尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「緑の党」の可能性は?

2013年07月31日 23時31分27秒 |  〃  (選挙)
 今回初めて国政選挙に登場したのが「緑の党」である。まあ知ってる人も多いと思うけど、昔から新左翼系の「緑の党」というのもあって、今もある。結構似たようなことも言ってるので間違いやすい。だから今まで環境問題を中心に訴えるグループは、「みどりの会議」とか少し違う名前を付けていた。どういう経緯があるのか詳しくは知らないけど、昨年「緑の党」という同じ名前で政党が作られた。今回は三宅洋平というミュージシャンが比例区で17万票余りを集めて、ちょっとした注目の的である。

 この党の名前はドイツの「緑の党」(現在は「同盟90/緑の党」)と同じで、両党は連携関係にある。ドイツでは98年から05年まで与党の一角を占めた。世界で唯一の環境派の政権参加である。もともとは西ドイツで、保守系の環境団体と新左翼系の環境運動が70年代に合同して作られた。ドイツ統一後、旧東独の民主化運動を担った「同盟90」と合同した。現在、68議席で、第5位の政治グループとなっている。

 ということで、ちょっと戦後ドイツの政治史のお勉強を最初に。ナチス崩壊後の政治グループは大きく言って2つあった。右派のキリスト教民主党(CDU)と左派の社会民主党(SPD)である。なお、バイエルン州だけはキリスト教民主党ではなく、キリスト教社会同盟(CSU)という組織を作っている。そこで政治グループとしては、常に「CDU・CSU」として活動してきた。日本で言えば吉田茂に当たるようなアデナウアー長期保守政権(1949~1963)を支えた政党である。その後、エアハルトが継いだ。

 この間一時期を除き、CDU・CSUは中道保守政党の自由民主党(FDP)と連立してきた。66年から69年までは、キージンガーのもとでCDU・CSUとSPDの大連立が成立した。政権担当能力を付けた社民党は、69年にウィリー・ブラントの下でFDPと連立して中道左派政権を樹立した。FDPが連立相手を変えたわけである。74年にヘルムート・シュミットに代わるが、1982年までこの左派系連立政権が続く。ところが、82年に連立が崩壊し、FDPはCDU・CSUに連立相手を乗り換えた。そこで保守系のヘルムート・コール政権が誕生し、戦後最長の16年間続き、その間に90年のドイツ統一を成し遂げた。つまり「西ドイツ」といった時代には、重要な政治グループは3つしかなかったのである。そして中道の自由民主党が、右に付くか左に付くかで政権が決まっていた。東ドイツがある以上、社会民主党ではない「共産党」なる政治党派が西ドイツに存在する余地はなかった。(極小グループとしてはあった。)

 そこに登場したのが「緑の党」なのだが、ナチス登場時のような極小政党が議席を取れないように、西ドイツには「5%条項」というのがある。ドイツは「小選挙区比例代表併用制」で、基本は比例で決まるが、少数政党は議席を与えられない。80年に初めて国政に挑戦した「緑の党」はこの壁を跳ね返せなかった。83年に初めて議席を得るが(5.6%)、87年に増やした議席は90年に減らしてしまう。直近の09年の選挙では10%を超え、68議席を得ているが、それ以外の選挙では7~8%程度の得票となっている。

 しかし、CDU・CSUとFDPのコール連立政権がまとまっている以上、SPDは「緑の党」と連立する以外に政権復帰の方策がない。コール政権も戦後最長となり国民に飽きられてきた1998年に、ゲアハルト・シュレーダーの下で、SPD・緑の連立政権が誕生した。緑の党党首のフィッシャーは副首相兼外相に就任した。この政権では、環境税導入、原発の将来的廃止、イラク戦争反対などが特筆されるけど、同時にコソボ紛争ではNATO軍として戦後初の軍事行動に参加し、2001年の米軍のアフガニスタン攻撃にも同調した。「緑の党」はこれらに際して党内論争は起こったものの、基本的には政権維持を優先させている。2005年に行われた総選挙では、なかなか多数派が形成できず、CDUのアンゲラ・メルケルの下で、再びキリスト教民主・社会同盟と社会民主党の大連立となり、「同盟90/緑の党」は下野。09年の総選挙後は、SPDも下野して、コール時代と同じCDU・CSUとFDPの連立となっている。(なお、東ドイツの政権党が統一後に民主社会党を名乗り、これにシュレーダー政権下にSPDを離れたグループが合同し、「左翼党」を結成した。現在76議席で、「同盟90/緑の党」を上回る第4位の政治グループとなっている。

 さて面倒くさい戦後ドイツ政治史をおさらいしてたけど、その意味は何か。緑の党が伸びて政権の一角を占めたのは、冷戦の終結、ドイツ統一という大変革の後だということだ。よく、戦後のドイツは戦争責任をきっぱりと認め謝罪し、戦前のナチス時代とは断絶しているというようなことが言われる。そういうドイツのあり方を日本も見習えと言う人も多い。僕も基本的にはそう思うけど、同時にその結果としてドイツはNATOの中心的勢力として軍事行動にも参加しているという現実がある。つまり「集団的自衛権を認めるか」問題はドイツではもう存在しない

 同様に、消費税率(付加価値税)もEUの基準があるので、基本的に19%で(軽減税率は7%)となる。ドイツはEUやNATOを脱退するわけには行かない。これはどの政治勢力にとっても自明の前提で、だから死刑廃止集団的自衛権などは、今さらどの政治勢力も議論の対象にする問題ではない。領土問題もSPD政権下に、ポーランドに大幅に譲ったオーデル・ナイセ線を認めていて、これも今さら誰も蒸し返せない。

 このように、いま日本でそれが政治のくびきとなっているような、領土問題、戦争責任問題、集団的自衛権の問題、TPPの問題、消費税率の問題などは、全部もう基本的に決着済みなのである。こうなれば、後は経済成長と環境をどう調和させるか、原子力発電所をどうするか、環境税を導入するかなどなどといった課題しか国内問題にはないではないか。そこで「緑の党」に一定の出番が出てくるというわけである。

 こうして見ると、日本の置かれている現実はだいぶ違う。これは東北アジアでは冷戦体制がまだ終結していない、ということが大きい。現実に「北朝鮮や中国の軍事的脅威があるではないか」と言って保守政党を支持する意見が相当ある。それに対し、イデオロギー的に反戦平和を訴えてきた政治グループの有効性もある。集団的自衛権を認めると、アメリカの軍事行動に引きずられ、沖縄の基地問題にも声が挙げられなくなるのではないかという「心配」は僕には杞憂とは思えない。が同時に北朝鮮や中国の軍事的プレゼンスが大きくなっている以上、集団的自衛権を認めアメリカとの軍事協力を強化すべきだという意見にも、一定の現実性を感じる人が多いのではないか。

 このような日本とドイツの差はどこに原因があるのだろうか。ドイツでは連合軍が直接に分割占領し、分断が続いた。一方、ドイツと周辺諸国では同じキリスト教圏という文化的共通性があり、戦後の協力関係が発展する基礎があった。一方、日本は間接占領され、直接占領されて分断されたのは朝鮮半島だった。日本と周辺諸国にも歴史的、文化的、経済的な隔たりが大きく、なかなか協力関係が構築できない。そういう問題もあるが、また中国共産党や朝鮮労働党の責任も大きい。とにかく歴史的に形成された難問が残り続け、ちょっと解決の方向性が見えない。

 そういう段階では、環境問題に特化した政党が大きな勢力になるのは難しいのではないか。日本という社会は、各種のすべての政策課題をパッケージで提供する「イデオロギー政党」の存在意義がまだある段階なのではないか。そう思うので、「緑の党」が今後参議院で1議席位を獲得することはあるのかしれないが、その前に日本が直面する問題は大きいのが現実だと思う。自民党の「原発維持政策」も、東北アジアの冷戦体制を前提にした議論ではないかと僕は思っている。この、今もなお日本は冷戦下にあるという現実をしっかりと認識することが重要だ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小党の運命-参議院選挙の結果を考える④

