尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ヒッチコック映画の快楽

2018年01月18日 23時19分58秒 |  〃 (世界の映画監督)
 僕は昔から「初詣」というものをしたことがない。文化財としてお寺や神社に行くことはあるが、信仰心がないから、わざわざ混んでいるときに行きたくない。代わりというわけでもないけど、去年から新年にかけては、シネマヴェーラ渋谷でやっていたアルフレッド・ヒッチコック(1899~1980)監督特集に通っていた。元日は休館だけど、2日からやっていたから、新作映画や展覧会、寄席なんかを犠牲にして通った。全部見るつもりが疲れて一番組をパスしてしまったが、全部で20本見た。

 今ではサスペンス映画の技法を確立した偉大な監督だと誰もが認識しているが、現役当時はそこまでの高い評価は受けていなかった。なんとアカデミー賞監督賞も一回も受賞していない。それどころかノミネートさえ、「レベッカ」「救命艇」「白い恐怖」「裏窓」「サイコ」の5回しかない。この間、ウィリアム・ワイラーやビリー・ワイルダーが何度もノミネートされていることを思えば(ワイラーは3回受賞9回ノミネート、ワイルダーは2回受賞6回ノミネート)、余りにも不当な評価だったと言える。

 ヒッチコックが英国生まれだからとも言われるが、ワイラーもワイルダーもドイツ系(ワイラーは当時ドイツ領のアルザス、ワイルダーは現ポーランド、当時オーストリア帝国に生まれた。どちらもユダヤ系)なんだから、やはりサスペンス映画が低い評価を受けていたということだと思う。テレビの「ヒッチコック劇場」という番組で知名度が高く、とにかく面白いから映画もヒットすることが多かった。でも、日本でのベストテンにもあまり入っていない。(「断崖」が1位、「疑惑の影」が3位、「鳥」が4位。)

 フランソワ・トリュフォーなどヨーロッパで高い評価を受けて、映画技術の高さが認識されるようになった。今ではヒッチコックと言えば、優れた技術で映画を作ったイメージもある。だけど、今回改めて思ったけど、ヒッチコック映画を見てもテクニックのことなど何も考えない。テクニックを感じさせないのが、最高のテクニックだと思うが、ヒッチコックはその域に達している。ヒッチコックは自分の映画にチラッと顔を出すことで知られているが、監督の姿が気になるような映画は面白くない。よく出来た作品ではどこに出てたか全く気にならずに、いつのまにかエンドマークが出ている。

 全部の映画を細かく書いても仕方ないから、簡単に。今回はイギリス時代の作品がいっぱい入っていて、逆に後期の作品はない。1953年の「私は告白する」が最後で、1954年の「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」に始まり、「めまい」「北北西に進路を取れ」「サイコ」「」と続く傑作群は一本もないけど、それらは他の映画館でも時々上映されるし、映画ファンなら見てるだろうということだろう。

 イギリス時代の映画は25本あるが、そのうち無声3本、発声8本をやった。うち2本が見逃し。最初に評価された「下宿人」(1927)は金髪女性連続殺人犯をめぐる捜査と謎の下宿人。古いけど面白い。「暗殺者の家」「三十九夜」「間諜最後の日」「サボタージュ」と趣向は違っても、いずれもスパイ映画。「間諜最後の日」はサマセット・モーム「アシェンデン」の映画化である。

 そして、「バルカン超特急」(1938)という大傑作。今回は同じスタッフで作られたキャロル・リード監督の「ミュンヘンへの夜行列車」と一緒に上映された。小さな映画館ながら場内は超満員で、この番組構成の妙が評価されたのだろう。「バルカン超特急」はヒッチコック全体を通しても最高傑作レベルだと思う。見るのは多分3度目だと思うが、何回見ても飽きずに楽しめる。鉄道ミステリーとしても最高だと思う。これもまあスパイ映画だが、老女をいかに列車で消すか。そのアイディアを「東欧」を走る国際列車という設定でムードを高める。「ミュンヘンへの夜行列車」もスパイ映画だが、ドイツに入ってからの怒涛の展開が面白い。この2本立てはまたやってくれることと期待したい。

 イギリスの田舎を舞台にした「第3逃亡者」も、とぼけた描写が楽しい。スパイ映画じゃないけど、「巻き込まれ型」であることは共通。「バルカン超特急」などが評価されハリウッドに招かれ、第二次大戦直後にたくさんの「反ナチス映画」を作ってアメリカ世論に訴えている。「海外特派員」(1940)は中でも有名で、最高傑作レベル。当然同時代には日本未公開で、確か70年代に初公開された。面白くて2回見てると思う。オランダの風車での対決が有名だし、その直前の雨の中の暗殺も素晴らしい。アメリカが参戦した後の「逃走迷路」(1942)も面白い。典型的な「巻き込まれ型」スパイ映画で、西海岸からニューヨークへ、そしてラストの「自由の女神」のスリル。

 アメリカ映画第一作は、デュ=モーリア原作のゴシックロマン「レベッカ」(1940)。これでいきなりアカデミー賞作品賞を取った。以前見た時に面白かったが細部は忘れてしまったので、今回もドキドキしながら見てしまった。イギリス旧家のお屋敷にまつわるドロドロの人間模様がスリルたっぷりに描かれる。「疑惑の影」(1943)も少女が叔父を疑いはじめて行く様を丹念に描く。これも前に見てるけど、面白かった。「スミス夫妻」(1941)はヒッチコックらしからぬコメディ。「救命艇」(1944)はスタインベック原作だというが、ドイツ軍の魚雷で沈没して生き残って漂流する話。両方ともに案外面白くない。

 イングリッド・バーグマンが出た「汚名」(1946)はラブシーンばかり有名で、スパイ映画としての興趣は弱い。「山羊座のもとに」(1949)はほとんど知られていないと思うが僕も初めて見た。19世紀のオーストラリアが舞台という異色作で、殺人罪で流刑された恋人を追って令嬢のバーグマンがやって来たが、今は関係が冷えている。「疑惑の影」のおじさん、ジョセフ・コットンがバーグマンの夫で、現地社会から爪はじきされる夫の苦悩を演じている。大ロマンではあるが、成功はしてないだろう。

 面白くないのは「パラダイン夫人の恋」(1947)も同じで、イタリア出身のアリダ・ヴァリが素晴らしく美しい「犯人」で、弁護士のグレゴリー・ペックもいかれてしまう。真相はいかにというけど、法廷ものとしては少し異色すぎる設定だろう。もひとつ有名な「ロープ」(1948)は「技術」が前面に出すぎた失敗作だろう。全編を「ワンシーン・ワンカット」で撮ったわけだが、もちろん今のデジタル時代じゃないから、フィルム一巻分以上を続けて撮れるわけがない。そこをどう解決したかは、見てればすぐ判る。なんだという感じで、そこまでしてワンカット風に撮影する意味があるか。それより「時間」を限定したためにどうしても物語に問題が出てくる。まあ異色作ということだろう。

 こうしてみると、前から知ってる映画はやはり面白く、初めて見る映画はそれほどではない。ヒッチコックは50年代以後は大体同時代に公開されているが、特に40年代に未公開が多かった。70年代以後のミニシアターブームで、けっこう昔の映画がたくさん公開され、主要なヒッチコック映画は大体見てしまった。傑作と言える作品はすごく面白いけど、スパイ映画としての設定はかなり変だ。「海外特派員」ではオランダの平和団体が戦争を防げるかどうかのカギを握っている。どうして? 「バルカン超特急」の情報伝達法も理解不能。「汚名」もおかしいし、「逃走迷路」でもどうしてこんなに謎の組織が大きくてテロができるのか判らない。

 話が変なんだけど、その後の「北北西に進路を取れ」などでも、市井の善人がスパイ事件に巻き込まれる。大昔ならあり得ないないが、「総力戦」時代になり、軍需産業が戦場以上に大事になり「銃後の護り」が重大な意味を持つようになった。そしてナチスや共産主義という「イデオロギー」との戦いの時代になったから、「敵」はどこにいるか判らない。逆にポーランドのイエジー・カワレロウィッチの「」でも、同じような不安が「西側のスパイ」として描かれる。日本でも山本薩夫「スパイ」や熊井啓「日本列島」のように、どこで何が起きるか判らないという冷戦体制の恐怖が描かれた。ヒッチコックの映画も、そのような時代に「巻き込まれた」人間の不安を形象化したということだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ジャン=ピエール・メルヴィルの映画

2017年11月11日 23時08分08秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フランスの映画監督、ジャン=ピエール・メルヴィル(1917~1973)の生誕百年ということで、特集上映が行われている。またフィルムセンターでは「生誕100年 ジャン=ピエール・メルヴィル、暗黒映画の美」が行われている。それは見てないんだけど、ぴあフィルムフェスティバルでも特集され「影の軍隊」(1969)を見た。今回「仁義」(1970)、「いぬ」(1962)を見て、今までに「恐るべき子供たち」(1950)や「賭博師ボブ」(1955)、「サムライ」(1967)などを見ている。

 ジャン=ピエール・メルヴィルという人は、僕が映画を見始めたころには、フランスでスタイリッシュなギャング映画を作る監督というイメージだった。それに間違いはないけど、あまりにも厳しく暗い独特な世界に驚いてしまう。もともと世界でも珍しいインディペンデント映画作家だった。映画会社に雇われた監督が会社の撮影所で撮る時代に、自分でレジスタンス文学の傑作「海の沈黙」を映画化した。それがコクトーに評価され「恐るべき子供たち」の映画化を任される。

 後には「ヌーヴェルヴァーグの父」と言われたりするし、ゴダールの「勝手にしやがれ」に出演したりもしている。でもやっぱりメルヴィルと言えば、アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドなどの大スターを使ったギャング映画だろう。「サムライ」はもちろん日本の「侍」から来ているが、孤高の暗殺者をドロンがスタイリッシュに演じて忘れがたい。後に与えた影響も大きいし、僕も前に二度見た。

 日本なら森一生監督が市川雷蔵主演で作った「ある殺し屋」シリーズ。あるいは香港のジョニー・トー監督の「冷たい雨に撃て!約束の銃弾を」など多くの作品などが似ている。クールで非情、感情を殺して任務としての殺人を果たしていく。内面の葛藤は描かれないので判らない。そういう映画だけど、メルヴィル(ちなみにこれはアメリカの作家メルヴィルから取った)の映画がどこから来たか。

 「影の軍隊」を見て、レジスタンス描写のあまりの苛烈さに衝撃を受けた。ドイツに対する抵抗伝説のような映画が多いが、戦争なんだから「殺し合い」だ。リーダーは部下を死地に追いやっても生き延びる必要があるし、裏切者は殺さなければならない。その非情な現実を一切のセンチメンタリズムなしに描いている。20代前半の若いメルヴィル(彼はユダヤ人だった)にとって、戦争がいかに厳しく辛いものだったか、胸に迫ってくるような「問題作」である。楽しいかというと、苦しいような映画。

 そういう体験をしたメルヴィルには、やがて若きヌーヴェルヴァーグ作家たちが否定する当時のフランスに多かった情緒的、感傷的な恋愛映画、文芸映画がまったく肌に合わなかったこともよく判る。彼の心を捉えたのは、40年代、50年代のアメリカで営々と作られていたギャング映画だった。それもB級映画にあるような、筋立ても破綻しているけど、ムードで見せてしまうような乾いたハードボイルド。フランスで「フィルム・ノワール」と命名される映画群である。

 「仁義」「いぬ」を見ていると、アメリカ映画的なムードを感じざるを得ない。フランスでこれほどピストルを撃ちまくるかどうかも疑問だが、「仁義」のドロンなんかアメリカ車を乗り回している。カラーだけど、ほとんど夜か雨のシーンで、まるでモノクロ映画の印象。「いぬ」はモノクロだから、メルヴィル美学が一番発揮されている気がする。トリュフォーやシャブロルが撮った犯罪映画は、やっぱりフランス映画だなという感じなのに対し、メルヴィル映画はフランス語をしゃべらなければアメリカ映画でも通じるんじゃないか。それぐらい乾いたタッチである。
 (「仁義」)
 もっとも見ていてよく判らない感じもする。名前がすぐに覚えられないし、誰が誰だか主役以外はこんがらがってくる。「仁義」も「いぬ」も犯罪者側と警察側を並行して描くが、それぞれ策略を弄するから筋立ても複雑になる。「仁義」はドロンの他、イヴ・モンタン、ジャン=マリア・ヴォロンテなど豪華な配役でフランスでは大ヒットしたという。「いぬ」はベルモンドが若々しく、誰が「いぬ=密告者」なのか緊迫してる。でもそれぞれ破滅に向かう物語で、ノワール映画は冷酷である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ロベルト・ロッセリーニのバーグマン時代-イタリア映画の巨匠③

