尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「アンジェリカの微笑み」と「ひつじ村の兄弟」

2016年01月31日 23時31分24秒 |  〃  (新作外国映画)
 先週木曜日(28日)に見た映画、「アンジェリカの微笑み」と「ひつじ村の兄弟」の紹介。どちらも当初のロードショー公開は29日で終わってしまった。見るのが遅くなり、ようやく見たわけである。どっちもヨーロッパの小国の映画で、紹介する意味もあろうかと思って書く次第。

 「アンジェリカの微笑み」はポルトガルの巨匠、マノエル・ド・オリヴェイラ(1908~2015)の2010年の作品。つまり、102歳の時となるから、驚きである。ちなみにその後も作品を発表している。僕はオリヴェイラ作品と相性が悪いので、ロードショーで見る気はなかった。ところが、キネ旬ベストテンの3位に入選してしまった。ベストテン入選は初めてである。だから、つい早く見ておきたくなってしまった。

 日本の新藤兼人(1912~2012)も長命だったが、オリヴェイラは生年も没年も新藤兼人を前後に挟み込んでいるんだから、すごい。新藤監督の最後の作品「一枚のハガキ」(2011)はベストワンになったのだから、それもすごいことである。100歳前後に作られた映画がこのように高い評価を受けるということは、その映画や監督の評価は別にして、なんだか勇気づけられる。まあ、自分は100まで元気で生きられるとは思えないけれど、そのことはともかく。

 「アンジェリカの微笑み」は、非常に美しい幻想怪異譚で、そういう映画としては成功していると思う。では、好きかというと、やっぱり僕にはオリヴェイラ作品はあまり面白くない。舞台になっているのはポルトガル北部のドウロ川流域で、と言ってもこの名前も初めて聞いたわけだけど、アルト・ドウロ・ワイン生産地区という名前で世界遺産に指定されている。ドウロ川に沿ってぶどう畑が並び、独自の美しい風景ということだが、その様子は映画でもうかがえる。すごく風景がきれいで、まあそういうのも外国映画を見る楽しみである。そこで趣味で写真を撮っているユダヤ人青年イザクが、ある深夜に呼びに来られて丘の上のお屋敷に連れられていく。いつの話かわからないが、誰もケータイ電話など持ってないから、現代というより、ちょっと昔のおとぎ話という感じ。

 そのお屋敷では娘が死んで、一家は悲しみに沈んでいる。その娘の写真を撮って欲しいという依頼なのである。見れば驚くような美女で、写真を撮り始めると死んだはずの美女がウィンクしたりして戸惑う。が、もう一回見ると確かに死んでいて、さっきは幻覚を見たのか。この死んだ美女にイザクは恋してしまったようである。そして、死者に心を奪われるようになると、彼の生命の泉も枯れていくのだった。イザクは何をしている人か、過去の経緯も説明されず、昔風の手作業で農業をしている男たちの写真を取りまくって、まわりから奇異に思われている。そんな彼の様子をカメラは静かに追っていく。

 世界は「反復」で出来ているが、この映画はイザクが見る彼女の写真を中心に、教会にいる乞食、何度もある食事風景、食堂に入る小鳥など、同じような場面が少しづつ違えながら反復して行き、だんだん死の影が強くなっていく。この映画を支えているのは死体役の美女だが、ピラール・ロペス・デ・アジャラという女優で「王女ファラ」などに出ている。「シルビアのいる街で」でストラスブールをさまよう美女を演じていた人。チラシを見れば判るようにすごく魅力的。イザクはオリヴェイラ作品によく出ているリカルド・トレパで、監督の孫でもあるという。この静かなファンタジーには、絵のような美しさで死んだ美女の魂に囚われる様子が描かれるが、登場人物どうしのドラマはない。「見つめる映画」とでもいうような感じ。そこが僕がいま一つオリヴェイラ作品に惹かれない理由でもある。

 一方、「ひつじ村の兄弟」はアイスランドの映画である。アイスランドはヨーロッパ最北の小さな島で、人口はわずか30万人強である。その割には、小説、音楽、映画などが世界に知られていて、独特の文化が生きている。最近では「馬々と人間たち」という不思議に強烈な映画があった。あれはアイスランドの馬を扱っていたが、こっちは羊である。アイスランドは人間より羊が多いと言われ、ほとんど食用だという。アイスランドのミステリーを読むと、羊の頭の料理が出てきたと思うが、目玉や臓物の料理なども有名らしい。漁業も盛んな国だが、羊もいっぱい食べる国なんだろう。

 羊を飼っている村で、仲が悪い兄弟がいる。40年口もきいていないという。お互いのコミュニケーションは、兄が飼っている牧羊犬を呼んで手紙を運んでもらうことで取っている。この犬が名演で、口にくわえて手紙を運ぶ様子、あるいは羊を追いこむ様子など、なかなか賢い。品評会で優勝したのは兄の羊。だけど、弟は兄の羊が病気ではないかと疑う。調べてもらうとそれは事実で、村の羊は当局により全頭処分にされることとなる。係員が来るが、その前に弟は自分で羊を射殺する。一方、変わり者で知られる兄は、絶対従わないと言い張るが、もちろんそれは通らない。こうして兄弟の確執はますます激しくなる。冬の雪の中、酔って抗議に来て雪中で倒れていたり…。そして、弟には羊に関わる秘密を抱えていた…。アイスランドの荒涼たる自然、特に冬の雪景色が素晴らしい映像で描かれている。

 監督・脚本はグリームル・ハゥコーナルソン(Grimur Hakonarson)(1977~)という若手監督で、チェコの大学で学んで映画製作を始めたとある。キャストを書いても仕方ないから書かないが、主演の兄弟二人はプロで、アイスランドの演劇、テレビで活躍している人らしい。実に風格ある演技だけど、見ていて寒そうなのが気の毒なぐらい大変な撮影をしている。ラストシーンなんか、見ているこっちも寒くなってしまうが、そこがアイスランド映画らしいところ。「アンジェリカの微笑み」の品格を認めないわけではないけど、「ひつじ村の兄弟」のドラマ性と動物演技の方に心惹かれる。大体、動物が出てくる映画が好きだけど、多分実際に行ってみると、このひつじ村は動物臭がすごそうである。
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琴奨菊の初優勝②

2016年01月30日 00時37分49秒 | 社会(世の中の出来事)
 相撲は個人競技ではあるけれど、同部屋の力士は対戦しないので、ある種の「団体競技」的な性格がある。この「部屋」制度が古いと言えば古い。指導者も元力士が「親方」という古めかしい名前でやっている。「親方株」などというから、「株仲間」制度なのである。歌舞伎役者だって、今は世襲以外でもなれる道があるが、アマチュア相撲の指導で実績を上げても大相撲の親方になれるわけではない。こういう世界を古いというだけで否定すると、相撲を楽しめない。

 現実に「相撲部屋」がある以上、ひいき力士が出来てくると部屋ぐるみファンになったりする。同部屋対戦がないわけだから、好きな力士と同じ部屋の力士も応援しやすいのである。「一緒にがんばれ」と思ったり、横綱や大関がいる部屋の力士には「他の部屋の横綱や大関を破ってくれ」と思うわけである。僕の場合、佐田の山がいた出羽の海部屋なんかは、そう思って応援する気持ちになった。その後は佐渡ヶ嶽部屋もそうである。先代の佐渡ヶ嶽親方は元横綱の琴櫻。69年に大関で優勝して以来活躍がなく、万年大関と思われていた。ところが、1972年11月と翌73年1月に14勝1敗で連続優勝して、突然横綱に駆け上がった人である。横綱で一回優勝したが、結局8場所で引退し、これは短命横綱の2位となっている。しかし、「猛牛」と言われた突進相撲の琴櫻を特に好きだったわけではない。

 引退後に部屋を引き継ぎ、多くの関取を育てた。大関だけでも琴風琴欧洲琴光喜がいる。横綱はいないが、関脇経験者の琴錦(2回)や琴富士(1回)は平幕優勝している。僕はこの琴風という大関が好きだったのである。「がぶり寄り」が得意だけど、ケガが多く、関脇から幕下まで陥落しながら、再起して大関に昇進した。優勝も2回経験しているが、再び怪我で大関を陥落した。そういう苦労人だけど、解説で出てくる尾車親方は笑顔で理路整然と語っている。琴奨菊のファンになったのは、要するにがぶり寄りという型が「琴風の再来」だからだと言っていい。他にも琴錦の速攻も好きだったし、琴欧洲や琴光喜も気になる力士だった。元琴櫻の先代は2007年に琴光喜の大関昇進直後に急逝し、今は娘婿である元関脇琴ノ若が継いでいる。孫になる琴鎌谷も相撲界に入り、初場所で序の口優勝を果たした。(ちなみに、琴ノ若は山形県尾花沢出身で、昔銀山温泉へ行ったとき、巨大な全身写真が途中の道にあって度肝を抜かれた思い出がある。)

 「若貴ブーム」の頃からまた相撲を見ていると前回書いたけど、それは貴乃花や若乃花のファンだったという意味ではない。当時の二子山部屋は最盛期には横綱に若貴、大関に貴ノ浪、三役クラスに安芸乃島貴闘力がいた。同部屋だから対戦がないから、明らかに有利である。一方、それに対抗する武蔵川部屋には、横綱武蔵丸、大関に出島武双山雅山を擁していた。ルールだからやむを得ないが、これでは有力力士同士の対戦がなくなり、興趣が失せるではないか。

 ハワイ出身の曙や武蔵丸が引退すると、モンゴル出身の朝青龍白鵬が出てきた。朝青龍が出てきたときは、今書いたような「二子山対武蔵川」、あるいは「若貴vsハワイ勢」という構図を突き崩す面白さがあった。今までにないような独特の相撲ぶりの速攻で、他の力士が付いていけず、朝青龍の優勝回数が25回にもなった。それに対抗したのが、後からやってきた白鵬だった。朝青龍の横綱昇進は2003年3月、1月に貴乃花が引退していて、11月には武蔵丸も引退し、朝青龍の一人横綱となる。2004年から、白鵬が2007年7月に昇進するまで、一人横綱が続いた。しかし、「角界のトリックスター」とでもいう存在だった朝青龍は2010年1月場所で優勝したのを最後に、不祥事を理由に事実上相撲界を追放された。以後、日馬富士が2012年11月に昇進するまで、今度は白鵬の一人横綱が続いた。

 この一人横綱で相撲界を支えた朝青龍と白鵬の功績は非常に大きい。朝青龍は追放されて今はあまり語られないが、一時代を作ったのは間違いない。でも朝青龍は異能力士なので、本格派の白鵬が台頭して相撲ファンはホッとしたはずである。大麻問題、野球賭博、八百長メールともめ続け、そのあげく本場所中止に追い込まれた2011年3月、あの東日本大震災が起こった。そしてちょうどその日、3月11日は白鵬の誕生日だった。この困難な時期を一人横綱として支えてきた白鵬の功績は、単に優勝回数や連勝記録だけでは測りきれない。そのことは相撲ファンは皆よく判っているはずである。相撲ファンだけではなく、多くの日本人も判っていると思う。