2013年07月30日 00時43分03秒 |  〃  (選挙)
 さて、参院選の結果をあと二回書いておきたい。もちろん重要なのは、自民党と安倍政権のゆくえであり、あるいは民主党や日本維新の会が今後どのようになるのだろうかといった点だろう。でも、まあそういうことはいろんな人が書いてるし、当面国政選挙はないんだから、3年後にはどうなっているか。おいおい考えていけばいいだろう。僕が書きたいのは、もっと小さな党の話である。

 小さな党は選挙区では当選が難しいが、比例区なら当選も不可能ではない。そう思うから今まで多くの党が比例区に候補を立ててきた。「女性党」のように何回も出てるけど一度も当選したことがない党もある。1983年に、それまでの全国区が比例代表区に代わった時に、当選者を出した党は9つあった。順に書けば、自民、社会、公明、共産、民社、サラリーマン新党、福祉党、新自由クラブ、第二院クラブである。今はなき小党を解説したい気もするが、長くなるから止める。

 その後、新しく当選者を出した党を順番に書いておくと、86年に税金党、89年にスポーツ平和党、92年に日本新党、95年に新進党、新党さきがけ、98年に自由党、01年に保守党、07年に新党日本、国民新党、10年にみんなの党、たちあがれ日本、新党改革、13年に日本維新の会…ということになる。何十年も政治を見てきた世代には懐かしい名前が多いかもしれない。

 今回、生活の党、新党大地、緑の党、みどりの風は議席を獲得できなかった。生活の党は岩手県では17パーセントを得ている。新党大地も北海道だけなら11.7%取っている。他の都府県ではすべて1パーセント未満なんだから、参議院比例区で立つのは無理がある。衆院比例区北海道ブロックならともかく。緑の党はちょっと成り立ちが別だが、生活、大地、みどりの風が社民党と一緒のグループを作ったら、単純に合算すれば6%ほどになり、2~3議席になっただろう。

 それでもこれらの党は出ただけ存在感はあるわけで、舛添要一が自民党を出て作った「新党改革」は立候補も出来なかった。前回も当選できなかった国民新党は、役割が終わったとして解党してしまった。2010年参院選では、国民新党から出馬した長谷川憲正が40万6千票を得たが、国民新党全体では100万票ほどで議席に結びつかなかった。今回郵便局長会から自民党で出た柘植芳文は42万9千票で(自民党で個人票の1位である)、郵政票という意味では前回と同じだが、自民から出たので当選した。つまり、小党が生き残るのは大変難しいということである。「たちあがれ日本」は太陽の党を経て、今は日本維新の会として残っている。現職の中山恭子も当選した。「たち日」だけだったら1議席も厳しかったのではないか。

 05年の郵政解散、09年の民主党勝利の後、自民党を離れて新しい政治グループを作る動きがいろいろあった。しかし、時間が経った今となってみると、ガマンして無所属で通しやがて自民に復党した方が賢かったのかもしれない。国民新党を作ったり、民主党に入ったりした人はほとんどが2012年の総選挙で落選してしまった。自民にいた当時は総裁候補と言われた舛添なども、離党後には政界に居場所がなくなってしまった。

 民主党の政権運営を批判して離党したグループも、2012年衆院選と2013年参院選でほとんど消え去った。衆議院では「日本未来の党」の名前で当選した比例区の議員が少し残っているが。小沢一郎の神話も全く消え去ったと言えるだろう。これは何故だろうか。小沢自身に関しては、被災地を訪れるのが遅れたということにつきるのではないか。小沢自身の第4区は沿岸部を含んでいないが、それでも隣の選挙区に有力者がなかなか行かなかったということが岩手においても小沢神話の崩壊の始まりになったのではないか。かつての自由党には、新進党内の右派グループが結集した。小沢は当時は「普通の国」を主張し、グローバリズム的な「改革」を掲げていた。印象としては、当時の小沢「自由党」は、むしろ今の「日本維新の会」などに近い感じがした。いつのまにか、TPPと原発に反対する党のような感じで選挙に臨んでも、どうも今一つ信用できないということもあるのではないか。

 「みどりの風」は何故当選できなかったのだろうか。候補者に新味がなかったのではないか。反原発ということで言えば、もっと大きな連合を作ることに全力で取り組まなければならなかったと思う。もともと、山形、埼玉、愛知、島根で現職を抱えていた。このうち代表の谷岡は比例区に回ったが落選。埼玉の行田邦子はみんなの党に移り当選した。「みどりの風」で選挙区に出た山形、島根は落選した。今さら一つ二つの選挙区で、反TPP候補が当選しても政権のTPP参加方針が変わるわけではなかろう。では、抵抗県と政権に見られるよりも、政権と直結した議員を誕生させ、いくらかでも有利な方策を探る方が良いのではないか。そう考えた有権者の方が多いということではないか。

 民主党に反対して離党した時には、政権批判の世論をつなぎとめるのは自分たちだと思ったのだろうが、民主政権批判票は自民党に入れればいいのであって、より左の立場には向かわなかったのである。もともと自民、公明、共産以外は、地域に組織と言えるほどもものがない。それでも民主党は有力組合などの組織票が残っている。民主を離れた議員は、人気が落ちて見る影もない民主党からさえ離された票しか獲得できなかった。こうして見ると、自民党と民主党は「腐っても鯛」だったんだなあ。

 いいか悪いかではない。小党が生き残るのは今の制度では難しい。ある程度当選して政党助成金を得ないと政治活動が困難なのが実情である。結局、政治家として生き残って仕事をしたければ、ある程度大きな党にまとまっていくしかない。ところがまとまるためには、自分のこだわりの政策を薄めなければならない。それが嫌なら、小さなグループで挑戦を続けるしかない。そうして小さくても存在しているのが新社会党だが、今ではほとんど存在感はない。今度は社民党そのものも非常に小さな党になりつつある。しかし、そうした今までの教訓を学ぶことはできるだろうか。多分できないのではないか。思想を持って立つ人々は小さなことにこだわるのである。また左でも右でも同じだが、関連の社会運動団体との関係が難しく、お互いにケンカしてきたようなグループはなかなか一緒にできない。でも、民主党と自由党が一緒になったほどのインパクトがあるまとまりを作れなければ、自民党一党体制がしばらく続くのではないか。(いや共産党があるではないか、あるいは「緑の党」のような党を育てていくべきだという意見もあるだろうが、それは次回に。)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

政党力の盛衰-参議院選挙の結果を考える③

2013年07月24日 23時07分08秒 |  〃  (選挙)
 今の選挙制度では、衆参ともに政党名を書く比例区がある。(参院は個人名も書けるが、それも含め。)そこでここ何回かの選挙で得た得票数を見ておきたい。比例は得票数そのものではなく、得票率で議席を配分するわけだが、選挙運動としては一票でも多くの票を獲得したいと考えるわけである。その結果としての比例区の得票数にこそ政党の力が現われる。(選挙区の方では、個人的な人気票が重要な場合がある。)

 参院選は、98年、01年、04年、07年、10年、13年とあった。その間、衆院選は、00年、03年、05年、09年、12年である。(衆院はカッコに入れる。)
 98年から見るのは、95年の参院選、96年の衆院選は、「新進党」という今は忘れられた不思議な政党をめぐって行われたからである。新進党が解体し、現在の民主党が事実上発足し、初めて選挙に臨んだのが98年と言える。その選挙では、自民党が大敗し、参院で「ねじれ」が起こった。そこで当時の小渕首相は自由党(小沢一郎の党)を連立に引き込み、続いて公明党と連立を組んだ。従って、2000年の総選挙から、自民党と公明党は選挙協力をしている。01年に小泉内閣が出来て、01年参院選は自民が圧勝。続いて、2002年に民主党と自由党が合併した。

