尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「冤罪弁護士」今村核を見よ!ー佐々木健一「雪ぐ人」を読む

2021年07月31日 23時03分14秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 新潮文庫4月新刊の佐々木健一雪(そそ)ぐ人 「冤罪弁護士」今村核の挑戦」を読んだ。ああ、読み逃さなくて良かったと思った本だ。大江健三郎やマイクル・コナリーは読まなくてもいいけど、これは必ず読んで欲しい本。読みやすくて、判りやすいけれど、はっきり言って読後感は重い。それは日本の現実に真っ向から向き合うことから来るもので、われわれはその重さから逃げてはいけない。この本が判りやすいのは、NHKのドキュメンタリー番組がもとになっているだ。だから問題がクリアーになり人物像がはっきりする。
(「雪ぐ人」)
 2012年に出た今村核冤罪と裁判 冤罪弁護士が語る真実」(講談社現代新書)という本を僕は読んでいる。だから今村核という人のことは知っていた。しかし、本人が書くのと他人が書くのでは大きく違う。例えば今村核という弁護士の外見(身長とか恰幅とは)は、自分が書いた本には出て来ない。誰の本でも同じだろう。また経済的な側面なども本人の書いた本では判らない。この本を読んで、実に痛切に判ることは「冤罪弁護士は儲からない」ということだ。所属する弁護士事務所の経費を負担するのも大変なぐらいに。

 今村核という人は当然ながら冤罪事件だけを担当する弁護士ではない。そういう弁護士になりたかったわけでもない。ただ弁護士の使命感として、冤罪事件に本気で取り組んできたうちに、他の事件が手に付かないぐらいになっていった。「疑わしきは被告人の利益に」の原則が貫かれていれば、今村弁護士はここまで苦労しない。しかし、「有罪率99.9%」を法務大臣自らが誇る国である。(ゴーン逃亡事件の後に森雅子法相がそう述べて、無罪なら被告が証明せよと語った。さすがに後段は取り消したが。)常識なら無罪だと思う裁判でも、日本では有罪となる。そういう判決を今村弁護士も経験してきたから、「そこまでやるか」的な弁護活動を行わないと日本の裁判では無罪を勝ち取れないと今村弁護士は覚悟したのである。
(「冤罪と裁判」)
 そんな日本の裁判で今村弁護士は14件の無罪判決を得たのである。多くの弁護士は刑事事件はあまり担当しないし、担当しても無罪判決の事件は生涯で一回あるかどうかだというのに。それも新聞の一面に大きく載るような死刑・無期を争う重大事件ではない。ほとんど新聞にも報道されないような小さな冤罪事件ばかりである。そういう事件が持ち込まれても、大体は貧しい庶民が巻き込まれたケースばかりである。全然「成功報酬」につながらないだけでなく、トコトンやるから精神的にも物質的にも負担が多い。

 そのことは「雪ぐ人」で紹介される「放火冤罪」や「痴漢冤罪」でよく判る。「放火」事件では現場を再現して実際に燃やしてみる実験を行う。「痴漢」事件ではバスの車載映像を一コマごとに解析して、痴漢行為がなかったことを証明する。それでも一審は有罪判決だった。被害者は右手で触られたと証言し、被告人は携帯電話でメールしていたと反論した。だから右手の映像を分析したところ、裁判長は「左手で痴漢をした可能性もある」というのである。左手はずっとつり革をつかんでいたのだが、バスが揺れて一瞬映像が判りにくいところがある。映像を何百回も見ているうちに判ってくることがある。今度は左手も解析した鑑定を提出し、控訴審では無罪判決を得られた。それでも心理学鑑定なども行ったのだが、それは裁判長に却下された。

 今村弁護士のモットーは、科学的な真実を求めることである。無罪判決を得るというより、事件の真相(例えば火事がどのように起こったのか)を明らかにすれば、それが無罪を明らかにするのである。もっともいかに科学的な真実を証明しても、それを受け入れない裁判官もいるのである。何でだろうかというのが、次の問題になる。先の痴漢事件で一審有罪判決を出した裁判官は、若い時は青法協や裁判官懇話会(どちらも最高裁からにらまれている団体)に関わっていたという。それが「変節」していったのは何故だろうか。それは判らないけれど、最高裁の人事のあり方にあると今村弁護士は指摘する。

 それにしても今村核という人の人生には考えさせられることが多い。父母との関係も考えさせる。この本から見えてくる日本のあり方はなんとも怖い。大体は知っていることなんだけど、やはりまだ知らない人も多いだろう。僕も「裁判と冤罪」という今村氏の本を読んでたから、この本は買うかどうか迷ったのである。でも本当に読んでよかった。さすがに何度も取材を重ねた佐々木氏の文章は判りやすい。冤罪の本ではどうしても「怒り」を覚える。この本でも今村氏は怒っているが、それを佐々木氏を通して読むから、より深く怒りと絶望が伝わってくる。読むのが辛いぐらいの本だが、読後の充実感が半端じゃない。
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マイクル・コナリー33冊目のミステリー「鬼火」

2021年07月30日 23時08分02秒 | 〃 (ミステリー)
 マイクル・コナリー(Michael Connelly、1956~)の新作が(もちろん翻訳で)出るたびに読んでしまうのは、僕の一種の「悪癖」に近い。もう読まなくてもいいかなと思いつつも、読後の満足は安定している。大傑作じゃないけれど、毎年のように新作が出るから手に取ってしまう。アメリカじゃオバマ元大統領がファンだと言うことでも有名で、かなり売れてるらしい。今度の「鬼火」(The Night Fire、2019)は33作目の長編ミステリー小説で、講談社文庫7月刊である。いつもの古沢嘉通訳で、読みやすい。

 僕はコナリーの小説は全部読んでいる。90年代から出ているから、今から全部追いかけるのは大変だろう。エンタメ本だから一冊でも読めるけど、コナリー作品は登場人物が共通しているから続けて読む方が面白いだろう。それは大沢在昌の「新宿鮫」シリーズなどと同じである。このブログでも今まで2回書いていた。「真鍮の評決」と「罪責の神々」である。読んだからといって、いちいち書くまでもないと思うけど、今回は書いておきたい。というのは「シリーズもの」の問題とアメリカの犯罪状況を考えるためである。

 マイクル・コナリーの小説は大部分が「ハリー・ボッシュ」シリーズである。これはAmazon prime videoでオリジナルドラマになっているという。そもそもはベトナム帰還兵で、孤児として育ったハリー・ボッシュの目を通して、現代アメリカを描くハードボイルド風の警察小説として構想されたと思う。そもそもハリー・ボッシュというのは、画家のヒエロニムス・ボスのことである。死体として発見された母のそばにいた、父不明の幼児に付けられた名前だった。帰還後にロス市警に勤めたから、普通の意味では警察小説になる。しかし、犯人を捕まえるためには、時には法規範を乗り越えてしまうから、警察内部では厄介者扱いされる。何度も飛ばされるし、一時は辞めて私立探偵になったこともある。

 コナリーはボッシュ・シリーズを書く傍ら、他の作品も書いてきた。またハリー・ボッシュも作者と同じく年齢を重ねてきた。その中で他の登場人物がボッシュ・シリーズに(あるいはその逆に)、相互乗り入れ状態になるようになった。中でも「リンカーン弁護士」で登場したミッキー・ハラーという「無罪請負人」は強烈なキャラで、しかもボッシュとハラーは驚くべき因縁があった。まあ書いてしまうけど、異母兄弟だったのである。だから時々ボッシュはハラーに協力する。それは警察内部からは「裏切り者」扱いされることだ。ボッシュは「真理追究」のためと考えても、多くの警察関係者は「犯人を逃した」と考える。

 また年齢とともに、ボッシュには「定年退職」という問題が起きる。一時は定年延長をしたが、それも終わって、次には別の郡で臨時警察官になる。それもうまく行かず(一応まだバッジを持っているが)、最近ではロス市警の「レイトショー」(夜間専門の警察部門)にいる女性警官レネー・バラードと協力することが多い。バラードは優秀な刑事だったが、上司によるセクハラを公にしたことで職場から追われる。このように警察を通して人種や性差別、性的指向などをめぐる状況が語られる。そこら辺も読み所。
(マイクル・コナリー)
 大昔の「足で稼ぐ」私立探偵時代と異なり、現代では多くの情報がデジタル化されて警察に累積されている。その情報にアクセス出来るか出来ないかで、捜査が全然違ってしまう。警察を辞めているボッシュとしては、バラードがいないと先へ進まない。今回はボッシュ、バラードに加えてミッキー・ハラーとシリーズ・キャラクター勢揃いのボーナス版である。ボッシュの恩人だった元警官が亡くなり葬儀に行くと、未亡人から夫が残していた未解決事件の捜査記録を預かる。なんでその事件を気に掛けていたかも不明である。一方、バラードは「レイトショー」で「ホームレスの焼死」を扱う。それは事故か事件かも判らない。

 その時にボッシュはミッキー・ハラーの裁判に協力していた。それは裁判官が刺殺されたという事件で、ホームレスが逮捕され「自白」も「DNA」もある。一見盤石な事件だが、ハラーは無実を確信している。果たして真相はいかに。これらの事件がバラバラに進行し、「モジュラー型」(いくつもの事件が並行して語られる)のように進行して行くが、最後にそれらが一本につながり驚くべき真相が待っている。まあジェフリー・ディーヴァーほどどんでん返しではなく、軽くてスラスラ読めるところがコナリーの真骨頂である。それでいて、性や人種や性的指向などの偏見に囚われていてはいけないというメッセージにもなっている。
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「遅れてきた青年」、悪漢小説の可能性ー大江健三郎を読む⑦