 だけど、やっぱり「強すぎる横綱」は、優勝争いの興趣を削ぐ。「日本人力士の優勝がない」というのは、事実上朝青龍と白鵬が優勝し続けたということである。朝青龍が初めて優勝した2002年11月場所から、今場所まで79場所があった。(一場所は中止。)うち、朝青龍が25回、白鵬が35回、合計60回。76%ほどもある。日馬富士の7回も加えれば、85%ほどにもなる。他の優勝力士は魁皇と栃東と鶴竜が2回ずつ。後は千代大海、琴欧洲、把瑠都、旭天鵬、照ノ富士、琴奨菊が1回である。横綱と言わずとも大関は他に何人かいるのだから、日本出身でなくても頑張って優勝争いを面白くして欲しいと思うのは、当然のことだろう。江戸時代半ばころの歴史より、戦国時代や幕末の方が面白いという人が圧倒的だろう。大河ドラマだって大体がその時代である。相撲に限らず、野球もサッカーもいろいろなチームに活躍して欲しいと思うのは当然だ。

 と僕は思うのだが、相撲そのものが古い世界だから、ファンの中にも古い感覚が残っている部分はあるだろう。外国人力士を受け入れている以上、強い力士が優勝するのは当然だが、「国籍にこだわる」人がいるのは間違いない。ある意味、大衆的なナショナリズムとも言えるだろう。外国人力士は母国のファンがテレビで見ているかもしれないが、本場所のチケットを買ったり、巡業で盛り上がるのは、もちろん日本人のファンである。幕内には15人の外国出身者がいるが、その分巡業で日本のファンが盛り上がれる地方出身力士が少なくなるわけである。地方のファンは地元出身者を応援するが、地元意識はある程度の広がりがある。高校野球だったら、住んでる町の高校が出れば一番いいが、そうもいかないから住んでる県の代表を応援する。その高校が負けてしまえば、東北地方や四国地方といったくくりで近隣県でも応援する気が出てくる。そういう人が多いはずだ。

 そういう意味の拡大した形が「日本」という意識になる場合もある。それが素朴なナショナリズムで、それ自体はよい面もあり、悪い面もある意識である。日本出身力士が優勝して大騒ぎするというのは、この間あまりにもモンゴル出身横綱の優勝が独占されてきた以上、当然出てくる感情だと僕は思う。そう思ってテレビを見て応援していた人の気持ちが判らないと、他のことも判らなくなってしまうだろう。何故なら、「反独占」というのが、社会問題の意識の出発だから。でも、それが特に白鵬の偉大さを損なうような事になってはいけないと僕は思う。今度は「素朴な排外主義」になりかねないから。まあ、そんなところで長くなるからこの話も止めたい。まだ書き足りない感じもするが、一応そんなところで。
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琴奨菊の初優勝①

2016年01月28日 23時42分11秒 | 社会(世の中の出来事)
 列島厳寒の先週土日(23、24)は、家にいて大相撲を見ていた。木曜日にサンハウス(精神福祉作業所)の仕事で武蔵五日市まで行って陶芸。翌金曜日は、サンハウスで仕事の後、新文芸坐で「新しい土」と「河内山宗俊」。帰ってから、原節子追悼上映のブログを書きながら、U23男子サッカーのアジア選手権(リオ五輪予選)の準決勝イラン戦を見た。これじゃ、疲れて一日休むしかない。というか、日替わり上映の新文芸坐に行くから、寒い土曜日は休息日と事前に決めて、延長戦までテレビでずっと見ていたわけである。特に書かないけど、スポーツ中継はよく見ているのである。

 翌日はゆっくり休んで、寝ながら新聞をじっくり読む。新聞を取ってなくて、この快楽を味わえない人は残念だなあ。昼近くに起きあがり、パスタをゆで、玉ねぎをじっくり炒めて、輪切り唐辛子をたっぷり入れた激辛パスタを作る。激辛パスタは家では誰も食べないから、自分で作るわけである。で、食べたら何だか睡眠が足りていない気がして、また少しウトウトしてると、もう3時ごろ。で、起きだしてテレビで大相撲を見た。ケーブルテレビを止めたから、地上波でやってるスポーツしか今は見られない。

 今回はちょっと趣を変えて、大相撲の話を書こうと思うけど、長くなりそうだから2回に分ける。だから、まず最初はダラダラと日常を書いてみた。相撲の話を書くのは、一言でいうと「琴奨菊のファン」なのである。今回の優勝は、誰も知る通り「日本出身力士として10年ぶり」だった。だからと言って、そのことであんまり大騒ぎするのも何だなあと思って、すぐに書かずに一段落した今ごろになって書いている。だけど、この「日本出身力士が優勝できなかった」ことをどう見るか、考えるか。それも書いておきたいと思う。ナショナリズム的言辞に足を取られたくはないけど、日本人の「大衆感情」からあまり離れてしまいたくもない。そういう観点からの「練習問題」である。

 さて、僕は小さい頃から相撲が好きだった。というか、60年代に育った男子は大体そうだろう。野球相撲プロレス。それと「鉄腕アトム」や「鉄人28号」。テレビは(64年の東京五輪を機に)ほとんどの家に普及していた。もちろん白黒テレビである。子ども達が皆同じものを見ていた時代だった。当時は大鵬柏戸の時代である。僕は大型の力士が力や勢いで勝ったり、逆に小兵すぎる力士が逆転で勝つのは、あんまり好きではなかった。鍛えた力士が技能と敢闘精神を生かして、誠実に取り組んで勝ちきるような取組が好きだった。思えば、これは僕の映画の好みと似ていて、人間の感性の仕組みはそうそう変わらないのである。だから、柏戸より大鵬が好きなわけだが、でも大鵬は強すぎた。あんまり強すぎるとつまらない。これはV9中のジャイアンツにも感じたことである。だから、応援したのは佐田の山だった。出羽の海部屋で、大鵬、柏戸、栃の海に続き、1965年に横綱になった力士である。(全く同じ理由で、ジャイアンツではなくアンチ・ジャイアンツになり、自民党佐藤政権ではなく、社会党支持者になった。単に強いのが嫌いということで。)

 60年代は日本映画の観客数が次第に減っていった時期だが、同じように相撲人気もそれ以前(栃錦、若乃花時代)よりかげってきたと言われていた。高度成長に伴う社会の変化、娯楽の多様化が大きいと思うが、同時に「強すぎる横綱」がいると、盛り上がりが欠けてくるという面もあると思う。後の北の湖や千代の富士なんかにも当てはまる部分がある。70年代以後には、僕もちょっと相撲から気持ちが遠ざかった。ファンだった横綱玉の海が1971年秋に急逝したことが大きい。僕も高校から大学生になると、相撲や野球、あるいは大河ドラマや朝の連続ドラマを見なくなっていった。ヒマもないし、意識としてもゴダールやフェリーニなど映画に心が向いているんだから、相撲どころではない。

 でも、まあこの頃には何回か大相撲を生で見ている。父の関係で升席が回ってくるという経験をしているのである。今の両国国技館(1985年初場所から)だけでなく、その前の蔵前国技館時代にも足を運んでいるはずだ。(今はもう眼が悪くなったから、野球もサッカーもみんなテレビで見た方がいいやという気分だけど。)でも、1983年に結婚した後に、「テレビのない生活」という実験をしていた。新聞では見ていたけど、やはりスポーツニュースの思い出は少なくなる。それだけでなく、日航機事故とか天安門事件、ベルリンの壁崩壊もテレビで見てない。(85年8月の日航機事故は、そもそもヤマギシの特講に夫婦で行ってたから、事故そのものをリアルタイムでは知らなかった。)

 91年2月に父が死に、8月に実家に戻ることになった。その家は今度はテレビが4台あった。もうテレビなしなどと気張って見ても仕方ないから、テレビ番組もビデオで録画して授業で使うようになった。その頃から「若貴ブーム」だから、テレビ生活に戻って相撲ファンが再燃したのである。まあ、テレビで見てるだけだが。21世紀になると、自分は夜間定時制勤務になったから、そういう意味では休日以外にはリアルタイムでは相撲を見られない。特に横綱戦がある5時半以後は、ちょうど授業である。だけど、その頃は夜に「大相撲ダイジェスト」という番組があり、それがなくなるとNHKで「大相撲全取組」という番組ができた。深夜だから、普通は見られないが、逆に勤務時間が変わったおかげで、リアルタイムではないけど、むしろ細かく幕内力士を知ることができるようになったのである。

 ということで、今回は自分と相撲の思い出だけを書いた。21世紀最初の頃のひいき力士は大関栃東(現・玉ノ井親方)だった。10年前の「最後に優勝した日本出身力士」と言われ続けてきた人である。技能派の敢闘タイプで、それも僕の好みだが、何と言っても僕の家から歩いて10分ぐらいのところに玉ノ井部屋があるのである。こういうのが、相撲にとっては大きい。それを抜きにして、相撲は語れないと思う。「それ」というのは、ご当所意識、愛郷心のようなものである。東京にある部屋はたまたまそこに土地が見つかっただけのようなもので、住んでる方もたまたま親がそこに一軒家やマンションを買っただけみたいなもんである。それでも、他の部屋より応援意識が出てくるわけである。だけど、僕が昔から一番好きだったのは、佐渡ヶ嶽部屋の力士である。その話は次回。
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衆議院を比例代表制に-選挙制度論⑥

2016年01月27日 23時37分43秒 |  〃  (選挙)
 選挙制度論がちょっと長くなっているので、頑張って今回で最後に。どの国も、その国の歴史のありように基づき、それぞれにあった選挙制度を持つ。(普通選挙制度がいまだにない国も世界にはいくつかあるが、やがてどの国でも普通選挙が導入されるだろうと思う。)日本では最初の選挙は1890年に行われた。125年の歴史があるのである。そして一貫して、「候補者名を自書する」というやり方で行われてきた。もちろん、最初の頃は「男性のみ」「財産制限あり」の制限選挙だったけど、有権者が選挙会場に行って名前を書いてくるというやり方は、ぞの後もずっと継続されている。

 まあ、その時代の政府は「超然主義」と言って、国民が結成した「政党」を認めない立場を取っていた。だから、当然のこととして、政府支持の政党を作ってその党への支持を訴えることもなかった。よって、政党ごとに争い合う「比例代表制」になるわけがない。また、財産家が投票する、つまり字を書けるのは当たり前ということで、自分で候補名を書いた。その後、財産制限がなくなり、女性参政権も認められたわけだが、有権者が字が書けるのは当然視された。実際に、世界有数の識字率であって、選挙に行く人は候補の名前ぐらい書けるだろう。なかなか書けないような難しい字の候補は、立候補時にひらがなで届けたりしている。それなら、まあ書けるわけだ。