 以下、98参→(00衆)→01参→(03衆)→04参→(05衆)→06参→(09衆)→10参→(12衆)→13参、である。

自民党
 1412→(1694)→2111→(2066)→1680→(2589)→1654→(1881)→1407→(1662)→1846
 自民はかつて小泉時代に2000万票以上を集めていたのである。それが3年前の参院選では1400万票にまで落ち込んだ。つまり、敗北した07年ではなく、勝利したはずの10年が最低なのである。それは98年と同じ水準。昨年の衆院選でだいぶ回復したが、今回投票率が下がった中で、さらに200万票を上積みした。しかし、それは小泉時代には遠く及ばない。他党に比べ圧倒的に強かったとはいえ、けっして盤石ではない。経済の好調が続く間は支持されるだろうが、その他の課題が支持されたわけではない。

民主党98年から01年は、民主+自由で計算。
 1740→(2165)→1321→(2200)→2113→(2104)→2325→(2984)→1845→(962)→713
 04年、07年の参院選で2000万票を超え、ぼろ負けした印象の05年総選挙でも2100万を集めていた。09年総選挙では3000万に迫り、10年参院選は2000万を割ったが第一党だった。それでも第2党なのだが、ついに700万票ほどに落ち込んだ。もはや回復のきっかけさえつかめない。

公明党
 775→(776)→818→(873)→862→(899)→776→(805)→764→(711)→757
 あれれ、前回は6人、今回は7人が比例で当選したが、得票は減っているではないか。かつては国政選挙で800万票を集め、900万が壁かと思われたが、今では700万票台しか集票できない。しかし、昨年の衆院選より50万票上積みできたのは、与党の恩恵というか、自民へのけん制期待票かもしれない。
 
共産党
 820→(670)→432→(458)→436→(492)→440→(494)→356→(369)→515
 共産党は98年には800万票を超えていた。その時は比例区8人、選挙区7人で合計15人も当選したのである。その後漸減を続け、近年は300万票台だった。これは反自民票が民主に集まっていたからだろう。今回21世紀になって初めて500万票を超えた。今後どうなるかは、非常に注目。 
 
社民党
 437→(560)→362→(303)→299→(372)→264→(300)→224→(142)→126
 社民党こそ、減り続けている。ちょっと前までは、小なりといえども大体300万票は取っていた。昨年の衆院選から100万票台に落ちた。回復の兆しは見えない。衆院で知名度のある政治家が沖縄の照屋寛徳しかいなくなった。これでは沖縄以外で票が出ないのも当然だろう。

 ずっとあるから継続観察が可能なのは以上の5党である。その間、国民新党などもあったが、解党してしまって、「全特」(特定郵便局長会、もう特定郵便局というものはないけど)の組織内候補は今や自民の比例候補のトップで当選である。一体郵政民営化騒動と言うのは何だったのか。それはともかく、近年に出来た2つの党は見ておかないといけない。
みんなの党(09衆)→10参→(12衆)→13参 
 (300)→794→(524)→476
 みんなの党は好調続きのように思っている人もいるだろうが、票を見れば判る通り、10年参院選が最高で票が減っているのである。一定の固定客は付いてるようだが、維新ができ、自民が好調なら票は取られるということなのだろう。特に維新がある以上、近畿で得票できないのが大きい。

日本維新の会(12衆)→13参
 (1226)→636
 維新は昨年の衆院選の票を半減させた。それを強調してみるか、それでも近畿を中心に票を集め、自民、民主、公明に次ぐ第4党に踏みとどまったと評価するか。ここは難しい所だが、好き嫌いは別にして、共産党やみんなの党より多数の支持があるという現実はあるのである。
 ちょっと今回もデータの紹介で終わらざるを得ないが、こうして時系列でみ見ればいろいろ判る。それを他のところでやってくれないのだが、こういうのは選挙マニアには苦にならない。こういう細かなデータにこそ政党の力が現われるということが判ると思う。 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

参議院選挙の結果を考える②

2013年07月23日 23時47分05秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙のデータ分析。3つの観点で見てみたい。
選挙予測は当たったか
 最近の新聞は数字を明記しない場合も多いのだが、18日付朝日新聞は数字を出している。それをもとに。
 選挙区はほぼすべて当たっている。が、まあこれは誰でも当てられる。民主が「8~11~15」とあるが、実際は10。「みんな」が「1~3~4」だが、実際は4。範囲内に入っているから間違いではない。だが、他の党はすべて中心の予測ドンピシャリ。これは宮城でみんなの党が民主党現職の岡崎トミ子を破ったのが、今回の唯一の番狂わせで、後は大体最後のころの勢いそのままだったということだ。

 比例区はしかし、少し違っている。自民は「19~21~24」と比例が削減されて以後の最大の勝利を予測していた。実際は18議席だから、予測の最低を割り込んでいる。自民は予想より不振だったのである。民主、みんな、社民は当たり。生活に一人当選を予想しているが実際はゼロだった。つまり、自民で3、生活1の4議席が予想より下。その分増えたのは、維新が「3~4~5」なのに、実際は6議席。公明と共産が1議席ずつ予想の中心から上積み(しかし上限の範囲内には入っている。)非常に意外な感じを受けるかもしれないが、今回自民が思ったより少なく、維新は事前予想より獲得したのである

 これは多分、投票率が思ったより高かったということだと思う。投票率が低い、低いと言う人が多いが、これほど事前予想がはっきりしている選挙で、52.61%は僕の予想より上。5割行くか行かないかではないかと予想していた。

 つまり、多少は自民が多くなり過ぎるのはどうかと思った有権者がいて、その人々は、与党内でも公明に、自民より維新へ、反自民は共産へと3つのパターンで行動したのではないかと思う。反自民票は今では民主には向かわない。そこで与党は支持するが公明に暴走を止める役を期待する、あるいは共産に期待する。では予想より維新が増えたことはどう考えるか。これはまだ僕にも判断が付かない。
都議選との比較
 局所的データになるが、直近に都議選が行われた。都議選とは選挙のやり方がかなり違うが、東京の比例区票と都議選の結果を比べてみたい。都議選では全区に候補を立てていない政党が多いので完全に有効な比較とは言えないが。まず最初が参院選の票で、カッコ内が都議選。

 自民180万(163万)、共産77万(62万)、みんな71万(31万)、公明69万(64万)、維新63.5万(37.4万)、民主58.5万(69万)…
 他党は都議選に多くの候補を立てていないので比較に意味がない。一応参院選の得票を紹介しておくと、生活12万、社民11.6万、緑の党9万、みどりの風7万、大地4万、幸福実現党1.4万。

 民主党は、都議選段階でははかろうじて第2党を維持していたが、参院選比例では何と第6党である。それに代わり、共産党が第2党で、都議選段階から15万票も増やしている。ネット選挙や選挙区との連動など理由はいろいろあるだろうが、東京では都議選で第3党になったことで「共産党が発見された」のではないか。それまでは負けを承知で入れる老舗左翼政党だったのが、当選を意識して反自民票を託せる可能性が出てきたわけである。みんなや維新は、都議選では候補がいない選挙区が多いのであまり比較の意味がないが、都議選の倍を獲得している。

 ちなみに、前回2010年を見ておくと、民主191万、自民125万、みんな92万、公明70万、共産50万、社民25万だった。民主の激減は言うまでもないが、社民は半減、みんなの党も維新ができたこともあり、20万票を減らした。公明も実は微減である。自民は55万票を増やし、共産は23万票、維新が40万票以上増やした。(維新は「立ち上がれ日本」と「日本創新党」の合計が26万票あり、それを基に考えた。)