2021年07月29日 22時31分19秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎初期の長編小説「遅れてきた青年」(1962)は、1971年に出た新潮文庫本(第2刷、1970年刊行)を持っていた。つまりピッタリ半世紀読まずに持っていたことになるが、この機会に読んでみた。6月に「万延元年のフットボール」「洪水はわが魂に及び」という大長編を読んだので、今月はもう少し判りやすいものを読みたかった。「遅れてきた青年」は大江作品初の「大長編」というべき作品だが、判りにくい点は少ない。時間が経ってしまって、政治的、風俗的に理解しづらいところもあるけれど、内容的にはまあまあ読みやすかった。もっとも半世紀前の文庫本は字が小さくて目がショボショボするという難点はあったけれど。
(カバー=山下菊二)
 大江健三郎は東大在学中に芥川賞を受賞したから、学生からすぐに職業作家になったわけである。だから初期作品は東大(と思われる)の学生生活や、自分の出身地(四国の山奥の村)を舞台にした短編ばかりである。1958年の「芽むしり仔撃ち」も戦時中の故郷の村で起こった出来事である。それでは作品世界が狭まるから、現代の青春を三人称で描く「われらの時代」(1959)を書いた。これはアルジェリア独立運動家や天皇「暗殺」を目論む青年たちが出て来る興味深い小説だけど、小説としては成功作と言えない。

 次の長編「夜よゆるやかに歩め」(1959)は「婦人公論」に連載された作品だが、単行本が出た後は文庫化もされず、今まで何度か出た大江健三郎作品集に一回も掲載されていない。図書館にも余りないと思うが、古本では売っている。5千円から1万円はするから、本職の研究者しか読まないだろう。その次の「青年の汚名」(1960)はニシンの到来を待ち望む北海道(礼文島がモデルという)の青年を描いている。これは昔文春文庫に入っていて読んだことがある。この2作品は最近の「大江健三郎全小説」に収録されていない。若い時期の未熟な「失敗作」ということなんだろう。

 次の長編が「遅れてきた青年」(1962)で、それまでにない2部構成の大長編になっている。「われらの時代」と「遅れてきた青年」も、収録されなかった作品集があったという。しかし、これらの4長編は大江健三郎の「もう一つの可能性」を示していると思う。戦後の作家たちの多くは、「純文学」と「大衆文学」を書き分けていた。三島由紀夫遠藤周作などが代表だが、大江文学は「純文学」に特化して「難解」という評価が定着していく。しかし、それは大江光が生まれ「個人的な体験」を書いた後の話である。その後はほとんどの作品で「障がい児と生きる」というマジメなテーマが追求される。
(1960年の結婚式)
 しかし、もし最初の子どもが障がいを持って生まれなかったら、どうだだっただろうか。「四国の森」を舞台にした神話的作品群は書かれただろうが、それとは別にもっと通俗的で判りやすく面白い、そして映画やテレビの原作に採用されるような作品も書いていたのかもしれない。そう思ったのは「遅れてきた青年」にピカレスク・ロマン(悪漢小説)としての面白さを感じたからだ。今までこの小説はそんなに読まれなかったし、読まれたときは「政治的」に解釈されることが多かったのではないか。

 題名の「遅れてきた青年」とはまず第一に「戦争に遅れてきた」こと、もっと言えば「天皇のために死ぬはずなのに遅れてしまった」ことを意味するだろう。子どもながら「わたし」という一人称である語り手は、教師たちとうまく行ってない。戦争に敗れ占領軍がやって来ると、中国戦線を経験した男たちが「女は強姦され子どもは虐殺される」と言って山に隠れさせる。村より奥にある「原四国人」の集落は村人たちによって破壊される。「わたし」はそんな大人たちに従うことなく、地域の中心都市に集まれという戦争継続の呼びかけに応えて、朝鮮人の友人「」とともに杉丘市へ向かう。この杉丘は「松山」ということだろう。

 そこまでが第一部で、結局大人たちに捕まって家からも見放されて教護院に送られた「わたし」は、その後受験勉強を始めて東大に合格した。久方ぶりに教護院を訪れた「わたし」は、書類の隠ぺいを求める。今は東京で有力保守政治家の娘の家庭教師をしている。東京に戻ると、その沢田育子が待っていて妊娠したという。父親は彼ではないが、中絶の金がない。親からせびり取って欲しいと言う。それに失敗して、仕方なくモグリの手術をしてくれる医者を学生運動をしている知人に紹介して貰う。その代わりにエジプトへ向かうという彼の代理で、左翼運動への参加を求められる。

 参加してみたら案外本気になっていくが、下宿に保守政治家からの大金が届いたことを知られ、スパイの疑惑を掛けられる。監禁され自白を求められるが、拒否すると拷問にあう。最後には「浮浪者」による「性的拷問」さえ行われる。逃れた後で復讐のため育子の父に従って国会で証言する。この後も波瀾万丈というべき「転落」を繰り返した挙げ句、「わたし」は神戸で康と再会する。朝鮮戦争で金日成将軍のために戦いたかった彼は、仕方なくアメリカ軍について韓国へ渡り戦争の実態を見ていた。

 保守政治家の走狗となっていく「わたし」と、育子、育子の子どもの父である「偽ジェリー・ルイス」と呼ばれる年下の少年。その新しい風俗とともに、左翼運動(これは安保闘争時の全学連主流派、つまり反日共系だと思われる)の暗部、朝鮮と日本、犯罪と性、問題となるようなテーマがごった煮のように投げ込まれている。確かに必ずしも上出来とは言えないが、学生運動やテレビなど当時の社会状況が興味深い。主人公の生き方に疑問が多いが、もちろん肯定的に描かれているわけではない。現代青年の「内面の空虚」を描くのが眼目だろう。でも「風俗小説」的な面白さがあって再評価されるべきだ。「朝鮮」「自殺」「同性愛」などが初期大江作品によく出てくる意味も考えるべきテーマだろう。
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「静かな生活」と「二百年の子供」ー大江健三郎を読む⑥

2021年07月28日 21時05分29秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎の小説は難しいと思っている人は、まず「静かな生活」(講談社文芸文庫)を読むべきだろう。これは1990年にいくつかの雑誌に連載された連作短編集で、1990年に講談社から出版された。1994年にノーベル文学賞を受賞した記念として、義兄の伊丹十三監督によって映画化されたことでも知られる。僕は当時は読まなかったので、こんな読みやすい小説があったのかと驚いた。でも小説の設定を実際の大江一家と混同してはいけない。これは純然たるフィクションなのだと思って読まないといけない。
(「静かな生活」)
 というのも語り手は「マーちゃん」と呼ばれる女子大学生。「イーヨー」と呼ばれる兄は障がい者で、地域の作業所に通っている。弟の「オーチャン」は浪人中の受験生である。父親は周りの人から「健ちゃん」と呼ばれる作家で、今カリフォルニアの大学に「居住作家」として招かれている。ところが父は精神的に「ピンチ」にあって、一人で行かせられないと考えた母も付いていく。そこで障がい児を抱えた一家が子どもたちだけで暮らしていくのである。一家の設定はほぼ大江一家と同じで、イーヨーが作曲を習っていたり、水泳に行くのも現実を反映している。(「新しい人よ眼ざめよ」の最後で「イーヨー」と呼ばないことになったが、その後また呼んでいる。)

 これじゃあ、まるで大江一家だと思って読んでもやむを得ない気がするが、そもそもの「父母がカリフォルニアに半年以上も行く」というのがフィクションらしい。しかも、その状況を娘の視点で描くのが不思議。小説ではピンチに立つ父親が遠慮なく語られるが、それは自分自身のことである。子どもが父を批判的に書く小説を当の父親が書くのである。こんな変な設定の家族小説は世界で初めてだろう。読みやすく出来てるけど、この小説の仕掛けはなかなか複雑なのである。

 単に家族の日常を描くだけでなく、「案内人(ストーカー)」という章ではタルコフスキー監督のロシア(ソ連)映画「ストーカー」(1979)をめぐって、登場人物が議論する。「ストーカー」という言葉はこの映画で初めて知ったわけで、この小説の中でもどういう意味か皆で議論している。チェルノブイリ原発事故直後で、ソ連崩壊直前の時期に書かれた小説である。ポーランドの大統領が来日して抗議活動をする話も出てきて、1990年という時代を表わしている。

 「妹の力」のように物語が進行し、最後になって「イーヨーが戦う」というのが、この小説の真髄である。だからずっと「マーちゃん」の語りで描かれることに意味がある。彼女は仏文科の学生でセリーヌを専攻している。そんな専門的な話が挟まりながら、水泳クラブでイーヨーに危機が訪れる。実はそれは父親の関係なのだが、とにかく留守を守るマーちゃんは一生懸命である。だが実はイーヨーは単に守られているだけの存在じゃなかった。それを妹の視点で物語る「ナラティブ」(語り方)がこの小説の読み所で、作家も一作書いて面白かったので連作になったという。
(映画「静かな生活」)
 映画はあまり評価されなかったが、僕は面白かった。伊丹十三監督は現実の社会問題をコミカルに描くことで人気を得ていた。基本的なマジメな大江文学は、伊丹作品のイメージに合わなかったのか、商業的にもヒットしなかった。父を山崎努、イーヨーを渡部篤郎、マーチャンを佐伯日菜子が演じていた。もう一回見直して見たい気がする。大江作品は60年代初期に何作か(「われらの時代」「飼育」「偽大学生」など)映画化されているが、だんだん難しくなって映画化が企画されても頓挫することが多くなった。ノーベル賞記念という名目で映画化出来たが、当時伊丹作品は全国一斉公開されていた。それには向かなかったということだろう。

