代表作だと思う。とにかく傑作という言葉しか思い浮かばない。「日本文化」を考える際には必見の映画。

 増村保造は戦後に大学を卒業し大映に入社し、その後イタリアの国立映画実験センターへの留学を経て、帰国後は溝口健二、市川崑らに助監督としてつき、1957年に「くちづけ」で監督デビューした。デビュー時から、スピード感あふれる描写日本的情緒を否定し「個」を生きる主人公を描き続けた。そういう傾向の新人監督は同時代の他社にも表れたので、一人増村だけの特徴というより、日本映画さらには日本社会の変容を反映していると考えられる。「母もの」に代表されるような「お涙頂戴」的な大衆文化はほぼ終焉したのである。増村のデビューから大映倒産までは、ほぼ日本の「高度成長時代」に当たっている。増村保造は、日本の高度経済成長という時代を代表する映画監督なのではないかと思う。

 その意味で、開高健の原作を完璧に映像化している「巨人と玩具」(1958)の重要性は強要しておかないといけない。お菓子会社の宣伝競争をエネルギッシュに描くが、川口浩、野添ひとみの主演カップルも魅力的で、このような「企業の成長と人間の幸福の矛盾」というテーマがこの時代にこれほど鋭く描かれていたのには驚く。「高度成長」の時代は裏に「腐敗」が見え隠れし、野心的で怪しげな人間がのし上がる時代でもあった。増村の「女の小箱より 夫が見た」(1964)や「黒の試走車」(1962)などは、高度成長時代の人々の一面を描いた。どちらも人気作家の映画化だけど、実に面白い娯楽映画になっている。後者は梶山季之のベストセラーの映画化だけど、「産業スパイ」という存在を巧みにストーリー化している。ヒットして「黒」シリーズとなり、増村も「黒の報告書」「黒の超特急」を撮った。

 しかし、やはり60年代の増村は若尾文子主演映画につきるだろう。オリジナルシナリオをあれば、原作ものもあり、またオールスター的な娯楽映画もある。それらの中に「女の自我の目覚め」といった映画が作られ、特に「妻は告白する」(1961)、「」(ただれ、1962)、「女の小箱より 夫が見た」(1964)、「清作の妻」(1965)、「赤い天使」(1966)、「華岡青洲の妻」(1968)などが注目作。谷崎原作の「」(1964)、「刺青」(1966)などは若尾文子の魅力全開。若尾出演作品はまだまだあって、見てないものもある。「妻は告白する」や「華岡青洲の妻」が有名なんだけど、僕は戦場を舞台に従軍看護婦を描いた「赤い天使」が、見る者を圧倒する傑作だと思う。

 原田美枝子や梶芽衣子を見ても判るけど、増村は女優を生き生きと描くことにたけている。60年代後半からの、「痴人の愛」(1967)、「セックスチェック 第二の性」(1968)の安田(大楠)道代、「大悪党」(1968)、「盲獣」(1969)の緑魔子、「でんきくらげ」「しびれくらげ」(どちらも1970)の渥美マリ、「遊び」(1971)の関根(高橋)恵子など、いずれも代表作だったり、出世作だったりするが、忘れられない演技を披露する女性映画である。見てるけど忘れた映画が多いが、「遊び」は初々しい青春映画の佳作で。「盲獣」は乱歩映画として「恐怖奇形人間」と並ぶ怪作で、乱歩の異常世界を一番生かしているのではないかと思える、まがまがしい映画である。

 一方、男性映画も多い。市川雷蔵が西鶴原作に主演した「好色一代男」(1961)、スパイ養成機関に選ばれた雷蔵らを描く「陸軍中野学校」(1966、大ヒットしてシリーズ化されるが、増村は最初だけ)、勝新太郎と田村高廣の「兵隊やくざ」(1965、これも大ヒットしてシリーズ化される)などである。この縁から、大映倒産後に「新・兵隊やくざ火線」(1972)、「御用牙 かみそり半蔵地獄責め」(1973)、「悪名 縄張荒らし」(1974)を勝プロで撮ることになる。

 このように実に様々な映画を撮っているのだが、谷崎潤一郎、江戸川乱歩らの「異常性愛」をこれほどうまく映像化した作家もいないと思う。そういう方向も面白いと思うけど、やはり「高度成長」の時代相と女の生き方、および「戦争をテーマに娯楽の中にシリアスな思いを込めた作品群」というのが増村の大映時代。自分で作った「大地の子守歌」「曽根崎心中」にも人間への深い思いがこもっている。まだまだ発見を待っているのが増村保造で、多いと言ってもこの程度なら全作品踏破も不可能ではないので、是非全部見ようかと思っている。(最近見たばかりの映画は見なおさないつもりなので、フィルムセンターの特集を全部見ると意味ではない。)
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湯島天神と神田明神-湯島散歩②

2014年06月20日 23時20分10秒 | 東京関東散歩
 湯島散歩の目的が旧岩崎邸、サッカーミュージアム、そして今日書く湯島天神などの寺社巡りというのは、もちろんウソではないんだけど、実はもう一つ目的があった。先にそっちを書いてしまうと、東京新聞土曜日の最終面(東京新聞はテレビ欄が真ん中にあって、最終面は企画ページになっている)に東京散歩案内があって、最近そこに湯島散歩が載った。それを見て、興味深い所を見つけたのである。「舞い鶴」という喫茶店。ここはパンも売っていて、その中に「生地よりブドウが多いぶどう126%入りぶどうぱん」があると書いてあった。ケーキからレーズンを取っちゃう人が世の中に結構いることは知っている。でも、僕に言わせれば、そんなのは不届き者である。概してフルーツが好きで、ドライフルーツ類もすべて好き。レーズンがそんなに入っているパンが世の中にあったのか。うれしいではないか。向島の青柳正家の栗羊かんは羊かんより栗の方が多いぐらい迫力がある。こっちも同じく、確かにブドウがいっぱい。まあスイーツに近い。パンにぶどうが入っているものを「ぶどうパン」というのなら、これはむしろ「パンぶどう」とでも呼びたい逸品である。まあ、作っているのは浅草の方で、仕入れているだけというが。火曜、金曜は「巨峰ぶどうパン」1550円がある。巨峰とナッツというもっと高いのもあった。普通のレーズン入りの小パンは400円。コーヒーもあるし、トーストにしたセットもあった。ラスクもある。(お店は湯島駅から南北に伸びる大通り沿いで、湯島天神の男坂に行く手前。大通り沿いなので、判りやすかった。パンの写真はなし。)

 その「舞い鶴」を少し過ぎて右に入ると、湯島天神へ通じる「男坂」が見えてくる。神社から見たのが次の写真。かなり急である。隣に「女坂」があり、傾斜が緩やかになっている。一方、春日通りから通じる道もあり、「夫婦坂」と呼んでるようだ。最後の写真が春日通りから見た神社。
   
