尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

卒業式を奪ってはならないーコロナウイルス問題

2020年02月29日 23時47分01秒 |  〃 (教育問題一般)
 2月29日に安倍首相が記者会見を行い、「新型コロナウイルスの感染拡大防止のための小中学校などの臨時休校要請について「大変な負担をかける」と述べつつも、「集団感染のような事態を起こしてならない」と理解を求めた。保護者の休職に伴う所得減少に対応する新たな助成金制度なども表明した。」この会見はリアルタイムで少し聞いてたが、今になってこんなことを言うのではなく、せめて26日に、あるいは27日にでも言うべきだった。果たして現実に使える助成金制度が作れるのだろうか。

 会見を見て思ったのは「感染症予防における学校閉鎖の意義」を全然判ってない。それはまた別に考えたいが、今は3つのことを書きたい。まず「給食」の問題。休校で消えてしまう給食は9千万食にのぼるという。給食は地域の業者の納入が多いので、地域経済への影響も心配だ。給食は生徒のためのものなので、休校期間中には給食は作られない。しかし教職員は休暇じゃないから学校にいる。昼食をどうすればいいんだろう。給食費はもう3月分を納めているはずだから、返金の事務手続きも大変だ。むしろ「学校で子ども食堂を開いて欲しい」と思う。

 次に「学年評価」の問題。高校では卒業予定者の成績は付け終わっていると思う。(一部の三部制高校では卒業生も3月の学年末考査が終わってから成績を付けて、卒業判定を行う。そのような例外もある。)しかし、多くの生徒はこれから学年末考査があったはずだ。地域によって時期が違うようだが、都教委は「3月2日以降の学年末考査は実施せず、2学期までの評定等を総合的に評価」という方針を出した。それはそれで理解出来るのだが、最後のテストにかけて頑張っていた生徒はどうなるんだ。その後の行事に向けて頑張っていた生徒はどうなるんだ。

 いや頑張っている生徒ばかりじゃないし、感染リスクを心配する生徒もいるだろう。しかし、未だに一人の感染者もいない県であっても、全小中高特別支援学校がすべて一斉に休校しないといけないのか。それでも休校すると言うのなら、頑張る生徒への評価アップ手段を検討するべきだ。いろいろと出来るはず。課題図書やプリントを学校ホームページに示して、小論文をメールで提出するとか。まあ郵送でもいいし、一回ぐらい提出に来てもいいんじゃないか。

 そして最後に「卒業式をどうするか」。28日に登校したら、その日に突然卒業式になってしまった学校もあるという。保護者にも事前に伝えられないままでは、あんまりだ。生徒の方も心の余裕もないまま、急にもう終わりというのでは「卒業式を奪われた」という感じになってしまうのではないか。僕は生徒や保護者から「卒業式を奪わないで欲しい」と強く思う。卒業式なんかどうでもいいと言えば、どうでもいいとは思う。あらゆる儀式全部が僕はあまり好きではない。出ないでいいもの(成人式など)は行ってない。しかし、世のほとんどの生徒には卒業式が必要だと思う。
(突然の卒業式になった愛知県の大口中)
 安倍首相は親を受け継いで山口県下関市周辺の選挙区から出ているが、本人はずっと東京在住で小学校から大学まで同じ私立学校に通学した。地域の中学校を卒業する意味地元の高校を卒業する意味が、本当の意味では判らないのではないか。今は中等教育の一貫校も多いが、ほとんどの子どもは地元の中学校に通って、卒業で地域を離れて電車やバスで通学する。中にはむしろ高校の方が家から近いケースもあるだろうが、そういう人は数少ない。それでも高校は自宅から通うだろう。しかし、高校を卒業すれば、進学または就職で家を離れて地元を離れる生徒も多い
(突然卒業式になった松本市清水中)
 親にとっても中学卒業、高校卒業が一つの節目だし、是非参列したい人が多いはず。子どもの卒業式に休暇を取れない会社はないだろう。もちろんコロナウイルスへの心配もあるだろうし、教員や生徒から感染者が出ていたら中止でもやむを得ないと思う。しかし、ほとんどの学校ではそんなことはないはずだ。「卒業式」は形はいろいろと考えていいと思うが、いわゆる「冠婚葬祭」は人間社会に有用だ。「子ども」から「大人」になる「イニシエーション」は現代社会においては、進路活動卒業式が担っている。それなりの卒業式を実施することは大人の義務とも言えるのではないだろうか。

 しかし年にもよるが、卒業式は寒い。卒業式に感染リスクがあるとすれば、長い時間寒い中でガマンさせられるということだと思う。これも地域差があるかもしれないが、東京では高校は3月初旬、中学は3月20日前後、小学校は次の週辺りが多いと思う。学校の体育館は冷暖房がなく、どうしても寒いのである。だから新型コロナウイルスやインフルエンザを別にしても、健康不安を抱える生徒には不安である。暖房器具を総動員したりするが、広いからそれほど効かないと思う。では、どうするか。卒業式を最短にするにはどうすればいいのか。今考えるべきはその事だと思う。

 ①式辞は最小限にする。(校長式辞も放送でクラスで聞かせればいいと思う。)
 ②歌も最小限にする。(文科省は国歌斉唱は不要と通知するべきだ。)
 ③学校規模によるが、卒業生全員に校長が授与する必要はない。代表授与にする。
 ④面倒くさい礼儀指導はやめる。

 どうしても必要なのは、「卒業生呼名」と「送辞」「答辞」だ。「校歌斉唱」も二度と歌わないんだから、あってもいいと思うけど歌をどうするかは学校判断に任せればいい。生徒の希望もあるだろうし。歌いたくない生徒、感染が心配な生徒はマスク着用を容認すればいい。仲間同士で連絡してファミレスに集まるなんて今じゃすぐ出来る。連れだって学校に遊びに来ることも出来る。でもクラスメイト全員で集まることは二度とない。一生会わない人もいる。いつも迷惑をかけていた生徒が号泣して先生に感謝する姿。おとなしめの生徒が大きな声で呼名に返事をする姿。そういう意外な人間像に接するのが卒業式であって、その教育的意義は大きい。

 昔2012年に卒業式に関して、何回か記事を書いたことがある。以下を参照。
卒業証書の作り方ー卒業式①」(2012.3.18)
『謝恩』の日-卒業式②」(2012.3.19)
卒業式の時期と大阪のある卒業式ー卒業式③」(2012.3.19)
卒業生を出すということー卒業式④」(2012.3.22)
記念品は岩波文庫だったー卒業式⑤」(2012.3.25)
卒業式と歌ー卒業式⑥」(2012.3.26)
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国立劇場で文珍・鶴瓶を聴く

2020年02月28日 22時33分06秒 | 落語(講談・浪曲)
 萩生田文科相が26日に国立劇場の休館を要請したというニュースを聞いたときに、僕は思わずエエッと思った。それは28日に国立劇場に行くことにしていたからだ。「芸歴50周年記念」と銘打って「桂文珍国立劇場20日間独演会」という壮挙が行われるのである。国立劇場のメール通信を登録しているんだけど、その日遅くに国立劇場の休館のお知らせが届いた。国立演芸場で行われる定席も3月15日まで中止で、中席の神田伯山襲名披露は前半が無くなってしまった。しかし「貸劇場に関しては主催者に確認してください」と出ていた。主催者はどこだろうと調べてみたら、何と読売新聞社吉本興業だった。アベ友番付の東西横綱みたいなとこだから、こりゃあダメかと覚悟した。

 ところが27日に何回もスマホで確認したところ、「予定通り開催させていただきます」と書いてあるじゃないか。ただし来場できない場合は払い戻すと書いてある。ということで出かけていったのだが、チケット完売というのに結構空いていた。もったいないというか、2階席だったから空いてる1階席に替わりたかった。冒頭に文珍は白衣で出てきて「ケーシー高峰」とか言いながら「微妙な時期」の判断だったと言っていた。国立劇場休館と言いながら、国立劇場が開いているんだから不審な感じもある。無くなったと思って来なかった人もいるのかもしれない。

 さて、それはともかく、文珍は前にも10日間国立劇場独演会をやっている。他にも歌舞伎座でやった落語家もいる。寄席ではなくホール落語の方がいいという人もいるが、国立劇場は大きすぎると思った。1700人も入ると言ってたが、寄席ぐらいがちょうどいいなあと思った。歌舞伎のように登場人物も多く舞台装置も大きな場合は、大舞台がちょうどいいぐらいだ。でも落語は基本は一人のしゃべり芸だから舞台が広すぎる。ポツンと一軒家ならぬポツンと一人感がしてしまう。それに2階席だったから、声が聞きとりにくかった。僕は右耳の聴力が落ちているんだけど、同行の妻も聞こえないと言ってたから、マイクの調子を調整して欲しい。

 まず最初は弟子の桂楽珍で、徳之島出身の「方言」が興味深かった。続いて桂文珍の「新版豊竹屋」。人形浄瑠璃(文楽)マニアの男が町へ出ても浄瑠璃語りで話し不審を招く。その後「文楽茶屋」という店にたどり着き、何でも浄瑠璃みたいに注文を取るのがおかしい。この文楽調が実にうまくて笑える。文楽を一回も聴いてないとちょっと判らないかもしれないけど。桂文珍は若い頃からラジオ・テレビで活躍し東京でも知名度が高かった。大学で講師をして講義がベストセラーにもなった。そんな文珍がある頃から、全国で落語公演を重視してきた。その集大成的な20日間公演である。

 続いてゲストの笑福亭鶴瓶。今回は日替わりゲストが豪華メンバーで、それが楽しみ。どの日にしようかと思ったけれど、立川志の輔神田松之丞(現伯山)は即売り切れ。東京の人は大体聴いてるから、上方で一度も聴いてない鶴瓶の初日を取りたいと思った。鶴瓶は映画でもテレビでもおなじみの顔だが、近年は落語公演にも力を入れている。テレビで聴く話術を楽しめるかと思ったけど、残念ながらかなり聞き取れなかった。マクラでも一階中央席はかなり受けていたから面白いんだろうが、けっこうボソボソ的なしゃべりだなあと思った。ネタは「子はかすがい」。

