尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

厚生労働省は分割するべきだ

2019年01月31日 22時24分27秒 | 政治
 厚生労働省は分割するべきだと思う。今回のような「統計不正」問題を起こしたからというわけではない。「省庁再編」が行われた2001年時点から、そう思っていた。まあ書くまでもないと思っていたけれど、この際だから簡単に書いておきたい。省庁再編は大臣ばかり多くても仕方ない、似たような仕事は統合するべきだという「行政改革」の一環で行われた。1998年に橋本内閣で消費税が3%から5%へと増税された。そういう時には「政府も身を切るべきだ」となりやすい。

 2001年1月6日(森内閣)に実施された省庁再編では、「1府22省庁」が「1府12省庁」に改編された。大臣数は19人が18人になった。12省庁にしても、「特命大臣」がけっこう多いので、やはり減らないのである。現在は総理大臣を入れて20人で、東京五輪担当がいるから、一人多い。「復興庁」担当相を含めて、大臣のもとにきちんとした組織があるのは、13人ほどだ。

 あとは何だろうというと、「地方創生担当」「1億総活躍担当」「女性活躍担当」「少子化対策担当」「消費者及び食品安全担当」とか、いろんな特命事項を担当しているのである。兼務ではあるけれど、「マイナンバー制度担当」とか「クールジャパン戦略担当」なんて大臣までいるのだ。そんなの、どこか関連している省庁でやればいいことだろう。「地方創生」とか「1億総活躍」とか、総理が思いつくたびに大臣だけ増えていくのである。そういう大事なことを本気でやるなら、特命大臣を置くだけじゃなくて、ちゃんとしたお役所の組織がいるだろう。
 (厚生労働省が入る合同庁舎)
 「厚生労働省」と言えば、年金、医療制度を担当しているから、国民の最大関心事の担当省である。それに加えて雇用確保や「働き方改革」も担当だから、国民一人ひとりの生活にものすごい影響がある。この20年間ぐらい、国会の議論も厚労省担当のテーマが多かった。それを見るたびに、僕は大臣一人で大丈夫なのか、と思い続けて来た。まあ大臣はすぐに代わるからどうでもよくて、官僚がしっかりしてるから大丈夫なんだなどと言われていたけど、そんなのが真っ赤な嘘だったことは、昨年の財務省、今回の厚労省でよく判る。

 分割すれば良くなるのか。そう言われると、安倍政権に官僚も「忖度」している現状では、「改悪競争」にならないとは言えない。大臣が一人で手が回らないからまだよくて、別の二人の大臣になればそれぞれ「競争」して悪政が暴走するかもしれない。そうなんだけど、そう言っては制度改革の話ができない。一応、大臣も官僚組織も真面目に仕事をすることを前提にすれば、社会福祉行政と労働法制行政は一人では把握不能だと思う。

 歴史を振り返ると、もともと「厚生行政」は旧内務省の担当だった。1938年(昭和13年)に分離して厚生省が誕生した。これは保健衛生、人口政策などが日中戦争下の戦時体制下に進められたことを示している。ナチスドイツでは「国民は健康である義務」があり、その反対に「健康ではない(病気や障害がある)国民」には存在価値がない。そのような「ファシズム的健康観」が厚生省発足に影響している。戦後の1947年になって、労働省が分離する。労働行政は労働組合の合法化で大きく変わったからだ。(その歴史から厚生省と労働省の統合には一定の合理性はあった。)

 ところで「厚生」とは何か。もはや日常語では全く使わない。アメリカでは「保健福祉省」というようだ。韓国でも「保健福祉部」らしい。日常語で判りやすいという意味では、日本でも「保健福祉省」といったネーミングがふさわしいと思う。
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統計不正と「偽装国家日本」

2019年01月30日 21時47分08秒 | 政治
 厚生労働省の「毎月勤労統計」に調査方法の不正があったとして大問題になっている。隠ぺいもうかがわれ、さらに政府の基幹統計各種にも不適切な調査があったなど、問題はどんどん広がっている。こうなると、そもそもいつから問題になっているのか忘れてしまう。ネットで新聞の社説を見てみると、読売新聞は最近のものしか見られないが、朝日新聞は1月11日に「勤労統計不正 速やかな解明が必要だ」、毎日新聞は1月12日に「厚労省の不正統計 どれだけ背信を重ねるのか」という社説を掲載している。その頃から大問題になっていたわけだ。
 (謝罪する根本厚労相=11日)
 どういう問題かは、その社説を引用する方が早い。朝日新聞社説を重要点だけコピーしておく。
 「賃金や労働時間の動向の指標となる毎月勤労統計の調査が、長年にわたって決められた方法通りに行われず、データに誤りがあることがわかった。統計法に基づく政府の基幹統計での信じがたい不正で、行政に対する信頼を揺るがす行為だ。」

 「毎月勤労統計は従業員5人以上の事業所が対象で、500人未満は抽出、500人以上はすべての事業所を調べることになっている。全数調査の対象は全国に5千以上あるが、その約3割を占める東京都で、厚生労働省が抽出した約500事業所しか調査していなかった。」「このルール違反は04年から続いていたという。何らかの事情があったのかもしれないが、ならば調査方法を変更し、対外的に明らかにするのが筋である。自分たちの都合で、勝手にルールを破ることなど許されないのは言うまでもない。」

 「都内の規模の大きな事業所は比較的賃金が高い傾向にある。こうした事業所が一部しか集計に加えられなかったために、賃金のデータは正しく調査した場合より低くなっていたとみられている。」「このデータは、雇用保険や労災保険の給付金の上限などを決めるのにも使われる。調査方法を勝手に変えたことで、本来の給付額より少なくなった人が多数いるという。全容の解明と被害の救済を急がねばならない。」

 まあ大体以上の説明で判ると思う。その後のさらなる展開は最近のニュースを見てれば承知しているだろう。国会も始まって、安倍首相も「見抜けなかった責任を痛感」などと語っているが、これはミスディレクションの意図がある。民主党政権をはさんで不正が行われていたから、「見抜けなかったのは同じだろう」と暗に言いたいわけである。しかし、始まりも発覚も自民党政権なんだから、その本質は自民党政権のあり方にあることは明白だ。

 昨年来、政府が出してくる統計データにいい加減なものが多い。今回も専門家はおかしいと前から指摘していたとも言う。そもそも「抽出」と言ってるけど、真の意味での抽出になってない。アトランダムに抽出していたなら、企業の大小などが平均化され、統計に与える影響も中立になるはずである。それが各種の保険給付額にまで大きな影響があるというのは、「無作為に抽出」したわけではないことを示している。統計結果に影響を与えることを意図して、「抽出」と称して「作為的調査」をしているのである。そうとしか考えられない。

 この問題のそもそもの発端は、小泉政権の「公務員削減政策」にあると思われる。統計関係の職員も大幅に削減されて来たらしい。そういうことの積み重ねで、いい加減な調査が行われてきたのではないか。小泉進次郎氏はいま自民党の厚生労働部会長として厚労省を追求してるが、小泉政権時代にさかのぼって検証する意思があるだろうか。さらに安倍政権が長く続き、あえて政権に都合のいいデータが出るように統計調査を行う事態になったのである。
 (厚労省を追求する小泉進次郎議員)
 しかしこの問題をただ単に政府の問題として済ませるわけにはいかない。この数年間、日本を代表する民間企業多数で、「偽装」「不正」が相次いで発覚した。官民を問わず、日本社会では「不正」が横行している。その一つ一つはそれほど大きなものではないかもしれない。人手が少なかったり、余りにも多忙だったりして、ちょっと手を抜く。仕事ってそういうもんだと教えられる。そうやって少しづつ「不正」に慣らされてゆく。世の中ってそんなものと思ってしまう。それが日本社会の深層を生きるということなんだと思う。
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火打山・妙高山-日本の山①