 湯島天神(正式には湯島天満宮)は、なんか古い由緒があるらしいと書いてある。でも本殿は1995年に建て直されたもの。表通りの鳥居は1667年創建で、都文化財。日本じゃ、この程度の古さでは大した文化財とは呼ばない。ましてや近代に作られた神社は伝統とは言えない。(明治神宮とか靖国神社とか。)ここは亀戸天神より有名で、受験合格祈願の絵馬もいっぱい。それは「面白い」とも思うけど、なんで人が行くのか僕には判らないのである。お参りするヒマがあったら受験生がやることはいっぱいあるでしょ。ここへ来るのは二度目で、学校の歴史散歩(授業の一環)で来ただけ。遠足の引率でしか行ってないディズニーランドなんかと並んで、僕には縁遠い場所である。こうしてブログに書くつもりで散歩すると、あまり行ってない場所でも行こうかなとなる。
   
 ところで、この湯島天神が有名なのは、というか最近の人は知らないかもしれないが、泉鏡花の「婦系図」(おんなけいず)に出てくる。僕は学生時代に山本富士子主演の「湯島の白梅」という映画を見て、名前だけ知っていたストーリーを知った。「別れろ切れろは芸者の時に言う言葉」というセリフが有名で新派の名舞台となる。「新派」とか「新劇」とか、何が「新」だかもう伝わらない時代となっているが。その泉鏡花の筆塚というのがあった。その他、碑がいっぱいあって全部載せても仕方ないので絞ると「奇縁氷人石」(文京区有形民俗文化財)は江戸時代に「迷子探し」で信仰されたとかの石だそうである。「新派」の碑もある。「都々逸」の碑というのもあった。裏の方に「努力」という王貞治の書いた碑がある。場所が外れているうえ、説明がなくて場所が分かりにくいけど、見ておきたい碑である。(クリックして大きくして見て下さい。)
    
 神田明神に行く前に、サッカー通りに入る道の反対側にある「鱗祥院」を先に。ここは東洋大学発祥の地という碑があるが、それより春日局の墓がある。徳川3代将軍家光の乳母。
  
 御茶ノ水駅の方に下って行くと蔵前橋通り沿いに「おりがみ会館」がある。折り紙に関するお店、博物館みたいなところである。講習会も開かれるらしいけど、ポッと行ってもあまり面白くなかった。でも折り紙はいっぱい売ってる。1階には折り紙作品もいっぱい展示している。近くに「妻恋神社」と「妻恋坂」がある。妻恋坂交差点というのもあって、前から気になっていた。行って見たら、倭建命に関する伝説から来た名前だった。結構急な坂。
    
 最後に神田明神で、千代田区だから湯島というより「外神田」という地名になるけど、湯島聖堂の近くで、本当は御茶ノ水散歩で扱うべきところ。その時は行けなかったので、湯島散歩で。かの叛徒・平将門を事もあろうに江戸総鎮守として祀ったという歴史には、古代の怨霊という考え方がある。ここも古い由緒が残っているが、まあ江戸の下町一帯の氏神で、神田祭のあるところとして江戸時代から有名になった。震災で焼けて、その後コンクリート建築になったというから、そういう意味では近代建築的意味があるのかも。
   
 ここも碑や歴史的記念物が多い。架空の人物だけど、銭形平次が近くに住んでいたという設定になっていて、映画でも神田明神が出てくる。「銭形平次の碑」がちゃんとある。「国学発祥の地」という碑もあった。天神には都々逸があったが、こっちには「小唄の碑」があった。「大伝馬町八雲神社天水桶」というのもある。ま、いろいろあって面白い。もっとあるけど、逆光でうまく撮れないうえ、蚊が寄ってくるから、さっさと退散。
   
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旧岩崎邸庭園の周辺-湯島散歩①

2014年06月19日 21時53分58秒 | 東京関東散歩
 東京散歩・湯島近辺。湯島という地域は、東京都文京区の東端の地域で、お茶の水駅のそばにある「湯島聖堂」のように長い歴史がある地名である。文京区一体は「坂の町」だけど、武蔵野台地が広がる中で、坂上に「お屋敷町」が、坂下に「商店街」や職人の町が発展してきた。JRが通っていない区で、地下鉄利用になるので地形を意識しづらい。街を歩いていると、坂の説明によくぶつかり、「市電開業にともない坂が削られ勾配がゆるやかになった」などと書いてあることがある。

 最初に書く「旧岩崎邸庭園」は、住所は台東区池之端になるが、ここだけ行政上は飛び出しているだけで、地形上は湯島から続いている。不忍池の真裏あたりで、もちろん上野駅から歩いて行けるが、最も近い駅は地下鉄千代田線湯島駅になる。駅から出れば案内が各所にある。上野のはずれで低地には「ラブホテル」が林立してるけど、「旧岩崎邸庭園」の入り口を入ると、最初はビックリするぐらい坂を登っていくことになる。やはり、財閥の富豪は「坂の上」なのである。近代日本最大の財閥が作った洋館の極みで、何回か来てるけど驚くような建物である。ただ、中の様子を写真に撮れない。外観だけ。ガイドには少し出てる。では、その外観を。
   
 ここは1896年に、岩崎久彌(岩崎弥太郎の長男で、三菱の三代目社長)の本邸として造られた。重要文化財。現在は洋館、和館、撞球室の三つしか残っていないが、本来は20棟もの建物が並び、現在は3分の1の敷地になっているというから驚くしかない。設計は有名なジョサイア・コンドルで、この前書いた旧古河庭園と同じ。「英国ジャコビアン様式の見事な装飾」「イギリス・ルネサンス様式やイスラーム風のモティーフ」、他にも「コロニアル様式」「トスカナ式列柱」「イオニア式列柱」「英国ミントン社製のタイル」などと書いてあるけど、写真が撮れないから判らない。パンフを引用しただけだが、ジャコビアン様式と説明にある写真はこれ。(ちなみに「ジャコビアン」とは、17世紀初頭の英国ジェームズ1世時代の芸術様式で、イタリア・ルネサンスの影響を受けた。英国バロックとも言われる。)
 
 洋館に入って、1階、2階とめぐり、大食堂、ホールなどを見て回る。中はともかく、2階のベランダから外を撮るのもダメとあるから、全く中の様子は撮れなくて、実際に行って見て下さいと言うしかない。階段を下りて、和館に行くと休憩もできる。靴を持って移動し、和館から外へ出る。そうすると、芝生が広がり、洋館もまた違って見えてくる。遠景の写真(2枚目)の左奥の大きなビルは東大病院。ここは戦後GHQに接収され、キャノン機関などが置かれ、鹿地亘(かじ・わたる)が軟禁されていた。1971年から94年までは、最高裁司法研修所として司法修習に使われた。そういう戦後の歴史も刻まれている。その後、修復され、広く公開されているのは良かったと思う。 
   
 完全に横に回ると、もしかしたら一番この位置がいいのかなという見事な形になる。そこからは「撞球室」が近い。これは読めないし、意味も分からない人が多いと思うけど、「どうきゅうしつ」で「ビリヤード室」という意味である。もちろん今は置いてない。ここは中も撮れる。
   
