尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

谷村新司、犬塚弘、財津一郎他ー2023年10月の訃報①

2023年11月07日 22時11分10秒 | 追悼
 2023年10月の訃報特集。日本の芸能界に訃報が相次いだので、それで1回、その他内外の訃報をまとめて次回に書きたい。どういう順番で書くべきか、人により異見もあるだろう。最初に谷村新司を書くが、これは好きだったという意味ではない。8日死去、74歳。日本だけでなく中国でも大きな影響力を持ち、重要な楽曲を作った人である。1971年12月25日に堀内孝雄と「アリス」を結成。(72年5月に矢沢透が加入。)しかし、長いこと売れなかった。ヒットしたのは「今はもうだれも」(75年)を皮切りに、70年代後半の「冬の稲妻」「チャンピオン」の頃である。その頃、自分は大学時代でラジオやテレビから遠くなっていた。と同時に「アリス」が歌謡曲に近すぎると思っていたのではないかと思う。だからあまり関心がなかったのである。
(谷村新司)
 好きじゃなくても認めざるを得ないのは、78年に山口百恵に提供した「いい日旅立ち」と80年のソロシングル「」。難しい字だが、この歌があるため皆読めるだろう。この2曲は知らずに口ずさんでいることがある。では好きなのかというと、好きじゃないというより、こういう情緒を否定したいと思わせる。何か「日本的情緒」に引きずり込まれる気がしてしまう。「昴」は「我は行く」というんだから、自立的精神を歌い上げる曲にも見える。だが詞全体に大時代な表現が続き、どうもなじめない。それにしても、この曲が何故アジア各国で受けたのか、比較研究が必要だろう。間違いなく名曲なのである。戒名は「天昴院音薫法楽日新居士」だった。「昴」は「ぼう」と音読みすると初めて知った。
(アリス時代の3人)
 「クレージーキャッツ」最後の生存者だった俳優、ベーシストの犬塚弘が26日死去、94歳。僕はこの人の話を聞いている。天国のメンバーに語りかけて涙していた。僕は若い頃「クレージーキャッツ」をバカにして全然見なかった。ドリフターズも飽きてきて、中学生には新進の「コント55号」の面白さが圧倒的だった。だがクレージーキャッツこそヴァラエティ、軽音楽の元祖であり、今では再評価が定着している。犬塚弘はクレージー映画はもちろん、俳優志向が強く多くの映画に出た。植木等、ハナ肇、谷啓に続く「第四の男」として主演映画も作られたが、それよりハナ肇主演の「馬鹿シリーズ」「一発シリーズ」などの助演の方が面白い。山田洋次監督に重用され、15本に出演した。『男はつらいよ奮闘篇』の沼津の警官役が特に記憶にある。
(犬塚弘)
 俳優、コメディアンの財津一郎が14日死去、89歳。ニュースでは「ピアノのCMで知られた」と出ていて、今じゃそういう紹介になるのかと嘆いた。まあ、確かに晩年まで「タケモトピアノ」の「ピアノ売ってチョーダイ!」というコマーシャルが流れていたのも確かだ。まだ存命だったかと確認するCMでもあった。他の紹介は「てなもんや三度笠」。「〜してチョーダィ!」などのギャグで一世を風靡した。62年に吉本興業に入り、64年から吉本新喜劇で活躍したが、69年には退社して東京に活動拠点を移した。喜劇に止まらず多くのテレビ、映画に出たが、では何が代表作かと言われると困るところがある。この前見た『虹をわたって』にも出ていたが、どうしても大げさな演技を期待されてしまい損をした感じ。健康面で2011年以後は活動していなかった。
(財津一郎)
 歌手、俳優のもんたよしのりが18日死去、72歳。本名は「門田頼命」で、読みは「かどた・よしのり」である。1980年に「もんた&ブラザーズ」で歌った「ダンシング・オールナイト」が大ヒット。累計200万枚売れて、これは80年代最大のヒットらしい。その後も歌手、俳優として活動していたが、もう僕は全然知らないのである。だけど、あの曲だけは当時の人は全員知ってるだろう。
(もんたよしのり)
 ロックバンドBUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司が19日死去、57歳。公演中に体調が悪化し、病院に運ばれたが「脳幹出血」のためそのまま死去した。僕はこの人に関しては、そういうグループがあったな程度しか知らない。活躍した時代がズレていて、聞いていないのである。長男が芥川賞作家の遠野遙で、僕はこの人の受賞作『破局』をついこの前読んだばかり。
(櫻井敦司)
鶴橋康夫、7日死去、83歳。ドラマ演出家、映画監督。1962年に読売テレビに入社し、半世紀以上にわたりドラマ演出を手がけた。『かげろうの死』(82、芸術選奨文部大臣新人賞)、『刑事たちの夏』(00,ギャラクシー賞大賞)、『砦なき者』(05、芸術選奨文部科学大臣賞)などが評価され「賞男」と呼ばれた。映画でも『愛の流刑地』『後妻業の女』などを監督した。
古今亭志ん橋、8日死去、79歳。落語家。志ん朝に入門し、82年に真打に昇進した。
有働誠次郎(うどう・せいじろう)、15日死去、92歳。音楽プロデューサー。ウド-音楽事務所創設者。エリック・クラプトン、ボブ・ディランなど数多くの海外アーティストを招へいし、1万回以上の公演を実施した。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『ブラッド・メリディアン』... | トップ | 中塚明、坂中英徳、中利夫、... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
谷村さんしか知りませんでした。 (広い世界は)
2023-11-08 12:01:14
谷村さんは好きでした。妻も深夜ラジオでのファンでした。桃山学院大学中退でしたね。映画の主題歌「黒い瞳の少女」が好きでした。その後は「冬の稲妻」「帰らざる日々」などヒットを飛ばした。「群青」だけは生理的に受け付けなかったです。映画「戦艦大和」の主題歌です。
財津さんは映画「祝辞」が良かったです。「てなもんや三度笠」の名台詞も良かったです。藤田の「口から手突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろか」も好きです。

コメントを投稿

追悼」カテゴリの最新記事