尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ブラバン」、ビターな部活小説-津原泰水を発見せよ②

2019年06月30日 21時17分47秒 | 本 (日本文学)
 まあボチボチと津原泰水を読んでいる。「11 eleven」(河出文庫)という凄い短編集を読んだけど、これはちょっと大変な作品だから後回し。一般的には一番受けたらしい「ブラバン」(新潮文庫)を先に書きたい。2006年に刊行されて、ベストセラーになったって言うけど、覚えてないなあ。2009年に文庫化され、今でも入手しやすい。これを読むと、津原泰水をという作家の手強さがよく判ると思う。

 「ブラバン」という小説は、広島県広島市にある高校のブランスバンド部員、及び顧問教員を描いている。スポーツ系の「部活小説」に比べて、「文化部小説」は少ない。それが貴重だけど、この小説の特徴は「過去」だけでなく、25年後の「現在」の方が中心となっていることだ。だからビターな部活小説になっている。経歴を見ると、津原氏は実際に広島県の高校在学中にブラスバンド部に在籍していた。高校時代の方は自分の体験も生かされているだろうけど、現在の方はどうなんだろう。

 語り手である他片等(たひら・ひとし)は「1980年度入学」で「St.B」。これは「弦バス」つまり「コントラバス」の略語。「現在は赤字続きの酒場を経営」である。こういう登場人物と担当楽器一覧が最初に付いてる。それを何度も見直さないと判らなくなる。他片は同級の皆元優香に誘われ吹奏楽部に入る。もともとは軽音に入るつもりだった。だけど皆元が指をケガして「弦バス」ができなくなって他片を誘った。「他片」なんて名字がホントにあるのか知らないけど、「たひら」は「たいら」で「平家」だと言ってる。(他片と皆元は昔なら敵同士とある。「たいら・ひとし」と読めば「日本一の無責任男」の主人公。)
 (津原泰水)
 結局他片は軽音楽同好会と掛け持ちすることになった。そんなことができるのか。できたんだけど、やり方は本書で。そして結成したバンド「パーシモン」のことはほとんど語られない。メンバーの名前もない。完全にブラバンに特化した叙述だ。それは東京から来ていて途中で転向した上級生「桜井ひとみ」がブラバンを再結成しようと言い出したから。今は環境省で蛙の保護を手がけていて、広島によく来る。そして広島にいる研究者と結婚することになった。その披露宴で演奏してくれと言い出したのだ。酒場をやってて他の人の情報もつかみやすい他片に話が持ち込まれたのである。そこでアイツは今どうしてるあの頃のアレは何だったんだろうという物語が起動する。

 強い部活であれ、弱い部活であれ、一生懸命だった高校時代だけ熱く描いて、最後にエピローグでちょっと「その後」を加える。これが一番感動させる仕掛けだろう。「ブラバン」はそうじゃない。盛り上がると何か起こり、過去と現在が入り交じる。高校時代の重要事物何人かにはなかなか連絡が付かない。付いても音楽を続けている人はいない。楽器もない。ホントにプロになった人もいないではないけど、そういう人はもう呼びようがない。よほど優れた能力の持ち主じゃない限り、どんな部活でも高校で終わりか、せいぜい大学止まりだ。思い描いていた理想とは違う人生。結局ほとんどの人はそうだった。

 この小説は音楽、というか楽器の細部に詳しい。一般向けとしてはやり過ぎかと思うほど、楽器の事情が語られる。同時に過去の部活内の人間関係もあからさまにされる。部活、青春、美しく描かれがちだが、「ブラバン」を読むと恥ずかしいことばかり思い浮かぶ。ひどいことをずいぶんやってる。コンクールもうまく行かないし。でも、そればかりじゃない。1981年2月にローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世が来日して広島の平和公園で平和と核兵器廃絶を訴えた。その演説を主人公は友人と一緒に授業を抜け出して聴きに行く。そしてその強いメッセージに感動する。学校に戻ったとき担任にばったり会ってしまうが、その時の対応もちょっといい話。このローマ教皇のシーンだけでも読む価値あり。

 「ブラバン」は小説としては、少し読みにくい。登場人物が多すぎて頭が混乱するし、楽器の事情も細かすぎる。人間関係が過去と現在で錯綜し、一覧表を見直してもよく判らん。でも、これは全部作者の仕掛けである。もっと人物を整理し、「感動」的に書くことはすぐできただろう。でも、現実の世界では、いろんなものが入り組んでいる。簡単じゃない。何年も経って、初めて判ったことも多い。誰と誰が付き合って…とか、本人たちには重大だけど他人である僕らはよく判らない。当然だろう。そういうことの積み重ねの後で、僕らは「人生」に触れた感じがする。「ブラバン」はやっぱり高校時代から25年以上経った人が読むべき本なんだろう。
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大崎事件再審取り消しー信じがたい最高裁決定

2019年06月28日 22時54分51秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 大崎事件の再審を取り消す決定を最高裁が出した。そのニュースを見て「あり得ない」と思ったが、現にある以上「信じがたい」と表現することにしたい。1979年に鹿児島県大崎町で死体が見つかり、その長兄、次兄、続いて次兄の子、長兄の妻が殺人罪で逮捕、起訴された。この死亡が殺人だったかどうかに争いがある。長兄の妻が主犯とされ、懲役10年の判決が確定した。この長兄の妻を除く三人は、知的障害があるとされ、「自白」も変転している。長兄の妻は一貫して無実を主張し、一度も「自白」していない。1990年に満期で出所し、それ以後再審を請求し続けている。
 (再審取り消しを伝えるテレビ番組)
 第1次再審請求では、一審の鹿児島地裁は認めたが二審で取り消された。第2次再審請求は一回も認められず、第3次再審請求で2017年に鹿児島地裁が再審を決定し、福岡高裁宮崎支部も再審を支持した。再審は「無罪(またはより軽い罪)を言い渡す」「新しい」「明らかな」証拠が必要である。しかし、この事件では、もともと「自白」していないんだから「自白の矛盾」もない。「共犯者の供述」に寄りかかる有罪判決なので、物証を新しく「DNA型鑑定」することもできない。

 今回弁護側は新たに二つの新鑑定を提出した。その一つが写真に基づく死因の新鑑定で、そもそも殺人じゃない可能性を指摘した。一審、二審はその新鑑定に証拠価値を認めたが、最高裁は証拠価値は低いとした。最高裁は「証拠調べ」をせず、書面審査が中心となるが、普通の事件だったら最高裁が二審の判断を変える場合は「弁論を開かなければならない」と決まっている。今回は「再審請求」であり、その具体的なやり方は法律で決まってない。しかし、一審、二審で認めた新鑑定を覆すんだったら、やはり鑑定人を呼んで鑑定の意味を問いただす必要があるんじゃないか。
 (取り消し決定に抗議する弁護団記者会見)
 どんなに最高裁が偉いとしても、事実調べを全くせずに再審請求を却下していいのか。法的に可能だとしても、事実上は「適正手続き違反」ではないのか。これまで今回のような最高裁で再審を取り消した例がない。反対に最高裁で再審に向けた判断をした例はある(財田川事件など)。その場合も、自分では判断せずに下級審に差し戻している。今回も新鑑定に疑問を持ったならば、自分で事実調べをしない以上は、下級審に差し戻す必要がある。

 今回の再審事件では請求人は一度も「自白」していない。刑務所内で模範囚だったため、仮釈放が決まりそうな場合でさえ、一度も「謝罪」せず仮釈放が認められなかった。もし本当は有罪だったとするなら、そんなことをわざわざするだろうか。懲役10年程度の事件だから、東京じゃ事件当時も誰も知らないだろう。無実じゃない人が、出所後の老後を全て再審に費やすようなことをするだろうか。多くの人が自分を振り返ってみれば、無実だったとしても仮釈放の誘惑に駆られて認めてしまうんじゃないか。

 今回の決定は、最高裁裁判官の判断基準が「自白」であることを示している。「供述弱者」の「自白」の危険性という問題意識がない。ずいぶん頭が古い。今どきそんな人が最高裁裁判官なのである。大崎事件そのものは、司法制度を揺るがすといったレベルの大事件ではない。だから大崎事件をひっくり返すために、最高裁裁判官が選ばれたわけではない。15人すべてが安倍首相によって任命された最高裁裁判官である。安保法制に違憲判決を出しそうもないといった選択基準はあるんじゃないか。そういう人は一般的に他のケースでも人権感覚が鈍いと言うことを示している。
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穗高岳ー日本の山⑥