 ところで、この庭園の奥に興味深い場所が作られた。「国立近現代建築資料館」である。長年の懸案とされていた「近代建築アーカイブ」で、要するに近現代建築の資料(設計図とか)を保管、研究する施設である。まだ開設したばかりで、建築にくわしくないと判らない感じだけど、旧岩崎邸庭園からは無料で行けるので一度行ってもいいと思う。(そこだけ行くには、反対側の湯島合同庁舎から予約して入ることになる。岩崎邸から入るには、岩崎邸の入園料がかかる。)2階にあって、2階から見た旧岩崎邸を撮ることは可能。[(写真の左にある黒い縞はガラス窓の桟。)入り口近くの壁には、三菱マークのもととなった「重ね三菱」が刻印してあった。
   
 さて、この旧岩崎邸の真裏あたりに「三菱資料館」がある。土日はやってないけど、平日だったら一度見ておきたい。ここに「三菱経済研究所」もある。もちろん企業博物館だから、宣伝は宣伝。三菱の軍事的な「貢献」(ゼロ戦も戦艦大和も三菱である)や政府と結びついた「政商」ぶりも批判されていない。それはそれとして、近代を代表する企業グループを一応知ることができる。ただ、三菱にはもっと大きな博物館、宣伝でいいから様々な工夫をこらした博物館を作って欲しい気もする。
  
 旧岩崎邸を出て、左に続く坂をずっと登って壁に沿って曲がると三菱資料館だけど、そこへ行く坂道が「無縁坂」である。そう、お玉が住んでいたところ。えっ、何のことかと言われるかも。森鴎外の傑作「雁」を読むと判ります。豊田四郎監督の映画にもなっている。帝大(東大)に通う学生が通りそうな場所である。「無縁坂」というのは、里中満智子のマンガもあるというけど、今一番思い浮かべるのは、グレープ(さだまさし)の曲「無縁坂」なんだろう。「運がいいとか悪いとか…そういうことって確かにある」とか口ずさみながら歩いて行く。(最後の写真は、坂が終わり、三菱資料館に行く道)
  
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スポーツ博物館めぐり

2014年06月18日 22時48分07秒 | 東京関東散歩
 あちこち散歩してるので、そのまとめ。もう先週行ったところもあるけど、他のことを書いてて時間が経ってしまった。最近は文学散歩で文京区を回ったりしてるが、亀戸天神を書いたから湯島天神、(岩崎家が一時持っていた)六義園を書いたから旧岩崎邸庭園という発想で、地下鉄湯島駅から歩き始めた。でも順番で言うと最後になった「サッカーミュージアム」を最初に書きたい。ワールドカップを書いた流れで、やはり今はサッカーかな、という感じで。ついでだから、別の日に野球殿堂博物館国立競技場(もう近づけないが)も見てきたので、まとめて「スポーツ聖地めぐり」。

 湯島天神から春日通りを歩いて数分、その名も「サッカー通り」。今はワールドカップの日本代表の旗がいっぱい。そこをずっと歩いて行くと「日本サッカーミュージアム」が見えてくる。ザッケローニ監督と日本代表の姿がビルの外壁に描かれていて大迫力。でも大きすぎて全体が見えない。どこか全部見えるビルがあるのかな。ここへ行くには、JRの御茶ノ水、または地下鉄の湯島、本郷三丁目、春日などの駅から歩いて7分、とHPに出てるけど、ウロウロしながら行くともう少しかかるんじゃないか。そういう場所があるとは知っていたが、500円出す価値あるかなと以前に通りかかった時は素通りしたところ。まあ、人生に一度ぐらい行ってもいいかな。
  
 1階と地下1階は無料で入れる。Jリーグ情報やお土産などだけなら、それでいいんだけど、地下2階が有料スペースで、サッカーのレジェンドに浸れる空間になっている。写真も撮れる。下りる階段には澤穂希が書いた「なでしこジャパン」という額。館内にはモノだけでなく、映像が楽しめるところもいっぱいあって、過去の名場面を3Dで見られたりする。女子の写真から載せると、2011ワールドカップ優勝のトロフィー、2014年のこの前のアジアカップのトロフィー
  
 僕が一番思い出にあるのは、メキシコ五輪銅メダルだけど、それも展示してある。次はJリーグの優勝杯高校サッカーの優勝旗、そして最後がワールドカップの優勝杯。つまり、これが争奪の対象の「ワールドカップ」そのもの。もちろんレプリカ。
   
 床には名選手の足形とサインがある。映画俳優なんかの「手形」は多いけど、さすがにサッカーは足である。三浦知良、中山雅史らの足型を。日本代表の大パネルもあって写真が撮れる。サッカーの殿堂もあって、日本のサッカーの歴史を振り返ることができる。まあ、また来るかは判らないけど、来てみるだけの意味はある施設だったかな。
    
 さて、その日は時間切れで終わったんだけど、そこから遠くない場所に「野球殿堂博物館」があるので、別の日に訪ねてみた。ここも、「そういうものがあるとは知っていたけど一度も行ったことがない場所」である。東京ドームの一角にあって、「21番ゲート」の右だというけど、ドームは大きく遊園地やホテルもあるので、土地勘がないと判りにくい。「野球殿堂」というのは、サッカーより知られていると思うけど、あまりにいっぱいいるので見てる時間がない。近くの階段下に「戦没野球人」の鎮魂の碑がある。二段目右から4人目に沢村英治の名前が見える。あれほどの名投手を戦争に3回も召集したという、日本という国もなんというバカな国なのか。
  
 ここも展示は地下に降りていく。写真も撮れるけど、バッテリーが無くなりかけてあまり撮れなかった。プロ各球団のユニフォーム、大学野球や高校野球、リトルリーグ、女子野球まで幅広く展示されている。イチローの日米通算4000本安打ユニフォームや王貞治のユニフォーム。他にも金田や福本などいっぱいあったけど、撮れなくて残念。サッカーと野球、見るならどっちも一度は行くといいかな。子連れでもいいし、夏休みの自由研究とか修学旅行とかでも使える。両者の比較、歴史を調べる、名選手の記録など調べることはいくらでも出てくるだろう。ところで、そこから歩いて5分ほどのところに柔道の「講道館」がある。文京区役所(シビックセンター)の隣だけど、えっ、知らなかった。それもそのはず、ここは今は単なるビルで、上の方には大道場があるというけど、道を歩いていても全然分からない。もちろんあちこち移転している。ここの2階に無料の「柔道資料館」がある。せっかくだから行ってみたけど、まあ古風な資料館で、特に普通の人は見なくてもいい感じかなあ。
  
