尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「桜を見る会」問題、安倍前首相の議員辞職が必要

2020年11月30日 22時43分18秒 | 政治
 安倍前首相時代の「桜を見る会」に関する疑惑が再燃している。直接的にはホテル・ニューオータニで開いた「前夜祭」をめぐって、後援会側の補填があったのに政治資金報告書に記載していなかったことが問題になっている。秘書が東京地検の任意聴取を受けて、記載義務があったと認識していたと認めたと言われる。

 事情聴取を最初に報道したのは、11月23日の読売新聞だった。その後、NHKが続いた。勤労感謝の日で夕刊がないから、他の新聞メディアは丸一日遅れで続くことになった。読売、NHKはとりわけ親安倍と言われたから、そこがまず報じたことで、「裏で何が起こっているのか」と憶測が広がった。もっとはっきり言えば、菅内閣の意向を受けて検察情報をリークしたのではないかということだ。菅首相の答弁能力に不安を持ち、最近元気を取り戻した(と言われる)安倍氏の再登板を期待する声さえ自民党内に見られた。それが菅首相に不快感を与えていたのだそうだ。
(秘書の事情聴取を報じる読売新聞)
 ぼくはそういう問題には関心はない。告発を受けていたんだから、地検はいつかは調べないといけない。恐らくはニューオータニ側の領収書を先に押収していただろうから、安倍事務所側に言い逃れの余地はない。もともと普通の常識さえあれば、安倍首相の国会答弁がおかしいことは誰でも判る。政治資金規正法違反は当初から疑えなかった。

 ここで考えるべきことは、この「政治資金規正法違反」問題ではないと思う。政治資金の処理という観点で言えば、5年間で1千万未満(910万と言われている)は、(毎年続いていたことを別にすれば)起訴されない可能性もあるラインだという。しかし、この問題の本質は何なのだろうか。確かに同じ構図の問題で、かつて小渕優子経産大臣が就任早々で辞任することになった。同じ基準を適用するとすれば、首相辞任が必至となる。だから徹底して言い逃れを続けたのだと思うが、ニューオータニ側の領収書を公開するだけで首相側の主張が正しいかどうかははっきりした。それをしないんだから、首相の言い分に問題があると普通は思う。
(「桜を見る会」前夜祭の構図)
 僕が思う最大の問題は「安倍前首相の政治的責任」である。マスコミは「安倍首相に説明を求める」といった論調である。(不思議なことに、スクープした読売新聞は社説を載せていない。産経でさえ「説明」を求めているのに。)しかし、そんな生ぬるいレベルで済むのか。野党側も「参考人招致」を要求しているが、本当は「証人喚問」を要求するべきだろう。問題の焦点は、「国会で、意図して虚偽答弁を続けていたのか」である。秘書がどんな説明をしようが、常識があればおかしいと判るはずだ。「秘書の説明」で済ませるかどうかという問題じゃない。安倍首相(当時)の政治的な責任(政治不信をもたらした責任)は非常に大きい。
(「国会で説明した」と語る安倍前首相)
 ところで「公職選挙法」における「有権者への寄付行為禁止」でも告発されている。報道による限り、この立件は難しいという。前夜祭は食事も少なく、参加者の不満も大きく「寄付を受けた」という認識が立証できないということらしい。しかし、これは本末転倒した考えだろう。夕食会だけならそうかもしれないが、そもそも「桜を見る会」に大量に参加したこと、招待枠を広げて優遇したことそのものが問題なのである。「国政の私物化」である。それは「公職選挙法」違反というか、「背任罪」や「職権濫用罪」になるのか。

 法律問題はともかく、明らかにおかしいじゃないかと思うのが普通だろう。それは「法律違反」と言うよりも、それ以上に「政治的責任」だと思う。国会で問題答弁を続けてことを含めて、どういう認識を持っているのか。それを説明するだけではダメで、ちゃんと責任を取るべきだ。それは首相だったときは首相辞任で済むかもしれないが、今は一議員である。国権の最高機関をないがしろにした責任を国会議員が取るためには、議員辞職しかない。河井夫妻、秋元司議員なども未だ止めていないのに、何で自分が辞めなきゃいけないのか、などと思ってはいけない。憲政史上最長の総理大臣を務めた人物には、より高い倫理水準が求められる。
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那須・赤城・奥多摩・丹沢…関東の山々ー日本の山㉓

2020年11月29日 21時02分16秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 山を語るとなると、どうしても北海道とか日本アルプスの山を書きたくなる。しかし、それはある程度余裕も出来てから行ったところだ。東京に住んでいるんだから、若い頃は低山ハイクを含めて関東の山々に一番行っている。山小屋泊まりもあるが、日帰りが多い。山の話ももう終わりが近いから、今回は関東の山々をまとめて書いておきたい。

 東京西部の八王子市に高尾山(599m)がある。東京では遠足や家族でよく行く山だ。上野動物園や東京タワーみたいに一度は子連れで行く場所。ケーブルカーもあって、多くの人は高尾山が最初の山になると思う。僕も何度か行ってるが、ムササビ観察会に参加した思い出もある。夜になれば、こんなに飛んでいるのか。最近はミシュランガイドで三つ星になったり、温泉施設も出来たりして人が多いらしい。ある年正月に行ったら、高尾山神社で「君が代」を大音声で流して、「憲法改正署名」を集めていた。それ以来10年以上行っていない。
 
 高尾山は頂上まで行くと、そこで引き上げる人が大部分だ。でも行くならば、景信山陣馬山などへ続く「奥高雄」の縦走の方が面白い。高尾山ばかりが有名になってしまった感じだが、他にも素晴らしい低山は多い。奥多摩の御岳山(みたけさん、929m)や神奈川の大山(おおやま、1252m)などの方が面白いのではないか。また富士見の山として、箱根の金時山とか山梨の石割山なんかへ行った思い出も懐かしい。埼玉県の秩父より近いところを「奥武蔵」と呼ぶが、そこにも素晴らしいハイキングコースがたくさんある。

 もうちょっと遠くになると、泊まりがけになる。栃木県北部の那須山は麓に多くの観光施設があるが、最奥の那須岳周辺には秘湯も多い。僕はある年の秋に珍しく一人で登りに行った。(妻は友人と前に行っていた。)ロープウェーを利用して茶臼岳(1915m)に登って、そこから三斗小屋温泉に泊まるという行程だ。紅葉も素晴らしかったが、それ以上に記憶にあるのは頂上での出来事。ロープウェー頂上駅は9合目で、1時間程度ガレ場を頑張れば頂上だ。いつも噴煙が上がる頂上では多くの中学生が一休みしていた。そろそろ出発しようかと腰を上げたら、周辺の生徒たちも立ちあがって付いてきてしまった。「その人は違うよ」と大声で注意する先生の声が響く。自分はそんなに教員っぽい雰囲気になってしまったのかと愕然とした。
 (紅葉の那須岳と山頂)(那須テレカ)
 群馬県では新潟県境に谷川岳(1963m)や苗場山(2145m)に登った。谷川岳にはロープウェーもあって、登りやすい。群馬県の中心には有名な「上毛三山」がある。赤城榛名(はるな)・妙義だが、妙義山は奇岩怪石を楽しむ山でピーク登山はしない。赤城山(1828m)は山体が大きく、電車や車の窓から見ると圧倒される。国定忠治の籠もった山としても有名だが、最高峰は登りやすい。眼下に大沼を見ながら軽快な登山を楽しめる。その時泊まった忠治温泉もいい宿だった。上毛三山は行きやすいから忘れがちになるが、気持ちのいい山々だ。
 (赤城山、頂上と全容)(赤城テレカ)
 東京埼玉の奥の方、地理でいう「関東山地」を登山では「奥秩父」と呼ぶ。多くの山があるが「東京都最高峰」として有名な雲取山(2017m)にも登った。2007年に廃止された三峯ロープウェイを使って、秩父側から尾根を縦走した。正直言ってあまり覚えてないが、その日に泊まった雲取山荘は良かった。東京都と埼玉県、山梨県の境になっている。日本百名山には埼玉県の両神山(1723m)もある。そこも両神山荘に泊まって登山したがすっかり忘れている。
(雲取山)
 神奈川県では真ん中に「丹沢大山国定公園」がある。大山は手前にあって観光地だが、丹沢山地は奥多摩とならんで、「ハイキング以上」の訓練みたいなところ。でも自宅からは逆方向になるから、あまり行ってない。ある年5月の連休に出かけたら、ものすごい混雑で驚いた。大倉尾根を登って塔ノ岳(1491m)で泊まって、翌日に最高峰の蛭ケ岳(1673m)まで登った(はず)。その後、北海道や東北の山と温泉をいっぱい経験したから、関東の山はあまり覚えてないのだ。
(丹沢山)
 関東でももう一つ、茨城県に筑波山(877m)がある。千メートル以下の百名山は、開聞岳とここだけだ。しかもロープウェイとケーブルカーと二つもあるから、ちゃんと登る人は少ない。歴史と伝説で関東では名が知られていて、僕の小学校の校歌では「東に筑波、西に富士」と歌っていた。標高に差がありすぎるが、距離が違うから昔は同じように見えたのかもしれない。今では富士山は冬に時々見えるが、筑波山は都内から見えることはほぼないだろう。勤務先の校歌が「富士は微笑む 筑波は招く」とあるので、遠足で行ってみてはと提案したことがある。当日雨になってしまったが、常磐道が開通直後で行きやすかった。ここはまた行ってみたい気がする。
(筑波山)
 百名山がないのが千葉県。しかし、鋸山(のこぎりやま)や鹿野山(かのうざん)、清澄山など名低山がある。日蓮聖人南総里見八犬伝などの史跡や伝説も多い。高校の施設が鹿野山にあったし、一時期千葉県に住んでいたのでずいぶん行っている。麻綿原(まめんばら)高原のアジサイなど素晴らしかった。鋸山も面白い。関東には山城の史跡が多く、奥武蔵や房総の低山ハイクはもっと年を取っても最後まで楽しみたいなと思っている。
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「Go To」と「コロナ対策」ー真に必要な人への対策を