 中入り後に大ネタの「らくだ」。元々上方落語の演目だが、東京でもやられている。前に文珍でも聴いているが、その時の圧倒的な面白さは今もよく覚えている。「らくだ」は大男のあだ名で、冒頭からネタの名前の当人が死んでいるというトンデモな設定だ。その後も「死人のかんかん踊り」など奇想天外な展開が続き、知らずに聴くと何だこれはと思うだろう。時間も長いからダレるところもあるが、まずは面白く聴けた。しかし、前に聴いたときの方が面白かったと思う。今回は開催をめぐってゴタゴタして疲れていたのかもしれない。神田伯山襲名披露ほどの盛り上がりにはならなかったかな。
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政府の「自粛要請」に異議ありー新型コロナウイルス問題

2020年02月27日 22時47分08秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 安倍首相が新型コロナウイルスの対応で相次いで「自粛要請」を行っている。2月26日には「全国的なスポーツ、文化イベント」の自粛を呼びかけ、それを受けて萩生田文科相は「国立の美術館や博物館は閉鎖」するよう要請し、また「国立劇場などの公演も中止や延期」を求めた。その結果、国立博物館は27日から突然休館になってしまった。国立劇場も主催公演は休館だけど、貸劇場の場合は主催者に判断をゆだねている。何故か国立美術館は1日遅れて、28日から休館と発表された。
 
 それだけでも非常におかしいと思ったのだが、安倍首相は続いて27日になって、全国の小中高校に3月2日から春休みいっぱいの休校を求めた。入学検査や卒業式は別だというけど、突然こんなことを言われても学年末試験が終わってない多くの学校では卒業、進級の判断に困ってしまう。けっして生徒のためにならないと思うけど、それ以上に大きな問題がある。そのことを批判的に考えてみたい。なお、新型コロナウイルスのリスクをどう評価するか。また安倍政権の対応をどのように考えるか。またクルーズ船問題の対応はどう考えるべきかなどのの問題はまた別に考えたい。
(学校休校を要請する安倍首相)
 まず学校の方から。学校が休みになれば、児童生徒は家庭で過ごすわけだ。長期休業と同じだが、それは予定のものだから親も判っている。今回は突然だから、親が休めるとは限らない。宿題も出て静かに自宅学習を行うタテマエなんだろうが、おとなしく家にいる生徒ばかりじゃない。1ヶ月も自宅で過ごすなんてあり得ない。じゃあどこに出かけるか。この機会に博物館や美術館を勧めたいところだが、休館してたら行けない。それなら皆で誘い合わせて繁華街に出かけようとなる。必ずそういう子どもが出るわけで、かえって感染リスクを増大させる措置だし、事件に巻き込まれる危険も増大する。

 小学校低学年の場合、昼食はどうするんだろうか。いや中高生の場合も同様だが、親が作れる家庭は少ないだろう。良くてコンビニ弁当、多くはカップ麺お菓子である。親も働いてるんだから見張ってられないし、どうしたってそうなりそうだ。多くの小中学校は給食があるだろう。栄養バランス的には給食の方が絶対いい。小学校の給食だけでもやった方がいいと思う。もうお金は払ってあるんだし、農家など地域の零細食材供給業者への影響もある。学校は単に学力育成だけではなく、地域の子どもたちを様々に支えている。安倍内閣は首相以下私立しか知らないから知らないのかもしれないが。

 じゃあどうすればいいか。何もしなくていいとは言わない。都会では教職員が朝晩の通勤ラッシュで感染する可能性は否定できない。だから始業・終業時間を変えることが重要だ。北海道など一部地域は独自対応が認められるべきだが、基本線は「お昼をまたいだ短縮授業」で良いのではないか。もう3月である。試験、面談、卒業式練習など、中高ではもともと教科の授業が少ないと思われる。「卒業生を送る会」などもあるだろうけど、それは中止でやむを得ない。部活動も一時休止。2011年も多くの行事が影響を受けたと思うが、一週間もすれば被災地を除く学校は機能していたと思う。今の日本の状況では、学校が機能しないと家庭も決壊してしまうことが心配だ。

 学校の話で長くなったので、スポーツ、文化イベントの方は短く。僕が思ったのは、人が大変だと思ってる仕事の方は放っておいて、楽しみにしてる方を奪ってしまっていいのかということだ。前日ならまだしも、突然東京ドーム(Perfume)や京セラドーム大阪(EXILE)に行ってみたらコンサートが中止になってた。きっとこれに行くのを楽しみに仕事を頑張ってた人も多いだろうに。チケット代は戻るかもしれないが、交通費は返してくれないだろう。それにおとなしく帰るんじゃなくて、どこかで食べたり遊んでいったに決まってる。これじゃ感染リスクを高めてるんじゃないか。
(国立劇場等の閉館を要請する萩生田文科相)
 PerfumeやEXILEのコンサートにどんな人が行くのか。僕はよく知らないけど、重症化リスクが高い「糖尿病持ちの80代」は多分一人もいない。ドーム会場だったら、新型コロナウイルスは判らないけど、間違いなくインフルエンザウイルス感染者はいると思われる。だが観客層は重症になる可能性は低い。この観客は新聞を読んでいるだろうか。新聞ぐらいみんな読んでると言える時代じゃないから、多分テレビニュースもきちんとフォローしてない人もいると思う。だったら、むしろコンサートの冒頭10分を貰って、ウイルス対策の基本を伝える方がいいんじゃないだろうか。問題は若い層が感染した場合、本人は軽症でも同居老人がいて感染すると重症になりうる。そういう基本を伝えた上で、今回は立ちあがって叫んだりしないことを求めればコンサートをやっても良かったのかと思う。

 それでもスポーツ観戦やコンサートは感染可能性がある程度あることは否めない。それに比べて、博物館や美術館って何だろう。「国立」だからとシンボル的に狙われたんだろうが、人気の特別展はまだしも常設展示なんか空いてるじゃないか。それとも最近は外国人客でいっぱいなのか。世の中で一番静かに個々バラバラに鑑賞する場所なんだから、感染リスクは非常に低い。千代田区立の日比谷図書館も閉館するらしいが、本や美術に静かに親しめる場所は社会に必要だ。戦争や大災害ならやむを得ないが、今回は社会の余裕を失わせる方向の措置になっている。

 政府は自分の下にあると思ってるらしい、国立の博物館、美術館、あるいは学校なんかに「自粛の要請」を行う。その前に要請すべきは財界の方じゃないのか。会社の方で独自にテレワークなどを実施しているところがある。じゃあ政府は会社の方には何も要請しないのか。そっちをやってないのに、楽しみにしている人がいるだろう文化・娯楽を先に目の敵のように槍玉に挙げる。どうも腑に落ちない。その奥にあるものは何だろう。また学校関係では卒業式に関してはどうすべきなんだろうか。それは改めて書くことにする。
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日光男体山-日本の山⑭

2020年02月26日 20時49分42秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 旅行のカテゴリーの中に「日光」を作ってるぐらい、昔から日光には良く行ってる。そろそろ日光にある二つの百名山を書く頃だろう。まずは男体山(なんたいさん、2486m)である。中禅寺湖からすぐ真後ろという感じで円錐形の山がそびえている。奥日光に行ったことがある人なら誰もが立派な姿に感嘆したことがあるだろう。この火山があったことで、中禅寺湖戦場ヶ原華厳の滝も…みんな男体山が作ったのである。男体山の写真はかつてこのブログに載せた中から選ぶことにする。
 
 ほとんど同じ場所からの写真だが、天気が違っている。これはちょっと上から撮っているが、立木観音やイタリア大使館別荘記念公園の方にずっと行って、今は無料開放されている中禅寺湖道路を上って半月山駐車場からの風景である。晴れていれば湖と山を一番美しく見られる。「男体山」があるから、北の方に「女峰山」がある。「太郎山」もあって、山の一家である。もともと日光は「二荒山」(ふたらさん)で、これは補陀洛から来たと深田久弥が書いている。「二荒」が「にこう」と読み替えられたという。
(男体山テレカ)
 二荒山神社は東照宮、輪王寺とともに日光山内で隣り合っていて世界遺産になっている。中禅寺湖畔に「中宮祠」(ちゅうぐうし)があって、奥宮は男体山頂上にある。つまり男体山は信仰の山であって、一番普通の登り方は中宮祠の二荒山神社で入山料を払って、形としては信仰登山として登るわけである。男体山に登ったのは、もう25年ぐらい前だと思う。秋に日光旅行を計画して、いつもその頃は夫婦で登山していたけど、妻は前に自分で登っていたのでもういいと言うから一人で登った。今は取り壊されて5月にザ・リッツ・カールトン日光に生まれ変わる「日光レークサイドホテル」に泊まった。
(中禅寺湖畔から見た男体山)
 朝家から車で急いで行って、お昼に登り始めた。コースタイムは登り3時間半、下り2時間半になっている。これはかなりきついから、本当は朝から登らないといけない。まだ若かったので、少し甘く見ていたのである。そして五合目ぐらいまではコースタイムより早いぐらいで登れた。実に快適、見返せば中禅寺湖から戦場ヶ原一帯が一望できる。素晴らしい。ところが6合目ぐらいからガレ場になってしまい、足が取られて進まない。ついでに天気も曇ってきて下の景色が何もみえない。滑るような道をひたすら直登だから、疲れてしまう。とにかくガマンして登り続けた。
(中禅寺湖西岸の菖蒲ヶ浜から)
 ついに頂上にたどり着いたが、展望はなく時間は予定を過ぎてしまった。多分10月頃だったと思うけど、もう暮れるのも早い。今度は急いで下りないと。急ぎに急ぐが、4時を過ぎ、5時になると、もう暗い。登り口の二荒山神社には門があったけど、何時まで開いてるんだろう。次第に道もよく見えないぐらい暗くなった。それでも何とか下りられるのである。ここで僕はお化けを見た…わけがない。だけど少しは下の光もあるわけで、それが微妙に反射して、なんだか不思議に光ったりボーッと薄明るく見えたりする。動くたびに少しずつ移り変わってゆく。こういうのが超常現象と思われるのかなあと思った。