2016年11月30日 23時35分33秒 |  〃 (世界の映画監督)
 「イタリア映画の巨匠」のミニシリーズは3回で終わり。最後に「ネオ・リアリスモ」の代表者ともいうべきロベルト・ロッセリーニ(1906~1977)を取り上げる。ロッセリーニは、僕にとって長らく「伝説的」ともいうべき監督だった。生没年を見ると、前回書いたヴィスコンティとほぼ同じなんだけど、世界的に認められたのはロッセリーニが断然早い。そして、僕が映画を見始めたころには、新作がまったく見られなかった。フェリーニやヴィスコンティ、アントニオーニ、そしてヴィットリオ・デ・シーカだって、新作が公開されていたのに。だから、よく判らない昔の巨匠に思えてしまうのである。

 第二次世界大戦は、それまでの歴史に例を見ない巨大な災厄であり、ものすごく大量の「無惨な死」をもたらした。直接の戦場にならなかったアメリカはちょっと違うけど、ヨーロッパやアジアの各国では、文化のあり方が変わってしまった。映画でそのことを最初に示したのは、イタリアの「ネオ・リアリスモ」だったわけである。日本は占領中だったから、外国映画の受容にズレがあった。未公開作品もあった。(共産党員作家ヴィスコンティの「揺れる大地」は公開されなかった。)

 日本ではほぼ4本の映画、ロッセリーニの「無防備都市」(1945、日本では1950年ベストテン4位)、「戦火のかなた」(1946、日本では1949年ベストワン)、ヴィットリオ・デ・シーカの「靴みがき」(1946、日本では1950年ベストテン7位)、「自転車泥棒」(1948、日本では1950年ベストワン)がネオ・リアリスモの代表作と言われる。つまり、日本では「逆コース」時代に公開され、49、50と続けてベストワンになり、1950年にはベストテンのうち3つを占めた。時代相もあって、当時の人々に強い影響を与えたのは当然だ。

 これらの映画はフィルムセンターにあって、僕も若いときに見ている。それは「映画史的名作」という感じだった。しかし、その後のロッセリーニ映画は全然見られない。キネ旬のベストテンを調べると、1960年に「ロベレ将軍」(4位)、1961年に「ローマで夜だった」(8位)が入選しているが、まったく見る機会がなかった。「ロベレ将軍」は近年デジタル版が公開され、デ・シーカ主演のたいそう立派な抵抗映画だった。一方、「ローマで夜だった」の方はいまだに見る機会がない。

 その間にロッセリーニは何本も作っているけど、日本ではほとんど公開されなかった。(「ドイツ零年」などいくつは公開されているが。)そして、その間は「失敗作の時代」と言われてきた。その期間はほぼ「バーグマン時代」と言っていい。それらの映画は世界的に再評価されてきていて、日本でも90年ころのミニ・シアターブームの時に上映されたはずだ。僕も何本か見て、これは傑作だと思った記憶がある。

 ところで、今書いた「バーグマン時代」というのは、スウェーデン出身の大女優、すでにアカデミー賞主演女優賞を受けていた超人気スターのイングリッド・バーグマンと結婚して、バーグマン主演映画を続々と作っていた時代のことである。有名な話だけど、バーグマンは「無防備都市」を見て感激し、どんな映画でもいいから出演したいと手紙を送った。その結果「ストロンボリ」(1950)に出演することになり、撮影中に二人は愛し合うようになった。でも、どっちも配偶者と子どもがいた「ダブル不倫」だったうえ、アメリカは「マッカーシズム」(反共ヒステリー時代)さなかだったから、大問題になった。

 映画史上最大級のスキャンダルだったけれど、結局は撮影中にバーグマンは妊娠した。(男児を産み、その後双子姉妹がある。一人は女優のイザベラ・ロッセリーニ。)二人は1950年に結婚したが、1957年に離婚する。その間にロッセりーニは5本のバーグマン主演映画を撮っている。そして、せっかく美女を妻としながら、バーグマンをいじめ抜くような映画ばかりを作っている。それも、ストーリイもはっきりせず、現代人の不安や悩みを象徴的に描くような映画を。それは当時は全く受け入れられず、訳の分からない失敗作とされてきた。でも、今見ると、実によく判る傑作ではないか。

 「ストロンボリ」(1950)は、中でも僕は傑作だと思う。ストロンボリというのは、イタリア南部、シチリア島の北にある小火山島のこと。ここは噴火が相次ぐことで知られ、今も時々噴火している。流動性の低いマグマが間歇的に吹き上がる火山噴火を「ストロンボリ式噴火」というほど、火山学でも有名な火山島である。ここ出身の男と結婚してストロンボリ島に来てしまった女が、周囲の目に追い詰められて、ついに家出してストロンボリ火山をあてもなくさまよう…。
 (ストロンボリ)
 ほとんどトンデモ映画的な展開なんだけど、もともとバーグマンの役柄は「難民」である。リトアニアからポーランドに逃れ、ドイツ占領下で生き抜いたが、ドイツ敗戦に伴ってなんとか偽造旅券でイタリアに脱出したという設定である。難民収容所で男性棟にいた男と知り合い、求婚を受け入れてストロンボリに渡った。まさか夫の故郷がこんな絶海の火山島だと知らなかったのである。そこでは気概ある男はアメリカにわたり、残った女たちは因習のとりこになっている。外国女が奔放にふるまうと、掟破りの女として排斥され、それが夫の心も狂わせていく。火山をさまよう女としては、原節子が焼岳を登る「新しき土」、グアテマラの先住民少女が火山をさまよう「火の山のマリア」があるが、一番危険な感じ。

 続いて「ヨーロッパ一九五一年」(1952)は、アメリカ大企業の幹部夫人としてイタリアに来たという設定。だけど、忙しさにかまけて幼い息子をないがしろにすると、精神的に不安定な子は自殺してしまう。そのことで自責の念にかられた妻は、一切の家事を放棄して、個人的な「慈善」に熱中するようになる。それが行き過ぎて、精神的失調と見なされて精神病院に閉じ込められる。なんの救いもない終わり方に驚くが、そこにこそロッセリーニの精神性がうかがわれる。「子どもの自殺」や「追いつめられる母」、「こころの病」と、現代から見るとこの映画はまさに「現代の不安」を描いていて、身に迫る。これも驚くべき先見性を持っていた傑作だと思う。狂気か究極の善意か、バーグマンの演技もすさまじい。
 (ヨーロッパ一九五一年)
 そして、次に「イタリア旅行」。夫婦仲が冷えている夫婦が、ナポリの別荘を相続してイタリアにやってくる。夫はもう売り払ってしまうつもり。ローマから車でドライブしながら、途中で知り合いを訪ねたり、アヴァンチュールがありそうだったり…、いろいろありつつ夫婦仲はどうなる。という「ロードムービー」の古典で、最後がちょっと甘いが、風景も面白く、イタリアを旅行する外国人という設定も面白い。これは最高傑作という人もいるようだが、僕はそこまでは買わない。

 日本で見られるバーグマン時代のロッセリーニは、以上の3本だと思う。監督の別の映画もやっていたけど、時間が取れずに見逃した。「無防備都市」も何十年ぶりに見直したが、今も迫力たっぷりだったけど、この手の映画はその後いくつもあるなあとも思った。もう「古典」ということなんだろう。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

ルキノ・ヴィスコンティ、ブーム再び?-イタリア映画の巨匠②

2016年11月28日 21時30分55秒 |  〃 (世界の映画監督)
 イタリアの巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ(1906~1976)は、今年が生誕110年、没後40年である。もう高い評価と人気はゆるぎなく、毎年どこかで何かをやっている。「山猫」「ルードヴィヒ」などは昨年公開されたと思う。今後、12月末から「若者のすべて」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「揺れる大地」が新宿武蔵野館で連続上映される。そして、もう40年も前になるが、日本のヴィスコンティ再評価とブームをもたらした「家族の肖像」(デジタル完全修復版)が、岩波ホールでリバイバルされる。

 いまヴィスコンティのフィルモグラフィを見ると、長編映画は生涯に14本しか作っていない。案外少ないのに驚くが、僕は全部見ている。1969年の「地獄に堕ちた勇者ども」以後はリアルタイムで見ているが、その時点では日本未公開作品作品も多かった。1971年の「ベニスに死す」がベストワンになったものの商業的には惨敗だったことから、しばらくヴィスコンティは公開されなくなった。岩波ホールが「家族の肖像」をヒットさせてから、ミニシアターブームに乗ってヴィスコンティ映画が公開されるようになった。

 ヴィスコンティはよく「赤い貴族」と言われるが、まぎれもなく貴族の家系である。ルネサンス期の歴史書を読むとよく出てくるミラノのヴィスコンティ家だが、さすがに本家ではなくて傍流らしい。それでも父は公爵で、お城で育ったという。そうした育ちからも来る、壮麗な映像世界、ヨーロッパのホンモノを知っているぞというような映画が、ちょうどヨーロッパ旅行なんかに出かけられるようになった日本人に受けたのかもしれない。だから、日本のヴィスコンティ受容は、「後期の大作」中心になったきらいがある。

 一方、ルキノ・ヴィスコンティは、戦時中の1942年に「郵便配達は二度ベルを鳴らす」でデビューした「戦中派」で、「ネオ・リアリスモ」の元祖だった。イタリア共産党に入党し、「赤い貴族」の映画作家だったわけである。そういう苛烈なまでの「リアリズム作家」という面を忘れてはいけないと思う。特に1948年の「揺れる大地」はシチリア島の漁村に密着ロケしたリアリズム映画の最高傑作で、世界映画史に残る大傑作である。とにかくすごい迫力で、圧倒されること請け合い。日本公開は遅れたが、フィルムセンターにフィルムがあって昔に2回見た。今回デジタル版で公開されるのが楽しみ。
 (揺れる大地)
 今回シネマヴェーラ渋谷でやったのは、「ベリッシマ」(1951)という第3作である。これは確か「俳優座シネマテン」で見たと思う。六本木の俳優座劇場で、演劇公演が終わった後の夜10時から映画を上映するという企画があったのである。1981年と記録にある。時間的に見るのが大変だが、若いから見に行った。そして、ずいぶんあきれ返って辟易(へきえき)した記憶がよみがえってきた。
 (ベリッシマ)
 ベリッシマというのは「最も美しい女」ということで、映画出演のための「美少女コンテスト」に娘を出そうと走り回る母親アンナ・マニャーニが凄すぎる。「無防備都市」で注目され、1955年には「バラの刺青」でアカデミー主演女優賞を取った女優である。取りつかれたように娘の売り出しに奔走する貧しい母親を全身で演じている。それは凄いが、見てる方が付いてけないぐらい。トンデモ映画に入れた方がいいけど、あくまでもリアリズムというところが凄いのである。後に活躍するフランチェスコ・ロージとフランコ・ゼッフィレリが助監督を務めている。日本にもこういう親はいそうだな。

 1960年の「若者のすべて」はアラン・ドロン主演の大作だけど、中身は厳しいリアリズムの青春映画。ここまでが「現実を描くリアリズム作家」だった。次の「山猫」(1963)から「歴史絵巻」路線が始まる。もっとも「熊座の淡き星影」(1965)や「異邦人」(1967)は位置づけが難しい。「山猫」から「ベニスに死す」までを「文芸名作路線」とするべきかもしれない。
 (若者のすべて)
 ところで、多分上映権が切れて以来、映画館でやってないと思うのが、「地獄に堕ちた野郎ども」(1969)である。これこそ退廃の極致で、ナチスの実態を暴露するとともに、美と退廃と抵抗の狭間に生きる人間の姿を描いた傑作である。アメリカ資本で作られたから権利関係が難しいのかもしれないが、これこそリバイバルを待ち望む映画である。これに比べれば、世にあまたあるナチス映画やホラー映画など、すぐに忘れてしまうような薄い映画としか思えない。そして、遺作となった「イノセント」(1976)。僕が一番好きなヴィスコンティ映画で、典雅な恋愛映画にしてトラウマ必至の怪作でもある。とにかく、ルキノ・ヴィスコンティに比べれば、最近の映画は薄っぺらで見るに堪えないと思ってしまう。若いうちに見ておかないと。(それはフェリーニも同様だけど。)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