2019年01月28日 23時01分59秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 新しいことを書きたいなと思った。「新しい」というか「古い」というか。昔感激した本や映画などは、つい書かないことになる。でも、どんどん忘れてしまう前に昔話も書いて残しておきたい。学校時代の話なども書いておきたい。内容は違うけど、昔はよく山へ登っていたから、山の話を時々書いてみたい。写真もものすごく撮りためたけど、それは探し出せないのでネット上で借りることにする。新カテゴリーを作ったので、月に一回、全部で50回ぐらいは書きたい。
 (火打山)
 第一回目に取り上げるのは、新潟県西南部の火打山(ひうちやま、2462m)と妙高山(みょうこうざん、2454m)。近くにあって並んでいるので、一緒に登ることが多い。僕も30年以上前に続けて登った。まだ車を持ってなかったので、縦走にちょうどよかった。想い出の山はたくさんあるけれど、ああまた行ってみたいなあと思うのはそんなに多くない。どこかの山小屋で、誰かがまた妙高に行きたいなあと言ってるを聞いたことがある。僕も同感だったので、時々思い出すのである。

 夫婦で登山をするようになって割と最初の頃だ。初めての山小屋泊りじゃなかったとは思うけど、割と最初の頃だろう。登り始めがきついが、登り切ればとにかく美しいお花畑が印象的だった。ロープウェイなんかはないけど、まあものすごく難物の山ではない。車で行ってすぐ山頂というほど簡単でもない。特徴的な山小屋と山上の楽園、下りて来れば温泉、と日本の山の魅力が詰め込まれている。今はなくなってしまった休暇村の笹ヶ峰ヒュッテに泊って、翌朝から急登を頑張ると、高谷池(こうやいけ)ヒュッテが現れる。けっこうきついから、今の心肺だともう無理かな。
 (高谷池ヒュッテ)
 ここは本当に美しくて、湿原の花々を見ながら快適なお昼。なんか持ってって作ったと思う。そして荷物を置いて火打山登頂。小屋から1時間半ちょっと。荷物を下ろしているから、かなり気楽。山頂から高谷池に戻って、小一時間歩けば今度は黒沢池ヒュッテ。ここは不思議な形の山小屋で有名である。丸いというか、八角形というか。しかも2階の寝る部屋は中央に向かって傾斜してたと思う。夕食も出るから、小屋でゆっくり休んで一日終わり。
 (黒沢池ヒュッテ)
 地図のコースタイムを見ると、黒沢池ヒュッテから2時間半ぐらいで妙高山頂に着く。でも正直あんまり覚えてないのは、一日目の印象がすごく強かったからだろう。高谷池から黒沢池にかけてはあまり起伏もなく、山上の楽園をノンビリ歩くという感じ。その素晴らしさが特に強い想い出である。妙高山から燕(つばめ)温泉に下りて一泊。前後泊合わせて3日もかけたけれど、それだけの価値があった。もう温泉もよく覚えていない。下山後の温泉はうれしいけど、山が素晴らしいと温泉を忘れてしまう。新潟県妙高高原町の日本百名山連続登山だった。
 (妙高山)
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フィリピンのキドラック・タヒミック監督

2019年01月27日 20時55分22秒 |  〃 (世界の映画監督)
 見てからだと遅くなるので、フィリピンキドラック・タヒミック監督の紹介。東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムでキドラック・タヒミック監督(1942~)の特集上映が始まった。(2月22日まで。)今ではフィリピンには、ラブ・ディアスブリランテ・メンドーサなどの世界的巨匠がいるが、僕が初めて見たフィリピン映画は、タヒミックの「悪夢の香り」だった。
 (キドラック・タヒミック)
 1982年に国際交流基金(当時)が最初の映画事業として、南アジアの映画をまとめて紹介したことがある。以後、アジアやアフリカ、イスラム圏の映画を続々と紹介してくれてありがたかった。最初はタイ映画「田舎の先生」やインドのアラヴィンダン「魔法使いのおじいさん」など印象深い映画が含まれていた。その中に一本だけ、非常に独特な個人映画としてタヒミックの「悪夢の香り」が選ばれていた。アメリカでの配給権をフランシス・フォード・コッポラが獲得したという映画である。

 最近ジョナス・メカスの訃報が伝えられた。映画会社ではなく、個人で映画を撮り続けたアメリカの映像作家である。映画製作はお金がかかるので、本格的な映画は会社が製作したものが圧倒的に多い。今はデジタルカメラになり、多くの人が個人で映画を撮ることもできる。日本でも「カメラを止めるな!」が300万で作られたと話題になったが、それでも300万はかかるのでそう安くはない。そんな映画をテーマ的にも妥協せず、個人で映画を取り続けた人が世界には何人かいる。アジアで代表的な人が、このフィリピンのキドラック・タヒミック監督なのである。

 「悪夢の香り」(1977)は独特なポップな感性で、宇宙飛行士に憧れるフィリピン青年を描いていた。自分を主人公にしたパーソナル・フィルムであり、エッセイ的な映画と言える。以後、時々タヒミックはどうしているんだろうと思ったけれど、その間「制作期間35年」という「現実とファンタジーの境界を超えた」映画を撮り続けていた。それが2015年のベルリン映画祭でカリガリ賞を受賞した「500年の航海」というマゼランの映画である。まさにマゼランの航海から500年、侵略された側のフィリピンから世界史を描き出すのが「500年の航海」だ。
 (「500年の航海」)
 この間に作られた多くの映画も上映される。3時間近くに渡り子どもたちの成長を追う「虹のアルバム」、フィリピンの武器だったというヨーヨーを描く「月でヨーヨー」、竹を通してフィリピンと日本を描く「竹寺モナムール」、ふんどしの考察「フィリピンふんどし 日本の夏」など、劇映画ではなく「個人的観察」をエッセイ的に作り続けたタヒミックの面目を示すような映画ばかりだ。映画ファンというより東南アジアに関心がある人向けなのかもしれない。一応紹介しておく次第。
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北方領土問題ー第二次大戦を直視できないロシアと日本

2019年01月26日 22時30分24秒 |  〃 (歴史・地理)
 せっかく病気も治って書きたくてたまらないのに、今度はパソコンが不調でなかなか書けない。日ロ首脳会談前に北方領土問題を書こうと思って途中まで書いていた。現実には交渉は厳しく進展が難しい印象だが、やはり一度まとめておきたいと思う。(かつて尖閣諸島や竹島が問題化したころ、北方領土についても書いた。もう6、7年も前の記事で今回は読み直していない。かなり長く書いた記憶があるが、わざわざ読み直さなくてもいいかなと思う。)

 安倍政権は日ロ平和条約交渉を加速させ、ロシアとの関係改善を目指している。その方針自体は正しいだろう。日本もロシアも米中を見据えたとき、相互の関係強化の持つ戦略的価値は非常に大きい。しかし、そのためには「国境線の画定」、つまりは日本側の言う「北方領土」問題をどのように解決するかが焦点になる。その問題に対して様々な考え方があるだろうが、あまり意識されてない歴史を指摘しておきたい。

 さてロシアのラブロフ外相が盛んに「日本は第二次大戦の結果を承認せよ」的な発言を行っている。これに対して日本政府は、きちんと反論できていない。僕が思うに、ロシアも日本も第二次世界大戦を直視できていない。ロシア当局には「誤解」がある。日本が第二次大戦の結果を承認しているから、「北方領土問題」があるのである。もし日本が大戦の結果を認めてないのなら、「南樺太」と「千島列島全体」の返還を要求するはずである。

 ところで「第二次世界大戦」とは何だろうか。細かく書けば長くなりすぎるけど、宣戦布告もなしに大陸で残虐行為を繰り返した中国戦線、日本が宣戦布告して英米蘭の植民地に侵略した東南アジア、太平洋戦線。そして、中立条約を侵犯して「戦争終了後」に攻略された「千島・樺太戦線」では、それぞれ性格がまったく異なる。ラブロフ外相は日本とナチスドイツを同一視しているのだと思うが、日本とソ連の戦争に関してはソ連が加害者日本が被害者の側である。

 今書いた中で、「中立条約を侵犯」と書いた。1941年4月に締結された日ソ中立条約は有効期間が5年間だった。だから19945年8月のソ連軍侵攻は中立条約違反になるわけだが、僕はこの問題はあまり重視していない。日本側も2か月後の独ソ戦開始時には、「関東軍特種演習」と称して対ソ戦準備を公然と進めた。ソ連は「延長しない通告」を一年前に行っていて、だからいいとも言えないだろうが、日本もそうそう強く出られない問題だと思う。