2020年11月27日 22時33分35秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題をしばらく書いてなかった。この間に夏に「第二波」がやってきたとされ、その後もダラダラと感染者が報じられた。そして11月に入って「第三波」と呼ばれるほどの大々的な感染者が報告されている。日本だけでなく、欧米はじめ各国でも似たようなケースが多い。欧米では再びロックダウンを迫られた国も多い。
(感染者数の推移)
 自分のブログを調べてみると、7月30日以来、この問題は書いてなかった。その間旅行や外食などはしてないものの、映画を見にはよく行ってる。心配を感じてないのは、僕が見てるのはあまりヒットしてない映画だからだ。マスクをして会話もないし、セキしている人も誰もいないのだから、心配するほどでもないと思っている。(「鬼滅の刃」を見てないのは人が多すぎて怖いからで、アニメは絶対に見ないなどと思ってるわけではない。)

 この間、主に東京都のコロナ情報サイトは毎日チェックしていて、重症者、死者がそれほど増えていなかった。そのため「経済を止めてはならない」と思って、「Go To」キャンペーンなども批判しなかった。僕は「トラベル」はそれほど危険性はないと思っている。しかし、「イート」はそのやり方もおかしい気がするが、どうも危険性を否定できないのではないか。少なくとも「イート」より先に「Go To イベント」を実施するべきだったと思う。
(コロナ死者数の推移、夏までのもの)
 そして、最近になって「重症者」が増え、医療現場のひっ迫が報道されている。死者も増えて、日本でも2千名を超えている。(11月26日現在、2064名)前日比で29人も増えていて、確かに危機感を持たざるを得ない数字だ。ただ、それだけを見ると大きな数字に思うが、実はもっと心配なデータは「自殺者数の増加」である。速報値で、10月だけで2153人の自殺者があり、前年10月より4割増だった。今年前半は自殺者数が前年より少なかったが、7月から増えているという。
(自殺者数の推移)
 驚くべきことに、新型コロナウイルスによる今までの全死者数を超える人々が、10月ひと月だけで自殺しているのである。もちろんそれぞれの理由は様々だろうし、有名人の自殺が報じられると増えることも事実だ。そこでマスコミも大きく報道しなくなってしまいがちだが、実はいま「最大の問題」とも言えるのは「自殺者数の激増」なのだ。それを考えると、再び緊急事態宣言を出すべきだと主張する人もいるが、僕はとても賛同できない。
(自殺者と失業率の推移)
 ここでまた「巣ごもり」することは、多くの飲食店やライブハウス、劇場、旅館などを完全につぶしてしまいかねない。もうすでに今年の倒産件数が増え続けている。上記画像にあるように、「自殺者」と「失業率」には明らかに関連性がある。失業したら自殺するという簡単なものではないけれど、自らの未来が奪われたと思った人は、ウツ状態になりやすいだろう。コロナ禍を超える自殺者をどう防ぐか、皆が本当に真剣に考えないといけない。
(倒産・休廃業の推移)
 だから「経済は止めるべきではない」と基本的には僕もそう思っている。だけど、今の「Go To」キャンペーンは本当に困っている人に役立つものになっているのかシングルマザー(父親や祖父母も含めて)、障害者高齢者非正規労働者ヤング・ケアラー外国人労働者一人暮らしの大学生などなどに対して。そもそも菅内閣の目玉政策が「デジタル化」なんだから、本当に窮迫していてパソコンもスマホも持ってない人は頭の中にないんだろうと思う。(パソコンもスマホも持ってない人がたくさんいることを知っているか?)

 「Go To」キャンペーンは年末に向けて、一端休止してはどうか。そして、もっと皆が使いやすい、大手企業ばかりが潤うような仕組みを変えた方がいい。全国民に10万円支給したのだから、旅行したい人は多いだろう。でも大規模旅館の高いプランほど多くの補助があるという仕組みはおかしくないか。飲食チェーンに予約して、ポイントでまた行って、何度も行けるというのはおかしいだろう。「利用しなければ損」と言ってる人がいたが、税金で行う事業なんだからそんな発想はおかしい。「民度が高い」と副総理は言うけれど、実際の民度はそんなものなのだ。

 「Go To」とは違うけれど、全国民に恩恵があることと言えば「消費税の軽減税率を引き下げる」ということを真剣に考えるべきだと思う。僕は消費税そのものは据え置きでいいと思う。お金持ちは負担するべきだし、そうじゃなくても臨時給付金があったんだから、国民一般もある程度負担すべきだ。食品の税率を下げれば、飲食店も助かる。低所得者ほど助かる。「マスク」など、現在の状況から「生活必需品」になったものも軽減税率の対象にするべきだ。臨時措置でいいから、検討するべきだ。(しばらくしてから、コロナ問題をまた書きたいと思っている。)
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菅谷館と嵐山渓谷ー武蔵嵐山散歩

2020年11月26日 22時58分02秒 | 東京関東散歩
 埼玉県に嵐山(らんざん)町というところがある。なんで嵐山かというと、昭和初期に「京都の嵐山に似ている」と言った人がいて、1967年の町制施行に際して町名にしてしまった。日本各地の観光地に名前を付けたと言えば、明治の大町桂月が思い浮かぶが、こっちは本多静六という人である。誰だよ、知らないよと思ったが、調べてみると「公園の父」と呼ばれた東大教授で、すごい大人物だった。そのことはまた後述する。

 嵐山町になる前は菅谷村で鎌倉時代の武将・畠山重忠ゆかりとされる「菅谷館」(すがややかた)がある。国指定史跡で、続日本百名城に選定されている。ここには一度行きたいと思っていたので、紅葉の季節に合わせて訪ねてみた。どこら辺にあるかと言えば、東武東上線の池袋駅から1時間に一本出ている「川越特急」小川町行きに乗って54分。東松山市の北にあたる。比企丘陵が広がり、中世・戦国の城が集まっている地帯だ。

 駅に情報センターがあって、パンフや地図が入手できる。バスもあるが、史跡めぐりには不便。駅から国道を越えて15分歩くしかない。案内はあちこちにあって、迷うことはない。館跡に「県立嵐山史跡の博物館」が設置されている。館跡は相当に広くて、歩きがいがある。史跡公園になっていて、散策は自由。関東の戦国時代のことは以前に書いたけれど、扇ガ谷上杉山内上杉、さらには小田原の後北条氏をめぐる争いの最前線になった地帯だ。だから鎌倉時代のまま残っているわけじゃなくて、戦国期に補修されている。
   
 上の2枚目は拡大しないと判りづらいが、館跡の高台に作られた畠山重忠像である。重忠像は「嵐山史跡の博物館」にもある。ここは思ったより小ぶりな博物館で、歴史ファン以外は無理して見なくてもいいかなと思った。僕もきちんと見なかったけど、館内で写真が撮れた。
   
 畠山重忠は秩父氏の一族で、源頼朝の信頼が篤い有力御家人だった。後世「武士の鑑」とうたわれた。宇治川合戦や一の谷の戦いでの活躍が「平家物語」に描かれている。1204年に「畠山重忠の乱」で滅ぼされたが、北条氏の陰謀と言われる。生まれは今の深谷市といわれ、そちらに「畠山重忠公史跡公園」があって墓所もあるという。もう少し「菅谷館」の散策を紹介。
   
 ところで、嵐山町にはもう一人、重要な歴史的人物の足跡がある。それは木曽義仲である。「木曽」と言うから長野県出身かと思うと、実は武蔵の生まれである。父は源義賢で、為義の次男にあたる。つまり、源義朝の弟である。義賢は義朝と対立し、義朝の子・義平に討たれた。2歳の義仲は木曽に逃れて大人になって、北陸から京都に攻め上ったわけである。父義賢の墓は大蔵館跡にあるが、ちょっと離れていて今回は行けなかった。菅谷館から南へ都幾川(ときがわ)沿いにずっと歩くと義仲の史跡がある。川沿いに桜並木が続き、満開時は素晴らしいだろう。
   
 最初の写真は木曽義仲公顕彰碑である。歴史書の中では悪役か、そうじゃないとしても脇役程度の義仲だけど、関係する地元では顕彰されている。これがあるのは「班渓寺」で、結構場所が探しにくかった。3枚目は「木曽義仲生誕地の碑」で、4枚目は義仲の妻、山吹姫の墓とされる。
 
 その手前に鎌形大蔵神社があって、それが上の写真。ここに「義仲産湯の清水」があるというが、見なかった。もともとは坂上田村麻呂が宇佐八幡から勧請したという。この地の源氏勢力に信仰されたのだろう。
   