フェデリコ・フェリーニと初期作品-イタリア映画の巨匠①

2016年11月27日 21時49分17秒 |  〃 (世界の映画監督)
 シネマヴェーラ渋谷でイタリアの「ネオ・リアリスモ」の特集が行われていた。もう終わっているが、忙しいうえにもともと見ている映画が多いから、2回しか行けなかったのが残念。でも、ここで日本未公開だったフェデリコ・フェリーニの初期作品2作を見ることができた。もう新作がない監督は、なかなかブログに書かないから、この機会にちょっとイタリア映画の巨匠について書いてみたい。

 フェデリコ・フェリーニ(1920~1993)が亡くなって、もう20年以上経つのか。長い映画史を通じて、国内外を通じて僕の一番好きな映画監督である。「サテリコン」(1969)以後の作品は、すべて同時代に見てきた。最後のころは、どうも創作力が落ちたと思っていたが、それでもフェリーニの新作を見逃すわけにはいかなかった。今回2本見て(オムニバス映画の何本かを除き)、長編は全部見たことになる。

 フェリーニはロッセリーニの「無防備都市」の脚本を担当した後、1950年の「寄席の脚光」で監督デビューを果たす。ただしアルベルト・ラトゥアーダとの共同監督となっている。ラトゥアーダは青春映画やコメディ、文芸ものなど多数の商業映画を作り、日本でも結構公開されている。大した映画はないけど、演出力はそれなりなんだろう。
 (左がジュリエッタ・マシーナ)
 映画は旅芸人一座が列車で旅立つところから始まる。やっぱりフェリーニ的世界である。そこにスターを夢見る少女が強引に押しかけ入団にやってくる。中年の団長はジュリエッタ・マシーナという相方がいながら、美人の新人を寵愛する。お金がないから雇えないと言われながら、居座ってしまった新人女優のダンスが評判になって…。人気が出てきた新人をもっと売り込もうとする団長、見捨てられた団員たち、そして最後には…という、旅芸人もの、あるいは「新人女優のし上がりもの」の定番的展開でつづられる旅芸人と中年役者の哀歓の日々である。

 次の作品は1952年の「白い酋長」で、フェリーニ単独監督の最初。「白い酋長」っていうのは、劇中劇(映画内映画)として作られているイタリア風西部劇の主人公のことである。ローマに新婚旅行でやってきた若妻は、夫を差し置いて大ファンの「白い酋長」に会いに行く。夫はそれなりの家柄らしく、親戚がローマ教皇との面会をセッティングしているのに、妻は行方不明に。一方、妻は「白い酋長」になかなか会えず、よく判らないうちに映画の撮影現場の海に連れていかれる。酋長は彼女を船で海に連れ出す。夫は妻は病気と言いつくろってごまかすが、翌日に延ばした教皇面会に間に合うか…。この映画は、ニーノ・ロータが映画音楽を担当した最初の作品で、この後最終作まで音楽を担当した。

 まあ、今から見れば、両作とも「フェリーニ初期」という目で見て、それなりに楽しめる。だけど、当時この映画を見ただけでは、やはり日本公開は難しい。映画作品的にも、演出技法的にも、まあ普通に楽しめるといった程度だと思う。しかし、今から見て「フェリーニ的特徴」をいくつか見て取ることもできる。一つは劇としての構成。登場人物のドラマという以上に、映画内の人物が遍歴していくさまを見つめるという作品である。それは「」や「甘い生活」も同じで、「サテリコン」や「カサノバ」のような原作がある作品も同様である。イタリアの古典「神曲」や「デカメロン」にも共通するような問題で、そういう「遍歴もの」の伝統があるんだろう。

 もう一つは、旅芝居映画撮影など、自分の好きな世界、それも「見世物的祝祭空間」を描いていること。この後も、サーカスを描いた「」、「フェリーニの道化師」、映画撮影が出てくる「甘い生活」、舞台芸人を描く「ジンジャーとフレッド」など様々な作品で、同じような世界を描いている。旅芸人の映画を見ていると、やっぱりフェリーニだなあと思う。そして、どっちもジュリエッタ・マシーナが出ている。言わずと知れたフェリーニの妻であり、フェリーニの死後半年で亡くなった彼女は、脇役ではあるけど最初の映画から出ていたのである。

 フェリーニは、次の「青春群像」(1953)で自己の世界を確立し、「」(1954)で世界的巨匠となった。その後、「フェリーニのアマルコルド」(1973)まで全作品で傑作を連発し続けた。その傑作の中でも、もちろん「甘い生活」(1959)と「8 1/2」(1963)が、傑作中の傑作であり、映画史上でももっとも素晴らしい大傑作である。人生と世界の複雑さを余すところなく描き、同時に人生の哀愁、日々の倦怠を見つめ、深い感動を見る者に与える。フェリーニは見世物的な圧倒的快楽心のうち深くに通じる懐かしさを描き続けた。イタリア社会と自己の脳内の「地獄めぐり」のような作品群は永遠の輝き続けるだろう。

 フィギュアスケートのNHK杯を見ていたら、男子の田中刑事選手が、音楽に「フェデリコ・フェリーニ・メドレー」を使って流麗に滑っていた。(3位となった。)まあ、フェリーニというか、ニーノ・ロータ・メドレーだけど、今もフェリーニが生きてるんだなあとうれしく思った。2020年が生誕百年。4年後に向けて、多くの作品上映や再評価などが進むことを願う。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

追悼・アンジェイ・ワイダ

2016年10月11日 22時57分58秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダ(Andrzej Wajda 1926~2016.10.9)が亡くなった。90歳。今もなお現役の監督で、新作が作られたばかりだという。新藤兼人やアラン・レネなどに続き、1950年代から映画を作り続けてきた世界的映画監督はこれで姿を消すことになる。

 アンジェイ・ワイダの訃報は、夕刊を見て知った。新聞休刊日だったので、朝刊はなかった。この間、パソコンやケータイ電話でニュースを簡単に見ていたが、ワイダの訃報に気付かなかった。これほどの映画監督が亡くなったというのに。しかも日本との関係が非常に深かった。やはり紙の新聞がないと困るということでもあるが、もうワイダ監督の知名度も落ちてきたのかもしれない。

 アンジェイ・ワイダの名前が映画を超えて語られていたのは、50年代後半から60年代、そして1970年代後半から80年代前半のころだろう。映画で言えば、「灰とダイヤモンド」(1958)と「大理石の男」(1977)がそれぞれの時期の代表作ということになる。しかし、そういう映画の問題を超えて、前期はスターリン死後の「雪どけ」が東欧各国に広がった時期、後期は冷戦末期のポーランドで自主労組「連帯」が結成された時期という政治的、思想的な背景を持っていた。それを知らない人が多くなると、「アンジェイ・ワイダ」という名前の神話的輝きが伝わらなくなるんだろう。

 戦後の世界映画では、まず40年代後期にイタリアのネオ・レアリスモが注目され、50年代前半になると黒澤明や溝口健二らの日本映画が発見された。それに続いたのが、50年代後半の「ポーランド派」だった。ポーランドは独ソ不可侵条約の密約により、第二次大戦中は独ソに分割占領されていた。イギリスに亡命政府があったけど、ソ連軍によってナチスから解放され、戦後は「社会主義国」となった。まあ、事実上「ソ連の植民地」である。スターリン死後に東欧各国で反乱が起きるが、ポーランドでもポズナニ暴動が起きて、指導者がゴムルカに交代した。そんな時期にワイダは映画を作り始めた。

 もともとは青年期に浮世絵を見て芸術家を志したという。戦時中は対独レジスタンス活動を行った。戦後に古都クラクフの美術大学に進み、その後ウッチ映画大学に進んだ。1955年に「世代」で監督デビュー。その後、「地下水道」(1957、カンヌ映画祭審査員賞)、「灰とダイヤモンド」(1958、ヴェネツィア映画祭国際映画批評家連盟賞)で世界的に認められた。でも、「地下水道」はワルシャワで蜂起した国内抵抗派(共産党系ではない)が描かれているし、「灰とダイヤモンド」はドイツ降伏後に亡命政府派の青年が追い詰められていくさまを描いていた。どっちも「危険なテーマ」だった。

 「世代」は日本公開が遅れたが、他の2本は日本でも大きく評価された。(「灰とダイヤモンド」は59年ベストテン2位。)僕は70年代初めにフィルムセンターか自主上映で見たと思う。非常に深い感銘を受けた記憶がある。特に「灰とダイヤモンド」は、「時代に裏切られる青年」をパセティックに(悲愴に)描き出し、60年安保や学生反乱に重ねて熱狂的に受け入れる人がいた。僕もラストに死んでいく主人公、ズビグニエフ・チブルスキーの名前はすぐに覚えた。単なる映画を超える「時代の象徴」だった。「地下水道」は最近見直す機会があったが、テーマ的な問題作という以上に、白黒映画の美学的構図の素晴らしさが印象的だった。(下の写真、前が「地下水道」、後が「灰とダイヤモンド」)
  
 その後、60年代から70年代にかけては、政治的なテーマの映画より、文芸映画のような作品が多く、日本公開もされなかった映画が多い。ポーランド社会も停滞していった時期である。1975年の「約束の土地」はポーランド文芸大作の大傑作で、近代化に向かう中で揺れる若者たちが印象的。続いて、久しぶりに政治的なテーマの「大理石の男」(1977)が作られる。スターリン時代に「労働英雄」として石像が作られた男、その男が政府から迫害されていった歴史を追う若い世代を描いた。国内で大ヒットしたが、海外上映は当初禁止された。(その後カンヌに出品され受賞。)自由に映画が作れる社会ではなかったから、そういう映画が作れる時代に変わりつつあったということだろう。続編の「鉄の男」(1981)も作られ、カンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を獲得している。

 その後は、歴史や文学作品の映画化が多かった。フランス革命の指導者「ダントン」やナチスにとらわれた「コルチャック先生」、ドストエフスキー原作の「悪霊」、坂東玉三郎が演じた「ナスターシャ」など。それらは立派な作品ではあるものの、立派すぎるというか、もう時代との緊張感が薄まっているような感じを受けたものである。その時代の作品は、大体岩波ホールで公開されていた。近年も「菖蒲」や「ワレサ 連帯の男」などが岩波ホールで上映されたが、もう黒澤明やフェデリコ・フェリーニの晩年のような感じだったと思う。映画的な完成度はかつてと比べられないけど、やっぱり僕は見続けていた。(それだけの恩義は受けていると思うのである。)

 こうしてみると、政治的、社会的な映画を作ったという感じになるが、僕はワイダの本質は違うんだろうと思う。本質というか、彼のベースにあるのは「抒情詩人」だったのではないか。また、ソ連からの自由を求めた映画で有名になったが、ホントは「ロシア文学」の愛好者だった。だけど、そういう「文学青年」は、ポーランド現代史では政治を避けられなかった。何よりもポーランドを愛した愛国者だったワイダは、最後になってポーランド文学の最高傑作と言われる叙事詩「パン・ダデウシュ物語」(1999)を映画化している。これも大変立派な作品だったが、ポーランド文化に詳しくないと付いていけないぐらい、ポーランド的な作品だったと思う。

 そして、「カティンの森」(2007)を作った。これは第二次大戦初期にポーランド国軍の将校多数(2万人を超える)をソ連軍が虐殺した事件を描いている。ワイダ監督の父親もこの事件で虐殺された一人だった。独ソ戦直後に死体が発見され、ドイツはソ連の犯行として非難したが、ソ連は逆にドイツの犯行と主張した。戦後になっても「論争」が続き、ポーランド国内では語ることができなかった。とっくの昔にソ連の犯行と確認されているから、今ではこの事件を描いても政治的な問題性は持たないが、80歳になった監督はこれを作らずにはいられないという執念が感じられた。戦争と人間をめぐって考え込まされる、日本にとっても無縁ではない映画になっていた。