 やっと下りきった時には、もう門は閉まっているではないか。まあ乗り越えるしかないですね。ホテルまではそんなに遠くない。着いてみると、その日は混んでいて夕食は7時半の第二グループでお願いしますということになっていた。じゃあ、夕食には余裕で間に合ったじゃないか。でも本当はこういう登山はいけない。山は早く登るのが原則。そのことを実感させられた登山だった。形からしても直登を避けられず、湖側は独立峰だから風化が激しくなる。男体山は7000年前にも噴火していたことが最近判って、今は活火山に分類されているということだ。
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獅子文六の「面白さ」の理由-獅子文六を読む⑤

2020年02月24日 22時31分21秒 | 本 (日本文学)
 獅子文六展が現在県立神奈川近代文学館で開かれている(3月8日まで)。先日、神田伯山襲名披露の整理券配布(10時)と入場(16時45分)までの長い待ち時間を利用して出かけてきた。今まで本人の顔写真も載せてないけど、チラシを見るとちょっと不機嫌そうな顔が判る。本人や家族すごく貴重な資料がズラッと並んでいるが、特に演劇の資料が貴重で見どころがある。読んでない人には昔の単行本を見ても意味ないかもしれないが、貴重な写真も多くて楽しい。

 演劇資料では、まずフランスで見た観劇ノートなどが貴重だ。獅子文六宅は戦時中の空襲で焼けてるけど、よく残っていたと思う。帰国後は演劇(いわゆる「新劇」)で活動するが、特に「文学座」を創立したことで知られる。戦後になって大人気作家になっても、多くの文学座公演で演出を担当している。文学座提供の写真でそれが示されている。日本の「新劇」は「築地小劇場」以来、左翼的な「プロレタリア演劇」が中心だった。獅子文六(岩田豊雄)はそういう傾向に反対し、大人が楽しめる演劇をめざした。フランスで見てきた演劇もそういうものだった。
(文学座アトリエ竣工式)
 上の写真は1950年、今に残る信濃町の文学座アトリエ竣工式である。岸田國士久保田万太郎の共同創立者の他、田村秋子杉村春子長岡輝子徳川夢声三津田健中村伸郎芥川比呂志宮口精二金子信雄など演劇史、映画史に名を残すそうそうたる顔ぶれが並んでいる。クリックして大きくすれば人名が判る。そのような演劇体験が小説にも生かされているのである。

 原作小説と映画を比べると、登場人物が減ったり増えてるしているものだ。でも獅子文六の小説に限って、そんな事態が起きない。人物もエピソードもほぼ原作通りという感じである。でも筋を知ってるのに、小説を読んでも面白い。ストーリーじゃなくて、文章のユーモア人物どうしのすったもんだが面白いからである。新聞小説を書くときは、冒頭からラストまできちんと物語を作ってから書いたんだという。だから締め切りに遅れたことがないという。すごいなと思うけど、これは芝居の演出と同じなんだろう。全編の登場人物の出入りを全部計算して頭の中へ入れているのである。

 獅子文六を読む体験とは、この「プロの技」を堪能することである。しかも内容が重くない。重くなる前にスッと解決してしまう。人生は、あるいは社会は本来はもっと重い。だから最近はエンタメ系小説に与えられる新人賞である直木賞も、けっこうテーマも描写も重厚である。「サラバ!」や「蜜蜂と遠雷」など1000枚を越える大長編だ。そんな中に獅子文六を置くと、ただひたすら軽快に進行する面白さが新鮮なのである。こういう「ユーモア文学」は最近見なくなった。昔は北杜夫どくとるマンボウシリーズなどで読書の楽しみを知り、そこから「楡家の人々」のような大小説に進んでいったものだ。あるいは遠藤周作も深刻な宗教小説の傍ら、狐狸庵と称してユーモアエッセイを書いていた。

 獅子文六が小説を書き始めた1930年代後半には、近代日本文学史上に輝く多くの傑作が書かれている。島崎藤村「夜明け前」(1935年完結)、志賀直哉「暗夜行路」(1937年完結)、川端康成「雪国」(1937年初版刊行)、永井荷風「濹東綺譚」(1937年刊行)などである。また谷崎潤一郎は「春琴抄」(1933年)完成後、30年代後半は「源氏物語」現代語訳に取り組み1939年から41年に刊行された。大衆文学でも吉川英治の「宮本武蔵」(1936~39)が刊行され、獅子文六といろいろと関わりがあった大佛次郎の鞍馬天狗シリーズも営々と書き継がれ映画で大人気だった。

 それらと比較してしまうと、いくら何でも獅子文六は軽すぎる感じもする。だから時代が過ぎ去ると忘れられてしまった。確かにこの「軽さ」は良いことばかりではない。同じくフランス語をよくした大佛次郎(おさらぎ・じろう)は大衆文学と同時にフランス現代史に材を取ったノンフィクションを発表している。これは大佛のファシズム批判であり「抵抗」だった。獅子文六の小説にはそのような視点がない。僕が若い頃獅子文六を読まなかったのは、一番はもう古い作家に見えたからだが、同時に岩田豊雄名義で戦時中に「海軍」を書いたことがやはり引っかかっていた。

 「プロの技」を楽しめるには時間が必要だったんだと思う。今になると「文学を読む」というのと少し違った観点で、昔の小説を楽しむことができる。それは古い映画を見るのと同じく、違う時代を発見する楽しみである。僕が今回たくさん読んで思ったのは、短編はワン・アイディアで成立するから、今では風俗が古びて面白くない。(「断髪女中」では「女中が断髪するなんて」と書いてあるが、そもそも全く意味不明である。)長編はたくさんの脇役が計算された動きをするので楽しんで読めるのである。それも時代が非常に違う戦前期と戦後も高度成長が始まりつつある50年代後期から60年代初期が面白い。

 それは時代そのものが興味深いということだと思う。いや敗戦後の占領時代も興味深いわけだが、「敗北を抱きしめ」なかった獅子文六の小説は今では古いのだ。高度成長も功罪があったが、現代日本の前提であり「懐かしく思い出せる」時代なんだと思う。「田中角栄ブーム」みたいなもんである。だから全然当時を知らない若い世代だと、そんなに楽しめないのかもしれない。でもこの「軽さ」「後味のよさ」「教訓臭のないラブコメ」の貴重さは再発見に値するんじゃないか。
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「やっさもっさ」と敗戦三部作-獅子文六を読む④

2020年02月23日 22時35分41秒 | 本 (日本文学)
 戦前に「悦ちゃん」などの新聞小説で人気作家となった獅子文六は、文学座の共同創立者である岸田国士が大政翼賛会文化部長になったとき(1940年)には批判的だった。しかし「大東亜戦争」が始まると、戦争協力に踏み切らざるを得ない。1942年7月から12月にかけて、本名の岩田豊雄名義で朝日新聞に「海軍」を連載した。真珠湾を特殊潜航艇で攻撃し「九軍神」と称えられた海軍軍人を描いたもので大評判になった。朝日文化賞を受け、田坂具隆監督によって映画化された。

 敗戦後はそのことが「戦争犯罪」に問われるのではないかと心配した。結果的には岸田は公職追放になったが、獅子文六は一時「仮追放」に指定されたものの追放は免れた。そのような心配に加えて食糧難もあり、1945年12月から1947年10月まで、二度目の妻の故郷である愛媛県岩松町(現宇和島市)に一家で疎開した。その時の体験が後に「てんやわんや」(毎日新聞1948年11月から1949年4月に連載)に結実した。東京に帰還後は一時お茶の水に住み、東京で見聞した風俗を巧みに取り入れた「自由学校」(朝日新聞1950年5月から12月)にまとめられた。

 この二つの小説は「悦ちゃん」や「海軍」をしのぐほどの大評判となった。後に「週刊朝日」に連載されて映画になって大ヒットした「大番」と並び、生前にもっとも有名な小説だったと言える。これに続く「やっさもっさ」(毎日新聞1952年4月から8月)をまとめて、獅子文六は自ら「敗戦小説」と呼んだ。次の新聞小説「青春怪談」を読売新聞に連載する時に、三つの新聞小説には「戦争に負けたカナシミ」を書いたと述べた。だから戦後社会史的にはすごく興味深い三部作なんだけど、今読むと小説としては思ったほど面白くない。社会のあり方が全く違ってしまい共感を感じにくい。

 「バナナ」や「箱根山」は映画を見てても面白い小説だと思ったけど、やはり映画を見ている「自由学校」は読んだらそれほど面白くなかった。「てんやわんや」「やっさもっさ」も映画化されているが、僕は見ていない。しかし、この三部作はその後に影響を与えている。「てんやわんや」は当時題名が判らないと言われたらしいが、この「大混乱」を意味する言葉は生き残った。「自由学校」は2社で映画化され、1951年5月に公開された。ヒットして、それが「ゴールデンウィーク」と呼ばれるきっかけとなった。「やっさもっさ」は横浜が舞台で、横浜駅でシウマイを売る「シウマイ娘」が小説に出てきて評判になった。それが崎陽軒が有名になるきっかけとなった。
(当時のシウマイ娘)
 ここではあまり知られていないと思う「やっさもっさ」を主に取り上げたい。2019年12月にちくま文庫に収録されたばかりである。それまでは読んでた人もほとんどいないだろう。この小説は冒頭を除き、ほぼ「横浜小説」と読んでいい。横浜で占領軍の軍人と日本人との間に生まれた「混血児」を収容する施設を作った女性が主人公である。冒頭はその施設のためのバザーを品川区御殿山の「摂津宮邸」で行う場面だが、これは白金の朝香宮邸(現東京庭園美術館)だろう。