 このやり方はホントはけっこう大変である。支持する党、というか首相(または支持しない党、首相)は判っていても、自分の選挙区でその党(または反対党)から出てる人の名前を覚えて行かないといけない。でも、それが定着しているのは確かだろう。今さら、党の名前しか書けない、党の決めた順番で当落が決まってしまうというのでは納得がいかないのではないか。

 小選挙区か比例代表かというのは、一長一短あって難しい問題である。だけど、ここ4回衆議院で3分の2を超える巨大与党を生んでしまった今の制度は問題が多いと思う。(もちろん、実際に3分の2を超える支持率の党が当選するというのなら問題はないが。)優勢な党が小選挙区の大半を制し、同時に比例区でも多くの票を集める。その結果、小選挙区で勝ちぬけた当選者が多くて、比例名簿の下位の方の「本人も当選する気がなかったような候補」まで当選してしまう。そういう選挙結果が繰り返されていて、どうも納得できない。今の小選挙区比例代表並立制は問題が多い

 完全な小選挙区制だと、僕が先に書いたような決選投票や順位付け投票を取り入れたとしても、小党が当選できないという問題と、「一票の格差」が是正しにくいという問題がある。特に後者は決定的で、今のままでは毎回の選挙で「違憲判決」が出るだろう。ということで、「小選挙区比例代表併用制」(当選者数は比例で決め、どの候補が当選するかは小選挙区で決める。比例票が少なくても小選挙区で当選したら有効で、無所属も小選挙区で立候補できる。だから、議員定数は選挙結果で変わる)か、あるいは「非拘束名簿式比例代表制」(今の参議院と同じ制度)が望ましい。

 僕が思うに、衆議院議員は「人口20万人に1人」と決めて、総定数を都道府県に割り振って、「候補者名または党名」で当選者数を決めるのが一番納得できるのではないか。当選者は個人票の順で決めるという、参議院の比例代表区と同じやり方である。人口や面積が大きい東京都や北海道などは、高校野球と同じく2つに分けた方がいいかもしれない。「20万人に1人」というのは、鳥取県に3議席を想定した数である。毎回、人口で都道府県の議席数を変えるから、一票の格差が生じない。

 一方、そうすると衆議院が600人ぐらいになる。多すぎるとも思うが、人口減で減っていくから、やがて400台になるはずだ。一方、参議院議員が思い切って減らす。各地方から選ばれる「選挙区」は、1人区から6人区までという状態で、訳が分からない。今夏の選挙から宮城、新潟、長野各県が1議席となる。また、島根・鳥取、高知・徳島が合区される。島根・鳥取の合計人口は約126万人。高知・徳島の合計人口は葯148万人。この4県は人口ランキングの下位4県だが、次の福井県は78.5万、佐賀県は83万弱。山梨、和歌山、香川が100万人以下の人口である。一方、宮城県は葯232万。次の京都府から260万人で2議席である。この差は理由が見つからない。

 一部には、憲法を変えて、参議院は各都道府県から一人は選ぶようにすべきだという意見がある。しかし、これはどう考えても無理である。連邦制度ではないのだから、「法の下の平等」を理由にした「一票の平等」を否定する改憲はできないし、してはならない。(連邦制度にして、各県に一国並みの権限を与えて法律の制定権を認め、日本連邦からの離脱権も認めるところまで考えているのなら、また別だが。)だから、思い切って参議院の「選挙区」は廃止して、比例区だけにすればいいではないかと思う。そうすると、今なら96議席、前に戻して100議席。少ないと思えば、120ぐらいにしてもいいか。問題は、それでは少なすぎて国政上の意義が薄れて、投票率も下がるだろうということである。だからこそ、選挙制度論の前に書いたように、参議院選挙ごとに「国民投票」をすることにすればいい。

 もう一つ問題があり、それは比例代表選では、無所属が出られないということである。政党は憲法に規定がない私的結社である。政党に所属しない限り国政選挙に出られないということになると、憲法違反ではないかという訴えが出てくると思う。だけど、実質は政党に属さないと国会内の政治活動もままならない。供託金を大幅に下げて政党を作りやすくすることも必要だろう。しかし、それより、無所属は「一人一党」扱いにする特例を設ければいいだけだと思う。まあ、絶対実現しそうにないアイディアだから、これ以上考えるのは止めにするが、政治の中心は衆議院にして、参議院は衆議院のチェックに徹する。そのために、例えば国民投票の発議は参議院のみに認めるといった考えもありうるだろう。まあ、国民投票が実現する方が先だが。でも、そういう憲法改正は大いに議論するべきだと思う。
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衆議院議員が少なすぎる-選挙制度論⑤

2016年01月26日 00時08分47秒 |  〃  (選挙)
 選挙制度に関して、長くなっているので、あとちょっと書いてしまいたい。まず、「衆議院議員が少なすぎる」という問題である。エッ、「多すぎる」の間違いではないかと言われるかもしれないが、僕が書きたいのは「少なすぎる」という話である。このことに関しては、4年ぐらい前に「衆議院の定数削減に反対する①」(2012.2.12)という記事を書いてるけど、もう誰も覚えていないだろうから再論。

 この問題に関して、東京新聞(1月20日付「私説 論説室から」)に面白い記事が出ていた。桐山桂一記者の記事によれば、もともと「衆議院の議員定数は人口で決められた」という。1925年に男子普通選挙権が認められた時に、「人口12万人に一人」の割合で「466議席」と決められた。戦後の新憲法制定の時も「人口15万5千人に一人」と計算されたという。こういう風に人口をもとに、「1議席当たりの人口はどのくらいが適正か」を論じるのが本当のやり方だろう。なお、国会議事堂の議席は、将来の人口増を見越して、「635議席が設置可能」に作られたとその記事にある。

 前に書いた記事から引用すると、諸外国の場合は以下のようになる。
①議会政治の祖国イギリスは、人口6100万で下院議席数650だから、「1人当たり9.5万人」。
ドイツは、630議席で「1人当たり12.8万人」。
フランスは大統領制だけど、国会は577議席で「1人当たり11.3万人」。
イタリアは、630議席で「1人当たり9.5万人」。
カナダは308議席で「1人当たり11.4万人」。

 これは欧米のサミット参加国を見たものである。もちろん、アメリカやロシアは超大国だから、同じようなわけにはいかない。アメリカは、72万人に1人ロシアは31.5万人に1人となる。

 一応近隣アジア諸国を見ると、韓国は300議席で、人口は5143万人だから、1人当たり17.1万人。最近行われた台湾では113議席で、人口2346万人だから、1人当たり20.8人

 さて、では日本はどのくらいか。今、各国を見るときに、「下院」を見ている。上院と下院がある国では、世界中で下院が「優先する院」である。上院は身分制で選ばれるか、連邦制の各加盟国代表であることが多い。日本も参議院は旧貴族院だから、衆議院が下院にあたある。衆議院議員は前回から削減されて「475議席」。日本の人口は1月1日の概算値が「1億2682万人」となっている。そうすると、1人当たりの議員数は「26.7万人」である。

 これを見ると、「日本の衆議院議員はむしろ少ない」という現状なのである。もちろん、日本の人口の方が多いので単純な各国との比較はできない。イギリスやイタリア並みに、「10万人に一人」にすると、「1200人の衆議院議員」ということになってしまう。これでは国会議事堂に入れない。しかし、せめて「20万人に一人」でもいいのではないか。そうすると、600議席ほどという勘定になるが、先に見たように設置可能な議席数である。もちろん、衆参で合わせると、もっと多いことになる。だけど、一番大事な「下院」の議員数こそ第一に考えるべきではないか。そして、今後人口が減っていけば、それに比例して議席数を減らしていくことになる。数はピッタリした数(500とか、600とか)でなくてもいい。それより「人口、または有権者数で何万人に1人とするか」ということから考えていくべきではないか。

 今、小選挙区と比例区を合わせて議員数としたが、小選挙区だけで言えば、295である。人口から割れば、なんと「43万人に一人」である。これでは、国会議員をよく知らない、遠い感じがする、選挙中でもほとんど見ない、自分が選挙に行かなくても当落に関係しない気がする…となるのは当然である。もし「10万人に一人」の国会議員だったら、もっと身近だし、一人ひとりの票が当落に影響してくるはずだ。
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比例代表制の諸問題-選挙制度論④

2016年01月23日 23時26分11秒 |  〃  (選挙)
 さて、選挙制度論に戻ってあと数回。その後「18歳選挙権」問題も書きたいと思っている。現実政治の諸課題や選挙情勢と同じぐらい「選挙制度」というものもに関心があるもので。さて、3回目に、もし「比例代表制」だけだったら、日本の政治はどうなっていたかということを見た。そうすると、「郵政選挙」の小泉首相は確かに勝ったが、圧勝というほどでもなく、同様に2009年の民主党圧勝もなかった。また、2012年に至っては、自公連立政権が復活するかどうかわからなかった。「衆参のねじれ」というのも実際には起こらなかったかもしれないということになる。

 もちろん実際には違っていたかもしれない。小選挙区では自民党有力議員に長年投票するが、決して自民党支持ではなく、比例区では別に投票する人もいるだろう。また、小選挙区で現職が圧倒的に強いから、投票に行かなかった人もいるだろう。比例代表だけになると、安定政権をつくるために小党に浮気せず、与党に票を集中させる動きも起こる。一方、もう大勢が決まっているから行かなかった「弱い安倍批判票」が比例代表なら行くかもしれない。自民党にとってプラス効果もマイナス効果も予想されるので、やってみないと判らない。

 比例代表制度の良い点としては、各党の当選者数が国民が投票した割合の通りになるということに尽きる。だから、国民に選挙結果の不満が起きない。もっとも実際の投票では、きれいに割り切れる得票にならないから、いくつかの決め方がある。それによって多少の増減はある。(日本はドント式という決め方をしている。)だけど、誰が当選するのかという点に関しては、不満が起きることがある。各党があらかじめ順番を決めておく(拘束名簿式=1983年から98年まで6回の参議院選挙のやり方)方式だと、自民党とか民主党など大政党の1番目や2番目の候補が落選するわけがなく、候補者も国民に訴えるより、党内で順番を上げてもらうことの方に熱中しやすい。

 そこで候補者の名前を書いてもらい(党名でもいい)、個人票の順番に当選を決める「非拘束名簿式」に2001年から変わった。それなら問題はないだろうというと、そうでもない。大組織に支援された候補がズラッと上位に並ぶことに毎回なっている。あるいは人気のあるタレント的候補を立てると、その候補の人気で弱小候補も救済されることになる。一方、個人票を多く獲得しても当選できないこともある。前回も緑の党から出た三宅洋平が176,970票を獲得し、個人票の順番では27位(48人が当選)だったが、他候補や党名得票が少なく、緑の党全部合わせて0.86%だったので落選になった。

