尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

チェーホフの4大戯曲を読むーチェーホフを読む①

2020年03月31日 23時05分21秒 | 〃 (外国文学)
 アントン・チェーホフ(1860~1904)のいわゆる「4大戯曲」をまとめて読み直した。「かもめ」(1896)、「ワーニャおじさん」(1899)、「三人姉妹」(1901)、「桜の園」(1904)である。読んだのは松下裕が個人で全訳したちくま文庫版全集である。僕はこの全集12巻を全部持っているが、ずっと読んでなかった。奥付を見ると、1993年に出ている。もう30年近く経っているのかと我ながらビックリした。もう読まずに死ぬのかと思っていたぐらいである。

 今度読んだのは、渋谷のBunkamuraシアターコクーンで、4月に「桜の園」(ケラリーノ・サンドロヴィッチ上演台本、演出)が上演されるからだ。もっとも僕はそのチケットを持ってない。チケットぴあで事前に買うとシステム利用料が高いから、一般向け前売り券を買うつもりだったが1時間で完売していた。さすがに大竹しのぶ宮沢りえ黒木華杉咲花の超豪華キャストを甘く見てしまった。コクーンは何度か当日券で見てるが、なんと当日券取りやめで、客も皆マスク着用なんだという。果たして上演できるんだろうか。(「非常事態宣言」発令とともに、結局全公演の中止が発表された。)

 それはともかく、僕は昔からチェーホフが大好きで、講談社の世界文学全集で2巻もあるのを昔読んだ。だから主要短編も読んでるわけだが、大分忘れてしまった。中でも「桜の園」が好きだった。多分中学生の時に学校で販売した旺文社文庫に入ってたのが最初だと思うが、若い時にはよく判らなかった。いわゆる「劇的」じゃないので、シェークスピアに比べて面白さが判らない。舞台を見ても同じで、裏で起こってるドラマがなかなか身近に感じ取れなかった。しかし、旧ソ連で作られたチェーホフ原作の映画を何本か見るうちに、何となく伝わってきたのである。
(チェーホフ)
 帝政ロシア末期の絶望が、現代ソ連社会の閉塞に通じていることが気分で伝わってくる。それはつまり「現代日本の閉塞状況」を通して僕はチェーホフを読むということである。もがいても何も変わらなかったロシア理想を求めても何も成し遂げられなかった我が人生。この気分は全くよく判る。自分の気持ちを書いてくれているとさえ思う。しかし、それは「悲劇」でない。チェーホフは一見悲劇としか思えない「かもめ」と「桜の園」に「四幕の喜劇」と名付けた。(「ワーニャおじさん」は「四幕の、田舎住まいの劇」、「三人姉妹」は「四幕のドラマ」とされている。)

 それが僕はなかなか判らなかった。僕だけでなく、ロシアでも演出家のスタニスラフスキーは「真面目な劇」ととらえたという。「かもめ」を再演し、残りの3つの劇を初演した「モスクワ芸術座」でも、代々長らく「悲劇」として演じられてきたと思う。70年代以後、チェーホフは「桜の園」を「喜劇」と書いてるじゃないかと新しい演出が出てきた。その意味がようやく僕にも感じ取れてきた。それはただ面白く可笑しいというだけの「喜劇」ではない。ある意味で「神の目」で見た時の人間コメディである。人生、思ったようにはいかない。皆がジタバタしている。誰かが誰かを好きになるが、その相手は別の誰かが好きだったり。その人には「悲劇」だが、世界全体からすれば「喜劇」じゃないかという乾いた認識。

 そして「人生は度しがたい」、「自分の一生はムダだった」と苦い思いを飲み込みながら、「それでも生き抜いて行くのだ」と前を向いて生きる。それが「ワーニャおじさん」や「三人姉妹」だ。年取ってから読んだ方がずっと深みを感じられる。「かもめ」は若いなという感じがして、それが魅力。そして最後の「桜の園」は「おかしさに彩られた悲しみのバラード」(原将人監督が18歳で作った自主映画の題名)として完成されている。やっぱり大竹しのぶのラネーフスカヤ夫人は見てみたいな。