 日本は1945年8月14日に、連合国に対してポツダム宣言の受諾を通告した。ポツダム宣言は英米中の名で発せられたが、ソ連の参戦以後にソ連も加わっている。ソ連は単独で戦っているのではなく、「連合国軍」の一員という立場である。8月15日に天皇の名で「終戦の詔勅」が発せられ、日本軍は連合国軍に降伏する。だから8月15日以後、アメリカ軍の空襲はなくなる。15日未明にはあったのである。それが「敗戦」であり「第二次大戦の結果」というもんだろう。

 ところが当時のソ連軍が千島列島を攻略するのは、8月16日以後なのである。そんなバカなことがあるのか。あっていいのだろうか。最北の占守(シュムシュ)島が攻撃されたのが8月18日のことである。日本軍は応戦し21日の停戦までに多くの死傷者を出した。ソ連軍は南樺太を28日までに制圧し、その後29日に択捉島9月1日に国後島、色丹島を制圧した。歯舞諸島に至っては、降伏文書調印後の9月5日に占領されている。これが「第二次大戦の結果」の真実である。
 (色丹島)
 日本はサンフランシスコ平和条約で、戦争で獲得した領土を放棄した。それは今さら変えられない現実で、南樺太の放棄は当然だ。それこそ「第二次大戦の結果」を日本人が受け入れているのだ。一方、千島列島は平和的に獲得した地域だが、それも条約により放棄した。ただし「千島列島の範囲」が問題になる。歴史上択捉島以南の南千島は日本以外の国家に属したことがないから当然である。日本はロシアに対し、ソ連軍の行為を問うべきだが、中国や韓国に対して「歴史を直視」できない安倍政権には、ロシアにも要求できないのだろう。
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大傑作「カササギ殺人事件」

2019年01月24日 22時50分32秒 | 〃 (ミステリー)
 長大な「幕末維新変革史」を読み終わってから、ようやくミステリー三昧。ごひいきのマイクル・コナリーの新作「贖罪の街」、いまや文庫に入らないと読まないジェフリー・ディーヴァー「スキン・コレクター」、続いて「ミレニアム」シリーズの4部、5部。全部上下2巻、合計8冊を読みふけった。いよいよアンソニー・ホロヴィッツカササギ殺人事件」(創元推理文庫)に取り掛かったが、この巧緻な作品の下巻の半ばでインフルエンザにより中断してしまい、ようやく読み終わった。

 年末の各種ミステリーランキングで1位を獲得し、ミステリーファン以外にも読まれている。よく練られた構成と圧倒的な独創性で、ものすごく面白い。確かに近年になく本格的な「フーダニット」(犯人探し)の大傑作だ。しかも、古風な英国田園ミステリーでありつつ、現代風メタ・ミステリ-でもある。なにより「謎を追う楽しみ」に満ちている。ジャンル小説を読む楽しみである。

 「カササギ殺人事件」って言うけど、それはこの本の中で出版予定の小説の名前である。アラン・コンウェイの「アティカス・ピュント」シリーズの第9作。ポアロにも匹敵する大人気シリーズ? そんなものは知らないのも道理。それはこの本の創作で、語り手はそのシリーズ編集者のスーザン・ライランド。新作を持って帰ってさっそく読み始めたけど、この本が運命を変えてしまった。

 劇中の「カササギ殺人事件」はいかにも昔風の英国推理小説で、なかなかよく出来ている。1955年サマセット州、広大な屋敷に住む貴族一家、謎のありそうな村人たち。屋敷の家政婦が階段から転落死しているのが見つかり、村では噂が広がってゆく。別の事件も発生し、ついにアティカス・ピュントが警察に協力することになる。アティカスはドイツ生まれのユダヤ人で、ホロコーストを一人生き延びた。戦後にイギリスに来て多くの事件解決したと言われる。

 いかにも昔風の設定で、イマドキこんな小説があるかとも思うが、いろんな人物の出し入れが上手で飽きない。怪しげな人物、秘密を抱えた人間はどこにもいる。平時には隠れているが、いったん事件が起きれば村人たちの「心の闇」があぶり出される。でもどうも犯人が判らないまま上巻は終わりに近づく…。そして下巻になると、話が全然違ってしまうのだ。最後の真相部分が見つからないまま、下巻では著者のアラン・コンウェイが死んでしまうのだ。

 下巻では「わたし」が真相を求めて、さまざまな人に会い続ける…。しかし、現実(小説内での「現実」)も小説(小説内での「小説」)も、真相にたどり着くんだろうか。と思うと、すべての伏線を完全に解決するラストが待っている。世の中は複雑で、あまりにも多くの不要な伏線(怪しいように思える行動)がある。作者の置いた「躓きの石」が実にうまくて、あちこち引きずり回される。

 アンソニー・ホロヴィッツ(1955~)はずいぶんたくさん書いてきたらしい。「女王陛下の少年スパイ!」などの若者向けシリーズで評価され、テレビのポワロシリーズなどの脚本も手掛けた。コナン・ドイル財団やイアン・フレミング財団公認の続編も書いている。つまり実に器用な人物だから、、いろいろと使われて、出版界やテレビ界を見て来たんだろう。この小説が初めての本格長編で、構想15年とある。中に「トリックの盗作」問題が出てきて、凡作が盗作により見事に化けるシーンがある。シロウトの凡作を見事に書いてしまうなど達者すぎる腕だ。
 (カササギ)
 なおカササギ(magpie、マグパイ)はカラスの一種で、ユーラシア大陸に広く分布している。朝鮮半島では昔から珍重されてきたが、日本にはあまりいない。佐賀県の県鳥だが、東京にはいないのでよく知らない。欧米では「おしゃべり好き」の意味があるという。あるいは「黒白まだら模様」とも。なかなか考えられたタイトルだ。しかし、パイ屋敷のサー・マグナス・パイなんてのは現実にはない名前なんだろうと思う。
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インフルエンザに罹った(追加)

2019年01月23日 17時54分39秒 | 自分の話&日記
 先週半ばからセキをしていて、寒いから風邪ひいたかなと思った。まあ年に一回ぐらいはあることだ。土日も出掛けたかったけど、まあ休むかな。その時点ではテレビでスポーツでも見て、ミステリーでもノンビリ読むかと甘く考えていた。ちなみに素晴らしく面白い「カササギ殺人事件」の下巻の半分あたりを読んでいた。土日はとても本を読めずにそのままになっている。

 金曜夜はまだ危機感が足りず、11時まで本を読んでいた。もう限界だと思って寝たんだけど、その後時々トイレに起きたりしたけど、結局土曜の午後1時まで寝てしまった。体温を測ると、38度5分もあった。ええっ、という感じで、日曜も下がらなかったから、これはインフルエンザかなと思うしかない。月曜になって医者に行ったら、やはりインフルエンザだった。しかし、今日は37度台に下がっていて、もう最悪期は通り過ぎている。まだセキやタンはあるけど、もう少しだろう。

 インフルエンザにはもちろん何回か罹っているけど、最近はなかった。21世紀初かも。世の中では大流行しているらしいから、どこかでウィルスを貰って来るのもやむを得ない。やっとパソコンを見られるようになり、最近記事を書いてない報告。ちゃんと書きだすにはもう少しかかると思うが、ようやくこの程度を書けるようになった。

追加
 月曜に医者に行き、体温も下がったいたから、ちょっと油断してしまった。夜にあったアジアカップ(サウジアラビア戦)も緊迫してたから、ついずっと見てしまった。火曜日になってまた熱が上がって、38度台になってしまった。インフルエンザだからいつか治るはずだが、甘く見るとこうなる。解熱剤も貰ってあったから、服用したら熱も下がって、これで大丈夫かなと思う。

 インフルエンザだから、よくある風邪の諸症状がある。今回は風邪としてはかなり軽い方で、のどの痛みや節々の痛みなどはあまりなかった。じゃあ、寝てればいいだけだろうという感じだが、それがそうでもない。何日も寝てると、腰や首が痛くなって寝がえりを打つのも辛いのである。