 そういう風に、ポーランドの歴史と文化の語り部のような映画人生だったけれど、僕は「白樺の林」(1970)のような文学的、詩的な作品が好きである。それと「影なす境」(1976)の題で、フィルムセンターのポーランド映画特集で大昔に英語字幕付きで上映されただけの映画がある。これはポーランド出身の作家、コンラッドの「陰影線(シャドウ・ライン)」という小説の映画化なんだけど、航海で極限状況を経験する船長の話で、映像的にも素晴らしかった。日本語字幕付きでちゃんと見てみたい作品である。クラクフに日本美術技術センターを作るなど、日本文化を愛好したことでも知られている。

 年齢が年齢だけにやむを得ないんだけど、惜しい人をなくしたと思う。とにかくポーランド映画史上、空前絶後の最大の巨匠に間違いない。ポーランドの状況が日本でも熱く語られた時期があるんだということも、今では理解できないかもしれない。「自主労組連帯」の持つ思想的意義は、むしろ今の日本にこそあるのかもしれない。今こそ改めて振り返られるべき映画群だと思う。(毎月書いている追悼特集の9月をまだ書いていない。加藤紘一、シモン・ペレス、アーノルド・パーマーなど、今では現役ではない人ばかりなので、来月にまとめて書く予定。)
コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

追悼アッバス・キアロスタミ

2016年07月07日 21時10分00秒 |  〃 (世界の映画監督)
 イランの映画監督アッバス・キアロスタミ(1940~2016)が4日に亡くなった。76歳。パリでがん治療中だったという。アベノミクスなどを書いていて遅くなってしまったが、やっぱり書いておきたい。

 1970年代から活躍していたけれど、日本で公開された「友だちのうちはどこ?」(1987)でキアロスタミの名を知った。1993年のことで、その年のキネ旬8位に選ばれている。ロカルノ映画祭で評判になっていたことは聞いていたが、実際に初めて見て、その素朴で温かく、同時にたくらみに満ちた演出やカメラワークに感嘆した。イランの農村地帯の風景など、いわゆる「ジグザグ道」も興味深かった。今の日本の若者が見れば、なんでスマホないの? という感じかもしれないが。(その後のキアロスタミ、あるいは他の監督の映画を見ても、イランでもケータイの普及は進んでいるようだが。

 イランは、1979年のイスラム革命、それに続くイラン・イラク戦争で、芸術上の自由な活動が大きく制限される状況が続いた。そんな中で「児童映画」は比較的制限が少なく、だから児童映画の名作がたくさん作られたのだと言われる。確かにそういう側面はあるだろう。と同時に、戦時体制、宗教支配のもとで、人々の心も子どもが出てくる映画を望んだのではないだろうか。

 キアロスタミは最近まで活動していたが、21世紀になってからの作品には衰えが見られた。20世紀末に続々と日本公開された映画が、やはり素晴らしかったと思う。だから、若い人の中には、あまり知らない人もいるのではないか。だけど、間違いなく20世紀末の最も重要な映画作家の一人である。小津安二郎の影響を公言し、アキラ・クロサワとイニシャルが同じだと喜ぶキアロスタミは、日本映画界にとっても重要な映画作家だった。遺作となった「ライク・サムワン・イン・ラブ」は日本人俳優を使い、日本で撮影された映画だった。あまり評判にはならなかったが、結構面白かったと思う。

 「友だちのうちはどこ?」に続き、イランで起こった大地震を扱う「そして人生は続く」「オリーブの林をぬけて」「クローズアップ」と続々と公開され、93、94、95と3年連続でキネ旬ベストテンに入っている。そして、97年のカンヌ映画祭で(今村昌平の「うなぎ」とともに)パルムドールを受賞した「桜桃の味」が作られた。テヘラン近郊の砂漠地帯を舞台に、イスラム教ではタブーである「自殺」をテーマとする傑作である。その後、1999年にベネツィア映画祭審査員賞の「風が吹くまま」を作る。ここら辺までが重要な作品が連続した時代。

 もともとドキュメンタリー作品も多く、事実だか虚構だか判らないような作品が多い。劇映画で社会のありようを壮大に描くというような作家ではなかった。作品の中には、スケッチのような、シネマエッセイというような作品も多い。それが20世紀末のイラン社会を描くのに適した方法であり、同時に世界にも訴えたところである。何が真実で何がドラマだか、なんだか判らないような世界を日々生きているのだから。淡彩に過ぎると思うときもあったけど、「ハイク」という芸術形式に親しんでいる日本人には向いていた。監督も日本文化に親近感を持った。

 キアロスタミ映画が日本でも評価されたことから、モフセン・マフバルバフなど他のイラン監督作品も続々と公開された。欧米や東アジア以外の映画が、ベストテンに入選したのは、非常に珍しい。イランはこの間、特異な宗教国家として、人権や核開発など多くの問題を指摘されてきた。だけど、イランの民衆の多くは平和を愛好し、思いやりや温かさを持っていることを、僕は多くのイラン映画で知ることができた。同時に、イランで官僚主義や多くの理不尽が起きていることも、映画で垣間見ることができた。大体、キアロスタミやマフバルバフも、近年は外国でしか映画が撮れなかった。最後にイランで撮れなかったことは、心残りではなかったかと思う。今後追悼上映なども行われると思うが、ぜひ知ってほしい映画世界である。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

エリック・ロメールと映画の快楽

2016年06月04日 23時03分13秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フランスのヌーヴェルヴァーグを代表する映画監督の一人、エリック・ロメール(Éric Rohmer 1920~2010)の映画8本が「ロメールと女たち」と題されて、角川シネマ有楽町で上映されている。(10日まで。)昔いっぱい見た監督で、今回の上映作も(劇場初公開の「コレクションする女」を除き)全部見ている。ロメール映画はある時期まで日本では見られなかったが、80年代後半から続々と新作が公開された。同時代に見たときは、能天気というか、美しいけど中身が薄い「美少女艶笑譚」みたいな映画ばかりで、何だと思うことが多かった。だから、見直すつもりもなかったんだけど、これが面白い。

 ロメール映画と言えば、「ヴァカンス」である。ヴァカンスを楽しむはずが、うまくいかなかったり、様々な出来事が起こるが、ともかく夏のヴァカンスが描かれることが多い。そこで、大人の男と女、そして少女(時に少年も)が出てきて、恋愛あるいは恋愛遊戯を繰り広げる。それを軽妙かつ自由な映像で見せていくところが、「ヌーヴェルヴァーグ」という感じ。日本人からすると「恵まれた」感じをどうしても受けてしまうが、別に大金持ちの世界ではない。お金がない若者もよく出てくる。フランスじゃ、誰でも5週間のヴァカンスを取る権利があるのである。

 映画館のホームページには、以下のようにある。「フランスの美しい風景の中で織りなす8つの恋物語を、全作品デジタル・リマスター版で上映いたします。可憐な少女たちをエロティックに描き、大人の女の無垢さを映し出す珠玉の恋愛映画たち。初夏にぴったりな8つの恋物語を、ぜひお楽しみください。」まあ、確かにそういう世界の映画であるのは間違いない。

 だけど、今見ると、この自由な感じは何だろうと感嘆する。そして、決して単なる恋愛映画ではないということも。ブランドもので固めたオシャレではなく、「普通の人々」の気軽なオシャレで自由な様子を描いている。それにフランス人のなんと議論好きなことか。映像も素晴らしいけど、同時に「言語の映画」でもある。日本で本格的に公開された最初のロメール映画「海辺のポーリーヌ」(1983、ベルリン映画祭銀熊賞)なんか、まさに「ヴァカンス美少女映画」の見本のような映画だけど、15歳のポーリーヌと年上のいとこマリオンをめぐる男と女のさや当ては、よくしゃべり、議論を交わす恋愛討論映画である。映像と音楽で盛り上げて、当人たちは黙っている日本とは大違い。これがヨーロッパの底力。

 日本公開は1989年だった「クレールの膝」(1970)は、公開当時見た時に一番面白かったロメール映画。何しろ「エロの極致」である。と言ってもエロスの対象は「ひざ」なんだから、驚き。しかも、タイトルロールのクレールはなかなか登場せず、妹のローラが恋愛ごっこの対象として延々と撮られている。これもヴァカンスのアヌシー湖畔の物語。冒頭のモーターボートが橋をくぐるシーンから素晴らしい名場面の数々。(後にアカデミー撮影賞を二度受賞するネストール・アルメンドロスの撮影。)男が友人の女性作家と再会し、少女姉妹を紹介される。だが、その段階ではクレールはまだ帰ってきていない。やっとクレールが登場するが、男友達とべったり。ところが、偶然「クレールの膝」に男は魅せられてしまい…。って、嘘でしょうというような設定を納得させてしまうから映像の力はすごい。

 「クレールの膝」は初めて見ると、エロティシズムを感じると思うが、今回見ると「いちいち言語で説明する」のがやはりフランス映画だなあと思った。もっとすごい言語の力を発揮するのは、「モード家の一夜」(1968)。今回唯一のモノクロ映画だが、アルメンドロスの撮影の美しさに絶句する。中身はほとんど議論で進行し、それもパスカルとか信仰の話が多い。ジャン・ルイ・トランティニャンは旧友とともに女医を訪れ、一夜を過ごすが何も起こらないというだけの話。それと教会で知り合った名も知らぬブロンド女性への恋心。その二人の女性とのやり取りだけで見せてゆく。すごいな、フランスは。ちなみに、男は「技師」とされ、カナダ、チリ、アメリカが長かったという。フランス中部のクレルモン=フェランの話だが、ここはタイヤメーカー、ミシュランの本社があるというから、ミシュラン勤務だったのか。

 最も軽い「レネットとミラベル 四つの冒険」(1986)は、偶然知り合った若い二人の女性を描く。パリの学生ミラベルは田舎旅行で自転車がパンクして、それを田舎で絵を描いていたレネットが助けて友達になる。レネットは翌年パリの美術学校に入り、一緒に部屋をシェアする。この二人の「日常生活の冒険」を描いていくわけだが、この二人もちゃんと意見を持っていて、たとえば路上で物乞いにあったらお金を与えるかどうかで大議論が始まる。すごく楽しい映画で、パリ風景の美しさも特筆すべきものだが、軽くて楽しい映画だけど、主人公たちがきちんと意見を言えて世界観を持っている。議論を描くだけで映画が成立する。そんな日常が日本にはないのに、「アクティブ・ラーニング」とか「18歳選挙権」とか始めてしまう。大丈夫なんだろうかと思う人は、「おフランス」の軽い恋愛映画を見るのもいいのではないか。フランス人はホントに10着しか服を持たないのか気になる人も。

 日本では当初クロード・シャブロル(「いとこ同士」など)、ジャン=リュック・ゴダール(「勝手にしやがれ」)、フランソワ・トリュフォー(「大人は判ってくれない」)の3人が「ヌーヴェルヴァーグ」として紹介された。また、同じくアラン・レネルイ・マルなどの映画も紹介されたが、他の監督は長いこと公開されなかった。このエリック・ロメールやジャック・リヴェット、ジャック・ロジェなど長いこと紹介されなかった。それどころか、今になっても日本では見ることができない多くの監督が存在する。

 それぞれがかなり違う作風であるが、「自由な作り方」以外にも共通点がある。それが「言語への信頼」。ゴダール映画は政治映画化した時期はもちろん、それ以外にも映像と同じくらい「言語」で表現している。映像派のように思いがちのトリュフォーだって、文学趣味は紛れもないし、「野生の少年」のように「言語」への信頼がベースにある。多分、フランス文化そのものが、「フランス語」というものによって成立しているという考えが強いのだと思う。それとともに、日常的に「議論」が日本よりも生活の中に存在するんだろう。まあ、ロメール映画も一つの「典型」であり、常にだれもが恋愛を議論する人ばかりではないと思うけど。

 「海辺のポーリーヌ」の「海辺」はノルマンジーで、コートダジュールではない。パリからはもっと近いから、映画でも北や西の海もよく出てくる。「クレールの膝」はアヌシーが舞台だが、映画ファンには国際アニメーション映画祭で有名な場所だが、どこにあるか知らなかった。フランスでもほとんどスイスに近いところで、アルプス山脈のふもと。海に山にと美しい景色を映像で見られる。だけど、海でも山でも美しさでは日本も負けていない、というかしのいでいるかもしれない。だけど、夏に一カ月も長期滞在するという文化がないから、こういう映画が出てくるはずがない。やはりうらやましい。