 そろそろ疲れてきたのだが、せっかくだから紅葉の季節に嵐山渓谷に行こう。これがまたずいぶん遠く、30分か40分歩くことになる。県道を歩き続けて、裏側から渓谷に近づくと案内版があった。あまり詳しく調べていかなかったので、行き方がよく判らない。渓谷に着いても最奥に与謝野晶子歌碑があると出ているが、もういいやという感じ。一面紅葉みたいな絶景を期待していたら、そうじゃなかったので、少しガッカリしたのである。
   
 上の1枚目の写真は「展望台」。2枚目はそこからの風景。最後の碑は「嵐山町名発祥の地」である。まあ「嵐山」は言い過ぎだと思ったが、昔はちゃんとした道や橋も出来ていなくて、もっと風情があったのだという。またいずれ別の季節に訪ねてみたいなと思った。最初に挙げた本多静六博士だが、埼玉県久喜市の出身で全国の多くの公園の設計、改良に携わった。日比谷公園や明治神宮、北海道の大沼公園、日光、箱根から軽井沢、小諸、大阪の箕面公園、奈良公園、湯布院温泉など「近代日本の風景美」に大きな貢献をした人だった。ところで、歩くのは距離があり、車で行くほど遠くもない。武蔵嵐山にはレンタサイクルの整備を是非望みたい。
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傑作映画「Mank/マンク」、「市民ケーン」を書いた男

2020年11月25日 22時25分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 「セブン」や「ソーシャル・ネットワーク」の監督として知られるデヴィッド・フィンチャーの「Mank/マンク」という映画が上映されている。観客を選ぶ映画だが、これは紛れもない傑作だ。でも、そんな映画は知らないという人が多いと思う。テレビや新聞などでは、ほとんど宣伝していないからだ。それもそのはず、これはNetflixで12月4日から配信される映画で、一部劇場限定で上映を行っている。「ROMA/ローマ」や「アイリッシュマン」「マリッジ・ストーリー」などと同様である。(「シカゴ7裁判」「ヒルベリー・エレジー」もNetflix製作映画で今劇場上映中。)

 僕もよく知らなかったのだが、「マンク」というのはハーマン・マンキウィッツ(1897~1953)という脚本家のことだった。オーソン・ウェルズとともに「市民ケーン」の脚本にクレジットされていて、1941年のアカデミー賞脚本賞を受賞した。「イヴの総て」などで知られるジョゼフ・L・マンキウィッツの実の兄にあたる。映画は彼が「市民ケーン」の脚本を書く経過を、1930年代ハリウッドの大物たちとの交友をフラッシュバックさせながら描いていく。
(ハーマン・マンキウィッツ)
 この映画は30年代ハリウッドの風俗、社会状況などを生き生きと再現している。しかも、まるで「市民ケーン」のような奥行きの深いモノクロ映像で撮られていて、かつてのハリウッド製アート映画を見るようだ。「異端の鳥」や「ROMA」、「COLD WAR あの歌2つの心」など、外国には今もあえて白黒で撮影した映画がかなりある。色彩が抜けていることで、かえって世界の美しさや醜さが際立つ感じがする。日本でも挑戦する若手があってもいいと思うが商業的に止められるのか。

 オーソン・ウェルズ監督がわずか25歳で作った「市民ケーン」という映画は、まさに映画史上最大の伝説と言ってもいい。映画技法の革新パン・フォーカス=前景と後景双方に焦点を合わせた撮影、ワンシーン・ワンショットロー・アングルなど)や脚本の新機軸(主人公の死から始まり、時系列を再構成して様々な視点から語る)などで、今見ても壮大な撮影やセットにうならされる。しかし、それ以上に大問題だったのは新聞王ハーストをモデルにしていたため、ハースト系新聞にたたかれ上映阻止運動まで起こったことである。

 そのためアメリカでは極端に上映機会が少なくなったと言われている。制作したRKO映画は弱小で危機にあって、ラジオ番組「宇宙戦争」で大評判になったオーソン・ウェルズに全権をゆだねて映画を作らせたのだが、商業的にはペイしなかった。しかし、後に評価が高くなり映画史上ベストワンとまで言われるようになった。英国映画協会による「世界映画ベストテン」選出では、1962年から72年、82年、92年、02年と半世紀にわたってベストワンになっている。これは10年に一度行われるもので、最新の2012年版では監督投票では小津安二郎の「東京物語」に次ぐ2位になった。批評家投票ではヒッチコックの「めまい」に次ぐ2位になっている。
(ゲイリー・オールドマン演じるマンク)
 そんな「市民ケーン」がいかにして書かれたか。ハーマン・マンキウィッツゲイリー・オールドマン)は何と直前に交通事故に遭って「寝たきり」状態だった。ウェルズは彼のために専用の別荘と看護、タイプの担当を用意した。90日の予定のはずが、60日と時間を短くされ、なかなか進まない中を内容を漏れ聞いて心配した弟ジョーやハーストの愛人女優マリオン・デイヴィスアマンダ・セイフレッド)が訪ねてくる。マリオンとはパラマウント映画で親しい間柄だったのだ。このマリオンは本人もとても興味深い人生を送ったようだが、映画でも「儲け役」だなと思った。
(映画のマリオン・デイヴィス)
 執筆の合間に過去がフラッシュバックされる。タイプの音が鳴って、何年と画面に出るのが懐かしい感じだ。そこには有名な映画プロデューサー、ルイス・B・メイヤーアーヴィング・タルバーグ、あるいは弟のジョゼフ・L・マンキウィッツなどはもちろん、ウィリアム・ランドルフ・ハーストマリオン・デイヴィスも出てくる。撮影風景やスタジオの様子も再現されている。「市民ケーン」という映画やこういう人々の名前を全然知らないと、面白くないという以前に内容が判りにくいだろう。先に「観客を選ぶ」と書いたゆえんである。

 特に興味深かったのが、1934年のカリフォルニア州知事選。共和党メリアム候補に対し、民主党から有名な社会主義作家のアプトン・シンクレアが立候補した。大恐慌下で「社会主義」への期待もあり、候補の知名度も高かった。ハーストや撮影所幹部は危機感を抱き、反シンクレアの映画を作らせる。ハーマンは関わらないようにしたが、周りには巻き込まれる人も多かった。投開票日にはパーティも開かれ、ハーマンも招かれる。次第に上層部に疎まれるようになったハーマンは、ハースト邸で泥酔してしまう。そんなハーマンはオーソン・ウェルズに頼まれて、クレジットに名前を載せない約束で脚本執筆を引き受けたのだ。

 執筆が行き詰まったハーマンは、「支援装置」(酒)を秘かに取り寄せて最後の最後に大車輪で書き進み、一代の傑作を書いた。今度はオーソン・ウェルズと対決して、クレジットに名前を乗せさせる。その結果、歴史に名が残ったわけである。ハーストにケンカを売って、完全に干されたかのようなエンディングになっているが、調べてみると1942年の「打撃王」(ゲーリックを描く野球伝記映画)でアカデミー賞にノミネートされている。50代で亡くなったのは飲酒癖の影響だろう。主演したゲイリー・オールドマンはアカデミー賞を得た「ウィンストン・チャーチル」に匹敵する名演だと思う。この脚本は監督の父親ジャック・フィンチャーが書いている。
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坂口恭平「苦しい時は電話して」と「いのっちの電話」

2020年11月24日 22時27分09秒 | 〃 (さまざまな本)
 坂口恭平(1978~)という人がいる。本の紹介を見ると、「建築家・作家・絵描き・歌い手・ときどき新政府内閣総理大臣」とある。「新政府」というのは、自分で「独立国家」を樹立することにしたらしく、「独立国家のつくりかた」(講談社現代新書)という本が評判を呼んだ。小説も含めて、ずいぶん本を書いていて、「TOKYO 0円ハウス0円生活」とか「モバイルハウス 三万円で家をつくる」とか新書本や文庫に入ってる本も多い。今まで読んだことはないんだけど、今年出た「苦しい時は電話して」(講談社現代新書)を読んだ。

 この本は僕には読む必要がない本だった。しかし、この本を必要とする人はいるだろうし、そういう人はいろんなところにいると思うから紹介しておこうかと思う。なんで必要ないかというと、この本は「死にたいと思っている人」に向けて書かれているからだ。そして、今自分は心の中で「死にたい」という気分は全くない。そして、思い出してみると、自分の人生には失敗したり、落ち込んだりしたことはあるけれど、ホントの意味で死にたいと思ったことはないなと気付いた。

 著者の坂口恭平さんは躁鬱病だという。前からカミングアウトしているとのことで、「死にたい」という気持ちによくなるという。そして、その時の気持ちを分析し、同じような気持ちの人に呼びかけている。それだけじゃなくて、「自殺者をゼロにしたい」と考えて、自分の携帯電話番号を公開して、ひとりで「いのちの電話」をやっている。最初は「新政府いのちの電話」と言ってたというが、「いのちの電話」は商標登録されていると言われて「いのっちの電話」に変えたという。
(坂口恭平氏)
 僕も「なんだか何もしたくないなあ」という気持ちなら、よく判る。最近はあまりないけれど(実際に何もしなくても、別に構わない状況になっている日が多いので)、そこから「死にたい」さらに「自殺する」というところには、ずいぶん飛躍がある。そこには、言ってみれば「生真面目人間」の特徴があると著者も言っている。だから「死にたいときは=つくる時」だという。その「死に至る創造性」を引き出すことが坂口さんは、さすがに上手なような感じがする。