2019年06月25日 22時39分42秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 日本の高い山は東日本に集中している。深田久弥の日本百名山を例に取ると、滋賀県の伊吹山から西日本と考えると、88が東日本になり、西日本の山は12座である。今まで東日本の山ばかりなので、そろそろ西日本の山を書こうかなと少し前まで思っていた。でも考えを変えて、北アルプス飛騨山脈)の最高峰、穗高岳(3190m)を書くことにした。西武ライオンズの主砲、山川穗高がホームランを量産している。交流戦でペースが落ちたが、6.23現在27号。オールスターゲームのファン投票でも1位だった。一方、北方領土のビザなし訪問中の言動で、衆議院で糾弾決議が可決された丸山穗高って衆議院議員もいる。内閣不信任案採決に久しぶりに現れて反対票を投じたという。今月は「穗高」だな
 (穗高岳)
 穗高に登ったのは1987年の夏だ。僕は北アルプスにあまり登ってない。家から遠いし、車を買ったら東北や北海道へ行くことが多くなった。そんな中で穗高に行ってるのは、妻の希望だった。まあ山好きなら一度は行きたい山だから、僕に異存はない。だけど、普段と違ったのは山行日程まで妻が決めたこと。だから、すごいユックリしたペースで登った。一日目は上高地まで行って、確か上高地温泉ホテルに宿泊。大正池など散歩したはずだが、ほとんど覚えてない。覚えているのは、晴れていれば見えるはずの穗高が曇っていて全く見えなかったことだ。

 翌日は上高地から涸沢(からさわ)まで。上高地の河童橋は標高およそ1500m。明神池を過ぎると、ただの緩やかな山道がずっと続く。徳沢まで1時間、そこから横尾まで、また1時間。横尾は槍ヶ岳への道の分岐だが、標高1620mぐらい。ここまでは原生林のハイキング。涸沢は標高2300mで、ここからが本格的登山になる。涸沢まで3時間で700mを登る。しかしまあ、今日はそこまでなんだから、ノンビリ花を見ながら行くだけ。涸沢というのは、夏はズラッとテントが並ぶことで有名だが、僕らは山小屋泊まり。

 (涸沢カールと山小屋)
 山の朝は早い。午後になると急に黒雲が湧き出し、時には雷まで聞こえる。だから早立ちして、午後早くには小屋にたどり着きたい。それが鉄則だが、この時は早過ぎ。何しろ3日目は穗高岳山荘泊まりである。涸沢からのコースタイムは2時間40分になっている。その頃はおおよそコースタイムぐらいで登っていたが、この時はもう休み休み超ノンビリで景色を楽しみながら登った。それでも10時過ぎには着いたと思う。穗高岳山荘は、北アルプスの中心にある大きな山小屋。標高3000mからの眺めは雄大で、多くの人の憧れの対象。素晴らしく気持ちいい山小屋だ。
 (穗高岳山荘)
 午後早めに、荷物を小屋に置いて奥穗高岳涸沢岳に登った。奥穂は翌日にも登るので、まあ明日でいいかと思って、北の涸沢岳に登ったか。そこから北穗高岳まで行くのは無理だろうけど、涸沢に登ったか。正直全然覚えてない。ただ、小屋にいたんじゃなくて、どこかには行った。夕方には帰って、美しい夕焼けを見た。天気には毎日恵まれた。次の日は最高峰の奥穗高岳(3190m)に登って、岳沢まで降りた。けっこう大変な道だとガイドには書いてあるが、これも全然記憶なし。ひたすら下って、前穗高岳との分岐に岳沢ヒュッテがある。一気に上高地まで下れるけど、ここでも山中泊。3日は長すぎる気もしたが、ここで人生ただ一回のオコジョを見た。イタチ科の小さな動物で、見た目はかわいい。(岳沢ヒュッテは豪雪のため全壊し、2006年に廃業した。2010年から岳沢小屋が開業している。)
 (オコジョ) 
 翌日に上高地の河童橋まで降りた。ガイドを見ると、2時間半ほどのタイムになっている。そこからバスで松本へ出て、そのまま東京へ帰ったはずだ。(東京というか千葉県市川市に住んでたが。)1987年に登ったと特定できるのは、帰った後に新聞を読んで前田愛氏の訃報を知ったからだ。前田先生は都市論など多彩な視角で江戸期から近代の文学について論考した。立教大学、大学院時代に大きな影響を受けた。葬儀はもう終わっていたが、秋にチャペルで行われた追悼会に参加した。
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横山秀夫「ノースライト」、新境地のミステリー

2019年06月24日 22時29分37秒 | 〃 (ミステリー)
 横山秀夫の長編「ノースライト」(新潮社)を読んだ。2019年2月刊行。前作「64」(2012)以来の長編である。書評も好評だったから、これは文庫や図書館を待たずに買ってしまおうと思った。今までのミステリー作品は概ねどこかの警察署を舞台にしていた。著者は作家になる前に群馬県で新聞記者をしていたので、その経験を基にした作品も多い。でも今回は建築士を主人公にしている。作中でもブルーノ・タウトに関する叙述が多い。家族の機微を描く点で今までの作品と共通点もあるけれど、描かれた作品世界は今まで読んだことがない新境地だ。じっくり読み応えがある。

 帯を見ると、『クライマーズ・ハイ』の感動、『第三の時効』の推理、『半落ち』の人間ドラマ、全てがこの一冊にある!という北上次郎氏の評が載っている。なるほど、うまいことを言うもんだ。それを見ても判ると思うが、大長編だった前作『64』のような骨太な警察小説とは違っている。バブル経済の崩壊後に、それまでの事務所をやめ離婚した建築士、青瀬稔。今は大学時代の友人に誘われ、所沢の建築事務所で働いている。最近軽井沢に「あなたが住みたいと思う家を作ってくれ」と依頼され、会心の住宅を建てた。それは「平成すまい二〇〇選」に選ばれるほど大きな評価を得た。

 ところがその住宅に不審が生じる。評判を聞いて見に行った人が、どうも住んでないような気がするというのである。依頼主の吉野陶太に連絡してもつながらない。元の住所を訪ねても、そこはもう引き払ってる。一体吉野一家はどこに消えたのか? 依頼主の名から「Y邸」と呼ばれる家を見に行った青瀬は、確かに無人であることを確認した。その家には「ブルーノ・タウト」を思わせる椅子が置かれていたのみ。浅間山に向かって、北向きに作って「北光」(ノースライト)を取り入れるという趣向がY邸の最大の特徴だった。それが題名の理由だけど、僕には家のイメージがよく湧かない。

 この小説にはおよそ4つのストーリーがある。吉野一家の謎、日本滞在中のブルーノ・タウトの追跡、青瀬の家族史、事務所が総力を挙げる画家「藤宮春子」の記念館建設の4つである。これらが渾然一体となって進行する。藤宮春子は生前は全く知られず、パリで客死した後に大量の絵が発見された。その記念館建設話が持ち上がり、弱小の事務所が名乗りを上げ、政治に巻き込まれる。ブルーノ・タウトはドイツの建築家で、ナチスに追われるように日本に渡り数年滞在した。桂離宮を賞賛し日光東照宮を非難し、日本の美を再発見した。タウトの建築論議は作中の謎にどう絡んでくるのか。

 「ノースライト」は会話が多く読みやすくい。読み始めると止められないけど、今までの警察小説のような犯罪をめぐる物語ではない。「クライマーズ・ハイ」が新聞社をめぐる人間ドラマだったように、「ノースライト」は建築家の世界をめぐる人間ドラマである。警察でも新聞社でもないのが、横山秀夫としては新しい。しかし建築の世界は奥が深い。三次元空間の世界を文字で再現するのが難しい。僕には今ひとつイメージがつかめない場面が多かった。マンションの平面図を見るのが趣味という人も世の中にはいるらしいけど、僕は全くダメ。Y邸を現実に再現するのは難しいから、この「ノースライト」の実写映画化は難しい。でも見てみたいから誰かアニメ化してくれないかな。

 「一家はどこに消えた」問題は意外な感じで解決するが、青瀬の人生を揺さぶる。その分、青瀬の家族関係などの比重が大きくなる。また途中から大問題となる「藤宮春子」の設定がうまい。ラストの熱い盛り上がりは読み応えがあるが、どうも既視感がある。こうなるだろうなという方向になってくる。人情話みたいでちょっと残念。群馬県は出てこないのかと思うと、タウトが住んでいた高崎の少林山達磨寺の洗心亭桐生市のノコギリ屋根建築など、行ってみたくなる。またバブル崩壊の影響がその後も長く続く様子なども心に残る。建築家の世界をいう予想外の進路を取った横山秀夫は次に何を書くのか。
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宮部みゆき「希望荘」、3・11前後の日々

2019年06月22日 22時11分38秒 | 〃 (ミステリー)
 宮部みゆき(1960~)の「杉村三郎シリーズ」第4作「希望荘」。2016年6月に刊行されて、2018年11月に文春文庫に収録された。このシリーズは数多い宮部作品の中でも一番好きなんだけど、文庫を半年も放っておいた。面白いのは判っているけど、ミステリーに気が向かない時もある。読み始めて、圧倒的な「読みやすさ」(リーダビリティ)に改めて感銘を受けた。とにかく面白くて判りやすくて、奥が深い。世代的にも出身地的にも、感覚に合うんだろうけれど。(宮部みゆきは東京都江東区出身で、深川四中、墨田川高校を卒業している。東京東部が舞台の小説も多い。))

