尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

25年目の天安門事件

2014年06月03日 23時39分53秒 |  〃  (国際問題)
 1989年6月4日、北京の天安門広場に集結していた民主化を求める学生たちに対して、軍の弾圧が始まった。以来、中国の民主化運動は「冬の時代」が続き、ついに四半世紀も経ってしまった。当時の民主化運動の中心にいた王丹が著した中国現代史を4月に読んだ。それは「王丹の中国現代史-4月の読書日記③」として書いた。事件の様子や当時の状況については、この本の他にも多くの書物や映像があるので、ここでは省略する。

 89年当時は、広場に立つ「民主の女神」や戦車を止めた民衆の姿などが映像を通して世界中に知られた。それをテレビで見て覚えているという人も多いだろう。でも当時は僕は映像では見ていなかった。結婚後、一時テレビのない生活を実験的に行っていた時で、だから日航機の事故やフィリピンの革命などもテレビでは見なかったのである。この年は昭和天皇が亡くなり、東ヨーロッパで共産党政権が軒並み倒れた忘れがたい年だけど、つまり「平成元年」だから、25歳以下の人は生まれていなかった。中国でも知らない人がいるという話だけど、僕はそれは信じていない。知るべき人は知っていて口を閉ざしているのだろうと思う。

 中国の人権状況に関しては、毎年5月末頃になると新聞で特集が組まれたりする。今年も朝日新聞で5月30日から「消される言葉」と言う連載記事が掲載されている。中国の人権状況はここ数年、非常に厳しい段階にあるけれど、この記事を読むと呆れてしまうようなことが多い。特に6月2日付「校舎崩落 遺族の声圧殺」によると、四川大地震で校舎が崩壊し娘が死亡した母親が、毎年追悼のため校舎があった場所を訪れることが許されないという。その校舎があった場所は、今は取り壊されて「文化芸術広場」というビルになっている。校舎は悪質な手抜き工事で建てられ、軒並み倒れた。その役人の不正を追及しようとしたが、ほとんどの家族は見舞金を受け取ってしまい、残った家族が裁判や陳情に訴えようとすると弾圧される。「娘を失った親がなぜ犯罪者扱いされるのか。」

 このような状況は、社会主義でもないし、資本主義でもない。もちろん民主主義ではありえない状況と言うしかないだろう。日本でも戦後直後には、民衆の声を地域ボスが圧殺するような事件があったし、水俣病などをみても一時金により「解決」したことになっていた時期があった。その頃の日本では「封建的」という言葉で批判することが多かった。中国は実際は身分社会であって、未だ封建的な「人治」の社会というべきなのだろうか。

 6月1日付の「学問の自由縛る『七不講』」と言う記事では、大学で昨年5月初旬、定例会議の席上で授業で取り上げてはならないことが大学幹部から列挙されたという話が載っている。その中身と言えば、「普遍的価値」「報道の自由」「市民社会」「共産党の歴史的な過ち」「司法の独立」などだという。それまで政府がタテマエとしては認めていたことをも、講義してはいけないと言う。大学生は社会のエリートだから、一応エリートの育成として「顕教」(社会のタテマエ)だけではなく、「密教」(支配層内部でのホンネ)をも教えることが許されるというのが多くの独裁社会の「知恵」とでも言うべきものだ。こういう大学ばかりになったら、中国の将来は非常に心配だと思う。

 2012年の第18回共産党大会で、現在の習近平指導部が発足した。江沢民、胡錦濤の例にならえば、2022年に次の総書記に交代するまでの10年間、中国のかじ取りを務めるはずである。習近平が最高指導者になった時には、一定の期待もあったのではないかと思う。「太子党」(中国共産党幹部の子どもたち出身者)から初めて総書記となったわけだが、父の習仲勲は文化大革命では残酷な迫害を受け、復活後は広東省で経済開放を進めた人物である。そのことを考えれば、天安門事件の一定の見直し程度なら踏み込む可能性もないわけでもなかろうと期待もあったわけである。しかし、現実は非常に厳しい弾圧が続いて、今までなら見逃されていたような人々にも弾圧が広がっている。

 内にはウィグル族と思われるテロ事件、外には日本の安倍政権との危険な「外交戦」と、「腹背の敵」に弱みを見せられないという心境なのではないか。安倍首相も「太子党」なわけで、この「二世」の弱さのようなものがお互いを縛ってしまっていないか。どうも「身内の論理」に縛られているらしいことで、この二人の指導者は共通するように思われる。(そう言えば、韓国のパク・クネ大統領、北朝鮮のキム・ジョンウン第一書記と皆「太子党」である。)

 ところで、日本では「反中国」的ムードから中国への関心も薄れているのではないかと心配している。もちろん、世界のどこに対しても、例えばインドネシアや南アフリカ、ポーランドやペルーなどの専門家もいないと困るのだけど、特にイスラーム世界と中国世界に対する理解を深めることは、今後の日本にとっても非常に大切なことである。日本では明治時代頃までの世代では、漢詩を作れたりしたわけだが、今は中国に対する理解が不足している人が多い。「漢字」を「日本文化」だと思い込んでる人がいたりするのである。日本の侵略に起因する共産党や国民党の複雑な関係、そのことが現在にどのような影響を及ぼしているか。例えば「台湾」がなぜ「現在、中華人民共和国の一省ではないのか」をきちんと理解している人がどれだけいるだろうか。

 もう一つ、中国にとって非常に頭が痛い問題は、やはり「ウィグル独立運動」ではないかと思う。それが崩壊してしまって、中央アジアで「○○スタン」というイスラーム国家がいくつも誕生した。(「スタン」というのは、古代からこの地域の共通外交語だったペルシャ語で、「場所・地域」を意味する言葉である。「ウズベキスタン」はウズベク人の住む土地という意味になる。)まとめて、その地域を「西トルキスタン」と呼ぶが、かつてロシア帝国が侵略し、それをソ連が受け継いだ地域である。一方、中華民国が支配した地域(清朝により「新疆」と命名された地域)を「東トルキスタン」と呼んでいる。1944年から1949年まで、ソ連の影響下ではあるが「東トルキスタン共和国」が存在した歴史がある。一度でも独立した過去を持つ民族の独立への熱情は抑えられるものではないと思う。

 あまりに激しい弾圧を続けると、中国とイスラーム世界全体との対立に発展しかねない。この問題は非常に注意深く見ていく必要があるが、相次ぐテロ事件を見ていると、すでにイスラーム過激派が浸透している可能性もあるのではないかと思う。つまり、ソ連やアメリカに続いて、中国に対する「アル・カイダ」(基地)運動が結成されるという可能性も考えておかないといけないと思うのである。アフガニスタンに侵攻したソ連共産党も、ウィグルを弾圧する中国共産党も、当然「無神論」であり、イスラームの敵であることは間違いない。まあ、それはともかく、今こそ中国の政治、経済、文化などを注意深く見続けていく必要がある時代はない。
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