 若いころは一日中寝てても大丈夫だった。「一日中寝てる」というのは、要するに「ダラダラして過ごす」ということである。もちろん人生すべてをダラダラするわけにはいかない。でも学生時代なら、たまにはそんなこともできる。寝ながら本を読んでられれば、それが一番楽しいなと思ってたもんだ。若い時は、歳を取ると寝てても疲れるんだなどとは想像もしなかったのである。

 当初は全然食欲がなかった。お粥を煮たり、リンゴをすり下ろしたり、ゼリーを買っ来てくれる人がいて、本当に良かった。こういう時にそう思う。やはり「同居人」は大切だな。必ずしも異性(または同性)の配偶者じゃなくてもいいと思うけど。「助け合い同居人」という制度も大事だと思う。今だと法的な関係がないと、手術への同意などができない。ちゃんと法的な整備を考えて見るべきだ。
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実名でブログを書くこと-開設8年目に向けて

2019年01月17日 23時35分54秒 | 自分の話&日記
 今まで新年に「年頭所感」のようなものを書く年が多かった。今年は書いてないので、ここで「このブログについて」をテーマにして簡単に書いてみたい。2011年2月にブログを開設した時は「尾形修一の教員免許更新制反対日記」だった。5年経ったころに「紫陽花通信」に変更した。「紫陽花通信」の由来は、年末に書いた「見田宗介『現代社会はどこに向かうか』を読む」に書いたので、今回はその前の名前部分について書いておきたいなと思う。

 ブログを始めた時は、まさか一カ月後に東日本大震災が起こるとは全く予想もしてなかった。この大震災は僕の人生も大きく変えたけれど、ともかくそれ以来ほとんど7年間毎日のように何か書いてきた。昔は勢いに任せて一日に2回書いたりする日もあった。今読み返すと、なんでこんなに長く書いてるんだろうと思う記事が多い。時たま見直して校正することもある。昔の記事でもう賞味期限が切れたものは「下書き」にして読めなくすることもある。(いまさら民主党政権時の内閣改造とか、その後の衆院選、参院選の情勢分析なんて関心がある人もいないだろう。)

 どうしても時事問題で書くと、時間が経つと何が問題なのかも自分でつかめなくなる。日々のニュースを見て、いろいろと感じ考えているんだけど、今はいちいち反応しないようになってきた。(国内ニュースに比べて国際ニュースは賞味期限が長い気がする。)この間いろんな記事を書いてきたので、一日二日記事を書かなくても、昔の記事が読まれることが多い。最近ではベラ・チャスラフスカの記事が突然読まれれていたけど、これは池上彰氏のテレビ番組があったからだろう。最近西加奈子「サラバ!」の記事が読まれているけど、そのきっかけは判らない。

 最初は誰も知らないから、当然ブログの順位なんてものも出ていなかった。身近な人が見つけやすいようにと言う意味で、「尾形修一」と実名を付けたのである。教員免許更新講習を受けずに、2011年度をもって退職してしまったので、その後の自分が何を考え何をしているのかを示すのは一種の義務だとも思っていた。かつての生徒がこのブログを探すには、名前を付けておくのが最善だろう。実名で書かない限り、探しようもない。長く教員をしていたから、自分の名前で検索されるのは予想できる。最近は趣味的だったり、歴史の話をけっこう難しく書くようになってきた。でも当初は昔の生徒に向けて書いている意識が強かった。

 ネット上で匿名、あるいはペンネームなどで発言するのはもちろん構わない。誹謗中傷的な発言が許されないのは、匿名だろうが実名だろうが同じである。でも、きちんとした批判なら、匿名でも構わないだろう。だから、僕が実名を付けているのは、「発言に責任を示す」という意味じゃない。もともと僕は何回か、自分が責任者となって集会を開いたことも何度もある。だから実名は前から社会に公開しているようなものだ。今さら選挙に出るじゃなし、名前を売るつもりもないけど。

 僕がやってるgooのブログは全部で285万ぐらいあるらしい。ちょっと前は300万を超えていたので、ブログのブームも落ちついているんだろう。でもツイッターは短すぎるし、インスタグラムで写真を投稿するのもめんどくさい。だから僕は今のところ、Facebookブログである。Facebookに連動した「いいね」なんて、自分が頑張って書いた記事には少ないことが多い。今では大体千番以内、最近は500番以内の順位の日が多いから、もう僕の知らない人が読んでくれているんだと思う。

 その意味では名前を取ってしまってもいいんだけど、去年だけでもずいぶん昔の生徒から連絡をもらった。最近はブログ経由より、FacebookのMessenger経由が多いけど。(ちなみに僕は自分が知っている人からの友達リクエストはすぐにOKしている。知らない人からリクエストは、相手を調べてからにしているけれど。)何をしているのかなと思っている昔の生徒はまだまだいるので、しばらくはこの名前のままで行こうかなと思っている。
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映画「蜘蛛の巣を払う女」ー「ミレニアム」原作と映画③

2019年01月15日 21時17分41秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ミレニアム」シリーズ第4部を映画化した「蜘蛛の巣を払う女」。まあそこそこ楽しめるアクション映画になっていた。そのレヴェルだと普段は書かないけど、今回は「リスベット女優」の話をしたいから書いておく。映画そのものは大きく改変されているので、原作とは別物と言うべきだろう。

 映画化(あるいは舞台化などの二次利用一般)では、原作を改変することがある。それはやむを得ないことだ。原作があまりにも長大だったら短くするしかない。あるいは商業的配慮で最後をハッピーエンドにするとか、シリアス作品では原作への批評の意味で変えることもある。しかし「検察側の罪人」では原作の設定が完全に正反対になっている。映画としては非常に面白く出来ていて、俳優も熱演していたけれど、ここまで原作の意図をひっくり返していいのだろうかと思ったりする。

 それは「蜘蛛の巣を払う女」にも言えて、ハリウッド映画だから当然のこととして原作の持つリベラル精神はほとんどない。原作ではアメリカの監視社会化も問われているけど、映画ではそもそもの設定が「核兵器の発射システム」なるものに変更されている。そんなものが流出しては大変だし、特にロシア系の犯罪組織に渡ったりしてはまずい。アメリカも含め現代文明を考察している原作から、映画は単なるロシア系テロ組織との戦いに変えている。そういう風に変わるわけである。

 それにしても狙われるフランス・バルデル教授の息子アウグストがしゃべっているのには驚いた。原作では重い自閉症で会話ができないことが非常に重要な意味を持っていた。この脚本を書いたのはスティーヴン・ナイトで、多くの映画で脚本を書いている。小説家、映画監督もしているらしいが、「イースタン・プロミス」「マダム・マロニーと魔法のスパイス」「マリアンヌ」などを書いた人である。監督は「死霊のはらわた」「ドント・プリーズ」のフェデ・アルバレス

 ところで今回のリスベット・サランデル役はクレア・フォイ(1984~という女優がやっている。テレビドラマの出演が多かったようで、僕は初めて。しかし、リスベットは小柄という設定なので、その意味では大柄すぎる感じがする。双子の妹カミラはシルヴィア・フークスがやってる。「鑑定士と顔のない依頼人」で謎の依頼人クレアをやってた人で、本当はもっと美人だと思うけど、この映画ではなんだか変顔をしてる。カミラが超絶美人で、リスベットは容貌に恵まれないというのが原作なんだけど、映画ではそこまで違いがない感じ。
 (クレア・フォイ)
 リスベットは非社会的で、付き合いづらいタイプである。この映画では一人で「スーパーヒーロー」をやってるけど、それも原作とは違う。もっと不可思議なタイプだと思うが、ハリウッド映画では判りやすいタイプになってしまう。その意味ではスウェーデンで映画化されたとき、最初にリスベットを演じたノオミ・ラパス(1979~)が一番ムードが近いように思う。「ドラゴン・タトゥーの女」一本で、ノオミ・ラパスは世界で活躍する大スターになった。そのぐらいのインパクトがあった。写真を見ると、普通に美人だけど、映画では発達障害っぽい演技に迫力があった。
 (ノオミ・ラパス)
 ハリウッド版「ドラゴン・タトゥーの女」ではルーニー・マーラ(1985~)がリスベットを演じた。これで彼女はアカデミー賞にノミネートされ、その後は「キャロル」でカンヌ映画祭女優賞を得るなど大活躍している。演技的には良かったと思うけど、リスベットのイメージとしては上品すぎたかなと思う。まあだんだんリスベットがスーパー化しているのは原作も同じだ。でも超人とは違う「変人」さがリスベットの魅力である。どうも今回のクレア・フォイも「変人」性が薄いと思うが、そうじゃないとハリウッドで受けないということだろう。
 (ルーニー・マーラ)
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「ミレニアム」の志を継ぐもの-「ミレニアム」原作と映画②