 「杉村三郎シリーズ」は今までに5冊書かれている。「誰かSomebody」(2003)、「名もなき毒」(2006)、「ペテロの葬列」(2013)、「希望荘」(2016)、「昨日がなければ明日もない」(2018)である。杉村は児童書の編集者だったが、映画館で痴漢から救った女性と付き合うようになる。それがたまたま財閥の今多コンツェルンの庶出の娘だった。その病弱な女性を愛し、周りには「逆玉」と揶揄されながらも結婚を決意する。義父の条件は、出版社をやめてコンツェルンの社内雑誌の編集を担当するというものだった。こうして社内外の様々な問題にぶつかる中で、謎と向き合ってきたわけである。

 僕は第2作「名もなき毒」に非常に感心し、このように現代を描き続けてゆくのかと思った。そうしたら「ペテロの葬列」では、単なる犯罪の観察者に止まらず、バスジャックの被害者となった。そして様々あって、コンツェルンを退社し妻とも離婚するに至る。いやあ、そんなことがあるのかと、僕も他人事ながら(というか、架空人物だから他人ですらないけど)、杉村の今後を心配していた。

 「希望荘」を読むと、杉村は一人になって、一時は故郷の山梨県に帰った。産直グループで働くうちに、東京の大手探偵社の所長と知り合い、結局東京に戻って「杉村探偵事務所」を開いた。場所は東京都北区の北部である。もっとも仕事の大半は、その大手の「オフィス蛎殻」の下請けである。嬉しいことに昔会社の近くにあった喫茶店「睡蓮」のマスターも近くで「侘助」という店を始めた。(ホットサンドが名物。)事務所は古い家で、情味あふれる地元の土地持ちが大家。そういう新しいつながりも出来る。

 そういう地元つながりで最初の依頼が来る。「死んで引き払ったはずの店子を上野で見た」という「事件」とも言えないような調査依頼。そこから思いがけなく見えてくる現代人の孤独が「聖域」で描かれる。続く「希望荘」では、最近介護施設で死んだ父が死ぬ前に昔殺人事件に関わったかのような「告白」(とまでも言えないような思い出話)をした。その真相を確かめて欲しいという依頼である。この作品は、非常に奥が深い。1975年の事件を今追うと、もう東京も全然変わっている。人間の心のひだを心静かに見つめる著者の手さばきに感銘する。「死んだ老人の孫」という新キャラクターも趣深い。

 第3作の「砂男」は山梨に帰っていた時期の物語で、杉村の実家の様子が初めてよく判る。産直グループで働いていて、人気のそば・ほうとうの店に届けたら留守だった。家まで行くと、なんと仲よさそうに見えた夫が行方不明だという。妻の昔の友人と不倫して家出したかもという話なんだけど…。この話を追うごとに裏には裏があり、思わぬ真相に見えてくる人間の闇に驚き。そして最後の「二重身ドッペルゲンガー」では、2011年3月11日のまさにその日が描かれる。杉村シリーズの前作「ペテロの葬列」は2010年から地方紙に連載されたから、当然「3・11」前を描く。「希望荘」は時間的には「東日本大震災」をはさんだ時期になっている。震災当日の記述も出てくる。

 震災で行方不明になったらしい雑貨店の店主。その行方を捜すといっても…と思っていたら、ここでも思わぬ展開が。大津波の映像、原発事故への心配など、当時の東京で普通に生きている人々をリアルに描いている。誰もが思い出すだろう、あの時期を後世に残す「震災後文学」でもある。そしてこの作品でも「人間を見る目」に恐れ入る。初期作品は暖かな後味が印象的だったが、宮部作品も次第にビターになってきた。人間には他人にのぞき込めない深い闇もあるということだろうか。それとも日本社会の変容が反映されているのか。

 松本清張作品は、書かれていた当時はただの娯楽読み物のように扱われていた。しかし、今では「松本清張作品に見る昭和30年代の日本社会」なんてテーマは、日本文学だけじゃなく歴史学や社会学の卒業論文として全然おかしくない。そして、100年後の人々が20世紀から21世紀の日本社会を知ろうと思ったら、宮部みゆきの「火車」「理由」「模倣犯」などを読むだろう。論文もいっぱい書かれるだろうと思う。そんな中でも一番中心的に論じられるのは、杉村三郎シリーズだと思う。特に「3・11」を扱うこの「希望荘」は重要だ。普段ミステリーを読まない人も是非読んでみて欲しい。
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折木奉太郎の「誕生」ー米澤穂信「いまさら翼といわれても」

2019年06月20日 22時59分56秒 | 〃 (ミステリー)
 「ボヴァリー夫人」に満腹しすぎて、フランス文学はちょっと横に置いといて、ミステリーを読みふけっている。つい買っちゃうから、時々まとめて読まないと。「ルピナス探偵団」は青春ユーモアミステリー色が強かった。そういう小説はつい読んじゃうんだけど、1973年に江戸川乱歩賞を受賞した小峰元(こみね・はじめ、1921~1994)の「アルキメデスは手を汚さない」がきっかけかもしれない。小峰は毎日新聞記者だったが、作家専門となって続々と古代ギリシャの偉人を題名に付けた青春ミステリーを書いた。当時ちょうど高校生だった僕は魅力にはまって、ほとんど読んだと思う。もっとも「アルキメデス…」は展開が予測通りだった。謎解きじゃなくて、青春小説の魅力だったのである。

 その後もいくつも書かれているが、今一番読まれているのは米澤穂信古典部シリーズだろう。2006年に角川のジュニア向け文庫で「氷菓」が刊行されてから、2016年の「いまさら翼といわれても」まで全6冊が刊行されている。全部読んでるけど、もう一つの高校生もの「小市民シリーズ」の方が謎解きとしては面白いと思う。米澤穂信は新進ミステリー作家として評価され、2回直木賞候補にもなった。でも初期から続く古典部シリーズは、登場人物のその後を知りたいからずっと読み続けている。最新刊の「いまさら翼といわれても」が早くも文庫化されたので、さっそく読むことにした。

 このシリーズは「氷菓」のタイトルでテレビアニメ化され、実写映画化もされた。だから若い人にも知名度があり、今回の帯には累計245万部と出ている。でも知らない人は全然知らないだろうし、まあ絶対読むべしとまでは言わない。僕にとっては趣味の問題である。だから今までは一度も書いてないけど、今回は主人公「折木奉太郎」について考えたいと思って書くことにした。(「おりき」と読むのかと思ったら、ウィキペディアには「おれき」と出ている。)「神山高校」に在学中で、何をしてるんだか判らない「古典部」にゆえあって所属している。そのあたりは最初から読めば判るから、ここでは触れない。

 折木奉太郎は「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」という高校生らしからぬ「省エネ主義」をモットーにしている。それならミステリーにならないはずだが、ヒロイン役の名家の令嬢、「千反田える」(ちたんだ・える)と関わる中で「日常の謎」を解決してしまう。さすがに高校生が殺人事件に出会ったりしないけど、学校には謎がいっぱいある。(僕も教員生活の中で解決できなかった謎がいくつか思い浮かぶ。)同じ中学の友人「福部里志」、里志を追ってきた「井原摩耶花」の4人が古典部員。4人を中心に学校内外の様々な問題が持ち込まれる。

 今回読んだ中では「鏡には映らない」で、中学から続く問題が「解決」される。奉太郎は「卒業制作」にも「省エネ」を実行して、学年全員の怒りを買った。しかし、その「省エネ」と見えたものは、実は理由があったのではないか。そのように思って、井原が謎を追う。そのエピソードを見ても、折木奉太郎は単なる「省エネ」人間ではない。「あっしには関わりのないことでござんす」と言いつつ、つい関わってしまう昔の時代劇「木枯らし紋次郎」の現代版みたいな人間である。どうして、そんな「やらなくてもいいことならやらない」を信奉するに至ったのか。その理由が「長い休日」という短編で明かされる。

 それを読んで、まるで自分のことのようだと昔を思い出した。僕も中学時代に似たような体験があり、「参加しなくてもいい行事はもうやめよう」と思った。無理していい子ぶっても、つらいだけで楽しくない。全員参加ならやるけど、そうじゃなければやらない。そう思っていたら、「出来れば手伝って欲しい」と言われたのに帰ってしまって、教師をがっかりさせたりした。後でそう言われたんだけど、そんなことを言うなら「やってくれ」とちゃんと言えばいいじゃんと思った。教師になって見ると、そこら辺はなかなか難しい問題だなと思った。だからこそ、ここぞというクラスの問題で、「快諾」してくれる生徒の存在ほどありがたいものはないと思う。教師は頼むべき時はちゃんと頼むべきだ。

 折木奉太郎は今後どのような人生を歩むか。それは「太刀洗万智」(「さよなら妖精」「王とサーカス」「真実の10メートル手前」など)が示している。「省エネ」主義は、「一時的な自己防衛」であり、ある時点から外部へ活躍の幅が広がるだろう。そういう人間じゃないと、わざわざ「省エネ」モットーなんか作らない。外部への関心が強いからこそ、自己防衛としての「韜晦」(とうかい)が必要になるのだ。
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ルピナス探偵団の誘惑ー津原泰水を発見せよ①