 「二百年の子供」は「静かな生活」を越えて、間違いなく大江作品の中で一番読みやすい。2003年1月から10月に読売新聞に連載され、中央公論新社から刊行された。中公文庫にも入ったが現在は入手できないようなので、図書館で借りて読んだ。この本は「ヤング・アダルト」向けの「ファンタジー」として書かれたSFである。タイムマシンが四国の谷間の村にある大きなシイの木のうろだというのが発明である。そこで寝ると時間を越えるというか、それは夢を見るだけのような気もするけど、過去にも未来にも行けるという設定である。
(「二百年の子供」、舟越桂画)
 そんなバカなと言ったら話はおしまいで、ここに描かれる村の過去と未来の姿を考えるきっかけにすればいいんだろう。ここに登場するのは、「真木」「あかり」「」という三人組の子どもたちである。そして長男の真木には障がいがあるというから、つまりは大江一家と同じである。子どもたちをずいぶんフィクション化して作品に登場させてきた大江健三郎だが、これはそういう子どもたちへのプレゼントみたいな作品だろう。

 過去では村に起きた「逃散」(ちょうさん)の時期にタイムトラベルする。それって「万延元年のフットボール」などで描かれてきた時代じゃないか。その通りで、言ってみれば自分の子どもたちが自分の小説世界に入っていくという、ちょっと超絶的な発想である。そこではリーダーのメイスケさんが皆を連れて逃げるところだが、長老とは対立もある。子どもたちは傷ついていて、あかりは包帯を持って行って介抱する。

 それがタイムトラベル的に許されるのかなど議論しながらも、何とか可能になる。そしてメイスケには犬がいて、真木は「ベーコン」と名付ける。ベーコンを持って行くと大好物で食べるから。それから103年前のアメリカに行って、津田梅の留学の様子を垣間見る。今度は未来へ行こうとなって、2064年に行くことにする。なお、小説内の時間では現在が1984年になっている。それが「二百年の子供」という題名の理由。
 
 その未来はやはり「ディストピア」になっている。管理社会が完成している感じだが、一方ではそれに反抗する「根拠地」もあるらしい。そして、そもそも三人組が四国の森に来たのは、両親が外国へ行っているからだ。父親は精神的危機にあるらしく、果たして一家はちゃんと現実世界で再会できるんだろうか。そこでラストに弟があるものを見つけて解決する。ジュニア向け新聞小説だから、こんなに読みやすくていいのかと思いながら読むと、案外深い意味と小説的仕掛けがやはりあったのだった。
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「新しい人よ眼ざめよ」、障がい児と生きるー大江健三郎を読む⑤

2021年07月27日 22時12分52秒 | 本 (日本文学)
 先月に引き続き大江健三郎を読んでいる。書いてもほとんど読まれないんだけど、数ヶ月続けて読み切って自分の記録として書くつもり。新たに買ったり借りたりすることなく、溜まっているから読むと前に書いたけど、著作が多いので持ってない本も多かった。大江健三郎の中期作品はとても読みにくい本が多いが、その中で「障がい児と暮らす一家」、つまり大江健三郎一家がモデルかなと読者が思って読む作品群は比較的読みやすい。そういう作品を先に読もうかと思ったら、案外持ってなかったので買うことにした。
(「新しい人よ眼ざめよ」)
 1983年の「新しい人よ眼ざめよ」は講談社文庫と講談社文芸文庫の両方で入手可能。1982年から83年に掛けて書かれた7つの作品による連作短編集である。題名はイギリスの詩人・画家のウィリアム・ブレイク(1757~1827)の「預言詩」から取られている。だから英語表記では「Rouse up, O, Young men of the New Age !」になる。(ジョン・ネイスンによる訳がある。)中期の大江作品には外国作家の詩や小説が原語で引用され注釈がなされることが多い。ブレイクだけでなく、ダンテイェイツのときもある。

 ブレイクの引用が難解なんだけど、この作品はとても感動的な傑作だ。でも時々難しすぎると思う。そのブレイクをめぐる部分を抜いても作品は成立するだろう。そうすれば感動的な家族小説になると思うが、それでは浅い感じもする。ブレイクをめぐる部分があって、障がい児を抱える作家の生活が全体的に描かれるとも言える。ブレイクをめぐる話が必要なのは、この物語が「死と共生」をめぐる思索エッセイでもあるからだ。

 主人公「」には「イーヨー」という障がいを持つ長男がいる。これは間違いなく大江光(1963.6.13~)がモデルで、彼の下に長女、次男がいることも実際の一家と同様。また堀田善衛三島由紀夫武満徹山口昌男中村雄二郎などがイニシャルで出て来る。だから一読すると、家族エッセイみたいにも思えるけれど、実際には子どもの造形にはフィクション化がかなりなされているらしい。「イーヨー」(Eeyore)という名前は、特に70年代の作品によく使われたが、これはA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出て来る「ペシミストのロバ」から。実際にそう呼ばれていたのではなく、小説だけの呼び方らしい。
(大江光)
 作家の「僕」はヨーロッパやアジアなど世界を旅することが多い。その中で考えたことと障がい児「イーヨー」が幼児から大きくなりつつある現状をどう考えるかがリンクする。イーヨーは「死」を理解するか、イーヨーは「夢」を見るか。イーヨーが性的衝動を抱えて暴発することはありうるか。イーヨーは昔から鳥の鳴き声を聞きわけるなど音に対して敏感だった(「洪水はわが魂に及び」)。やがてラジオで毎日クラシックを聴くようになり、作曲の勉強もするようになる。(その後広く知られたように、大江光はCDを出して高く評価された。)

 イーヨーの作曲の才能を見込んで、軽井沢の施設からクリスマス会用の音楽を頼まれたりもするが、父の通うプールで溺れかけたりもする。また台風が来るというのにイーヨーが伊豆の別荘に行くと言い張り、結局父が一緒に行って台風さなかの別荘で過ごす(「蚤の幽霊」)。父のところに来る若い政治運動家に「誘拐」されて東京駅に放置されたり(「鎖につながれたる魂をして」)、イーヨーの日々は危機とドラマに満ちていた。

 そんな中で養護学校の「寄宿舎」に入る時期がやってきた。これは必須の「行事」だということだが、次に帰宅した時に「イーヨー」と呼び掛けても答えない。次男がもうあだ名でなく本名で呼んで欲しいんじゃないかと「光」と呼ぶと答える。こうして寄宿舎生活を経て「自立」していくのだった。それがブレイクの詩と連動して深い感動を与えることになる。エッセイだか小説だか判らないように進展して、最後に見事に着地する感じだ。

 この小説はいかにも大江的な世界だと思う。学者のような論考の奥に、作家が抱える幼少期からの深い悩みが見え隠れする。その一方で障がい児を抱えて行きていることで、様々な悩みや鬱屈を抱える。イーヨーは理解可能なんだろうか。と同時に、彼がいることで家族がまとまり、障がい児が周りを明るくすることもある。そういう暮らしが、相当に知識人世界に偏っていはいるけれど重層的に語られる。イーヨーは「自閉症」と考えられるが、「癲癇」(と思われる)の発作も時々起こす。障がい児と生きることをこれほど深く伝えた小説は世界でそれまで書かれなかった。読んでない人は一度、読んでいる人も折に触れ読んでみていい本だ。大佛次郎賞受賞。
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石井裕也監督「アジアの天使」

2021年07月26日 22時37分56秒 | 映画 (新作日本映画)
 石井裕也監督の「アジアの天使」という映画をやっている。石井監督は今年になって「茜色に焼かれる」という傑作があったばかり。まあ「アジアの天使」の方が先に撮影していたんじゃないかと思うけど、一人の監督の力作を続けて見られるのはうれしい。この映画は全編韓国ロケで作られた作品で、主要な撮影スタッフも韓国人がやっている。石井監督とパク・ジョンボム監督(「ムサン日記〜白い犬」)が2014年の釜山映画祭で知り合って、その関係でパク監督がプロデューサーを務め、出演もしている。

 「茜色に焼かれる」は主演を務めた尾野真千子が全体のバランスを崩すほどの異様な存在感を発揮していた。それがダメと言いたいのではなく、その力業が日本の現在に送るメッセージとして心に残るのである。この「アジアの天使」も設定や人物が日常的には理解不能なレベルで、何なんだろうと思いつつも魅惑されてしまうような映画だった。冒頭で日本から来た子連れの青木剛(池松壮亮)がタクシーを放り出される。混んでいるから後は歩いてくれと言うんだけど、言葉が判らないから事情も理解不能。彼は兄に会いに来ているのだが、目的地と思われるところに来ても兄はいなくて部屋には韓国人がいる。
(兄のオダギリジョーと弟の池松壮亮)
 後で判ってくるけれど、池松は妻を若くして亡くした売れない小説家である。兄(オダギリジョー)が韓国で成功しているからぜひ来いと言うから、絶望のあまり家もたたんで韓国に来たのである。韓国には仕事もあるというから来たのに、兄は怪しげな化粧品を売っているだけ。部屋にいた監督人は同僚だというが信用出来ない。兄を演じるオダギリジョーがまたいつものように「いい加減で頼りない」役柄を絶品で演じている。それにしても、幼い子どもを連れて韓国に来ちゃうというのに、言葉を全然勉強せずに来るなんて信じられない。

 ある日兄と商品の仕入れにショッピングセンターに出かけると、そこでは歌手が歌っているが誰も聞いていない。この歌手が元アイドルのチェ・ソル(チェ・ヒソ)で、そこからソル一家の物語も語られる。幼くして父母を失い、ソルは兄と妹を養うために芸能活動を続けていた。青木がソルの歌に魅せられている間に、兄と子どもが先に食事をしてしまう。そこで一人で食事をしに行くと、ソルも一人で食事に来る。青木が挨拶しても、言葉が判らないからバカにしてると思う。(チェ・ヒソは「金子文子と朴烈」の主演女優で、幼い頃に日本にいたこともあるから本当はこの程度の日本語は判っているはずだけど。)
(チェ・ヒソ演じるソル)
 兄の相棒は予想通り財産を持ち逃げして兄は一文無しになるが、東北部の江陵(カンヌン)に行けばワカメが手に入るという。電車で向かうと、そこには母の墓参りに出かけるソル一家も乗っていた。子どもを介して知り合いになって、ついトラックで一緒に墓探しに付いていく。ソルの兄は場所を知ってるというが、道に迷ってしまう。そんな時にソルが病気になってしまい…。筋の説明で長くなったが、こうして韓国の田舎を舞台にしたロード・ムーヴィーになっていくのである。そこが非常に魅力的で、キム・ジョンソンの撮影も見事だ。