 実際の「いのっちの電話」のやり取りも紹介されているが、とても興味深かった。リクツ的なところは僕にはピンと来ないところがあったけれど、「死にたい気持ち」の心の内をこれほど語った本は珍しいと思う。その意味では多くの人にも参考になる本だろう。今新型コロナウイルスによって、生活が苦しくなったり、気持ちが追い詰められている人が多いはずだ。自分はそうじゃない人でも、そばに悩んでいる人がいるかもしれない。こういう本があって、こういう人がいるって知っていると役立つこともある。

 坂口恭平さんは、熊本市で育ち早稲田大学建築学科で石山修武氏に学んだ。卒論でホームレスの家を建築学的に調査した。それを基にした写真集や本が出て、その頃からちょっと気になっていた。それだけだと順調みたいだけど、実は違っていたという。きちんとした「建築」を設計するには躁鬱病があって難しく、自分で本を書いたりして生きることにした。世の中に適応するより、自分で「独立国家」を作ってしまおうと考えた。

 ツイッターを見ると、2019年9月に鬱が明けて以来440日元気だという。「いのっちの電話」はその分大変だけど、それも元気につながっているという。ホントに「死にたい」と思ったら、(相当に早寝早起きらしいけど)、遠慮なく使ってみればいいと思う。じゃあ、電話番号は何だというと、本の画像に出ている。その前に著者のツイッターのフォロワーになったり(そうすると「独立国家」の国民になれるらしい)、近くの図書館で本を探してみるといいのではないか。
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「私たちの青春、台湾」、ドキュメンタリーの傑作

2020年11月23日 22時51分40秒 |  〃  (新作外国映画)
 台湾の民主運動を見つめ続けた「私たちの青春、台湾」が上映されている。東京ではポレポレ東中野で12月上旬までは確実で、その後全国での上映も予定されている。台湾を代表する映画賞、金馬奨で2018年の最優秀ドキュメンタリー映画賞を受賞した。その授賞式で監督の傅楡(フー・ユー)が「いつか台湾が“真の独立した存在”として認められることが、台湾人として最大の願いだ」とスピーチをした。そのことは記憶にあるが、この映画のことだったのか。

 これは2011年から2017年にかけて、台湾の民主運動に関わった二人の人物を追ったドキュメンタリー映画である。ものすごく面白い映画だったが、それは「人間」と「社会運動」と「青春」が絡み合う面白さだ。撮影期間に2014年の「ひまわり運動」が起こり、学生運動による立法院占拠という破天荒な事態になった。そこで終われば、運動高揚期の証言になったものが、その後も撮り続けたことで、全然違った人生が見えてくる。それが興味深いのである。
(立法院占拠)
 監督の傅楡(フー・ユー、1978~)は台北でマレーシア華僑の父とインドネシア華僑の母の間に生まれた。ドキュメンタリー映画製作者となり、2011年から台湾の学生運動の中で出会った二人の人物を撮り続けた。一人は学生運動の中心陳為廷(チェン・ウェイティン)。いつも歌を歌いながら突進の先頭に立つ一方で、沢山のぬいぐるみに囲まれている。

 もう一人は中国本土から留学して台湾の社会運動に参加、その様子をネットで発信した人気ブロガーの蔡博芸(ツァイ・ボーイー)。彼女は帰郷すると公安が訪ねてきて、両親からは運動には関わるなと言われている。しかし台湾にやってきて初めて「社会運動」に目覚めたのである。
(左=蔡博芸、右=陳為廷)
 2014年3月に当時の馬英九政権が「サービス貿易協定」を強行採決したことに反対した学生たちが立法院に突入した。そのまま23日間の占拠に発展する。この運動は「ひまわり運動」と呼ばれた。中国の影響力増大を危惧する世論の支持を受けて、結局は与党側に審議のやり直しを受け入れさせた。表面的には「成功」に見えた運動だったが、映画を見ると内部には複雑なものもあった。「国民への説明なしで進めるな」と訴えながら、運動方針は幹部たちが密室で決めていた。撤退方針も幹部が押し切る形で決定したが、時間的にギリギリだったのも確かだろう。

 彼らは中国や香港を訪れ、香港でも民主運動家と交流している。そして、ボーイーは留学先の大学で学費値上げ反対運動に参加し大学の体質に疑問を持ち、学生自治会の会長に立候補する。観客は彼女を「民主運動家」のブロガーと見ているが、大学当局は「中国籍」を問題にする。「中国の統一工作ではないか」などという批判も浴びせられる。そして選挙自体がなくなってしまった。改めて行われた会長選では、対立候補があえて立たずボーイーの信任投票となって関心を呼ばずに惨敗する。台湾の「民主主義」も絶対ではなかった。

 民主のスターとなったウェイティンは立法院の補欠選挙に立候補する。ところが途中でスキャンダルが暴露され、運動は中途で終わってしまう。「力」を過信するタイプのウェイティンは、大きな過ちを過去に起こしていた。検索すれば簡単に調べられるが、ここでは映画を見たときの先入観にならないように書かないでおきたい。彼はその後兵役に行き、運動から離れる。映画の編集が終わったとき、再び集まって映像を見る。最初に撮り始めた2011年6月の天安門事件追悼集会から数年。青春の日々は過ぎ去っていく。

 作品のホームページを見ると、オードリー・タン(台湾のIT担当相)や多和田葉子らの推薦文に並んで、一青窈のこの種の文章としては今までにないぐらい長い文章が掲載されている。この映画は台湾に関心がある人はもちろん、自らのアインデンティティを探求する人にも見て欲しい作品だ。また「社会運動」に若い世代の関心が薄い日本と比べて、いろいろと考えさせられる。魂の奥底を揺さぶるドキュメンタリーだ。
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コロナ禍の修学旅行はどうなっているか

2020年11月22日 23時39分03秒 |  〃 (教育問題一般)
 2020年10月19日、瀬戸内海の香川県坂出市沖クルーズ船が沈没する事故が起こった。この船には修学旅行中の小学生ら62人が乗っていたが、全員救助されて無事だった。最初の浸水から20分で沈没したが、全員分のライフジャケットがあって浮いて待っていた生徒も多かった。近在の漁船なども救助に駆けつけたが、午後4時40分頃の発生で西日本ではまだ明るかった。これが暗かったら救助も困難さを増しただろう。このニュースを聞くと、どうしても韓国のセウォル号事故の悲劇を思い出してしまう。全員救助されたことで、東京ではあまり大きく報道されなかった感じだが、日本の長い修学旅行の歴史の中でも最悪レベルの事故ではないか。
(小学生が乗った船が沈没事故)
 最近教育問題に関する記事をほとんど書いていない。いじめ体罰長時間労働部活動教員免許更新制全国学力テストなど、大体今までに一般論は書いてしまった。何回書いても変わらないんだから、また書くべきだという考えもあるだろうが、僕も次第に判らないことが多くなってきた。「オンライン授業の進め方」「デジタル教科書をどう考えるか」なんかは、もう僕には何も判らないのである。しかし「修学旅行」だったら書きたいことがある。

 事故にあった小学生は香川県坂出市のもので、本来ならもっと遠くに行く予定が「地元発見」に切り替えたものだった。そういう学校も全国には多いと思うが、こんな事故が起きるとは予想もしなかっただろう。検索してみたら、やはり香川県で多度津町にある「四国水族館」を訪れる学校が多くなっているという記事があった。今年は2月末から5月頃まで「休校」せざるを得なかった学校が多いだろう。ちょうど春の修学旅行期間に当たっている。そこで「延期」した後、そのまま「中止」とするか、場所を変えたりして何とか実施するか。難しい決断があったことだろう。
(四国水族館を訪れる小学生)
 朝日新聞11月8日付の調査記事では、公立の小中高校の約15%の学校が修学旅行を中止したという。これは全国の121自治体に実施状況を尋ねたところ、全国の約2万4千校の状況を回答したという。全国の学校は約3万3千校ということなので、3分の2に当たる。その中止したところでも、校内キャンプ日帰り旅行に変更したところが多いという。予定通り実施した学校は約12%だったと出ている。感染者が多い東京都では中止の割合が高く、「東京では全中学校が中止した区が複数あった」とのことだ。

 確かに東京から集団で出掛けることを心配する向きもあると思う。いちいち書いてないけれど、新聞の地方欄を細かく見ると(あるいは東京都教委のホームページを見ると)、毎日のようの教員や生徒の感染が報じられている。状況によっては休校する場合もあり、なかなか完全な安心感が持てないまま「第三波」に入ってしまったらしい。各学校の状況はそれぞれ違っているし、何にしても「苦渋の決断」を迫られる。出された結論について、あれこれ言うつもりはないけれど、僕はそれでも「出来れば何らかの形で旅行行事を実施して欲しい」と思う。

 新聞やテレビを見ると、各学校のいろんな苦心もあるようだ。東京や大阪を避けて、もっと身近なところに変える。しかし、「Go To トラベル」を使って普通なら泊まれない豪華旅館を借り切ってゆったり宿泊した例なんかはうらやましい感じ。東北地方からは、東京まで行かず栃木県などに泊まる。確かに那須や日光・鬼怒川には素晴らしい旅館、ホテルがいっぱいある。見どころも多いし、ディズニーランドもいいけれど、遊園地的な観光地はどこにでも見つかるものだ。学校の苦労が通じるのであれば、どこへ行っても楽しいのが旅行行事だと思う。

