尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

志賀原発で起きた恐怖、および新潟知事選

2016年10月21日 23時40分41秒 |  〃 (原発)
 ものすごく恐ろしいことがあった。気づいていない人もいるかと思い、書き忘れないうちに書いておきたい。場所は石川県の志賀原発である。羽咋(はくい)郡志賀(しか)町、能登半島の西側の海岸にある北陸電力の原子力発電所。読み方は「しか」になる。現在は停止中。

 ここで9月28日に、非常用照明の電源が漏電する事故が起きた。雨水が大量にあふれたのである。福島第一原発の事故は、非常用電源が大津波によって失われ、核燃料の冷却が不可能になったことで起きた。だから、「非常用電源」はとても重要である。もちろん、非常じゃない電源も大事なわけだけど、大きな災害、事故などで「仮に電源が失われたとしても」、非常用の電源が働くから安心できるわけである。(原発に限らず、電気が失われると大変な施設は同じことが言える。)

 当時は道路工事があって、排水路が一部ふさがれていたという。そのため、雨水が道路にあふれ出て、ケーブル配管に流れ込んだ。そして、原子炉建屋の1階に流入し、電気設備が漏電したのである。地下1階にある最重要の蓄電池の真上にも水が来ていた。水は地下2階まで達していた。志賀原発は近くに川などがなく、洪水対策は不要とされていたんだそうだ。

 では、その当時は超大型台風などが来ていたのか。もう具体的な日付は忘れているので調べてみる。8月から9月にかけて、今年は毎週のように台風が日本付近に来た。しかし、台風16号が9月20日に大隅半島、21日に紀伊半島に上陸したのが、(いまのところ)今年日本に上陸した最後の台風。(台湾の東海上でUターンして長く留まったあの台風)次の17号は27日に先島諸島に近づき、台湾に進んだ。18号は26日に発生したが、沖縄に近づいたのは10月3日、韓国に被害を与えた後で東進して10月5日に佐渡島付近で温帯低気圧になった。

 つまり、台風などではなかった。当時は1時間当たり26ミリの雨が降っていた。これはどのぐらいの大雨なんだろうか。一般的に「記録的短時間大雨情報」は、1時間に100ミリの雨だという。調べてみると、注意報、警報を出す基準は地域ごとに違い、公表されている。志賀町の基準は、大雨警報は1時間に50ミリ、大雨注意報は1時間に30ミリだとある。つまり、けっこう降ることは降っていたんだけど、「大雨注意報を出す基準には達していなかった」のである。

 停止中の原発でも、使用済み核燃料の冷却を続けている。このときに、もっと大量の雨が降っていたら、どれほど恐ろしいことが起きていたか。そして、福島であれだけの事故が起きたんだから、およそ考えられる事態は全部考えて対策を取っているんだなどと思うと、誰も予想もしなかったケースはあるのである。大雨注意報が出るような雨じゃないのに、非常用電源が失われかけた。専門家じゃない我々には気づきようもない、誰も予想しない事態がまたどこかで起きないと言えるのか。

 ところで先に書いた新潟県知事選は、16日に投開票された。そして周知のように、予想を超えた大差で野党系の米山隆一氏が当選した。米山隆一=528,455、森民夫=465,044 なので6万3千票ほどの票差である。(他に無所属新人が二人いたが、米山氏は52.15%で過半数を超えている。)

 7月の参院選では、森裕子=560,429 中原八一=558,150 だったが、幸福実現党が2万4千票ほど取っていて、森裕子の得票率は49%だった。(幸福実現党は主張的にはウルトラ保守だから、政策だけで考えると、自民の票を奪っている可能性が高い。それが参院選後に「弾圧」を受けた理由かもしれない。同党は公職選挙法違反(買収)で逮捕者が出て本部も捜索された。それに対して「(再逮捕・長期勾留は)民主主義の危機」とするコメントを出している。)

 もっとも投票率が低いため、与党系も野党系も票を減らしている。国政選挙に対して、地方選挙は投票率が下がり、特に単発の首長選挙は低くなる。今回は53.05%だが、それでも前回、前々回より10%近く高い。「原発再稼働の是非」に絞った単一イシュー選挙が功を奏したのである。

 それにしても、民進党の対応は理解できない。最終盤に蓮舫代表も応援に行ったけど、推薦も支持もない候補を「野党第一党の党首」が応援してもいいのだろうか。いくら勝てそうな感触が出てきたしても。(衆院補選の情勢が厳しいので、勝てそうなところにも行ったとされる。)応援に行くのが悪いというのではない。「自主投票」なんだから、民進党議員が個人的に支援するのは何の問題もない。だけど、党首なんだから最低限「党本部段階での支持表明」がいるんじゃないか。一方、連合新潟は森候補を支持し、民進党本部は連合に党首の対応を「釈明」しているという。それもおかしな話で、説明して欲しいのは、「国政選挙で対決した与党系候補を、なぜ連合新潟が支持したか」の方だろう。

 民進党も問題だけど、「労働組合」が原発支持でいいのか。企業内組合であったとしても、仕事がなくては困るというのがホンネだとしても。国民世論からかくも隔絶した労働組合とはどんなものなのか。こういう事例を見ると、日本にいま必要なのは「自主労組『連帯』」だと改めて強く思う。労組に限らず、「自主」と「連帯」が日本に必要なんだと思う。
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脱原発の途上で-震災3年目③

2014年03月21日 23時48分01秒 |  〃 (原発)
 東京電力の福島第一原発の事故に関しては、最近も汚染水を処理する多核種除去設備ALPS(アルプス)が故障して停止したと伝えられるなど、「汚染水処理」をめぐって厳しい状況が続いている。また、福島県議会議長は、原発立地地14道県の道県議会議長でつくる「原子力発電関係道県議会議長協議会」から3月末で脱退するという話である。福島は自民党を含めて、既存原発の廃炉を求めているのに対し、他県の議長らは原発再稼働を前提にしているからである。

 こうした状況は小さな記事だが、一応伝えられている。しかし、政府の中枢のある東京と福島現地では、だんだん状況の違いが大きくなってきた感じがある。しかし、今もなお、突然住宅を追われたまま帰れなくなっている人々が何万人もいる。福島第一原発にほど近い町村は、人が住めない状態となって3年になった。自然災害では伊豆諸島の三宅島で、2000年に噴火にともなって全島避難した例が記憶に新しい。この時は2005年に避難命令が解除されたが、3800名ほどいた住民は現在2700人ほどで、7割ほどになっている。一方、人間の行いにより自治機能のある地帯がなくなった例としては、足尾鉱毒事件の遊水地をつくるため強制的に廃村とされた栃木県谷中村のことを思い出さないわけには行かない。それにしても、これほど広い場所が人が住めないまま数年も経ってしまうということの「精神的な空虚感」は非常に大きなものがある。

 さて、原発問題には様々な視点がありうる。事故の状況もまだまだはっきりとされていない点があるようだが、現地は普通の人は行けないから、現場の状況は語れない。放射線被曝の影響、福島県民健康調査の問題、「風評被害」に関することなど考えるべき問題は多いが、自分にはっきり語れないテーマが多い。論点が細かくなるにつれて、専門的な知識がないと書けないような感じになった。人には関心領域やフィールドの違いがあるから、僕には「日本のハンセン病の歴史」とか「袴田事件の冤罪性」など、ある程度は細かく書けるテーマもあるけど、原子力問題はお門違いなのである。だから、原発事故直後はかなり書いていたが(そのことは過去の記事をさかのぼって行けば判る)、最近は書いてこなかった。

 一方、この間の脱原発運動に関しても、「多分そうなるだろうなあ」という道をたどっているように思う。今回はそれまであまり社会運動に関係してこなかった層が、インターネットやケータイ(スマホ)を通して新しい運動を作り出していくと「期待」していた人も多かったようだけど、自分の時間を費やして行う社会運動である以上、僕はそう楽観的になれなかった。今回はチェルノブイリ事故後以上に粘り強く継続されていくと思うし、そうでなければならないが、どうしても「日本の社会運動の弱点」を完全に免れることもできない。(その「弱点」って何だと問われるだろうけど、今書く気はしないので、勝手に想像してくれて構わない。)今回は、「脱原発とは何か」を中心に、今後の脱原発への道のりを考えることを中心に書く。