2019年06月19日 22時47分53秒 | 〃 (ミステリー)
 津原泰水(つはら・やすみ、1964~)と言われても、読んでる人は少ないかもしれない。名前も知らないかも。知ってる人でも、ごく最近起こった「幻冬舎騒動」で初めて知ったという人も多いだろう。「幻冬舎騒動」というのは、①幻冬舎刊行の百田尚樹「日本国紀」津原泰水がツイッターで批判していたところ、同じく同社から刊行予定だった文庫本が刊行中止になったと津原がツイッターで暴露し、②それに対し、幻冬舎の見城徹社長も津原の文庫化予定作品「ヒッキー・ヒッキー・シェイク」の実売部数をツイッターで暴露したといったやりとりがあって、いろいろと騒がれたわけである。

 僕は百田尚樹氏の本は一冊も読んでないけれど、津原泰水氏の本は一冊読んでいる。それは「蘆屋家の崩壊」(1999)で、葛の葉伝説の蘆屋道満とポーの「アッシャー家の崩壊」を掛けるという、考えて見れば今まで誰も書いてないのが不思議なアイディアのホラー・ミステリー。それなりに面白かったけど、まあそんなに趣味が合わず、その後は読んでなかった。ところが最近三省堂書店本店へ行ったら、今回の問題をきっっけに「津原泰水って誰」ミニコーナーが出来ているじゃないか。僕もちょっと読みたいなと思ってたところだったので、つい何冊か買ってしまった。その発見報告記の初回である。
 
 まず読んだのは、創元推理文庫の「ルピナス探偵団の当惑」と「ルピナス探偵団の憂愁」である。「当惑」の方には「こんなにも面白いミステリがあったなんて!!」と帯にある。「憂愁」は「こんなにも泣けるミステリがあったなんて!!」である。これがホントだったのである。特に「憂愁」はいかにも憂愁に満ちている。絶対オススメの青春ミステリーだ。
 
 津原泰水はもともと「津原やすみ」で少女小説を書いていた。ルピナス探偵団も最初は「うふふ♥ルピナス探偵団」「ようこそ雪の館へ」という名前で刊行されている。21世紀になって原書房からミステリー作品として、追加作品を入れて再刊された。その文庫化だけど、こういう経緯からミステリーとして見逃されていた。でも、確かにミステリーとして面白いのと同時に青春ミステリーとしても抜群に面白い。

 そもそも「ルピナス探偵団」とは何か。それは私立ルピナス学園高等部に通う4人の生徒たちのことである。主役は吾魚彩子(あうお・さいこ)というありそうもない姓の女子高生。10歳年上の姉が吾魚不二子という現職のトンデモ警察官で、つい彩子が密室の謎を解いたことから姉によって殺人事件捜査に巻き込まれること度々。そして友人の桐江泉京野摩耶に加えて、彩子が慕っている何でも知ってる祀島龍彦(しじま・たつひこ)が加わる。実質的には龍彦が探偵役で、プラス女子高生三人組の個性が生き生きと描かれる。不二子の上官であるものの、普段はこき使われているキャリア官僚庚午宗一郎もいて、ユーモアミステリーとしての趣向がうまい。

 しかし、単なるユーモア青春ミステリーと思ってると、驚くような展開になる。高校生の周りでそんなに殺人事件が起きるなんて、リアリティに欠けるわけだが、本格ミステリー自体がリアリティを超えている。およそ現実にはありなえい「密室殺人」だが、ミステリーの中ではいくつものパターンで描かれてきた。もうほとんどの発想は出尽くしたかと思ってたけれど、「当惑」の「ようこそ雪の館へ」や「憂愁」の「初めての密室」のトリックは初物だと思う。前者なんて、今どき吹雪の日に謎の洋館にたどり着くと殺人が…という古典的設定の密室(二重の密室)なんだけど、謎解きの思考回路も練られている。お見事。

 そして数年、すでに高校、大学も卒業して探偵団の面々もなかなか会うこともない。そんななかメンバーの一人が若くして病死して久方ぶりに集まる。そこで知った死ぬ直前の謎の言葉と行動。その真意は何だったのか。続編の「憂愁」は「日常の謎ミステリー」として発展している。と思うと、ちゃんと殺人事件も出てくる。でもそこでも、登場人物の思いには「憂愁」があふれ、単なる謎解きではない。余韻が深い。ちなみに「ルピナス」は花の名前。花言葉は「想像力」「いつも幸せ」「貪欲」「あなたは私の安らぎ」である。そんな名前のミッションスクールはありそうもないけど。フランス語で(英語でも)Lupinで、アルセーヌ・ルパンと同じ。だから「ルパン三世」の不二子とも掛かってるんだろう。
 (ルピナス)
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「コンディショニングマットレス エアー」で快眠

2019年06月17日 22時15分36秒 | 自分の話&日記
 「衣食住」というけど、人生において同じく重要なものが「寝具」だ。旅館・ホテルに行くと、寝具が違って寝つけないことがある。食事やお風呂は宣伝してるけど、寝具を宣伝している宿が少ない。もっと寝具を気に掛ける宿が増えて欲しい。それはともかく、結婚以来ずっと西川の「ムアツフトン」を使ってきた。「体圧分散」をうたうマットレスタイプの寝具である。福祉施設で働いていた妻のオススメ。

 以来何十年も経つ間に何度か買い換えた。10年も寝てれば、やはり体重で中央がへこんでくるのを避けられない。だから10数年ごとに買い換えてきた、どんなに疲れていても、どんなに腰痛がひどくても、ムアツフトンで寝てれば回復する(と信じている。)腰痛は誰でも経験があるだろうが、僕の場合一年に何度か腰痛気味の日々がある。そんな時もムアツフトンで寝てるうちに治るのだ。 

 「ムアツフトン」というのは「昭和西川」の商品で、西川の名前がある寝具メーカーはいっぱいあって区別できない。資本的には系列が違うらしいが、「東京西川」(あるいは「京都西川」など)というのもあって、これは2019年1月に経営統合された「西川株式会社」のブランドだという。まあ、そういう話はどうでもいいんだけど、数年前からそろそろ買い換え時かなと思っていた。そして今度は「東京西川」の「コンディショニングマットレス エアー」のハードタイプを買うことにした。
 (コンディショニングマットレス)
 これはスポーツ選手がよく宣伝している。最近は大谷翔平が有名。三浦知良田中将大なんかも使ってたと思う。だからっていうわけじゃないけど、「ハード」タイプが欲しかったのである。そして、届いて替えてみると、3日目ぐらいから断然眠りの質が良くなった。(最初は堅すぎて疲れたが、体が慣れてきたんだと思う。)それまでは時々なかなか寝つけないことがあったが、今はすっと眠れる。こんなに違うのか。

 人はそれぞれライフスタイルが違うから、あまり個別の商品について書く気はない。本や映画は書いてるけど、それは趣味の問題だから、関心がなければスルーするテーマだ。でも「ムアツフトン」だけは前々から周りの人にも勧めてきた。(ブログでも一度ぐらい書いたかもしれない。)「ムアツ」でも「エアー」でも原理は大体同じ感じだと思うけど、このタイプの寝具はいいと思う。(何故いいのかは、会社のホームページに宣伝が出ている。)「眠り」は生活の質を大きく左右する

 だから、いつもとちょっと違って、日々の暮らしのことを書いてみた。(いつ頃買い直したのかの記録にもなるし。)ただし、初めての人は「ハード」は堅すぎると思う。普通のタイプでも最初は戸惑うだろうけど、すぐに慣れるはず。
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謎が多いホルムズ海峡タンカー攻撃

2019年06月16日 22時32分59秒 |  〃  (国際問題)
 2019年6月13日、ホルムズ海峡日本の海運会社のタンカーが攻撃された。折しも安倍晋三首相がイランを訪問中で、13日にはイランの最高指導者ハメネイ師と会談した。タンカー攻撃は13日午前6時45分(現地時間、日本時間では13日午前11時45分)で、ハメネイ師との会談はマスコミや官邸HPでも「午前」としか判らない。まあ朝の6時45分に会談するはずはないが、タンカー攻撃の一報が入ったのとどっちが早いかは不明である。(当初は「砲撃」と報じた新聞もあるが、攻撃方法も完全には判ってないので今は「攻撃」としているマスコミが多い。ここでもそう表記する。)
 (炎上するタンカー)
 この事件は謎が多い。「日本のタンカー」とされるが、このタンカーは日本の海運会社「国華産業」が運航しているものの船籍はパナマである。(乗組員は全員フィリピン人。)もう一隻も攻撃されていて、そっちは台湾の会社で、乗組員はロシア人。国旗を掲げていたわけでもないし、攻撃勢力が「日本のタンカー」と認識していたかは不明だ。船籍で言えば「パナマ船」と書くべきなのかもしれない。ただ、どこの国の船であれ、安倍首相のイラン訪問中には間違いないし、「メンツ丸つぶれ」の事態ではある。