 水道橋駅に戻って、JR総武線を千葉方面に4駅行くと両国。国技館、相撲博物館があるが、両国は他にも見るべきものが多く、本場所中でもないからやめる。一方、新宿方面に5駅行くと千駄ヶ谷。東京体育館や神宮球場、それに建て替え間近の国立競技場があるところ。ホントはここに「秩父宮記念スポーツ博物館」というのがあったが、休館中である。国立競技場も5月で閉鎖になって、椅子の取り外しなどが始まったという。その前に特別公開があったけど時間が合わなくて行けなかった。僕はここはスポーツでもコンサート等でも一度も行ったことがない。(そういう場所は東京にはいっぱいある。)もう近寄れないので外から見るだけだけど、記念と思って写真を撮ってきた。競技場はグルグル回って一周できる。真ん前に公園があって嘉納治五郎東京五輪の碑があった。
    
 後は解体間近のスタジアムの遠景をいくつか。(最後の写真は東京体育館から見たもの。)ここの建て替えをめぐっては、様々な議論が飛びかっている。僕もお金がかかり過ぎると何だかなあと思うけど、景観論議などはよく判らない。すべての問題を調べているヒマはないので見守っている。この地域は明治神宮の外苑に当たる地域で、つまり100年前に人工的に整備された地区である。時間が経つと、守るべき景観と見なされてくるわけだろうけど、僕は有名な「外苑前のイチョウ並木」なども一度も行ったことがないので、正直言って実感がわかない。これが上野公園なんかだと自分のエリアという感じになってくるのだが。東京といっても広いので、東西で感覚が違ってくるわけである。
    
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SAYAMA みえない手錠をはずすまで

2014年06月17日 22時56分36秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 金聖雄監督の記録映画「SAYAMA みえない手錠をはずすまで」をポレポレ東中野で見たので紹介を。20日までは、12時10分~、21日からは15時50分~、一日一回の上映。狭山事件で無実を訴える石川一雄さん夫妻の日々を追うドキュメントだけど、非常に面白いので紹介しておきたい。
 
 僕が今ごろ見るようではいけないんだけど、昨年度に作られてキネマ旬報文化映画3位に入選している。文化映画の1位は「標的の村」、2位は「ある精肉店のはなし」で、劇映画より最近は面白いかもしれない。上映会や映画祭などでやってるのは知ってたけど、ピンポイントで見ようとすると、なかなか日程が合わない。いずれポレポレ東中野でやってくれるんじゃないかなどと、どうも最近は待ってしまう気持ちが強い。案の定上映はされたけど、一日に真昼一回だけなので見に行くのが大変。来週から15時50分からになるので、もう少し行きやすいかなと思うので、是非お勧めしたい。東京以外の人も、今後各地の劇場上映、または自主上映などが相当たくさん予定されている。

 狭山事件というのは、1963年5月に埼玉県狭山市で起きた「女子高生誘拐殺人事件」で、当初警察が失態を重ねたこともあり、大きな問題となった。石川一雄被告が逮捕、起訴され、一審でも「自白」を維持して死刑判決が出た。ところが二審になってから、「自白」はダマされたものとして無実を主張し、大きな問題となった。被告は被差別部落出身で、警察が部落青年に的を絞って「見込み捜査」を行ったとして、部落解放同盟が「狭山差別裁判」と訴えた。70年代に非常に大きな問題となったが、1973年に東京高裁は無期懲役の有罪判決。1977年に最高裁が上告を棄却して有罪が確定した。その後、2回の再審請求が棄却され、現在は第3次再審請求中

 石川さんは1994年に仮出所し、支援者の女性と結婚した。この映画は2011年から2013年頃の日常生活を淡々と描くのだが、石川さん夫妻の人柄が伝わり、とても気持ちがいい。布川事件を追った「ショージとタカオ」という映画も素晴らしく面白いが、今度の映画もとても面白い。その布川事件の桜井昌司さん足利事件の菅家利和さんと会う場面も出てくるが、「無実の人」というのはこういう人のことかと誰でも伝わるような名場面だと思う。桜井さん、菅家さんはポレポレ東中野のトークも予定されている。

 それ以上に非常に心打たれるのは、徳島県の被差別部落に育ち、狭山支援運動に関わってきた妻の早智子さんの姿だった。仮出所後に結婚するに至るが、二人の日常生活のようす、食事や散髪、体をきたえるためのジョギングなどを映し出す。もちろん裁判所前の訴えとか、現地調査に来た人々の様子とか、冤罪事件を扱う映画ならではのシーンもある。しかし、それ以上に「重いもの」を背負いながらも、「不運だったけど、不幸ではない」という二人の様子が「魅力的」なのである。だから多くの人に見て欲しいと思うのである。

 映画の中で、二人が毎夏、妻の故郷の徳島に行って交流したりするシーンがある。そこで剣山にのぼるシーンがある。この山は1955mの標高で、映画にも出てくる長大なリフトがあり、それを使えばおよそ2時間で頂上だけど、それでも高齢の二人が登るのは大変だろう。それを石川さんはあまり苦にせず登頂している。仮出所後も再審に向け心身の健康を保っている証である。ここは僕も登っているんだけど、ちょっと感心してしまった。

 狭山事件は様々の本(野間宏や鎌田慧など)もあり、劇映画や記録映画もかなり作られてきた。特に小池正人監督の記録映画「狭山事件-石川一雄・獄中27年-」(1990)は、裁判終了後の本格的なドキュメントだった。その当時は、まだ石川さんは千葉刑務所在監中である。その代り、当時の警察関係者への直撃なども出てくる。今は関係者はほぼ亡くなってしまったが、代わりに本人が映画に出られる。70年代には解放同盟と共産党の対立が激しく、狭山事件も大きな影響を受けた。そういうイメージが残っている世代もあるだろうけど、「狭山事件の冤罪性」は明らかだと思う。

 最近は「重大事件での再審開始が続いている」と思っている人も多いかもしれない。足利事件布川事件東電女性社員殺害事件はいずれも無期懲役の事件。今年の袴田事件は死刑事件。しかし、名張毒ぶどう酒事件を始め、福井女子中学生殺害事件(高裁で再審取り消し)、大崎事件、筋弛緩剤事件など、むしろ再審棄却が相次いでいて、「再審の壁は今もなお厚い」というのが現実である。では足利、東電女性社員、袴田などの事件ではどうして再審が開始されたか。それは「DNA型判定」の再鑑定によるのである。もともと血痕などが問題になってない事件では、再鑑定しようがない。

 そう言う事件で唯一再審無罪となった布川事件は、検察側が長く隠していた証拠が開示されたことが大きい。狭山事件でも近年裁判所が証拠開示勧告をだし、ある程度は出てきた。でも、もっとあると言われている。映画内で石川さんが言っていることによれば、「被差別部落への見込み捜査」が明るみに出る「差別調書」がプライバシー保護を理由に開示されていないのではないかと語っている。僕もそれは正しいのではないかと思う。日本の自由や民主主義の指標になるような事件の一つで、この映画を通して若い人にも新しく知って欲しい。
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蹴球世界杯②