 これらの映画は、80年代に主にシネ・ヴィアン六本木で公開された。「シネヴィヴァン六本木 栄光の軌跡」という公開全作品を網羅しているサイトがあるが、ゴダール「パッション」で1983年に出発したこの映画館では、ほとんどすべての映画を見ていたことに自分でも驚く。タルコフスキー「ノスタルジア」や小川紳介「ニッポン国古屋敷村」、ヴィクトル・エリセ「ミツバチのささやき」「エル・スール」などが並ぶ公開映画一覧は今見ても壮観。ロメール作品は、87年1月に「満月の夜」が公開されたのを皮切りに、「緑の光線」、「友だちの恋人」、「レネットとミラベル 四つの冒険」、「クレールの膝」と80年代だけで5本も公開された。90年代に入ると、以上に「モード家の一夜」を合わせた特集上映。そして四季の物語シリーズの第一作「春のソナタ」、続いて旧作「獅子座」をはさんで、「冬物語」「木と市長と文化会館」「パリのランデブー」、「秋物語」と続く。その間に旧作の「愛の昼下がり/O公爵夫人/飛行士の妻/美しき結婚」の連続上映もあった。最後のころはもう全部は見ていないが、99年をもって閉館したミニシアターにとって、ロメール作品が非常に重要だったことが判る。ある種「80年代」っぽいというか、一種の空白感も含めて時代性も感じられるかもしれない。「セゾン系映画館」を代表するような映画館、シネヴィヴァン六本木という場所を思い出すにはロメール映画が一番。「おししい生活」を象徴するような映画かもしれない。アンスティチュ・フランセ東京でもロメール作品の上映があるので、できればこの機会にいろいろと見直してみたいと思ってるところ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

サミュエル・フラーとジャンル映画

2016年05月07日 23時06分09秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ニュースの話に本の話、さらに季節が春を迎え散歩の記録と書きたいことがたまり続けているが、昨日まで3本見たサミュエル・フラー(1912~1997)の映画の話をまず最初に。サミュエル・フラーという人は、アメリカで低予算の戦争映画、西部劇、アクション映画などをたくさん作った映画監督である。それは「B級映画」と言われるような映画がほとんどだが、フランスで「カイエ・デュ・シネマ」に拠る若い批評家に「映画作家」として「発見」された。ゴダールの最高傑作「気狂いピエロ」(夏にデジタル修復版が公開される)に出演して「映画は戦場だ」と永遠に映画史に残る名セリフを残した。

 今度長い自伝が翻訳されたのを機に、連続上映が行われた。また昨年のぴあフィルムフェスティバル(PFF)で特集上映が行われた。連続上映が渋谷のユーロスペースで行われた時には行きそびれたが、連休中に池袋の新文芸坐でレイトショーで上映された機会に、3つの映画を全部見た。これがやっぱりとても面白い。去年のPFFでも何本か見たけど、やっぱり面白かった。この面白さは何なのだろう。(なお、「自伝」は6千円もする分厚い本なので買ってない。)

 昨日見たのは「チャイナ・ゲート」(1957)。これは映画のジャンルとしては、インドシナ戦争中の露骨な反共戦争映画である。中国からベトナムへ入る国境の町。そこに「レッド・チャイナ」から支援された武器を収めた倉庫がある。これを爆破する命令を受けた外国人部隊の話。まだアメリカが本格的に介入した「ベトナム戦争」以前の時代で、植民地の宗主国フランス軍がホー・チ・ミン率いる「ベトミン」と戦っている。この映画にあるように、またグレアム・グリーンの「おとなしいアメリカ人」に描かれているように、実は50年代からアメリカはこの戦争に深くコミットしていた。

 そういう意味でも興味深いけど、もちろんこの映画の魅力は別のところにある。作戦を指揮するアメリカ人ブロックは、現地の案内人として混血のリア(「ラッキー・レッグズ」(幸運の脚)とあだ名される)を雇うが、二人は実は前に結婚していた過去があった。しかし、生まれた子どもが母の中国系の顔立ちを受け継いでいたために、ブロックは妻を捨てたのである。今回リアは息子をアメリカに送ることを条件に作戦に協力することにした。という「過去の因縁」を抱えつつ、ここで敵味方を超えて商売してきたリアの巧みな案内で彼らは兵器庫に近づいていく。中越国境がメコンデルタみたいでおかしいが。

 その戦争映画的展開も結構演出が冴えているが、やはり目玉はリアを演じるアンジ―・ディキンソン。「リオ・ブラボー」に出ていた、あの女優。後にバート・バカラックと結婚した。(その後離婚。)なんで「混血」(フランス人の父と中国系の山岳少数民族の母らしい)なんだと思うが、実際「幸運の脚」を披露しまくり、しかも完全に中国系の男の子の母という役。一行の中には、アメリカ出身の黒人兵もいて、そのゴールディはなんとナット・キング・コールが演じている。僕は大好きで何枚もCDを持っているが、こんな映画に準主演していたとは。そしてヴィクター・ヤングの作った主題歌も歌っている。「チャイナ・ゲイト」と低音で歌う声が耳について離れない。

 「戦争映画」、それも「反共」を掲げた安手の「ジャンル映画」なんだけど、実際の印象は人種問題をテーマにした心理サスペンスである。「アジア」と「人種差別」はフラーが長くこだわり続けるテーマ。「ホワイト・ドッグ」という黒人を襲うように躾けられた犬という過激な発想の映画を後に作る。この映画の前には、「東京暗黒街・竹の家」という日本を舞台にした変てこな映画も作った。(ラストで浅草松屋の屋上にあった屋上遊園地が出てくることは川本三郎氏が紹介して有名になった。)それは昨年のPFFで初めて見たが、全く変な映画だった。

 「チャイナ・ゲート」だけで長くなってしまったが、最初に見た「裸のキッス」(1964)もすごい。都会で体を売っていた女がすべてを清算して田舎の町に降りる。一日だけ警官と付き合うが、その後病院で身体障害児のケアをする仕事を得る。そこで認められ、病院の経営者、この町そのものを作った一族の名門に見初められる。こうして幸福な玉の輿が訪れるかと思ったら…。この女性を演じるコンスタンス・タワーズという女優が素晴らしく、冒頭から目が離せない。テイストは明らかにB級の心理サスペンスなんだけど、演出が冴えている。完璧に映画に心をつかまれてしまう。

 「ショック集団」(1963)になると、新聞記者による犯人探しという「ミステリー」というジャンル映画の枠を借りた、完全に独自なシュルリアリズム映画になっている。何しろ、事件は精神病院で起こり、そのため記者は自分も精神病を詐病して入院して真相を突き止めようというトンデモ映画である。3人の目撃者をめぐる超現実的な映像を散々展開している。(アジアの兵役経験のある患者には、鎌倉大仏の映像が出てくる。「東京暗黒街・竹の家」を撮影した時に自分で撮りためていた16ミリフィルムだという。)精神を病む黒人青年は、なんと自分がクー・クラックス・クランになって黒人を迫害する幻想を抱いている。ここでも「人種」という問題が出てくる。そして、やがて記者本人にも精神の破綻が訪れ、犯人を突き止めてピュリッツァー賞を得た時には人格が崩壊している。という展開はやはり「精神疾患」への誤解のようなものがうかがわれる。とはいえ、やはり「ジャンル映画」の枠を借りて突き抜けてしまうという、いかにもフラー映画らしい作品には違いない。

 去年見た「ストリート・オブ・ノー・リターン」(1989)はフラー最後の作品で、公開当時見逃したのだが、やはり「メロドラマ」の枠を借りた男の復讐譚が見事に描かれている。暗黒街のボスに復讐するために、人種暴動の起こる街を駆けめぐるキース・キャラダイン。ボスにのどを切られて、人気歌手が声を出せなくなったという設定もすごい。フラーの場合、作られた映画はほぼ「ジャンル映画」と言ってよい。ごく一部の監督を除き、商業映画はまずペイするために、娯楽映画のさまざまなジャンルの一つとして企画される。時代劇、西部劇、メロドラマ、青春ロマンス等々。そして、特に昔は映画興行を維持するために、面白い映画を早撮りする監督に需要があった。大作がこけたり、製作延期になったりしたときに、観客を満足させる小品映画も無くてはならない。2本立てなら、一本は大スターが出る映画で、もう一本はB級スターが出る映画。

 だけど、時にはそういう映画の中から、「ジャンル映画」を極めて突き抜けるような作品が出てくる。映画祭やベストテン、あるいはヒット・ランキングなんかではスルーされるけど、そういう映画を「発見」することは映画ファンの喜びである。日本映画だと、鈴木清順の映画「けんかえれじい」とか「刺青一代」なんか。あるいは中川信夫の「東海道四谷怪談」。若松孝二のピンク映画時代、「犯された白衣」「胎児が密漁する時」なんかもそうだろうか。清順の「東京流れ者」や「殺しの烙印」になると、ジャンル映画の自己パロディになる。ジャンル映画(あるいはジャンル小説、ジャンル漫画など)は、展開がパターン化しているから、ある程度極めると自己パロディをするか、「A級」になりたくなるんだろう。でも、サミュエル・フラーは一貫して「B級映画作家」だった。そこが凄い。実際、一度見始めると眠気を覚えない展開が続き、これが映画だという感じを覚える。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

生誕百年、オーソン・ウェルズの映画

2015年10月25日 21時53分21秒 |  〃 (世界の映画監督)
 東京国際映画祭が始まっているが、例によって僕の見たい映画は行きにくい時間に集中している。今年はフィリピン映画が特集されていて、ぜひ見たいと思ったのだが。そんな中で、フィルムセンターでは映画祭関連企画として「生誕百年 オーソン・ウェルズ 天才の発見」を行っている。これは企画発表時から、今年一番期待していた。オーソン・ウェルズは、日本で現在見られない映画が多く、あの「天才児」の全貌を長く評価できないでいるからである。

 オーソン・ウェルズ(1915~1985)は、日本では70年代半ばに出たニッカのウィスキーのCMで広く知られた。「容貌魁偉」の風貌を生かして、「第三の男」をはじめとする印象的な俳優としても知られていた。でも、大恐慌下の演劇活動、全米をパニックに陥れたラジオドラマ「宇宙戦争」、そしてハリウッドに招かれて、僅か25歳にして作った「市民ケーン」。製作、脚本、監督、主演を兼ね、映画史を書きかえる傑作だったが、モデルとなったハースト系新聞に攻撃され「呪われた映画」になってしまった。日本では、遅れて1966年に公開され、ベストワンになっている。そのような「伝説の人」だった。

 だけど、今回のプログラムに「市民ケーン」はない。まあ、何回か見ているし、映画ファンには周知の作品だから、それはいいかもしれないが、第2作の「偉大なるアンバーソン家の人々」が入っていないのは残念。日本では70年代後半から80年代にかけて、ミニシアターで過去のウェルズ作品がかなり公開された。それ以前に、同時代的に公開されたのは、多分「マクベス」(1948)と「審判」(1963)ぐらいではないかと思う。カフカ原作の「審判」は、今まで見る機会がなく今回初めて見たが、実に美しいモノクロ撮影に圧倒された。美術、演出とあいまって、「前衛的映画」として成功している。もっとも、何が何だかわからないとも言えるが、それは原作の設定から来るんだから仕方ない。

 ウェルズはシェークスピアを「マクベス」「オセロ」と作ったが、どっちも上映がない。65年に作った「フォルスタッフ」は上映されるが、日本公開時に見たので、今日の上映はパスした。実に素晴らしく、中世イギリスを再現した映画で、ウェルズの演出も演技も印象的だった。一方、「フィルム・ノワール」系でも、あの面白い「黒い罠」がないのは残念。だけど、「上海から来た女」(1947)が「復元版」として上映される。これは金曜の夜に見たが、あまりの映像の美しさに絶句した。「ファム・ファタール」ものの素晴らしい傑作である。当時ウェルズの妻だったリタ・ヘイワースの美貌。(「ショーシャンクの空に」で貼ってあったポスターの人である。)そして、ラストに潜り込む遊園地の中を逃げ回るシーンの素晴らしさ。あまりにも有名な「鏡のシーン」に改めて呆然となる。日本で遅れて公開された時に見ているが、これは何度見ても素晴らしい映画だと思った。(もう一回見ようかな。)