 ソルの兄は途中まで歴史問題もあるし、日本人とそんなに仲良く出来ないなどと言っているが、そのうち言葉も判らぬながら魂の通う関係になる。母親の墓を守ってくれていた親戚に挨拶しようと出掛けていくと、韓国式の宴会が始まる。青木とソルも好い関係になるが、その時子どもが行方不明になる。みんなで探し回るが結局警察に保護されていた。それから朝まで海辺で過ごすと、皆がいろいろと思いがあふれてくる。それでも兄のオダギリジョーは最後までいい加減で、親戚一家の娘こそ運命の人だなどと言い出す始末。ここに出て来る人々は市井に生きる人々で、頭で考えた「日本人」「韓国人」ではない。

 石井監督の演出も韓国人俳優には最初は理解されなかったらしい。今まで組むことが多かった池松壮亮を主演に迎えて、石井作品の融通無碍な感じが出ている。段々韓国人側も石井監督のムードに慣れてきた感じがする。とにかく韓国の風景が僕には懐かしく、その独特な魅力はぜひ多くの人に見て欲しいと思う。観念的に思う時の韓国とは少し違う庶民の韓国がそこには描かれる。題名の「アジアの天使」とは何かというと、本当にアジアの天使が出て来るのには唖然。青木兄弟もソルも天使を見ていた。石井脚本の無理が韓国で生きている。
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温泉のあるクラシックホテルー日本の温泉⑦

2021年07月25日 22時53分44秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の夏は高温多湿で耐えがたいが、そんな時にヒマと金と車があれば(そして家に老人や障がい者がいなければ)、山の秘湯に行くと良い。箱根、軽井沢あたりでは結構暑いことがあるが、信州の山の上まで行くと涼しくてよく寝られる。そういう秘湯もそうだが、日本各地には「温泉旅館」がたくさんあって、そういう旅館では食事も美味しい和食を食べられる。でも夏休みに少し長く旅行しようなんて思うと、似たような料理続いて続いて食傷することにもなる。じゃあ、どうすればいいだろうか?

 日本各地には「ホテル」と付く宿泊施設も多い。洋室が中心で、レストランでは洋食を出すが、ルームチャージにして町に食べに出掛けることも出来る。基本的には大浴場はないけれど、探せばところどころに「温泉付きホテル」もあるのだ。そのことに気付いて、旅程には時々ホテルを入れるようになった。前に十勝平野のモール泉で書いた帯広北海道ホテルはその代表格。ホテルの方が気楽だし、、文化施設が多い町に泊まるのは楽しい。

 特に歴史があって格式が高いホテルを「クラシックホテル」と呼んでいる。クラシックホテルには決まった定義はないけれど、明治初期に出来たホテルや昭和初期に出来たホテルがある。どちらも外国人観光客を目当てに作られたもので、日本最古のホテルは1873年開業の日光金谷ホテル。しかし、ここは温泉がない。近くに日帰り温泉は多いので、温泉に行きたければそれを利用すればいい。続く1878年開業の箱根宮ノ下の富士屋ホテルは温泉がある。ただし思ったより大きくないが、部屋の風呂も温泉になっている。この二つのホテルは有名だし、外観も素晴らしいから関東在住なら一度はランチやデザートだけでも行く価値がある。
(箱根富士屋ホテル)
 軽井沢万平ホテル奈良ホテルも明治創業だが温泉ではない。昭和初期の横浜のホテルニューグランド、蒲郡の蒲郡クラシックホテルも同じ。日本は1940年の東京五輪を控えて、国際観光促進政策を取り全国に洋式ホテルを建設した。その時に作られた雲仙観光ホテル(1935年創業)はそうだけど、ここは行ったことがない。でも外観を見れば一度は訪れたいところだ。伊豆の川奈ホテルも行ったことがない。
(雲仙観光ホテル)
 じゃあ、どこへ行ってるのかというと、どっちも火災で一度焼失してるんだけど、その後再建された赤倉観光ホテル中禅寺金谷ホテルである。赤倉観光ホテルは1937年に創業したが、やはり国策で作られたので温泉権が優遇され掛け流しの温泉が素晴らしい。1965年に焼失し、翌年同じ外観で再建された。赤倉高原にそびえていて、真ん前がスキー場。夏は涼風を感じながらテラスでアフタヌーンティーを楽しめる。一度泊まって素晴らしかったので、もう一度行ったことがある。しかし、近年になってリニューアルされて、それまで以上に高級になってしまった感じ。でも夏になれば、ここのテラスに行きたくなる。フルーツケーキが絶品だ。
 (赤倉観光ホテルと温泉)
 奥日光の中禅寺金谷ホテルは、1940年に日光観光ホテルとして創業した。戦後に焼失し、金谷ホテルグループとして再建された。中禅寺湖ももうすぐ終わるあたりにあるが、木々が生い茂り湖は見えない。でも素晴らしく気持ちがいいところで、これが夏のリゾートホテルかと実感できる。湯元温泉から引いた温泉も整備されている。旧ボートハウスがあって、昔の奥日光が外交官などに愛されていた歴史が伝わる。前にある「ユーコン」というカフェだけ利用することも出来る。しかし、ちょっと高いけれど一度は泊まってみたい宿だと思う。
 (中禅寺金谷ホテルと温泉)
 何でクラシックホテルのことを書いたかというと、一つは「近代化遺産」として格式あるホテルは守って次世代につないでいく必要があると思うからだ。そして、ホテルガイドみたいな本には出ているけれど、温泉ガイドには全然載っていない。だから温泉ファンは知らなかったりする。また時には有名な格式高いホテルも経験しておくべきだし、子どもにも体験させておくべきだと思うからでもある。

 前に日光金谷ホテルのメインダイニングで、何だかワイン選びに苦労しているカップルを見たことがある。こういうところ初めてなんだな感がにじみ出ていた。カップルで泊りに行けるように、その前に親が箱根富士屋ホテルアップルパイを食べるとか、中禅寺金谷ホテル百年カレーを食べるとか、そういうのも大事かなと。そりゃあ、ちょっと高いです。でもレストランを利用するときにドレスコードなんかない。ネクタイをしろなどと言われない。温泉に行くときは浴衣も用意されている。超お金持ちじゃなくても、時にはちょっとリゾート感を味わえるのがクラシックホテルじゃないかと思うのである。
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「巨大イベント」時代の終わりー東京五輪④

2021年07月24日 22時01分10秒 | 社会(世の中の出来事)
 1964年の東京五輪開会式(10月10日)は本当に良く晴れていた。その日空に作られた「五輪の輪」は本当にキレイだった。小学生だった自分が今でも覚えているぐらいだ。2021年も自衛隊機が空に五輪を描くということだったけど、それはどうなったのか? 町へ出たけれど、誰も上を見上げてないから忘れていた。何しろ暑いのである。最近は日傘(というか、スノーピークの折りたたみ傘なんだけど)をしてるから、空が目に入らないのである。後でニュースを見たら、雲や風という気象条件から、結局はキレイな輪にならなかったという話だった。それは偶然だけど、何だか今回の五輪を象徴している気がする。
 (空の五輪、最初が2021年、後が1964年)
 「巨大イベント」というのは生活者にとっては迷惑なものである。それは1964年の五輪だって同じで、当時の人たちも五輪ばかり見て熱狂していたわけではない。まだ若かった小林信彦は東京を逃げ出したし、和田誠はオランダ選手団を乗せてきた飛行機の帰国便を利用してヨーロッパに出掛けた。若いアーティストをオランダに安価に招待するプログラムがあったのである。何も国民全員がテレビで女子バレーボール決勝を見ていたわけではなかった。あの時の「東洋の魔女」対ソ連戦の視聴率は66.8%である。つまり、国民の3人に1人は見てなかったのである。それでもこれが歴代視聴率の2位で、1位はその前年の1963年大みそかの紅白歌合戦81.4%になっている。

 紅白歌合戦の視聴率が高かった時代というのは、つまり「国民誰も知っている歌があった時代」である。レコード大賞受賞曲を見ても、大体70年代頃までは「皆が歌える歌」で、次第に判らなくなってくる。例外はあるけれど、21世紀になるとそもそも歌が皆で歌うものじゃなくなくなってくる感じだ。こうして「紅白歌合戦」の視聴率もガタッと落ちていく。それは下に示すグラフを見れば一目瞭然である。それはつまり、「国民が同じ目標を持っていた時代」=「高度成長期」が終わったということだ。
(紅白歌合戦の視聴率推移)
 そんなことは多くの人は判っていて、経済界は「多品種少量生産」、教育界も「個性化」などと20世紀のうちから言っていた。それなのに今でも「巨大イベント」をやりたがる政治家がいるのは何故だろうか。政治家側の事情は後で考えるが、それに賛同する経済界、官界の事情を先に考えてみたい。80年代後半の「バブル」と呼ばれた過熱景気の時代に、日本では各地方に多くの工場団地やリゾート建設が進められた。それが90年代後の「バブル崩壊」で一気に破綻して「塩漬け」されたままになっている。

 今回の東京五輪で新たに会場が建設されたベイエリア(湾岸)は広大な埋め立て地だが、なかなか開発が進まなかった。今回の五輪招致とは、要するにその土地を何とかしたいという都庁官僚と経済界の思惑ではないか。2025年に開催予定の大阪万博の主会場となる「夢洲」(ゆめしま)も同様である。国民こぞって熱狂する時代ではないことは判っているだろうが、国費を投入して「負の遺産」をなんとかしたいのだろう。中央区晴海の選手村は五輪後はマンションとなるが、大地震の時には液状化しないのだろうか。もっと遠くの埋め立て地に作ったスポーツ施設は今後「負の遺産」として長く残り続けるのではないか。