 原子力発電所というものは、(改めて書くまでもないが)電気ネネルギーを発生させるタービンを回す動力に、核分裂反応で生じる大量の熱(で水を沸騰させた蒸気エネルギー)を利用するという仕組みである。だから、基本的に「脱原発」というとき、「では電気は何でつくればいいのか」という発想がなされてきた。そこで「再生可能エネルギー」を発展させるべきだ、いや、それは無理だろうなどという議論になる。現時点で日本の原発はすべて点検期間に入っていて一基も稼働していないわけだが、では日本は何で電気を作っているのかを確認しておこう。2012年度のデータになるが、電気事業連合会による2013年5月の資料によれば、火力発電合計で88.3%、内訳を見れば、LNG(液化天然ガス)が42.5%で一番多い。続いて、石炭が27.6%、石油等が18.3%である。他では、水力発電が8.4%、原子力が1.7%(当時唯一稼働していた大飯原発のもの)、地熱及び新エネルギーが1.8%となっている。(なお、天然ガスの輸入元は、オーストラリア、カタール、マレーシアについでロシアが4位となっている。このため、ウクライナ情勢は日本にとっても非常に頭の痛い問題である。)

 このように事実上火力発電、それも天然ガスが発電の半分近くを占めている。これは地球温暖化をもたらすとか、アベノミクスによる円安で巨大な財政赤字が生じているなどの問題があるのは事実。(短期的には、いくつかの原発を稼働させれば、電力会社の財務状況を相当に改善させるのは間違いない。)でも、放射性廃棄物の処理も決まってない以上、どこかで「脱原発」に向かっていく必要がある。現在は原発が稼働していないため、「この状態を続けて行けば脱原発」になるという主張も強い。昨年からは小泉元首相が「首相が決断すれば、脱原発できる」と盛んに発言するようになった。でも、本当にそうなんだろうか。それはもちろん大事なことだが、「政府のエネルギー政策」という話である。原発と、そこに蓄えられている使用済み核燃料はそのままではないか

 福島第一原発事故の経緯を思い出せば、運転中だった1~3号機は、地震により緊急停止したものの、津波による電源喪失(地震による震動で損傷した可能性も残されているが)により冷却が不可能になって、炉心溶融(メルトダウン)に至った。しかし、定期点検中だった4号機でも「核燃料プール」の冷却が不可能となり、水素爆発が起こるなど非常に危険な状況が続いた。(場所が離れていて、やはり点検期間中だった5・6号機は、一時機能が喪失したものの電源が回復し冷却が続いていて無事だった。なお、4号機の核燃料は今年中に取り出される予定となっている。)そうすると、やはり原子炉に燃料があるかどうかは、非常に重大な違いではあるが、「定期点検中でもけっして安心できず、冷却が不可能になれば大事故が起こる場合もありうる」ということである。

 巨大地震の震動、巨大津波ばかりではなく、巨大噴火、大規模な土砂災害、テロや戦争などの不慮の事態が万が一起きた場合、運転が停止中だったというだけでは安心はできず、完全に廃炉の工程が終了し、使用済み核燃料が取り出されて適切に処理されていないと、十分には安心できないのである。そこまで行って「完全な脱原発」と考えると、今直ちに全原発の廃炉を決定したとしても、人員的、資金的に2050年になっても終わってはいないだろう。というか、核廃棄物の処理方法が決まってない以上、何年というメドを立てることさえ全く不可能な状態にある。そこまでの時間で考えてみると、どうも予想される東南海地震や首都圏直下型地震の方が先に来てしまいそうである。

 さて、原発を今後新設することは可能だろうか。いくら何でも、それはできないのではないか。山口県の上関原発(工事中断中)は1980年代から建設計画があったが、強固な反対運動があり今もなお建設できていない。群馬県の八ッ場ダム、沖縄県の辺野古への米軍基地移設などを考えても、新たに原子力発電所を作ろうなどという試みが実るとは思えない。原子力規制委員会だって、今ある原発の審査で精一杯で、新設を申請してもいつ認可されるか判らないし、土地買収、漁業権放棄、環境調査などが順調に進むわけがない。福島第一原発はもともと7号機、8号機まで建設する予定だった。このように今ある原発の施設内に新設できる場所がないとは言えないかもしれないが、それでも相当な時間がかかるのは間違いない。

 原子力規制委員会の規制方針によれば、「原発は基本的に40年で運転終了」だということである。ということは、今ある原発のすべては、2050年頃にはもう終わっているのである。今後も日本の発電で原子力を維持し続けようと思うなら、新設するには強い反対運動を考えれば、30年、40年はかかってしまうと予想できるから、今直ちに原発新設に動き出さなければ、21世紀半ばにはどうしたって原発は終わってしまうのである。

 日本で現在「生きている」原発(原子力規制委員会が認めれば運転できる可能性がある原発、正式に廃炉となっていない原発)を調べると、16原発、全48基になる。(正式に廃炉が決定しているのは、東海原発と福井県にある「ふげん」、浜岡原発の1・2号機と福島第一原発の全6基の、計10基となる。)その運転開始の時期を調べてみれば、70年代前期(つまり、すでに期限の40年が来ているもの)が6基もある。今後10年内に運転開始40年を迎える、70年代後期が6基80年代前期が6基となる。以下、80年代後期が10基、90年代前期が11基となり、90年代後期が4基、21世紀に運転開始となったものはたった5基である。こうして見ると、日本の原発はもともと70年代から80年代頃の技術だったのである。今後どんどん廃炉の過程に(政権の方針に関わらず)入って行って、「40年ルール」を変えない限り、2030年代半ばには10基程度しか残らない

 その時点で、日本の人口は9000万人程度に減少しているはずで、新たに原発を新設する必要などどこにもないだろう。そうなったら、残った原発(2030年代まで原発が生き残ったとして)を維持する必要も経済的には少ない。前倒しして原発を卒業するという方が、賢いシナリオになってくるはずである。このように見て来れば、早いうちに原発を卒業し、廃炉作業を進めていく方が「正しい方向性」だというのは、常識で考えれば揺るがないと思う。

 ただ、もちろんエネルギー問題や経済合理性などとは違った観点から考えれば、また結論は別となる。日本はアメリカ、ロシア、中国と三大核兵器保有国に囲まれている。「東アジアの安全保障状況は大きく変わった」と安倍政権などはいつも言うけど、かつて野党時代の石破茂自民党政調会長(当時)が2011年夏頃に主張していたように(僕もこのブログで当時書いたけれど)、「日本がプルトニウムを保持しているということを示すのが重要」だという考えである。原発を運転すれば、プルトニウム型原爆の材料となるプルトニウムが得られる。もちろん日本は核不拡散条約に加盟し、プルトニウムは国際原子力機関の査察を受けている。しかし、それでも「プルトニウムが国内に大量にある」、そして「原爆製造の技術的、経済的可能性はありうる」と世界的に考えられている。この状況の方が望ましいというのが、恐らく「原発を保持していく」という安倍政権の真意だろうと思う。結局、現政権にとって、「安保が優先」なのだと判断している。(ちょっと書きそびれた問題があるので、それは明日以後に。)
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拉致と原発

2011年12月29日 01時08分57秒 |  〃 (原発)
 2002年の小泉訪朝により、「北朝鮮」が拉致事件を認めてから来年でもう10年。普天間返還問題と同じようにこの問題も先行きが見えないまま時間だけがたっていく。前から一度「拉致と原発」という題で書きたいと思ってきた。一つには、今年出た本の中でも極めつけに面白いと思う、蓮池透「私が愛した東京電力(かもがわ出版、1500円)という本の存在がある。著者は、拉致被害者蓮池薫さんの実兄で、02年当時は「拉致被害者家族会事務局長」だったことは多くの人が記憶しているだろう。その後、家族会の中で意見の対立があり除名されるに至ったが、独自の立場で言論活動を続けている。

 というようなことは知っていても、蓮池透さんが1977年から2009年まで東京電力社員であり、東京理科大卒業後、入社してすぐに福島第一原発に勤務していたというようなことは今回の事故が起こるまでは誰も無関心だっただろう。その後本店勤務、再び福島勤務を経て、核燃料リサイクルの仕事に携わった。吉田昌郎前福島第一原発所長と一緒に働いた経験もある。総被曝量が人体に影響があるとされる100ミリシーベルトに達している人である。今回の事故を受けていろいろな人が発言をしているが、東電内部で原発の技術者をしていた人が直接書いた本はこれだけである。多分しばらく今後も出ない。東電社内の様子など興味深い記述が多いが、出来れば直接読んでほしい。東電社員がどうしても規格はずれにならないような「優等生タイプ」の採用が多くなる一方で、「行っちゃった人」(つまり精神的に不安定な行動が見られる人)も少なからずいるという部分が納得できた。学校の世界と同じだなと思う。

 さて、蓮池透さんの本のこともあるけれど、それ以前に僕はあることに気づいた。拉致事件にも様々な様相があるが、77年の宇出津(うしづ)事件(久米裕さん)と横田めぐみさん事件を先駆けとして、日本から直接アベックを拉致するという凶悪な事件は78年に集中している。つまり、地村保志さん・濱本富貴恵さん夫妻(福井県小浜)、蓮池薫さん・奥土祐木子さん夫妻(新潟県柏崎)、北側が死亡としている市川修一さん、増元るみ子さん(鹿児島県吹上浜)、曽我ひとみ・ミヨシさん親子(新潟県佐渡)である。「李恩恵」とされる田口八重子さんも78年だが、事情がよくわからない。つまり、この事件を見ていて気づくことは、工作員が拉致を実行した地点が原発設置場所の近くであることが多いという事実なのである。