 来年3月卒業予定の児童生徒については、もう旅行行事の実施時期は終わっている。あるとするなら「卒業遠足」だが、これは無理して実施しなくてもいいかなと思う。しかし保護者とも連携して何らかの文化・スポーツ行事は出来ないかなあと思う。全日制高校では冬休みや3学期半ばに修学旅行があるところも多い。実施学年は2年生で、進路学習で忙しくなる3年を避けて2年で行うわけだ。2年生の秋に行ってしまうことも多い。一方、中学や定時制高校では、卒業学年になって修学旅行に行くことがほとんどだろう。

 東京の街には、5月になると班活動で回っている制服姿の中学生が一斉に出現する。一種の風物詩だが、今年は見なくて寂しかった。最近は「学習」を兼ねて、出身県のアンテナショップで売り子をしたりアンケート調査をする中学生を見たこともある。今は子どもの数も減ったので、多分中三の秋に修学旅行に行く学校はほとんどないだろう。「第二次ベビーブーム」時代には生徒数が多く、一度に新幹線を取れない。抽選で負けると秋実施ということもあった。東京では公立はほぼ中学は新幹線高校は飛行機を使うことが多い。その希望日時をめぐって校長会と旅行会社で調整が行われた。今もそんなことをやっているのだろうか。

 自分の時は中学でも高校でも5月頃に京都・奈良へ出掛けたものだが、現在は行き先も時期もバラエティがある。書き出せば切りがないんだけど、「修学旅行」に関しては僕も思い入れが深い。「文化祭」「運動会」(体育祭)では、まとまらない場合も時にはあるが、「修学旅行」はさすがにまとまることがほとんどだと思う。大きな事件・事故が起きることが絶対にないわけではないが、自分としては今まで一度も悪い思い出になった旅行行事はない。

 「日本型学校文化」には善し悪しがあるけれど、どんなに大変でも「清掃」と「修学旅行」は後世に残して欲しいと思う。「道徳の教科化」なんかより、自分の学校は自分たちできれいにする方がずっと大切だ。旅行行事はなんといっても「宿泊」するわけだから、生徒のいろんな面、教科学習では判らなかった面を見ることが多い。それは生徒どうしでも同じだろう。「ヴァーチャル修学旅行」ではそれが適わない。教師が旅行行事を避けるようではオシマイだと思っていて、来年度は100%実施になるように何らかの工夫を望んでいる。
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「戦時下の青春」、空襲の恐怖ー「戦争と文学」を読む⑥

2020年11月21日 22時14分03秒 | 本 (日本文学)
 毎月読んでる「戦争と文学」シリーズも6回目。我ながらよく読んでると思う。残り2冊だから、何とか頑張りたい。前回の「女性たちの戦争」は、女性を描く作品が少なく巻名と中身が違っていた。今度の「戦時下の青春」も青春を描くのは数編。永井荷風勲章」とか野坂昭如火垂るの墓」などは、どう拡大解釈しても「青春」ではないだろう。もっとも戦時下を描く名作だから落とせなかったのだろう。650頁にも及ぶ本を読んで一番思ったのは「空襲の恐怖」である。
(表紙=手塚治虫「新・聊斎志異 女郎蜘蛛」
 「戦時下の青春」にふさわしいのは、吉行淳之介焔の中」、井上光晴ガダルカナル戦詩集」ぐらいかと思う。どちらも読んでいたので、先の2作と合わせて4編が既読だった。でも「焔の中」はすっかり忘れていた。これは大変よく出来た短編で、吉行淳之介の確かな筆力に舌を巻いた。一度召集されて病気で帰された大学生という設定は、ほぼ作者自身である。作家の父は早世し、美容師の母と暮らす。この母がテレビドラマにもなった吉行あぐりだが、若い頃に読んだときは知らなかった。暮らしの中に若い娘が不思議な感じで登場し、そして空襲を迎える。
(吉行淳之介)
 井上光晴ガダルカナル戦詩集」は長崎の青年たちが出征する友の壮行会に集まる話。表題の詩集は実際に戦時中に刊行されて評判になったもので、作中で登場人物が読んで感激する。この小説は戦時中の目で書かれているので、登場人物たちが何を心配し心に掛けているかが描かれる。そこが判りにくいところで、暗いムードが全編を覆っているし読みにくい。井上光晴はその後「明日」という小説を書いた。1945年8月8日の長崎を描き、映画化もされた。それを思い出すと、ここに出てくる登場人物の何人かは、8月9日の長崎にいたはずだなと今回思った。

 この巻には有名な作家がずいぶん収録されている。すでに作家として世に出ていた人は、井伏鱒二太宰治内田百閒などは自身の体験を書いたものが入っている。池波正太郎キリンと蟇(がま)」は「鬼平」などで有名な作家の現代小説で、こんな作品があったかとビックリした。証券会社員だった「キリン」が軍需工場に徴用されて、旋盤工になる。職場の先輩「」に教えられて、何とかやっていく。戦後になって思わぬところで再会するが…。「株屋」が「職工」になれるのかをテーマにしながら、「徴用」という体験を後世に伝える小説にもなっている。
(池波正太郎)
 今ではほとんど知られていない作家も収録されている。上田広指導物語」は熊谷久虎監督によって戦時中に映画化された。蒸気機関車の運転を兵士に教える機関手の話で、鉄道ファンには知られているかもしれない。その原作があったのかという感じだが、非常に素直に進行する「教育小説」で、内容はほぼ映画と同じだった。上田広は火野葦平などと並ぶ兵隊作家だったらしいが、元々は鉄道省に勤めていたと出ている。戦後も鉄道に関する小説を書いている。顔写真は見つからなかったが、戦時中に出た「指導物語」の本があった。
(「指導物語」)
 前田純敬(すみのり)の1949年の「夏草」は、芥川賞候補になったという。作家も作品も知ってる人はほとんどいないと思うけれど、鹿児島在住の14歳の少年が軍に召集されて海辺で「本土決戦」の訓練をさせられる。その間に鹿児島市は空襲され逃げ惑う。川内(せんだい)に避難するが、そこも空襲を受ける。奄美大島出身者への差別も描かれる。東京や大阪の空襲を書き残した記録は多いが、地方都市の空襲を描く小説は珍しい。これがまた恐怖に次ぐ恐怖で、都市空爆の恐ろしさをここまで描いた小説は少ないと思う。その後あまり活動しなかったようだが、非常に貴重な作品だ。2004年に亡くなったが、その年に「夏草」が刊行されている。
(「夏草」)
 結城信一という作家もほとんど知られていないだろう。1980年の「空の細道」が日本文学大賞を受賞していて、一応前の二人よりは文学史に名を残している。全3巻の全集もあるが、僕も今回「鶴の書」で初めて読んだが哀切な空襲小説だった。30過ぎた女学校の教師が不遇な女子生徒を引き取って暮らしている。辻潤と伊藤野枝みたいな例もあったけれど、今では書けない設定かもしれない。編者の浅田次郎はこの名品を埋もれさせてはならないと思って選んだと言っている。「鶴の書」の鶴の意味が判るとき、この小説は真に忘れがたくなる。
(「鶴の書」)
 一番最後にある井上靖三ノ宮炎上」も異色の青春もので、戦時中の神戸・三ノ宮にたむろする「不良女子」を描く。「不良」と言ってもカワイイもんだが、戦時中にも「不良」がいたということが新鮮。江戸川乱歩防空壕」、坂口安吾アンゴウ」は空襲を題材にした独自のミステリー。小林勝軍用露語教官」も面白かった。他にも中井英夫見知らぬ旗」、三浦哲郎乳房」、高橋和巳あの花この花」、川崎長太郎徴用行」、石川淳名月珠」、高井有一(くぬぎ)の家」、古井由吉赤牛」など多彩な作品があった。さすがに名の知られた作家はうまいもんだ。
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ウォン・カーワァイ(王家衛)監督の映画

2020年11月20日 22時15分39秒 |  〃  (旧作外国映画)
 香港の映画監督、ウォン・カーウァイ(王家衛、1958~)の映画を6本見た。池袋の新文芸坐の特集上映で、もう先週に終わっているが一応記録しておきたい。都合で全部は見られないはずが、都合の方が変わって6本全部見た。デビュー作の「いますぐ抱きしめたい」(1988)、キムタクが出た「2046」(2004)、アメリカで撮影した「マイ・ブルーベリー・ナイツ」(2007)、現時点で最後の「グランド・マスター」(2015)がないけれど、代表作は全部見直したことになる。

 改めて思ったのは、ウォン・カーウァイ映画は、クリストファー・ドイルだ。オーストラリア出身の撮影監督である。今回見た6本は全部ドイルで、杜可風という中国名もある。ウォン・カーウァイ映画で有名になり、その後は中国、アメリカ、日本などでも活躍している。(公開中の手塚真監督「ばるぼら」もドイル。)手持ちカメラが多いが、スタイリッシュな画面構成に魅入られてあまり気にならない。暗い夜の映像を魅惑的に撮影し、光と影の中にたたずむ人物を忘れられなくする。