 「やっさもっさ」は明らかに失敗作だ。人物が物語の役割を演じるだけで自由に生きていない。「自由学校」は風俗や情報としては古くなっているとしても、東京裏面探訪としての面白さは残っている。それに比べて「やっさもっさ」はどうも盛り上がらない。獅子文六の小説は仕掛けが共通しているので、先行きが読めるということもある。横浜が生誕地である獅子文六は、占領軍に接収された横浜が悲しかったのだろう。ほぼ「横浜」が主人公と言ってもいい「やっさもっさ」が書かれたのも、そのためだと思う。横浜に「カジノ」を作ろうとする登場人物がいて、戦後占領時代は今につながるようで興味深い。

 「やっさもっさ」のモデルになっているのは、明らかに沢田美喜が作ったエリザベス・サンダースホームである。「混血孤児」施設として有名だった。沢田は三菱財閥を作った岩崎弥太郎の孫で、神奈川県大磯の岩崎家大磯別邸に施設を作った。だから横浜ではないし、登場人物も大分違っていて単純なモデル小説ではない。獅子文六は沢田美喜と夫の沢田廉三(外務事務次官、国連大使を務めた外交官)と親しくなり、三度目の結婚の仲人を頼んだという。この小説を読んで判るのは、当時の「黒人兵」に関する視線の厳しさだ。自分がフランス人と結婚していたにもかかわらず、敗戦後の日本で身を売る女性が現れ、さらに黒人兵士の子を生む者もあったことにショックを受けている。
(沢田美喜と子どもたち)
 「混血児」が今では考えられないほどの衝撃だったことがこの小説でよく判る。獅子文六の小説だけでなく、昔の小説を読むときには「今日の人権感覚に照らして差別的と受け取られかねない箇所があります」と断り書きがあるものだ。「自由学校」の中にある同性愛者への表現は、「受け取られかねない」段階を越えて「同性愛恐怖」だと思う。もっとも「やっさもっさ」は主観的には「同情」している。今となっては明白な差別になるが、当時の感覚では敗戦に伴う「混血児」の登場こそ、「同情」レベルを超えてしまう「敗戦のカナシミ」だったのだ。特に白人ならまだしも黒人は。明白にそう書いている。そんなこんなであまり楽しく読めない本だが、社会史・風俗史的には貴重な本だった。
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六代目神田伯山襲名披露興行

2020年02月22日 22時35分18秒 | 落語(講談・浪曲)
 神田松之丞の真打昇進、六代目神田伯山襲名披露興行浅草演芸ホールで見た。披露興行は2月11日に新宿末廣亭から始まり、その後浅草演芸ホール池袋演芸場国立演芸場と続いてゆく。松之丞は若手ながら講談界起死回生のホープで、当代きってのチケットが取れない芸人だ。テレビやラジオでも活躍し、末廣亭初日の大入り満員の様子は一般ニュースでも報道された。僕は遠い新宿は諦め、自宅から近い浅草で見ようと思って初日に早起きして駆けつけたわけである。

 ホームページを見ると、10時から夜の部のチケットを販売し整理券を配布するって出ている。何時に行けば間に合うんだろうか。何とか9時過ぎに着くと、何百人も並んでいるわけじゃなかった。何と整理券53番をゲットできたのだった。この行列は何ですかと聞いてくる人がいて、珍しく前後の人としゃべったり。前の人は広島から来たと言っていた。そして、夜になって入場してみると、なんと満員じゃなかった。「早くも落ち目か」なんて本人も自虐ネタにしていた。

 何でだろうかと考えてみると、まずはやっぱり「新型コロナウイルス」だろう。政府が不要不急の外出は控えてとか言ってる。高いカネ出した歌舞伎やミュージカルのチケットは放棄しないだろうが、当日券のみの寄席なんか確かに「不要不急」だもんな。それと浅草で16時50分から入場開始では働いている人には行きにくい。6時過ぎに行っても、どうせ満員、よくても立ち見かと思って、わざわざ来ない。いつもなら遅く来る客がいるもんだが、そういう人がいなかった。

 また、落語芸術協会会長の春風亭昇太が出なかった。仲入り前直前は、昇太、小遊三、米助の交替とあるが、この日は予定の小遊三もいなくて師匠の三遊亭遊三だった。芸協じゃない三遊亭円楽が口上に加わっているものの、芸協代表が副会長の春風亭柳橋じゃ、ちょっと寂しい。それも満員じゃなかった理由かもしれない。ところで口上では、司会の桂米福がうっかり円楽を飛ばしてしまう失敗があった。その後の様子をみると、わざと仕組んだ受けねらいじゃないらしい。テレビ撮影があったけど、そこはカットしないようにと伯山が言ってた。

 10時過ぎに整理券を貰って、再集合は16時45分。どう過ごすべきか。映画館に行っても寝たらもったいない。ということで、この機会に横浜の県立神奈川近代文学館獅子文六展を見ようと思っていた。3月8日までだから、そろそろ行かないと。横浜まで寝て行けるし。つくばエクスプレスで秋葉原まで行って、京浜東北線で石川町へ。軽く洋館散歩をしながら文学館へ行って、帰りは元町・中華街駅から帰る。中目黒から日比谷線に乗り換えて北千住までひたすら眠って鋭気を養った。

 さて、ようやく浅草に戻って、興行が始まる。全員に触れていても仕方ないけど、「色物」(漫談、漫才、曲芸等)を含めて次第にムードが高まってゆく。若い頃はムダみたいに思っていた時間だが、いろんなものが複合的に面白い。全部書いてると長くなるが、春風亭柳橋雷門小助六桂米福などいずれも好きなタイプだから楽しんで聴く。「成金」ユニットの二つ目桂伸三(しんざ)の超絶的「寿限無」もおかしい。同じく長すぎ名前のスペイン人と結婚するくだりまで作ってしまった。

 ねづっちは客からの謎かけお題が受けた。「伯山先生」とリクエストがあって、「甲子園で勝つたびに強くなる野球部」と解いた。その心は「勝利(松鯉)のもとで大きくなりました」(拍手!)。三遊亭円楽はさっきの口上でちゃんとしたネタをやる気が飛んだと言って、先人の声帯模写、形態模写をスペシャルでやった。これはすごく珍しいものを見たと思う。昔いっぱい講談を聴いたと言って、講談師の物真似。これが上手で、自分でもよく出てくるなと言って、じゃあ落語家もということで。

 大師匠にあたる六代目三遊亭円生の真似。出てくるところからやって大受け。ついで林家彦六(8代目林家正蔵)も受けて、続いて立川談志。これがもう最高で、機嫌の悪いときと良いときを似せ分ける。ちょっと斜めに下を向いて「松之丞、力みがあるな」とつぶやくところなど実にありそうで笑わせる。ついで死んだ順と言って桂歌丸。最後に生きてる小遊三までやった。これは単に真似てるだけじゃなくて、批評性も感じられて、やはりよく見てるんだなと思わせた。伯山もネタ半ばですごかったと言ってた。

 師匠の神田松鯉が水戸黄門を軽く語って、曲芸のボンボンブラザースを経て、いよいよ大トリ6代目神田伯山である。45分の長講で「中村仲蔵」。これは末廣初日と同じだが、当初40日すべて違う演目というのも考えたという。口上司会の米福はそれをやったらしいが、いろいろな人に相談してそれは止めたという。それはその方がいいと僕も思う。新真打が自ら納得できるネタはそんなたくさんはないだろう。「中村仲蔵」は落語にもあるが、僕は聴いたことがない。中村仲蔵は18世紀の歌舞伎役者で、実在人物。歌舞伎界の外から大役者になった人物である。

 周りから疎まれながら、仮名手本忠臣蔵の五段目の工夫が今に伝わるという。その悔しさ、頑張りが報われるか。当初は大昔の芸界の話でよく判らない面もあったが、次第に熱演に引き込まれていった。ラスト近く、もうすっかり心が奪われていた。幕が下りても拍手が鳴り止まない。ついに再び幕が上がり、伯山が再び出てきて、自分でも今日はよく出来たと述べた。観客の中には立ちあがって拍手をしている人もいる。寄席でもスタンディングオベーションがあるのか。僕も珍しく立ちあがってみたが、二度とないことかもしれない。落語じゃどうかと思うが、講談はそれもよしか。
(伯山と松鯉の色紙)
 神田伯山は3代目が大名跡だったらしい。4代目は不在で、5代目は1976年に亡くなった。当代円楽も6代目だが、三遊亭円生も6代目。歌舞伎界では「六代目」は尾上菊五郎にとどめを刺す。だから6代目は大きな名前だと円楽は笑わせた。今は「熱演」タイプだが、この「熱演」は「感染」するなと思った。観客にもパワーが伝わり、頑張る力が増える気がする。いずれ大名人と言われるだろう、伝説の襲名披露である。行ける人は是非行っておくべし。国立演芸場はパソコンで取れるから、あっという間に売り切れ。何日もあるのは浅草と池袋だけ。
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「沙羅乙女」と「胡椒息子」、滅びし国の物語ー獅子文六を読む③

2020年02月20日 22時39分26秒 | 本 (日本文学)
 獅子文六最初の新聞小説は「悦ちゃん」だった。1936年から1937年にかけて報知新聞に連載された。報知新聞は今では読売傘下のスポーツ紙だが、戦前は東京五大紙に数えられる一般新聞だった。1930年頃に文六のフランス人妻が体調を崩し娘を置いて帰国して亡くなった。1934年に再婚したが、妻子を抱えて演劇に関わるだけでは食べていけず、ペンネームでユーモア小説の執筆を始めた。少しずつ評価され、新聞連載を頼まれたわけである。そして大評判となった。