 蓮池夫妻の柏崎は、東電刈羽柏崎原発。地村夫妻の小浜は、直接的には原発はないものの日本一の原発集中地域である若狭湾沿岸のど真ん中にある。小浜以外の周辺市町には皆あるといってよい状態である。市川・増元さんの吹上浜を少し北上すると九州電力川内原発。石川県宇出津は能登半島の富山湾側だが、日本海側にある北陸電力志賀原発は遠くない。突発的に生じた可能性が高い新潟市内の横田めぐみさん事件、曽我さん親子の佐渡を除き、原発に近いところで拉致事件が起こっているではないか。(佐渡は朝鮮半島には近いが、島だから原発を作っても電力を持ってくることができない。)拉致事件当時は原発が稼働以前のところがほとんどである。だから、北工作員が原発を標的にしていたのではなどと言いたいわけではない。そういうことではなく、「原発立地の適地」は、同時に「日本人拉致の適地」でもあり、つまりは人口過疎のさびしき場所だったということなんだろうと思う。

 戦後社会において、見捨てられてきたものの象徴が「原発」と「拉致」の中に見えてくる。もう一つ、そこに「普天間」を置く必要があるだろう。このトライアングルの中に、戦後日本の欺瞞とねじれが隠されている

 野田首相が宣言した「原発事故の収束」には批判が多い。何をもって収束とすべきは、僕にはよくわからない。冷温停止と言っても1号機なんか30度代で温度が低すぎる。燃料棒はメルトダウンして格納容器には全くないと思われるから、核燃料も何もない場所を測っているだけだという意見もある。いろいろなことがまだよく判っていない。本当に危険な事故が、多くの人の決死の努力でなんとかこれ以上の最悪の惨事にはならずに年を越せそうだということは言えそうだが。

 原発事故のことは、6月の東電総会までにいろいろ考えたけれど、畑違いでわからないことが多い。僕の関心からすると、どうしても戦後社会史、戦後思想史の中で考えていくことになる。書き切れずに残っていることは多いが、とりあえず「拉致」「普天間」「原発」を総合的に見る、という視点を提出しておく。
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原発事故・必読本

2011年08月25日 23時59分45秒 |  〃 (原発)
 本の話をしばらく書き続けたいんだけど、まず第1陣は原発事故関係の本。時間が経つと書く価値が薄れるのでまず記録しておくことにします。1冊目の本は、岩波新書の今月新刊広河隆一「福島 原発と人びと」。これは必読です。760円。全然難しくないから、このくらいの岩波新書は買いましょう。

 広河隆一さんはフォトジャーナリストとしてパレスティナやチェルノブイリなどの取材を続けてきた人で、雑誌「DAYS JAPAN」の編集長でもあります。1943年生まれで、すごく有名な人。チェルノブイリ支援運動なんかで僕にも親しい名前です。事故から半年近くたって、もう事故当時の緊迫感を忘れつつある部分があります。広河さんは事故直後に現地へ向かい、チェルノブイリ取材の経験を生かして、放射線の危険性を訴え続けました。現地の人々の声がいっぱい入ったこの本は、写真入りでとてもわかりやすく、中間まとめの本として必読だと思います。

 これでわかることは、(当然と言えば当然なんだけど)、政府はあたふたするだけで有効な対策を打つことができず、最初の数日の一番重大だった時期の避難態勢が問題だったことです。
 「政府」と言ってもそういう人はいないわけで、政治家は放射線のことはわからないので、保安院とか原子力委員会とかそういうポストの学者に聞くしかないけど、彼ら御用学者は頭の中が「想定外」で機能しなくなっていて、もともと人権意識が低いからそういうポストにいられたわけで、役に立たなかったわけです。ここで反原発派の学者を招くようなことはできていたらいいんだけど…。社民党が連立離脱する前だったら少しは違っていたかね。

 そして、その結果放射線をめぐる「新しい差別」を生み続けているということです。原発事故でまた「非科学的な無知と差別意識」から福島の人々への言われなき差別待遇が生じてしまいました。ハンセン病市民学会に行ったとき、ハンセン病回復者の皆さんが、この「新しい差別」に心の底から怒りと連帯感を表明していたことに感動しました。しかし、その後の動向はこの本で読む限り、かなり大変な状況。「自分の頭で考える」という当たり前のことを忌避する言動が、行政側にも市民運動側にもあるように感じます。

 そんな中で、前に6月25日付ブログで紹介した安斎育郎さんの「からだのなかの放射能」(合同出版)という本は貴重です。もっとも1979年の本に増補したもので、前半の科学史のエピソードが今となっては「のんき」に見えなくもないと自分で言ってます。しかし、この大変なさなかにも放射線の本質をきちんと知ろうというためには、ここが大切だと思いました。まあ、要するに歴史系の話は興味があるんですね。

 で、その結果、核実験や原発事故の話の前に、自然放射線の話で本の半分が終わります。いや、案外からだの中の自然放射能は多いんですよ。全部合わせても1円玉の半分にもならないって後書きで書いてますが、つまり1円玉の半分近くの放射能が自然に体内にはあるのです。(だからごく微量の放射線被ばくが直ちに危険ではないわけですが、だからと言ってそれが安全なわけではないので、自然以外の放射線被ばくは極力減らす努力をすべきです、と言ってると僕は理解しました。)
 考古学で有名な「炭素14法」で知られるように、有機物は(生物はすべて)放射性炭素を持っていますが、それがどのくらいあるのか、どういう意味を持つのか、この本で初めて知りました。しかし、からだの中にたくさんある炭素(炭水化物が主食なんだから)よりも、筋肉に蓄積されるカリウムの中に自然に存在する放射性カリウムの方がずっと多い。しかも脂肪の多い女性より、男性の方が体内放射能が多いなど、聞いたことがありますか?また、入れ歯をピカピカにするために、昔アメリカで発明された方法がウランを入れ歯に塗るという方法だということで、ホントかね。今は使われていないということですが。

 そもそも放射能って何だ、半減期って何だ、ウランやラジウムって何だ、というあたりから判りやすく書かれています。まあ、僕は科学の話を書くと間違いそうだから書きません。そんなに難しい本ではないので是非自分で読んで見て欲しいと思います。
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福島の皆さんへ言いたかったこと

2011年08月18日 00時13分38秒 |  〃 (原発)
 最近「困ってる人」の記事を見る人が多いみたいで、夏休み期間中に毎日順位が出てます。つまりブログの閲覧者が1万人以内だと順位が出るのですが、最近は5千番、4千番台まで来てます。
 記事については、本や映画も書くけど、原発問題、政治論議も途中。そして高校無償化問題も途中なんですが、次に書く朝鮮学校の問題はいろいろ複雑な検討がいるので後回しになっています。しかし、この問題で一番書きたいのは、多分僕以外に誰も書けない「無償対象者の年限問題」なんですね。でも、その前に、「Image.Fukushima」の方の目に留まったみたいで、コメントを寄せていただきました。そこで、実は当日時間があれば会場で発言したかったことがあるので、それを書くことにします。

 まずはこのような対談を毎日企画した「Image.Fukushima」の皆さんに感謝したいと思います。このような企画が福島で実現できたことは日本の希望だと思います。

 さて、東北はあちこちたくさん行きました。海外も行きたいけど、専門が日本史だし、海外旅行は都教委への届け出が面倒なんです。西日本もいいけど、教師が一番長い休暇を取れる夏休みには暑いんですね。昔、フェリーで宮崎まで車で行って、鹿児島、熊本を回ったけど、あまりの暑さに参りました。ということで、最近は毎年のように東北。白河から恐山まで、塩屋崎から大間崎までと言うか、随分行ってます。父方をたどれば群馬を経て山形、母方をたどれば栃木を経て福島です。福島は富岡です。原発避難地帯そのものです。小さい時に泳ぎに行ったということで、親戚は今もいて、避難後に電話してみたけど誰も出なかったと母親が言っていました。(当たり前ですよね。)そういう意味で東北の津波大被害、原発事故への衝撃は、当然誰でもあるでしょうが、自分でも大変大きいものがありました。