 アメリカは13日中にポンペオ国務長官が緊急記者会見を行い、「イランや傘下の武装組織による米国や同盟国への一連の攻撃」と非難した。「イランの革命防衛隊が不発に終わった水雷を除去するところ」とする動画も公開している。トランプ大統領も14日にテレビで「イランがやった」と発言した。一方、イランは全面的に否定している。イラン側に何のメリットもないし、公開された画像は「損害を受けたタンカーや乗員を迅速に助けられることを示しただけ」としている。

 イラン側が乗員を救助したのは確かだ。そもそも攻撃は水雷ではなく、「何らかの飛来物」だと会社側はしている。乗組員も見たという。タンカーはペルシャ湾からホルムズ海峡を通ってインド洋方向に向かっていた。当初は左舷が攻撃されたとしていたが、会社側は14日の会見で「右舷」と訂正した。攻撃地点はイランとオマーンの間だが、右舷だとするとオマーン側から攻撃になるのだろうか。水雷等の爆発物を密かに取り付けて時限装置で爆破させるなら、どっち側からでも可能だろう。しかし「飛来物」だとすると、どうすれば可能になるのだろうか。

 ホルムズ海峡では5月19日にもサウジアラビアのタンカー2隻が攻撃されている。この事件でもイランとアメリカの見解が真っ向から対立していて、まだ完全な解明がなされていない。当然アメリカは衛星などでこの重要地点を常時監視しているはずだが、その能力を完全に明かすわけにはいかないだろう。イギリスはアメリカに同調し、サウジアラビアイスラエルもイランの攻撃としている。しかし、このアメリカ同調国が怪しいとも考えられる。日本は現時点ではアメリカに同調せず、「証拠提示」を求めているという。(東京新聞16日)同時期にキルギスで開かれた上海協力機構にはイランのロハニ大統領が参加し、中国、ロシアはイラン支持を表明した。
 (安倍=ハメネイ会談)
 そもそも安倍首相のイラン訪問自体に解せない点が多い。日本はイラン核合意の当事国ではないし、歴史的にイランと友好関係があると言っても、トランプ大統領との親交を誇る安倍首相に両者の仲介が務まるはずもない。行っちゃいけないとまでは言えないから書かなかったけれど、イラン訪問が浮上してからずっと疑問に感じていた。参院選向けに外交の得点が欲しいのか。アメリカとは貿易問題で「密約」がありそうだし、ロシアとの領土交渉も行き詰まって、キム・ジョンウンとの会談もままならない。これから大阪でG20があるが、それに向け世界的大政治家イメージが欲しかったのか。

 イランにとってホルムズ海峡でタンカー攻撃をする利点が見当たらない。だがアメリカは革命防衛隊をテロ組織に指定しているし、だからこそイランは危険なんだと言うのかもしれない。その場合、イランは安倍首相を無視するだけでなく、コケにしたことになる。しかし、アメリカ側の発表を疑うならば、そもそもイラン訪問を安倍首相に勧めたこと自体がアメリカの謀略だったということにもなる。安倍首相は安易に国際政治家と気取って、国際的な罠にはめられたのかもしれない。僕には今の段階で真相は全然判らないけど、裏に相当大変なことがありそうな気がする。
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「老後資金2000万円問題」の語られ方

2019年06月15日 23時04分37秒 | 政治
 金融庁の諮問機関「金融審議会」が3日にまとめた報告書「高齢社会における資産形成・管理」が批判を浴び、麻生金融相は11日「正式な報告書としては受け取らない」と述べた。なんだ、これは。この問題を通して、「自分の頭で考えない」「不都合な真実は見ないで済ませる」日本社会を浮き彫りにしている。野党の追及方法もどうかと思うんだけど、政府側の対応はひどすぎる。そもそも審議会の報告書を受け取らないことが出来るんだ。そして正式な報告書じゃないから、予算委員会等で審議する必要もないんだと。ありえない発想だろう。与党も野党も脳内には選挙しかないのか。
 老後の収入と支出の内訳
 そもそも「老後は年金だけで暮らせる」と政府が言ったことはない。初めから年金だけでは足りないというのは前提である。いくら足りなくなるのか。それは一人一人の資産状況が違うし、家族構成も違うから、何らかの設定をしないと計算できない。だから「65歳の夫と60歳の妻、子ども二人」の場合、「現在の生活レベルを落とさないで、90過ぎまで暮らす」という状況を考えた。このような生活実態の世帯が一体どのくらいあるか知らないが、政府が計算するときの「モデル家庭」は大体そんな感じで作られている。そんなモデル通りの家庭がどれだけあるかという批判をする必要がある。

 そのような家族構成の場合、約2000万円が必要である報告書は述べる。これは病気や介護が大変なケースを想定していないから、むしろ少なすぎるかもしれない。しかしまあ、足りなくなるお金は大体そんなものじゃないかというリアル感はある数字だ。それに対して、ニュースでは街頭インタビューなどして、「そんなに貯金できない」などという感想を流していた。当たり前だろう。そんな貯金(まあ「銀行預金」だろうが)は出来ない。なぜなら結婚して子どももいて安定した仕事もある場合、生活を節約してお金が貯まったら家やマンションを買う頭金にするから。

 ニュースを見聞きしていると、中には「年金だけで暮らせると約束されていた」かのように言う人がいる。これは「情報リテラシー」の問題だろう。野党側の中にも「年金の『100年安心』はウソだったのか」などと追求する人がいる。皆自分でちゃんと考えたことがない。担当責任者が財閥の麻生太郎氏なんだから、自分の問題じゃないのも当然か。しかし、野党側もマスコミも「情報リテラシー」がないことは同じではないか。選挙目当てじゃなくて、きちんと今後につなげる議論を出来る政治勢力はないのだろうか。
 (金融庁がまとめた報告書)
 それなりの家庭に育ち、それなりの会社員や公務員になる。そういう想定をすれば、人生では二度大きな財産を得る機会がある。夫が65歳、妻が60歳なら、4人の親の一人ぐらいは存命かもしれないが、概ね遺産相続は終わっているはずだ。また相当の年金が出ることを想定している以上、それなりの会社などに勤務していたはずである。その場合、定年で退職するときに、かなりの退職金を得ているはず。この遺産と退職金が老後資産の大きな柱である。だから街頭インタビューするなら、貯金できるかではなくて、あなたの会社ではどのくらいの退職金が出ると思ってますか、でなくてはならない。

 働き方が大きく変えられて、生涯同じ会社に勤める時代じゃないかもしれない。非正規社員の場合、生涯で得られる収入が少ないだろう。退職金がないか非常に少ないとすると、年金も少ないだろうし、老後資金も全然ないということになりかねない。そのような想定に立つケースを設定して考える必要があるだろう。その場合でも、祖父母や親の世代では資産を形成していることも多い。一人っ子なら親の不動産を相続すれば何とかなるかもしれない。会社に勤め、結婚して子どもいるというモデルそのものがもう時代遅れなんだから、それにあった年金、医療モデルを考えないと行けない。

 改めて思うのは、年金が社会保険であることを知らない人が多いということだ。「社会保険」は中学や高校の教科書に出ているし、何かしらやったはずだ。でも生徒には遠い話だし、教師の方でもまだ自分の問題じゃないことが多く、すぐに忘れてしまうんじゃないか。社会保険には5種類があり、医療保険年金保険介護保険雇用保険労災保険である。保険なんだから、掛けた分がそのまま戻るわけじゃないのは当たり前。ある人は長命で、ある人は短命だけど、自分がどっちかは判らない。長命ならずっと年金をもらえるが、短命なら年金はもらえない。

 健康保険をいっぱい払ってきたから、病気にならないと損したと思う人はいないだろう。介護保険を払っているんだから、認知症にならないと損だと思う人もいないだろう。でも年金保険の場合は、掛けた分がもらえないと損だと思ってしまう。長命になる人が増え、掛け金を払う人が少なくなると、年金額が削減されることはあり得る。だからといって、年金は将来は出なくなると思い込んで年金料を払わない人は良くない。出なくなることはあり得ない。減額はあるかもしれないが、税金も入って支えている以上、自分で資産運用するよりずっと安全と思うのが常識だろう。
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内田裕也、スクリーン上のロックンロール

2019年06月14日 23時21分02秒 |  〃  (旧作日本映画)
 今週は新文芸座(東京・池袋)で行われていた内田裕也の追悼上映をずいぶん見た。ちょうどキネマ旬報社から「内田裕也、スクリーン上のロックンロール」という「最後の超ロングインタビュー」も出版されたばかり。「ロックの日」(6.9)の発売である。これがもう圧倒的に面白くて、読み始めたら止められない。熱くたぎる汗が本の外まで飛んでくるような本だ。映画を見てない人でも面白いと思うけど、見てたら面白さが倍増、三倍増する本だ。70年代、80年代にこういう映画があったのである。
 