 そういう問題もあるけど、一番大きな問題は「多数派を形成しにくい」ということである。もちろん、それでいいという考えもあるだろうが、選挙前に「政権の枠組み」を決めて選挙をしても、どの党も多数を取れないことが起こりうる。そうすると、選挙前の公約と違って、議席を見ての裏交渉で政権が決まることになりやすい。1993年の衆議院選挙は、いわゆる「中選挙区」最後の選挙だったが、選挙前に「新生党」(小沢一郎らのグループ)や「新党さきがけ」(武村正義や鳩山由紀夫らのグループ)が自民党を離党したために、自民党が過半数を割り込んだ。そこで、社会党、新生党、公明党、民社党らが、選挙前にはどちらに付くと明言していなかった「日本新党」(細川護熙らのグループ)や「新党さきがけ」と協議し、少数派の細川護熙を首相に推すことで連立交渉がまとまった。非自民政権成立で人気が出たが、選挙前の公約にない枠組みだった。比例代表だと、毎回そうなるかもしれない。

 外国の例を挙げると、ベルギーイギリスでは非常に長期間にわたって政権が作られなかったことがある。ベルギーは北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏の対立という特殊事情があるが、比例代表制のため2010年6月の選挙では12の党が議席を獲得し、政権の枠組みがなかなか決まらなかった。次の政権が発足したのは、2011年12月となり、なんと541日も政権ができなかった。(その間は前政権が政治の実務を担当した。)日本では憲法で、衆議院選挙後の特別国会を30日以内に召集すると決められ、内閣総理大臣指名選挙で過半数獲得者がいない場合は上位2人の決選投票が行われる。だから、こんなに次期総理大臣が決まらないことがあり得ないが、衆議院の過半数を持たない「少数内閣」ができることはある。1994年に、前年に成立した細川内閣の後を受けた羽田孜内閣が、成立後に与党第1党の社会党が連立を離脱して「少数内閣」となったことがある。(不信任案が出れば成立するので、それを待たずに自発的に総辞職した。次が社会・さきがけに自民が乗った村山内閣。)

 またイスラエルの国会(クネセト)も完全な比例代表制を取っている。その結果、全120議席を10の政党で分け合うことになり、ここのところずっと首相を出している右派政党リクードだが、30議席しか持っていない。小党をいくつか束ねて連立内閣を構成することになる。今の連立与党は「61議席」なので、宗教的に強硬な主張を持つ小党が離脱すると政権は崩壊しかねない。イスラエルの右派政権がパレスチナ問題などで柔軟な対応ができない理由の一つは、このような政治体制にある。だけど、宗教的な少数派保護のため、比例代表制を変えることはできないだろう。今までイスラエルの選挙でどこかの党が勝半数を制した事は一回もない。それもまた、ちょっと極端で困ったことではないだろうか。

 こういう風に、一票の格差、少数勢力でも議席を獲得できる(多くの国民を議会政治に包摂できる)など、比例代表制の長所は大きいけど、同時に弱点もあるということである。じゃあ、小選挙区と比例代表を組み合わせればいいんじゃないかという発想になり、日本のような「並立制」もできた。でも、これはこれで多くの人が感じているようにさまざまな問題がある。理念的に完全な選挙制度は存在しないけど、ではどういう制度が「より良い」んだろうか。次はそういう問題を。
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原節子の追悼上映

2016年01月23日 00時47分47秒 |  〃  (旧作日本映画)
 選挙制度論は終わってないけど、池袋の新文芸坐の「原節子追悼上映」を夕方から見たので、書いてる時間がない。サッカー五輪予選の準々決勝を見ながら書いてるので、この追悼特集の話を。

 小津映画をいっぱいやってるけど、ほとんどは2回見てるから、今回はまあいいかとパス。今日は戦前の「河内山宗俊」と「新しき土」(日独版)を見た。「新しき土」は1936年に公開された日独合作映画で、山岳映画の巨匠アーノルド・ファンクが監督した。伊丹万作も監督に加わり、製作は複雑な経過をたどるが、1936年の「日独防共協定」時代の紛れもない国策映画である。細かい筋立ては書く必要もないと思う映画で、例えば四方田犬彦「原節子と李香蘭」などで詳しく触れられている。昔も何回かフィルムセンターで上映されたと思うが、近年修復されて恵比須の東京都写真美術館でロードショーされた。しかし、その時に見逃したので、実は初めて見た。まあ無理して見に行くこともないかなと思ったのだが、案の定余りのつまらなさにうとうとしてしまうような展開だった。

 ところが、原節子の登場シーンだけが、輝くばかりに美しい。1920年生まれの原節子16歳の撮影である。こういうことが映画史の歴史の中には何度かある。イングリッド・バーグマンのスウェーデン時代のフィルムとか。そういう伝説的な美しさが原節子にあるのは間違いない。だけど、後半の火山への登山シーンは多分焼岳だろうと思って、確認したらやはりそうだった。上高地から登る山で、1915年に噴火して大正池を作った火山である。ラストは「満州」と字幕が出るのに日本語字幕がないのはどうしてだろう。結局「満洲移民」の話だったのだ。日本は人口が多すぎると宣伝され、日本兵に守られた機械化農業シーンで終わる。「開拓」と言いつつ中国人農民から取り上げた土地を武装して耕作したのである。典型的な国策映画で、ドイツから見た日本像を「つくられた幻想」として提示した映画。

 この映画に原節子が抜てきされたのは、ファンク監督が「河内山宗俊」(こうちやま・そうしゅん)の撮影風景を見たからだという。山中貞雄監督の数少ない残った映画だが、フィルム状態が非常に悪く、前に見た時はよく聞き取れなかった。今回見て、とても面白かった。話自体が判っていたから、セリフの聞き取りに割くエネルギーが少なくて済んだことが大きい。それに原節子追悼だから、原節子を特に見ていることになる。これがまた演技というほどでもないのだが、存在自体の可憐さが際立っている。山中貞雄は天才監督と言われながら日中戦争で戦病死した日本映画史の伝説のような監督。

 さて、17日から上映が始まり、今後も30日まで続く。成瀬巳喜男の「山の音」は原作(川端康成)も映画もどうも好きになれないけど、主要登場人物に僕と同じ名前が出ている。珍しいという意味では25日の久松静児監督「路傍の石」(1960)と熊谷久虎監督の「智恵子抄」(1957)で、それぞれ違う監督の映画が有名で、これらの映画を見る機会が少ない。珍しいという意味では、26日の「慕情の人」(1961)と27日の「女ごころ」(1959)という丸山誠治監督作品もある。引退も近くなった1960年前後の作品は小津映画以外ほとんど見る機会がないので貴重。

 稲垣浩「ふんどし医者」(1960)は、何だという題名だが、江戸時代末に長崎で学びながら、大井川の渡しのある島田宿で田舎医者になった森繁久彌の話。その妻が原節子でばくち好きという不思議な役柄を楽しく演じている。森繁は賭けず、妻のばくちを見ているのが趣味で、負けが込むと自分の着物をカタにして、ふんどし一丁で帰る。という不思議な設定の話だけど、ヴェネツィア映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞を獲得している名匠稲垣監督だけに、しっかりした演出がさえる佳作。同時上映の「大番」は、原節子は憧れのお姫様的な脇役だが、株で儲ける風雲児ギューちゃんを加東大介が演じる痛快作。最近再評価されている獅子文六原作を面白く映画化している。成瀬巳喜男の「娘・妻・母」(1960)は原と仲代達矢のキスシーンがあるというが、見ていないはず。成瀬監督には「夫婦」「妻」「妻の心」「娘・妻・母」「妻として女として」といった作品があり、どうもいま一つ判別できない。
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サマセット・モームを読む

2016年01月20日 22時59分23秒 | 〃 (外国文学)
 年初からしばらく、たまったサマセット・モームの本を読みふける。特に理由はないんだけど、もともと大好きでたくさん読んでいる。一時は翻訳が減ったものの、最近でも文庫で新訳が出たりする。その度に買っておくが、何冊かまとまったのでそろそろ読もうかな。何となく、ミステリーも新書や…に飽きてくると、古典的な「面白い物語」に体が飢えているような気がしてくる。

 サマセット・モーム(William Somerset Maugham 1874~1965)は、20世紀イギリスでもっとも読まれた作家ではないか。生前は大人気で、85歳で日本を訪れた時は大歓迎を受けた。日本で発行された世界文学全集では、モームに1巻どころか、時には2巻も割り当てた。英語が判りやすいし、物語性に富むから、日本の大学の授業なんかでも、よく使われていた。そういう思い出がある人が多くて、最近はモーム人気が復活しているようだ。僕自身も大学でモームを読んだ記憶がある世代である。

 昔からモームは好きで、代表作の一つ「月と六ペンス」なんか3回も別の翻訳で読んでいる。(龍口直太郎訳の旺文社文庫、中野好夫訳の新潮文庫旧版、行方昭夫の岩波文庫。)最近も土屋政雄訳の光文社古典新訳文庫、金原瑞人訳の新潮文庫と新訳が出ているが、さすがにそこまではいいかなと思って読んでない。ゴーギャンの人生にインスパイアされた物語で、最初は何だろうと思うところもあるが、途中から止められなくなる。モームほど「俗物」をうまく描く作家はいないのではないか。(ただし、ラスト近くのハンセン病に関する設定は、今となっては疑問が残るところである。)

 最高傑作は、もう間違いなく「人間の絆」(Of Human Bondage、1915)で、第一次世界大戦中に発表されたから評価が遅れたけど、今はモームに止まらず、世界文学史上の大傑作と認められている。モームが自分の心の救済を目的に書いた作品だけど、フィクション化と物語性が非常にうまくできている。文庫本3冊の長い作品だが、途中から長さを意識せず、主人公の運命に一喜一憂する。それでいて、人生とは、愛とは…と深く考えさせる内容で、ひたすらすごい小説。新潮、岩波の両文庫にある。長いけど面白くて読書の楽しみを満喫できるのは、「人間の絆」とスタンダールの「赤と黒」だと思う。

 ところで、今挙げた二作は今回は読んでないわけ。モーム傑作選「ジゴロとジゴレット」(金原瑞人訳、新潮文庫)が昨年9月に出た。新潮には「雨・赤毛」という「南海もの」が生き残っているので、それ以外の作品が選ばれている。この本がまず読みたかった。岩波文庫に「モーム短編集」が上下で入っていて、同じ作品も多いんだけど、忘れているし面白いから別訳で何度も読みたい。「マウントドラーゴ卿」とか「ジェイン」は、どのモーム短編集でも選ばれる。「俗物性」に関する観察がこれほど鋭いということは何なんだろうか。ものすごく面白い。でも皮肉ばかりではなく、「サナトリウム」のように人間性の善なる側面も捉えられている。これは数多い「結核サナトリウム小説」の中でも大傑作だろう。だけど、皮肉または暖かな目で見つめるだけではない視点があるのが「征服されざる者」で、第二次大戦中のフランスでドイツ兵に犯された女性を描いている。「戦時性暴力」をこれほど厳しく見つめている作品が書かれていたとは…。「アンティーブの三人の太った女」という短編も、南仏のリゾートで遊びながらダイエットを考える女たちの話で、現代日本でこそ面白く読める話だろう。欧米に憧れていた時代が終わり、世界文学の読み方も変わってくる。モームの現代性がここにある。