 そういう中で、福島へ何回来たかなあと話を聞きながら思い出してみました。多分15以上、福島の温泉だけで泊ってると思います。山も好きで磐梯、安達太良、東吾妻の一切経山、会津駒など登っています。(100名山の平ヶ岳は大変そうで行ってませんけど。)また、勤務先の学校行事でもよく来ました。林間学校や移動教室と言う名前で、1年生や2年生で行う宿泊行事ですね。江戸川の中学でも、足立の商業高校でも、墨田の夜間定時制でも、あれ、思い出してみれば皆行ってる。磐梯山、浄土平、鶴ヶ城、野口英世生家、尾瀬…というふうに個人的な思い出もいっぱい詰まってるところです。地元だと温泉は日帰りができるので、案外僕の方がたくさん泊ってるのかもしれません。秘湯好きなので、飯坂、東山なんかは行ってないのですが。(あまり名前を書くのもどうかと思うけど、あえて書くと、鷲倉温泉がおススメ。)その中で秘湯好きには有名な「日本秘湯を守る会」そのものを福島が支えています。この会の会長として会を発展させてきたのが、「二岐温泉 大丸あすなろ荘」の館主佐藤好億(よしお)さんです。現知事は佐藤雄平さん、前知事は佐藤栄佐久さんですが、僕にとって福島で一番の佐藤さんはこの方です。この素晴らしい宿の館主の佐藤さんは、地方から発信する素晴らしい文化運動の担い手だと思っています。

 さて、そんなことでずいぶん福島もいろいろ行ってますが、(三春の滝桜も行ったけど、花見山へ行ってるのは東京では少ないでしょう)、中山義秀記念館なんか行ってる人は少ないでしょう。(戦前戦後に活躍した作家。歴史小説が多い)。そんな中で、こんなに忘れられていていいのかという場所がありました。それは松川事件記念塔です。見えていてもどうやって近づけばいいのか、とにかく行きにくい場所でした。松川事件は1949年に起きた列車転覆事件で、共産党員の犯行とされ多くの被告が裁判で有罪になりました。(一審福島地裁で死刑5人)。被告は無実を訴え、作家の広津和郎氏をはじめ多くの人々が疑問を持ち、大規模な救援運動が起こりました。最終的には最高裁で有罪判決が破棄され、1961年に仙台高裁で全員無罪、1963年に最高裁でそれが確定しました。

 佐藤栄佐久さんの本には「検察の捜査がこんなものとは知らなかった」とあるのですが、松川事件で検察は死刑被告のアリバイを証明するメモを隠していました。松川の教訓が生きていれば、今頃可視化などという議論がもめることはなかったでしょう。そして、松川事件の救援運動は大きな教訓をいくつも残していると思います。

「現地調査」の大切さ いろんな市民運動で今では当たり前に行われている現地調査は、松川運動の遺産だと思います。東大児玉教授の国会証言でも同じ場所でも放射線値がいろいろ違う。細かい調査が必要と言ってますが、原発の問題、津波の被害も多くはまだ実際に見ることなく議論している人もいます。現地へ行き、話を聞く。科学的な調査をきちんとする。その重要さ。
「統一と団結」 思想を超え、党派を超え、おかしいものはおかしいということ、シロウトの疑問を大切にすること。これが松川運動の広がりを支えたと思います。無罪後は、やはり共産党と言う党派性に捕われていった点は否めず、そのため60年代後半以後に松川運動が継承されにくかったのではと思います。今後、原発のあり方(減らし方)、放射線の危険性の考え方などについて、様々な考え方の違いが現れ、今までいつもそうだったように、「分裂」が起こってくるのではないかと思います。(もう兆しはあるかな?)一番大切なことは、シロウトがおかしいと思うことを大切にする。被害者の声を重視する。党派性を押さえて、個別の課題を皆で考え、まとまれるところはまとまっていく。感情的にならず、じっくりしぶとくやっていく。そういうことだと思います。

 そういうようなのが「松川の教訓」だと思っていて、冤罪事件だけでなく、多くの場で大切に引き継いで行かなくてはいけないと思います。ちょっと今の時点の言葉が入ってるけど、こんなことを言いたかったかな。

 さて、近所のスーパーで福島の桃を安く売ってました。こんなに安くていいのかな。でも、安いから買ったのも事実ですね。とても美味しかった。 
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原発はプルトニウムの工場

2011年07月12日 21時29分49秒 |  〃 (原発)
 原子力発電所とは何か? 
 ウラン238を核分裂反応を起こせるようにウラン235に濃縮し、そこに連続反応がおきるように中性子をぶつけ、巨大な核分裂エネルギーを発生させる。2800度にも達する熱エネルギーの3分の2は海に温排水として捨て、残りの3分の1で水を温め蒸気を発生させタービンを回して発電を行う。一方、核分裂が起きると、ウランは放射能を持つ様々な物質に変化して、プルトニウムなどの放射性廃棄物ができる。

 というような判ったような判らないような解説がいろんな本に出てる。電気を生み出す仕組み自体は火力発電と同じだが、そのことを今まで知らなかったという人がいたのには驚いた。原子力で得る熱は大きすぎて調整が難しく、せっかく得たエネルギーの大部分は海に捨てるので、原発を「海あたため装置」と呼んだのは水戸巌さんである。
 原発は放射性廃棄物の処理費用まで考えれば、事故が起きないとしてもコスト的に民間企業が行うにはリスクが大きすぎる。そこで、国は廃棄物処理の方を引き受けるとともに、事故がおきた時のための「原賠法」を作った。そして、最終処分場の建設は国が責任を持つと言ってきたが、まだどこも引き受けていないし、今後も引き受けるところが出るとは思えない。そのまま危険な廃棄物が各原発にたまっている状態である。

 では、国はそこまでしてなぜ原発を推進したいのだろうという疑問になる。
 一つは、アメリカから買う超巨大技術だということだろう。戦後日本では自衛隊や民間航空会社がアメリカの会社から買う飛行機をめぐって、何度も疑獄事件が起こっている。原発はさらに土地買収、漁業権の放棄などが必要で、そこは怪しい人々が暗躍する利権の巣になったはずで、地域の保守勢力の力の見せ所だろう。そういう「利権としての原発」が大きいのは間違いない。しかし、それだけでは原発はとらえられない。なぜなら核兵器の原料となるプルトニウムができるから、アメリカの世界戦略に関わる問題で、アメリカにとっても儲けになるからどこにも売りまくるという問題ではない。

 そこで原発の意義をこう逆転して考えてみる原発はプルトニウム製造工場で、その過程で熱エネルギーが発生しその3分の1を生かして発電するが、どうしても使い切れないので残りの熱は海に捨てる装置である、と。

 日本はむろん非核3原則で核兵器を持たないと表明している。だから原発でプルトニウムが大量にできると問題で、できるわけない「核燃料サイクル」とか無理やりウランと混ぜて燃やしてしまう「プルサーマル」などを無理やり推進してきた。しかし、日本以外の原発大国は核兵器保有国だから、プルトニウムができても問題にならない。
 日本には自国ではいらないことになってるプルトニウムが大量にある。だからそんな危険な原発を何故いつまで持ってるのかというのが反対派の言い分だった。もう全く正当なその疑問に答えるには、実はプルトニウムはゴミ(核廃棄物)ではないという見方をするしかないのではないか。つまり、核兵器原料を大量に保管すること、それが原発を維持し続けてきた真の目的なのではないか

 考えてみれば、大量の核廃棄物(特にプルトニウム)をどうするんだという問いへの一番簡単な答えは、「日本も核兵器を開発すればいい」というものではないか。となれば、核開発を(心の奥底で)めざす超国家主義者にとって原発は経済コストの問題などではないのだ。日本は、憲法上の解釈の問題はあるが、いざという気になれば核兵器を開発する経済力と技術力がある「潜在的核保有国」であることは国際的に認められている。従って、その気になれば数年で開発できるプルトニウム型原爆の原料が大量にあるということは、それ自体が「一定の抑止力」であるという考え方ができなくもない。中国や北朝鮮の動向を見ていれば、この「一定の抑止力」を放棄するなどという政策は考えられない、そう考える政治家がいた、ということが原発を保持してきた最大の理由なのではないだろうか。(なお、日本はIAEAの査察はちゃんと受けて管理されていることが確認されているので、実は秘密裏に核兵器を開発してたとか、裏でテロ支援国家に流れてたりすることはない。)

 もちろん、日本が核兵器開発をするということは現実的には考えられない。国民感情とアメリカの反発で、その政権は崩壊することだろう。だが、選択肢として核開発を残しておくというのが、日本が原発大国である選択をした意味なのではないか。今そう思い始めているところである。
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東京電力の責任問題②

2011年07月11日 22時00分25秒 |  〃 (原発)
 関東も梅雨明けし、脳ミソの融点を超えるような猛暑が続いている。もうあんまりマジメなことを考えたくない気分だけど、昨日の続きだから書いてしまおう。昨日も書いていて、自分であまり面白くない感じがした。それは何故かと考えてみて、こういうブログの意味は何かと思った。それは反対論を書いたり、こういう問題もあるという別視点を出すことにあるのだろうと思う。今までは大体そういうことを書いた方が多い。自分の意見を書けば自然にそうなるのである。しかし、この原発事故の補償問題で言えば、結局政府の考えている枠組みに基本的に賛成なのである。原案賛成では書く意味が乏しい。でも、両端の意見を考慮しておく必要はあるし、実はその先の議論をしたいのである。