 それぞれの戯曲の筋書きなどは書かない。すぐに調べられるし翻訳も文庫ですぐ買える。それぞれを論じる必要はない。ウイルス禍を生きる我々にも、どんな時代のどんな世界の人々にも、読んで意味があると思う作品だ。ところで、改めて思ったのは、「桜の園」以外の三作品はいずれも「銃弾」が重大な役割を果たしていることだ。確かにプーシキンやレールモントフを決闘で失ったロシアだけのことはあるが、男がそれほど銃を持っている社会だったことに驚く。またト書きに「手にキス」という指定が多くて、それも驚いた。普段なら読み過ごすと思うが、今ではこれじゃヨーロッパで感染が広がるなと思ってしまった。頑張って、今後も月一冊ぐらいは続けてチェーホフを読んでみようと思う。
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末木文美士「日本思想史」を読む

2020年03月30日 22時42分29秒 |  〃 (歴史・地理)
 末木文美士(すえき・ふみひこ、1949~)「日本思想史」(岩波新書)を読んだ感想。末木氏は東大名誉教授で、仏教史が専門である。新潮文庫で出た「日本仏教史」が非常に面白かったので、名前を覚えた。他にも一つ二つ読んだような気がする。今回の本は「〈王権〉と〈神仏〉で読み解く」と帯に書かれていて、「古代から現代までを一気に駆け抜け、構造と大きな流れを掴む、画期的な通史」とも出ている。確かにその通りの本で、一人で全部書く人はなかなか現れないだろう。

 「王権」と呼ぶのは、日本の政治思想である。日本は国家形成時より「万世一系の天皇」(歴史的事実かどうかの問題と別に)が統治することになっていた。だから天皇制をどう国家統治機構に位置づけるかが問題にある。中国のような「皇帝独裁」「易姓革命」の思想は成立しなかった。日本では「天皇」も、後の時代の「征夷大将軍」も次第に名目の権威化していった。そして体制を支える仏教、儒教、神道などとの複雑な関係が形成された。古代から江戸時代までの思想を著者は「大伝統」と呼ぶ。

 近代になって、「天皇を中心とする国家」が外形的には大日本帝国憲法として成立し、それを「国家神道」が支えるが、民衆の間では仏教で祖先祭祀を行った。これが「中伝統」。敗戦で中伝統が崩れて、平和・人権・民主などの「人類普遍」の価値がタテマエとして掲げられたが、ホンネの世界ではアメリカ依存が続き、思想崩壊状態になっている。これが「小伝統」で、日本人はこの三層の思想構造の中で生きてきたととらえる。この大伝統・中伝統・小伝統というのは判りやすい。

 著者の専門を生かして、それぞれの時代の宗教の状況が詳しい。江戸時代の仏教など、あまり知らないことが出ていて有益だ。現代では、宗教はそれほど重要性がないような気もするが、災害やテロなど「大量死」の時代を迎えて、日本人の死生観を問うことは意味があるとする。その意味で戦後思想において、原爆や靖国神社をどうとらえるかが大きな問題として描かれる。これらは非常に重要な視点だと思う。しかし、全体としては多くの思想家、宗教家などを羅列的に紹介している印象が強い。ただ宗教の歴史に関しては、知らないことも多くて多くの人に一読の価値がある本だ。

 「王権」と「神仏」という問題設定そのものが、正直に言えばよく判らない印象もある。「思想」というものは、「人生いかに生きるべきか」と「どのような社会を作っていくか」が中心的なテーマだろう。「現世」はいつも「憂き世」「浮き世」なので、そのような「世間」から逃れて、理想をどこに求めるか。前近代では「神仏」の世界が現世と別に人々に大きな意味を持っていた。近代では「復古」と「革命」とベクトルは逆になるが、現世の時間軸を越える社会が求められる。

 もう一つ、日本の思想の中にあるのは、「現世離脱」の様々な生き方だと思う。平安時代には高級貴族にも「出家」が多くなるが、その後「隠者」として世に隠れ住む人々が出てくる。前近代には権力が分立していた時代が多かったから、その間をうまく使って「アジール」(世俗権力が侵すことが出来ない聖域)が成立した。近代では一応全ての領域にわたって「国家」が覆い尽くすことになっている。しかし、現実には宗教的、思想的、社会的に自立性の高い空間が存在する。革命党派や新興宗教はその典型だが、その裏に博徒などもあった。「世間」と「アジール」で日本思想史を語ってみたい気もする。
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「桜を見る会」とニューオータニの重大疑惑