 「お菓子とビール」(1930)は、昔新潮文庫の「お菓子と麦酒」を読んだけど、よく判らなかった。今度、行方昭夫新訳の岩波文庫を読んで、初めて判った気がした。筋書きだけはつかめるのである。だけど、それがどんな意味を人生上に持つのか、主人公の思いが読んでいて沁みとおってくるには、ある程度の年齢が必要なんではないか。有名作家が亡くなり、故人と若い時に関わりがあった者として、「悪妻」とされる有名作家の前妻を思い出す。その思いの深さ、せつない思いが今の方が僕に判る気がする。モデル問題が解説で触れられていて、よく判った。モーム自身が一番好きな小説だというが、それはモデル問題も関わっているらしい。この小説から読むと、モームが遠くなると思う。短編や「人間と絆」を読んで、「お菓子とビール」は後に取っておくほうがいい。

 ちくま文庫で、モームの新訳がずいぶん出ている。ちくま文庫は、かつてモーム・コレクションとして10冊近く出していたと思う。僕はそれを全部読んでいる。新潮文庫でいっぱい出ていた短編集がほぼ絶版になってしまたのだが、その代わりにちくまが出してくれた。だけど、それもかなり品切れ中。また出して欲しいと思う。12月に「片隅の人生」が出て、これは読んでない本だから、すぐに買った。「南海もの」ただ一つの長編だという。中国の福建省・福州で貧しい中国人の中で眼科医をしているサンダース医師。大富豪に招かれて、南海の島(マレー列島の「タカナ島」という架空地名)に行く。そこに謎の帆船が到着し、ニコルズ船長とフレッド青年が乗っている。そして、船中で、また寄港した島で、サンダース医師は「人間観察」をする。だから、設定がこっている割にはアクションは少なく、人間性をめぐる内面劇となっている。そこがいかにもモームらしく面白いが、やはり最高傑作レベルではない。

 それより2001年に出てまだ読んでなかった「昔も今も」が面白かった。1946年に出た最後から2番目の長編で、ルネサンス期のイタリアが舞台。主人公はかの「君主論」のマキアヴェリ。フィレンツェ共和国の外交官として、チェーザレ・ボルジアのところに派遣される。その外交的駆け引きとともに、「恋のかけひき」にも熱中するのがいかにもイタリア人。そのやり取りが素晴らしく面白く、何だこれはと思いながら読んで行くと、ラストで落ちがある。ルネサンス期イタリアは教皇領やヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ王国などにフランス、スペインなどが絡み、訳が分からないほど複雑。この小説も地名が厄介だけど、地図が付いている。日本で言えば「秀吉と利休」(野上弥生子)といった具合かと思うが、「政治」なるものの構造を観察するモームの目はさすがに冴えている。ついでに2014年に出た「女ごころ」の新訳(ちくま文庫)。これは前に新潮文庫で読んでいる。第二次大戦前のフィレンツェで、山荘を借りて住む若き英国未亡人をめぐる恋のさや当て。いつ読んでも面白い中編だが、展開をほとんど忘れていたので、こうなるんだと驚き。

 最後に、岩波文庫で続々と新訳を出してきた行方昭夫(なめかた・あきお)氏の「モームの謎」(岩波現代文庫、2013)。モームの人生と小説の謎が現時点での研究成果をもとに解明されている。結局、「同性愛者」だったことをいかに隠し続けたかがポイントなのである。「同性愛」というより、多分「両性愛」なのかと思うが、「秘書」として長年関わった男性がいた。それを隠すためにさまざまな制約があった。1930年ごろまで、イギリスを代表する人気劇作家で、多くの舞台劇を書いてお金も儲かったが、ある時期から受けるためのコメディを書かなくなる。そして南仏リヴィエラ海岸に大邸宅を建てて住みつく。それもアメリカ人の「秘書」が英国で同性愛を理由に「国外追放」となって英国に入国できなかったのが最大の理由らしい。アンドレ・ジッドやフォースターなど当時の作家にも同性愛が多いが、それらは生前は隠されていた。日本でも、大人気だった戦後の一時期には、性的志向の問題は全く触れられなかった。問題意識の外だったのだろう。「皮肉屋の女嫌い」なんだと思われていた。だけど、けっして「女嫌い」ではないことが行方著で判る。嫌いなのは「俗物」で、俗物男性を描いても人は当然だと思うが、俗物女を徹底的に厳しく見つめると、人は「女嫌い」などというのである。他にも、第一次大戦中に英国情報部に頼まれスパイ活動を行ったことは、「アシェンデン」という短編集で有名だが、実像はどんな様子だったのかとか、日本旅行の実際などいろいろ興味深く書かれている。モームの人生を判りやすく伝える名著で、納得できる点が多い。なるほどこれがモームの実像か。
     
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5時間超の傑作映画「ハッピーアワー」

2016年01月19日 23時55分05秒 | 映画 (新作日本映画)
 濱口竜介監督の5時間17分に及ぶ「ハッピーアワー」(Happy Hour)が12月から公開されている。時間が時間だけになかなか見るチャンスがなかったけど、ようやく見た。間違いなく昨年公開の日本映画で最も面白い何本かに入る傑作である。(キネマ旬報ベストテン3位に選出。)ロカルノ映画祭で、4人の女優に主演女優賞が贈られた。なかなか見るチャンスもないかと思うが、ぜひ時間を作ってみて欲しい映画。長さの心配は全くしないでいい。面白くて時間を忘れて見られる。(東京では1月22日まで、シアター・イメージフォーラムで上映。)

 今映像を載せたチラシの写真には、ケーブルカーに乗る4人の女性が映っている。どこだろうと思うと、神戸の六甲山のケーブルカーだと会話で判る。この4人の女性が主人公で、友だち同士である。37歳で、全員が結婚したことがあり、一人は中学生の子があり、一人は離婚した看護師で、後の二人は結婚継続中だが子どもはいない。それで友だち同士だから、どこかの大学の同級生かななどと思うが、二人が中学からの友人、後の二人は30過ぎてからの知り合いだという。最初の六甲ピクニックだけ見ると、和気藹々として、今度は有馬温泉に行こうなどと盛り上がっている。それで幸せそうな会話がずっと続くハッピーな映画になるかというと、もちろんそんなことはない。

 この4人の女性は、全員がアマチュアの俳優がやっている。非常に存在感があり、最初はどんな人だろうと思っているわけだが、皆それぞれ抱えているものがあると判ってくる。俳優の知名度で売る映画ではないから、この4人の素晴らしい「女優」はここでは書かないことにする。第一部で「重心を聞く」というワークショップの場面がまず面白い。アートセンターみたいなところの職員(プログラムには「キュレーター」とある)がいて、参加者が少ないから来てと誘うのである。その日は鵜飼という人が来て、まず会場の椅子を立ててみせる。いやあ、これはちょっとビックリである。震災ボランティアで東北へ行き、流れ着くガレキを立てていたら、「からだの重心」という感覚を得たらしい。それ以来、「重心」をテーマにした身体活動を行っているという。その後、さまざまな身体のレッスンを行う。それで終わるかと思うと、そこで語られた「身体の声を聞く」ということが、後々の展開を予告していた。そして、鵜飼という人物も、意外な形で最後に関わりが出てくる。

 第2部が「怒涛の展開」で、いやあ、それはそれはの連続。まず、離婚裁判から始まり、4人組にも亀裂が入り始める。有馬温泉では修復された幸福な時間が流れるように思うが、もうそこには「二度とない」ものが始まっていたのである。これから見る人のために詳しい展開は書かないが、4人の女性を「観察」することで、日本社会があぶりだされてくるのが素晴らしい。ドキュメント的な感じの作りかと予想するが、実はとても「劇映画」的な手法を駆使して、流れるような時間感覚をうまく演出している。

 第3部になり、亀裂は様々に深まりゆくが、同時に「人が誰かを好きになるとはどういうことか」という大きな問いに立ちすくむような思いがしてくる。30代後半といえば、それなりの「恋愛経験」があある時期だけど、だからこそそれぞれの人間の本質が見えてくる。仕事や家庭でもいろいろある時期だし。夫婦や親子だけを見つめたベルイマンの映画などもあるが、この映画はさまざまな人々のさまざまなエピソードを描きわけ、全体として「現代日本」が見えてくる。けっして「ハッピー」ではない時間が。この映画は現実の日本人より、ワークショップなどで人々が「語っている」と思う。ここまで現実の日本人は会話できない感じはする。その意味では、「言葉の力」を「身体の力」と同じように使いこなした映画といえる。(だけど、アマチュア俳優がほとんどということから、俳優の顔や身体(の歪みも含めて)がかつてなく観察されている映画だと思う。)

 濱口竜介(1978~)って誰だっけという感じだが、東日本大震災の被災者インタビューを撮った「なみのおと」「なみのこえ」を作った人(酒井耕との共同監督)。それ以前に「PASSION」(2008)が東京フィルメックスなどに出品、日韓合作の「THE DEPTHS」(2010)、4時間を超える「親密さ」(2012)など、劇映画を作り続けている。神奈川生まれだが、今は神戸を拠点に活動中という。映画中でワークショップや朗読会を行うセンターがあるが、そこは「神戸KIITO」というクリエイティヴ・デザインセンターだという。濱口監督はそこで演技のワークショップをしていて、主演の女優はその中から選ばれた。そういう映画の作り方も含めて、新しい才能が花開いた感じで、素晴らしい成果だと思う。
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比例代表制だけなら、どうなるか-選挙制度論③

2016年01月19日 00時44分32秒 |  〃  (選挙)
 小選挙区の当選に決め方について、「決選投票」と「順位付け投票」という案を書いた。まあ、選挙の仕組みなんか、あまり関心がない人が多いと思うけど、世の中の仕組みの作り方、あるいは「代表というものの選び方」は、社会の中心的なテーマである。本来は、「頭の体操」として、ビジネスマンの研修などに使われるべきだし、理科系の学者も大いに意見を出すべき問題だ。(僕は社会科の授業の中で「文化祭の出し物をどう決めるのが、クラスにとって一番いいか」を話題にした。)

 その問題は「ひとつの結論を出す際に、どうすれば参加者の公平感が保障されるか」という問題である。しかし、一つに決めてしまえば、違う意見の人はどうしても不満が残るものだ。どうしても一つ(一人)にしないといけない場合は別だが、何百人も決める国会議員選挙なら、「完全な比例代表選挙」一本にしてしまえば、少なくとも「ある党派が選挙制度のせいで取りすぎる」という不満はなくなる。

 そして、原理的に「一票の格差」がなくなるから、国政選挙のたびに繰り返される「違憲訴訟」、「違憲判決」はなくなる。それはとても大切な観点だと思う。だけど、比例代表にすればいいというものでもない。「当選議員の決め方」もその一つだけど、そもそも比例だけだと多数派が作りにくい。その結果、世界各国でかなりあるように、「政権のかたちがいつまでも決まらない」ということになりかねない。実際に、比例だけだとどうなるかを以下で見てみたい。