 最近もNHK土曜ドラマで放送され、「悦ちゃん」の名前は今も知られているだろう。確かにものすごく面白い「一気読み」本で、戦後の新聞小説よりも短いからもっと読みやすい。でも最初の新聞小説だからか、何でも盛り込みすぎのうえ、偶然の出会いややり過ぎ的展開のてんこ盛りにいくぶん食傷する気もする。そこで「悦ちゃん」が面白いことは前提にして、ここでは続く作品の「沙羅乙女」(東京日日新聞、1938年)、「胡椒息子」(主婦の友、1937~1938年)を取り上げたい。どちらも近年ちくま文庫で復刊され。どっちも題名が意味不明だが、とにかく面白くて一気読み必至の小説だ。

 「沙羅乙女」のヒロイン遠山町子は新宿にある煙草屋で雇われ店主をしている。物語はこの町子の結婚をめぐって進行する。母が亡くなっていて、発明狂の父と夜学に通う弟を抱えて、町子はもう24歳と当時としては婚期に遅れつつある。しかし、そんな彼女のしっかりした姿勢を見ていて、二人の男が町子に心を寄せる。いい縁談が成り立ちそうになると、様々な困難が相次ぎ右往左往、一喜一憂しながら、ついに父親念願の大発明?をめぐって大騒動が持ち上がる。

 「沙羅乙女」の意味は書かれてない。仏教説話に出てくる樹木、沙羅双樹が香り高いらしく、多分そこから来ているんだろう。まことに町子さんは「沙羅乙女」なのである。だけど町子をめぐる副人物たちも面白い。最高にとんでもないヤツは発明マニアの父親である。大発明をしたというんだが、今読むとこの「発明」はヤバすぎでしょ。だけど、物語がどう着地するのかハラハラする。また新宿で洋菓子屋を夢見る青年の大志がどうなるかも見逃せない。青年は「大村屋」の自伝を「津の国屋」で買ってきて町子にも貸してくれる。中村屋紀伊國屋である。

 この小説のラストは「誰も予想できない」「衝撃の結末」だと帯に書いてある。でもそんなことをいうのは、いつ書かれたかチェックしてないからだろう。今読んでも面白いモダン小説とばかり思い込んではいけない。「悦ちゃん」が水着を買いに行くのは「大銀座デパート」である。町子に思いを寄せる男は「大東京銀行」勤務である。何でも「大」が付くのである。そもそも国の名前が「大日本帝国」だった。この今は滅んだ国には、驚くほどがっしりした階級制度が存在した。当時の人には当たり前すぎるから、むしろ風俗的モダニズムが目に付いたわけである。

 「胡椒息子」は「主婦の友」に連載されたからだろう、少年小説色が強い。なおこの後「主婦の友」には「信子」「おばあさん」「娘と私」「父の乳」など代表作レベルを連載するようになる。戦後の一時期は「主婦の友」社の社員寮に住んだこともある。財産家の一族の次男は実は「出生の秘密」がある。親にも兄姉にも疎まれる彼は、一本気の正義漢ながら誤解を受け続け悲しい境遇に陥る。しかし最後まで一本気を貫いてゆく。子どもが感動的で、獅子文六の中でも一気読み度ベストだと思う。

 「胡椒息子」の意味は「小粒でもピリリと辛い」ということである。1935年のフランス映画「Paprika」(パプリカ)が日本では「胡椒娘」の題名で公開された。恐らくそこからヒントを得た題名だろう。(なお映画の題はハンガリー女性が出てきて、ハンガリー料理につきもののパプリカと呼ばれたことからだという。)「胡椒息子」を読むと、本質的な物語構造は「悦ちゃん」「沙羅乙女」と同じだと感じた。「結婚」をめぐる騒動である。そしてすべて「階級」の物語である。

 もっと言えば「人間は同じ階級同士で結婚する方が幸福だ」という常識論である。戦争を経て階級変動が大きくなり、高度成長とともに高学歴化が進み文化的同質性が進んだ。現代にも「階級」はあるし、「玉の輿」という言葉は生きている。だが戦前ほどの重大性はないだろう。戦前は法律上の「家制度」が存在していたし、戦争や結核などで跡継ぎの男子が死ぬ可能性を考えておく必要があった。家存続のため、どのような結婚が望ましいかという問題があった。

 獅子文六はけっして「親が決めた結婚」を勧めない。本人同士が納得して結婚するというストーリーが多い。「上流階級は腐敗している」という批判も強い。だから今読むと「リベラルなモダニズム」色を感じることも出来る。だが当時の「事変下」にあっては、同じ階級同士でわかり合った間柄で結ばれる方が幸せというのは、まさに時局に適合したものだった。それを教訓臭さを抜きに、ひたすら面白い小説にまとめ上げる。だから今も面白く読めるけど、日米戦争が始まると「海軍」を書くのは決して不思議ではない。昔の東京風俗も面白いし、文学史というよりも現代史研究的興味から一度読んでみて欲しい小説群だ。「沙羅乙女」は続編を書いてみたい気持ちになった。
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「バナナ」と「箱根山」、高度成長期の夢-獅子文六を読む②

2020年02月19日 22時38分55秒 | 本 (日本文学)
 新型コロナウイルスはますます蔓延し、米大統領選予備選やイギリスのEU離脱、米イランの対立問題など世界情勢も混沌としている。能天気に獅子文六を書いている時かと思わないでもないのだが、こういう時期だからこそ獅子文六が再評価されているとも言える。何しろ最近じゃエンタメ系文学でもけっこう面倒な作品が多い。軽い小説や映画なんかでも、むしろ悲劇が好まれて、「一番泣ける」とか宣伝する。だからこそ説教臭さがなく、ただ気持ちよく進行する獅子文六の小説が面白い。

 今回読んだ中で面白かったのが「バナナ」。読売新聞に1959年に連載され、1960年に松竹で映画化された。監督の渋谷実をウィキペディアで調べても「バナナ」が載ってないぐらい忘れられているが、国立映画アーカイブの追悼特集で昨年見た。主演が津川雅彦だったので上映作品に入っていたのだ。一種の「グルメ小説」でもあるが、主人公が台湾系華僑であることが珍しい。ほとんど仕事もせず、今では在日華僑総社の会長をイヤイヤ務めている呉天童。(会長になっても首相主催の観桜会に招待されるぐらいの役得しかない、とぼやいているのが時節柄おかしかった。)

 この呉天童を演じているのが、歌舞伎役者の2代目尾上松緑(現4代目松緑の祖父)で、恰幅の良さが似合っている。映画出演は珍しく貴重だ。戦前に植民地だった台湾から留学し、下宿先の娘と結婚した。妻紀伊子は杉村春子、間に生まれた竜馬は津川雅彦。竜馬は大学生だが遊んでばかり。自動車部で車が欲しいが父親は認めない。自分で稼ごうと神戸の叔父からバナナ輸入の利権を譲って貰う。竜馬の友人、島村サキ子岡田茉莉子)は大学をやめてシャンソン歌手をめざしている。一方、呉の妻は友人に誘われシャンソン喫茶に通い始めてシャンソン趣味に目覚める。

 1950年代後半を描くとき、「バナナとシャンソン」とは実に卓抜な思いつきだ。バナナは60年代初期に輸入自由化が実現したが戦後長らく輸入は認可制だった。そのためある時期までバナナは「高級果実」だったのである。一方フランスの歌である「シャンソン」(まあフランス語で「歌」の意味だが)は、特に戦後にあって日本でも多くのファンを獲得しブームになった。思想、文学、映画、ファッション、何でもフランスに憧れがあった時代だが、ちょっとオシャレな歌としてシャンソンも人気があった。

 「バナナ」の家庭は一般より恵まれている。だから子どもに車を買うか買わないかが問題になる。60年前後には白黒テレビや掃除機、洗濯機などを買うかどうかが問題だった時期である。それでも獅子文六の小説に出てくるムードは全体的に上向きである。人々の気持ちは「観光」にも向き始めた。それを示すのが「箱根山」である。朝日新聞に1961年に連載され、1962年に川島雄三監督により東宝で映画化された。文庫本には「冒頭の会議は退屈」と書かれている。しかし、そここそ「箱根山戦争」と呼ばれた東急の五島慶太と西武の堤康次郎の壮絶な闘いを描いて実に興味深い現代史である。

 ところでこの「箱根山」の本筋は財界トップによる利権争奪戦ではなく、一転して「ロミオとジュリエット」になる。箱根最古の温泉「足刈」の「玉屋」と「若松屋」は大昔は一族だったが、別れて以来競争関係が続いていて口も聞かない。箱根では高度成長で団体観光が盛んになって、湯治主体の足刈も危機にある。そんな時に若松屋の娘明日子と玉屋の番頭乙夫の仲が接近中。乙夫とは珍しい名だが、実は「オットー」の当て字。戦時中に船が爆発して箱根で過ごしていたドイツ兵(実話である)と玉屋の女中の間に生まれた子どもなのだった。
(乙夫と明日子)
 女中は産後に亡くなり、玉屋で育てられた乙夫は成績も抜群、性格も素直、体格も良いという優等生で加山雄三がやってる。明日子は星由里子で、若大将シリーズのコンビが初々しい魅力を発揮している。この二人の行く末に、旅館の後継者問題なども加わる。そして「氏田観光」社長の思惑もあって…。この氏田観光は藤田観光で、小涌園を開発し芦ノ湖スカイラインを建設しつつあった。足刈は「芦之湯」で、ここには「松坂屋本店」と「きのくにや」の二つの温泉旅館がある。ロケもされていて、当時の温泉風景を見ることが出来る。温泉小説としても上出来だ。