 これを見ると、都議選以後に、自民と共産が勢いづき、民主の票離れがさらに進行したと言えそうである。まあ、常識をデータで裏付けただけだが。
各党の地域ごとの党勢は
 ついでに各地域での政党の強弱を簡単に見ておく。各党がその県で比例区票の何割を得ているかを見てみたい。自民は全国的に比例で3割以上を獲得しているが、ただ一県沖縄での支持が25%となっている沖縄では社民党が第2党で約20万票弱を獲得した。自民は山口、鳥取など幹部のいる県では、4割を超えている。北陸、中国、四国、九州で圧倒している。

 維新は大阪で100万票以上を獲得、第一党である。面白いことに大阪選挙区の東徹は105万6815票で、維新の比例票は105万3036票。ほとんど同じである。選挙区の個人票が全く流出していない。「橋下信者」がまだまだ多いということではないか。全国的にはまだら模様で、西日本でも少ない県もあり、東日本でも1割以上の支持がある県もある。まあ関西中心であるのは間違いないが。

 共産はほぼ全国で1割程度だが、京都と高知で高い。一方、東海と九州が弱い。公明はほぼ全国で1割半ばになっている。富山、石川、福井の北陸で9%台だが、これは真宗王国なので創価学会信者が少ないのだと思われる。「みんな」はほぼ愛知県以東で1割を超える支持があるが、西日本と北陸で5%程度の得票しかない。民主は、東京、大阪、沖縄と候補のいない富山、和歌山で1割未満の得票であるが、それでも多くの県では15%程度を取っている。民主が強い東海では、共産やみんなが少ない。そういう関係がありそうである。
 時系列に沿って各党の盛衰を見たかったのが、時間が遅くなったので次回に回す。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

参院選の結果を考える①

2013年07月23日 01時08分16秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙が終わり、与党の圧勝と言う、各マスコミが予測し、僕も公示前後に書いておいた通りの結果が出た。

 比例区は自民が18、公明が7で、過半数は超えているが、与党25、野党23で差は2つ。2人区では、民主が共産、みんな、維新に競り負けたところがあるが、それはそれとして自民は一人しか立てていないから差は付かない。3~5人区では、埼玉、千葉、東京で自公合わせると一つ多いので、合計3差。結局は1人区で、29勝2敗という自民の大勝になったということが、今回のすべてだった。その詳しい分析は次回に回す。

 僕はこのような、人口比例に著しく反するような一人区のあり方に根本的な疑問を持っている。参議院の役割から言って、衆議院より多くの議員を出す必要はない。だから各県の選挙区というやり方をする以上は、一票の格差が解決しようがないという問題を抱える。結局、比例区だけにすればいいのである。そういうことを前に書いた。もし、参議院が比例区のみ96議席だったとしたら、以下のような議席配分になる。

 自民30、民主22、公明13、みんな11、共産8、維新7、社民3、生活1、改革1 計96

 つまり、比例だけなら自公では過半数ではなかったということになる。

 しかし、とりあえず自公で大きく過半数は越えた。自民党は115議席、公明は20議席。参議院の半数は121だから、まだ自民は公明を必要としている。(数字上は9議席の維新と連立すれば、公明が離脱しても過半数にはなる。)ところで改選数の半分は61だから、今回は65で4つ超えている。次回2016年参院選で自民は久しぶりに(1986年以来)、参議院の単独過半数獲得が見えている

 さて、今後の政治日程を考えておきたい。衆院選後、僕は「次の総選挙は遠くない」という記事を書いた。その当時はその分析は当たっていたと思う。安倍首相は今回、衆参同日選をやるのではないかという観測がある時点までかなりあったのである。しかし、それはなくなった。来たるべき総選挙は、維新の橋下大阪市長が出馬する可能性が高いと見られている。大阪都構想を掲げる以上、2016年にならないと立候補できないと見られている。しかし、今の時点で自民に代わって維新が大きく伸びると言う可能性は全くなくなった。首相候補のライバルとしての維新、という問題はなくなった。早めに総選挙を仕掛けると、自民は精一杯伸びきっているので、伸びしろが少ない。憲法改正の同志たりうる維新が減って、共産のみ増えるという可能性が高い。従って、安倍首相が早めに総選挙に踏み切る可能性はほとんどない。

 安倍首相の、自民党総裁としての任期は2015年までである。今のまま高支持率を保っていれば、再選も視野に入ってくる。当面はそこに向け、2014年に何をするかという問題に絞られる。高支持率、衆参の過半数と条件はあれど、これがいつまでも続くかどうかは判らない。問題は4つ。消費税、TPP、スキャンダルや失言、首相の健康である。これに後継争いが加わる。すでに2回総理をやった安倍が自民党総裁に再選されれば、もう3年も続く。そうすると、次は一気に若返る可能性が高い。それを快く思わない人もいるだろう。それが消費税やTPPの政策課題の判断という形を取って、党内の政争が起きるわけである。当面は秋に、消費税増税とTPPの条件の最終判断をしなければならない。

 だから秋までは、安倍首相は低姿勢を続けざるを得ない。衆参で大勝したけど、案外安全運転を続けているではないかというムードが求められるのである。しかし、政界は一寸先は闇。何が起きるか判らない以上は、多数を持っている間に思ったことをやってしまおうという誘惑が強くなる。それが2014年。つまり来年こそが真に重大な政治の季節になりそうであると僕は予感する。野党のどこが少し減ろうが増えようが、最後は国家と民衆が直接対峙するという政治の本質は変わらない。いよいよ、来るのではないか。あっちにつくか、こっちにつくか、一人ひとりが決めなくてはならない時が。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ネルソン・マンデラと奥西勝

2013年07月20日 23時11分29秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 今、ネルソン・マンデラ(1918~)が生涯最後の闘いを続けている。言うまでもなく、南アフリカ共和国の元大統領。人種隔離政策(アパルトヘイト)に抵抗して、1962年に逮捕され1990年に釈放されるまで、獄中で不屈の人生を送った。その様子は「マンデラの名もなき看守」という映画で見ることができる。7月18日が誕生日で、国連はその日を「ネルソン・マンデラ・デイ」に指定して、67分間を誰かのしあわせのために使うことを提唱しているという。09年に出来たらしいが、僕は今まで知らなかった。

 80年代に、欧米諸国が南アフリカとの経済活動を断つ中で、日本が貿易額で一位になった時期がある。日本でも反アパルトヘイト運動が高まり、この恥ずべき日本政府や日本企業への抗議を行った。僕もそういう集会で買った「Release Nelson Mandela」という顔写真入りのTシャツを持っている。これはずいぶん教室で役だった。ネルソン。マンデラと言う人は、だから僕にとっても、長く自由と人権の象徴である。生きているだけで、世界の多くの人々を励ますという存在である。一日も長く生きていて欲しいが、しかし人間である以上は人生の終わる日がやがてあるのは間違いない。

 6月に危篤が公表されて以来、世界のメディアが殺到し、南アフリカ内部、あるいは家庭内の状況なども様々な混乱した情報が流されている。最近面会したズマ大統領は、「着実に改善している」と言っている。「危篤ではあるが」という前提があるが。実際のところはよく判らないが、数年前から公の活動はできなくなっており、今後も公衆の面前に出てくると言うことはないだろう。

 さて、一方日本では「名張毒ぶどう酒事件」で再審を請求している奥西勝さんの危篤状態が続いている。僕はこの事件について何回か書いている。最近公開された「約束」という映画のことや、昨年5月の再審棄却決定を批判する「名張事件再審棄却に異議あり」などである。

 この事件ほど複雑怪奇な経過をたどっている事件はないだろう。何しろ一審は無罪、二審で逆転死刑である。こういう事件は他にない。これだけで、死刑制度に疑問が湧いてくる。その後何度も再審開始を求めたが、棄却され続けた。そしてついに2005年に名古屋高裁が再審開始決定を出した。これに対し、検察が異議を申立て、それが2006年に認められ再審開始が取り消された。それに対し、最高裁が全く異例なことに、2010年に差し戻し決定を行った。そして、それに対する決定が2012年5月に出て、再審棄却だった。こういう風に、再審開始決定が一度は出たものの、裁判所をエスカレーターで行ったり来たりしてるうちに、肝心の奥西氏の容体が悪化の一途をたどりつつある