 昨日書いたように、東電倒産処理はかえって事故被災者に不利な面が多い。一方、東電を免責するのはどうか。これは最終解決が法的処理に持ち込まれる可能性が高く、時間がかかって誰にも無理が多いということで、皆が避けようとしている。「東電を免責する」と言っても100%の免責にはならないが、有名になった「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)では、第3条に「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。」とある。(下線部、引用者)

 東日本大震災が「巨大な天災地変」に当たらないなら、どうなれば該当するのか?東電を倒産させるなら、この条項の適用を求める裁判が起こるだろう。株主の利益を考えれば、東電経営陣はこの条項の適用を政府に求めるべきではないのか。実はそういう質問は株主総会で何回も出されたが、結局は経営陣としてはそれは適当ではないという答えだった。認識としてはという問いでは、認識としては第3条の「巨大な天災地変」にあたると考えるという答弁だった。しかし、その適用をめぐって訴訟となった場合、被害者補償が遅くなり過ぎ、それは被害を与えた企業として望ましくない。政府が現在国会に提出している「原子力損害賠償支援機構法案」(経産省HP)の枠組みで補償に取り組むという答えだった。この問題に関しては、それ以外の考えは僕にも持てない。

 国民負担はおかしい(税金を補償に使うな)という議論もあるが、原発は国策として進めてきた経緯からしてそれは通らないだろう。(国は国策としてこんにゃくゼリーやユッケを食べろと言ったわけではない。国は薬害エイズや注射針の使い回しによる肝炎などの感染を防ぐ義務はあっただろう。そういう例を考えると、原発ほど国策として進められ、国が安全を保障していた事例はないのではないか。)佐藤栄佐久前福島県知事の本を読むと「国こそが真のムジナ」だと書いてある。原子力関係にはムジナやタヌキがたくさん住んでいて、その総本山は電力会社ではなく国そのものだという認識である。国といっても、民主国家なんだから結局は国民の責任ということになり、税金で処理するということになる。しかし、原発をどうするかは国政でも地方選挙でも、一番の争点ではない時が多いかもしれないけど、一応は争点になってきた。選挙に行かなかった人も含めて、国民の目に見える形で負担するのはやむを得ないと考えている。つまり所得税、法人税ではなく、消費税で賄うべき。それが国民の責任だと思う。福島県と沖縄県は据え置きでいい。(沖縄は原発がない一方、もう一つの「迷惑施設」の米軍基地があるので。)また、選挙権を認められていない在日外国人には、その分の税金還付をすべきである

 ところで、この原賠法と言う法律はなんなのだろうか?成立したのは1961年で国内で原発が営業開始するずっと前である。いつも法律というのは、問題が起こってからあたふたと後追い的に作られることが多いが、この用意のよさはなんなのだろう?そして、せっかくあるのに、この大震災で適用しないなら、もう二度と第3条が適用されることはないだろう。じゃあ、なんだったのだ?民間企業を危険な原発業務に引きずり込むための巧妙な手段。要するにそういうことだろう。
 では、何故そこまでして、原子力発電所を作るのか? ここで、日本の戦後史全体を考える必要が出てくるのではないかと思う。
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東京電力の責任問題①

2011年07月10日 23時14分20秒 |  〃 (原発)
 前にいずれ書くとしていた「東京電力」の責任問題をこの時点で簡単にまとめておきたい。なお、東電株主総会前後に、「東電経営陣」に経営責任があるということは書いておいた。経営者は利潤を出せない外部環境にあっても結果責任を負うが、それでも経営危機への対応、経営方針の見直しなどのスピード性や統率力などで評価を高める経営者もいっぱいいる。しかし、東電経営陣が原発事故への対応で見せたのは経営不在とも言える事態で、企業の信頼を大きく損なった。

 ところで法人としての「東京電力」そのものの責任に関しては、両方向からの議論がある。なお、「原子力損害の賠償に関する法律」(原賠法)でも、また一般的に公害等の企業責任を考えるときの「PPP」(汚染者負担原則=polluter-pays principle)から言っても、 事故被害賠償の責任がまず東京電力にあるのは間違いないので、それは考えるまでもない自明の前提として話を進める。

 議論の一つは、東電そのものに責任があり、もはや(何兆円にもなるという)賠償金を払えるメドはなく実質的には債務超過だからつぶしてしまえ、というものである。「東電が倒産して、誰が困るのか?」(佐高信、週刊金曜日7.8号)というのが代表的な言い方だが、その答えは原発事故被害者が困るのである。民主党政権は日航は法的整理したのに何故東電は救うのか?と言う人もいるが、本業で行き詰った日航と本業ではなく大事故で賠償責任を負うことで経営危機にある東電は全然事情が違う。会社が倒産すると、一般的には担保のある銀行等の融資や社員の給料などの労働債権が優先して保護される。一方債権者集会を開こうにも、被害は今も広がりつつあり損害賠償権を誰が持つのか今はっきりさせることはできない。これでは今法的整理に踏み込むと事故被害者が一方的に被害を受けかねない。

 100%減資して株主の責任をと言う人もいるが、これはおかしい。事故当日まで本業に大損失を予想する材料はなく、東電そのものの失態による事故ならともかく大地震による大損害を株主だけが引き受ける意味がわからない。東京都だけで現在の株価でも10億円以上の価値がある。所有している自治体も多いし一方的に減資されても困る。多くの人に関わってくる。そういうこともあるが、今後も電気はいるので、東電を倒産させるということは新東電を作って事業はそちらに移し、旧東電は賠償会社として実質国有化するという枠組みになる。この旧東電は普通の事業清算の場合と異なり、少なくとも50年程度は存続させなくてはならない。モチベーションの持てない管理会社を作ってもあまり意味はない。

 結局、水俣病を起こしたチッソのように、将来的には電力事業の再検討も含め分社化もありうるが、当面は東電と言う枠組みで賠償をしていくしかないというのが、常識的な結論だと思う。では「原賠法」をどう考えるか。問題はこちらなのだが、長くなったので一端切って明日に。
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尾瀬は大丈夫か?

2011年07月09日 23時10分53秒 |  〃 (原発)
 ずっと原発について書く中の、番外編。尾瀬は大丈夫か?

 何を言っているかわからない人もいるかもしれないが、尾瀬ヶ原は東京電力の水利権があったところで、群馬県側の土地は東京電力が今も所有している。(福島、新潟は国有地。)日本の自然保護運動は尾瀬の保護運動に始まり、尾瀬の保護運動は東電の開発計画との闘いだった。東京電力が発電所計画や分水計画を断念したのは1996年のことである。
 現在、尾瀬の木道を整備しているのは「尾瀬林業」という東電の100%子会社である。東電は尾瀬保護に年2億円を投じて、今は自然保護、観光の中心を担ってきた。

 こういう流れを見てくると、今後東電が今までのように尾瀬の保護に金を掛けられるか、大規模原発事故への対応で莫大な資金が必要な中で、心配になってくる。この問題は、ずっと前から心配で一度書いておきたいと思ったのだが、ほとんど他で取り上げられていない。(朝日新聞6.21夕刊「窓 論説委員室から」が僕が今まで見たただ一つの例外。)

 尾瀬は(個人の他に)林間学校で計3回行った。特に1989年夏に行ったときは、山小屋2泊、コース別分宿というすごいことをやった。僕は今まで担任をした学年ではすべて旅行行事を担当したので、いろいろな思い出があるのだが、このときの尾瀬林間学校は僕の宿泊行事の最大の思い出。まさに尾瀬林業が経営している「東電小屋」「元湯山荘」「尾瀬沼山荘」に分宿した。僕は東電小屋に泊まっている。とにかく山小屋まで行きつかなければ寝ることができない。具合が悪いからふもとのホテルで待つ、ということができない。疲れた生徒の荷物をみなで持ち合いながら、やっとついた山小屋の周りの尾瀬沼、尾瀬ヶ原の美しさ、素晴らしさ。この旅行の思い出と感激は忘れられない。

 その尾瀬を今後も永遠に残していくのは日本人の宿題だが、何か方法はないか?勝手に書くと、尾瀬を国民の手で買い取れないか、と思うのである。尾瀬保護財団の理事長である群馬県知事(先ほど再選された)は反対しているようだが、一部でよく言われる「無利子国債」(その代り相続税の対象外とする)などは「尾瀬債」でこそ意味を持つような気がする。いろいろなアイディアを出すことで、寄付金も集まるのではないか。個人で100万単位、企業で1千万、1億単位で出すところもあるのではないかと思う。(尾瀬買い取り財団指定の水芭蕉ロゴの使用権を多額寄付企業に提供する。尾瀬3県の宿泊施設割引や特産物割引を寄付個人の特典とするなどなど。)僕はどこかでマジメに考えてみるべきだと思う。
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福島原発は地震で損傷したのか