 「欲望の翼」(1990)は多分見てないか、見たとしてもあまり覚えていない。強く印象づけられたのは、多くの人がそうだったように「恋する惑星」(1994)だった。他の映画も似ているが、ウォン・カーウァイの映画では、前半と後半が違ったりすることが多い。この映画も香港の警官二人、金城武トニー・レオンのエピソードがある食べ物屋だけを共通点にして別々に語られる。後半のトニー・レオンの部分で出てくる新入り店員フェイ(アジアを代表する歌手と言われるフェイ・ウォン)が圧倒的に素晴らしい。フランス映画「アメリ」のオドレイ・トトゥみたいな役が魅力的。
(「恋する惑星」)
 画像にある有名なセントラルの「世界で一番長いエスカレーター」もうまく使われている。僕も行ったことがあるけれど、何だか不思議な名所になっている。何度も出てくるママス&パパスの「夢のカリフォルニア」(California Dreamin')も上手に使われている。前に2回見ているけれど、この新鮮な感覚は3回目でも全く薄れていない。「物語」というより、映像編集で切り取られた「香港の青春」が生き生きしているのだ。恐らくもう作りようがないのが寂しい。
(「天使の涙」)
 「楽園の瑕」をはさんで、1995年の「天使の涙」(原題=堕落天使)はもともと「恋する惑星」のエピソードの一つだったという。似た感じがあるのはそのためだろう。殺し屋レオン・ライと謎のエージェント、ミシェル・リー。それに金城武チャーリー・ヤンカレン・モクの関係が交錯する。どうも僕はこの映画が判らない感じ。ストーリーを楽しむ映画じゃないんだろうが、それにしてもゴチャゴチャしていて付いていくのが大変。作品的にちょっと弱いなと思っていたが、再度見ても同じだった。

 僕が一番好きなのは、「ブエノスアイレス」(1997)だ。カンヌ映画祭監督賞を受賞した作品で、題名通りアルゼンチンの首都で撮影されている。ゲイのカップルをレスリー・チャントニー・レオンが演じている。この時代にはセクシャル・マイノリティの映画はまだ少なかった。トニー・レオンがゲイ役は出来ないと断ったというが、なんか欺されて呼ばれたらしい。撮影が延びて、レスリー・チャンはコンサートの予定があるからと帰っちゃって、後半には出て来ない。
(「ブエノスアイレス」)
 ウォン・カーウァイ映画はそんなものと思っているから、今度は若いチャン・テェンの役割が膨らむことを見る側も納得しちゃう。ほとんどモノクロで、パンパやイグアスの滝が絶妙に撮影されている。カット一つ一つが見事にスタイリッシュで、惚れ惚れする。香港や台湾の若者が南米をさすらっても不自然ではない時代になった。僕がこの映画を好きなのは、基本的に「腐れ縁」の映画だからだ。「浮雲」や「秋津温泉」、あるいは「COLD WAR あの歌2つの心」みたいに。「ブエノスアイレス」も別れられずに南米まで来てケンカしているカップルだ。
(「花様年華」)
 「花様年華」(2000)はトニー・レオンカンヌ映画祭男優賞を獲得した。日本やヨーロッパで非常に高く評価されている映画だが、僕はどうもスタイリッシュ過ぎる気がする。1962年から数年間の香港を舞台にして、新聞記者から作家になるトニー・レオンと隣家に住むマギー・チャンの触れあいを描く。どうやら二人の夫と妻が親しくなったらしく、その事に気付いた二人も接近する。お互いの気持ちに気付きながら、何とか止めたいとする二人だったが…。ナット・キング・コールの「キサス・キサス・キサス」初めラテンミュージックが心に残る。名品には間違いない作品だ。
(「楽園の瑕」)
 1994年に作られた「楽園の瑕(きず)」(東邪西毒)は、今では監督自身が再編集した「楽園の瑕 終極版」(2008)が上映されている。スターがたくさん出ている「武侠映画」だが、ストーリーが判りにくく興行的には失敗した。でも映像とセリフがカッコよすぎて、一度見たら忘れられない映画。今回が3回目だが、内容が何だか全然判りにくいのは変わらない。でも、その判りにくいところが魅力だというしかない。武侠映画らしからぬ、剣戟シーンより人間心理の謎の方が面白い。
(「欲望の翼」)
 「欲望の翼」(1990)は、カーウァイ、ドイルのコンビの誕生した作品で、詩的なセリフ映像美錯綜した人物関係など後の映画の出発点になった。2018年に上映されたリマスター版は今度初めて見たが、もしかしたら原板を見てないかも。1960年の香港で、満たされない思いを抱いた青年たちが描かれている。マギー・チャンの役名が「花様年華」と同じで、前編的だというが内容的にはつながるものはない。実母に捨てられたレスリー・チャンがフィリピンまで母に会いに行く。そのジャングルの映像が折々にインサートされるが、ラテン音楽が流れて心の空虚を映し出す。完成度はまだまだだが、その意味で「未完成の魅力」が詰まっている。
(ウォン・カーウァイ監督)
 ウォン・カーウァイの映画とは何だったのか。「香港」は大陸や台湾に先駆けて映画が世界で有名になった。最初はブルース・リージャッキー・チェンなどのアクション映画が中心だったが、次第に作家的な映画も現れる。「香港ノワール」でもジョニー・トー監督や「インファナル・アフェア」シリーズのような作品的な完成度が高い映画が出てくる。アン・ホイピーター・チャンなど多彩な監督が活躍する中、世界的人気や映画的完成度ではウォン・カーウァイが突出している。

 しかし、ウォン・カーウァイの成功は、「香港」が中華世界で持っていた独自性にも負っていたのではないか。「自由」と「拘束」の微妙なバランスが全ての映画に共通している。「自由」の失われた香港では、このような映画は作れない。90年代の「香港返還」の前後に作家的ピークを迎えたが、直接には同時代の社会問題を描かないウォン・カーウァイも「時代」を生きていた。
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ロベール・ブレッソン監督「バルタザールどこへ行く」「少女ムシェット」

2020年11月19日 20時50分06秒 |  〃  (旧作外国映画)
 フランスのロベール・ブレッソン監督(1901~1999)の映画「バルタザールどこへ行く」(1966)と「少女ムシェット」(1967)を見た(新宿シネマカリテ)。「バルタザールどこへ行く」は1970年にATGで公開され、「少女ムシェット」は1974年に岩波ホールで公開された。その後一回リバイバル上映されているようだが、見た記憶がない。最初の上映で見た時以来じゃないかと思う。
(「バルタザールどこへ行く」)
 ブレッソンの映画ではキネマ旬報ベストテンに入った「抵抗」や「スリ」という映画が見られたのは最近のことだ。僕が若い頃に見られたのは、この2本と「ジャンヌ・ダルク裁判」ぐらいだった。いずれも研ぎ澄まされたというか、研がれ過ぎてしまった感じの映画である。「物語の本質」に鋭く迫るものだとは思うが、玄米を研いで白米にして、さらに研いでいくような映画ばかりだ。純米酒造りじゃないんだし、僕はもう少し雑なものが映画に入っていた方が好きだ。
(ロベール・ブレッソン監督)
 「バルタザールどこへ行く」は96分あるが、「少女ムシェット」はわずか80分だ。それで短いと感じさせない。「バルタザール」というのはロバの名前で、映画はずっとバルタザールの運命を見つめ続ける。「少女ムシェット」も幸薄き少女を見つめ続ける。だから、僕はブレッソンの映画は「凝視する映像」のように思い込んでいた。しかし、久しぶりに見直してみたら、案外普通にカットバックを積み重ねた映画だった。タル・ベーラ監督「ニーチェの馬」とは違うのである。
(「バルタザールどこへ行く」)
 「バルタザールどこへ行く」では少女マリーがロバにバルタザールと名を付けて可愛がる。しかし校長だった父が農業経営に乗り出し、周囲との紛争に巻き込まれて没落してゆく。アンヌもまた悪い男にたぶらかされて堕落してゆく。バルタザールは売られたり、サーカスに出たり、虐待されて逃げたりと転々とし、最期はピレネー山脈の羊たちの中で死んでゆく。

 人間の心理描写抜きなので、バルタザールの転々とする運命だけが崇高さを感じさせてゆく。主演のアンヌ・ヴィアゼムスキーは当時17歳で、作家モーリアックの孫だった。この映画で抜てきされ、ゴダールの「中国女」に出演した後、ゴダールと結婚した。離婚後に作家となって、2017年に亡くなった。ヴェネツィア映画祭審査員特別賞など受賞。
(「少女ムシェット」)
 「少女ムシェット」の主人公は14歳の少女ムシェットである。母は産後の具合が悪く、父は横暴で、ムシェットが赤ちゃんと世話している。家庭的に恵まれないムシェットはクラスメートからも(教師からも)無視されている。ムシェットの方も黙っていないで、放課後になると泥をつかんで他の少女に投げつけている。孤独で居場所がない少女は森をさまよって、密猟者と遭遇する。それからは悲劇が相次いで襲うが映画はただ苛烈な運命を見続ける。

 原作はカトリック作家ジョルジュ・ベルナノスで、ブレッソンの出世作「田舎司祭の日記」(1950)と同じだ。(「田舎司祭の日記」は未だに正式に公開されていないで見ていない。)この後、ブレッソンはドストエフスキー原作を基に「やさしい女」「白夜」を作った。どっちもこれがドストエフスキーかと思う凝縮映画だった。文章では心理描写が出来るが、演劇や映画では心の中を直接描けない。そこでナレーションを入れるとか、説明的セリフで工夫するものだが、ブレッソンの映画はそれがない。そのことで人間の生の姿が焼き付けられて、宗教的な境地にまで至ってゆく。そんな映画だから、いわゆる「面白さ」はないんだけれど、「聖なるもの」に触れた触感が残る。
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映画「ホテル・ローヤル」、桜木紫乃の直木賞受賞作