 最初の出演作「素晴らしい悪女」や「クレージーだよ 奇想天外」は疲れてて見逃した。また「コミック雑誌なんかいらない!」と「十階のモスキート」は混んでたので待つのが嫌で見逃すことにした。その後、滅多にない機会だから頑張ることにして、先の本も買っちゃった。60年代はナベプロの関係で、若大将シリーズやクレージーキャッツ、ザ・ドリフターズの映画なんかにも出ていた。

 本格的な劇映画出演は「不連続殺人事件」(曽根中生監督、1977)だった。先の本によると、元々はもっと大物俳優に声をかけていたという。坂口安吾の原作は日本ミステリー史上最高傑作レベルだが、映画は140分もあって長すぎる。公開時に見たし原作も映画の前に読んでいた。撮影が新潟の豪農の家として有名な「北方文化博物館」だったのは驚いた。もう何十年も前に訪れた思い出がある。事件の真相も忘れていたけど、有名な原作だから途中で思い出した。内田裕也は中心的な人物の一人で、前衛画家の役。原作を追うのに精一杯の展開だけど、内田裕也は存在感を発揮している。ロマンポルノの俊英曽根監督のATG作品だが、非常に成功しているとまでは言えないだろう。
 (「不連続殺人事件」)
 その後、日活ロマンポルノ作品にたくさん出ている。「実録不良少女 姦」(藤田敏八監督、1977)や「少女娼婦 けものみち」(神代辰巳監督、1980)は細部は興味深いが、もう昔だなという気もする。神代辰巳の「嗚呼!おんなたち 猥歌」(1981)は今もすごく面白い。もっとも今じゃ描けないような性暴力満載の映画だ。売れないロック歌手という設定も面白い。マネージャー役を現実にも親しかった安岡力也がやってる。二人でレコード店で宣伝に出かけるが、誰も聞いてない。どこかと思うと、遠くに「ほうとう」の看板が見えるので甲府だなと思った。本で読むとその通り。キャバレーで歌うと、「与作」をやれと言われて裕也が「与作」を歌うシーンが印象的。妻子がいて、愛人をソープで働かせ、さらに何人も強引にやっちゃう主人公はひどいヤツだが、内田裕也の存在感が半端じゃない。キネ旬5位。

 今回見た初めて見た「共犯者」(きうちかずひろ監督、1999)。全然知らなかったけど、竹中直人主演の「カルロス」の続編。監督は「ビー・バップ・ハイスクール」の原作漫画家だが、ハードボイルド系の映画を何本か監督している。2018年の「アウト&アウト」も良かった。暗さ全開のハードボイルドで、救いがどこにもない。蕎麦屋の店員だったのに、ひょんなことから知り合って銃撃戦まで付いてくる小泉今日子が最高。その相手の殺し屋が内田裕也で、アメリカ人ギリヤーク兄弟の兄の方。寡黙な殺し屋だが、しゃべるときは怪しい英語を連発する。全編暗い画面で展開する最高のハードボイルド。

 伊藤俊也監督の「花園の迷宮」(1988)は、江戸川乱歩賞受賞の原作の映画化。東映京都に作られたセットがすごく、この頃はまだそんなことが出来たんだと感慨深い。島田陽子と裕也が知り合った映画。横浜の洋館風の娼館で、相次ぐ不審な殺人。主人の島田陽子の他、黒木瞳、江波杏子、工藤夕貴ら女優陣の配役がすごい。豪華なセットの一番下で、石炭をくべ続ける窯焚きが内田裕也。最下層なのに、実は映画の鍵を握る。映画としての成功度以上に、なんだかキャストを見るのが楽しい。

 若松孝二監督が3本。「餌食」(1979)はアメリカ帰りのロック歌手が日本で浮いて犯罪者になる。「水のないプール」(1982)は実際の事件にインスパイアされた性犯罪映画で、公開時に見たときから好きじゃないけど、やっぱりすごい映画だと思う。麻酔薬で眠らせて女性を強姦していく地下鉄職員の役である。この冷たい感触の映画が確かに時代を映している。内田裕也が監督に持ち込んだ企画だというが、はまり役すぎて怖い。
 (「水のないプール」)
 「エロティックな関係」(1992)は、公開当時予告編を何度も見たけど、初めて見た。もともと「エロチックな関係」(長谷部安春監督、1978)という映画があり、そのリメイク。レイモン・マルローという人のミステリーを翻案して、ロマンポルノ風にしたのが前作。裕也は売れない私立探偵で、依頼に応じて浮気調査しているうちに罠にかけられる。その元映画をパリに移して、助手に宮沢りえ、依頼者にビートたけしというすごい配役。映画的には不自然すぎる(パリで日本人ばかり)が、要するに若い宮沢りえをフィルムに残しておきたいという企画だったらしい。その意味ですごく貴重だ。
 (「エロティックな関係」)
 インタビューを読むと、勝新太郎若松孝二北野武ら、とんでもない熱量を持った人と映画を作ってきたことが判る。日本でコンサートした外国タレントの大部分とケンカしたと豪語するのも凄い。もちろん日本人でも酒やケンカの日々で、そのような60年代、70年代の伝説を後世に伝える本でもある。いい気分になる映画ばかり見て育つと世の中を間違う。こんなトンデモナイ映画がかつて作られていたことを21世紀にも伝え続けるのも意味があるだろう。
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「ボヴァリー夫人」ーフローベールを読む①

2019年06月12日 23時10分50秒 | 〃 (外国文学)
 最近フランス文学をずっと読んでるから、ついに「ボヴァリー夫人」を読もうかという気になった。なにしろ19世紀フランス文学の最高峰であり、世界文学史に屹立する偉大な小説である(とされている)。なんだか読みにくそうで敬遠していたけど、持ってるんだから(しかも2冊も)、読めるうちにチャレンジしようじゃないか。しかし、これが予想以上の難敵だった。読めども読めども進まない。リアリズムが極まって、「クソ」とか付け加えたいぐらいだ。恋愛心理を描くときに、現場に飛んでるハエまで書いている。

 作者のギュスターヴ・フローベール、Gustave Flaubert 1821~1880)は、パリ西方のルーアン(ノルマンディー地域圏の中心地で、有名な大聖堂がある。ジャンヌ・ダルクが火刑にされた町)の外科医の子どもとして生まれた。ルーアンや周辺の農村地域がよく描かれている。法律を学ぶも途中で病気になり退学、以後は家で療養しながら文学修行をしていた。「ボヴァリー夫人」が最初の作品で、長年の苦闘の後、1856年に友人の雑誌「パリ評論」に連載され評判を呼ぶが、風俗紊乱とされて起訴された。その裁判は1857年2月に無罪判決が出て、4月に刊行されるとベストセラーになったという。

 日本でも昔から何種類もの翻訳が出てきた。僕は中村光夫訳の講談社文庫を持っていたが、2015年に新潮文庫から吉川泰久新訳が出た。(新潮文庫は海外の名作を続々と新訳で出している。新研究を踏まえつつ、字も大きくなっているので、読みたい本は買い直してしまう。)今度の吉川訳はずいぶん新工夫がなされているという。それは最後にある解説で判るけれど、ここでは細かな話になりすぎるから省略する。日本語的には読みやすいけれど、原作の描写が細かいから読みにくいのである。
 (フローベール)
 「ボヴァリー夫人」(Madame Bovary)は、簡単に言えば田舎の開業医シャルル・ボヴァリーの二度目の妻エンマ・ボヴァリーの姦通を描いている。フランス文学には「人妻の恋」がよく出てくるけど、上流階級には恋愛ゲームが許されても、単なる農民の娘ではいくら美貌を誇っても認められない。エンマには厳しい結末が待っているけれど、その転落の状況をこれでもかと描いてゆく。それでもエンマが不倫に走るのは、「凡庸な夫」にガマンできないという「結婚生活の倦怠」という感性を持っているからだ。それは数多くのロマンス小説などの読書体験から作られている。

 エンマの家は農民と言っても下層の小作農ではないから、修道院で娘を教育させるぐらいはする。(村に義務教育の小学校はまだない。)だから文字は読めるし、都会のブルジョワ文化に憧れている。ただ地方の農村だから、脱出の手段がない。たまたま父がケガして診察に来た医者のシャルルを知った。その時シャルルには母が見つけたものすごく年上の妻がいたけど、都合良く死んでしまう。シャルルは美貌のエンマを後妻に迎える訳である。エンマはシャルルを通して、まずは一つ上の階級に脱出できたのである。しかし、次第にシャルルの凡庸さにガマンできなくなってくる。たまたまシャルルが看病した侯爵家の舞踏会に招かれる。そして完全に舞い上がってしまう。