2011年07月08日 23時08分28秒 |  〃 (原発)
 今日発売の週刊金曜日7月8日号放射能はどこに落ちた」特集はとても役に立つので、直接購読してない人も書店で見たらぜひ見て欲しい。青山貞一「放射性物質はどこへ落ちた」は具体的な調査データにより南相馬市東部より福島市の方が空間線量率が高いところがあると示されている。(南相馬市は一部が20キロ圏に入るが、福島市はもっと遠い。)地表1mに比べると、地表面の放射線量がずっと高くなっている。それは「原発から各地に飛んだ放射性物質が降雨により地表面に沈降し、その後、地表に留まり放射線を出し続けているからと推察される。」ということである。
 さて次のページにある早川由紀夫氏の論考によると「汚染ルートとタイミングは福島原発で起こった爆破日時とは合わない」とのことである。「福島原発から大量の放射性物質が漏れたのは、爆発の瞬間ではなかった。爆発からしばらく時間を置いて、原発建屋から音もなく、静かに漏れ出したように見えるのだ。」

 僕は4月10日の段階で、このブログに以下のように書いた。
 「今回、炉心溶融が起こり大量の放射性物質が出ましたが、原子炉格納容器が残っているので、まだ大部分は抑えられている状況と考えています。今、格納容器に窒素を注入し爆発を防ぐ対応を取っていますが、絶対大丈夫という段階ではありません。」
 この段階でまだメルトダウンしていたという発表はなかったけれど、状況を見るとメルトダウン(炉心溶融)しているとしか思えなかった。後に地震当日の夜にすでにメルトダウンしていたという解析結果がずいぶんたってから出てきた。4月10日は震災ボランティアへ行く直前で、しばらく書けないので原発問題をまとめて書いたわけである。その後は具体的に書いてないけど、それは何が起きてるかの正確なデータも出てこないのに、専門家でもない僕が書けることはないと思ったからだ。地震当日夜のまだ勤務先の学校から帰れずテレビニュースも見られない時期に、もうメルトダウンしてしまっていたのだったら、その後の心配して見ていた時期はなんだったのか?

 さて、今一番知りたいことは、どこからどのように放射能が漏れだしたかということだ。今現在は大気中には新しい大きな排出はないと思われるが、地下水には漏れ出ているかもしれない。地震があり、津波が来て、爆発をした。よって原発内部がどうなっているかわかったものではない。
 その中で、今多くの人は「津波」「爆発」が大問題だったと考えていると思うが、問題はそもそもの地震の揺れでどのような損傷があったのかという問題である。なんでかと言うと、高経年化した福島第一原発(営業開始を見ると、1号機が71年、2号機が74年、3号機が76年、4号機が78年)では、揺れそのもので、どこにどのようなパイプのずれとか穴ができたか、わかったものでないと思うからだ。
 実際、5月25日付朝日新聞1面は3号機の「冷却配管 地震で破損か」とトップで報じている。また東京新聞6月1日付「こちら特報部」でも、「認めたくない?地震損傷」「『津波で暴走』怪しく」と大きく報じている。この問題がその後あまり追求されていないと思う。これは非常に大変な問題である。何しろ津波だったら想定外と言って言えないこともないが、地震の揺れそのものに関しては「想定外」とは言えないからだ。阪神大震災、新潟中越沖地震で耐震建築は見直され、揺れ自体には耐えられることになってるので、それが崩れたら、津波対策だけでは終わらずにすべての原発を止めなくてはならないことも考えられる。

 そして、高経年化(つまり古くなってぼろくなった)福島第一原発1号機を、今後も使い続けて大丈夫だよとお墨付きを与えたのは、国(原子力安全・保安院)だったからである。そのお墨付きの日付は、知ってる人も多いと思うけど、「平成23年2月7日」だった。大震災のひと月と4日前である。気になる人は原子力安全・保安院のホームページにある「東京電力株式会社福島第一原子力発電所1号炉の高経年化技術評価書の審査結果及び長期保守管理方針に係る保安規定の変更認可について」という長い名前のプレス発表資料を見てください。
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バッテリー技術の革命を

2011年06月30日 20時53分46秒 |  〃 (原発)
 明日から節電態勢がさらに強化されます。で、原発は再開すべきか、いや自然エネルギー開発に力を注ぐべきだ、それより文明社会の便利さ自体を問い直すべきだ…といろいろな意見が飛びかいます。これらの議論も大事だと思うけど、それより新技術の方向性で違う考え方もあるのでは、という話。これは先に紹介した安斎さんの本で教えられたことです。
 今の議論は「電気は貯めておけない」ことが前提になっています。しかし、一日中クーラーをつけてるわけじゃないから、つけてない時に充電しておいて、その電池でピーク時の運転ができるようになれば、何の問題もありません。技術的には、核廃棄物の最終処理や太陽光以外の自然エネルギーの大規模実用化などより、ずっと簡単なのではないかと想像します。というか経済性を無視すれば今でもできるのではないかと思います。(太陽光も蓄電技術だから、その大規模バッテリーは太陽光で可能になるのかもしれません。)

 現在もすでにずいぶん多くの電機製品がバッテリーで動いています。ひげそりや電動歯ブラシなんかはモーターを動かすだけで大して電力はいらなさそうだし、手に持って使いたい製品だから充電して使ってます。これらは小さな機械ですが、携帯電話などはいまや小さなパソコンというべきだけど、バッテリーを充電して使っています。ケータイするためにはコードがあっては意味なく、バッテリー技術の発展で携帯電話という機械ができました。携帯電話という商品ができてからもどんどん進化していって、バッテリーの使い勝手も急激に良くなっていきました。
 また、電気自動車というものも実用化されています。(しかし、今後はどうなるんでしょうか?)そういう風に考えると、ケータイや電気自動車まで実用化できるバッテリー技術の発展を、さらに追及していけば「電気を貯める」ことがもっとできるようになるのではないでしょうか?

 今までの大型家電が充電式でないのは理解できます。ケータイするわけじゃない、冷蔵庫やクーラー、洗濯機、テレビなんかを充電する意味はありません。コンセントにつなぎっ放しの方がいい。動かさないんだから。水道から水が出るのにわざわざ汲み置きするのは二度手間です。しかし、水不足で時間断水することは今でも時々聞かれるけど、そういう時は水道が出るときに水をためておきます。今や電気も不足する時代なんだから、大型バッテリーで夜などに電気を貯めておく技術が必要です。

 いや大都市では夜も朝も暑くてクーラーつけるぞと言われるかもしれません。その通りなんだけど、工場やオフィス、学校などを考えると、夜はほとんど使ってないでしょう。(業種によって夜間の方が使う場合もあるし、理系大学の実験なんかで夜も使うかもしれないが。)そういう大型施設を考えると、そこで大型のバッテリーが設置できるようになれば、とても効果があるはずです。
 家での家電状況を考えると、小型製品(1万程度)や自動車(100万超)はバッテリーが可能だけど、その中間の大型家電(10万超)の価格帯では、充電タイプにすることでコストアップになると価格競争に太刀打ちできないのではないかと思います。しかし、大規模オフィスなどでは、規模のメリットがあるのである程度実用性があるのではないかと予想します。ゴーヤを窓にはわせたり、雪を利用したりするよりも、よくないですかね。

 ただし、以上の話はしろうと考えです。すごい技術が開発されたはいいけど、レアメタルを使わなければならなかったということもありえます。(そういえば、原子力に使うウランもレアメタルで、石油より早くなくなりそうということですが。)
 また、夜間電力は主に原子力で作られてきました。一度運転を開始したら急に止められない原子力発電を前提にして、揚水発電とか夜間電力の利用が言われてきました。原発を使わないなら夜間電力も少なくなるとも考えられます。しかし、火力でも水力でも連続稼働した方がコストダウンになるのは当然ではないかと予想できます。昼の電力使用を抑えるために夜に発電して貯めておくことは可能でしょう。

 ということで、大規模なバッテリー技術の革命的発展をめざしましょう!