 全く見たことがないのが、「Mr.アーカディン」(1955)や「不滅の物語」(1968)である。後者はデンマークのイサク・ディーネセンの原作による58分の作品で、テレビと劇場双方の公開を考えて作ったと書いてある。他に、最後の作品「フェイク」(1973)と、ウェルズについてのドキュメンタリー2本、企画に協力しているミュンヘン映画博物館のディレクターによる講演が企画されている。見られない映画が案外多いのだが、とにかく非常に貴重な機会であることは間違いない。

 オーソン・ウェルズはアメリカの映画監督だが、第一作からハリウッド映画の枠を超越して作り続けた、真の天才監督である。そこがハリウッドに入れられず、完成しない映画、ズタズタにされた映画が多い「呪われた」監督の系譜にある。これほどの巨人はアメリカに受け入れられないのだろう。戦後もむしろヨーロッパで作り続けた。今回は懐かしいニッカのコマーシャルも上映されている。「マッサン」の後だから、なんだか感慨深いものがある。
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

サタジット・レイの映画を見る

2015年10月01日 23時11分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 9月下旬はずっと体調不良で、あまり出かけることもなかった。ようやく少し元気が出てきて、自分で書いたサタジット・レイの映画も終わりに近づいているので、見逃したくないので見に行った。ホントは今日から大岡昇平の話を書こうと思ったんだけど、どうも長くかかりそうで大変だ。サタジット・レイは記憶にある以上に感銘を受けたので、前に書いたものを手直しして紹介しておこうと思う。

 インド映画界の巨匠、サタジット・レイ監督(1921~1992)の特集上映が10月9日まで4週間にわたって行われている。東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで「シーズン・オブ・レイ」と題して、「チャルラータ」と「ビッグ・シティ」(以前「大都会」として公開)のデジタル・リマスター版が上映されるのである。没後20年以上たって、もうサタジット・レイの映画を見たことがない人も多くなっているかと思うが、非常に素晴らしかったので是非見て欲しい。
  
 近年はインド映画もたくさん公開されるようになったけど、その多くはムンバイ(旧ボンベイ)で作られたヒンディー語の歌と踊り入りの大娯楽映画である。あるいはチェンナイ(旧マドラス)で作られるタミル語映画も、ラジニカーント主演の「ムトゥ 踊るマハラジャ」などかなり公開されている。しかし、サタジット・レイの映画はベンガル語のアートシネマで、娯楽映画が日本で公開されるようになる前に、日本で見られた唯一のインド映画だった。だから、ベルイマンやブレッソンの映画を見に行く感覚である。

 「チャルラータ」はタゴール(アジア初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩人)の原作で、1879年のカルカッタを舞台にしている。大邸宅に暮らすチャルラータは、裕福な新聞社の社長の妻だが、夫は多忙で妻は孤独である。そこに詩を口ずさむ芸術家肌の夫のいとこアマルが現れる。揺れるチャルラータの心。夫は独立運動とまではいかないが、英国の選挙では自由党の勝利を祈っている立場。政治の動きに関心を持っている。しかし、妻とはこの話題は出来ないものと思い込んでいる。女は政治に関心がないと決めつけている。夫の政治新聞に妻の居場所はない。そこに若くて芸術家肌の青年が現れたわけである。夫はアマルに妻の文学的才能を見極めて欲しいと頼む。妻も詩を書いたりし始める。日々を静かに見つめながら、緊迫した映像を作りだした「チャルラータ」は、サタジット・レイの最高傑作という人も多い。僕も一番好きな作品である。レイ自身が脚色、音楽も担当している。もちろん、具体的には何も起こらないので、心の中だけの心理的サスペンスなのだが、緊迫した画面に見入ってしまう。主演のマドビ・ムカージーが素晴らしく、モノクロ撮影の美しさにうっとりする。

 「ビッグ・シティ」は1958年のカルカッタを舞台にして、家計を補うために働きに出始めた妻を描いている。「女が外で働く」ことがインドの中流階級では珍しかった時代。そんな女性が営業の才能を発揮し始めていく中、夫の銀行が倒産してしまう…。まさに「大都会」そのものを描くこの映画は、同時代の日本や中国(戦前の上海映画)に描かれた「大都会」のイメージと比較して論じたくなる作品。アジアの共通の問題意識を感じたように思う。記憶の中では、「大都市」を描く映画というイメージだったのだが、見直してみると「女が働くこと」をテーマにした一種のフェミニズム映画だった。最初に見たのは若い時だから、その観点は印象に残らなかったのだろう。ラスト、妻のアロティが会社の社長に抗議する場面の気高いシーンは見逃せない。どんな思いで監督がこの映画を作ったのか、よく伝わる。半世紀前のコルカタというアジア有数の大都会で、インドの家族状況をじっくり観察できるのも魅力だ。教師をしていた義父(夫の父親)が貧乏になって見せる姿も印象的。(以下の紹介は前回書いたもの。)

 サタジット・レイはコルカタ(旧カルカッタ)の芸術一家に育ち、ジャン・ルノワールがインドで撮った「河」の製作に協力したり、イギリス滞在中に「自転車泥棒」(デ・シーカ)に衝撃を受けるなどして、映画を作り始めた。つまり、商業映画界の出身ではなく、インディペンデントの個人映画が出発なのである。完成した「大地のうた」(1955)はインドでも外国でも好評を博した。この映画はインド農村で育つオプーという少年の物語で、翌年作られた続編「大河のうた」はヴェネチア映画祭で金獅子賞を受けた。日本での公開は遅れて、1966年に「大地のうた」がアートシアター系で公開されて、外国映画ベストワンになった。「大河のうた」も1970年にATG系で公開されたが、オプー三部作の最後の作品は未公開だった。その「大樹のうた」(1958)が日本で公開されたのは、1974年。高野悦子らの「エキプ・ド・シネマ」の岩波ホールの映画上映は、「大樹のうた」から始まったのである。

 僕はその時は見に行かなかった。三部作の最後から見るのもなあと思い、岩波ホールでは次のエジプト映画「王家の谷」から見ている。その後、岩波ホールでオプー三部作の一挙上映があり、その時にすべて見た。以後、岩波ホールは、映画祭で受賞したサタジット・レイの名作を次々と公開し続けた。たぶん、今回リバイバルの「大都会」(1963、ベルリン映画祭銀熊賞)、「チャルラータ」(1964、ベルリン映画祭銀熊賞)及び「詩聖タゴール」(1961)の3作品連続上映が最初ではなかったか。以後もレイ作品はたくさん公開されているが、全部名前を挙げても仕方ないだろう。特に面白かったのは「遠い雷鳴」(1973、ベルリン映画祭金熊賞)や「チェスをする人」(1977)などで、「家と世界」(1984)、「見知らぬ人」(1991)など最後の頃の映画も岩波で上映された。僕は全部見ているし、とても好きだったけど、日本では「大地のうた」以外はベストテンに入っていない。インドの風習や歴史などがとっつきにくいと思われた部分もあったのではないか。ぞれが僕には残念な気がしたものである。今回の上映をきっかけに、日本でもサタジット・レイの再評価を望みたい。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

キューブリックの映画を再見

2015年04月06日 00時50分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick 1928~1999)の映画作品5本をデジタルでやるというので、見たいと思った。全部見ているけれど、ずいぶん忘れてしまった。僕の中では一番良かった「バリー・リンドン」も、今見てみるとどうなのか。50年代から作り続けて、最初は名前の読みもクブリックとかカブリックとか書かれたりしていたけど、やがてキューブリックに統一された。アメリカの生まれだが、後にイギリスに定住した。4作目の「恐怖と欲望」(1953)は2014年に初めて日本公開されたが、あまり面白くなかった。「非情の罠」(1955)、「現金に体を張れ」(1956)の犯罪映画で注目され、特に後者は傑作。「突撃」、「スパルタカス」(1960)、「ロリータ」(1962)と話題作を監督。

 1964年の「博士の異常な愛情」が今回上映で一番古い。「または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」という長い副題が付いているブラックユーモアの大傑作。原題は「Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb」という。これは昔2回見ている。1回目はよく判らなかった。少し大人になって再見したら、ものすごい傑作ではないか。ある意味でキューブリックの最高傑作ではないかと思っていたのだが、何十年ぶりに「冷戦崩壊」以後に初めて見たら…。細部はかなり覚えていたのだが、昔ほど面白さを感じなかった。3役やってるピーター・セラーズやタカ派将軍のジョージ・C・スコットなどの演技は面白い。だが米ソの冷戦に基づく「狂った将軍の暴走」という悪夢のシナリオが、今見て少し古く感じられる。それは良いことなんだろう。

 次の1968年の「2001年宇宙の旅」は今回は上映がない。伝説的なSF映画で、70年代半ばにはなかなか見られず、ぴあが「もういちど見たい映画」のアンケートをすると、いつもダントツで一番だった。1978年にリバイバルされてようやく見たのだが、噂通りよく判らなかった。まさか本当に2001年が来てしまうとは思わなかったが、題名の年2001年にリバイバル上映された時にも見た。

 1971年の「時計じかけのオレンジ」は公開時に僕が見た初めてのキューブリック映画。日本公開は72年だが、非常な評判を呼んだ記憶がある。アンソニー・バージェスの近未来SFの映画化だが、暴力・犯罪・性をめぐる様々な議論を呼び起こす映画で、画面の異様な魅力や独特の言葉遣いなど不可思議な魅力がある。ただ、昔見た時は案外見かけ倒しのような気がして、同年に公開されたペキンパー「わらの犬」の方がすごいと思った記憶がある。今回見ても、面白いことは面白いんだけど、案外ぶっ飛んでなくて、逆にそこが生きているように思った。ストーリイ的にはほぼ忘れてて、こういう映画だったのかと改めて思った。犯罪抑止のための「療法」による精神改造が問題になるわけだけど、そこも時代性を抜けていなかった感じがする。面白くは見られるけど。

 1975年の「バリー・リンドン」はイギリスのサッカレー原作による18世紀ヨーロッパの風雲児を描く大冒険歴史映画。ある男が故あってアイルランドを抜け出し、大陸での戦争、スパイ、ギャンブルなどの末に地位とカネを得るが。3時間超の映画で、前半で得たものを後半で失っていく。まだ技術力の低い時代に、最高度の高感度フィルムで当時の社会を生き生きと描きだし、その研ぎ澄まされた画面に当時は魅入られたものである。だけど、今になってはどうかと心配したのは杞憂で、今見てもヨーロッパの城や田園の美しい風景描写はたとえようもないほど素晴らしい。それを見るだけでも眼福だが、物語の面白さも飛びぬけていて、今回も圧倒された。歴史物語は面白いし、「成り上がりと墜落」という主題もいつでも不変だなと思う。18世紀欧州の戦争や宮廷外交のイメージは、こういう映画を見ないとなかなか実感できない。やはり一番好きな映画だと思う。

 1980年の「シャイニング」はキングのホラー小説の映画化だが、僕には案外つまらなかった。今回は上映なし。1987年の「フルメタル・ジャケット」は日本ではベストテン2位になり、一番評価が高い。けれど、僕はどうにもやりきれなくて好きになれない。前半の海兵隊の訓練シーンがすごくて、それしか覚えてなかった。後半のベトナム戦争のシーンがあんなに長いとは。でも、それぐらい前半の訓練がすごすぎるのである。そういうもんだと教えてくれる映画としては貴重だけど、どうもダメだ。後半のベトナムのシーンは案外普通で、他のベトナム戦争映画にもっとすごいシーンがある。68年のテト攻勢で、フエに行かされるところはすごい。北側の虐殺も描いている。映画としての力はあるが、それより最初にある「好きか嫌いか」というレベルでつまづく映画。

 最後になってしまった1999年の「アイズ・ワイド・シャット」。完成直後に監督が急死した。トム・クルーズ、ニコール・キッドマンの当時実際の夫婦(2001年に離婚)が共演して、しかも主題が「性をめぐる嫉妬」だというので話題となった。でも、当時見て何だ、これはと思って、ストーリイもほとんど忘れてた。一番古い「博士の異常な愛情」を覚えてるのに、一番最近を忘れる。でも、今見ると結構面白いではないか。実の夫婦も離婚しちゃうんだしといった、「その後の展開」を知ってるからか。映像が洗練されているのと、物語的な面白さがあるのである。まあ、夢のような謎めいた部分が多い映画だが、ゴシップや監督急死と言った当時の話題性が忘れられた現在の方が面白いかもしれない。「性をめぐる秘密の冒険」という主題も古びるわけないので。こうしてみると、キューブリック映画も多様だが、実験的、時代的だった部分の方が早く古びていく感じがする。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