 ここ10年ほどの日本政治を簡単に振り返ると、2005年の「郵政民営化解散」で、自公与党が3分の2の勢力を得た。しかし、後任の安倍政権時代に、2007年の参院選で自民が大敗し、「衆参のねじれ」が生じた。2009年の衆院選で、民主党が大勝利して政権を獲得したが、2010年の参院選で民主党(菅内閣)が敗北し、再び「衆参のねじれ」が生まれた。その後、2012年暮れの衆院選で、自民党が大勝利して、第二次安倍内閣が成立し、2014年暮れの衆院選でも再び自民・公明の与党が大勝利した。という風に、衆院選では4回連続で与党が3分の2の勢力を得ている。一方、参議院では2回にわたって「衆参のねじれ」が生じて、それが政権運営に大きな影響を与えたわけである。

 ところで、衆議院も参議院も、比例代表とそれ以外の選挙を同時に行っている。だから、それぞれ比例代表で当選した議員数だけを比べてみることができる。まあ、比例だけとなると、国民の投票行動も変わるかも知れないが、それを言っては先に進まないから、一応の参考資料として提示するわけである。そうすると、衆議院は180人(過半数は91人)、参議院は96人(過半数は49人)になる。

衆議院の場合
 比較のために、2003年の衆院選から見ておく。自民69、公明25で与党計94。過半数をわずかに超えているので、自公政権が成立する。民主党は72、共産9、社民5。野党計86で、比例で当選した政党はこの5つしかなかった。2005年の衆院選は、自民77、公明23の与党計100で、確かに大勝利である。しかし、3分の2の「120」には遠く及ばない。民主は61、共産9、社民6の他、国民新党2、新党日本1、新党大地1が当選した。「100対80」だから、郵政民営化で圧勝というほどの印象は持てない。

 さて、2009年の衆院選。自民は55、公明は21で、計76だから、過半数を割り込み下野する。民主は87、社民4を加えて91。国民新党の比例当選はなかった。共産9、みんなの党3、新党大地1である。だから、民主党政権は成立するだろうが、社民党が連立を離脱したら崩壊する可能性がある。自民、公明が出す不信任案に社民が同調すれば可決される数である。

 2012年の衆院選。驚くのはここで、民主が分裂して自公が圧勝して安倍政権が成立と皆が思い込んでいるだろうが、実は違う。自民57、公明22で、合計79だから、過半数には遠く及ばない。民主は30に激減して政権は失う。しかし、日本維新の会が40で民主より大きい。みんなの党14、日本未来の党7、社民1、新党大地1である。だから、恐らくは自民、公明に維新を足した政権になっていたのだろう。2014年の衆院選は、政権に復帰した自民が12年よりは好調だった。自民68、公明26で与党計94。民主は35、維新の党30、共産20、社民1である。だから、自公政権は成立するが、過半数ギリギリである。このように政権の枠組みは同じだが、3分の2を取るほど大勝利した時はない。

参議院の場合
 もう面倒な人が多いと思うけど、資料として示しておくので、テキトーに流し読んで欲しい。まず、2001年の小泉政権直後の参院選から。この時から「非拘束名簿式」になり、それが続いている。自民は20、公明は8で、半数改選の半分24を超えている。民主8、共産4、自由4、社民3、保守党1.自由党はその後丸ごと民主党に合流するので、民主12と考えてもいい。
 2004年の参院選。自民15、公明8、民主19、共産4、社民2で、前回の非改選と合わせると、「2004~2007」の参議院は、自民35、公明16、保守1で、与党は52。民主は31、共産8、社民6。

 2007年の参院選。自民14、公明7、民主20、共産3、社民2、国民新党1、新党日本1。非改選と合わせて、「2007~2010」の参議院は、自民30(保守党を含む)、公明15で、与党計46。民主39、共産7、社民4、国民新1、新党日本1。野党計52。議長を出しても確かに野党が少しだけ多い。

 2010年の参院選。自民12、公明6で、当時政権にあった民主16、共産3、社民2だが、他にみんなの党7、たちあがれ日本1、新党改革1となる。非改選と合わせると、「2010~2013」の参議院は、自民26、公明13に対し、民主36、共産6、社民4、みんな7、たち日1、改革1。民主は大敗し「衆参ねじれ」になったとは言えない。確かに民主は過半数は持たないが、みんなの党がカギを握っている。共産、社民は自民に同調はしないだろうから、実際の政局で起こった「自民、公明、民主」の「三党合意」はなかった可能性がある。

 2013年の参院選。自民18、公明7で改選の半数は超えている。民主7、共産5の他、維新6、みんな4、社民1。これ以後は今現在の参院と同じだから、その後の政党の離合もあるから、現在の議員の中で比例当選のみを取り出しておく。自民30、公明13。与党計43。あれれ、参院は今現在、自公の与党で過半数を持っていなかったことになるのである。民主22、共産8、社民3の他、「維新・元気の会」8、「おおさか維新」5、「日本のこころを大切にする党」2、生活の党1、無所属クラブ1、無所属2となる。現実に比例だけとなると、また変わってくると思うが、自公圧勝も民主圧勝もなく、「ねじれ」もない時があった。現在でさえ、参院で自公だけでは過半数はないということになる。比例だけにすると、こういう風に小選挙区で圧勝する党が亡くなるから、良くも悪くも「マイルドな差」になるのである。いや、少し選挙マニア的な数の羅列になった。じゃあ、それが何なんだという話は今後。
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「順位投票」というやり方-選挙制度論②

2016年01月17日 23時03分21秒 |  〃  (選挙)
 先に「決選投票」の必要性を書いたけど、理念的には必要だと思うけど、現実には難しいだろう。一番大きな問題は、一週間後(例えば)に決選投票をやっても、果たしてどれだけの人が投票に行くのかという点である。2週連続で、投開票作業をするのは大変だし、お金もかかる。「期日前投票」もしないといけないし、準備が大変そう。そういう事態を避けようと、有権者の方で有力候補にこぞって投票してしまわないとも限らない。それでは本末転倒である。

 それに前回挙げた「秋田1区」では、1位と2位の差が比較的少なく、2位も40%以上取っているので、決選投票するべきだという議論をしやすい。だけど、「東京16区」なんかはどうか。
大西英男 68 自由民主党 前 98,536票 46.3% 当選
初鹿明博 45 維新の党 元 56,701票 26.6%  比例区で当選
大田朝子 30 日本共産党 新 36,976票 17.4%
石井義哲 57 次世代の党 新 11,484票 5.4%
岡本貴士 34 無所属 新 9,334票 4.4%

 ここは江戸川区の大部分で、かの「失言大王」大西氏の選挙区である。大西さんのことは前にちょっと触れたけど、昔の勤務校のPTA会長だった。それはともかく、46%だから過半数ではない。だけど、第2位の初鹿候補とは20%ほどの差がある。それに第4位の「次世代の党」は自民より右っぽいから、まるまる初鹿候補に行くとは思えない。元は民主党だけど、「維新の党」から出た初鹿氏を共産党支持者が全面的に支持するとも思えない。やる前から判り切ったような決選投票をやる必要があるのか。まあ、リクツ上では過半数を取ってないわけだけど。

 しかし、以上のような問題をクリアーする方法がある。「決選投票を先取りして行う」ということである。つまり、自分の支持した候補が第3位以下だった場合、決選投票をしたら誰に入れたいか、順番を付けておいてもらうというやり方である。そんな面倒くさいこと…と思うだろうが、オーストラリアでは現にそういう制度を取っている。それどころか、オーストラリアは投票が義務で、選挙に行かないと罰金がある。そして、候補者全員に順番を付けるのである。世界はいろいろだなあ…。

 今書いていることは、「小選挙区制度の場合の当選の決め方」である。だから、すべてを比例代表にしてしまえば、こういうことは考える必要はないけど、しかし、それは国政選挙の場合である。地方の首長選挙は、必ず「一人を選ぶ」、つまり小選挙区と同じなんだから、僕はこの「順位付け投票」は真剣に考えてみてもいいのではないかと思う。

 だけど、全候補に順位を付けるのは大変である。自民党に民主党、それに共産党、そして幸福実現党なんて選挙区ならば、まあ多くの人が順番を決めやすいだろう。でも、社民党もあれば、「維新の党」もある。その前は「日本維新の会」だった。「みんなの党」というのもあった。「維新」から別れた「次世代の党」はまた名前を変えてるし、順番付けが可能になれば、少数政党も出やすいので、もっとたくさんになるかもしれない。全然支持していないのに、自分の選挙区から、「みんな」と「維新」が出てるから順番付けてくれと言われても、わけ判んないよねえ。

 だから、付けるとすれば「2位まで」でいいだろうと思う。一位得票者が過半数にならない時に、最下位候補の票から「2位の開票」を行う。そして、過半数が出るまで、下位候補から同じことを行っていく。2位候補を指定しない票もあるだろう。それを無効にするわけにはいかない。どうしても、この党しか支持してないんだと言われれば、それも良しとするしかない。だから、場合によっては、「2番まで」では過半数が出ないこともありうる。だけど、その場合は「決選投票を棄権」と同じだから、もう多い方が当選でいいんだと思う。むしろ、僕が考えるに、「1位候補がなく、2位しか指定しない」票を認めれればいいと思う。ホントはどの党も支持してないけど、まあ誰も過半数に行かないんだったら、この人でもいいやという票である。これがあれば、投票意識はかなり高まると思う。

 だけど、今の日本のように「候補の名前を書く」というやり方では、2人を順番を付けて書き分けるのは非常に大変だろう。投票用紙に真ん中から線を引いておいて、上の方に一番、下の方に2番を書くとか。やっぱりそれは無理だから、候補者の名前を書いておいて、そこに「1」と「2」を書く。それを郵便番号のように機械で読み取る。その後、人力で再確認する。まあ、そういうやり方がいいんだろう。ただし、人間が「1」と「2」を書きなぐると、かなり似てくる場合がある。他のやり方も考えるべきかな。

 それより、2番までつけるなら、今より長い選挙期間が必要だと思う。以前に書いたように、1か月前頃から、「第一次解禁」としインターネットと文書による運動開始を認め、10日ぐらい前(選挙対象によって変わるが)に「第二次解禁」として、街頭演説と電話を許可するというのがいいと思う。まあ、そうやって、2番まで順位を付ければ、決選投票をすることなく過半数当選者を出すことができる。そうすれば、自民党や民主党は、小党に対して「2位投票を呼びかける」必要も出て来て、少数派に対する配慮が大事になってくる。その方がいいじゃないかと思うんだが。
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「決選投票」を導入すべきだ-選挙制度論①