 死刑囚というのは、「死刑執行」そのものが刑なので、有期懲役の被告が刑期の確定とともに刑務所に行くのと違って、ずっと拘置所(裁判中の被告、あるいは取り調べ中の容疑者を勾留する施設)にいる。しかし、奥西氏は今、八王子医療刑務所に移送され、そこで意識のない状態が続いていると伝えられる。誰でも面会できるわけではないので、情報が限られているが、極めて厳しい状態が続いているものと思われる。現在、87歳

 今再審は最高裁段階にある。一刻も早い再審開始が望まれる。アムネスティ・インターナショナル日本支部が、最高裁の再審開始を求める電子署名を募っている。是非、アクションに参加して下さい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

選挙に行っても何も変わらないと思うあなたへ

2013年07月18日 23時09分15秒 |  〃  (選挙)
 選挙論議の最後。僕は何党に入れるか以上に、選挙に行くということを続けるのが大切だと思ってる。「選挙に行く意味」を判っていれば、誰に入れるという判断もしやすくなってくる。そうして、以後の選挙も(入れる相手は少しずつ変わることもあるだろうが)、行きやすくなる。

 「選挙に行っても仕方ない」「自分が投票しても何も変わらない」というようなことを言う人が時々いる。そういう考え方に対して僕が思うことを書いておきたい。二つある。「全くその通りである」というのと「あんた、何様だと思ってるんだよ」である。

 誰か一人が選挙に行ったからって、それだけで世の中が変わるわけないじゃないか。ただ選挙に行ったからと言って、世の中が変わるなんて思える方が不思議である。日本の有権者は約1億人いる。去年12月の衆議院選挙は大体59%の投票率で、およそ6千万人が投票した。参院選は毎回少し下がるが、半数が行くとして5千万人。比例代表区は全国単位だから、一人の影響力は5千万分の1程度になる。人間は自分は特別だと思いたいものだが、実は同じ国の同じ時代に生きる数千万人の一人に過ぎない。だから選挙に行ったからと言って、すぐ影響力があるわけがない。当たり前である。それでは行かなくても同じなのではないか。いや、決してそうではない。「同時代に生きる数千万人の一人」として、日本社会に参加するという他では得られない経験ができるのだから

 問題は、「何故自分の一票では社会が変わらないか」をとことん突き詰めることである。今「社会が変わらない」と書いたけど、これは特に原発問題などを頭に思い浮かべている。福島第一原発事故以後初の衆議院選挙で、脱原発を掲げる政党ではなく、原発を推進してきた政党が勝利した事態をどう思うか。でも、若い世代だって自民党支持者はいるだろう。そういう人は「自分の一票で、民主党政権を倒して自民党政権復活を実現できた」と思っているのではないか。世の中には様々な人がいる。変えたいと思う人もいれば、変えたくないと思う人もいる。今の社会に「それ」があるということは、「それ」があることで仕事が成り立っている人がいるということである。様々な問題について、同じことが言える。自分だけが一票を持っているのではなく、他の人も同じ一票を持っているわけだから、選挙では自分の入れた党が負けることも当然ある。

 つまり「他者」の存在を理解することである。世の中は自分だけではない。若い時は「オレ様意識」が強い場合があり、そんなまだるっこしい選挙になんて、関わりたくないと思ったりする。もうすぐ自分の音楽活動が認められる日が来れば、オレの音楽で世界を変えられる、とか。だから、選挙のごときは「愚民の業」に見えてしまったりする。でも、ホントは自分もその「愚民」の一員なのであって、同時代に生きる一員なのである。

 「変えたくない人」は現状から利益を得ている。利益を守ろうという人は、利益を守るために幅広く団結できる。一方、そういう現状を変えたい、理想を実現したいと思う人は、その人なりの「思想」「信条」をベースにしていることが多い。「思想」を問題にする人は、ちょっとした考え方の違いで「分裂」していきやすい。(いや当人は「ちょっとした違い」ではなく、「本質的な違い」だと言うんだろうけど。)つまり、現状を変えたくない勢力の方はまとまって選挙に臨むのに、現状を変えたいと思う勢力はバラバラで選挙に臨むことが多いのである。(これは日本だけでなく、韓国で大統領直接選挙が復活した87年の選挙で金大中と金泳三が両方たった例、2000年米大統領選で、ゴアに対しラルフ・ネイダーがたってブッシュ・ジュニアが当選した例など、世界政治史上で枚挙にいとまない。)

 そのように分裂選挙になるんだったら、ますます行く意味がなくなると思うかもしれない。僕も「抗議としての選挙ボイコット」が必要な場合もあることは認める。でも、ほとんどの場合は、自分が行かなければ、自分の支持しない政党の得票率が数千万分の一の分だけ増えてしまう。これを同時代に生きる者の倫理として、自分で許せるか。

 社会を変えたいと思うものにとって、選挙はほとんど負け続けになるはずだ。だから行っても仕方ないのではなく、負け続けだからこそ行くのである。日本の同時代を生きる他者に対して、反対勢力もいるんだと示すためである。まだまだ違う意見を持つものもいるのだぞと示すためである。だから負けそうな時ほど行く意味が大きい。どうせ自分が行かなくても当選するんだったら、さぼりたくなるだろう。でも自分が入れても負けそうな時ほど、自分が少数意見を表明する意味が大きくなるのである。
 
 僕にとっては、選挙に行くのは自明の前提で、選挙で社会を変えるなどと思ったことはない。もちろん政権を変えるとかそういうことはありうる。しかし、どの党が政権を担ったとしても、世の中は急には変わらないだろう。人の行動を奥深くで決定する文化的、歴史的な行動様式、生活様式は、変わるとしても数百年レベルでしか変わらないと思う。それは「革命」を起こしたはずの国で、革命政権が同じような独裁を開始することが多いのを見ても、よく判る。だから、選挙だけではダメで、デモに行くのもいいし、集会に参加するのも必要。それとともに、仕事の場、家庭の場、遊びの場、様々な自分の持ち場で「少しずつ変えていく」。そして世の中を変える前に、まず「自分」を変える
 
 選挙に行かないと言う人の言い分は、行っても仕方ない、もう結果は決まってる、当日はちょっと用事がある、どうも暑くて行く気にならない、どこに入れても同じ、入れたい人がいない…いちいちもっともなんだけど、全部言い訳である。こういう「言い訳人間」で生きていきたくなければ、デモや集会はともかく、せめて選挙ぐらいは行って欲しい。その程度の、今のシステムへの信任、世の中での責任を示すべきだと思うけど。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

選挙に行く「障壁」を考える

2013年07月17日 23時45分56秒 | 若い人へのメッセージ
 「選挙に行く」ということに意味について考えたいと思う。というのも、最近どこかで(多分新聞記事だと思うんだけど)、若い人の投票率がなぜ低いのかという特集記事があって、その中である若者が「選挙に行くって障壁があるじゃないですか」と言っていたのを読んだからである。うっかり切り抜くのを忘れてしまったので、いつの記事だか示せないのだが。僕はこれにビックリしてしまった。選挙に行かない人がたくさんいるのは理解できるが、それが「選挙そのものの障壁」によるものだなどと考えたことがなかったからである。この若者にとって、障壁であることはもう自明の前提らしいのである。