2019年01月14日 22時31分46秒 | 〃 (ミステリー)
 「ミレニアム」シリーズの題名になっている「ミレニアム」とは何か? それは、主人公ミカエル・ブルムクヴィストとその友人(長年の愛人でもある)エリカ・ベルジュが創刊した、硬派の社会派雑誌の名前なのである。彼らは長年、極右政治家や移民排斥論者、悪徳財界人や児童虐待、性差別などを鋭く追及した調査報道型の季刊雑誌を作ってきた。そんな雑誌があるなんて、スウェーデンの出版事情は日本よりも素晴らしいのか。いや、もちろんそんなことはないだろう。ジャーナリストだったスティーグ・ラーソンにとって、自分の夢のような雑誌を創作の中で作ったのだろう。

 「ミレニアム」シリーズを支える価値観は、徹頭徹尾、確信的リベラルである。ミカエルは、社民党(スウェーデンの福祉社会を作った党)を支持しているわけではない。大体、選挙にも行かないくらいである。でも、あらゆる社会悪の看視者である。「ミレニアム」の世界は、完全に人権活動家の世界である。日本では、週刊新潮、週刊文春に代表される右派的週刊誌が影響力を持っている。それらの雑誌は「人権活動家」を批判するスタンスの記事が多い。スキャンダルを暴露する点では似ていても、背景にある価値観が「ミレニアム」とは全く違うのである。

 スウェーデン社会に巣食うナチやネオナチへの敵対心。東欧やロシアから連れてこられる、人身売買に対する危機感子どもや女性への暴力に対する深い嫌悪感。同性愛やアジア系移民へのヘイトクライム(憎悪犯罪)に対する闘争心。「ミレニアム」編集部に満ちている精神は、そういったものだ。そういう世界観に共感できる人は、ふだんミステリーを読まない人でも、是非「ミレニアム」シリーズは読んで欲しい。「ミレニアム」の世界に隅から隅まで浸ることは快感だ。

 そのようなシリーズを引き継ぐことは大きなプレッシャーだろう。第4部「蜘蛛の巣を払う女」を書くに際して、ダヴィド・ラーゲルクランツがいかに困難な試みを引き受けたのか、訳者あとがきにくわしい。著者はもともと伝記執筆に実績があり、サッカー選手を描いた「I AM ZLATAN ズラタン・イブラヒモヴィッチ自伝」は翻訳もある。引き受けた結果はほぼ満足できる成果を挙げていて、世界的にもベストセラーになった。ただ、どうしても「続編」をうまく仕上げることに主眼が置かれているので、各種ミステリーでは高く評価されなかった。でもよく出来ている。

 第4部冒頭で「ミカエル・ブルムクヴィストの時代は終わった」なるコラムが評判になっているという。雑誌「ミレニアム」も危機にあるのである。世界各地と同じく、硬派の活字媒体は苦戦している。そんな中で、世界的な人工知能(AI)の権威、スウェーデンを代表する学者であるフランス・バルデルが自閉症の子どもを引き取るためにアメリカから帰国する。そのバルデル教授に迫る危険とは何か。このように「人工知能」や「世界的な監視社会」が問題になっている。NSA(アメリカ国家安全保障局)の情報をハッキングしたことから、リスベット・サランデルも関わってくる。 

 そこから解決していないリスベットの伏線が浮上する。一つはリスベットがハッカーとしてなぜ「ワスプ=wasp=スズメバチ」の名前を使うのか。これをアメリカン・コミック(マーベル・コミック)のキャラクターと関連付けて語る著者の鮮やかな手さばきは見事だ。多分ラーソンもそのように設定していたのだろう。またリスベットの双子の妹カミラが父の犯罪組織を受け継いだとしてロシアから出現する。シリーズ第2期の宿敵登場である。世界各地を描き分けながら、ラーソン三部作と同じく「女性と子どもに対する暴力」と闘い続ける。ミレニアムの志は見事に継承されている。

 第4部で印象的なのは、言葉を発せない自閉症児アウグストである。そこに潜んでいた天才が明らかになる時、世界が違って見えてくる。一方第5部「復讐の炎を吐く女」ではイスラム過激派に幽閉される女性、ファリア・カジが忘れられない。バングラディシュから移住してきたカジ一家は、ファリアの兄たちが過激な教義を抱き、犯罪が起こってファリアは刑務所に送られる。一方リスベットも第4部の出来事が形式的な罪に問われて短い刑期だが刑務所に送られた。そこで迫害されているファリアを知り、獄中で不可能なはずのファリア救出に取り掛かる。 
 
 一方またまたリスベットの過去をめぐって国家の黒い陰謀がうごめき始める。常にリスベットの味方だった元後見人の弁護士、今は自分で動くこともままならないホルゲル・パルムグレンまでが襲われてしまう。リスベットの過去にはまだ秘密があったのか。ここでリスベットの代名詞でもある「ドラゴンタトゥー」の意味が明かされる。これもなるほどという感じ。第5部では「双子の研究」をめぐる「優性思想」が大きく問われている。女性と子どもの人権を問う時、歴史の中に残る優性思想との対決は避けられない。その意味で日本でもこのミステリーは意味を持っている。 

 現代のミステリーだから、暴力もセックスもいっぱいだ。苦手な人もいるかもしれないが、現実にある暴力から目を背けてはいけない。リスベットの二卵性双生児であるカミラは第5部では解決しないから、2019年に刊行されるという第6部につながるんだろう。それはともかく、ミカエルがモテすぎるのはどうかなと思わないでもない。彼は離婚して子どもが一人いるという設定なので、誰とつきあっても問題はない。でも、ちょっとモテ過ぎだよなあ。
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スウェーデンの傑作ミステリー「ミレニアム」、原作と映画①

2019年01月13日 22時19分47秒 | 〃 (ミステリー)
 スウェーデンのスティーグ・ラーソン著「ミレニアム」三部作が本国で刊行されたのは、2005年から2008年だった。日本では2008年から2009年にかけて翻訳が刊行され、大評判になった。映画もスウェーデンで作られてヒットし、ハリウッドでリメイクされた。ところで、著者のスティーグ・ラーソン(1954~2004)は本職の作家ではなく、社会派ジャーナリストだった。一人でひそかにミステリー小説を書き溜めていて、なんと刊行前に亡くなってしまったのだ。全世界で8900部を突破したという「ミレニアム」シリーズの大成功を見られなかったのである。
 (ハヤカワ文庫の「ミレニアム1上」)
 ラーソンは本来10部作まで書くつもりで、第4部は途中までパソコンに残っていたと言われる。物語としては一応三部で完結したが、回収されていない伏線が多数残されている。そこでダヴィド・ラーゲルクランツ(1962~)というジャーナリスト出身の作家が続編を書くことになった。第4部「蜘蛛の巣を払う女」が2015年に刊行され、2017年に第5部「復讐の炎を吐く女」も刊行された。続編は好評を以て迎えられ、ハリウッドで「蜘蛛の巣を払う女」が映画化された。(今公開中)
 (スティーグ・ラーソン)
 僕は久しぶりに「ミレニアム」世界に浸っている。まず続編をハヤカワ文庫で読んでいる。映画「蜘蛛の巣を払う女」も見てみたい。今までに映画化された4本はすべて見ているので。この大河小説は最初から読まないと面白くないので、前の三部作を振り返っておきたい。三部作というのは、「ドラゴン・タトゥーの女」「火と戯れる女」「眠れる女と狂卓の騎士」で、すべて上下巻。最初は単行本で読んだんだけど、この6冊を合わせると合計で2698頁にもなった。