2016年01月15日 23時45分36秒 |  〃  (選挙)
 「国民投票」という話を書いたけど、今度は選挙制度に焦点をあてて何回か。野党の選挙協力も大事だけど、本来それはどういう意味があるのか。野党が乱立すると、「共倒れ」して与党を利してしまう。それを防ぐべきだという話になるが、野党が協力しても与党候補が有効投票の過半数を取っているなら意味がない。問題は、当選者が「比較第一位」であっても、過半数を獲得していない場合である。その場合は、仮に野党が全部協力していれば勝っていた可能性がある。もっとも、政策が違うから別の政党になっているんで、統一候補を立てたから支持者がついてくるかどうかは未知数である。

 だけど、そういう選挙対策的な問題ではなく、もっと本質的なことを考えたいのである。つまり、「有効投票の過半数を獲得していない候補が、その小選挙区を代表して国会で活動していいのか」という問題である。(「有効投票」と書くのは、無効票を入れた人や棄権した人は抜いて考えていいだろうからである。棄権した人も考えて、「有権者の過半数」を取らないと当選できないとすると、永遠に議員が出られない選挙区が出てくるだろう。)

 国会議員は全国民の代表である。選ばれた地域の代表だと間違って思い込んでいる人がいるが、そうではない。沖縄で当選しても、北海道で当選しても、沖縄の基地問題や東京五輪の問題に関わっていい。国会議員は全国民の代表だから、国会が決めたことが全国民を拘束するのである。(という風に考えるのが、議会制民主主義のシステムである。そんなのウソだろ、選ばれた議員は自分の選挙区や支持団体の事しか考えてないでしょと思うかもしれない。現実にはそうかもしれないが、それでは誰も国会の決定に納得できない。「一種のフィクション」には違いないけど、「全国民の代表」が決めたと見なすわけである。)

 昨年の安保法審議のような、憲法違反を指摘され、国民世論の反対が強いような法案に対して、各議員は一票を投じる。それは所属する党の決定に従うことが多いだろう。そして、その行動が国の将来に大きな影響を与える。そんな重大な責任がある議員は、小選挙区制度ならば、選挙区で過半数の支持を得ている必要があるのではないだろうか。実際、こんな選挙区がある。
 秋田一区
  富樫博之(自民) 66,388 (47.02%) 当選
  寺田学 (民主) 57,782 (40.92%) (比例区で当選)
  山内梅良(共産) 11,579 (8.20%)
  伊藤正通(社民)  5,441 (3.85%)

 小選挙区で落選した候補は、民主、共産、社民だから、支持者も集団的自衛権容認反対派がほとんどだろうし、安倍政権反対の人である。過半数近くを自民候補が得ているが、秋田一区の民意は「安保法案反対」だと考えてもいいのではないか。それなのに、富樫議員が秋田一区で当選して、安保法案に賛成する。それはおかしいのではないだろうか。

 ここで、富樫候補と寺田候補(第2位の得票者)が、「決選投票」を行えばどうだろう。そういう制度があれば、民主党と共産党と社民党が選挙前に選挙協力を決める必要もない。決めてもいいけど、とりあえず皆が立って、自民候補を過半数割れに追い込むために頑張ればいい。あるいは、こういう制度があると、保守系の無所属候補もたくさん出るかもしれない。小選挙区制度になってから、党執行部の力が大きくなり、自民党が一色化しているという人もいるが、「決選投票」制度があれば、もっと自由闊達な気風が出てくるかもしれない。

 議員選挙の決選投票制度はフランスで行っている。小選挙区で一回目の選挙で過半数を取った候補がいない場合、一週間後に一位候補と二位候補で決選投票を行う。この制度があるから、極右の国民戦線が決戦に残った場合、社会党が「国民運動連合」(=サルコジ前大統領派の保守政党)を支持して、極右の当選を阻むことができる。「一回投票」制度だったら、国民戦線の当選者がもっと出てしまうはずだ。アメリカのように、事実上、民主党と共和党の二大政党の国はそのままでいいかもしれないが。ドイツは、小選挙区だけど比例代表併用制である。それなら決選投票はいらないが、日本が今後も小選挙区制度(比例代表並立制)を取るのであれば、決選投票が必要だと思う。

 なお、ちょっとケースは違うが、日本でも地方の首長選挙では「4分の1を取る候補がいない場合は、再選挙」という規定がある。知られている事例では、2003年の札幌市長選がある。4月の選挙はいずれも新人候補の戦いで、民主党が支援する弁護士の上田文雄に対し、民主党元参議院議員の中尾則幸、自民が推薦する道見重信らが争った。その結果は以下の通り。上田候補は21.6%だった。

 上田文雄 無所属 新人 172,512 民主党・市民ネット
 中尾則幸 無所属 新人 168,474  
 道見重信 無所属 新人 159,787 自民党・保守新党
 秋山孝司 無所属 新人 97,327
 坪井善明 無所属 新人 76,405
 山口たか 無所属 新人 67,785
 佐藤宏和 無所属 新人 54,126 共産党

 その結果、6月に再選挙となったが、決選投票ではないので誰でも出られる。候補を変えてもいい。自民は石崎岳を立てたが、結局上田が当選した。共産党も候補を変えて再度立候補したが、選挙戦の最中に選挙運動を中止し自由投票とした。結果を一応載せておくと以下の通り。 
 上田文雄 無所属 新人 282,170 (41.67%)(推薦)市民ネット(支持)民主党・社民党
  石崎岳 無所属 新人 256,173 (37.83%)(推薦)自民党・保守新党(支持)公明党
  中尾則幸 無所属 新人 126,488 (18.68%)
  青山慶二 共産党 新人 12,315 (1.82%)

 もう忘れている人が多いだろうが、1999年の東京都知事選も、もしかしたら誰も25%に行かないのではないかと言われていた。現職の青島幸男が立候補を断念し、新人候補が乱立した。自民党は元国連事務次長の明石康を立て、民主党は当時兄弟で民主党にいた鳩山邦夫を立てた。他に舛添要一柿沢弘治、共産党の三上満などが立候補を表明した後で、石原慎太郎が立候補を表明したのだった。結局、石原は約166万票で、30%を獲得して当選した。次点は鳩山邦夫で85万票、次いで舛添83万票、明石69万票…といった結果。石原と鳩山邦夫で決選投票をする意味があるかどうかは難しいが、こういう過去を見れば、少なくとも都道府県知事と政令指定都市市長は、権限が大きいので決選投票制度があった方がいいのではないか。
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選挙協力より国民投票の議論を!

2016年01月14日 22時57分07秒 |  〃  (選挙)
 来るべき参議院選挙で、強大な与党の横暴に対抗するために、野党は「選挙協力」をすべきだという議論がある。特に参院選では選挙区に「一人区」が多くあり、そういうところは人口が少ないわけだから、もともと自民党が強い。でも、1989年や2007年の参院選では野党の大勝となり、後の政権交代につながる結果ともなった。だから、大胆な選挙協力を行い、自公連立政権に対抗するべきだというのはもっともな議論である。(なお、1人区は32もある。2016年参院選から、宮城、新潟、長野が定数減となり一人区となる。また一人区だった鳥取と島根、徳島と高知が合区される。)

 ところで、本当に民主党と共産党の選挙協力など、できるのだろうか。あるいは、すべきなのだろうか。そういう議論も重要だと思うけど、僕はここでは、その問題の前に「他の視点」でいくつか書いておきたいと思う。「選挙とは何なのか」ということを考えると、もっと考えるべき問題があると思うのだ。もっとも、そういう議論をしても、今年の夏には間に合わないだろうから、プロの政治家はとりあえず今夏の選挙協力の可否を検討して欲しいと思うけど。

 さて、選挙の議論をする前に考えないといけないのは、「選挙の有効性を多くの人が信じなくなっている」ということである。日本だけではなく、世界中の多くの国で、選挙で選ばれた指導者が国民を無視しているという感覚を共有している。だから、選挙に行かない人も多くなった。大体、インターネットとグローバル化の時代に、「定住している国民」が数年に一度選挙権を与えられるというシステム自体が問われている。(選挙権は「一定の住所に住んでいる国民」に与えられるから、職を転々とする底辺労働者や「ホームレス」の人々、また世界をまたにかけて働く多国籍企業の役員、あるいは戦争や飢餓を逃れてきた難民などには選挙権の行使そのものが難しい。)

 そして、世界が複雑にリンクし、伝統的な考え方も大きく揺らぎ、人間も「個性」が重視されるような社会になった。人々は「消費者」として、「多種目少量生産社会」を生きている。このような社会では、「政策を一括提示する大政党」の意義が薄れる。人々は経済政策はA党、外交政策はB党、福祉政策はC党…と政策ごとに支持がバラバラになる。また、「特にこだわりがある政策」がそれぞれに生まれ、他の政策はともかく「子育て支援に熱心な党」とか「沖縄問題に熱心な党」…などで選んだりするようになる。「大量生産社会」とは人々の政治意識も変わってくるのである。

 だけど、「選挙」はやるしかない。当面、他のシステムは考えられない。しかし、「国のリーダーを選ぶ」という意味では選挙システムを使い続けるしかないけれど、個々の政策は必ずしも選挙ですべては決められない時代となっている。現実に、今も政権支持率は高いけれども、集団的自衛権原発再稼働には反対の世論が強い。全国的にはそうなんだけれど、各選挙区で選挙すると、小選挙区では自民党が勝つことが多い。だから、選挙で勝った自民党が決めたことに国民は従うべきだと言ってしまえば、話はそれまで。しかし、そう言った瞬間に、「じゃあ、選挙に行っても仕方ないや」という人も出てくる。それでいいのかということである。

 地方政治では、もうそういう場合に「住民投票」が当たり前になっている。住民投票条例を制定して、その地域にとって重要な問題を住民が投票している。選挙権年齢も低くしたり、定住外国人にも選挙権を認めているところもある。合併問題など、住民投票で政策が変わったことも多い。それを国単位でも行う。集団的自衛権容認の是非、原子力発電所の方向性、夫婦別姓の是非などは、まさに「国民投票」で決めるにふさわしい課題だろう。それぞれの問題をどう考えるかということは別にして、「国論を二分するような問題」は「国民投票」を行うべきだということに反対の人がいるだろうか。

 そりゃ、まあ、いるだろう。現に多数派を形成している党は、自分たちの政策を妨害されるだろうから、反対に決まっている。自分たちの権限を縮小することになるんだから、国会議員もホンネでは反対の人がいるだろう。そういう人々は必ず「憲法違反」と言いだすはずである。日本国憲法では、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」(前文)と書かれている。また、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」(41条)とされている。これを狭く解釈すると、選挙で選ばれた国会議員がすべてを決定するんだぞとも読める。

 だが、憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し」とも書かれている。憲法の規定により、国民投票の結果だけでは「法的規範」は持たない。だが、国民投票は「国民の厳粛な信託」を意味するのであって、それを受けて国会議員が権力を行使すればいいというだけのことだ。そういう風に解釈するのは、集団的自衛権をムリヤリ容認するより、ずっと素直な解釈ではないだろうか。だけど、ゴチャゴチャいう人がいるようなら、こういう問題こそ「憲法改正」にふさわしいテーマではないか言えばいい。