 もちろん、初めてすることには気おくれや面倒くささがつきまとう。最初の国政選挙に行かないと、その後も何となく行きづらくなるかもしれない。でも、20歳以上の日本国民の半数以上は国政選挙に行っている。(95年の参議院選挙を除く。)行ってる方が多いのだから、そこに大きな「障壁」があるわけがない。でも最近の国政選挙では、年齢別にみると20代、30代の投票率がかなり低いらしいことが示されている。同世代の中で半数以上が行ってないなら、選挙に行く方がフシギに見えてくるかもしれない。身の回りの友人が行ってないのに、自分は行こうと言うんだったら、そこには「障壁」があるというべきかもしれない

 この問題をいくつかの点から考えてみたいと思う。まずは「実際の選挙を知らないのではないか」ということである。もちろん、インターネットでは投票できないのだから投票所までは行かないと選挙はできない。(在外日本人や重度の障害があるなどの例外はあるが。)世の中には「引きこもり」というケースもあるわけだから、選挙に行くのも「障壁」になる場合があるのは当然である。せっかくの日曜日に仕事の人もあるだろうし、遊びに行きたい人もあるだろう。大雨や猛暑では行きたくないし、地方では投票所が遠い場合も多いだろう。

 そうなんだけど、そういう問題を言い出せば、バスに乗るにも電車に乗るにも、レストランに入るにも映画館に入るにも、何だって「障壁」になりうる。実際、レストランなんか、高そうでも入れないし、人がいなくても入りにくい。デパートの食堂街みたいに、いろんな店があり過ぎても選べなくなってしまう。あれも食べたい、これも食べたい、あれは高い、これも高いとか言ってるうちに、今度はどこも別に特に食べたくないなあとなってしまうのである。選挙でもこのケースはかなり多いのではないかと思う。

 しかし「コンビニでおにぎりを買う」という場合はどうだろう。この場合だって、人と接したくない、どのおにぎりを選ぶか迷ってしまうなどという人もいるだろうけど、まあほとんどの人にとって、コンビニは気楽に買い物ができる場所ではないかと思う。「スターバックスでコーヒーを頼む」「デパートでスーツを買う」というのはどうか。スタバは種類が多いから選ぶのが大変で、通みたいな常連と一緒にならんでしまうと、少し気おくれしてしまう。ドトールも今は分煙だから注文しやすいドトールでいいではないかという感じ。(もっとも最近は一人行動が多いので、休憩で店に入ることは少ないのだが。)デパートは高いというのもあるけど、店員がすぐに寄ってくるから、確かに面倒。

 選挙というのは、この中ではどれに近いか。僕はコンビニだと思う。投票入場券を出せば、名前を確認されるので「ハイ」ぐらい答えるが、後は渡された用紙に置いてある鉛筆で名前を書いて(または書かないで)、投票箱に入れるだけで、誰とも口は利かないし、あっという間に終わるので拍子抜けするぐらいだ。歩いて1分の中学(母校)が投票所なので、全部で10分かからない。出口調査なんか聞かれたことないし。名前を書く場所には候補者あるいは政党名が書かれているので、面倒な字の候補の場合確認したりする。そういう時は大体候補者の方も考えて、書きにくそうな字を「ひらがな」で届出してる場合が多い。コンビニというか、自動販売機というか。選挙と言っても、投票自体はこんなにも簡単なのである。一度でも行った人は誰でも知ってることだが。

 だけど、投票所で「だれにしようかな、カミサマの言うとおり…」なんてやってる人は見たことない。その場所で広報を読んで、投票する人を決めようとしてる人もいない。もちろん携帯電話で話しながら投票している人もいない。(それは禁止なんじゃないかと思う。)投票そのものは簡単だと言ったけど、それはみんな入れる人を決めてから行ってるということで、だから後はスムーズなのである。誰に入れたらいいか、本当に判らない、自分の考えがない、全く関心がないという人がいたら、それは投票所に行っても仕方ないだろう。

 しかし、中高年は選挙にかなり行ってるんだから、それなりの考えがあるんだろうか。まあ長いこと生きて来てれば、どの党はどう、この党はこうといったイメージというか、自分なりの判断はできている人が多くなる。でも、若い人の投票が少なく、中高年の投票が多い理由はそこにあるわけではないと思う。年齢を重ねて来れば、仕事や様々な人間関係が構築されて来て、投票を頼まれたり、業界団体なんかに関係してたりするだろう。20代の若い世代は、そういう社会関係の輪の中にまだ入っていない人が多い。昔はそれでも、親が仕事がら自民党に入れてくれと子どもに頼んだり、大学の知り合いが社会党や共産党の投票を依頼してきたもんだろう。でも今は親も無党派が多いし、子どもに選挙の話なんかできない家が多いだろう。もちろん「若いから革新陣営支持」なんて時代でもない。要するに、どこからも頼まれないから、取り立てて投票に行かない、日曜もバイトがあるし…って言うあたりではないか。

 だけど、選挙そのものを全否定してしまってる人も少ないはずだ。そこまで行くとエネルギーがいるし、タテマエとしては「選挙は大事だとは思う」と言うのではないか。世論調査があったりすれば、「必ず行く」には○はしないが「できれば行きたい」、選挙には「ある程度関心がある」というところにしておくという人である。今の若い人だって、必ず行く人はいるわけだが、問題は年を取ってきたら行くようになるだろうけど、若い時は「関心がないとまでは言わないけど…」という層がどれほど選挙に行くかである。そして、そういう人にとっては、確かに比例代表区なんて「食堂も多いし、メニューも多い」のではないか。入れるところを決められないし、どこに入れても同じような感じ。また逆に、特に政治を勉強したわけでもない自分が決めてしまっていいのか…という気も起こるだろう

 僕はそういう場合は、逆に考えていくのがいいと思ってる。「どこに入れたくないか」の方を先に考えるのである。選挙に行こうかと思うほどの人なら、入れるべきところは決めがたい場合もあっても、入れたくない方は決まってる場合が多いのではないか。今は、何でも自由選択、個人の責任が重視されて、小さい時から進路の希望などを問われ続けている。お店に行けば商品がそろっていて、選択に困るぐらいである。だから「何を選ぶか」という選択を迫られるのに飽きているのではないか。だけど、嫌なものは自分で拒否しないといけない。実際日常生活ではそうしているはずである。選挙だって同じで、入れたくない方、あまりピンとこない方を除いて行って、残った中から、まあこだわりたい問題とか、ネット上で見た趣味とか、なんか少しはピンときた人や政党があれば、そこにするわけである。実際、そうやって決めるしかないでしょ。本当に心から支持している政党があるなんて言う人は、今はまずいない。まあ選挙のたびに、良さそうな人に入れて、裏切られると言えばその繰り返し。「男はつらいよ」の寅さんの恋(失恋)のようなもんで、しょうがないことを繰り返していくしかないんだし…。

 「選挙に行っても何も変わらない」「自分の一票では何も変えられない」、あるいはさらに「選挙のたびにコロコロ入れる政党が変わるような大人と一緒になりたくない」と思う人もいるだろうけど、その問題はまた次に考えたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

鹿野政直、鶴見良行を語る

2013年07月14日 23時43分10秒 |  〃 (歴史・地理)
 立教大学共生社会研究センターの主催で、12日夜に公開講演会があった。講演者は鹿野政直さんで、演題は『民間学再考-鶴見良行に寄せて』。これは僕には聞き逃せないので、猛暑の中を(僕の時代にはなかった)立教大学8号館に出かけて行った。

 まず最初に鹿野さんと鶴見さんのこと、僕との縁を書いておきたい。鹿野政直さん(1931~)は、近代日本の思想史、民衆史を研究してきた人で、早稲田大学で教えていた。詩人で妻の堀場清子さんとの共著「高群逸枝」(1977)で知られている。一般書も多いので、歴史や思想に関心がある人には知名度が高い。今回も岩波新書の「近代日本の民間学」(1983)が論考のベースになっている。僕は「大正デモクラシーの底流-土俗への回帰」(1973)から読んでいて、民衆史の考え方に大きな影響を受けた。だから早稲田に入りたかったのだが、(多分英語で「足きり」されて)合格できなかった。しかし立教で鹿野さんの講義を取ることができたのである。というのも、1976年のことだと思うが、法学部の神島二郎教授が研究休暇にあたり、代わりに鹿野さんが「近代日本政治思想史」を担当したのである。僕は文学部だが、他学部の履修もできたので、一年間大変刺激的な講義を聞く機会に恵まれたわけである。探せば当時のノートが見つかるはずである。岩波新書「近代日本の思想」(調べたら在庫僅少)や岩波ジュニア新書にある3冊の本などは、今の日本を生きるためにも多くの人に勧めたい本である。