 ところで今回家電製品をいろいろと思い浮かべて考えましたが、掃除機が充電式になって欲しいですよね。まあ、日本の家庭事情ではそう広い部屋もないので、せいぜい10分、20分だからガマンしてるけど、長くなったコードを収納するのが面倒。学校みたいにけっこう広い場所を掃除するときは不便です。もうずいぶん充電式掃除機もあるようだけど、どんどん性能がアップしていくことを期待します。
 またドライヤー。旅行用品などではコードレスもあるけど、一般的にはコードがあると思います。まあドライが目的と言うより、正確には「ヘアスタイル・コンディショナー」として使うことが多いから、ドライヤーとしてはポータブルの方がいいけど、大型の鏡の方が動かないからコードレスの意味がないと言えるでしょう。しかし、それとともに、電気を熱に変換するという点で効率が悪いので、バッテリー式に向かないのかもしれません。

 商品としての電気とは何なのかを考える中で、こういうことを考えました。この話題はまたいずれ続けたいと思います。
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東電総会、訂正と補遺

2011年06月29日 23時20分27秒 |  〃 (原発)
 毎日重大なことを書き続けるのは読む方も大変だろうから、今日は休もうかとも思ったけど、訂正があるので。(なお、字の変換ミスの見逃しはいくつもあるので、いちいち訂正しませんので。昨日も「御前」という間違いがあった。今までも「辻本清美」「緒方拳」とかあったけど、菅直人論のところで市川房枝さんを「恒例の女性運動家」という間違いにはわれながらびっくり。)

 株主総会の話で、「89%で否決」と書き、だから株主提案が1割以上の賛成だと思ってそう書いた。これはNHKのニュースを聞いて書いたのだが、今日の東京新聞を見ると、否89、賛8、残り3%が棄権・無効票とあった。よって株主提案は1割行ってませんでした。しかし、賛否を明らかにしない場合や議決権行使書を送らない場合は会社案賛成になるはずなのに、どうすれば棄権できるのか、わからん。

 さて、本日、東電の「株主総会決議ご通知」が送られてきた。多くの会社は配当(及び株主優待品がある場合も)が、この通知とともに送られてくる。(郵便局で現金に引き換えられる為替が同封されていることが多い。今はゆうちょ銀行だから、為替と言わないようだけど。銀行振り込みを指定しない限りそれが来る。)配当があるなら、早く来る方がいいとはいえるだろう。しかし、今回は無配だし、総会でも「質疑応答の内容を報告して欲しい」という要望が出た。どうなんだろう?午後4時過ぎまでかかった総会の通知をそれ以後に一斉に投函(というかどうするのか知らないが)して、今日中に届くのか?(料金後納郵便で出している。)一体いつ出してるのか?(第3号議案が否決されたのは午後4時。それから刷っていては今日着くはずはない。だから「予定稿」で印刷しておいたわけだが、それは実務上やむを得ないと考える。しかし、発送するのは総会が完全に終了してからでないとおかしい。)

 原発、エネルギー問題のことは今後も書いていくが、どうなんだろう?それだけになってはまずいでしょ、とも思うけど。今後他の原発でも事故が起きる確率と、普天間基地周辺で米軍機の事故が起きる確率はどちらが高いですか?でも、本土で普天間問題を今でもずっと気にしてる人はどれだけいるの?そして、今年も自殺者が3万人を超える確率はと言ったら、それこそ100%確実だ。
 放射能がこれだけばらまかれてしまったけど、それでも「ガン発生リスク」ではタバコの方がずっとずっと高いはず。そういうことも考えて行かないと。
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東電株主総会記

2011年06月28日 23時49分29秒 |  〃 (原発)
 今日はこっちがメインのはずが大事なことが起こり先に書きました。最近映画や芝居で夜遅く今日も朝から株主総会で疲れるんだけど、書いておきます。(あまり書く中身はないんだけど。)
 
 東京電力の株主総会きわめて不快な体験でした。僕は初めて株主総会というものに出たんだけど、これはいったいなんなんだろうと思いました。場所は芝公園の「ザ・プリンス パークタワー 地下2階 ボールルーム」というところです。ここは他にも大会社の総会によく使われています。自分の家から行きにくく、布川事件判決があった茨城県土浦の裁判所の方が近かったのにびっくり。まあ、東京の東北のはじですから。

 で、思ったより時間がかかり、メイン会場に入れませんでした。ニュースで報じられているように、9200人以上来たわけで、第5会場まで作られたわけです。僕は第2会場に案内されましたが、大きなプロジェクターで総会のようすを見ていただけで、言っちゃなんだけど総会参加者というより、傍聴者に過ぎない。開会少し過ぎてから、議長(勝俣会長)不信任動議が出て動議だから優先して採決したけど、メイン会場以外では採決を取らない。後でその件で質問が出たけど、議長は半数以上の株主の委任状を受けているからいいんだと強弁してましたけど、それならメイン会場で採決する必要もない。メイン会場だけ挙手をさせて、数えもしないで「反対多数と認めます」と議長が言う。どの会場にいても同じ株主としての権利を持ってるはずなのに、メイン以外には挙手もさせない。会社関係者が各会場に行って確認すれば済むだけでしょう。

 株主提案は否決されたと各テレビで伝えています。そうなんでしょうか?勝俣議長が「株主様の提案による第3号議案は反対多数で否決されました」と言ったのは確かです。しかし、菅内閣不信任案採決だったら、「賛成(白票)○○票」「反対(青票)○○票」と発表されました。よって否決だったんだなと納得できます。しかし、株主総会では「一応挙手させる」けど数えない。というか、出席票で議決権は行使してるので、インターネット、委任状と合わせ、票は事前に分かっているはずです。「賛成○○株、反対○○株、議長への委任○○株、よって第3号議案は否決されました」と発表すれば、納得できます。そりゃあ、大株主が会社賛成なんだから、株主提案は普通どの会社でも否決されます。でも、票数を発表しないんですね。それが株主総会なんだ。と思うと、資本主義というシステムは中国の全人代なんかよりずっと閉じられたシステムなんだなあと痛感しました。

 いろいろ質問が出て、いつもこういう会議で思うけど訳の分からない質問もあったけど、おおむね心に響いたり参考になった内容のものが多かったと思います。しかし、答弁は想定問答通りのものが多い感じであまり内容がなかった。御前10時から始まり、僕は午後2時頃を想定していたけど、延々と4時頃までかかりました飲まず食わずで6時間はお互いにつらいよ。お昼過ぎに、今日は長くなりそうだから休憩を入れろという動議があったけど、例によって否決。しかし、これは出席してる生身の人間のことだから、一株一票ではなく一人一票で採決して欲しかった。というかそれは会社法でできないだろうけど、挙手が多ければ議長が動議受け入れを考慮して欲しかった。もっとも腹減った、早く終わろうという方向に持ってくために昼食休憩を取る気は最初からないんだろうけど、今年は特別だよ。夜までやってもいいじゃないか。(遅くなったために、帰る途中の電車の中で、昨年卒業して就職した卒業生にバッタリ会いました。元気で働いてるということを聞けたのが、今日唯一のいい出来事。)

 僕は「東電経営陣」は経営責任を取って総退陣するべきと思っています。それは今までの総会で「脱原発株主提案」に反対する会社案を採用して、原発を推進してきたという経緯から、その会社経営方針で(結果的に、とか想定外の大津波でとか付けたければ付けてもいいけど)会社に大損害を与えた。今まで株主提案に賛成してればこうなってないわけで、そこに法的、道義的にはまた検討がいるけど、経営上の間違いであるのは明白です。去年まで事故はないと言ってきて起こったんだから、単に口先で謝罪するんでなく経営責任を取るべきです。確かに今回清水社長は退任するけど実質的な最高責任者である勝俣恒久氏がこのまま会長を続投して会社の信用が保てますか?取締役が全員一挙に退任するのは確かに問題だとしても、会長、社長は辞めるべき。だから、取締役選任の議案は、個々別々に採決すべきだと思います。(議決権は個別に「あの人はダメ」と指定して行使できます。僕は勝俣さん他数人を不信任。)また、勝俣議長の不信任案をめぐっても、自分で議長をやったまま自分は公正公平な議事運営を心がけてるから大丈夫と言って、そのまま採決してました。やはり普通の会議の場合は議長不信任案が出たら議長を交代し、他の人が議事進行をして不信任案が否決されてからまた前の議長に戻るという手続きになるんじゃないかと思います。
 まあ、勝俣さんも休まず6時間よく頑張ってたんだろうけど、どうも実がない感じがしてならず、僕としては「原発に一定のメドが付いたら」退陣するべきだと思います。

 テレビニュースで「4700万の老後資金をつぎ込んでいた」と言う人がいたし、会場での発言で「父の遺言で固い電力株を買えということでずっと持ってる。東北電力株も持ってるけど、あれだけの大被害でも今回20円の配当があった。すべては原発事故のあったか、なかったか。」という人もいました。今ニュースを見たら株主提案は89%で否決と報じていました。株主提案が1割以上も支持されたのは大きなことだと思います。朝日の夕刊には東京都に電話や意見がいっぱいあったと出ていました。
 この問題はまだまだ考えていきますが、とりあえず株主総会ってこんな感じ。
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バカンスとシエスタ