2020年03月27日 23時12分09秒 | 政治
 新型コロナウイルスによる「外出自粛」要請によって、多くの施設が土日休館・閉鎖を決定した。僕が「ライブ芸能最後の砦」と書いた東京の寄席もついに土日は休みである。昨年秋にいっぱい訪れた東京の都立庭園も休園。環境省所管の新宿御苑も閉まってしまった。これでは例年4月に行われている総理主催の「桜を見る会」も開けないだろう。いや、違った、2020年は去年のうちにもう中止が決まってました。でも20年もすると、ウイルス禍により2020年の東京五輪や「桜を見る会」は延期になったとか書く人が出てくるんじゃないか。百年するとそれが定説になってたりして…。
(2019年「桜を見る会」)
 「桜を見る会」問題については、今まで書いていない。国会で野党が追及していて、テレビでも報道されていた。「いつまでやってるんだ」という与党支持者の声もあったらしいが、安倍首相が必要な書類を提示すればいいだけの話ある。しかし、3月になってからは、国会でもコロナウイルス問題が中心になり、「桜を見る会」問題は忘れられ掛けている。「3・11」や「やまゆり園」事件の裁判もあり、森友問題も再燃して、マスコミの追求も「桜を見る会」を離れている。しかし、僕は是非書いておきたいと思う「重大疑惑」がある。気付いてない人も多いと思うので、3月中に記録しておきたい。
(安倍晋三後援会 桜を見る会前夜際)
 昨年秋に最初に「桜を見る会」問題が取り上げられたのは、首相後援会関係者の招待が多すぎるのではないかという点だった。何でも地元ではほとんど旅行申し込みみたいに、希望すれば誰でも行ける感じだったらしい。「各界の功労者」という招待基準に照らして、首相後援会だけ国費を使って招待するのはおかしい。何でも招待者には「マルチ商法」会社の社長も含まれているらしい。また例によって安倍昭恵夫人関係者はどんどん招待されていたとか。首相在任中に招待者は3倍に増大したという。

 そして首相関係の「招待者名簿」だけがすでに廃棄されていた。それも共産党議員が情報公開を請求したその日に廃棄処分されたとか。パソコンで作成しているんだから、復元できないはずはないが、菅官房長官はあれこれ難癖を付けて復元不可能だとしている。ホントに廃棄したら、翌年の招待者検討が出来ないし、書式から作らないと行けない。だから僕はきっとどこかに残されていると思うけど…。そして廃棄処分は廃棄簿に記録していないなどの公文書管理基準に反していた。そしてそれは民主党政権時代から続いていると言った。2011年は大震災で、2012年は「北朝鮮」ミサイル問題で、桜を見る会は中止だった。中止された時の名簿処理にこと寄せて民主党に責任転嫁しているのである。

 それらも大問題なのだが、もっと大変な問題が発覚した。「前夜祭」である。「安倍晋三後援会」が「主催」(だとしか思えないけど。写真の看板にもそう出ているし)して「ホテル・ニューオータニ」あるいは「ANAインターコンチネンタルホテル東京」で立食パーティが開催されていた。参加者の自己負担金は5千円だった。そしてこの前夜祭の収支は政治資金報告書に未記載だった。同じように後援会主催のバス旅行で参加者の負担が少なかった問題で、かつて小渕優子経産相が辞任したケースがあった。本人は免れたが、後援会関係者が政治資金規正法違反で有罪となっている。