2014年06月16日 23時39分24秒 | 社会(世の中の出来事)
 ワールドカップの各グループの初戦は順調に進み、F組の1試合まで終わっている。(日本時間16日夜現在。)ちょっと気が早いが、決勝トーナメントの話をしておきたい。各グループの1位と2位の16チームが決勝に進出するわけだが、それぞれ「4つの枠」に所属する。各グループの1位と2位は別枠に入るので、例えばC組の1位がコロンビアで、2位が日本だとして、コロンビアと日本が決勝まで勝ち進むということもありうる。いや、もちろん、それは「可能性」の話をしてるだけで、日本が1次リーグを突破するのも相当に厳しい情勢だけど、コロンビアがベスト4に残るのも難しい。

 各枠ごとに見てみたい。関心のない人には煩わしく、関心のある人には知ってる話となるだろうけど。「A組1位」を「A①」と書く。枠と言ってるのは、特に名前はないので、「第Ⅰ枠」と書くことにする。
第Ⅰ枠】 「A①×B②」と「C①×D②」の勝者がベスト4進出
 この「A①」というのは、まあ間違いなくブラジルだろう。C①がコロンビアだとすると、ベスト8までは進めてもブラジルに勝たないとベスト4には行けない。B組はスペインがシードだったけど、まさかのオランダに大差の敗退。今後チリとオーストラリアに勝っても1位は難しいかも。2位がスペインだと考えると、決勝トーナメント1回戦で「ブラジル対スペイン」になる。あるいはチリかもしれないが。D②はイングランドか。コスタリカ、ウルグアイかもしれないが。何にしても、ベスト4進出はブラジルじゃないかと思う。

第Ⅱ枠】 「E①×F②」と「G①×H②」の勝者がベスト4進出
 E組は初戦に勝ったスイスとフランスが突破か。スイスの評判がかなりいいので、1位をスイスと考えておく。F②は読みにくいが、ナイジェリアか。イランの様子がまだ判らないけど。この「E①×F②」の行方は今一つ読みにくい。でも、僕はG①がドイツで、ベスト4に行くのもドイツではないかと思うので、今他のことをあまり考える必要もないだろう。H②はロシアではないか。ベルギーが1位で、韓国とアルジェリア。次回開催のロシアが1次リーグを突破する可能性がある。

第Ⅲ枠】 「B①×A②」と「D①×C②」の勝者がベスト4進出
 B①はオランダ、A②はメキシコ。D①はイタリア。C②は日本といいたいところだが、客観的にはコートジボワールなのかな。そうするとイタリアかオランダがベスト4か。案外メキシコが強かったりするんだけど、今回は予選で不調過ぎて名を挙げにくい。コートジボワールは、突破した場合はベスト8まで行く勢いが出るかもしれないが、ベスト4は厳しいのではないか。

第Ⅳ枠】 「F①×E②」と「H①×G②」の勝者がベスト4進出
 F①はアルゼンチン、E②はフランス(かスイス)。H①はベルギーと考えておく。G②は難しいのだが、ポルトガル、ガーナ、アメリカのどこになってもおかしくない。ドイツはちょっと抜けている感じがするが、他の3国は同じ程度の感じがする。初戦の結果を見ないと判らない。しかし、この枠はアルゼンチンか。

 
 別に予言を的中させようと思って書いてるわけではない。前回は個人通信で「スペイン優勢」と書いて当てたけど、要するに「穴」は避けて「本命」を書いてるだけで、だから以上の予想も当たり前すぎて面白くない。ホントは波乱が欲しいところで、今回もいろいろあるだろう。以上のⅠ枠とⅡ枠の勝者、Ⅲ枠とⅣ枠の勝者が準決勝を戦う。「ブラジル対ドイツ」と「イタリア対アルゼンチン」の勝者が決勝では面白くないので、ここにアジア、アフリカ勢が絡んで欲しいところ。かつて、日本に勝ったクロアチアやトルコが勝ち進んで行ったことがあるけど、今回のコートジボワールもどこまで行くか。まあ、ブラジル開催なんだから、ネイマール対メッシの決勝戦を見てみたいということで、そういうことにしておきたい。

 
 最後に各大陸予選を振り返り、「出られなかった国」を見ながら、世界地理の話を。まず「大陸間プレーオフ」が今回は2つあった。ひとつは「北中米カリブ海4位×オセアニア」。国で言えば、メキシコ×ニュージーランド。オセアニア地区は、オーストラリアがアジア協会に行っちゃったので、「0・5枠」しかなくなって、大体ニュージーランドが1位。前回は勝ったけど、今回は大陸間プレーオフで負けた。(前回はバーレーンに勝って出場し、1次リーグ敗退ながらイタリア、パラグアイ、スロバキアに全部引き分けて、ただ一国負けなしの敗退となった。)最終予選2位はニューカレドニアだった。

 もう一つの大陸間プレーオフは、「アジア5位×南米5位」で、ヨルダン×ウルグアイだった。このヨルダンがアジア5位というのは、大健闘というべきだろう。アジア枠は「4・5」だが、日本、オーストラリア、イラン、韓国が出場。ウズベキスタンとヨルダンがアジア5位決定戦を行って、ヨルダンが勝った。アジア最終予選出場の10か国は、他にカタールレバノンオマーンイラクだった。これは予想外の結果だった。最終予選なら常連に近いサウジアラビア(本大会4回出場)、北朝鮮(本大会2回出場)、アラブ首長国連邦(本大会1回出場)などがいない。日韓大会出場の中国も3次予選敗退。

 アジアでは、東アジアと中東しか出たことがない。他はどうなんだと見てみると、アジア3次予選に5×4の20か国が出て、4次予選10か国に絞られた。(その10国を二つに分けて、上位2か国が出場。3位同士で、5位決定戦。)その20か国をみると、今までに名前の出た国以外で、クウェート、バーレーン、タジキスタン、シンガポール、タイ、インドネシアの名前があがる。東南アジア諸国は3次予選までは出て来られるが、各グループ最下位で、4次予選(最終予選)は厳しい。サウジ、クウェート、UAE、中国などが4次予選に出てきて活躍するようにならないと、日韓豪なども緊張感が薄れるのではないか。また中央アジアの活躍も待たれる。中国の不振は理解できないが、いろいろと強化態勢に問題があるのではないかと思う。

 長くなったので、アフリカ、ヨーロッパは簡単に。アフリカは10か国が3次予選に進出し、5グループに分けてホームとアウェイで2試合を行って勝った方が出場。負けた5カ国を書くと、セネガル、エチオピア、チュニジア、エジプト、ブルキナファソである。出場経験がかなりあるモロッコや南アフリカは2次予選でグループ2位だった。ブルキナファソは、アルジェリアと1勝1敗、総得点3対3で並んでいたのだが、アウェーでの得点が2対0で、規定により敗退となった。西アフリカの内陸国で、旧フランス領の一つだけど、国づくりが割としっかりしてる方で、全アフリカ映画祭開催でも知られる。サッカーでも今後の注目株ではないかと思う。