 そして巨大イベントを利用してナショナリズムをあおりたい政治家が出て来る。文化では国の威信というよりも「個人の名誉」が大きいので、特にスポーツが利用されやすい。スポーツ界は巨大ビジネスでもあり、政治、経済、マスコミなどとも深い関係を持っている。「スポーツで町おこし」というのは、芸術祭や音楽祭より地域住民に受け入れられやすい。今後も折に触れ、スポーツを利用した巨大イベントを仕掛ける人が出て来る。「気をつけよう 甘い言葉と暗い道」と言うしかない。それが日本人の身に沁みれば、東京五輪にも歴史的価値があるわけだが、まあ恐らく日本人は変わらないだろう。
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日本の人権状況を世界に知らせたー東京五輪③

2021年07月22日 22時43分08秒 | 社会(世の中の出来事)
 2回目に「人権センサー」の感度が高い人は東京五輪を避けると書いた。同じことを続けて書くのも何だけど、開会式前日にまた問題が発覚したのにはさすがに驚いた。まだ、いたのか。森喜朗氏が「そういう人」だというのは知っていたが、他にもいろんな人がいるもんだ。今回は小林賢太郎という人で、何でも90年代に「ユダヤ人虐殺ごっこ」というコントを作っていたという。ネット時代になって、過去の問題がいつまでも残り続けることになった。それは行き過ぎると過剰なバッシングになってしまうが、小山田氏の問題もそうだったが本人が今につながる仕事をしていた中で自分で発信したメッセージである。
(小林氏解任問題を伝えるニュース)
 何だか東京に五輪が来て良かったなあという気になってきた。日本の人権状況を世界中に知らしめた「大功績」があるじゃないか。これを過去の発言がいつまでも蒸し返される時代は怖いなんてレベルで受けとめてはいけない。「人権感覚」のコードは時代によって変わってくる。「差別はいけない」は変わらないが、「何が差別か」は変わってくる。だから昔の本を復刊するときに、「著者には差別に意図がなかったため」と断り書きが書いてあったりする。そうなんだけど、いつになっても大問題になってしまう問題がある。小林氏の問題はそこに触れてしまっていた。ただし、何度も「ナチスに学べ」的な発言をしている麻生副首相がいつまでも在任している国である。そっちはいいのかという気もする。

 この問題に関して、「昔のことだから」「日本は国際問題に詳しくない」という人もいる。五輪じゃなければ、そういうリクツも通るかもしれない。しかし、何らかの「表現」に関わる人にとって、「ホロコーストを知らなかった」は全くあり得ない。それまでの学校教育で何度も触れてきたはずである。問題を知っていたからこそ、「ユダヤ人虐殺」がコントになるのである。日本ではある時代まで、弱いものをいじるような笑いが平気でテレビで放送されていた。そういうのに慣れてしまうと、障がい者や同性愛者をからかうようなネタを作りがちだ。

 だが、1994年に映画「シンドラーのリスト」が公開され大きな反響を呼んだ。関連の記事も多かったから、知らないはずがない。そして1995年花田紀凱(はなだ・かずよし)が編集長を務めていた文藝春秋社の雑誌「マルコポーロ」で事件が起きた。ホロコーストを否定する「論文」を掲載し、サイモン・ウィーゼンタール・センターから講義を受けて「マルコポーロ」が廃刊になったのである。90年半ばはそういう事情があって、ホロコーストへの理解が深まった時代だった。そしてホロコースト否認が法律で犯罪とされるような世界の状況も知られるようになった。それは一お笑い芸人であっても、知っていなければならない問題だったと思う。
(花田紀凱氏)
 僕はその花田氏の現状も問わなければいけないと思う。花田氏は翌年に文春を退社、朝日新聞社や角川書店を経て、「WILL」(ワック・マガジン社)編集長となった。そして2016年からは飛鳥新社で「月刊Hanada」を出している。この雑誌こそ、8月号で安倍晋三・櫻井よしこの対談を掲載した雑誌である。安倍氏はそこで「共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました」と「五輪反対」は「反日」という訳の判らない「レッテル貼り」発言を行った。
(「月刊Hanada」8月号)
 「偏向レンズ」で世の中を見るとこう見えるという「歴史的発言」だろう。しかし、僕は安倍氏の発言を取り上げたいわけではない。なんでいつまでも花田氏が極右的雑誌を出していられるのかを問いたいのである。そのような日本の状況こそ、一番先に問われるべきものではないか。もちろん僕は花田氏が一切雑誌業界に関わってはいけないなどとは言わない。だが同じような暴言を繰り返すような雑誌を出せるというのが理解出来ない。世界の人権状況を日本に紹介するような雑誌なら歓迎である。売れるかどうかの問題ではない。そうではなく、結局同じ路線で「売れ線」狙いである。しかも前任の「WILL」とそっくりの表紙で、抗議を受けている。こういう雑誌が作られて売られているという状況を見れば、日本ではホロコースト否認論に関わっても大したことはないんだというメッセージになる。僕は小林氏以上に麻生氏や花田氏が日本の大問題だと思う。
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石原知事と安倍首相、問題続出のキーパーソンー東京五輪②

2021年07月21日 23時17分44秒 | 社会(世の中の出来事)
 そう言えばと思うんだけど、2020年の前に東京は2016年五輪にも立候補していたことをどれだけの人が覚えているだろうか。新型コロナウイルスのパンデミックは誰にも予測出来ないことではあったけど、東京五輪の問題点は招致運動の中に潜んでいたと思う。今までに日本の都市は夏季五輪に計7回立候補している。東京も5回立候補していて、1940年は一発で招致決定。(日中戦争激化で返上、代わってヘルシンキが開催を目指したが第二次世界大戦勃発で中止。)ついで、1960年大会に立候補するも、1955年にローマに敗れた。続いて1964年大会に立候補し、1959年にデトロイト、ウィーン、ブリュッセルを破って東京に決定した。

 他都市のことは後で触れるとして、東京が4回目に立候補したのは2016年大会だった。立候補に至る経過を後回しにして、決定経過を振り返る。2009年10月にコペンハーゲンで開かれたIOC総会で開催都市が決定された。最終候補はリオデジャネイロマドリード東京シカゴだった。東京都知事はその時点で石原慎太郎、首相は政権交代したばかりの民主党内閣の鳩山由紀夫。アメリカからはオバマ大統領もやってきたが、結局シカゴは第一回投票で最下位で落選した。1回目のトップはマドリードの28票、リオは26票だった。東京は22票、シカゴは18票。第2回投票で東京は20票と票を減らして落選。リオは46票でトップになった。その勢いのまま、第3回投票でリオが66票、マドリードが32票でリオデジャネイロに決定した
 (2009年総会の石原知事と鳩山首相)
 2020年大会決定時(2013年)の映像は何度もニュースに出てくるが、この2009年の落選のことは忘れている人が結構多いのではないだろうか。そして東京都は2020年にも再度立候補することを決めた。何のためにオリンピックをやるのかという問題はあるが、1964年の時も2回続けて立候補して招致に成功したことを思い出せば、続けて立候補するという戦術もあるだろう。しかし、2009年と2013年の間に「2011年3月11日」があった。

 僕はこの時点で2020年招致を辞退するべきだったと思っている。東日本大震災福島第一原発事故。確かに今から見て、コロナ禍がなければ2020年の東京で開催出来たかもしれない。だが、2011年、2012年段階では先のことは見通せなかった。とにかく膨大な復興予算が必要なことは予想出来たのだから、2024年なり、2028年なりに招致を延期するのが常識ではないだろうか。現に2026年冬季五輪招致を目指していた札幌は、2015年に発生した北海道胆振東部地震の発生によって2030年大会招致への延長を決めている。それに対して東京五輪の場合は、「復興五輪」などと取って付けたようなお題目を掲げて、被災者を利用するような招致活動になった。

 ところで、そもそもいつ五輪招致が始まったのか。それは2005年にJOC竹田会長が年頭に日本招致を目指すといったことにある。それに対し、東京福岡が名乗りを上げたのである。もうみんな忘れているだろうが、初めは「東京か福岡か」問題があったのである。両都市で招致競争が行われ、日本の立候補都市を東京に絞ると決まったのは、2006年8月30日だった。この時自分は東京都の職員だったわけだが、何また石原知事が出来もしないことをぶち上げたのか、実に迷惑極まりないと思っていた。2008年五輪が北京だったのだから、間にロンドンをはさんでまた東アジアになるとは思えないじゃないか。

 じゃあ、石原都知事はなんで五輪招致を言い出したのだろうか。石原知事は1999年に初当選し、2003年に圧倒的な得票で再選されていた。一番勢いがあった時代で、恐らくは「国政復帰」を見据え、「国威発揚」を目指したのだと思う。そう発言していたわけではなく、もっとタテマエ的なことも言っていたと思うけど、バブル崩壊以後長く沈滞する日本社会に対し活を入れるのは自分しかいないというような「俺様」的発想だと受けとめていた。その時点で「強権的教育行政」に多くの教員はウンザリしていた。この上東京五輪なんてなったら難題がまたまた降り積もるに決まっている。幹部教員ほど止めてくれみたいな感じだった。

 このように「東京における五輪問題」は、実にもう16年も続いているのである。そして2009年には自民、公明、民主(当時)の三党を中心に、「東京五輪招致支援の国会決議」が行われた。石原知事は2003年の選挙では五輪招致を訴えていない。その後の2007年の知事選では五輪反対の候補もあったが大きな声にはならなかった。2011年の知事選では石原知事が4選されたが、1年半で辞職して衆議院選挙に出て国政に復帰した。以後の知事選は猪瀬直樹舛添要一小池百合子は五輪開催を前提にし、対立候補(宇都宮健児ら)は予算の見直しは訴えたが開催自体の可否は問わなかった。つまり、都民は五輪開催賛成知事を選び続けてきたので、その責任がある。