 一方鶴見良行さん(1926~1994)は、1982年の岩波新書「バナナと日本人」で一躍知られた在野の東南アジア研究者という印象が強いが、それまでに長いアジアとの関わりがある。社会学者鶴見和子、哲学者鶴見俊輔姉弟のいとこにあたり、父は鶴見祐輔(政治家、作家として著名だった)の弟、鶴見憲である。父は外交官で、そのため鶴見良行はロサンゼルスで生まれた。60年代には国際文化会館に勤務しながら、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の活動に参加し、アジアとのつながりを深めていった。僕は「アジアからの直言」(1974)というアジアの知識人の発言集(講談社現代新書)で名前を知った。この本はとても印象に残っている。僕はただ一回だが、直接会っている。1979年に早稲田奉仕園が募集した東南アジア旅行に参加したのだが、その時の事前学習に鶴見良行さんの話を聞きたいということになった。10人もいない集まりなのに快く引き受けてくれて、今も熱弁をふるう様子が思い出される。80年代以後、「マラッカ物語」「マングローブの沼地で」「ナマコの眼」などを次々と発表し、強いインパクトを与えたわけだが、94年に68歳で亡くなった。「研究者」として生きたのは、50代以後の10年ちょっとに過ぎない。しかし、その研究スタイルとともに、実践的な意味でもとても大きな存在感があった。(「バナナと日本人」は、無農薬バナナなどのフェアトレードを進める動きに大きな影響力を与えた。)

 さて、やっと講演の中身に入るが、まずは「民間学」という言葉。これは実は森鴎外の「舞姫」に出ているのだそうだが、70年代半ばになって鹿野政直さんなどが中心になって、学問はこのままでいいのかという問いの中で使った言葉である。学生反乱や「公害」問題が近代日本のあり方を問い直した。学問の巨大化、専門化が、民衆の異議申し立てを「素人」の一言で決めつけるような、「学問の持つ加害性」への認識があったわけである。このように、近代日本で「官学」「アカデミズム」として権威化されたのは「富国強兵のための学問」だった。しかし、在野の中に、民衆自身による「民間学」というべき知の系譜があることが重要なこととして浮かび上がってくる。その先駆者が田中正造

 「官学」対「民間学」の特性をまとめてみると、次のようになるという。
 移植性vs自前性、中央性vs在地性、制度性vs運動性、専門性vs総合性、前近代との絶縁性vs前近代からの連続性、基軸としての国家の視点vs基軸としての生活の視点…
 このような整理は見通しをクリアーにするためにとても役に立つ。こういうのが思想史の面白さだと僕は思う。鹿野さんの「近代日本の民間学」が出て以来、思想の科学研究会などの強い反応があり、97年には三省堂から「民間学事典」が鹿野、鶴見俊輔、中山茂共編で出版されているとのこと。

 さて、そういう中で鶴見良行の拓いた学問はどのようなものだったか。まず注目するのが、「マラッカ物語」であり、その舞台となるマラッカ海峡への関心。そのきっかけとなるのは、70年代半ばにあった「クラ地峡」に水爆を使って運河を作ろうという計画への反対運動だった。クラ地峡というのは、マレー半島の一番細くなっている地帯(タイ領)で、この計画に関する記事を新聞で見た鶴見は、日本が資金的に関与して水爆を使うという発想に大きな問題性を感じた。そこでペンネームも使い、様々な媒体に反対論を書いた。国会では、社会党岡田春夫が田中角栄内閣へ質問した結果、日本人が関与することは「好ましいことではない」という森山科学技術庁長官の答弁を引き出した。もはや歴史の中に忘れられている、このクラ運河問題をきっかけに、鶴見は「マラッカ海峡に生きる人々からの視点」の重要性を認識した。

 それ以後に展開された「鶴見学の特質=学問の態度」をまとめてみると(鶴見良行本人はこういう「まとめ」そのものが間違いというだろうと鹿野さんは留保しつつも)、以下のようになるという。
a.現場に立つ
 鶴見良行は徹底して「歩く学問」でぼう大なフィールドノートを残した。(それはまだ未整理ながら、共生社会研究センターにあるらしい。)机上の学問に違和感を感じ、自ら実験して追体験した。現場を踏み、瑣末な事柄を大切にした。「神は細部に宿り給う」である。
b.海から世界を見る
 歴史から見落とされてきた海民の世界を追求した。その結果、国家を単位とする歴史観を徹底的に批判できたわけである。
c.みる・みられる関係を築く
 近代の学問が「探究者と対象者」という図式を一方的に築き上げるのに対し、鶴見は「みる・みられる」関係の相互関係をつくる。自分が変わることで相手をも変える関係である。だから、話を聞くときは、ノートもレコーダーも使わなかった。
d.暮らしから考える
 暮らしの中であくまでも具体に即して問題を追っていく。また暮らしの根幹は「食」であると確信し、食を通じて文化に迫った。

 今書いたことは、周到なレジュメがあってできたことである。まだ面白い点、またレジュメにないが当日の講演にあった興味深いエピソードなども多いが、長くなるのでやめておきたい。鶴見良行という人の発想法、その残したものの大きさが、今(というのは、津波災害と原発事故以後の、知のあり方の再検討が迫られている時代に、という意味であるが)、まさに生きているということを改めて感じた次第である。

 ところで、講演後の質問も多く興味深いものが多かった。宮本常一との比較とか、配布資料にある鶴見の文章に差別語があるという指摘などなど。僕も聞いてみたかったことがあった。それは今はインターネットの普及で、誰もが「学問的」と称する論述を気軽に全世界に発信できる。そのため、学問的手続き、論証を抜きにして思い込みで論を立てることも多いのではないか。「ネット時代の民間学」というのはどういうものだろうかということである。学問的な証明手続きの問題は、ぼくはすべての問題に必要な物ではないかと思っている。「民間学が学問である大切さ」があるのではないかと思うのである。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

映画「コン・ティキ」

2013年07月11日 23時31分46秒 |  〃  (新作外国映画)
 トール・ヘイエルダール(1914~2002)の有名な探検を映画化した「コン・ティキ」が公開中。これは素晴らしい映画で、大満足。是非多くの人に見て欲しい映画である。僕の世代だと、多分「コン・ティキ」(当時の表記ではコンチキ号)と聞いただけで、心躍る気持ちになるけど、若い人には題名を聞いただけでは何の映画か判らないかもしれない。
 
 ヘイエルダールは「冒険家」というよりも、本人の意識では考古学や人類学の「学者」だった人で、存命当時は世界的に有名だった。でも没後10年経って、少し忘れられてしまったかもしれない。何回も冒険的な探査行を行っているが、一番有名なのが1947年のコン・ティキ号である。南太平洋の島(ファッツ・ヒヴァ)で研究を行っていた人類学者ヘイエルダールは、島の植物や文化が南アメリカ大陸と共通点が多いと考えた。そこで当時の通説だった、「ポリネシア人はアジア大陸から渡った」という説に疑いを持ち、ポリネシア人は南アメリカからいかだで渡ったという説を立てたわけである。しかし、出版社は原稿を突き返し、学者は誰も認めてくれない。そこで、自分でいかだを組んでペルーからタヒチまで、昔の技術だけで行けることを証明しようを考えたのである。それが有名な、コン・ティキ号。
 