 以上は前置き。このぐらい覚えているという人が多いことを望む。僕が書きたいのは、2020年3月5日の参議院予算委員会審議。石川大我氏への答弁で明らかになったことである。
 政府は5日の参院予算委員会で、「桜を見る会」の「前夜祭」会場だったホテルニューオータニ東京が、2019年10月の天皇陛下の「即位礼正殿の儀」に出席した外国元首らをもてなす、首相夫妻主催の「夕食会」について、予算額を約2000万円上回る約1億6100万円で随意契約していたことを明らかにした。政府は契約額などを公表する義務があるが、野党議員の指摘を受け、ホームページに掲載した今月2日まで公表しておらず、菅義偉官房長官は「申し訳ない」と陳謝した。 (毎日新聞)
(ホテルニューオータニ)
 この夕食会は2019年10月23日に開かれたもので、「前夜祭」と同じく「鶴の間」で開かれた。外国元首らをもてなすというんだから、確かにどこのホテルでも出来るというもんじゃないだろう。しかし、なぜ入札ではなく「随意契約」なのか。しかも「当初予算を2000万円も上回る」金額である。答弁によれば、「900人が食事できる」「当日、前日とも使用可能」など4項目について調査した結果、「すべてクリアしたホテルはニューオータニのみだった」として会場を決めたという。本当だろうか。東京の数多い高級ホテルで、出来るところが他に一つもないのだろうか。

 しかも、随意契約については「財務省の通達で契約締結日から93日以内に契約額などを公表する」決まりがあるというが、この契約だけ公表されていなかった。これではまるで「森友学園事件」と同じではないか。国家予算で優遇することと引き換えに、首相関係には大幅値引きするという「疑惑」である。首相は前夜祭は後援会主催ではなく、ホテルと参加者が契約しているなどとあり得ないことを言っている。僕も何回か大きな会に参加したことがあるが、いずれも主催者が作ったテーブルで受付をして領収書を貰っている。ホテルや飲食店名義の領収書なんか貰うわけがない。

 前夜祭は400万円で開いたらしい。ホントにそんな金額でニューオータニで立食パーティが出来るんだろうか。そういう疑いは、「即位礼」夕食会と合わせて考えたときに初めて納得できる。やっぱり「前夜祭」は「贈収賄事件」だったのである。国費で「随意契約」して貰うことと引き換えに、首相前夜祭を値引きして引き受けたのである。違うだろうか。そうじゃなかったら、この契約だけ公表しなかったことが判らない。ウイルス問題などがなければ、この新事実で国会は紛糾していたと思う。しかし、マスコミ報道も小さかったから、気付いていない人も多いと思う。でも僕は思う。法律的にうまく理屈を付けてかいくぐれたとしても、前夜祭と夕食会にはつながりがあると思う。
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日光白根山ー日本の山⑮

2020年03月26日 22時16分54秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 月末に書いている「日本の山」シリーズ。前回の日光男体山に続き、日光白根山を取り上げる。「前白根山」もあって最高峰を「奥白根山」と呼んでいる。深田久弥「日本百名山」にはその名が使われている。しかし、一般的にはまとめて「日光白根山」と呼ぶことが多いだろう。日光を付けるのは、草津白根山があるから。日本第2位の高峰、北岳も隣の間ノ岳、農鳥岳と合わせて「白峰(しらね)三山」と呼ばれている。「白根」(白峰)と同じく「駒ヶ岳」も日本各地にあるけれど、いずれも山麓から見て「雪が残って白く見える」「雪渓が馬に見える」などが山名の理由と思う。

 日光白根山標高2578mで、関東以北の最高峰である。北海道は大雪山旭岳の2290m、東北は燧岳の2356m、日光男体山は2486mだから、日光白根山はずいぶん高いのである。しかし、案外知らないというか、見たことがない人が多いかもしれない。奥日光へ行けば男体山の勇姿は嫌でも印象に残る。遠望すれば白根山も見えないこともないんだけど、他の山々がジャマして頭がポツンと出ているだけである。全景を間近で望める場所がない。関東の奥深くで、麓からいつも見える山じゃないのである。
(ロープウェー山頂から)
 今では「日光白根山ロープウェー」を使って登ることが多いんじゃないかと思う。ロープウェーは1998年に丸沼高原スキー場にできたもので、白根山登山には少し遠い。地図を見ると3時間ぐらい掛かるけれど、出発地の高度を稼げるから利用することになる。そのロープウェーは使ったことがないので判らないんだけど、検索すると上のような画像が見つかった。僕はロープウェーがまだなかったときに登ったから、ずいぶん大変だった。今はロープウェーが出来たのでバスも通っているが、その頃はなかったと思う。車を利用するしかないので、登って同じところに下りてくることになる。