 前の映画と本を比べれば本の方が圧倒的に面白いと思う。映画も面白くないわけではないが、時間を短くするためにカットされた場面が多い。このシリーズは、ちょっとしか登場しない人物もよく書き込まれている。そういう人物が映画ではほとんどカット、ないしは改変されている。例えば、ある写真を見つけ、そこから「もう一つの写真を撮った素人カメラマン」がいると想定して、スウェーデンの北に探しに行く場面。映画ではすぐ見つかるように描かれているが、小説ではずいぶん苦労してようやく探し出す。小説での苦労の描写は単なる横道ではなく、スウェーデン社会の変化や人生の諸相を垣間見させる場面にもなっている。

 このシリーズの素晴らしいところは、ミステリーの各ジャンルの魅力が散りばめられた、ジャンル・ミックスのミステリーであること。無理に展開するのではなく、設定からくる「絶対書きたいこと」の要請で、自然に各ジャンルを越境していく。この小説的快楽。本格(謎解き)から、社会派(スウェーデン財閥の裏事情)へ。歴史ミステリーからサイコ・サスペンスへ。冒険小説から、スパイ・謀略小説へ。犯罪小説から、警察小説へ、そして法廷ミステリーへ。そして、ベースは「民間人探偵」が「歴史の闇」「国家の罠」に挑み、自らの誇りを掛けて闘うハードボイルドの心だ。

 この小説には、ミカエル・ブルムクヴィストリスベット・サランデルという二人の主人公がいる。二つの焦点を持つ「楕円の構造」こそが、「ミレニアム」の魅力である。謎の女調査員天才的ハッカーにして、誰とも打ち解けない、身長150cmの、ピアスとタトゥーに覆われた女性。複雑な生育歴があるかに描写される、謎多き女性リスベット・サランデル。この女性像こそ、今までのどの小説にも書かれていない新しい人間像である。「アンナ・カレーニナ」や「ボヴァリー夫人」のように、時代の典型の女性として、いずれ多くの人が論文を書くことだろう。
 (映画「ドラゴンタトゥーの女」のリスベット)
 リスベットとは一体何者か。その反社会的とも見える「偏屈」な非社交性は一体何によるものなのか?被虐待の生育歴からくる人間不信か? 統合失調症による精神的な病か? アスペルガー障害による発達障害か? それとも、人格障害か、性格の歪みなのか、単なる自己防衛か? この小説の基本設定が、いかにも当世風である。発達した福祉大国と思われている北欧諸国でも、人間の心の闇という難問に直面しているのである。リスベットの裏に潜む謎は、意外なほど大きかった。スウェーデン戦後史を書き換えるほどの陰謀が絡んでいたとは…。

 謎を追う探偵役がミカエル。つまり、名探偵カッレ君である。若き日にある事件を解決に導き、マスコミから名探偵カッレと命名され、今は硬派のジャーナリストである。ミカエルは、旧約聖書の大天使ミカエルから付けられたもので、ヨーロッパ各地に多い名前だ。英語でマイケル、ドイツ語はミヒャエル、フランス語はミシェル。愛称は、英語ではマイクとかミックとか…。つまり、マイケル・ジャクソンミック・ジャガーミハイル・ゴルバチョフミヒャエル・エンデは同じ名前である。ミカエルの、スウェーデンでの愛称の一つが、カッレということである。

 名探偵カッレというのは、スウェーデン国民が敬愛する児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの有名な主人公である。物語の中で、本人がいやがるあだ名として「カッレ君」が使われているが、それこそがミカエルが「探偵」役であることを示している。アストリッド・リンドグレーンの世界、スウェーデン人なら誰でも知ってる文学的な構図が、「ミレニアム」世界の枠組みに利用されている。となれば、女主人公たるリスベットとは誰か? 言うまでもなく、「世界でいちばん力持ちの少女」ピッピちゃんである。物語の中でも、そのように言及されている。この物語は大人になって本当の悪に立ち向かって行く、カッレ君とピッピちゃんの物語なのである。

 さて題名の「ミレニアム」とは何かという問題があるが、長くなったのでそれは次回に回したい。そして「ミレニアム」三部作の問題意識が続編にどのように継承されているか。ミステリーだけど「社会的問題意識」で書かれているシリーズなので、そこが大切になってくるのである。
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大中恩、大田堯、宮川ひろ、藤間生大等-2018年12月の訃報

2019年01月11日 23時09分17秒 | 追悼
 2018年12月は比較的大きな訃報が少なかった。年末年始に公表されなかった訃報もあっただろうと思ってたけど、今のところ報じられていない。2カ月まとめてもいいんだけど、年をまたいでしまうので書いておくことにしたい。12月は「子ども」に関わる訃報が多かった。まず一番知名度が高いかと思うのが、作曲家の大中恩(おおなか・めぐみ)。12月3日没、94歳。多くの合唱曲や校歌を作っているが、何といっても童謡である。その中でも「サッちゃん」(1959年)、「犬のおまわりさん」(1960年)の2曲。誰でも歌える名曲だ。父親は「椰子の実」の作曲者大中寅二。
 (大中恩)
 教育学者の大田堯(おおた・たかし)が12月23日に死去、100歳。東大教授、都留文科大学長を務め、戦後の教育学を代表する人。多くの著書があり、岩波新書などで多く刊行されている。僕は学生時代に編著の「戦後日本教育史」を読み、非常に大きな影響を受けた。今も時々開くことがある。2011年に記録映画「かすかな光へ」が公開され、「こんばんは」の森康行監督だから、上映会に行ってブログにも書いた。正直、妻に先立たれてこれほど元気な90過ぎの男性がいるんだと驚いた。「教育とは命と命が響きあうアートだ」が持論だと訃報に出ている。
 (大田堯)
 児童文学作家の宮川ひろが12月29日に死去、95歳。1969年の「るすばん先生」以来、2010年代初頭までコンスタントに児童文学を書き続けて来た。映画化されたものもある。かつて日活がロマンポルノ路線に舵を切った70年代、もう一つの路線として児童映画も作っていた。「四年三組のはた」(藤井克彦監督)や「先生のつうしんぼ」(武田一成監督)など16ミリで作った佳作。しかし、僕にとっては現在は武蔵野大学教授の児童文学研究者、宮川健郎君の母堂という思い出が大きい。同じ年で(学年は一つ上)、同じ大学。日本文学科と史学科と学科は違ったけど僕が故前田愛先生の授業に出たから知り合った。大学院時代に「読書会」をやってたと思う。
 (宮川ひろ)
・漫画家、石川球太が死去、78歳。10月15日だった。山川惣治原作の「少年ケニヤ」の漫画化や戸川幸夫の動物文学「人喰鉄道」「牙王」など動物ものが多い。
・テレビアニメ「一休さん」の一休さんの声優、藤田淑子が死去、12月28日、68歳。

 訃報というのは、今はもう忘れられていた名前を聞く機会である。歴史学者の藤間生大(とうま・せいた)が12月3日に死去、105歳。正直まだ生きてたのかと思った。石母田正と並び、戦後のマルクス主義歴史学の代表者と言われてきた。ただし、専攻は原始、古代なので、歴史学に関心のない人には知名度がないと思う。岩波新書の「埋もれた金印」「倭の五王」で知られる。僕も若いころは考古学や古代史に憧れていたので、読んだかもしれない。
(藤間生大)
 一龍齋貞鳳(いちりゅうさい・ていほう)は、なんと2年前に亡くなっていた。2016年12月27日死去、90歳。そりゃあ誰だという人も多いだろうが、名前の通り元は講談師である。しかしNHKテレビのコメディ番組「お笑い三人組」で故3代目江戸屋猫八、三遊亭小金馬(現・金馬)と並んで出演して人気者となった。テレビで活躍して、1971年の参院選で自民党から全国区で当選した。今泉正二の本名で活動して、一期務めた。もう忘れていた存在だったな。
 (一龍齋貞鳳)
・訃報公表が遅くなった人には、作家の和久俊三(わく・しゅんぞう)もいる。10月10日没、88歳。弁護士活動のかたわら、「仮面法廷」で江戸川乱歩賞。「赤かぶ検事」シリーズで知られる。
・五輪メダリストが二人。ミュンヘン五輪男子中量級金メダルの関根忍が12月18日死去、75歳。また日本で初のセーリングのメダリスト、重由美子(しげ・ゆみこ)が12月9日死去、53歳。アトランタ五輪女子470級で銀メダル。
・フランス文学者、三輪秀彦、12月15日没、88歳。ものすごく多数の翻訳があり、前衛文学とともにミステリーの訳書も多かった。デュラスの本など何冊か読んでると思う。
渡辺英彦、12月19日没、59歳。名前を知らないと思うけど、この人は「富士宮やきそば学会会長」だった人で、B-1グランプリの仕掛人だった。B級グルメブームをもたらしたという意味で、大きな活躍をした人だけど還暦前に亡くなった。