 ヨーロッパは、53協会もあって出場枠も13。6チーム所属の8グループと5チームの1グループを作る。総当たりでホーム&アウェイで戦い、1位が出場。2位の9か国の中から、8か国を選んでプレーオフを行う。(6国グループでは、最下位チームを除いて勝ち点を再計算し、勝ち点上位から選ぶ。2位で落ちてしまったのは、デンマークだった。)プレーオフ出場国だけ書くと、ポルトガルがスウェーデンに、フランスがウクライナに、ギリシャがルーマニアに、クロアチアがアイスランドに勝って出場した。ギリシャはボスニア・ヘルツェゴビナに次いで2位だったので、予選段階で絶好調だったわけではない。だからアジアカップ優勝の日本は頑張ってほしいところ。

 ヨーロッパは国が多くなり過ぎて、小国でも出られる可能性もあるが、組み分けに恵まれないとセルビア、トルコ、アイルランド、ポーランド、チェコ、スロバキアなど出場経験のある国も沈んでしまう、今回は北の小国アイスランドがプレーオフにまで進出したのが驚き。旧ユーゴスラビアからは、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナが出場。セルビアやスロベニアも出場してもおかしくない。一方、チェコとスロバキアはどちらも予選3位で、国家が分裂して出場が難しくなったのではないかという感じ。長くなったので終り。予選が終わった頃にまた書くかもしれないけど。
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蹴球世界杯①

2014年06月15日 23時20分31秒 | 社会(世の中の出来事)
 サッカーのワールドカップ(世界杯)が開幕した。世界で一番多くの人がテレビで観戦すると言われる大イヴェント。ブラジルではストやデモが頻発し、それを心配する意見もあったけど、むしろそれは「ブラジルの健全性」の証明と考えるべきだろう。東京五輪の頃の日本だって、デモやストが日常の社会だった。今の日本の感覚の方がおかしいのである。BRICSの5か国でも、中国やロシアだけでなく、ブラジルの占める重要性をきちんと理解しておかないといけない。

 さて、日本の初戦だけど、コートジボワールに2対1で逆転負け。ちょっと心配していた通りになってしまった。日本では「ドーハの悲劇」というのは記憶されているが、ドイツ大会初戦のオーストラリア戦(2006年)も語り継いで教訓にしていくべき。日本は前半に1点をリード(26分に中村俊輔)したものの、後半84分、89分に立て続けに失点し、さらにもう1点アディショナルタイムに失った。つまり、ほぼ最後の10分になるまで勝っていて、その後3点を失ったわけである。これは覚えている人も多いだろう。

 最初に日本に1点が入ってしまうと、意識するつもりはなくても、どうしても「守り」に入ってしまい、後半に疲れてきたところに逆襲され失点するというのは、ありそうなことである。だから、むしろ前半にドログバのゴールで1点が入り、後半に日本が追いつくといった展開を予想していたし、それでいいのではと思っていた。だけど、ドログバがベンチスタートとは予想しなかった。後半にドログバが入ると、あんなに変わるものかというぐらい、コートジボワールに勢いが出た。やはりすごい。コートジボワールのラムシ監督は、インテル・ミラノでザッケローニの下でプレーしたことがあるというけど、リードされていた後半10分過ぎ頃に雨が上がり、そこでドログバを投入すると言う戦術は実に効果的だった。

 このドログバという選手は母国で「英雄」と呼ばれているという。ニュースで見たけど、コートジボワールが内戦で苦しむ中、フランスから出場する道もあったけど、あえて出場経験のなかったコートジボワールから出て、2006年ドイツ大会の出場を勝ち取った。そのときテレビを通して「サッカーを通して国がまとまって欲しい」と呼びかけ、実際に大会中に内戦が停戦となった。コートジボワールは独立(1960年)以後、比較的順調に経済発展が続いていたが、21世紀になって突然内戦状態となった。サハラ南部の国々によくあるように、南北の対立構造があり、ドログバは南部、ヤヤ・トゥーレが北部の民族出身だと言う。まさにサッカーが国のまとめ役みたいな存在のようである。(澤藤藤一郎の憲法日記「コートジボアール『エレファンツ』の勝利に祝意を」参照)

 この試合に関しては、日本の動きは非常に固い感じがしたが、コートジボワールの方もあまりいい感じではなかった。多分、雨で高温、夜10時からという時間帯が選手の機動力を思った以上に奪っているのかなと思いながら見ていた。それでもシュート数が19対7、枠内シュートでは9対4という数が示すように、明らかに日本は劣勢だったし、守備陣の動きは良いとは言えなかった。それでも2失点で済んだのは、川島の好セーブだと思う。コロンビアのギリシャ戦のゴールシーンを見ても、川島なら1点か2点は防げたのではないかと期待半分でそう思う。日本は初戦で勝ち点3、最低でも勝ち点1を取ることが1次リーグ突破には重要だったから、これでかなり厳しい状態になったのは間違いない。

 もちろん今後のギリシャ、コロンビアに勝てば、勝ち点6になるわけだけど、初戦で負けたギリシャとは次に戦うわけで、日本とギリシャがともに勝ち点6になることはない。だから、日本とギリシャがそろって一次リーグを突破する可能性はなくなった。(まあ、そんなことを考えていた人は世界中に誰もいないだろうけど。)逆に言えば、初戦で勝ったコロンビアとコートジボワールのどちらかは1次リーグを突破する可能性が高くなった。(まあ、それもやる前から判っていることだけど。)どちらかと書いたけど、普通に考えれば、シードされてるコロンビアだろう。今回、南米予選を1位で突破したコロンビアの評判はかなり高いようだ。(南米予選では、開催国のブラジルが予選免除なので、アルゼンチンに次ぐ2位という成績は、実質的には南米3位になると思うが。)

 コロンビアは一時期は、内戦、ゲリラ、麻薬組織、誘拐といった話題ばかりが聞こえてきた国だった。先ごろ亡くなったノーベル賞作家ガルシア=マルケスの母国だけど、国を離れて活動せざるを得ない状況が続いていた。ワールドカップにも、なかなか出場できず1962年が初出場、1990年に1次リーグを突破し、1994,1998と連続出場したが、その後しばらく出場できず、今回は久しぶりの5回目の出場である。南米ではブラジル(全ワールドカップの20回出場)、アルゼンチン(16回出場)がサッカーだけではなく2大国となり、サッカーではウルグアイ(12回出場)も強い。チリ(9回出場)やパラグアイ(8回出場)などが続く。全部で10か国が協会加盟で、5.5くらいが出場枠になるので、大体以上の国で埋まってしまうわけである。だから、コロンビア(5回出場)、ペルー(4回出場)、ボリビア(3回出場)、エクアドル(3回出場)などが割を食うことが多い。(ベネズエラは出場経験がない唯一の国である。またガイアナ、スリナムは地理的には南米にあるけど、北中米カリブ海予選に出場している。)