レイス・チェリッキの映画-現代アジアの監督⑥

2015年03月14日 23時41分12秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画特集。最終週はトルコレイス・チェリッキ(1860~)という人である。全く知らない。映画祭等での受賞歴もないようだけど、トルコに関心があり、クルド人問題などに関する「問題作」が多いらしいので、これも見ようと思う。トルコ映画といえば、クルド系で獄中から監督したユルマズ・ギュネイ(1937~1984)を思い出すけど、わずか47歳で亡くなった劇的な人生(貧しい少数民族出身の人気俳優から、逮捕、獄中監督、脱獄、フランス亡命、カンヌ映画祭パルムドール受賞…)も、その後回顧上映も行われてこなかったので、忘れられているかもしれない。近年、トルコ映画はけっこう映画祭で注目されていて、特に2014年のカンヌ・パルムドール受賞のヌリ・ビルゲ・ジェイランの3時間16分(パルムドール史上最長という)にわたる「雪の轍(わだち)」もいよいよ公開される。また、セミフ・カプランオール「卵」「ミルク」「蜂蜜」のユスフ三部作も思い出に残る。

 まずトルコという国の問題を先に書いておく。トルコの重要性は近年非常に大きくなってきた。ヨーロッパ世界と「中近東」(イスラム教世界)の接点にあり、古くから東西交通の交点だった。トルコ周辺は第二次世界大戦後、ずっと世界の焦点で、例えば「イスラム国」国問題も、経済危機のギリシャもトルコの隣国で起こっている。ソ連崩壊以後、中央アジアのトルクメニスタン、カザフスタン、ウズベキスタン、カフカス地方のアゼルバイジャンなど多くのテュルク系(トルコ系)民族が独立国家を形成し、トルコとの協力関係も深まっている。ロシア内のタタール人、中国内のウィグル人もテュルク系。オスマン帝国崩壊後、ムスタファ・ケマル・アタチュルクによるトルコ共和国建国により、イスラム教を国教としない世俗国家が成立した。しかし、近年のエルドアン大統領(2014年、首相から大統領に就任)により、イスラム化が少しづつ進行している感もあるし、最近の大統領の言動には、強権化、独裁化の兆しも見られる。でも、エルドアン時代に経済の成長が続いてきたのも確かで、政治的、経済的、文化的にものすごく重要である。ロシアへの対抗意識から、日露戦争の頃から親日的とされる。

 そんなトルコなんだけど、トルコ文化の紹介は少なく、ノーベル賞受賞作家オルハン・パムクの小説の翻訳とときたまのトルコ映画紹介ぐらいしか、なかなか触れる機会が少ない。(古代トルコ文明展などは結構あるけれど、現代文化という意味である。)その意味で、今回のレイス・チェリッキの上映は期待するところだったけど、映画そのものの評価としては一番、「普通の社会派」っぽい映画が多かった。もともとジャーナリストだったということで、その意味で「現実を伝えたい」という問題関心から映画製作を行ってきたんだと思う。デビュー作の「そこに光を」(1996)は、一番そういう感じがする作品で、まだ習作という感じも残る。クルド人が居住する東部辺境地帯の厳しい現実を描く作品だが、3000mを超える山々の雪に閉ざされた自然も印象的。「ゲリラ」と言われているけど、クルディスタン労働者党(PKK)による激しい内戦が続いていた時代の話である。バスが襲われ、政府に協力して「自警団」に入った住民が引き出され、銃殺される。軍は追撃隊を出すが、大雪崩にあってゲリラ2名と軍の隊長だけ生き残る。この両者の逃亡と追跡を描く映画だけど、最後に出てくる老人(村人が逃亡した中で1人村に残っていた)が軍とゲリラを非難する。監督は両者ともに批判するような作りになっていると思ったが、「ゲリラ」側も村人に対して「テロ組織」のような意識を持っている(ように描かれている。)当時の情勢として、非常に勇気ある作品だと思う。

 次の「グッバイ・トゥモロー」(1998)は、かつての軍政時代に共産主義運動で死刑になったデニズ・ゲズミスという青年活動家を描いている。実話に基づくというけど、この人名を検索しても映画のこと以外にはよく判らない。非常に緻密に描かれた「死刑執行までの社会派映画」で、当時のフィルムを交えたドキュメント的な映画。ドイツの「白バラ」、スペインの「サルバドールの朝」みたいな感触で、国と時代が違うけど、似たような出来事が起こったということだろう。「トルコ人民革命党」だったか、確かそんな名前だから、世界的な「極左組織」を扱った映画にも似ている。映画としてはデジャヴ感が強いんだけど、トルコで作られた勇気と重要性は頭では理解できる。

 「頑固者たちの物語」(2004)はガラッと変わって、民話的なファンタジーに近い傑作。舞台はまた東部辺境地域となるが、政治的な映画ではなく、そこの地域の伝説などをもとに「頑固者」の男たちを描く。大雪の中、ミニバスの運転手と馬ぞりの馭者がどっちが村に早く着くか競争になる。乗客は無理しないでくれというけど、「頑固者」はいうことを聞かない。そりは凍った湖上を通ろうとするが、追いつくためにバスも氷に乗り出そうとする。そんな中で、さまざまのエピソードが語られていく。結婚式の席上、賭けをしたまま決着がつかずそのことに我慢できない頑固者。村娘と結婚したい息子を金持ちの娘と結婚させたい有力者が、村娘にこたえられそうもないパズルを出す男。ところが、期限の40日も終わるころに、涙とともに解答が見つかる。そんなエピソードは本当にあったのかも、いつの時代のことかもわからないけど、淡々と語られる中で辺境に生きる「頑固者」が生き生きと描かれる。命を粗末にするほど頑固なのも困るし、恐らく家族に迷惑な家父長なんだろうけど、そう言う側面の批判はおさえて、民話的に語られている。

 4本目の「難民キャンプ」(2008)は、クルド人の大人しい青年が、放火の疑いで軍ににらまれ、国外に逃がすことしかないだろうとドイツに逃れて、そこの「難民キャンプ」(というより、収容所という感じの大きな建物で、日本と同じ)で暮らすようになり。そこには同じクルド人も多いし、アフリカからの人もいる。どうすればドイツの裁判所に認められるかなどを考え、突然「自分は同性愛で、本国では迫害される」などと主張を変えるものもいる。主人公は地主の息子で、ゲリラではないから、逆にクルド人難民の中でも孤立する。絵の好きな芸術家タイプの青年で、画家の先生から離れて村の娘とデートしてる時に、小麦畑が放火される。ガソリンを撒いているから、完全に放火。どうも地主の父が軍になびかず、ゲリラにも中立だったから、軍ににらまれ放火事件が起こされたらしい(と匂わせられているが真相は判らない)。そのため運動家でもなく、「経済難民」でもなく、外国で生きていく決心もないまま、ドイツに行ってしまったのである。この主人公のドイツでのアイデンティティの揺らぎが悲劇的に語られる。語り口は洗練されて、見応えがあった。「先進国」を目指す「難民」の事情が様々に描き分けられ、題材的に興味深い。典型的な社会派映画だと思う。4本通して、辺境部の自然環境の厳しさが印象的。そして、そこでの軍事的な緊張感の激しさ。ロシア、中国、インドなんかも、大都市は発展していても辺境部は軍事的緊張関係にあるというところは共通なのではないかと思うが、トルコの場合もイスタンブールでは判らない現実があるわけである。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

マニラトナムの映画-現代アジアの監督⑤

2015年03月07日 00時51分27秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターのアジア映画特集、順番がショエーブ・マンスールと逆になったけど、インドの巨匠マニラトナムの映画を取り上げる。インドととパキスタンと言えば、今はもう別の国というイメージが強くなってしまったが、もちろん1947年の分離独立までは同じ国である。それまでは大英帝国統治下のインド帝国(英国王を皇帝とする)だった。しかし、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を完全に分離できるわけもなく、分離独立したパキスタンとバングラディシュ(1971年までは東パキスタン)だけでなく、インド国内にも1億6千万人ほどのイスラム教徒がいる。ムスリム人口の多さでは、インドネシア、パキスタンに続いて世界第3位である。(ちなみに4位はバングラディシュ。)分離独立時には、相互に住民移動が行われた。ショエーブ・マンスール「BOL」の父親はデリーから、パキスタンのカラチ、さらにラホールに逃れた。一方、最近公開の「ミルカ」の主人公は、シーク教徒の少年だが、パキスタンからインドに難民として逃れてきた。その後も印パの対立、宗教紛争が常に起こってきた。

 マニラトナム(1956~)はインド南部、チェンナイ(旧マドラス)を中心とするタミル映画の巨匠である。「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロボット」などで知られるラジニカーントもタミル語映画の大スター。彼らの映画はタミル語で作られ、他の地域ではヒンドゥー語など他の言語に吹きかえられて公開される。「大地のうた」三部作などで有名な巨匠サタジット・レイはベンガル語映画。インドは巨大な世界で、映画もいくつもの言語で作られている。マニラトナムはヒンドゥー語やマラヤラム語などでも作っているが、ほとんどはタミル語映画。しかし、描くテーマはインド全体に及んでいる。今回上映された「ロージャー」(1992)から、音楽をA.R.ラフマーン(1966)が担当している。「スラムドッグ$ミリオネア」で米国アカデミー賞の作曲賞、歌曲賞を受賞した人である。

 マニラトナムの映画は何本か公開されているが、どれも長いし、歌と踊り入りである。昨年公開された「めぐり逢わせのお弁当」など最近は踊りなしのインド映画もあるが、マニラトナム映画はA・R・ラフマーンの華麗なる音楽に乗せた素晴らしいダンスシーンが忘れがたい。大自然の中で踊るシーンも多い。水と光の映像美に歌とダンスがあいまって、躍動感あふれる映像に心を奪われ、時間を忘れる。しかし、それだけではない。テーマは「愛と平和」をストレートに歌い上げ、戦争を憎み、憎しみをあおる狂信的指導者やテロに怒りをぶつける。そのストレートさは日本だったらウソに見えかねないが、彼はインドという矛盾の塊のような世界で自分の命をかけて作っている。世界の映画界で一番、戦争やテロで罪なき子供が苦しむ現実に怒り、愛の素晴らしさを訴える映画を作ってきた監督だと思う。

 僕は昔「ボンベイ」に深い感銘を受け、自分のインド映画ベストワンと思ってきた。まあ、サタジット・レイ「大地のうた」やグル・ダッド「渇き」より本当に上かと突っ込まれると困ってしまうが。今回見た中では、改めて見た「ボンベイ」がやはり素晴らしいと思う。「ザ・デュオ」も見ごたえがあった。「ロージャー」と「頬にキス」も悪いわけではなく、見ごたえがある作品には違いないが、作中に出てくる時事的な側面が前面に出て、テーマ主義的というか「国策的」「愛国的」という面が映画を弱めている感じがする。また、女優の「美形度」という観点でも「ザ・デュオ」や「ボンベイ」が圧倒的に素晴らしい。

 「ロージャー」(1992)は、マドラスで軍に頼まれ暗号解読を仕事にしている技師リシ(チラシにインド軍兵士とあるのは誤りで、民間人)の物語。妻には田舎の娘がいいと思い、ロージャーの姉と見合いするが、姉は実はいとこが好きで見合いを断ってくれと頼まれ、妹のロージャーと結婚したいと言ってしまう。この姉妹との結婚ドタバタの後で、誤解も解けたころ、内戦の続くカシミールに出張することになる。ロージャーも是非連れて行ってほしいというので夫婦でカシミールに行くが、厳しい現地の情勢の中、リシは反体制派に誘拐され首領との人質交換を要求される。政府はいったん交換を拒絶し、ロージャーの孤軍奮闘が続く。その間、誘拐された夫はテロ集団の中で苦しみながら希望を捨てず脱出の機会をうかがっている。インド国旗が燃やされると全身で焼けるのを阻止するシーンが典型だが、全体的に愛国主義的な側面が強く、反パキスタン感情が支配している。そのような「国策」的な作りには違和感を覚えるが、美しい自然の中で愛をうたいあげるダンスシーンは素晴らしい。また「テロリストに夫を誘拐された妻の苦悩」というテーマが、今の情勢から非常に共感して見てしまうことになる。