 外国の訃報は列挙することにする。
ソンドラ・ロック、11月3日没、74歳。米女優、映画監督。「愛すれど心さびしく」でアカデミー助演女優賞ノミネート。クリント・イーストウッドと共演して、交際していたことでも知られる。
リカルド・ジャコーニ、12月9日没、87歳。イタリア物理学者。小柴正俊氏らとノーベル賞受賞。
ナンシー・ウィルソン、12月13日没、81歳。米ジャズ歌手。
ペニー・マーシャル、12月17日没、75歳。米国の女性映画監督。「ビッグ」「レナードの朝」「プリティ・リーグs」などの監督である。
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超快作、インド映画「パッドマン」のメッセージ

2019年01月10日 21時18分08秒 |  〃  (新作外国映画)
 12月初めに公開されたインド映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」をようやく見た。インド映画によくあるように結構長い(140分)ので、なかなか見る機会を作れなかった。東京ではもう上映も少なくなるが、この映画には非常に感動した。正直言って「ボヘミアン・ラプソディ」や「アリー/スター誕生」より感動的だと思う。でもその感動は映画のメッセージ性によるところが大きい。インド映画は最近は歌も踊りもないシリアス映画がかなり作られているが、「パッドマン」は歌あり踊りありの超娯楽映画で、だからこそ多くの人々にヒットした。多くの人に見て欲しい快作。

 「パッドマン」(Pad Man=原題)とはもちろん「バットマン」(Batman)のパロディで、実際にインドでそう呼ばれたアルナーチャラム・ムルガナンダムの人生をモデルにしている。「パッド」は「生理用ナプキン」のことで、安くて清潔なナプキンを作れる機械を作って農村に広めた。冒頭に「脚色している」と出るし、原作小説があるという。確かにこれほどドラマティックな人物配置は現実じゃないんだろうなと思って見てたけど、だからこそ一大エンタメ映画になっている。
 
 ラクシュミカント(ラクシュミ)は結婚してから、女性の生理について意識するようになる。何しろインドでは生理はケガレとされ、生理中の女性は部屋にも入れないのである。そして妻ガヤトリが不潔な布を使いまわしていることを知りビックリする。薬局でナプキンを買おうとするが、55ルピーもする。買ってきたものの妻に高いと言われ、男が関わる問題じゃないと言われる。その後、じゃあ自作すればいいと思いつき、コットンで作るけど失敗。改善しても妻も妹も相手にしてくれない。外部に頼もうとするけど、もはや変態扱い。家族にも疎まれ、妻は実家に連れ戻されてしまう。

 ここまでの田舎町での迫害ぶりが半端じゃない。まあ日本だって、何十年か前に男がここまで生理にこだわれば変人扱いはされると思う。(ちなみに映画の時代設定は2001年になっている。日本では60年代頃の感じじゃないかと思う。)でも宗教的なケガレ意識に基づく「男性禁制」感はここまで強くないのではないか。その意味でもインド民衆の宗教的事情を理解することができる。ところでウィキペディアを見ると、この映画はパキスタンでは上映できないという。イスラムの伝統に反するとみなされたのである。インドも大変だけど、もっともっと大変な地域が広がっている。

 田舎を抜けて都会にやってきたラクシュミは、大学教授の家で仕事をしながら勉強しようとする。コットンじゃなくてセルロース・ファイバーが大事と知り試行錯誤の後、考えが間違っていた、ナプキンじゃなくて、「ナプキン製造機」こそ作るべきなんだと気づく。ようやく作れるようになったが、商品化ができない。そんなとき、伝統楽器奏者の女子大生パリーが急に生理になって…。この偶然の出会いから、デリーの大学での起業コンクールに出場できるようになる。ラクシュミとパリーの協力で、女性が作って売り歩くという事業が次第に広まってゆく…。

 ここで当然想定できるのが、故郷には受け入れられたのか。一度は別れさせられた妻とまた結ばれるのか。しかし共同事業者というべき美女のパリーとずっと一緒で心が揺れないのか。そんな問題にも触れながら、なんとある日の電話は国連からの招待だった。ラクシュミは国連に出かけて、大演説をするのだった。ちゃんとニューヨークでロケしている。この演説シーンは、一般的な映画の表現方法としては異例なほど、ストレートなメッセージになっている。普通なら映画でこんな演説しちゃいけないと思うけど、通訳を外してつたない英語で聞くものの心に真っすぐに訴える。
 (国連で演説するラクシュミ)
 ここで感動しなきゃ、人間じゃないです。このメッセージを伝えるためにこそ、この映画を作ったのだろう。もう文法も何もない、単語を並べたような演説。ここで使われる英単語は、ほぼ理解可能だ。ボキャブラリーが多いこと、文法を知ってることではなく、言うべきことがあるということが大切なんだと実感する。そのメッセージとは簡単に言えば、金もうけのための発明ではなく、社会をよくするための発明である。そして「マイクロ・クレジット」(少額の融資)を通じた「女性の自立支援」である。女性の生理の問題から始まり、さらに大きな社会問題に通じている。

 主演のラクシュミ役はアクシャイ・クマールで、インドで人気の俳優だという。長谷部誠(サッカー日本代表前キャプテン)をもっと大柄で渋くしたような感じ。パリーは妖精という意味らしいが、ソーナム・カプールが演じている。「ミルカ」という映画で見てるはずだが、忘れていた。すごい美人。監督はR・バールキという人で、妻が「マダム・イン・ニューヨーク」の監督ガウリ・シンデー。
 (ソーナム・カプール)
 この映画が心に響くのは、中小企業の発明家を描いていることも大きい。「下町ロケット」インド版でもある。日本でも小さな町工場で試行錯誤しながら、世界に知られて行った会社がいっぱいある。松下やソニーもそうだし、即席ラーメンもそうだ。だから日本人にも受けると思う。このような起業家精神が受け入れられる土壌がインドにはある。それはインドだけじゃなく、世界の希望だ。映画はかなりインドのナショナリズムを感じるけど、こういう「社会起業家」が日本には少ないので、若い世代に届いて欲しい映画。
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趣里がすごい、映画「生きてるだけで、愛」

2019年01月09日 18時26分34秒 | 映画 (新作日本映画)
 「生きてるだけで、愛」が公開されたときに、まあ見なくてもいいかなと思ったんだけど、評判を呼んでいるらしい。新宿武蔵野館で夜7時だけ上映されていたので、見ておこうと思った。主演の趣里(しゅり)が評判通りの大熱演で、有力な女優賞候補だと思う。現代社会の中で「こころを病む」若き女性を描いていて、テーマ的にも興味深かった。監督は関根光才(こうさい、1976~)という人で、広告映像で国際的に活躍しているという。これが長編劇映画デビュー作だが、同じ2018年秋に公開されたドキュメンタリー映画「太陽の塔」も関根監督だったとは気づかなかった。

 「生きてるだけで、愛」は本谷有希子の小説の映画化。僕は予告編を見たけど、なんか面倒くさい感じで敬遠してしまった。この「面倒くさい」はテーマが深淵とか、表現が難解という意味じゃない。要するに、趣里の設定が「面倒くさい」感じに見えたのである。本谷有希子の小説も、芥川賞受賞の「異類婚姻譚」はまだフツーな感じだが、「嵐のピクニック」とか「自分を好きになる方法」など、けっこう面倒。映画化された「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「乱暴と待機」も、なんか面倒な感じだった。予告編を見てると「こういう生徒って時々会ったかも」なんて思ってしまう。