 これに成功し、本は世界的ベストセラーになり、記録映画はアカデミー賞を取った。その後も、エジプト文明が南アメリカに達したという説を証明するための「葦船ラー号」、インドからアフリカへ行く「ティグリス号」などの冒険を続け、60年代、70年代にはとっても有名だった。少年読み物なんかにはよく取り上げられて、僕もずいぶん読んだ気がする。「冒険」という精神を最初に教えてくれたのが、トール・ヘイエルダールだったかもしれない。だから、「コン・ティキ」という言葉を聞くだけで、今でもなんか心躍る気がするわけである。今年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされているのを見たときから、公開を待ちわびていた。

 ヘイエルダールはノルウェー人で、この映画はノルウェー史上最高額の製作費をかけた映画だという。一応監督と主演者を書いておくが、監督は2人でヨアヒム・ローニングとエスペン・サンドベリ、ヘイエルダール役で主演したのはポール・スヴェーレ・ヴァルハイム・ハーゲン。いずれもノルウェー人で、日本では初紹介になる。だからスタッフやキャストでは客を呼べない映画である。大体名前を覚えられない。外国語映画賞にノミネートされたのに、映画を見ると英語をしゃべっている。プログラムを読むと、英語版とノルウェー語版と両方を製作時から2つ作っていたのだという。世界的有名人で世界市場を考え英語版を作ったのだろうが、ノルウェーの公債資金調達法によりノルウェー語版を作る必要があったという。どのシーンも2回撮影するわけだが、英語とノルウェー語でリハーサルをすることで、メリットが大きかったという。

 映画はまるで記録映画を見ているようだけど、もちろんペルーからタヒチに航海したわけではなく、ノルウェー、スウェーデン、ブルガリア、マルタ、タイ、モルディブなどでロケして、それをうまく編集したものである。それでも見てる最中は、タヒチに向かっている気がしてしまう。誰も認めてくれない新説、ようやく自分で立証の旅に出る、同乗者を集め、出発するもなかなか海流に乗れない、しかも無線が故障する、乗組員の間に広がる疑心暗鬼、嵐の襲来、サメの襲撃、本当にいかだで目的地まで行けるのか、そして感じる海の神秘の数々…ようやく海流に乗るものの、最後の最後に一大難関がやってくる。事実に基づいているわけだけど、実にドラマチックな展開に目を離せない。自然は美しく、かつ厳しく、人間は賢く、かつ愚かしい。いろいろなドラマを載せていかだは進み、見る者は一喜一憂しながら乗組員に感情移入する。ただし、映画を見る人はこの航海が成功したから映画化されていることを知っているので、最後に成功することを疑わない。そういう意味では安心して見られる。

 これは事実に基づくノンフィクション的な映画だけど、「物語の構造」は演劇的な伝統に則っている。新しいことを始める人の映画は大体同じようになっている。Facebookを始めた若者を描く「ソーシャル・ネットワーク」とか、カンボジアに学校を作ろうとする「僕たちは世界を変えることはできない」とか。言いだしっぺが頑張って、仲間が集まり新事業に乗り出すが、やがて仲間割れも起こる。そして、いろいろな葛藤の果てに、最後の成功を見て「世界」を感じるが、その時皆は新しい旅へ出発する。ボランティアを始めるとか、劇団を始めるとか、選挙に立候補するとか、いろいろなジャンルがあるが、展開は大体同じ。皆でバンドを作って音楽活動をしている若者は、ケンカや恋愛沙汰を起こしながら、認められてメジャーになる段階で、プロになるもの、なれないものが選別され、仲間割れと同時に新しい出発が訪れる。大体そういう展開になるもんで、ヘイエルダールの航海も基本的には同じような物語構造になっている。

 海は壮大で美しい。海は障壁(バリアー)ではなく、人々を結びつける道だったというヘイエルダールの信念を聞くと、これは海の映画だけど、やはり「ロード・ムーヴィー」ではないかと思う。ただし、最近のDNA研究によれば、ヘイエルダールの説は裏付けられないらしい。僕の子ども時代には、彼の航海で証明されたかに言われていたが、学問の進歩は恐るべし。だけど、日本の原始・古代史研究でも、アジア大陸と日本は海で隔たれていたわけではない、「日本海は道だった」というような説が唱えられてきた。今まで意識したことはなかったけれど、そういう研究をリードしてきた人の中にも、ヘイエルダールの探検に夢中になったことがある人が多かったのではないかと思う。特に若い人に是非是非、映画館で見て欲しい映画だ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

レイ・ハリーハウゼンの特撮映画

2013年07月09日 21時21分40秒 |  〃  (旧作外国映画)
 アメリカの特撮、特殊効果の監督だったレイ・ハリーハウゼン(1920~2013)が死去し、今キネカ大森の名画座で追悼上映をしている。とっても面白いし、こういう素朴な面白さの魅力を再発見する感じ。僕は特撮映画にはほとんど関心がなく、日本でも外国でもそれほど見ていない。特に最近20年ぐらいの、コンピュータによる素晴らしい画像処理による特撮は、どうもあまり見る気がしない。いくら技術が進展しても、映画はウソ、お芝居の世界だというのは判り切っている。宇宙や怪獣はあんまり本当らしくなくていいと思うのである。そういう意味では、半世紀以上前のアメリカ映画は、素朴な頑張ってる感があふれていて、娯楽映画の楽しさがいっぱいだ。こういうのがテレビ時代になる前に作られていたわけである。

 「地球へ2千万マイル」(1957)という映画は、日本では劇場未公開だった。製作50年を記念してハリーハウゼン自身によるカラー化が行われた。それが2007年の東京国際映画祭で特集上映された。今回の上映素材はその時と同じものだと思う。題名は金星ということで、アメリカの金星探査船が(なぜか世界には秘密のまま打ち上げられ)、金星から帰還する時に失敗し、シチリア沖の海に突入する。乗員は一人を除きみな死亡し、持ち帰った謎の生物は地元の少年が持っていって、バカンスに来ていた獣医に売ってしまう。さて、その謎の生物はもちろん想像の通りの筋になって行き、最終的にはローマの動物園で象と闘い逃げ出して、コロッセオに逃げ込む。ハリーハウゼンがヨーロッパに行きたかったらしいけど、ゴジラが東京を破壊するように、謎の金星生物(イーマと言うらしい)がローマで「活躍」するというのは趣向である。この怪獣は、とてもよく出来ていて、大気の組成が違うので地球ではどんどん大きくなってしまうし、硫黄を食物にするし、銃で撃っても影響がない、という不気味さを味わえる。

 日本でも公開された「シンドバッド 7回目の航海」(1958)は、冒険また冒険の快作で、シンドバッド三部作の最初の作品。魔法で小さくされてしまった婚約者の隣国の王女を元に戻すために、シンドバッドは魔術師と共に、一つ目の巨人がいる謎の島に赴く。骸骨剣士、双頭の鷲、火を噴く怪獣、魔術師が持つ魔法のランプなど、不思議、不思議の連続である。謎の島に行くにあたっては、うわさがバクダッドに広まり船員が集まらない。そのため死刑囚を恩赦する約束で連れて行く。魔術師は魔法のランプを取り戻すために島に行きたいが、シンドバッドとは対立している。こういうふうに、船内は危険がいっぱい。島に着くと島の怪獣が次々と登場。ということで、目を離すいとまがない。特撮はよくできているけど、技術的に特撮感はぬぐえないので、そのまがいもの感も魅力の一つになっている。楽しい映画の2本立て。

 京浜東北線大森駅東口、西友ストア5階のキネカ大森で、12日まで。「シンドバッド」が一日3回、「2千万マイル」は一日2回上映。まあまたどこかでもっと大規模な回顧上映をするところが出てくるのかもしれないが。でも、こういう昔のハリウッド映画の楽しさは抜群だ。まあ考えるところはないけど。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加