 南米の国が分からないと以上の話も意味がないけど、僕はこういう世界のサッカー界のトリビア情報が好きで、アジアやアフリカの国なんかだと、社会の状況などを読む材料の一つにしている。ヨーロッパ予選なんかだと、どのグループに入るかの偶然性も大きいし、「国力」と「サッカー順位」にそれほど連動する部分はないだろう。(それでもドイツ、イタリア、フランス、イングランド、スペインなどが出場できない事態は考えられないので、基本的に「大国」の力は大きい。)今全部書いてると大変なので、今回は南米予選だけを書くけど、今回の予選では驚くべき大波乱があった。「パラグアイの崩壊」である。前回の南アフリカ大会で、1次リーグを突破した日本がベスト8を賭けて対戦し、PK戦で敗れた相手がパラグアイだった。ところが、そのパラグアイは今回の予選出場国9か国の、なんと最下位だったのである。アルゼンチン、コロンビア、チリ、エクアドルの順で出場が決まり、5位のウルグアイは大陸間プレーオフに回った、そこでアジア5位のヨルダンに勝って、やっと出場できたのである。今大会でも初戦のコスタリカ戦を落としているが、予選の段階からあまり順調ではない。本当はアジアとアフリカの話を書きたいと思っていたのだが、南米予選の話を書いてしまった。まあ、しばらくはサッカー中継を楽しみたいと思っている。
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権力的教育行政の転換を-都立高入選ミス問題⑧

2014年06月13日 22時34分33秒 |  〃 (東京・大阪)
 長く書いてきたので、最後に総論的なことを書いて終りにしたい。とは言うものの、また細かい議論から入ることにする。都教委は来年の一次試験を2月24日(火)としたが、発表日はまだ決定していない。この記事の中で、僕は「22~25で、水から金までに学力検査を行い、翌週の6日目に発表する」のがいいのではと書いた。だから、24(火)というのは支持しないのだが、それはともかく、もし火曜日に検査を行うのだったら、その場合だけは発表は次週の火曜日でなければならないと思うのである。3月2日(月)の発表だったら、実質的に今年と同じで、ミス防止対策にならない。

 どういうことか判るだろうか。もし月曜の発表だったら、どんなに遅くても金曜日の夕方には判定会議を開かないといけない。(土曜日の授業がない学校の場合だが。)それでは、水木金の3日間で、採点と入力のチェックを完全に終わらせないといけない。今年と同じである。合格者に渡す事務的な書類の作成に入るためには、学校の正式機関である合否判定会議を開かないといけない。判定会議を経たのちに、「入学予定者の決定について」という文書を起案し、校長が決済する必要がある。本来は金曜夕方の判定会議でも、教務や事務職員は残業か休日出勤を強いられるだろう。だから合格者決定はもっと早いことが望ましいのだが、日程的に無理だろう。だから、休日にも入選業務を行わざるを得ないので、管理職の何人かも出勤することになるだろう。そうすると、今年の事例を思い出し、自分で再度点検したい校長も出てくるに決まっている。万が一、そこで合否が覆るミスを発見してしまったら、どうするか。校長が経営企画室長や教務主任と協議し、判定会議の結論を変えることにならざるを得ないだろう。月曜発表だと、そのような望ましくないプロセスがあり得る。(実質的な事務態勢は、もう少し融通をきかせているかもしれないが、タテマエ上は以上のように進行する。)

 さて、以上のようなことは「現場の事情」が判っているなら、誰でも知ってることである。しかし、この間都教委は「現場の意向を聞かない」ことをモットーにしてきた(としか思えない政策を進めてきた。)だから、学校現場では「もはや現場の意向は取り入れられることはない」と思い込んでいるのではないか。採点ミス自体は、教員なら(教員でなくても)誰にでもある問題である。教師の「指導力」などとは直接の関係はない。(関係があるとすれば、通勤時間とか当日の体調の方だろう。2月末だから、風邪気味の人がいるのは避けられない。)それでも、学校現場に「自由闊達な気風」が形成されていれば、ミスは点検で発見されやすいのではないだろうか

 東京に限らないと思うが、また教育現場にも限らないと思うが、「現場」における「自由闊達な気風」というのは、日本ウナギ並みの「絶滅危惧種」ではないか。特に、東京は全国のトップを切って、教育の成果主義、新自由主義的な「改革」が進められてきた。今回のミス多発は、僕にはそのような都教委のすすめてきた「教育風土」が背景にあるのではないかと思う。しかし、都教委はそれを絶対に認めないだろう。「採点態勢の不備」とか「教員の資質の低下」などを原因に挙げ、「教員に対する研修の強化」などを「対策」に打ち出すのではないか。その結果、学校現場の疲弊はますます進むことになる。そうしてはならない。今回の問題をきっかけとして、ここで「東京の教育行政の全面的な転換」に踏み出さないといけない

 今回ミスがなかった学校が何校かある。それらの学校の教員は評価が高くなるかというと、そういうことはない。なぜなら、勤務評定は「同じ学校内の教員間で相対評価する」からである。全員でしっかり仕事して、ミスがなかったりすれば、差が付かないではないか。自分の評価が高くなり給料も上がるためには、同じ学校に成績評価が低くなる教員がいた方がいいことになる。全員で協力し合わなければならない学校という場所で、こんな「成果主義」を導入して何の意味があるのだろうか。こういう誤った「成果主義」こそが、学校を毒して協力態勢を壊すのである。

 都教委が採点期間を短くしてきたのは、何故だろうか。僕が思うに、「都教委はこの日数で出来ると本気で考えていた」という可能性が高い。「現場の声が聞こえない」「現場も声を挙げない」ということもあるが、この間に完成されてしまった「ピラミッド型勤務体制」、つまり「校長-副校長-主幹教諭-主任教諭-教諭」という「構造」を、「主幹、主任を中心にした機動的な学校経営」を実現したと評価し、その「生産性向上効果」をもってすれば、入選業務もスピード化されるはずだと考えていたのではないか。しかし、現実には同じ教科内で「主幹、主任、教諭」などと分かれていて採点して、果たしてうまく行くのだろうか。若手教師からすれば、職階も違う主幹教諭の採点にミスがあるとは思わないし、見つけても指摘しにくいということはないだろうか。年齢、経験差があるのは仕方ないが、職階としては「同じ教諭」という立場で採点したほうが、「自由闊達」にお互いのミスを指摘し合えるのではないだろうか

 都教委の政策は10数年かけて成立してきたので、すぐには変更が難しい部分もあるだろう。しかし、僕は「異動要項の改定」と「主任教諭制度の廃止」、「職員会議での挙手禁止通達の撤回」あたりから、今までの政策を変えてはどうかと思う。主任教諭は導入からまだ数年しか経っていないので、教諭と主任教諭の給料表一本化もまだ可能なのではないか。都の異動要項も明らかにおかしいので、そろそろ変えるべきだ。どうしても個人的事情で異動する教師もいるわけだが、同じ学校に10年程度いられるという異動制度だったら、自分が担任、または授業や部活で接する可能性が非常に高い受検生の答案を採点するわけで、ミス防止効果があるのではないか。来年度は異動だからといって、わざわざミスをするわけではないが、それでも心理的には人間にはそういう部分もあるように思うのである。また三つ目の「挙手禁止」は、ここ10年以上続いた「おバカ教育行政」の象徴である。もういいでしょ。