 最後に、僕が考える国民投票のイメージを書いておきたい。国民投票を個別にやるのはコストがかかりすぎる。国政選挙と一緒にやった方が便利だろう。衆議院は解散があるから、いつ選挙があるか判らないので、国民投票を準備するのも大変である。また衆議院は政権選択で優先するから、政策パッケージそのもので争うべきだという論も成り立つだろう。一方、参議院は解散がないから、必ず3年目の7月に参院選に行われる。政権のやり方に異議を持つ人が国民投票を求めるだろうから、チェックの意味でも参院選と同時に国民投票を行うというのはどうだろうか。同じテーマで毎回やっても政策が安定しないから、一回やったら少なくとも次回の参院選では同テーマではできない方がいい。

 国民投票の発議は、多数党はやる必要がないんだから、少数党が要求できる必要がある。臨時国会と同じく、「国会議員の3分の1」の要求で行う。また、国民投票なんだから、国民自体が要求できる必要がある。リコール制度に準じて、具体的な数を決めればいい。あまり多くを要求すると、投票するまでもなく署名だけでいいことになるから、「有権者の3分の1」など国民全体では不可能な数にしてはいけない。それより「20都道府県以上で各10万人以上の有権者の署名が集まった時」などといった数がいいのではないだろうか。「有効投票率」を決めてもいいけれど、参院選と同時にやろうという僕の発想では、安保、原発、夫婦別姓などで5割以下の投票率というのは考えられないと思う。心配するまでもなく、むしろ参院選の投票率を押し上げる要因になると思う。投票結果に拘束力を持たせるためには、憲法を変えて投票結果遵守を書き込んだ方がホントはいいだろうと僕は思う。選挙という制度の問題を何回か続ける。
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瀬川昌治監督の映画が面白い!

2016年01月13日 00時04分28秒 |  〃  (日本の映画監督)
 神保町シアターでやってる瀬川昌治監督特集。瀬川昌治(せがわ・まさはる、1925~)は60年代、70年代に東映、松竹で主に喜劇映画を作っていた監督で、ひたすら「プログラム・ピクチャー」(映画会社の路線に沿って量産される娯楽映画)を作った。「映画作家」としての評価は同時代的にはなかったけど、その後再評価されているという話。映画館のある神田神保町の生まれで、学習院から東京帝大で、三島由紀夫の一年下、東大では野球部で六大学シリーズ戦に出場していたという。

 「泣いて!笑って!どっこい生きる!」とサブタイトルが付いている。こういう感じの映画は若い時は苦手で、70年代の同時代には全然見たことがない。大体、アメリカン・ニューシネマ(「イージーライダー」とか「ファイブ・イージー・ピーセス」とか)を見たり、あるいはゴダールやフェリーニやパゾリーニなんかを見るのが映画体験と思っていた。日本映画は大島渚とか寺山修司とか若松孝二とか…。プログラム・ピクチャーでは、日活ロマンポルノ東映実録ものは名画座等で見ていたけど、これは大手の会社ではあるけれど、「反体制」カルチャーと思われていた。だから、見ても良かったのである。

 1972年に作られた「喜劇・誘惑旅行」とか「快感旅行」なんて言う映画は、題名だけ見て敬遠。というか、お金の問題で主に名画座で見ていたから、文芸地下や並木座でやってくれない映画を見る機会がない。今回やる16本の中で、見ている映画は三國連太郎主演の「馬喰一代」だけだと思う。これも見たのは最近の三國連太郎追悼上映である。北海道を舞台に、荒くれの三國と新珠三千代の純情が素晴らしい文芸映画の佳作だった。だから、喜劇映画の名手と言われながらも、今回初めて見た。

 日本の会社システムで作られた昔の映画は、スタッフが会社員として長年の技量を磨いてきているから、美術、照明、衣装、編集などの技量が半端でない。脚本や撮影の重要性はいつでも同じだけど、最近のようにデジタルで撮りやすくなると、昔の映画の総合的な技術力の高さに圧倒されることが多い。もっとも、それでもつまらない映画はつまらないし、テーマや設定そのものが古くなったものも多い。特に「喜劇」は文化が異なると、全然面白くないことがある。外国で評価されたコメディが、なんで受けたのか判らないという経験は映画ファンなら相当あるだろう。古い映画の場合、セクハラとかパワハラとかストーカーとか…の概念がなかった時代のコードは現代と全然違うので、がく然とすることがある。(若尾文子映画祭で最近見た「閉店時間」というデパート店員を描く映画では、セクハラ、パワハラ全開の職場環境にビックリする。ちなみに有吉佐和子原作で、横浜高島屋で撮影されている。)

 ということで、見たところ、「列車シリーズ」と「旅行シリーズ」の出来のよさにビックリで、発見だった。「列車シリーズ」は、東映で渥美清主演で3本作られた。出来映えをみた松竹の城戸四郎社長が引き抜いて、「旅行シリーズ」を作らせ、1968年から1972年まで11本も作られた。フランキー堺主演である。これらは主人公が鉄道職員で、一種の「ロード・ムービー」の日本型変種ではないかと思う。各地でロケして、「観光映画」でもある。「喜劇 急行列車」(1967)は、渥美清が寝台特急の専務車掌で、東京から長崎(「さくら」)、鹿児島(「富士」)に乗務している。国鉄の協力とあるから、ホンモノを使っているのだと思う。素晴らしい「鉄道映画」になっていて、鉄道が大きな意味を持つ社会だったと強く感じる。

 「喜劇 逆転旅行」(1969)は青森の車掌をフランキー堺が演じ、十和田湖や秋田の竿灯まつりがうまく使われている。竿灯まつりのシーンなど、非常にきれいで観客からオッといった声が上がった。フランキーは幼なじみの倍賞千恵子に惚れられているが、本人は料理学校講師の佐藤友美に夢中である。倍賞千恵子にせまられて迷惑な人がいるのかと思うけど、「男はつらいよ」公開の直前の映画である。先輩車掌に伴淳三郎、後輩車掌に森田健作で、ウェルメイドなコメディが展開する。こういうウェルメイドで、すべてがうまく収まるコメディは若い時はウソっぽくて嫌だった。いかにも保守的な感性に思えたのである。でも、今見れば芸達者の競演を楽しみ、列車や各地の風景を楽しみ、流れるように物語が進行する至福の映画ではないか。

 「喜劇 男の泣きどころ」(1972)は「喜劇 男の腕だめし」(1974)、「喜劇 女の泣きどころ」(1975)と3本続く太地喜和子がストリッパーを演じるシリーズ。これはまた、大手、特に松竹にこれほど「ヌード全開」の映画があったのかと今さら驚くような映画。ごひいきの太地喜和子が出ているけど、見ていなかった。一本目はフランキー堺が警視庁のポルノ取締り係。戦友の藤岡琢也がポルノ製作の社長で、笠智衆がポルノ映画の「巨匠」をやってるのがおかしい。そりゃまあ、神代辰巳の「一条さゆり・濡れた欲情」ほど突き抜けてはいない。基本、ウェルメイドなコメディなんだけど、見ていて飽きない。「職人技」というものを楽しめるのである。

 今後、来週になると、評価が高いという「瀬戸はよいとこ 花嫁観光船」(1976)や高知県の駅員をフランキー堺が演じる「喜劇 よさこい旅行」(1969)、また谷啓主演の「喜劇 競馬必勝法 一発勝負」(1968)、再来週になると愛川欣也とタモリが出ている「喜劇役者たち 九八とゲイブル」(1978)やビートたけし初主演の「哀しい気分でジョーク」(1985)といった同時代的に全く覚えていない映画が登場する。いやあ、愛川欣也とタモリ!? そんな映画があったか。その後もテレビで10年ぐらい前まで大活躍していたことが、ウィキペディアを見ると判る。いやあ、今になると面白く見られるし、ウェルメイドを楽しめるというのは、こっちも角が取れたというか、年取ったということかとも思うが、やっぱり楽しく見られるのも必要である。
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映画「リザとキツネと恋する死者たち」

2016年01月12日 21時38分16秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画の話を書くときは、これはぜひ見て下さいという感じで書くことが多いけど、ここで紹介する「リザとキツネと恋する死者たち」という映画はちょっと違う。変な映画大好きの僕でも、ちょっと引いてしまうほど変すぎる映画である。ここまで変だと、なかなか面白いと言えない。そのぐらいぶっ飛んだ映画なんだけど、変に気になる。それに「日本」に関する映画である。だから、まあ書いておこうか。

 この映画はどこの国の映画かというと、ハンガリーの映画寝たきりの元日本大使夫人マルタの看護師リザの物語ということで、日本が関わってくる。日本語を教えられ、日本の恋物語を愛する不思議な30歳の「乙女」リザ。そして、リザだけに見えるユーレイ日本人歌手トミー谷(トニー谷にあらず)が昭和歌謡風の歌を歌いまくる。これは日本の歌謡曲を聞きこんだスタッフのオリジナルソングである。リザは30歳の誕生日に、お気に入りの「メックバーガー」に行って「蟹肉バーガー」を食べながら、運命の人の登場を待つが、その間に大使夫人が殺される。その後もリザに関わる事件が続発し、警察に疑われるハメになるが、リザの運命やいかに…。

 この「トミー谷」なる(演じるのは日本人の父とデンマーク人の母を持つデヴィッド・サクライという人)歌って踊れるおかしなユーレイ歌手が、奇妙すぎて笑えるというレベルを超えて、あ然ぼう然。題名のキツネとは、この「事件」に関わる「九尾の狐」伝説のこと。日本の伝説と日本調の歌が、不可思議な事件を起こしていく。おかしな「ジャポニズム映画」とでもいうものはときどき出てくる。昔ドイツで作られた「ベルリン忠臣蔵」なんていう映画があったが、これはそれ以上の珍品ではないか。

 ウッイ・メーサーロシュ・カーロイ監督という人は、相当変な「日本マニア」である。映画は70年代を舞台にしているが、現実のハンガリーはソ連圏時代である。その後、冷戦崩壊後に自由化して、今はEUに加盟しているが、難民問題を受け右派が勢力を強めている。だけど、そんな現実界と離れて、この映画は「異界」を描く。そのポップな感覚に、「日本」がうまくはまったのかと思うが、本国では「驚愕の大ヒット」というけど、ホントかな。「世界三大ファンタスティック映画祭のうちの2つの映画祭である、第35回ボルト国際映画祭でグランプリ、第33回ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭で審査員&観客賞を受賞」なんだというけど、この映画は現実の日本ではどうなんだろうか。「幻想の日本」にハマったハンガリー映画が興味深いけど、それほど面白い気もしなかったけどなあ。新宿のシネマカリテでレイトショーだったけど、来週からは昼の時間帯になる。まあ、映画というより、「日本の大衆文化の国際的影響」みたいな関心がある向きかも。
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