 それは「菅沼駐車場」か湯元温泉しかない。湯元から登るとアプローチが長すぎるので、菅沼から登る。菅沼(すがぬま、すげぬま)は透明度本州一という小さな湖で、その近くに丸沼という湖もある。金精峠(こんせいとうげ)の西になるので、群馬県になる。白根山頂は栃木と群馬の県境にあるが、日光と言ってもずいぶん遠くにある。登山自体はもうほとんど覚えてない。ひたすら大変な登りを2時間ぐらいで、弥陀ヶ池に出る。ただ風景が美しく、様々に変わってゆくので、案外楽しく登れた記憶がある。

 山頂は全然覚えてないが、記憶にあるのは五色沼の美しさ。最初の写真に見える青い池だが、山頂を下りた後にグルッと近くまで歩いたような気がする。下りてしまうと大変なので、上から眺めて別の道を菅沼まで下りた。なかなか大変だったから、二度と五色沼は見られないだろう。登りに4時間ぐらい、下りに3時間ぐらい掛かった。一日がかりである。だから前日は近くに泊まるしかない。下りた後は湯元温泉に泊まったが、前日は「丸沼温泉ホテル」に泊まった。今は「丸沼環湖荘」と名前が変わっているが、僕が行った頃は「温泉ホテル」なんて愛想のない名前だった。
(丸沼環湖荘)
 当時はインターネットもないし、旅行ガイドにもホテルの情報がなくて、どんなところかよく知らずに出かけた。行ってみたら、1933年開業というクラシックな香りのする「旅館」(ホテルと言うけど)で、温泉が掛け流しで素晴らしかった。しかし、実に昔風で大浴場しかなくて、しかも「男女混浴」だった。青森の酸ヶ湯温泉の千人風呂を除き、ここまで古風な混浴も(当時でも)珍しかった。夫婦で行っていて、実に困った。今ではいくつかのお風呂があるようだし、大浴場も時間で交替らしい。ここは丸沼、菅沼などを「プライベート・レイク」にしている贅沢な宿だ。温泉ガイドなどにほとんど出てないから、釣りマニア以外には知らない人が多いと思う。一度は行く価値がある温泉旅館である。
 
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映画「ジュディ 虹の彼方に」、栄光と悲惨を越えて

2020年03月24日 22時55分04秒 |  〃  (新作外国映画)
 2020年のアカデミー主演女優賞レネー・ゼルウィガー(Renée Kathleen Zellweger)が獲得した「ジュディ 虹の彼方に」を記録に留めておきたい。名前の通り、この映画はアメリカの女優・歌手のジュディ・ガーランド(Judy Garland、1922~1969)の生涯を描いた映画だ。子役時代も出てくるが、ほとんどは早過ぎた晩年のロンドン公演の様子を描いている。ラスト近く、涙なしには見られなかった。

 実在人物を熱演するとオスカーが与えられることが多い。女優賞ではサッチャー役のメリル・ストリープ、エリザベス女王役のヘレン・ミレン、エディット・ピアフ役のマリオン・コティヤールなどが思い浮かぶ。今回のレネー・ゼルウィガーもそれらの女優たちと比べても遜色ない大熱演とそっくりぶり。見ているうちに、まるでジュディ・ガーランド本人が歌っているとしか思えなくなってくる。
 (ジュディ・ガーランド本人と映画)
 ただし、この映画はジュディ・ガーランドを全身で表現するレネー・ゼルウィガーを見るための映画であって、映画そのものとしては弱い。それはアカデミー賞でも主演女優賞とメイクアップ&ヘアースタイリング賞(落選)にしかノミネートされてないことでも判る。9作品もノミネートされる作品賞の候補にも入ってないのは、作品的な完成度では中レベルということになる。事前にそう思っていたんだけれど、予想通りだった。しかし、それは必ずしも悪いことではない。壮大な映画世界や独自の表現はないけれど、一人の女性としてのジュディの哀しみを心に刻む映画になっている。

 ジュディ・ガーランドハリウッドの伝説である。1939年に「オズの魔法使い」の主人公ドロシーを演じて大人気になった。寝る間もなく仕事に追われて、映画で見ると映画会社が覚醒剤まで渡して働かせている。やがてジュディ・ガーランドは酒におぼれ、結婚と離婚を繰り返し、撮影現場にはいつも遅れてくるスキャンダル女優の代名詞となった。1954年に出演した「スタア誕生」で復活し、アカデミー賞にノミネートされたが結局受賞できず、以後は再び生活がすさみ自殺未遂を繰り返した。