 その後エンマは体調を崩し、シャルルは他の村へ移る。エンマは何回か体調不良になるけど、これはどう見ても精神的な疾患だ。うつ病というか、適応障害というか。あるいは「恋愛中毒」と言うべきかもしれない。「情報」が「現実」に先立つという20世紀以後の人々の存在を先取りしていた。100年後なら、エンマ・ルオー(結婚前の名前)は映画スターになるとか、もっと違う生き方が可能になる。下層階級に生まれても、美女だということで上昇していった女性がたくさんいる。(もちろん今度はハリウッドで女優になることを夢見て、家出したものの転落したという悲劇がたくさん起きるが。)

 もう一つの大問題は「お金」である。結局エンマは不倫ではなく、借金で破滅する。金がかかるのである。夢のような生活を送るなら。衣装代もかかるし、町へ出るにもお金がいる。貸してくれるサラ金みたいな人がいるのである。その頃も貨幣経済が村に浸透していて、エンマもシャルルをだましながら為替を先送りし続ける。ずいぶん返してもいるから、今ならきっと「過払い金」が発生しているだろう。だから、この小説は「不倫小説」であるとともに、「カード破産」による「借金地獄小説」でもある。19世紀フランス農村の話だけど、本質は現代小説なのだ。だから今も読まれているわけだが、それにしても細かい。

 エンマのお相手は二人いて、一人は若い書記のレオンと田舎紳士のロドルフ。どちらも夫が医者だから知り合えるんだけど、エンマは夫より惹かれてしまう。ロドルフがエンマに言い寄る農業共進会のシーンはすごい。共進会というのは農業振興のため開かれる祭りだが、知事代理が空疎な演説をしているところで、建物の2階に隠れてロドルフが口説き続ける。空疎な演説は今までなら省略するだろうが、フローベールは両方を交互に描写していく。この映画的とも言える手法は発明だ。ルーアンの劇場にオペラを見に行ってレオンと再会するシーンなど、文学史上の名場面がいっぱいある。

 フローベールは今までに自伝的小説「感情教育」を読んだことがある。これも新訳で読み直したいと思うけど、ボヴァリーに疲れて今は違う本を先に読んでいる。「ボヴァリー夫人」の前に、地域の図書館で見つけた「ブルターニュ紀行」という本を読んでみた。これは当時は刊行されなかった本で、友人と旅行して交互に書いた原稿のうちフローベール分だけ翻訳された。これがまた異様に面倒くさい本で、完全に閉口した。歴史も風景も、描写が詳しすぎるのだ。「ボヴァリー夫人」の前だけど、とにかくフローベールのリアリズム描写はすごすぎて大変。僕が思うに、フランス人が翻訳で島崎藤村「夜明け前」を読んだら、ここまで詳しくては読めないよと思うんじゃないだろうか。僕の場合はその反対だった。
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「さよならくちびる」、心に残る音楽映画

2019年06月10日 22時24分16秒 | 映画 (新作日本映画)
 「ハルです」「レオです」、二人合わせて「ハルレオです」と始まるインディーズの女性デュオ「ハルレオ」。しかしハルとレオの仲がしっくりいかなくなり、ハルレオは今度のツァーで解散することになってる。そんな状態でスタートしたコンサート・ツァーを追ってゆく音楽ドキュメンタリー風のロードムーヴィー。しかし、ハルは門脇麦、レオは小松菜奈なんだから、もちろん劇映画である。青春映画の名手、塩田明彦が原案、脚本、監督を務める青春音楽映画の佳作だった。
 
 作中ではハルが作詞、作曲した曲を二人で歌う設定で、門脇麦が一生懸命詞を書き、ギターで曲作りをしている。歌っているのは「ハルレオ」で、吹き替えではない。だけど、さすがに曲まで自作とはいかず、劇中の3曲は本職が作っている。タイトルソングの「さよならくちびる」は秦基博、「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」はあいみょんが提供している。コンサートをやって、CDも作ってるんだから、もっと持ち歌が必要だが、見ているときは意識しない。曲と作中人物の思いが交錯し、響き合い、心を打つ。
 (コンサートシーン)
 ローディーを採用することになり、シマ成田凌)が参加する。ローディーというのは、楽器の手配や輸送、コンサート業務やミュージシャンのサポート役を指す業界用語だという。まあ昔はバンドボーイとか付き人とか言ってた仕事。ほぼ以上の三人が車で移動するか、ハルレオのコンサートシーン。最初は浜松、四日市と進むが、実際のロケは他の場所で撮っている。しかし、ラストの盛り上がるコンサートは、函館の金森ホールでロケされている。函館ロケの映画は数多いけど、この映画も忘れられない。

 かつてクリーニング屋で働いていたハルは、新入りで叱られていたレオに、音楽やろうと声をかける。最初はギターも弾けなかったレオは、どんな人生を送ってきたのか。映画は何も語らないが、次第にハルやシマの過去、背負っているものも見えてくる。ともに居場所を求めて悩んだ三人の心が判ってくる。ハルレオが歌う「誰にだって訳がある」が心に刺さる。それゆえにこそ、ハルレオは煮詰まっている。お互いに思いが届かない。ぶっきらぼうな車内のいさかいがイタい。風景も身に沁みる音楽ロードムーヴィーの魅力が詰まった快作だ。

 ロングの印象が強い小松菜奈がこの映画では短い髪が魅力的。この二人が意外に身長差があって、それも面白い。「愛がなんだ」の優柔不断男の印象が残る成田涼だが、この映画でもどうなのよと言いたい感じ。そのグズグズさが持ち味かも。ハルなくして成立しない映画で、門脇麦の存在感が素晴らしい。でも「止められるか、俺たちを」(60年代末の若松プロを描く)の時代じゃないのに、タバコ吸いすぎ。シマもちゃんと注意して欲しいな。ミュージシャンがあんなに喫煙してていい時代じゃない。

 音楽はきだしゅんすけ。撮影は四宮秀俊。脚本、監督の塩田明彦(1961~)は商業的成功作には「黄泉がえり」や「どろろ」があるが、「月光の囁き」「どこまでもいこう」の初期昨や「害虫」「カナリア」のようなシビアな作品まで、青春映画の印象が強い。そんな中でも「さよならくちびる」は大衆性と作家性を兼ね備えた魅力的な感動作になっている。
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加藤典洋、イオ・ミン・ペイ、鼓直等ー2019年5月の訃報②

2019年06月09日 21時02分31秒 | 追悼
 5月の訃報で京マチ子や降旗康男に次いで大きく報道されたのが、文芸評論家の加藤典洋(のりひろ)だった。16日、71歳。といっても知らない人は全然知らないだろうし、読んだこともない人がほとんどだと思う。僕もいくつかは読んでいたが、そんなに読み続けていたわけではない。「文芸評論家」が歴史や思想を語ると、どうしても目が粗い感じを受けてしまうのである。でも年齢的に現役で活動していたし、問題関心が時代的にマッチしたこともあるんだろう。マスコミや思想関係に関心がある人には「早すぎる訃報」に驚いたんだと思う。論壇デビュー作「アメリカの影」(1985)は非常に注目され、僕も読んだと思う。結局この本にすべてがあるというか、戦後論も村上春樹論も「アメリカの影」の発展だろう。
 (加藤典洋)
 岩波新書の「村上春樹は、むずかしい」(2015)などを読むと、読みの方向性は正しいと思う。しかし、一番議論を呼んだ「敗戦後論」(1997)は、僕には読む前に思ったほど刺激的な本ではなかった。戦後史の「ねじれ」を指摘したのは、アメリカ従属の保守派批判でもあれば、「9条墨守」の革新派批判でもあったんだと思う。「被害者に謝罪する主体」が日本では確立していないから、まず「日本人自らによる弔いの必要」といった議論だったけど、それはその通りだと思う。だからこそ、教育現場でも「現場としての東京」の戦争被害を認識しつつ、「加害」の意味も考えるという段階に進んでゆく必要がある。