 この二つに加えて「コーヒーと恋愛」(1962年読売新聞連載時は「可否道」、映画化題名は「なんじゃもんじゃー「可否道」より」)は、高度成長下に生きる人々の気持ちがよく出ている。まだまだ貧しいが、人々の心は未来に向かっている。そんな時代を背景にしたラブコメで、そのドタバタは今読む方が面白いかも。でも当時の日本を知るためには、獅子文六はA面で、B面とも言える松本清張なども読むべきだろう。このA面、B面という表現も古いかなと思うが。当時の人々は決して向上心に富むばかりではなく、貧者は富者に嫉妬やねたみを持っていたことが清張作品で理解出来る。
 
 また「バナナ」の竜馬、「箱根山」の乙夫は、どちらも「国籍」が違う男女の間に生まれた子どもである。知られているように、獅子文六の最初の妻はパリ遊学中に知り合ったフランス女性で、最初の娘は日仏「混血」だった。獅子文六の小説で「民族性」がどのように扱われているか。そんなテーマも追求可能だろう。ひたすらスラスラ読める娯楽小説だが、読み飛ばすだけでは惜しい。風俗小説として、今から60年ぐらい前を知るためにも読んでみてもいい。
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「青春怪談」、セクシャリティの揺らぎー獅子文六を読む①

2020年02月18日 22時55分54秒 | 本 (日本文学)
 2月になって獅子文六を連続で読んでいる。獅子文六(1893~1969)は昭和を代表するユーモア小説、家庭小説の名手として再評価されつつある。本名は岩田豊雄で、フランス演劇の研究家であり、今も続く劇団文学座の創立者でもあった。(1937年に岸田国士、久保田万太郎、岩田豊雄の3人が創立した。)もともと娯楽小説は生活のためで、そのため「四四十六」をもじったペンネームを作ったと言われる。死の直前に文化勲章を受けたほど有名だったが、その後忘れられてしまった。

 数年前にちくま文庫で「コーヒーと恋愛」が面白本発掘と銘打って刊行され、人気を呼んだ。その後続々と文庫化され、今や12冊も出ている。人気作は当時ほとんど映画化されている。ベストテンに入るような映画は一本もないけど、最近古い日本映画を上映する映画館が増えて僕もかなり見た。それが面白いので原作も読もうかと何冊か買ってみた。「コーヒーと恋愛」「てんやわんや」「七時間半」と読んで、まあそれなりに面白かったがこの程度かなとも思った。だから、もう数冊あったけど放っておいたんだけど、最近読み始めたのは今横浜で獅子文六展が開かれているから。

 今回はその圧倒的な読みやすさに参ってしまった。ちょうどこういうのに飢えていたのかも。今では少しずれてしまったレトロ感も悪くない。決して名文ではなく、わかりやすさを優先してスピード感のある文体で疾走する。我が若かりし頃、安部公房大江健三郎の新作はハードカバーで欠かさず読んでいた頃、獅子文六は読む対象ではなかった。それは源氏鶏太石坂洋次郎も同様。レトロな大衆文学なら、夢野久作小栗虫太郎のような「異端文学」に惹かれた。

 今になれば、獅子文六のぬるい「良識」的な保守主義が面白く読めるじゃないか。僕の若い頃には「ちょっと前」だった時代も、今では半世紀以上も昔になる。思い入れや恥ずかしさを抜きに楽しめるようになった。ポケベルとかPHSWindows95とかワープロは、僕にはまだ懐かしさの対象じゃない。しかし、「ほとんどの家に電話がなかった頃」とか「白黒テレビ」とか「オート三輪」(三輪のトラックである)なんかは、不便極まりないけど懐かしい。1960年代の話である。

 ということで何回か獅子文六の本について書いてみたい。まず最初は「青春怪談」(1954)である。獅子文六の有名小説はほとんど新聞小説である。「青春怪談」は読売新聞に連載され、翌1955年4月19日に日活新東宝で競作されて同日に公開された。日活は市川崑監督で、これは見ている。新東宝は阿部豊監督で、今回獅子文六展で上映されたが遠いから見に行かなかった。

 父と娘の奥村家、母と息子の宇都宮家。両家は鵠沼(くげぬま、神奈川県藤沢市の海岸)の疎開先で知り合い、若い二人はまあ婚約的な状況にある。でも二人は「クールボーイ」と「ドライガール」で、お互いに燃え上がってる関係にはない。奥村千春は「バレー」に夢中で大役が付いたばかり。(今は「バレエ」と「バレーボール」を使い分ける。この当時は「バレエ」も「バレー」である。)宇都宮慎一は商売を始めることを考え、大学卒業後も就職せずパチンコ屋やバーに投資して「勉強」している。

 日活映画では、千春を北原三枝、慎一を三橋達也が演じている。千春に憧れてつきまとっている新子、あだ名はシンデ(シンデレラから)を芦川いづみが超怪演している。ところで問題はむしろ両親の方である。今じゃ「一人親家庭」とは大体離婚だが、当時は戦争や病気で若くして死ぬ人が多かった。子どもの結婚で一人暮らしになってしまう親たちが心配で、子どもたちは相談して二人を結びつけようと企む。そこに様々な人々が絡んできて、ドタバタの上出来ラブコメが展開されるわけである。
(北原三枝と三橋達也)
 ところで「青春怪談」という題名は何故だろうか。軽快に展開していた小説がラスト近くで停滞する。不可解な中傷事件が続発して、犯人も判らず慎一の起業のもくろみも座礁しかねない。そこら辺が映画ではサラッと描かれたと思うんだけど、小説ではもっと違う問題が延々と展開されていた。それは「千春のセクシャリティのゆらぎ」である。シンデの千春に寄せる思いは、かなりはっきりと「同性愛」が示唆される。慎一は受け入れがたいが、千春は自ら「自分は本当に女性なのか」、つまり今の言葉で言えば「性同一性」を自ら疑っているのである。

 「自由学校」を合わせ読むと、登場人物というより作者自身の「ホモフォビア」(同性愛嫌悪、恐怖)は否定できないと思う。しかし、50年代半ばに新聞小説でここまで「セクシャリティ」をめぐって議論されていたのかとビックリした。それは当時の「良識」の範囲をはみ出さない。しかし外国における「性転換」ケースなども紹介され、作者の関心の深さを思わせる。けっして「興味半分」ではなく、マジメなアイデンティティの問題として、あくまでも娯楽小説の枠をはみ出さないレベルでだが展開されるのである。

 親たちの方は山村聡轟由起子がまさにピッタリの名演。ラスト近く、向島百花園での出来事は抱腹絶倒である。戦後の百花園が出てくることでも貴重。慎一と千春はケータイなき時代のことだから、ひたすら新橋駅で待ち合わせしてずっと待ってる。地下鉄は銀座線しかない時代だから、新橋駅はどこへ出るにも便利なのだ。ところで宇都宮慎一という男、「美男子過ぎる」と評されている。日活は三橋達也、新東宝は上原謙だが、どうもイメージが違う。言い寄ってくる女に不自由しないが、全然興味を示さず千春とも友だちみたいな関係。道徳的に純潔を保っているのではない。当時の概念になかったが「無性愛」に近いのではないか。いろいろ時代に先駆けた小説だ。
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森雅子法相は「公務員職権濫用罪」であるー検察官定年延長問題③

2020年02月17日 22時25分27秒 | 政治
 同じ問題を書いていると飽きてくるけど、今回書くことは是非指摘しておきたいと思う。そもそも検察庁法では検察官の定年延長は認めていない。それに対して安倍首相は「国家公務員法の解釈を変更した」と述べている。その措置は法的に見て正しいのだろうか。それは誰がどこで判断するのだろうか。学者であれ、一般国民であれ、学問・研究の自由、言論・表現の自由を持っているから、自分で考えて違法だと主張することが出来る。しかし、国家的には「裁判所の確定判決」がなければ有効性を持たない。そして、裁判所に対して、違法かどうか判断してくれという裁判は出来ない。 

 出来ないというか、裁判を起こすこと自体は出来る。集団的自衛権を一部認める憲法解釈の変更は憲法違反かどうか。そういう裁判はたくさん起こされて、一部で注目すべき判断もあった。しかし、全部の裁判は終わってないけれど、多くの裁判は「門前払い」みたいな判決が出ている。それはそれとして、今回のケースではどのような裁判が可能だろうか。実はもう安倍首相を「偽計業務妨害」で告発した人がいる。ただそれはかなりの「無理筋」じゃないか。考えようによっては「検察の業務妨害」と言えなくもないだろうが、首相の指示を「偽計」と判断するのは難しい。(偽計業務妨害は、市役所に電話をかけ続けて嫌がらせをしたようなケースで適用されている。)
 
 そこで「森雅子法務大臣は公務員職権濫用罪にあたる」という考えを書いておきたい。東京高検検事長の定年延長がどのように実行されたのか、僕はよく知らない。安倍首相の明確な指示があったのかどうかも不明だ。しかし、はっきりしているのは、法務省で実務的処理を行ったのは間違いない。ただ口頭で延長すると告げたわけじゃない。閣議決定を経ているので、閣議にかける書類を事前に法務省で作成したはずだ。定年延長を違法と見るなら、森法相はやるべきではない仕事を部下に命じた
(国会で答弁する森法相)
 これは刑法193条の「公務員がその職権を濫用して、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害したときは、2年以下の懲役又は禁錮に処する。」に該当しないだろうか。法務官僚に対し「義務のないこと」をさせたのだ。「特別公務員職権濫用罪」というのもある。「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれらの職務を補助する者」が職権を濫用した場合、特に重く罰する規定である。無実の人に覚醒剤を持たせて逮捕したケースなどに適用されている。法務大臣もこれに該当するのではと思ったが、ちょっと無理か。一般的な「公務員職権濫用」になるだろう。

 「公務員職権濫用罪」の場合、検察官が不起訴にした場合、付審判請求という制度を使うことが出来る。「特別公務員暴行陵虐罪」という罪があり、これは警察官や検察官の拷問などを重く罰する。疑われた側が拷問を訴えても、身内である検察官はなかなか起訴しないことも考えられる。そこで主に「公務員職権濫用罪」や「特別公務員暴行陵虐罪」など7つの罪に限って、裁判所に直接審判を求める制度がある。その他の罪の場合、不起訴に納得できない場合、「検察審査会」に申し立てることが多い。2009年以後は、2回にわたって検察審査会で「起訴相当」となると「強制起訴」する制度が出来た。