 このように都教委のあり方を見てくると、やはり「10・23通達」は大きかったと思う。入選ミスの問題はイデオロギーの問題ではないと言われるかもしれない。その通りだけど、学校現場から「イデオロギー的反対派の存在余地をなくす」という政策が進行した結果、イデオロギーとは関係のない問題でも、校長なども委縮して現場の声が反映できない風土が生まれてきたのではないかと思う。ナチスの時代に言う、最初は共産主義者が排除され、次に社会主義者、自由主義者、最後には穏健なクリスチャンも政府に反対することが出来なくなった、ということと同じである。要するに「茶色の朝」。「毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならないという法律」が作られた社会では、人は知らず知らずに「従順」にさせられていく。

 「学力検査日を2月23日に固定する」というやり方が決定された時期は、国旗国歌に関して職務命令を校長に義務付けた「10・23通達」、中高一貫校の都立中学等への扶桑社の教科書採択、性教育に関する弾圧である「七生養護学校事件」などが起きた時期と重なっている。つまり、イデオロギー的に偏向した都教委がどんどん「極右的政策」を進めた時期である。そういう問題が積み重なった結果、「自由闊達な気風」というかつての都立高に広く見られた気風が消えていったのである。そうして職階が多層化され、競争が強化され、職場の分断が進んだ。もう一回繰り返しておくが、採点ミスそのものは誰でも起こす可能性のあるミスで、それ自体は問題ではない。問題なのは、それを点検する態勢の方で、職場の自由がないと「ミスが防げなくなる可能性が高くなる」。そして、事前に容易に推測できた「採点期間の短縮の問題性」を事前に把握できないという事態となる。それこそが問題で、今考えないといけないのである。都教委に限らず、また学校に限らず、どこでも起こる問題ではないかと思う。
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チェック体制をどうするか-都立高入選ミス問題⑦

2014年06月12日 22時40分22秒 |  〃 (東京・大阪)
 今回の入選ミスは「単純ミスが多い」などと新聞に書いてあるが、当たり前である。「採点は一日で行い、点検は形骸化していた」などという報道も見たけど、日程上一日しかかけられないのは当然で、それはすでに書いてきた。「単純ミス」の反対語が何か、僕には判らない。ペーパーテストを全都で一斉に行い、全然知らない人間の答案(受検番号しか書いてない)を迅速に採点する。ミスはどうやっても起こるし、普通の定期テストより起きやすい。(定期テストは自分で問題を作って自分で採点するし、この生徒は100点を取るかも、この生徒は10点ぐらいかもと判って採点しているので、採点ミスがより起きにくいと考えられる。)

 問題はどのように点検するかだが、それには二つの考え方がありうる。一つは「同じ教科の教員で一回点検をしたら、その点数を早く入力して、ボーダーライン上の生徒を徹底的に点検する」。もう一つは「違う人間で点検を徹底し、確実な点数を入力できるようにする」。どっちがいいのかはよく判らないので、今後様々に議論して欲しいと思う。点検そのものは事務的作業で、何度もやれば「思い込み」が生じてくるのはやむを得ない。2回見て発見できなかったミスを、同じチーム内で見直してもなかなか見つからない可能性が高い。そこで違う人で点検チームを組織して、あらためて違う目で点検した方がずっといい。今回の都教委点検もそれである。その方が点検的にはいいけれども、それまで全然その問題を見ていない人、特に他教科の教員などが急に点検に入っても、当初はスピードがかなり落ちるだろう。その分、採点終了までの時間が相当にかかってしまうことになる。

 一方、「採点」と「一次点検」でまず終りにして、どんどん入力を開始する。何が問題かと言って、合格、不合格に影響することである。100点の生徒が実は一問ケアレスミスをしてたとしても、合格は合格で間違いない。まあ成績トップの新入生に、入学式の「誓いの言葉」かなんかを頼むことが多いと思うので、影響はあるかもしれないが。だから、早めに合否のボーダーラインを仮に設定し、仮合格者の成績下位1割と仮不合格者の成績上位1割を選びだし、その生徒を中心に徹底点検を行う。(どのくらいがいいかは判らないので、今の数字は仮のものだが。)残りの受検生は、入力チェック、合否判定、合格通知書作成などと並行して「二次点検」「三次点検」を行う。そういうやり方もあるのではないかと思うのである。

 もっとも東京の入選方法が複雑なのはすでに書いたけれども、「特別選考」という面倒なものがある。合格者の8割を通常の方法で決定し、残りの2割は特別の(例えば、調査書の割合を下げるとか、一部の教科の得点を重視するとか)選考方法を取るというのである。だから、今「ボーダーラインを徹底点検」と書いたけれども、ボーダーラインが「合格、不合格」だけでなく、「一般選考」と「特別選考」と二つ生じる学校があるのである。そうなると、下位の生徒は全員対象というような高校も多くなるだろう。大体、中学生を対象にして、そんな複雑な選考を公立校が行う必要があるのだろうか。「特別選考」は廃止したほうがいい

 さて今「二つある」と書いたばかりだけど、実はもう一つのやり方もある。今回も都教委は例によって、自分たちではなく現場の問題があると言った言い方をしている。でも、都教委は「学校経営支援センター」なる組織を作り、学校事務職員を減員してしまった。そのため入選の願書受付等の本来は事務職員の仕事に関しても教員が以前以上に参加せざるを得なくなっているのではないかと思われる。一体、今回のようなほとんどの高校で採点ミスがあったなどという時に、自分たちには「学校経営」を「支援」するという組織があるのに、果たして機能していたのだろうかと反省することはあるのだろうか。本当だったら、この「支援センター」なるものが、採点を担当すればいいのではないか。教員は授業等に専念する。採点と入力は「経営支援センター」から派遣された職員が担当する。これなら、確かに「学校経営」の「支援」である。(もっと言えば、学校経営支援センターを解体し、学校の事務職員を増員すべきだけど、まあ今はその議論はしない。)

 前回の記事で、「発表は翌週の6日目」と書いた。月曜検査、金曜発表は「4日目」だが、僕が書いたように「水曜検査、次週の火曜発表」にしても、「土日を抜いたら4日目」である。それでも「余裕がある」と感じるのは、「土日に勤務し、点検する」を前提にしている。土曜授業の学校も多いし、この日程なら土日の業務を避けられない。そうだけど、土日があると思えば、気持ち的に楽になるということである。本来は一週間後がいいと思う。しかし、本当に3学期のこの時期は立てこんでいて、本意ではないけど、(土曜休業の高校でも)土曜に出てくることはやむを得ないのではないかということである。(春休みに振り替え休業日を指定する。)入選業務は本来の「校長が超過勤務を命令できる業務」に入っていない。だから拒否できる。だけど、教員も事務職員も入選結果を発表するまで、間違いがないように努力するはずだと思う。そういう学校現場を東京全体でどのように支えていくのか。五輪をやろうとか、尖閣を買おうとか言いだした都政のもとで、教育だけでなく現場が追いつめられてきたということを考えて欲しいのである。
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