 4月の訃報で書き落としがあったので、追加しておきたい。スペイン文学者の鼓直(つづみ・ただし)が4月2日死去した。89歳。訃報の公表が4月末になったため、つい忘れてしまった。何しろガルシア=マルケスの「百年の孤独」を1972年に翻訳した人である。この本の面白さは比類なく、日本文学にも大きな影響を与えた。他にもボルヘス「伝奇集」、ドノソ「夜のみだらな鳥」など70年代以後の世界的なラテンアメリカ文学ブームを日本で支えた人だった。
 (鼓直)
 数学者の志村五郎が3日、89歳で死去。「フェルマーの最終定理」証明につながる「谷山・志村予想」を提唱した人である。プリンストン大学教授を長く勤めた。サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)の中で説明されていたけど、覚えてない。昔の本を見つけたのでもう一度読みたいな。
 ピアニストの宮沢明子が4月23日に死去、78歳。訃報の公表が遅れたが、ベルギーのアントワープに住んでいたというから仕方ない。60年代、70年代に国際的に活躍し、レコードもたくさんあった。そう言えば最近は名前を聞かなかった。
  (左から、志村、宮沢)
 知らなかった人で一番驚いたのはイオ・ミン・ペイ(貝聿銘)。5月16日死去、102歳。建築家で、ルーブル美術館前の「ガラスのピラミッド」を設計した人。1917年に中国の広州で生まれ、1935年に渡米。戦後になってアメリカで認められた。「幾何学の魔術師」と呼ばれるそうだ。アメリカ、中国だけでなく、日本にも作品がある。クリーブランドにある「ロックの殿堂」もこの人の設計。
  (イオ・ミン・ペイと「ガラスのピラミッド」)
 元F!ドライバーのニキ・ラウダが20日に死去、70歳。1975年、77年、84年と3回世界チャンピオンになった。1976年に走行中に大けがを負い、6週間後に「奇跡の復活」をした。その年のジェームズ・ハントとの激しいチャンピオン争いは「ラッシュ プライドと友情」として映画化された。
 (ニキ・ラウダ)
・美術史家の柳宗玄(むねもと)、1月16日に死去、101歳。柳宗悦の次男。
・作家の阿部牧郎が11日死去、85歳。「それぞれの終楽章」で1988年に直木賞受賞。
・元吉本新喜劇座長の木村進が19日死去、68歳。3代目博多淡海を襲名したが、脳内出血で退社した。
野呂田芳成、23日死去、89歳。秋田県選出の自民党政治家。元農水相、元防衛庁長官。
・オーストラリアの元首相、ボブ・ホークが16日死去、89歳。1983年から91年まで首相(労働党)。
・タイの元首相、枢密院議長プレム・ティンスラーノン、26日死去、98歳。80年~88年に首相。その後も枢密院のメンバーとして政界に重きをなした。
マレー・ゲルマン、24日死去、89歳。1969年にノーベル物理学賞。「クォーク」の名付け親。

 星野文昭の訃報が小さく報道された。5月30日、73歳。渋谷暴動事件無期懲役受刑者である。1971年の沖縄返還協定批准阻止闘争において「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)が渋谷での闘争を呼びかけていた。中核派と機動隊の激しい衝突の中で、新潟県警の機動隊員が殺害され、その「実行犯」として星野らが起訴された。裁判では複雑な経緯があるが、星野は一貫して無実を主張したが1987年に無期懲役が確定。獄中から再審請求を続けていた。死去したのは「東日本成人矯正センター」(昭島市)と報じられている。獄中医療の問題はなかったか。無期でありながら仮釈放なしのまま亡くなることになった。2018年に再審を支援する大きな新聞広告が掲載された。
  (若い頃の星野、再審を訴える新聞広告)
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京マチ子と杉葉子(及び降旗康男等)ー2019年5月の訃報①

2019年06月07日 19時52分17秒 | 追悼
 2019年5月の訃報は、まず映画の話。戦後を代表する女優の一人、京マチ子が亡くなった。5月12日死去、95歳。長命のため、映画、舞台から遠ざかってずいぶん経つ。もう忘れられているかと思ったら、案外大きな訃報だった。「美と風格 世界を魅了」と大きな見出しが付いていた。ちょうど「京マチ子映画祭」が行われたばかりだった。その時に「『美と破壊の女優 京マチ子』と京マチ子映画祭」を書いたばかりだったので、独立した追悼記事は書かなかった。

 僕は若いときから古い日本映画を見てきたから、京マチ子という人は昔から知ってるけど「同時代の大スター」感はなかった。石原裕次郎や吉永小百合あたり以後しか、実感としては判らない。(この二人も若い頃を同時代的に知ってるわけじゃないけど、「ちょっと前」だから何となく判る。)確かに舞台やテレビに出てたし、寅さんのマドンナだったりしたわけだけど、もうすでに貫禄がありすぎた。
 (黒澤明監督「羅生門」)
 結局は「グランプリ女優」と言われた頃が一番残ることになった。中では「雨月物語」の若狭姫の幽玄美が素晴らしいと思う。(この「雨月物語」のストーリーは川口松太郎の創作で、上田秋成の原作にはない。後で原作を読んだので驚いた。)大学時代の英語の先生が、アメリカ留学中の話をしたことを覚えている。「アメリカの先生は皆机の上に奥さんの写真を飾っている。俺のワイフだと紹介して、お前のワイフの写真も見せてくれと言われたけど、そんなもの持ち歩いている日本人はいない。だから雑誌から切り取った京マチ子の写真をワイフだって紹介したんだ」という話だった。そんな時代だったんだなあ。

 同じく戦後のスターだった杉葉子が15日に死去、90歳。なんと言っても「青い山脈」で担任の原節子に相談する転校生で知られた。今はなき銀座シネパトスという映画館で「青い山脈」の上映があった時に行われた杉葉子さんのトークショーに行ったことがある。62年にアメリカ人と結婚してカリフォルニアに移っていて、3年前に帰国したという。日本を長く留守にしたので、若い人だと名前を知らないだろうが、アメリカでも日本文化の普及に務めて文化交流に尽くした人である。
 (杉葉子)
 「青い山脈」の記事で、当時のトークの様子を書いている。今井正監督の演出に納得し、その後もよく試写会に誘っていた話など興味深かった。成瀬巳喜男監督作品にもかなり出ていて、「めし」もあるが「夫婦」が格別じゃないかと思う。それと今井正監督の「山びこ学校」の若い教員役も忘れがたい。でも、一番記憶されるのは、今見るとトンデモ映画である「青い山脈」になるんだろう。
 (「青い山脈」左から杉葉子、原節子、若山セツ子)
 アメリカの歌手、女優のドリス・デイ(Doris Day)が13日に死去、97歳。戦時中から活躍していて、1944年の大ヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」で有名となった。その後女優としても活躍し、「二人でお茶を」や「カラミティ・ジェーン」がヒットした。それらの映画は見てないけど、ヒッチコックの「知りすぎていた男」は見てる。主題歌がアカデミー賞歌曲賞の「ケ・セラ・セラ」である。ヒッチコック作品のリバイバルで見たけど、素晴らしくドキドキの面白映画だった。その後テレビの「ドリス・デイ・ショー」、そして動物愛護運動で知られたという。50年代アメリカの懐かしさを象徴するような人だと思う。
(ドリス・デイ)
 アメリカでは脚本家のアルヴィン・サージェントの訃報があった。9日死去、92歳。「ジュリア」と「普通の人々」で2回アカデミー賞を得ている。最近もスパイダーマンシリーズなどを手がけていた。それら以上に思い出深いのは「ペーパー・ムーン」(1973)。怪しい聖書販売人親子を描き、娘役のテイタム・オニールが10歳で史上最年少でアカデミー助演女優賞を得た。あの親子の掛け合いは素晴らしかったが、現実のライアン、テイタムのオニール父子は相当凄絶な人生を送ったようだ。

 映画編集者の岸富美子(きし・ふみこ)の訃報が6月7日になって伝えられた。23日死去、98歳。この人の名前は数年前まで知る人も少なかっただろう。石井妙子との共著「満映とわたし」という本が2015年に出て、「満州国」にあった満州映画協会や敗戦後の新中国での貴重な体験が知られるようになった。劇団民芸で舞台化され「時を接ぐ」として上演されたときのことは記事に書いた。中国の革命歌劇、革命バレーとしてすごく有名だった「白毛女」の映画版(1951)の編集者が、実は岸だったのは驚いた。

 以上の人々は皆90代なのに驚くが、東映のプロデューサーだった坂上順(さかがみ・すなお)は18日に79歳で死去。「新幹線大爆破」「野性の証明」などを企画、その後「鉄道員」(ぽっぽや)で藤本賞。21世紀になっても「男たちの大和」や「剱岳 点の記」などを手がけた。普通、企画や製作の名前まで確認しないから、僕も名前を認知していなかったけど、ずいぶん見てるんで驚いた。

 その「鉄道員」などで監督を務めた降旗康男(ふりはた・やすお)が20日死去、84歳。僕はこの監督をどう評価していいのかよく判らない。だから最後に書くんだけど、うまいことはうまいと思う。特に高倉健がガマンにガマンを重ねるたたずまいをじっくり撮るような映画を量産した。見ると感動しないでもないんだけど、正直閉口することも多かった。デビューは「非行少女ヨーコ」(1966)という映画で、網走番外地シリーズなど東映東京のプログラムピクチャーを20本以上も監督している。1978年の「冬の華」から東映京都や他社で大作や話題作を撮るようになった。
 (降旗康男)
 「冬の華」、「駅 STATION」(1981)、「居酒屋兆治」(1983)、「あ・うん」(1989)、「鉄道員」(1999)、「ホタル」(2001)、「あなたへ」(2012)などが高倉健主演。松方弘樹主演の「」1995)などもある。これらの多くは、北海道など寒い地方が舞台になっている。中でも「駅 STATION」は廃線になった増毛駅など貴重な風景が残されている。八代亜紀の「舟唄」も忘れられない。どうも完全に大好きと言えないんだけど、逆に「嫌いになれない」タイプで心に残る。「鉄道員」になると、風景は美しいものの主人公がやり過ぎとしか思えず、どうしても反発してしまう。どうも評価に困る監督だ。
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