 先に書いたように僕は大震災を受けて五輪招致を断念、もしくは少なくとも延期するべきだったと思っているが、現実には2011年の石原知事4選以後に再度の立候補が固まっていった。その間に実は「広島・長崎共催構想」や「広島単独開催構想」もあったのだが、実現しなかった。当時の民主党内閣(野田佳彦内閣)はあまり関与せず、むしろJOC竹田会長と石原知事、森喜朗元首相ラインで東京招致が進んだ。2012年12月に第2次安倍内閣が発足すると、「安倍内閣として全力を挙げる」と表明した。そして2013年の招致に成功した。このように「東京五輪」は良くも悪くも「石原慎太郎」「安倍晋三」がキーパーソンなのである。

 安倍首相がなんで東京五輪に一生懸命だったのか。それは単なる「国威発揚」に止まらず、東京五輪が開催される2020年には「憲法改正」を実現したい、それも自分の手によって、ということだろう。そのためには1期2年、2回までという「自民党総裁規定」を変えなければいけない。そこで「1期3年、3回まで、現職から適用」と党則を変えた。これで、2012年に就任した自民党総裁を2015年まで務め、引き続き2018年の総裁選にも立候補が可能になった。そこでも当選し、安倍総裁は2021年9月までとなった。これが「東京五輪の1年延期」の真因だろう。結局、東京五輪は憲法改正に向けたナショナリズム高揚の手段に位置づけられたわけである。

 東京五輪には何でゴタゴタが付きまとうのか。それは「石原」「安倍」「」などが呼んできたものに対して、人権感覚がまともな人は関わりたくないということに尽きると思う。偶然に起きたことではなく、この人脈で実施する五輪に関われば大迷惑を被るに決まってるではないか。ということで避けるべき人は避けていて、避けない人に話が行くと過去に問題があったりする。大体森喜朗氏が組織委員会会長だったのだから、関わる方がおかしい。まあ、そういうことだろう。
(名古屋五輪招致委員会) (大阪大会ポスター)
 ちなみに東京以外の夏季五輪立候補都市は、1988年の名古屋2008年の大阪である。覚えてる人は当該都市の人以外はほぼいないだろう。1988年にはソウル52対名古屋27と大敗。2008年には5都市の中で、大阪は1回目投票で最下位で落選した。北京44,トロント20、イスタンブール17、パリ15、大阪6だった。恐らくJOCとしては、この結果をみて首都東京でないと招致実現が難しいと判断したのだろう。
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「無観客五輪」と「偽善」の応酬ー東京五輪①

2021年07月20日 23時38分43秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京五輪の開会式(23日)が近づいてきた。最近ずっと五輪について書いてなかったけれど、ここで何回か「招致」に遡りながら考えてみたい。僕は開会式には何の関心もないけれど、それにしても最後までゴタゴタが付きまとったのには驚いた。小山田圭吾という人のことは全然知らなかったから、「いじめ告白」という記事を読んで、昔はこれが印刷できたんだと驚いた。僕は小山田氏問題と関係なく「開会式を止めればいい」と思う。五輪が(東京を初めほとんどの地域で)無観客になり、聖火リレーも道を走らなかった。「これでは単なる競技会だ」と言った人がいたが、オリンピックはもともと「世界最大の競技会」に過ぎないではないか。

 最初に書いておくけど、僕は五輪の中止を求める立場ではない。まあ著名な人物が自分の考えの表明として「五輪には最後まで反対する」と言うのには意味もあるだろう。しかし、五輪反対電子署名運動を行っても、五輪が中止にはならないことは「リアル・ポリティックス」の観点からは自明のことだ。それを判っていて「だけど署名運動をやる」というならいいけれど、本当に中止できると思わせたなら問題だ。僕はどうせ「無観客開催」だろうと思っていたから、こんなところだろうと思っている。
(バッハIOC会長の歓迎会)
 IOCのバッハ会長の歓迎会を迎賓館でやったのは驚いた。飲食なしの「サロン・コンサート」だったと言うけど、ならばますます開催の意義を見出せない。「迎賓館」が特に重大というのもおかしいが、これでは「国賓待遇」に近いではないか。まあ、そういう会をやる感覚も判らないんだけど、それと同時に「反対デモ」をするのも僕には判らない。いや、デモはどんなときにも認められるべき基本的人権である。それを前提にして言うが、「コロナ禍」を理由に五輪中止を求める人が街頭で「密」を作るのはどうなのと僕は思うわけである。開会式当日もデモの呼びかけがあるらしいが、人流を抑えるべき時に「リアル反対運動」もどうなんだろうか。
(歓迎会反対デモ)
 オリンピックのような大イヴェントは、どうしても「タテマエ」が前面に出やすい。招致した東京都・日本政府が「復興五輪」「アンダー・コントロール」と言ってたわけで、これは誰がどう見ても「ウソ」と「偽善」である。それを受けてしまうのかどうか、「反対派」もどうも理解出来ない。朝日新聞社は5月26日に付で「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」という社説を掲載した。それはそれで今読んでも重要なことが書いてあるけど、でもなあと思わないだろうか。五輪はダメなのに、何で夏の高校野球はいいのだろうか。五輪中止を政府に求めるなら、まず甲子園大会を中止にすべきではないのだろうか。

 プロ野球もJリーグも大相撲も「有観客」で開催されていた。五輪以前に東京の感染は相当のスピードで拡大している。しかし、野球のオールスターゲームも大相撲の千秋楽も観客がいるし、ディズニーランドも客数を減らしながら開場している。そっちの方には反対運動をしないのだろうか。「五輪は特別なのか」と言う人がいるが、実は反対運動の側も「五輪は特別」と思っているのではないだろうか。そうじゃないと、このようなダブル・スタンダードにはならない。東京は「緊急事態」でも「ロックダウン」はしていない。東京の感染者数を見れば、全国から五輪観戦に東京に人が集まるのは無謀だろうが、「無観客」ならば許容範囲なのではないか。

 その理由はいくつかあるが、誰もあまり言わないから最初に「おカネ」のことを書いておく。無観客で五輪は相当の赤字になるらしい。さらに中止になれば、テレビの放映権料がなくなるから、膨大な赤字になるのは確実だ。その赤字分は誰が負担するのか。契約上の問題は知らないが、もちろんIOCも相応の負担をするべきである。だが日本側の負担がゼロということはないに決まってる。その場合、無観客の決断は菅首相がしたと思うが、招致を言い出したのは東京である。もし反対派に都民以外がいたならば、赤字分は全額国庫負担にして増税してもいいと言って欲しい。でも多分、「東京は金持ちだから東京が負担すればいい」と腹で思いつつ「人命と金は引き換えに出来ない」と「正論」を言うんだろうな。

 もう一つ、スポーツも文化である。ゴルフやテニスや男子サッカーのように、世界最高の大会が五輪じゃない競技は僕にはどうでもいい。しかし、五輪こそが最高の名誉となっている、日本ではあまり盛んではないマイナー競技もいっぱいある。今後東京大会の赤字によって、JOCからの補助が減らされ存続の危機に陥る競技が出て来るだろうと思う。僕は寄席ミニシアターライブハウスがなくなって欲しくないのと同じように、そのようなマイナー競技に頑張っている人に参加の場を与えて欲しいのである。去年の高校野球、インターハイ、全国総文祭はいずれも集まっての開催は実施されなかった。人生に一回の機会を奪われた人もいただろう。五輪の場合は、全世界に4年に一度の機会のために努力を重ねている選手がたくさんいる。出来るだけ開催して欲しいなと思う。

 他に幾つもあるだろうが、最後に「人流抑制効果」である。東京の感染者の年齢別内訳を見てみると(東京都のサイトに出ている)、ほぼ高齢世代の感染者はいない。これはワクチン効果が出ているとしか考えられない。現在は若い世代(20代、30代)が多いのは間違いない。この世代は元気で活動性が高いから、夏休みにいろいろと出掛けるだろう。オリンピックをやってて、そこで同世代が活躍しているとなれば、家でテレビを見ようという人が出て来る。間違いなく「無観客開催」がそれ以外の場合に比べて「若い世代のステイホーム効果」が一番高いと僕は思うんだけど、違うだろうか。

 「オリンピックだから国民こぞって応援して盛り上がろう」というのは、僕にはうっとうしくて嫌である。競技を見るのは好きだが、開会式なんかどこの五輪でも見たことがない。ヴァラエティ番組と同じく、僕には時間のムダ。でもだからといって「今回の五輪は納得できないから、見る気はない」みたいな言い方も嫌だなと思う。見たい人は見ていいんだし、逆方向の抑圧的な言動もやめたいと思う。世の中には結構スポーツ観戦に関心がない人も多い。野球やサッカーなどはルールを知らない人も多いし。でも見れば面白い競技は多いし、少しは見る方が自然でしょ。(しかし、自国開催だからこそ、時間的に見にくいのが困る。)招致の問題は次回に。
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4度目の緊急宣言を考えるー憲法と歴史認識がなぜ大切なのか

2021年07月19日 22時03分20秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 東京都に12日から4回目の緊急事態宣言が出されている。じゃあ、どれだけ緊迫しているかと思うかもしれないが、実はもう多くの人は気にしていない感じがする。テレワークは少なくなったのか、電車も混んでいる。むしろ宣言前より混んでるかもしれない。都民の多くも「慣れた」というより、「緊急事態と感じていない」のではないか。今回に関しては、病床の逼迫度など「緊急事態宣言」の水準に達してなかった。しかし、明らかに感染者は増加していたから、今後さらに大幅に増加する可能性はある。しかし、年末にはもっと多かったことを覚えている。