 「ボンベイ」(1995)は、1992年末と1993年初めに実際にインド各地で荒れ狂ったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で発生した暴動を背景にした作品である。暴動はボンベイ(現ムンバイ)で一番激しく、映画もそこで住んでいる夫婦の物語とされている。大学を出てジャーナリストとして働くシェーカルは実家に帰った時に、風がヴェールを一瞬まくり上げた時にシャイラの顔を見て一目ぼれしてしまう。彼の家は村の名家で、彼女の家はムスリムのレンガ屋。宗教的に絶対に相容れない間柄で、双方の親は頑強に反対するが、彼は思いを募らせ彼女も心を寄せる。彼はボンベイに帰るが、その後もひそかに文通を続け、父にばれた後で彼女は家を出てボンベイに向かう。二人はボンベイで結婚し、双子も生まれて幸福に暮らしていた。この妻を演じるのが、実際はヒンドゥー教徒のマニーシャ・コイララでネパールのコイララ元首相の姪という名家の育ち。この映画でスカウトされデビューしたが、素晴らしい魅力。

 後半はその彼らを襲うボンベイの宗教暴動のシーンの連続。カンボジアのポル・ポト政権を描く「キリング・フィールド」やルワンダ紛争を描く「ホテル・ルワンダ」を思い出させる圧倒的な恐怖感である。火をつけられ街は燃え上がり、人々は殺し合い、宗教指導者は扇動を続ける。シェーカルは子どもを探しながら、この愚行を止めようと全力を尽くすのだが。この暴動を聞き、両家の親は勘当したはずの子どもたちの安否を尋ねにボンベイにやってくる。このシーンは双方の張り合いが笑いを呼びながらも、親が子を思う心は万国共通、宗教の違いで引き裂かれるものではないと力強く観客に訴える。暴動シーンのあまりの迫力に言葉を失う思いがするが、このような悲劇を二度と繰り返してはいけないと見る者すべての心に沁み通る。宗教の名のもとに怒りを扇動する者への怒りが映画にみなぎっている。と同時に、最初の方の海辺の城塞での愛をうたいあげるシーンなど、歌と踊りの素晴らしさも忘れがたい。この映画は日本語字幕のDVDやビデオが出ているので、探せば見ることができる。

 「ザ・デュオ」(1997)は166分と一番長いが、政治そのものをテーマに二人の男の盛衰を長年月にわたって描く大河ドラマ。1970年代に実際に州知事を務めた大スターがいたというが、その話にインスパイアされた映画。脇役俳優のアーナンダンは母が危篤の電報で急いで帰ると真っ赤なウソ。結婚式が準備されていて、見たこともない嫁を貰えと言われ反発するが、実際に見たら一目ぼれ。愛妻プシュケとともに大スターを目指すが、妻は急死してしまう。そのころ脚本家で詩人のセルヴァムはアーナンダンを主役に映画を作り、大ヒットしてアーナンダンは一躍大スターになる。セルヴァムは腐敗した政界に怒りを持ち、親しく従ってきた師を代表に新しい政党を起ち上げ政治の刷新を訴えるようになる。大スターのアーナンダンも党員となり協力し党勢は上り調子。ついに州議会選で過半数を獲得し、セルヴァムが州首相となる。その後数年、スターの妻を持つアーナンダンは、次の相手役を探していて、一瞬目を疑う。まさに死んだ前妻にそっくりの美女がいたのである。(一人二役だから当たり前だが。)初めは警戒しながら、どうしても惹かれてしまう。その一方、自分も権力を欲しくなり大臣の地位を望むが俳優を辞めないとだめだと拒絶される。そしてセルヴァムを批判して党を除名。新党を起ち上げて彼も政界入りをめざす。そして選挙に勝って、今やアーナンダンが州首相となるのだが…。

 彼の「ファム・ファタール」(運命の女)を演じるのが、アイシュワリヤー・ラーイ(1973~)である。1994年のミス・ワールドで、たくさんの出演依頼の中から、「ゼ・デュオ」をデビュー作に選んだ。出てくると目を奪われてしまう圧倒的な超絶美人で、近年日本公開された「ロボット」でも今も衰えない美貌を披露していた。単なる美貌だけではなく、とにかくセクシーなダンスシーンも素晴らしいし、知性も感じさせる演技力もある。(大学で建築学を学んだという。)母語が南部のドラヴィダ系トゥル語という少数派出身だが、英語、ヒンドゥー語、タミル語など話せるという。(上の写真は最近のもの。)映画としては、とかく唐突感のあるミュージカルシーンが、この映画の場合ミュージカル映画を作っている大スターと美人スターという設定だから、違和感なく見られる。肝心の政界シーンは、成り上がって堕ちていくという定型だが、かつての友情が政敵に代わっていく迫力は出ている。彼の映画によく出てくる「360度パン」(多分円形レールにカメラを乗せてグルグル撮るんだと思う)が、非常に生かされていると思う。長い話で何だという終わり方でもあるし、せっかくのアイシュワリヤー・ラーイももっと使い道があるのではと思う。不満も多い映画だが、ポピュリズムと腐敗批判、映画界を舞台にした映画の魅力、歌の素晴らしさなど魅力も多い。

 「頬にキス」(2002)は、作家の父の娘アムダは9歳の女の子。実はスリランカ難民の子としてインドに生まれ、幼女として育てられてきた。いつか言うべきと思い打ち明けるが、アムダは実の母に会いたいとかつての難民キャンプを訪ねるなど、心が揺れてしまう。父と母はスリランカに行って実母を探そうと、内戦下のスリランカを訪れて、タミル人ゲリラが激しく闘う地域に向かうのだが…。最後の母子再会シーンなど、この映画が一番泣かせる映画ではないかと思う。親が子を思う心、子が親を思う心、そして戦争が親子を引き裂く悲劇への怒り。非常にストレートに伝わるが、どうも納得できない面もある。内戦下スリランカを舞台にするという、これも勇気ある企画だが、9歳の娘に真実を伝え、一緒に戦時下の村まで行くのは無茶である。普通はそうしないと思うが、現実の時間的制約から、9年前という設定になるんだと思う。その結果、どうしても無理やりテーマに当てはめた物語という感じがしてくる。またスリランカでロケしてる以上政府側で描く感じがしてしまう。しかし、タミル映画界のマニラトナムがタミル人独立運動をどう思っているかがよく判らない。彼は一貫して、自分の所属する民族であれ、過激な暴力的テロ集団を否定するのかもしれないが。親子の絆だけで泣かせる感じがしてしまう。(スリランカ北部には、インドから移住したタミル人が多く、タミル人地域独立運動が激しかった。インドにも支援する動きがあった。インドの介入に反対するテロリストによって、ラジブ・ガンジー元首相が暗殺された。)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ショエーブ・マンスールの映画-現代アジアの監督④

2015年03月06日 00時02分19秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フィルムセンターの現代アジア映画特集、第3週目はインドとパキスタンである。インドのマニラトナム監督作品を先に4つ見たけど、マニラトナムの映画の素晴らしさはインド映画を見ようかという人にはかなり知られていると思うので、順番を入れ替えて書きたい。パキスタンショエーブ・マンスール監督(1952~)の2作品である。「神に誓って」(2007、168分)と「BOL~声をあげる~」(2011、153分)とどちらも非常に長い映画だけど、圧倒的な迫力と面白さ、テーマの重大性に時間を忘れて見入ってしまう。パキスタンとしてはタブーに挑戦するような映画で、このような映画が世界に存在することを喜びたいような映画である。女性の人権問題に関心のある人、イスラム教の諸問題に関心がある人、マララさんを授業の題材に取り上げたい教師…是非、見ておかないといけない映画だと思う。

 ショエーブ・マンスールはパキスタン芸能界で成功したプロデューサーだというが、パキスタンの現実を世界に訴えたいという思いで監督に乗り出した。何度も殺害予告や命の危機に見舞われながら作った作品だということである。2作ともアジアフォーカス・福岡国際映画祭で観客賞を受賞した。今回まで名前も知らなかったし、東京では初上映になる。この2作品しかまだ作っていないらしいが、非常に重大な作品で、是非正式に公開されて日本各地で公開されて欲しいと思う。

 「神に誓って」は、ある家族に起こった悲劇を追う作品。パキスタンに住む兄弟はロック音楽で成功をめざしている。しかし、弟は次第に過激なイスラム思想に近づくようになり、音楽は禁止されているというようになる。一方、兄は音楽での成功を目指して米国に留学し、白人のガールフレンドもできる。その兄弟のいとこの女性がロンドンにいる。父はパキスタンを離れ、結婚せずに英国女性と同棲している。娘をイスラム教徒と結婚させなければならないと信じているが、彼女には大学で結婚を約束した男性がいる。この父親は英国籍を持つ娘を、結婚を許すから一度パキスタンの祖母にあうようにと誘い、パキスタンに連れてくる。そして、辺境部の見学に誘い、そこでいとこと結婚することを強要する。こうして強制結婚させられた女性の運命がどうなるか。結婚相手の弟の方はだんだん過激化し、タリバンに参加する。そのころ、2001年の同時多発テロが起こり、留学中の兄はテロリストと疑われて逮捕され…。こうして信じがたい運命に引き裂かれていく家族の運命はいかに。

 最後の頃に「脱出」に成功した女性は裁判に訴える。その場での、イスラム教義問答が非常に興味深い。深い宗教知識と人間性への理解がなければ、宗教は人を争わせ世界を不幸にしてしまうことが非常によく理解できる。一方、「狂信者」はどこにもいるわけで、米国ではたわいない「証拠」をタテに大物テロリストと信じ込む捜査官のバカらしさが兄を悲劇に追い込んで行く。この映画を見ると、パキスタンの人権状況とともに、アメリカの人権状況がいかにひどいかと実感することになる。とにかく、見ている間は目が登場人物の運命に釘付けとなる映画で、非常に心揺さぶられる作品だった。映画技法的には何か新しいものがあるわけではなく、ごく普通によく出来たエンターテインメント映画の手法で作られているわけだが、突きつけているテーマが重い。世界中の「狂信に囚われている」人々(日本にもかなりいる)に是非見せたい映画

 「BOL~声をあげる~」は女性の人権問題に絞って作られた映画。題名はウルドゥー語(パキスタンの言語)で「話せ」という意味だという。ある女性死刑囚が、裁判段階では一切口をつぐんでいたのに執行の前に、世界に語りたいと望みマスコミ陣を前に自分の人生を語り始める。その驚くべき人生とは…という映画。父親が強権的で女子には教育を受けさせないという家で、よりによって女の子ばかり生まれる。14人ぐらい生まれて男も生まれたけど、それは「男と女の両方の性質を持つ」セクシャル・マイノリティに生まれてきて父親の迫害を受けて育つことになる。その子の運命が哀れである。一方、薬草医の父はだんだん仕事が無くなり、外で稼げない女ばかりの家はどんどん貧困化していく。事実上、女ばかりが幽閉されている家で育った女性たちと金に困った父親の運命は…。

 この父はスンナ派だが、隣の家はシーア派らしく、また歓楽街の怪しい仕事の家はシーア派が多いらしい。両派の違いもいろいろ出てきて興味深い。この作品もタブーに挑んだ作品で、波瀾に富んだストーリイに一気に見られる。両作とも時間が長いが、見ている間は時間を感じないと思う。よりによって女子ばかり生まれる設定がちょっとどうかと思うところもあるが、ラホールという都市の話であるにも関わらず、女子に教育を受けさせなくてもいいらしいことにビックリする。高等教育を受けさせないというならともかく、初等教育も受けさせないのか。マララさんのような地方の場合だけではないのである。悲しみと怒りを糧に、素晴らしい娯楽映画を作り上げた監督に敬意を表したい。世界はこの2本の映画を見ておくべきである。両方の映画とも、音楽の力を感じさせる映画でもある。そして、人間はどんな悲惨な境遇にあっても、気高く生きることもできると教えてくれる映画でもある。簡単だけどまずは紹介。3月8日(日)の0時、4時に上映される。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加