2020年11月18日 22時25分35秒 | 映画 (新作日本映画)
 北海道釧路出身の作家、桜木紫乃(1965~)の直木賞受賞作ホテル・ローヤル」が映画化された。監督は「百円の恋」「嘘八百」「」などの映画、あるいはNetflixで作られた「全裸監督」で知られた武正晴。脚本は朝ドラ「エール」の清水友佳子が連作短編の原作をうまく一つの物語にまとめている。作家本人が反映されている主人公・田中雅代は波瑠が演じている。

 今日見たのは、歯医者の時間に間に合う映画を探したらこれしかなかったからだ。例年だと紅葉目当ての散歩をしている時期だけど、マスクしながら歩き回るのも嫌で、ほとんど出掛けてない。錦糸町の映画館で見て、浅草へバスで行った。ま、そういう事情はともかく、映画の出来は中ぐらいかなと思うが原作が気になるので見たかったのである。「ホテル・ローヤル」というのは、釧路湿原を望む町外れに実際にあった「ラブホテル」である。それは桜木紫乃の父親が経営していて、映画の田中雅代と同じく桜木紫乃も「ラブホの娘」と呼ばれて嫌な思いをしていた。
(映画のために作られた「ホテル・ローヤル」外観)
 冒頭ではすでに「廃墟」となっているラブホテル。それはかつて人々が「秘密の時間」を共有する場所だった。経営者夫婦(安田顕夏川結衣)の娘、雅代はそんな環境が嫌で、高校卒業後は札幌の美大に進みたかったが不合格。やむなくホテルを手伝っているうちに、母がいなくなってしまい、なんとなく「女将」になるハメに。そして従業員(余貴美子と原扶貴子)やアダルトグッズ販売業(えっち屋)の宮川(松山ケンイチ)らと日々の暮らしが続いてゆくが…。雅代は「セックス業界」の裏を見て育ち、いつも醒めた感じで周りを見ている。そんな感じを波瑠がうまく演じている。
(ラブホの客室)
 普通のホテルが舞台だと、有名な「グランドホテル」形式、つまり多くの客や従業員のドラマが絡み合って進行する物語になることが多い。しかし、「ラブホテル」だと客どうしが食堂に集ったりしないし、個々の客にドラマがあるからエピソードの並列になりやすい。原作も確かそんな感じの「連作短編」だったと思う。廣木隆一監督、染谷将太、前田敦子主演の「さよなら歌舞伎町」もラブホが舞台だったが、何しろ新宿歌舞伎町だからもっと大きいホテルだし、ドラマも派手だった。「ホテル・ローヤル」に来る客はもっと地味。
(雅代の部屋から見える風景)
 映画はほぼ雅代をめぐる物語に整理し直して、ストレートな進行が判りやすい。原作にある「高校教師と女子高生」のエピソード後にドラマチックに展開する。桜木紫乃の原作では「起終点駅 ターミナル」が2015年に篠原哲雄監督によって映画化されている。これも釧路を舞台にしていて、どっちも釧路でロケされた。(「ホテル・ローヤル」はホテル内部のシーンが多いから、札幌のスタジオ撮影が中心。)映画「起終点駅」はあるきっかけから裁判官を辞めて国選弁護しかしなくなった佐藤浩市の話で、覚醒剤事件の被告として登場する本田翼が実に素晴らしかった。

 釧路を舞台にした映画は多い。大合併で釧路市の形はとんでもないことになっていて、先に書いた「アイヌモシリ」の舞台、阿寒湖も今や釧路市である。また「僕等がいた」「ハナミズキ」という僕が見てない映画も釧路が舞台だという。しかし、やっぱり一番有名なのは、原田康子原作の「挽歌」だろう。桜木紫乃も原作に出会って作家を目指したという。

 「挽歌」は2回映画化されていて、1976年の川崎義祐監督、秋吉久美子版を最近見た。いやあ、70年代の秋吉久美子、仲代達矢と草笛光子では、北国のロマンは難しいなと思った。57年の五所平之助監督、久我美子版の方が傑作だろう。男は森雅之、その妻は高峰三枝子で、「小娘が夢中になる」感じはやはり森雅之である。雪の町で素人劇団が活動するなんていうのも50年代の方がふさわしい。大人ぶって年上の男と「火遊び」する若い娘、雪の降る街、芸術好きが集まる喫茶店…。そんな趣向にロマンを感じられたのは50年代までだろう。

 以前北海道に何度も行っていた時代に、釧路も何度か訪れている。釧路湿原も見たけれど、夏の寒さは印象的だ。20度に届かない日も多く、暑い夏を逃れて釧路に何週間もステイする旅行プランも出ている。海から寒い風が吹いて濃霧になる日も多く、幻想的な風景が広がる。幹線を外れて海辺をドライブしていると、霧の中に時々エゾシカしか見ない。ところどころに家があるが、一体どんな暮らしをしているのか気になってしまう。あるときは飛行機で帰る予定が、濃霧のため欠航になってしまい、もう一日泊まることになった思い出もある。そんな時に、啄木のいう「さいはて」感に何となく通じるものを感じた。
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「学問の自由」って何だろう?ー学術会議問題⑧

2020年11月17日 23時00分34秒 | 政治
 学術会議会員の任命拒否問題で、野党側は「学問の自由」の侵害だと主張している。それに対し、菅首相は「それぞれの学者がどんな研究をするのも自由」であり、学術会議の問題と「学問の自由」とは無関係だ、野党の指摘は「全く当たらない」としている。それどころか、一部には「(軍事研究を認めない)学術会議の方こそ『学問の自由』の侵害だ」といった倒錯的な発想さえ見られるようだ。この問題をどのように考えるべきなんだろうか。
(「学問の自由」と主張するデモ隊)
 首相が主張しているのは、「学者の研究の自由を侵してはいない」ということだ。つまり「学問の自由」とは「研究テーマ設定権」のようなものだということになる。小説家がどんな小説を書こうが、画家がどんな絵を描こうが自由だが、憲法は特に「芸術の自由」という権利を定めていない。それは「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(第21条)に含まれているのだろう。学者が何かを研究しても、それを論文または著作等で表現されないと社会は研究内容を知りようがない。その意味では「表現の自由」があれば、それで足りるんじゃないだろうか。

 それなのに憲法では〔学問の自由〕という別項目を立てて「第二十三条 学問の自由は、これを保障する。」と規定している。これを単に「学者個々人が何を研究してもいいという権利」といったレベルでとらえるだけでいいのだろうか。僕にはそうは思えないのである。憲法では司法権について、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」(第76条)と強い独立性を保証している。現実の日本の裁判がちゃんと独立しているかは疑問もあるが、原則としては「司法権の独立」がうたわれている。

 「学問の自由」に関しては、司法権ほどは直接的に独立性を述べていない。しかし、行政権や立法権に対して「学問領域」や「科学者コミュニティ」の独立性への尊重を求めていると理解するべきではないだろうか。この「独立性への尊重」が欠けたときに、社会がどのような困難に直面するか。それはまさに2020年のアメリカ合衆国で起こったことだ。

 トランプ大統領は6代の大統領に感染症に関する助言をしてきたファウチ博士(アメリカ国立アレルギー・感染症研究所所長)を公然と非難した。その助言を無視し、マスクもせずに集会を繰り返し自らも感染した。そして世界最大の感染者と死者を出している。これが「学問」をないがしろにした政権によって起こされた事態である。どのような対策が望ましいのかには、いろいろな意見があるだろう。しかし、公に評価されてきた学者を政権トップが非難する社会は異常だ
(ファウチ博士、後ろはトランプ、ペンス正副大統領)
  2017年に報告「軍事的安全保障研究について」を読んでみて一番思うことも、「科学者コミュニティの自己規律」の重要性である。「防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」は、研究委託の一種であり、将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入の度合が大きい。」「研究の「出口」を管理しきれないからこそ、まずは「入口」において慎重な判断を行うことが求められる。」 この指摘のどこが「学問の自由」の侵害に当たるのか。

 学術会議の提言や声明は法的性格を持たない。実際、今まで政府は多くの提言を無視したり、棚上げしてきた。首相の論理で言えば、この報告は「軍事研究を行いたい研究者」を拘束しないのだから、「学問の自由」を侵害するはずがない。防衛産業で働く研究者は当然「軍事研究」を行っているだろう。ただ防衛装備庁が主導する制度に大学の研究者が安易に参加することは、科学者コミュニティが管理しきれない事態を生む(可能性が高い)。「科学者コミュニティ」が自律的に関わることが出来なければダメだというのが、学術会議の報告の原則なのである。

 このように考えてくれば、学術会議が推薦した候補を首相が拒否するということは、まさに「科学者コミュニティ」への公然たる介入である。これが「学問の自由」への挑戦でなくて何だろう。「学問の自由」というのは、単に学者は何を研究してもいいですよといったものではない。日本最高の科学者アカデミーである「日本学術会議」は、高度の独立性を保証されなければならない。法律によって会員を推薦し、首相の任命は形式的なものと解釈されてきた。今までは「高度の独立性」があったのである。その独立性を破壊することは「学問の自由」の侵害そのものだと思う。
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学術会議・任命を排除された理由ー学術会議問題⑦

2020年11月16日 22時06分25秒 | 政治
 僕も日本学術会議の問題ばかり書きたいわけではない。ただ問題の重大性を判っているものは書き続ける義務があると思っているのだ。ところで、2018年にも補充会員の推薦が拒否されたということが判っている。東京新聞(11月14日付)によると、それは今回任命されなかった宇野重規氏(政治思想史、東大教授)だという。(望月衣塑子記者の署名記事)