 検察審査会のことは、近年の「強制起訴」事件によって、知っている人が多いだろう。一方、付審判制度の方は、最近あまり例がないので、知らない人が多いと思う。付審判請求があると、裁判所が双方の主張を聞き、審判を開始するかどうかを判断する。審判開始となったら、指定弁護士が検察官役となり普通の刑事裁判と同様の仕組みで進行する。ウィキペディアを見ると、1949年以来1万8千人の警察官や刑務官が付審判請求されたが、審判が開始されたのは23人だという。そしてその半数ぐらいは無罪になっている。だからほとんど機能しない制度になっているが、それでも検察官が起訴すべきかどうかを一手に判断する中で、特例的に裁判所に訴えられる制度があることは重要だ。

 諸外国では大臣などが「職権濫用」を問われることがけっこう多い。政治的に混乱している国で、勝った側が前政権の大臣を職権濫用に問うケースもある。職権濫用を濫用してはいけないと思うが、逆に日本では政治家の政治的行為が罪に問われることが少なすぎる気がする。その事によって政治家に緊張感が薄れているのではないか。今回書いたのは、検察官の定年延長問題に関して、裁判所に法解釈の正当性判断を求める道があるかどうかを考えたわけである。裁判所が審判開始を認めることは難しいと思うが、それでもどんなリクツで判断するかを見ることが出来る。(なお、法律的には「濫用」と書くが、日常的には「乱用」と同じ。「濫」は「みだりに」の意味。)
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認めがたい「解釈変更」-検察官定年延長問題②

2020年02月15日 23時13分43秒 | 政治
 東京高検検事長の定年延長問題に関して、安倍首相は2月13日の衆議院本会議で「従来の国家公務員法の解釈を変更した」と明言した。その前の2月10日、山尾志桜里衆議院議員の質問で、国家公務員法の従来の政府解釈との矛盾を追及した。1981年に国家公務員の定年が制定された当時、「定年延長は検察官には適用されない」と答弁していたというのである。13日は高井崇志議員への答弁で、従来の政府解釈の存在を認めて、安倍内閣が解釈を変更したとした。
(森法相に質問する山尾議員)
 これには開いた口が塞がらない。全く認められない答弁である。以下でその理由を4点にわたって指摘したい。まず最初の理由は「国会無視」である。国会は国権の最高機関であり、法律を制定する。憲法は国民投票を経ないと改正できないが、法律は国会で改正できる。実際安倍内閣では「改悪」としか言えない「改正」を幾たびも行ってきた。「解釈変更」なんて言われたら、その「改悪」さえ必要なくなる。どんなに強引であれ、検察庁法が変えられたんだったら「違法」にはならない。黒川検事長が2月に定年だと判っていたんだから、昨年の臨時国会に検察庁法改正案を提出するべきだった。

 二番目の理由はプロセスが不明なこと。この解釈変更はいつ、どのように行われたのか? 国民としては首相答弁で変更があったと初めて知った。最低限でも定年延長と同時に解釈変更も発表しないとおかしい。解釈変更を知らされるまでは従来の解釈が正しかったことになるから、定年延長は違法だという批判は正しかったのである。ところで「法律解釈の変更」はどうすれば出来るのか。首相が表明すればそれでいいのか。そんなことはないだろう。日本は法治国家なんだから、閣議決定などの「証拠」がいるだろう。解釈変更に至るプロセスをきちんと明らかにするべきだ。追求を避けるために、思いつき的に解釈変更と言い出したとしたら、その弊害は非常に大きい。
(条文と政府見解)
 第三に「特例に特例を設けるのは不可」ということだ。国家公務員法では定年を60歳としながら、「特別の事情」の場合に「一年を超えない範囲」で延長出来るとする。(3年以内に限り繰り返し延長可能。)検察庁法では検察官の定年を63歳として、それは「(国家公務員法の)特例を定めた」と明記している。検察庁法がそもそも「特例」なのに、さらに政府解釈によって「特例の上乗せ」が出来るのか。よく新聞のチラシなどにあるクーポンや優待券を見ると、様々な券の「併用は出来ません」と書いてある。法的根拠の問題ではなく、一般常識で考えて「特例の特例」は法改正なくして不可能だと考える。

 最後に、これは僕が言うことでもないと思うけど、検事長は「認証官」だという点を挙げておく。「認証官」というのは、就任に当たって「天皇が認証する」とされている公務員(特別公務員を含む)のことである。民主主義なんだから、そんなことはどうでもいいじゃないかと思うだろうが、当人たちにとっては重大な問題なんだろう。例えば各省の事務方トップの事務次官は認証官ではない。だから法務次官は認証官ではないが、検事長は認証官なのである。検事総長、次長検事に加えて、日本に8つある高等検察庁のトップである検事長は認証官なのである。

 外務省でも外務次官は認証官ではないが、大使(特命全権大使)は認証官である。他には宮内庁長官公正取引委員会委員長原子力規制委員会委員長なども認証官。政治家が就任する国務大臣や副大臣は別にして、日本の官界において検察官や特命全権大使は特別な重みを持っている(と自分たちは自負している)。そのような重職だからこそ、定年においても特例を認められている。そんな「重大な職」にあるものが政権の意向で定年延長して貰って検察のトップになる。そんなことが許されてよいことなのかと支配層内部でこそ反感を持たれているのではないか。
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「ねじまき鳥クロニクル」の舞台化を見る

2020年02月14日 22時25分19秒 | 演劇
 村上春樹の大長編小説「ねじまき鳥クロニクル」が舞台化された。東京芸術劇場プレイハウスで3月1日まで上演中。最近はなかなか劇場に行くこともなかったんだけど、昨年「海辺のカフカ」を見たから、こちらも見ておきたいと思った。これがまたミュージカル仕立ての不思議空間で、物語は原作同様に判らないながらも魅力的な舞台だった。それにしてもよく判らなかったけど。

 「ねじまき鳥クロニクル」は1994年に第1部、第2部、1995年に第3部が刊行された大長編で、このように3部まであるのは他には「1Q84」だけである。村上春樹文学の転換点になったと言ってもいい長編小説で、後の「海辺のカフカ」「1Q84」「騎士団長殺し」につながってゆく世界観が示されている。だけど、後の作品群が「判らないけど、判りやすい」のと違って、「判るけど、全然判らない」ような感じの小説だと思う。読んでない人には通じない表現だと思うが。舞台の物語はほぼ原作通りのイメージ。

 不思議なことに、登場人物が突然歌い出すシーンがある。まあそれはミュージカルと同じだから、趣向を知らなかったからビックリしただけで珍しいことではない。だが主人公「岡田トオル」役に成河渡辺大知の二人がキャスティングされている。普通の意味のダブルキャストではなく、シーンごとに演じ分けるのでもなく、二人共に舞台に出てくる時もある。一人の時もある。不思議で、どうもよく判らない。岡田トオルの猫が行方不明となり、見つかったと思ったら、妻が家を出て行く。猫を探すときに知り合う女子高生笠原メイ門脇麦。他に大貫勇輔(綿谷ノボル)、徳永えり(加納クレタ/マルタ)、吹越満(間宮中尉)、 銀粉蝶(赤坂ナツメグ)等々。なかなか豪華キャストだが俳優で見る演劇じゃない。

 スタッフを見ると、演出・振付・美術:インバル・ピント、脚本・演出:アミール・クリガー、脚本・演出:藤田貴大と演出に3人、脚本に2人の名前がある。インバル・ピントは「イスラエルの鬼才」とチラシにある。「100万回生きたねこ」など日本での経験も豊かなダンス演出家だという。アミール・クリガーは「気鋭」とあるがよく知らない。藤田貴大は近年注目され続けている劇作家・演出家。役割分担は判らない。そこに 音楽:大友良英が加わり、ライブで音楽を繰り広げる。

 ホームページにあるストーリーをコピーすると以下の通り。飛ばして貰って構わない。
岡田トオルは妻のクミコとともに平穏な日々を過ごしていたが、猫の失踪や謎の女からの電話をきっかけに、奇妙な出来事に巻き込まれ、思いもよらない戦いの当事者となっていく――。トオルは、姿を消した猫を探しにいった近所の空き地で、女子高生の笠原メイと出会う。トオルを“ねじまき鳥さん”と呼ぶ少女と主人公の間には不思議な絆が生まれていく。

 そんな最中、トオルの妻のクミコが忽然と姿を消してしまう。クミコの兄・綿谷ノボルから連絡があり、クミコと離婚するよう一方的に告げられる。クミコに戻る意思はないと。だが自らを“水の霊媒師”と称する加納マルタ、その妹クレタとの出会いによって、クミコ失踪の影にはノボルが関わっているという疑念は確信に変わる。そしてトオルは、もっと大きな何かに巻き込まれていることにも気づきはじめる。

 何かに導かれるようにトオルは隣家の枯れた井戸にもぐり、クミコの意識に手をのばそうとする。クミコを取り戻す戦いは、いつしか、時代や場所を超越して、“悪”と対峙してきた“ねじまき鳥”たちの戦いとシンクロする。暴力とエロスの予感が世界をつつみ、探索の年代記が始まる。“ねじまき鳥”はねじを巻き、世界のゆがみを正すことができるのか? トオルはクミコをとり戻すことができるのか―――。」