 要するに「こういうレベルになると緊急事態宣言を出す」という判断基準が時々によって違うのである。そして出すたびに「これを最後にする」と言って、次にまた出しても「変異株」が現れたからだとする。まあ、今回は実は記者会見を見てないので何を言ったか知らないんだけど。今まで見た感じで言えば、言質を取られないような一般論を繰り返すし、責任をもって取り組み感じを受けないことが多かった。今回はなんでも、挙手してる人を当てずにしてない人を当てたとか。ホントかどうか知らないけど。

 このような菅内閣に対して各マスコミの世論調査で支持率が下がり続けている。直近の調査では3割を切るか、ギリギリ3割程度まで下がった。それも当然かと思うが、では就任当初の「ご祝儀相場」はなんだったのだろうか。安倍政権復活以後、8年にわたって毎日記者会見をしていた菅官房長官だったが、首相になると「この人誰?」という人が結構したのでビックリした。「たたき上げ」などと言って持ち上げる人まであった。しかし、菅氏の記者会見を少しでも覚えていたら、「こういう人だ」というのは容易に予想出来たはずだと思う。
(今までの3回の緊急事態宣言)
 もう今までの3回の緊急事態宣言の詳しいことも忘れている。比較している画像があったので上に載せておきたい。2回目は「飲食店を中心にしたピンポイント」と言って、3回目は「ゴールデンウィークを中心に短期」と言ってた。だが、いずれも解除する時期には感染者数が増加に転じていた。その結果、3回目、4回目の緊急事態がすぐに必要になったわけである。僕はそれを「同じような間違いを何故繰り返すんだろう」と思ったし、「整合性なきコロナ対策の末に」という記事も書いた。だけど、今ちょっと考えを変えている。

 僕は1月に「急がば回れー菅首相は「学術会議」と「桜を見る会」を解決せよ」を書いた。コロナ対策で国民の信用を得るためには、まずコロナ以前に「学術会議問題」と「桜を見る会問題」にきちんと向き合って解決しないといけないと論じた。特に「学術会議問題」は専門家の声は自分に都合のいいときしか聞かないと宣言したようなものだった。そういうことを説明なく強権的に進める政権が、科学的な整合性を持ったウイルス対策を進められるはずもなかったのである。今になってみれば、そういうことだと思う。

 さらにさかのぼって考えてみれば、安倍政権の目玉政策は「整合性」などないようなものだった。特に「集団的自衛権の一部解禁」を行った2015年の安保法制。現在では(日米安保条約のある)アメリカ軍だけでなく、オーストラリア軍やイギリス軍の警護まで「自衛隊」が担当している。もはやそういうニュースも大きく報道されない。慣らされてしまって、ニュース価値がないのである。しかし、いくら何でも「集団的自衛権」が憲法上認められるとは思えない。このとんでもない「(憲法に対する)整合性なき政策」を考えてみれば、コロナ対策で何回も緊急事態宣言を出すなんて驚くような物じゃなかった。

 何度も同じような間違いを繰り返すというのも、自民党議員が「歴史認識」や「性的マイノリティ」問題などで「暴言」を繰り返していることを思い出せば全然ビックリすることではない。そこら辺から考え直さない限り、日本人は同じような総理大臣ばかり持つことになる。結局日本国民がそういう内閣を作り出しているんだということを自覚しないといけない。それこそがパンデミックから学ぶべきことだ。
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死刑廃止へ向かうアメリカー日本も死刑モラトリアムを

2021年07月18日 21時01分00秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 書く機会を逸してきたテーマの一つに「アメリカの死刑状況」がある。アメリカでは各州ごとに裁判が行われ死刑も行われてきたが、近年になって死刑制度を廃止する州が増えてきた。他に連邦政府連邦軍にも独自の死刑制度があり、トランプ政権は2020年に17年ぶりに連邦での死刑執行を再開した。政権末期、それも政権交代が決まった後にも異例の死刑執行を行った。連邦での死刑執行は13人(2020年には10人)にも及び、例年最多執行を行うことが多いテキサス州(2020年は3人)を追い抜いて全米最多となった。

 それに対し、バイデン政権では死刑廃止を公約していたが、7月1日になってガーランド司法長官が連邦による死刑執行を停止し、死刑政策や執行方法を検証すると発表した。ハリス副大統領はカリフォルニア州の検事出身だが、検事への立候補の際にも死刑反対を公約にしていた。バイデン氏も死刑制度を人権問題ととらえていて、今回の司法長官の決定でも「死刑の恣意的な適用や有色人種への影響について深刻な懸念がある」としている。
(アメリカ各州の死刑状況=ウィキペディア)
 画像にある色は、=死刑廃止州、=死刑を執行しないことを公約している州、=制度上はあるが10年以上執行していない州、=死刑制度があるものの特別な事情がある州、=死刑存置州

 全米50州のうち、現在23州が廃止州になっていて、27州が存置州になっている。ただし、ワシントンD.C.5自治州(プエルトリコ、グアム、北マリアナ諸島等)も廃止している。また存置州の中でも、カリフォルニア、カンザス、ペンシルバニア、ワシントンなど10州が過去10年間執行をしていない。死刑執行停止が長くなっている国はアムネスティでは「事実上の廃止国」というカテゴリーに入れているが、アメリカの州でも10州はそれに近い。2020年にはアラバマ、ジョージア、ミズーリ、テネシー、テキサス各州と連邦で死刑が執行された。このように今でも執行を続けているのは数州に止まるのが現状だ。
(アメリカで死刑廃止を訴える人々)
 今挙げた昨年執行があった州はいずれも南部に所属している。ところが今年3月25日にバージニア州で南部初の死刑廃止が実現した。バージニアは地図を見れば「東部」という感じだが、南北戦争で「南部連合」に加わった州である。バージニア州のノーサム知事は、「20世紀中に同州で処刑された377人のうち296人が黒人だった」と指摘している。米民間団体「死刑情報センター」によると、昨年10月時点で全米の死刑囚の41.6%が黒人で、人口比の約13%を大幅に上回っているという。死刑に関して人種的偏見があることが統計上指摘されている。

 アメリカでは犯罪が多く、世論には「死刑存置」が強い。カリフォルニアでは毎回のように死刑廃止を掲げた住民投票が行われるが、いずれも否決されている。これは全世界的にある程度共通していて、世論で廃止が多くなって廃止された国はないと思う。それよりも政治家が責任を持って廃止に向かった国が多い。それは死刑制度を「人権問題」ととらえるからである。バイデン政権で連邦での死刑執行がなくなり、全米的な死刑廃止の機運も盛り上がっている。ただし、連邦での死刑廃止法成立を目指すと言いながらも、議会で圧倒的な多数を持っているわけではないので難しい状況にある。

 これでG7の中で、死刑を明確に存置する国は日本だけとなった。G20を見ても、中国、インド、インドネシア、サウジアラビアなどアジア諸国しか死刑執行がない。この現実に対して、日本では議論すら起きない。日弁連はかつて「東京五輪までに死刑廃止」を掲げていたが、もともと無理だった。しかし、日本でも2019年12月26日に中国籍の死刑囚が執行されて以来、1年半にわたって死刑執行が止まっている。これは議論があって止まっているのではなく、コロナ禍が最大の原因だろう。また東京五輪や検察官定年延長問題、河井元法相による大規模贈賄事件なども背景にあると思う。執行を命じる法務大臣がスキャンダルを起こしていては、死刑どころではない。

 それにしても、死刑を執行するときは検察官や医官、拘置所当局者と刑務官など多数が関わることになる。死刑執行だからといって、数多くの人が集合することは批判されかねない。またよく刑務官も当日は手当で酒場へ行って飲んで忘れるなどと言うが、街に飲み屋が開いてないような時に執行するのもためらわれるのかもしれない。しかし、これはいい機会ではないか。日本でも死刑執行のモラトリアム(一時的停止期間)とし、皆で議論をした方がいい。

 「人種」で明確化されないだけで、日本でも貧困、低学歴、障がい者に死刑が多いはずだし、再審制度が厳しすぎるから認められていないだけで無実の死刑執行もあったはずだ。それに日本では「死刑になりたい」という理由の犯罪が多いというおかしなことになっている。「無期刑」が事実上の「終身刑」になっている感じだが、それならはっきりと「終身刑」を設けて「死刑」を止める方がいいという意見もある。世界では圧倒的に廃止国を多くなっているのだから、日本人もよくよく考える必要がある。
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ワクチン不足は風評じゃないーワクチンをめぐる諸問題

2021年07月17日 20時40分33秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 日本では気候の話題で会話が始まるが、今年の春はもう一つ「ワクチンどうなった?」という会話から始まることも多かった。僕の周りは高齢者ばかりだから、問題は「予約は取れたのか」である。今日は関東でも梅雨が明け、猛暑がやってきた。そんな日の夕方に母親のワクチン接種に付き添って近所の病院に行ってきた。実は僕と妻はもうすでに2回目まで終わっている。それなのに一番高齢の母親が初めてというのは、「打たなくていい」と言い張っていたからである。それならそれで自分の選択だと思うけど、今度は何が理由か知らないけど「打ちたい」と言い出した。まあ、いつもそういうことが多いので驚くことではない。

 調べてみると、集団接種だけじゃなく、いろいろな病院で「個別接種」も始まっている。前に行った整形外科でも始まるというので、そこで受ける予約を何とか取ったのだった。まあ細かく書いても仕方ないけれど、出掛けたあとに最寄り駅からタクシーで家まで行って、そこからクリニックへ。本人確認書類がどうだとか様々な問題があったが、そこでは普通の病室に呼ばれて、事前のやり取りがあって、ワクチンを打つ。自分の時は前を向いて上腕に打つから接種の瞬間を見られない。医療関係者じゃないと、なかなか見たことがないと思う。そうか、こうやって打ってるのかと思ったが、別に普通の注射と同じなんだけど。