 他のマスコミに後追い記事がないから、今の段階で記事が正しいのかどうか判断できない。宇野氏自身も取材に対し「特に申し上げることはない」としている。その前に8日付東京新聞は一面トップで「政府方針 反対運動を懸念」と記事を掲載した。これは無署名なので、通信社の配信記事かと思う。これもその後後追い記事がないのだが、紹介しておく。「首相官邸が日本学術会議の会員任命拒否問題で、会員候補六人が安全保障政策などを巡る政府方針への反対言動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが七日、分かった。」
(東京新聞11月8日)
 上記引用記事は、新聞そのままなんだけど、いくら何でも悪文すぎる。それはともかく、記事が正しいならば首相や官房長官が「人事の問題で答弁を控える」としながらも、「思想信条の問題ではない」と言っているのはやはりウソだったということだ。もっとも他の会員候補にも安保法案への反対署名などをした人がいた。しかし、それだけなら「個人としての限定的な意見表明」に止まったとして「お咎めなし」になったらしい。それに対し、6人の場合は特別職公務員として「広い視野に立ったバランスの取れた活動」が難しいということらしい。

 つまり「政府に反対した人」を全員拒否したわけではなく、学術会議内で「反対言動を先導する懸念」がある人を任命しなかった。それは任命権者の裁量権の範囲だというのだろう。そもそも本当に政府に対する反対運動を主導、参加してきた学者などは今まで日本学術会議の会員には推薦されない。例えば反原発運動・訴訟に加わっている学者が学術会議会員に選ばれて、学術会議で原発を巡る問題が審議されるなんてことは今までになかった。官邸が言うのと別方向で、僕は日本学術会議に選ばれるべき優秀な学者が選ばれてこなかったと思う。
 
 今回「拒否」された6人の学者も、「学究」と言うべき人々であって、反政府運動家なんかではない。(それが良いとか悪いと言っているのではない。単に事実判断の問題として。)公務員の任命権が首相にあるから、心配な人はあらかじめ拒否するなんて、実に「小心者」の発想だろう。こういう決断を平気で出来るのは、やはり「公安警察」的な発想だ。杉田官房副長官の悪影響が官邸を毒してしまったのだろう。もっともそれを許してきた安倍・菅両首相の責任は大きい。

 首相は「理由を説明しない」のは「人事の問題」だと言って、暗に「拒否された人の方に問題がある」という方に世論操作している。しかし、トランプが納税記録を提出しなかったことと同じく、要するに「説明できないから、説明しない」のである。本当は誰だって判っている。政府方針に反対したから排除したのである。「危なそうな人は除けときました」と言われて、名前も知らない学者たちを首相はそのまま「排除」した。それは何故かと問われても、「杉田が反政府の中心は除外したというから、それで良しとした」なんてホントのことは言えない。
(宇野重規氏)
 朝日新聞11月14日の書評欄に宇野重規氏が担当した評が掲載されていた。「『統治者としてふさわしくない指導者、危険なまでに衝動的で、邪悪なまでに狡猾で、真実を踏みにじるような人物』であるにもかかわらず、国全体がそのような暴君の手に落ちてしまう。暴君はあからさまな嘘をつくが、いくら反論されても押し通し、最後は人々もそれを受け入れてしまう。ナルシストである暴君は法を憎み、法を破ることに歓びを感じる。」
 
 宇野氏が書くように「これは現代の話ではない」。何しろ『暴君 シェイクスピアの政治学』という岩波新書の書評なのである。著者はスティーブン・グリーンブラッドというハーバード大学教授である。「シェイクスピア研究の世界的権威の著作の一節」なのだが、「本書を読むものは、どうにも生々しく感じられ、私たちの生きている現代世界を反映したものとしか思えないではないか。」「皆がまともさを回復する最良のチャンスは、普通の人々の政治活動にあるという結論が重い。今こそシェイクスピアを読み直すべきかもしれない。」この書評の中に、世の中に「人文・社会科学」的な知恵が大切であることが示されている。
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学術界の「憲法9条」ー学術会議問題⑥

2020年11月15日 22時54分09秒 | 政治
 学術会議問題を再び取り上げたい。臨時国会での菅首相答弁は全く説明になっていない。世論調査でも「説明に納得できない」という意見が多い。もっとも納得できる・できない以前に「説明」していないという方が正しいだろう。首相や官房長官は「今まで説明してきたように」などと言うけど、それはむしろ「説明しない」ということを言い続けているのに近い。自民党は選挙に勝ったし、自分は自民党総裁なんだから、法律で明確に禁じられていること以外は何でもできるとでも言いたいようだ。これでは首相の「独裁」である。

 今まで報じられた事実によると、学術会議と政府のあつれきは今までもあった。これまでは学術会議側も2018年に「補充会員が任命を拒否された」事実を公表していなかった。あえて問題を大きくしたくなかったのだろう。内閣が理由を明かさないから、学術会議側も対応しようがない。法律に従って、今回新規会員候補を推薦したら、任命拒否者が6人も出た。任命された新会員はホームページで発表されるから公知の出来事になった。(共産党機関誌「しんぶん赤旗」が最初に報道したらしく、首相は仕掛けられた政争だと頑なになっているとも言われる。)

 任命拒否によって、第一部(人文・社会)の会員は定員70名のうち、1割近くの欠員が生じている。そのことで学術会議の運営に大きな支障が出ているという。10月28日に井上信治科学技術担当相が学術会議を視察した後で、学術会議の会長・各部長が記者会見でそのことを訴えた。生命科学系の武田洋幸部長は「ゲノム編集や新型コロナウイルス問題では、生命科学だけでなく、人文・社会系の視点が不可欠」と述べた。また理学・工学系の吉村忍部長は「最先端の自動運転技術でも、どう社会に受け入れられるか、人文・社会系と連携して検討してきた」と述べた。(東京新聞10月30日)非常に納得できる話で、自然科学の問題も人文・社会科学と協力して考えていかないとダメだということがよく判る。
(10月30日に開いた学術会議の記者会見)
 そんなことぐらい政府・自民党だって判っても良さそうなもんだが、何故いつまでも妨害するんだろうか。このまま果てしなく欠員問題が続くと、「学術会議の抜本的改革」もありそうな感じだ。学術会議の「廃止」、あるいは学術会議の「民営化」である。衆参で与党が絶対多数を占めているんだから、その気になればどんな法案だって通せる。しかし、そこまで行くと政府・与党も大きな傷を負うし、コロナ禍の今最優先で取り組むべき課題とも思えない。

 しかし、自民党内からも「デマ」のような攻撃が続いていることを思うと、背景にはもっと深いものがあるのではないか。どこまで明確なプログラムが存在していたかは不明だが、明らかに数年前から自民党内で「学術会議攻撃」が計画されていたと思われる。それは学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」を変えさせたい、あるいは無意味化したいということだと思う。この「軍事研究はしない」というのは、悲惨な戦争を防げなかった、それどころか先頭に立って戦争に協力した学術界の反省に基づくものである。いわば「学術界の憲法9条」と言ってもいい。
(外国特派員協会での記者会見)
 この重い歴史を持つ声明を変えるべきだという保守派の意見は相当根強い。さすがに「日本は核兵器を開発せよ」「死の商人を目指せ」などとは言わない。「現代では防衛研究と民生研究は分けがたい」などという。防衛技術にも応用可能な先進的な民生技術(デュアル・ユース技術)だというわけだ。だから「防衛的研究を認めなければ、日本は世界から遅れを取って競争力が落ちてしまう」などと言うわけである。

 何となく納得してしまいそうだが、ここには論理上の矛盾がある。インターネットやスマートフォンなどの情報技術の発達を取っても、「民生と防衛が分けがたい」という認識はある程度正しいのだろう。しかし、そうだったら、ただ普通に研究費全体を増やせばいいだけである。民生研究をすれば、防衛に役立つ新技術も発達すると先の論理から言えるはずだ。しかし、政府は研究費全体を大きく削減し、「選択と競争」などというスローガンを掲げて、学問研究の世界を果てしない書類作成に変えてしまった。

 そして防衛装備庁の研究費だけを増額する。そして多くの研究者にこっちを使えばいいと呼びかける。「裏のねらいがあるんじゃないか」と思うのが当然だろう。防衛装備庁のホームページを見ると、この研究に応じても心配ないですよと以下のようなことが書かれている。「受託者による研究成果の公表を制限することはありません。」「特定秘密を始めとする秘密を受託者に提供することはありません。」「研究成果を特定秘密を始めとする秘密に指定することはありません。」などなど。これを真に受けるのは、よほどの「お人好し」である。

 それはとにかく、学界における「憲法9条」に当たるとも言える「声明」を変えるというのは、要するにホンモノの(自民党的)改憲プログラムの重要な一環なんだろう。今一般的には「菅首相が任命拒否した」ととらえる人が多いだろうが、過去にも補充人事を任命拒否したわけだから「安倍首相も任命拒否した」わけである。「安倍・菅政権」を貫く「改憲プログラム」の中で起こされたというのが、今回の学術会議問題の本質ではないかと思う。

 その意味で、ただ学術会議の問題であるというよりも、政府に批判的な発言を行う学者を狙い撃ちすることによって、「声を挙げる」こと自体を危険視するような風潮を作り出すことが目的だ。だから、今の時期に声を挙げておかないといけないんだと思っている。
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