 映画を見ると、趣里が演じる「寧子」(やすこ)は、実際に完全に面倒な女。飲み会で会った津奈木菅田将暉)に付いていって、一緒に住み始めた(らしい)。でも働いてもいないし、料理や掃除をするでもない。毎日津奈木がコンビニで何か食事を買ってきている。そもそも一日の大半を寝てる感じで、自分でも「うつ」だと言ってる。姉とは連絡を取ってるが、父とも疎遠らしい。そんな感じなのに津奈木にはよく突っかかるし、責め立てる。ここまで「うざったい」のも珍しい。

 津奈木の方もゴシップ雑誌でこき使われていて、二人の間にはほとんど会話も成立しない。そんなときに、津奈木の元カノという安堂(仲里依紗)が現れ、復縁したいから出てけという。金もないし無理というと、その話をしてるカフェバーでバイトしろと迫ってくる。この安堂は、寧子が「あんたの症状の方が重いかも」というトンデモ女だけど、そこから物語が動き始める。そして、「爆発」した寧子は路上で服を脱ぎ捨てて行き、そこで職場を首になった津奈木に出会う。寧子はあんたは私と別れられるが、私は私と別れられないんだと訴える。そして、何で津奈木は別れないのか。

 趣里の演技は素晴らしく生き生きしていて真実感がある。「生きてるだけで疲れる」、自分で自分を持て余す女性を見事に演じている。映像はシャープで、どこにも停滞はなく、ひたすら疾走してゆく。最後には感動してしまった。すべての人は何らかの生きづらさを抱えているとは思うけど、ここまで「見てるだけで辛い」人生は大変だなあと思う。趣里(1990~)は、水谷豊と伊藤蘭の娘だが、名字を名乗ってない。親の名で判断されたくないんだろう。実際、親を超える演技力である。
 (趣里)
 音楽は世武裕子(せぶひろこ、1983~)で、テーマ曲も印象的。シンガーソングライターだが、今年になって映画音楽をたくさん手掛けている。「リバーズ・エッジ」、「羊と鋼の森」、「君の膵臓が食べたい」(アニメ版)、「日日是好日」などすべてこの人だった。主題歌「1/5000」も素晴らしい。ちなみにその作詞を共作している御徒町凧(おかちまち・かいと)はよく森山直太朗の作詞共作もしている人で、「さくら」も書いてる。尾野真千子が主演した「真幸くあらば」という死刑囚を描く映画の監督もしていた。今度知ったけど、その御徒町凧が本谷有希子の夫でもある。

 それにしても寧子は一度ちゃんと病院に行くべきだと思う。冒頭、健康保険(国民保険と言ってるけど)がないと言ってる。本人の言うところでは多分双極性障害だと思うから、きちんとした服薬によってかなり改善するはずだ。(ただ、「ウォシュレットが怖い」など、統合失調症の疑いも捨てきれない。)多分国民年金も未払いだろうが、それだと精神疾患の診断が出ても、障害者年金が受給できない。そういうことも含めて、精神保健の知識を若い世代に伝える場が必要だなと思う。
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近代天皇制の創出-「幕末維新変革史」を読む③

2019年01月07日 22時45分12秒 |  〃 (歴史・地理)
 いつまで書いてもネタは尽きないが、そろそろ幕末維新の話を終わりにしたい。読んでいて思うのは、この時期が日本史上最大の変革期だということだ。ペリーが来てから15年で明治になる。その激動は他の時期には見られないほど激しい。実に多くの興味深い人物が登場する。だけど、この時期の一番重要な問題は、日本にはもっと別の近代社会がありえたのかだろう。

 2019年1月7日、このブログを書いている日は、昭和天皇の死去からちょうど30年目だ。そして30年たって再び天皇が交代する。そのこともあって、新年冒頭から皇室ニュースがあふれている。現在の皇室成員はなぜか秋から冬の生まれの人が多いので、2018年秋から事ごとに誕生日の発言が注目された。2019年は天皇制度をどう考えるか、多くの議論があるだろう。そもそもどのように近代天皇制が創出されたのかをしっかりと理解しておく必要がある。

 この本を読むと、幕末に幕府に対する信頼感がガタガタと崩れてゆく様がよく判る。ある時点まで誰も疑わなかった幕府政治を、幕末に至って皆が見放す。政治史だけ見ていては判らない豪農商などの史料を読むと、幕府への信頼が地に落ちたと判る。「幕府」とは「将軍のいる場所」という意味で、もともと戦時指揮官のテントのことだ。将軍は正式には「征夷大将軍」、つまり外国勢力を打ち払う軍事指揮官の意味である。まさに外国勢力が日本にやってきたとき、戦っても勝てないから条約を結びますと言っては存在価値がなくなる運命だった。

 幕府に代わるものは、「朝廷を中心にした政治体制」しかない。この段階で選挙をやろうとか、共和国にしろとか、そんな主張をしている勢力はどこにもないんだから当然だ。幼少の明治天皇が自分で政治をするわけにはいかない。「朝廷」という場に、国内の有力者を集めて決定をしていく方法しかない。その時、平和的に有力者が参集するとなったら、将軍ではなくなっても日本最大の大名である(最大の領地を持つ)徳川家を外すことはできない。しかし徳川家を中心に各大名勢力が勢ぞろいしていたら、明治になっても「廃藩置県」はできなかったのではないか。

 だからこそ、薩長を中心とする討幕勢力は、多くの人々の血の代償をもって独裁政権を作ったのである。しかしその新政権は多くの人々の期待を完全に裏切る。力がなくて裏切ったのではなく、確信的に裏切ってゆく。農民も旧武士も新政府に多くの不満があった。廃藩置県で殿様がいなくなったのに、なんで「年貢」を納める必要があるのか。しかも大事な働き手である男子を「徴兵」に取られるのか。当時の農民は全く判らなかっただろう。しかし、当時の日本には関税自主権がないわけだから、貿易で国庫を賄うわけにはいかないのである。

 富国強兵、殖産興業を進めてゆくための原資は、農民から収奪するしかないのである。それを進めるには、一部の藩閥官僚による独裁以外にはない。それが明治初期に政権中枢にいた大久保利通の判断だっただろう。実際に後に選挙を行うようになると、「地租軽減」を掲げる「民党」が勝利する。選挙で生じた深刻な政争は、日清戦争による国内一致ムードまで続くのである。
 (大久保利通)
 旧武士たちも何で新政府が自分たちを切り捨てて外国と貿易を続けるか理解できなかった。朝廷や討幕派が掲げて来た「攘夷」を信じていたのである。「徴兵令」が敷かれ、旧武士たちは少額の債権を与えられてリストラされた。徴兵令じゃなくて、旧武士たちで日本軍を創成すれば、農民の不満も減るし、多くの士族反乱もなかったのではないか。しかし、その武士による軍隊では対外戦争を行えただろうか。出来なかったんじゃないだろうか。

 当時最大最強の帝国はイギリスなんだから、イギリスにならった「立憲君主制」を取り入れてもいいはずである。でも(大久保暗殺後に政権を担う)伊藤博文は、ドイツ(プロイセン)にならった君主権の強い憲法を導入した。そういう選択肢になってゆくのは、要するに「対外戦争が日本には不可欠」だったからだ。もっと正確に言えば、当時の欧米社会の常識からすると、日本との条約改正に応じるためには「日本の国際的地位の向上」、つまりは日本が植民地を保有して「欧米に肩を並べる」必要があったのである。

 大久保政権による「明治初頭の日清戦争危機」、今ではほとんど忘れられている事態がこの本で大きく取り上げられている。台湾出兵に伴う日清交渉の難航、大久保による北京での交渉、ほとんど決裂寸前で戦争も予測された中、最終盤で清国が折れてくる。この段階で日清間に戦争が起こっていたら、どうなっていただろうか。誰にも予測できない。しかし、はっきりしているのは、清に、朝鮮にと勢力を伸ばしてゆくこと。そのような軍事体制を支える装置としての近代天皇制。そして「内務省」を設置して国内を支配し、鉱工業を発展させるという意味でも、明治初期の大久保政権が「幕末維新変革」の行き着いたところだった。
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