2011年06月27日 23時14分27秒 |  〃 (原発)
 さて、前回は「ピーク時電力需要」をどう抑えるかの問題。そこでは、家にいるより大規模施設に出てきてもらうほうがいい言う風に書いたけど、それは「小さな話」である。ホントは一番いいのは日本にいないこと。あるいはせめて、東電管内じゃない北海道にでも行く。東北も電力問題があるけど、東北でもいい。西日本でもいいんだけど暑いんだよね。

 要するにバカンスである。これは本来電力事情には関係ない。日本人の働き方、今後の経済発展の方向性の問題である。ここまで蒸し暑くなった大都会でブーブー言いながら働いていても能率は上がらない。バカンスを取るべきだ。旧盆前後の数日しか休めないから、夏も高い旅館に行くことになる。10日以上の休みがあれば、全部高い旅館には行けないから、どうしたって安い自炊の施設が出来てくる。必ずそうなる。日本はどこに行っても文化、スポーツ施設はあるし、ハイキングコースや史跡があるから、日本人はバカンスが過ごせないなんてことにはならない。農村への経済効果もあるけど、経済というより若い世代に農村体験をしてもらう、あるいは外国体験をしてもらうことに教育的意義がある。
 大量生産品の量産ではなく、付加価値の高い文化的な商品を開発するしか日本の道はない。そのためには暑い都会で事務作業をするより、山の温泉でのんびり2週間くらい本でも読んで過ごすことも大事。

 バカンスというのは、要するに年休のほかに特別夏季休暇を15日ぐらい与えるということだが、15日はまあ急には無理だろうが、今は5日から7日程度のものを10日以上にはしていくべきだ。なお今年に関しては、年休と夏休み以外に「ボランティア休暇を5日~10日間程度取れる」という制度を多くの会社、役所で取り入れるべきだろう。それでバカンス増に替える。

 が、小さい子供がいる、介護の必要な年寄りがいる、という人も多いだろう。そんな長いバカンスに行けって言われても行けない。と言う人のために「勤務時間短縮」制度でもいいんではないだろうか。増えた夏休み分のうち5日分くらいは、勤務時間短縮に充てられるようにするのである。一日2時間で20日分。8月いっぱい早帰り可。で、「1時間は在宅勤務で充当」を見込む。(夏に関しては、絶対家でパソコン入力した方が能率がいいに決まってる。)だから、朝早く始めれば、7時半から12時半まで働いて、それで上がり。(労基法上、休憩時間の特例を設ける。)8月は「半ドン」でいいじゃないか。

 もちろん、人によりけりだが長いシエスタを取ってゆっくり家に帰る。会社全体が長いシエスタを取る。1時から4時頃まで休む。その後夕方に2時間くらい働いて6時に終える。仕事量が終わるかと言えば、どうせクリエイティヴな仕事ができる時期ではないし、事務作業、顧客対応は夕方勤務社員が担当し、ワークシェアリングすればいい。つまり、バカンス、シエスタで人が減る期間は、アルバイト等で対応するほか、元気でお金が欲しい人はダブルワークすればいい。
 とにかく東京の夏の午後はオフィスで働くのは辛い。思い切って長時間のシエスタにすれば、そこに新しい産業も起こるし、新しいライフスタイルも生まれる。ホテルは「ランチバイキング+マッサージチェアで休憩プラン」などを作るだろうし、サウナで休んでもよし、子供と美術館や博物館へ行くとか、夏はシエスタでランチ合コン、などなど。

 もちろん大事なことは、休みをどうすごすかは個人の自由であって、部屋に引きこもって冷房をきかせてゲームをしていても、それはそれで構わないということだ。でもせっかくの夏のバカンスをそうやって過ごしていていいのか、というムードになるだろう。思い切って大胆に制度をつくることで、新しい発想が生まれ新しい産業が生まれると思う。電力事情の問題はひとまずおき、どういう働き方の社会を作るかということが先の問題だろうと思う。自分が楽しくなれるように考えていくのが本筋だと思う。
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「ピーク時電力不足」への対応問題

2011年06月26日 22時37分01秒 |  〃 (原発)
 「電気というもの」「節電とは何か」ということについて、何回か断続的に書きたい。(東電の責任というテーマが終わってないが、それはまた後で。)
 今年はとにかく節電である。例えば、箱根登山鉄道が恒例の「あじさい列車」の夜間ライトアップを今年はしないという記事があった。ホームページには、「今年(2011年)は電力需給状況から夜間のライトアップは中止とさせていただきます。光に彩られたあじさいの観賞をお楽しみにお待ちいただいたお客さまにおかれましては、大変申し訳ございませんが、何卒、ご理解を賜りますよう、よろしくお願い申しあげます。」と書いてある。しかし、これはおかしいのではないだろうか?

 なぜ今年は例年以上に節電が叫ばれるのだろうか。僕が思うに、節電には3つまたは4つの理由が考えられる。
経費節減。景気低迷、震災で企業利益が減り、家計、税収も減ってるから経費を節減しなくてはならない。
地球環境への配慮。火力発電で出る二酸化炭素量を減らすために、電気を節約する。
原発事故で夏のピーク時電力供給に不安がある。大規模一斉停電を避けるために、電力を節約しなくてはならない。
④もう一つ、震災以後の「自粛」ムードに配慮して、今年は派手な行事を止めたり、「震災に配慮してます」というポーズのために電気をつけず暗いままにしておく。

 ④は理由になってないが、実際は批判されないために④の理由で節電してることも多いのではないか。①②は昨年もあるが、今年特に節電というのは、③の「ピーク時供給への不安」からのはずである。だから節電対策はピーク時の電力需要を減らすことが中心でなくてはおかしい
 
 6月だというのに急に暑い日が続き、東電管内では需要が供給の「90%」を超えた日が出た。その時のピークは午後2時から3時だという。毎日電力予想が出てるが、ピークはいつも午後2時頃になっている。これは常識で理解できる。
 だから、夜寝るとき暑い日があったら、その時は会社や工場はほぼ休んでて電力は余ってるからクーラーを控える必要はないはずである。節約したいとか健康に悪いとか別の理由ならともかく、電力事情だけを見れば大丈夫なはずだ。
 箱根登山鉄道に関して言えば、むしろ昼間は来ないでくれ、夜のライトアップは今年もやるから、できるだけそっちに来てくれというのでないとおかしくないか。説明として「電力需給状況」を理由にしてるなら、「ピーク時の電力供給」を下げるため客を夜に回す方がいいはずだ。

 今いろんなところでやってる節電対策という名のサマータイムとかクールビズとか、皆「ピーク時の電力需要を下げる」という対策にはあまりなっていない。家庭に対して、脅しのように節電しろというだけなので、このままでは熱中症になるお年寄りが増えるだけで大変なことになる恐れがある。

 しかし、ではピーク時電力需要を下げるにはどうすればいいのだろうか
 安斎さんは先に紹介した本の中で「朝日新聞に対して、高校野球を秋にすればと言った」という話を書いてるけど、朝日もそう言われても甲子園はすでに押さえてある以上困るだろう。しかし、決勝戦は朝にするとか、阪神は「死のロード」に出てて夜も空いてるんだから、大胆に「シエスタ」を取る(第3試合の開始を午後5時頃にする)などの対策はできるはずだ。

 では、同じような発想で映画館なんかも午後の上映は中止にしてしまうというのはどうか。いやしかし、もっと考えてみると話は逆で、平日の午後の映画は無料にしてしまうほうがいい。家でクーラーつけてテレビを見てる元気な老人、夏休みで部屋に引きこもってゲームしている青少年諸君が、できるだけ近くのシネコンに映画見に行った方が効率がいい。どうせ映画館は冷やしてるんだから、皆が利用して家庭のクーラー使用を減らした方がいい。まあ無料はともかく、「平日午後の映画は1000円」ならどうか。ペイするのではないか。またスーパーなども「平日午後安売り」を行う。地域商品券も「平日午後使用の場合のみ割引」にして行政が売り出してはどうか。もっともこうして暑い時に出歩くのがいいかどうかという問題もあるが。
 といろいろ思いつくのだが、こういうアイディアを出しあう方がいい。そして夜の電力は大丈夫だとアナウンスするべきだと思う。(夏休みに夜間照明を過度に抑えるのは犯罪対策上疑問だ。)

 もちろん、僕はむやみにキンキンギラギラするのは好きじゃないから、節約するべきはした方がいいと思っている。しかし、この世はとかく住みにくい。憂きことばかり多い。そういう時には「たまにするちょっとしたムダ使い」はとてもよく効くクスリとなる。昼間の電力事情を気にするあまり、夜もガマンしてストレスをためたらおかしい。(観点を少し変えて、この問題を続けたい。)
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