尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画『オッペンハイマー』をどう見るかー栄光と悲劇に迫る傑作

2024年04月16日 22時44分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 2024年のアカデミー賞で作品賞等最多7部門で受賞した話題作『オッペンハイマー』を昨日見た。早く見たかったが、何しろ180分という長尺で、気力体力充実した日じゃないと見に行けない。じゃあ昨日はそういう日だったかというと、そうでもないんだけど完璧に元気な日を待ってたら見逃しちゃうから出掛けたわけである。新聞休刊日で早めに出られたので、IMAXシアターの大迫力で見ることにした。その分高いけど、値段分の価値はあったと思う。しかし、あまりにも長くて久方ぶりに生理的限界でちょっと出ることになった。まあ寝ちゃう映画もあるんだから、それよりマシか。

 この映画は傑作である。それは疑いようがない。だが同時に「複雑な感慨」を催す映画であるのも間違いない。監督のクリストファー・ノーラン(1970~)は脚本、製作も兼ね、この大作映画を見事に統率している。米アカデミー賞の監督賞受賞作である。(『ダンケルク』に続く、二度目のノミネート。)実は僕はノーラン監督作品が苦手で、高く評価された『ダークナイト』『ダンケルク』などもどうも乗れなかった。SF系の『インセプション』『インターステラー』なども今ひとつ。だから前作の『TENET テネット』は見逃してしまったぐらいである。しかし、今回の『オッペンハイマー』は見事な出来映えだ。

 その最大の貢献者はタイトルロールを演じたキリアン・マーフィーだろう。理論物理学者のロバート・オッペンハイマー(1904~1967)は、確かにこんな人物だったのではないかと思わせる。下に本人の写真を載せておくが、驚くほど似ている。米英では実在人物を扱う映画が数多く作られ、高い評価を得ている。近年のアカデミー主演男優賞を見ても、『ウィンストン・チャーチル』のゲイリー・オールドマン、『ボヘミアン・ラプソディ』(フレディ・マーキュリー)のラミ・マレック、『博士と彼女のセオリー』(ホーキング博士)のエディ・レッドメインなど枚挙にいとまない。『ドリーム・プラン』『英国王のスピーチ』『カポーティ』『ミルク』『Ray/レイ』『ガンジー』…。日本ではどうして本格的な評伝映画が作られないのだろうか。
(オッペンハイマー=キリアン・マーフィー)
 キリアン・マーフィー(Cillian Murphy、1976~)って誰だっけという感じだが、アイルランド出身俳優として初のアカデミー賞主演男優賞を得たという。ケン・ローチ監督のカンヌ映画祭パルムドール『麦の穂を揺らす風』で主演していた人である。若き物理学徒の頃から、「赤狩り」の標的にされた時代まで、苦悩し揺れ動くオッペンハイマーを見事に演じている。この映画は描く時代が複雑に前後するので、物理学やマッカーシズム(戦後アメリカに吹き荒れた「赤狩り」)の知識が見る前にあった方がよい。

 映画には著名物理学者がいっぱい出て来る。ニールス・ボーアケネス・ブラナーアインシュタイントム・コンティ(『戦場のメリークリスマス』のローレンス中佐役)が演じている。他にもハイゼンベルクエンリコ・フェルミなど超有名学者が続々と出て来るのも見どころ。時代的には量子力学が登場した頃で、アインシュタインは(映画にも出て来るが)「神はサイコロを振らない」と言って量子力学を認めなかった。オッペンハイマーはアインシュタインは時代に置いて行かれたと思いながら、折に触れて相談している。ブラックホールを予言する研究などをしていたが、当初は特に原子力研究をしていたわけではない。
(オッペンハイマー本人)
 この映画は「広島・長崎の被害を描いていない」と批判的に紹介されたりして、日本公開が延びたと言われる。ただし、この作品のような「アカデミー賞最有力」の下馬評が高い映画は、賞の発表に合わせて公開されたことはあるだろう。だが配給会社が大手ではなく、『PERFECT DAYS』や『ドライブ・マイ・カー』などを配給したビターズ・エンドだったことは、大手は逃げたのかと思う。オッペンハイマーは投下に疑問を呈したが、後は政治の権限だとトルーマン大統領は取り合わない。現場を見てもいないオッペンハイマーを描く映画で、広島・長崎の現場が出て来たらかえっておかしい。

 公開日が同じで世界的に大ヒットした『バービー』とは、賞レースで大きな差が付いた。見れば一目瞭然で、完成度が違う。『バービー』は作者(グレタ・ガーウィグ)のフェミニストとしての世界観が前面に出ている。そこが興味深いけれど、完成度を低くしたのは間違いない。アート作品は社会的、政治的主張をナマに行う場ではない。(ナマで政治的主張をする作品もあってよい。)クリストファー・ノーランがこの映画で被爆者の苦悩に踏み込んだら、作家が「神の位置」に立って世界を上から俯瞰することになる。そういう作品を求めてしまうことで、日本のアートはどれほど貧しくなってきたことだろう。
(ルイス・ストローズ=ロバート・ダウニー・Jr.)
 今までノーラン監督はつい俯瞰的に世界を見てしまうことが多かった。この映画でも主人公が知らない出来事(裏の政治事情)も描かれるが、それらは最小限に止まっている。オッペンハイマー本人に密着して語るが、彼の複雑な生涯を幾つものピースに分け再構成している。見る側はそれを自分で道筋を付け、オッペンハイマーを通して自分の世界観を作らざるを得ない。これはノーランが慎ましく語ったということじゃないと思う。表現は大仰だし、演出もけれんみたっぷり。ただ俯瞰的に描くとあまりにも長大な作品になってしまい、これ以上の情報を詰め込めなかったのではないか。それが逆に功を奏したのである。
(クリストファー・ノーラン監督)
 この映画の原作は、カイ・バード、マーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer)で、ハヤカワ文庫から上中下3巻で出ている。あまりにも長いので読む気はないけれど、2006年にピューリッツァー賞を受賞している。原題にも邦題にもあるように、彼の生涯は「栄光と悲劇」に彩られている。原題の「プロメテウス」とはギリシャ神話で「天界の火を盗んで人類に与えた神」である。それに怒ったゼウスは女性パンドラを地上に送り込み人類に災厄がもたらされた。

 オッペンハイマーは「災厄」を人間界にもたらしてしまったことを悔いて、水爆開発に反対したため原爆開発に成功した「栄光」は失墜する。オッペンハイマーを取り上げた時点で、核兵器の悲惨がテーマになるのである。ただし彼は決して組織者として優れていると評価されていたわけではない。語学にも秀で、芸術にも関心があった。30年代の青年の常としてソ連の社会主義にも強い関心があった。ユダヤ系としてナチスドイツに危機感を持っていた彼を原爆開発(マンハッタン計画)の責任者に抜てきしたのは、米軍としても賭けだった。思わぬことに、そこから組織者としての才能が発揮されたのである。

 原爆開発や「成功」の描写も興味深いが、それ以上に戦時中から張りめぐらされていた、彼をめぐる網の目のような罠の数々が印象的だ。彼は原爆開発でノーベル賞を得られると思っていた。ダイナマイトの発見者ノーベルが創設した賞なんだからと言っている。だが幾重もの秘密に閉ざされた軍事研究では、新発見をしても論文を書けないから受賞は出来ない。現代の日本でも「軍事研究」の是非が問われているが、政治に関わることがいかに恐ろしいかをこの映画がまざまざと示している。それこそが最大の教訓ではないか。原爆の惨禍を見た人類は二度と戦争をしないという彼のナイーブな発想は完全に裏切られてしまったのだ。

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