 読んでいても判らないと思うけど、舞台を見ても原作を読んでも同じように判らない。しかし、「井戸」「行方不明」「日本軍」「異世界での戦い」など、その後の村上春樹世界に決まって登場するシチュエーションがここで出そろった作品だった。それらの複雑なイメージが万華鏡のように散りばめられているので、キラキラ光る魅力はあるが完全に納得した感覚が持てない。そういう原作そのままが舞台化されていて、だから難しいけど音楽やダンスがあるから楽しい。そんな感じかな。何しろ一番判らないのは、笠原メイが主人公を「ねじまき鳥さん」と呼ぶこと。ねじ巻き鳥って何だろう、世界のネジを巻き続ける鳥? What? それが結局よく判らない。
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安倍内閣の人事私物化を糺すー検事長定年延長問題①

2020年02月12日 22時40分04秒 | 政治
 先に書いた「東京高検検事長の定年延長は違法である」をさらに続けて追求することにする。これは非常に重大な問題で、野党は国会でもっと質問して欲しい。安倍内閣においては、「行政の中立性」がどんどん侵されている。行政トップは政治任命だが、その担当分野の性質から比較的に中立性が求められる分野がある。最高裁判所裁判官内閣法制局長官日銀総裁などがそれである。また法務教育などの分野も同じだろう。これら「禁断の聖域」に安倍内閣は踏み込んできた。

 前川喜平氏のコラム(東京新聞2月9日)によれば、同様の「異例の人事」は文科省でも起きたという。「藤原誠君は2018年3月末が官房長の定年だったが、異例の定年延長を受け、10月に事務次官に就任した。本命の小松親次郎文科審議官は退官した。藤原君は官邸に極めて近い人物、小松君は官邸と距離を置く人物だった」とのことである。今回は黒川氏の定年延長前は林真琴名古屋高検検事長が検事総長の本命とされていた。前川氏は両氏とも知っているが、「黒川氏は如才ない能吏、林氏は冷静な理論家という印象」だそうである。政権による「人事の私物化」が進んでいる。

 今回の人事に関しては、画像にあるような3氏に関係がある。黒川東京高検検事長は2月7日に定年だから、後任に林真琴氏が就任する。林氏も7月には63歳を迎えるが、4月20日~27日に行われる第14回国連犯罪防止刑事司法会議(京都コングレス)を花道に稲田検事総長が勇退し、後任に林氏が昇格する。それが検察内部の構想で、名古屋では林氏の送別会も開かれていたという。(東京新聞2月11日記事による。)ちなみにそのコングレス(国際会議)は「犯罪防止・刑事司法分野の国連最大規模の会議で、国連により5年に1度開催」されるものだという。

 つまり今回の人事案は検察内部で作られたものではなく、官邸主導のものなのである。こんなことがあって良いのだろうか。「検察庁のトップが違法に就任した」という法解釈が正しいかどうかは別にして、そのように疑われるだけで検察のイメージダウンは甚だしい。時には被告人に死刑を求刑することもある検察官。法務大臣いわく、日本では検察官が有罪が見込まれる事件のみを起訴するから無罪率が低いという。そのような重大な責務を持つはずの検察官。そのトップが違法に定年を越えて在任している!! そのような疑義が生じるだけで、大問題ではないか。
(後任予定だった林真琴名古屋高検検事長)
 前回も書いたけれど、この定年延長は違法と解釈するのが正しいと考える。前回書いてない検察庁法条文を指摘しておく。そもそも国家公務員法では定年は60歳である。一方で検察庁法では検察官の定年は63歳、検事総長のみ65歳となっている。そもそもちょっと前まで公務員には定年がなかった。信じられないかもしれないが、自分が教員になった1980年代初期には定年がなかった。(学校には70歳近い教師がいた。)国家公務員の定年は1981年に導入され、1984年から実施された。

 そこで検察庁法第32条の2に「この法律第十五条、第十八条乃至第二十条及び第二十二条乃至第二十五条の規定は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)附則第十三条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。」と明記された。15条、18条は任官に関する規定で、22条が定年規定である。検察官の定年63歳というのは「国家公務員法の特例」だとされている。もともと全員が特例なんだから、国家公務員法の特例を適用する余地がない。
(稲田伸夫検事総長)
 国家公務員法の定年延長特例は、前回書いたように「1年限り」「3回まで」しか適用できない。これは「63歳を超える国家公務員は、国家公務員法における定年の延長は出来ない」と理解すべきである。検察官も国家公務員だから、定年延長出来るというのは「ヘリクツ」以外の何物でもない。それなら検事総長の65歳定年も延長出来ることになる。東京高検検事長が個別事件の捜査をしているわけじゃないだろう。定年を延長する必要があるなら、検察全体に関わることになる。それなら検事総長も名古屋高検検事長も定年を延長しないとおかしくなる。

 東京高検検事長は現在、検察庁法の規定に違反して在任している。どうすればいいんだろうか。誰か検察庁法違反で告発して欲しいと思う。もっとも自分で居座っているわけじゃなくて、内閣が閣議で決定している。だから合法だという考え方もあるだろう。しかし、法的には問題があるとしても、日本では法律の解釈は裁判所にしか判断できないから、何らかの形で裁判にしないとならない。その知恵を絞るのは法律の専門家にお願いしたいと思う。しかし、僕が思うのは検察官には自浄作用が働かないのかということだ。多くの再審事件を見ていると、とても自浄など期待できない気もする。だけど検察官は司法修習を経て法曹資格を持っているんだから、今回の措置がおかしいことは判っているだろう。

 黒川氏自身も検察官としての誇りが一片でも残っているならば、延長を受けるべきではなかった。そんなものはとっくにないのかもしれないけど。しかし、定年退職が延長された期間であっても、本人が一身上の都合で退職する自由はある。本人が自ら辞任して違法状態をなくすべきだ。というか、それを求めていかなくてはいけない。
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「ドン・キホーテ」と「ジョジョ・ラビット」

2020年02月11日 23時32分43秒 |  〃  (新作外国映画)
 「マリッジ・ストーリー」について書いたから、ついでに主演俳優のアダム・ドライヴァースカーレット・ヨハンソンの新作についても書いておきたい。まずはアダム・ドライヴァーの方で、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(The Man Who Killed Don Quixote)がついに完成して日本でも公開された。「未来世紀ブラジル」や「12モンキーズ」の監督テリー・ギリアムはここ何十年もドン・キホーテに取り憑かれてきた。とても面白かったけど一般受けは難しいだろう。見たい人は早めに見た方がいいと思う。

 何しろテリー・ギリアムの「ドン・キホーテ」と言えば、ここ何十年も製作中止が相次ぎ(9回ということだ)、映画史上「最も呪われた映画」と言われていた。当初はジョニー・デップが出演するはずで、メイキング映画の方が「ロスト・イン・ラ・マンチャ」(2002)として先に出来たぐらい。かつてオーソン・ウェルズも映画化を前に亡くなり、僕は結局「ドン・キホーテ」の映画化とは「The Impossible Dream」(見果てぬ夢=ドン・キホーテのミュージカル化「ラマンチャの男」のテーマソング)になるんだと思っていた。
(テリー・ギリアム監督)
 冒頭でドン・キホーテがサンチョ・パンサを振り切って風車に突進するから、これは本格的な映画なのかと思うと、すぐにカメラが引いて撮影シーンだと判る。それもCMらしい。監督のトビー(アダム・ドライヴァー)は10年前に近くの村で「ドン・キホーテを殺した男」という自主映画を卒業制作で撮ったことがある。謎の男からDVDを貰って、翌日訪れてみると…。ドン・キホーテ役を頼んだ靴職人は、その後自分は本当のドン・キホーテと思い込んじゃったらしい。ドルシネア姫役の酒場の娘は自分もスターになれると信じてマドリッドに行ってしまったという。フィクションが村人の運命を変えてしまったのだ。

 そこから夢と現実が渾然一体となった迷宮のような世界が続いてゆく。トビーは村で火事を起こして警察に追われ、ドン・キホーテ(と思い込んだ男)に救われる。サンチョ・パンサと間違われ同行するが、行くところ行くところで騒動が起きる。大昔の夢の中にいるかと思うと、そこはムスリムの不法移民の村でテロの心配もする。ボスやボスの妻とのイザコザ、ロシア人富豪に囲われたアンジェリカ(昔の映画のドルシネア)をいかに救うか。結局、人間はジタバタしながらも幻の巨人に立ち向かっていく大切さを感じる。夢かうつつか、決して判りやすい映画じゃないけど、壮大な映像が美しい。

 一方、スカーレット・ヨハンソンがアカデミー賞助演女優賞にノミネートされた「ジョジョ・ラビット」。ナチスドイツに生きる少年を描くが、英語で作られたエンタメ作品。すべてを「子ども目線」で描くところに新味があるが、初めからリアリティは無視されている。ジョジョはヒトラーを崇拝する少年だが、ヒトラー・ユーゲントのキャンプでウサギを殺せずに「ラビット」(弱虫)とあだ名される。そんなジョジョの脳内にはことあるたびにヒトラーが現れアドバイスしてくれる。

 しかし、家の中に謎の音がすることに気付き、探してみると少女が隠れていた。母(スカーレット・ヨハンソン)は実は反ナチスで密かにユダヤ人を匿っているらしい。本当は密告するべきなんだけど、ジョジョはそれも出来ず悩みながら少女と仲良くなってしまう。ある日、母親が帰らず、その日から二人暮らしになってしまう。この映画は映画的魅力からすると、他のアカデミー作品賞候補作品に比べて弱い。「子ども目線」の功罪だろう。英語で作っていることもあり、臨場感が薄くなるのはやむを得ない。

 アカデミー賞ではタイカ・ワイティティが脚色賞を獲得した。この映画の監督でもあり、上の写真で空想上のヒトラーに扮している俳優でもある。元々ニュージーランド出身で、父がマオリ人、母がロシア系ユダヤ人だという。ニュージーランドで演劇を学び、喜劇役者として活躍。短編映画を作ってアカデミー賞にノミネートされ、長編映画がサンダンス映画祭で認められる。そんなルートでハリウッドで商業映画を撮れるようになっていった。ニュージーランドだから元々英語だけど、その文化的背景は複雑で注目すべき才能が現れてきたものだ。
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