 今回思ったのは、高齢者や障害者などにとっては「知ってる病院」で接種することのありがたさである。ちゃんとそこに勤めている医者が病状を確認できるし、診療室で打って貰える。その後15分待つというのも、冷房の効いた待合室の椅子でテレビを見ながら待ってられる。(タイマーも貸してくれる。)「かかりつけ医」の「個別接種」の方が恵まれている。猛暑の行き帰りで、自分が打ったわけでもないのに、というか自分の時以上に疲れてしまった。(ということで、昨日はブログを書く気力が残ってなかった。)
(政府のワクチン供給計画)
 最近「ワクチン不足」という声を聞くことが多い。しかし、自民党の下村博文政調会長は13日の党会合で、新型コロナウイルスワクチンに関し、「足らないという風評が広がっている」と述べた。この発言はあまり問題になっていないが、僕は許せない発言だと思う。「かかりつけ医」の接種予約がどんどん停止され、すでに予約した人も取り消されている。実は母親の予約も取り消しになってしまった。なんとか策を講じているが、とにかくワクチンが入ってこないんだという。

 モデルナを使う「職域接種」だけではなく、ファイザーを使う「個別接種」が困っている。問題はこのワクチンは2回打たないといけないことだ。1回だけなら、とにかく待っていればいいけれど、1回打った後で2回目が取り消される「2回目難民」なんて言葉もあるらしい。これは非常に困る。今回のワクチン接種は自治体ごとにやり方がかなり違っている。「個別接種」を中心に進めたところほど困っているらしい。僕もいくつかのケースを聞いている。問題はそれが何故起こったのかがよく判らないし、じゃあどうすればいいかが判らないことだ。身近にパソコン、スマホを使える人がいなければ本当に困ってしまうだろう。

 「大規模接種」や「職域接種」は「モデルナ」を使用するが、モデルナの場合は供給が減ったということもあるらしい。「職域接種」が思った以上に申し込みが多かったと言われるが、突然受付中止になったことは都議会選挙にも影響したらしい。ファイザーは地域で使用するから、モデルナ使用分が余るはずで、下村氏は「6月までの供給量と接種実績を差し引きすると、4200万回分が市町村にプールされている」としている。
(ファイザーのワクチン)
 しかし、現実には各病院への供給がストップしている。河野大臣が各ニュース番組にハシゴ出演して、各自治体の接種が思った以上に進展してワクチンが足りていないようなことを言っていたと思うが、その場合「予約分」がなくなるのが理解出来ない。このワクチンは2回接種で、最初の予約時に2回の日時を決める。その分のワクチンを確保出来る見通しがあって、予約を受け付けたはずだと思うが。やはり国会を延長せず閉会したのが間違いで、多くのことに政府が情報を的確に公開していない感じがする。

 自分自身に関しては、1回目は打った部分がかなり痛くなったが、すぐになくなって、2回目は発熱も少ししかなかった。(妻の場合は僕より発熱があった。)しかし、それは個別ケースの例なので一般化出来ないから、特に書く気はしなかった。世界中で多くの人が接種しているんだから、そんなに多くの重大事例が起きるはずがないが、どんなワクチンでも一部の重大ケースは生じる。今までのすべてのワクチンが同じだと思う。今回は「メッセンジャーRNA」という仕組みで作られている。現在ほとんどのワクチンで行われている「不活化ワクチン」と比べて、病原体を直接入れるわけではない。それでどうだこうだの判断は僕には出来ないけれど。

 インフルエンザは特効薬が存在する上、流行するタイプが異なるとあまり接種の意味がない。一方、新型コロナウイルスに関しては、現時点で認められた特効薬がない。さらにコロナ禍で多くの産業、文化、教育などに大きな影響が生じて困っている。その事を考えれば、アレルギー等で打てないという人の意思は尊重しながらも、可能な限り多くの人がワクチンを接種するべきだと思う。どの国も「7割の壁」があるというが。変異株はワクチンを接種しても感染する場合がある。(北海道の帯広で医療従事者のクラスターが起こった。)それにしても、ファイザー製ワクチンが変異株にも8割程度の有効性を持っていると言われている。これは相当に高いので、多くの人がワクチンを接種することが有効だと考えている。
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映画「宮本から君へ」から君へー助成金不交付訴訟、勝訴から控訴審へ

2021年07月15日 22時50分07秒 | 社会(世の中の出来事)
 ちょっと前の話になるが、「宮本から君へ」訴訟の判決について書いておきたい。2019年の映画「宮本から君へ」(真利子哲也監督)は傑作だった。僕もここで「映画「宮本から君へ」、異様な熱量」(2019.10.12)を書いた。その年の僕のベストワンの映画である。しかし2019年3月に、登場人物の一人を演じたピエール瀧が麻薬取締法違反で逮捕され、その後有罪となった。公開前なので取り直すことも絶対に出来ないわきではなかったが、結局ピエール瀧出演シーンをそのままにして秋に公開されたわけである。

 ところで、その問題を理由にして、助成金交付を決めていた「日本芸術文化振興会」(芸文振)が不交付を決めた。それに対し映画製作会社スターサンズ決定の取り消しを求める行政訴訟を起こしたのである。その一審判決が2021年6月21日に出されたが、不交付は違法であり、「公益性」を理由にした判断は「裁量権を逸脱または乱用した処分だ」というものだった。しかし、この判決に対して芸文振は控訴したので、今後も東京高裁を舞台に裁判はまだ続く。非常に大切な問題だと思うので、ちょっと時間が経ってしまったが書いておきたい。
(勝訴判決を受けた記者会見)
 映画会社スターサンズは映画プロデューサーの河村光庸(かわむら・みつのぶ)が設立した設立した会社である。河村は当初は個性的な外国映画の配給で成功し、2010年代以後「かぞくのくに」「あゝ、荒野」「愛しのアイリーン」「新聞記者」などを作った。その後も「i-新聞記者ドキュメント-」「MOTHER マザー」を作り、今年には「ヤクザと家族 The Family」「茜色に焼かれる」がある。そしてもうすぐ菅首相を取り上げた「パンケーキを毒見する」が公開される。ちょっと他社が取り上げない重厚作品が多く、さらに安倍政権・菅政権に批判的な映画を堂々と製作している。「忖度なし」度ナンバーワンの会社なのである。2019年当時は安倍政権批判と受け取られる「新聞記者」が評判となっていたので、狙い撃ちされたという説まであるぐらいだ。
(映画「宮本から君へ」)
 「狙い撃ち」かどうかは僕の知るところではないが、確かにそんな風に考えたくもなる不自然な不交付だったと僕も思う。ピエール瀧が出ているのは間違いなく、有罪判決を受けたのも間違いない。だが、この映画を見て「国が薬物乱用に対し寛容である」というメッセージを受け取る人がいるだろうか。そんなトンチンカンな見方しか出来ない人間が文化行政を担っているのだろうか。ピエール瀧はこの映画では脇役であって、しかも悪役である。(単純な「悪役」ではないが。)ウィキペディアで配役を見ると、ピエール瀧は9番目になっている。ピエール瀧目当てでこの映画を見る人はまずいないし、麻薬事件を知っている人でも「こういう人は捕まるんだね」的な感想を持つに違いない。この映画を見て「麻薬をやってもいいいだ」と受け取る人がどこにいるのか。

 判決でも「主要なキャストではない」ことが取り消し理由になっている。僕にしても蒼井優池松壮亮が問題を起こしたというんだったら、ちょっと公開は難しいだろうと思う。多くの人は彼らを見たいわけで、その対象のスターが不祥事を起こしてはいけないと思う。助成金取り消しもやむなしかなと考える。厳しいけれども、主演スターにはそれだけの予算を背負っている責任があるだろう。だが「助演者」の場合はどうなんだろうか。ピエール瀧は助演であって「通行人」ではない。セリフもかなりある。しかし、会社システムで作っているわけじゃないんだから、製作会社は全キャスト、全スタッフの私生活に全責任を持たなければならないのだろうか
(訴訟提起時の記者会見)
 このやり方が認められたら、多くの芸術文化が成り立たない。映画には多額な製作費が必要なので、このような公的な助成金の意味は大きい。しかし、芸文振のホームページを見ると、単に映画だけでなく各分野に幅広く助成金が交付されていることが判る。(「令和3年度文化芸術振興費補助金による助成対象活動の決定について」参照。)地方のオーケストラや演劇活動には助成が不可欠になっていることが判るし、東京の主要劇団も助成を受けている。新宿梁山泊や劇団燐光群なんかも対象になっている。落語や能狂言なども同様である。そんな中で、もしメンバーの一人でも不祥事を起こしたら助成金がなくなるとしたら、その団体にとって大変なことだ。

 要するに薬物に手を出さなければ良いと思うかもしれないが、そうじゃない。「役所」が文化団体の「生殺与奪の権」を握っているという状況が問題なのである。そしてその役所には、国民が映画「宮本から君へ」を見ると「国が薬物乱用に寛容である」と思うと信じている人たちがいる。それが大変なことだと思うのである。しかし、芸文振側では「アンケート」を実施し、6割の人が「助成金を交付することは国が違法薬物使用を大目に見ているように感じる」という結果になったという「証拠」を出してきた。一審はこのアンケートに証拠価値を認めなかったが、裁判官にもトンチンカンは多いので控訴審でひっくり返る可能性はありうる。

 文化表現には「公益性に反する」ものもありうるだろう。そういうものも「表現の自由」の中にあると考える。しかし、完全に反公益的なものだったら、申請段階ではねられる。「宮本から君へ」は助成対象になったのだから、内容自体は問題ないのである。ただ出演俳優の一人が薬物事件を起こした。それは問題には違いないが、キャストを変えて取り直せなどと芸文振側が言うことはおかしい。まさに映画「宮本から君へ」を見れば判ることだ。これを見れば、「不正義は見過ごせない」とあくまでも闘うメッセージを受け取るはずだ。「薬物乱用」と正反対のメッセージを。そして製作会社も、まさに「宮本」のように闘った。それは『「宮本から君へ」から君へ』へというメッセージである。今後の控訴審を支援していかなければならない。
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