 映画は60年代後半になって、子どもまで出演させて各地を巡業するしかない窮地のジュディを描く。ついには宿代をためすぎてホテルを追い出される。離婚した夫の元に子どもと逃げ込むが、子どもを置いてロンドン公演に行くしか生きるすべがなかった。ロンドンではまだ昔の知名度が残っていたのである。そのロンドンでも自信を失い舞台に立てるかどうか。酒と男に依存し、プレッシャーに押しつぶされそうになるが、ひとたび舞台に立てば永遠の歌姫に変わる。そんなジュディを取り巻くショービジネス界の裏表を描いている。

 もう一つ興味深いのはジュディとゲイの人々の問題。ある夜、もう深夜なのに「出待ち」する二人の男性がいる。ジュディの大ファンだと言い、ジュディは喜んでどこかで一緒に飲もうと言うがもう店はどこも閉まっている。じゃあということで家に行くというシーンがある。二人は一緒に住んでいるゲイのカップルだった。その苦難に同情し、共に飲み明かす。このシーンがラストの感動的な展開の伏線となる。ジュディは同時代としては同性愛に理解があり、レインボーフラッグが同性愛解放運動のシンボルになったのは「オズの魔法使い」の主題歌「虹の彼方に」からだという。

 ジュディ・ガーランドと言えば「オズの魔法使い」であり、アカデミー賞歌曲賞を受賞した名曲「虹の彼方に」(Over the Rainbow)なのだとラストでよく判る。僕たちも「黄色い煉瓦道」(Yellow Brick Road)を通ってずっと「エメラルド・シティ」を目指しているのである。懐かしく、痛ましく、いろいろな思い出があふれて来た。中学教員時代に文化祭で「オズの魔法使い」をやったなと懐かしくなった。
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映画「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」

2020年03月23日 22時45分47秒 | 映画 (新作日本映画)
 テレビCMでも宣伝しているドキュメンタリー映画「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」を早速見てしまった。すごく関心が深いというよりも、単に時間的に見やすかっただけだが、思ったよりも面白かった。大手シネコンで拡大公開しているが、どこか単館で上映すべき映画じゃないか、果たして見る人がいるんだろうか、すぐに上映終了になっても困るなという心配もあった。それも早く見ておこうと思った理由だ。そうしたら暖かな休日ということもあるだろうが、案外観客が多くて驚いた。ウイルス対策で隣同士は空けてチケットを売るとか言ってたはずが、隣にも客が来たのでビックリ。

 僕は今「思ったより面白かった」と書いた。実は「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」という本は読んでいるのである。2000年に角川文庫に入ったものをかつて読んだけれど、その圧倒的なつまらなさに驚いた。今回はTBSが取材していたフィルムが新たに発見され、それを基にして映画を作った。当時TBSは学生運動の取材に力を入れていて「学生班」があったという。一方、三島側も新潮社のカメラマンを呼んでいて、よく使われる写真(下の画像)は新潮社が撮ったものだという。

 本で読むと「臨場感」が少ないのもあるが、討論の観念的上滑りが今では読むに耐えない感がした。しかし映像だと、表情やしぐさなどを通して「身体的」な理解が可能になる。そして、それ以上に議論が空転すると実録映像を切って、解説映像を加えることで見る側の気持ちが途切れずにいられる。その意味で、「実録」というよりも豊島圭介監督(1971~)を中心にしてドラマ的に再構成されたものだ。豊島監督は今まで劇映画やテレビドラマを作ってきた人で、それが生きたかもしれない。

 ところで、映画を見て一番の感想は「煙いなあ」ということだ。当時は特に男性の喫煙率が高いから意外ではないが、子連れで参加した芥正彦(演出家、劇作家)もいた。幼児が壇上にいたのに誰も喫煙を注意しないのである。芥は妻がその日仕事だったので、子どもを連れてきたらしい。壇上がヒートアップし過ぎないよう、子どもがいてもいいと思ったらしい。それも判らないではないが、今見ると「虐待」である。三島由紀夫も人工的な「肉体改造」を行っていたわけだが、今ならばそういう人は禁煙が常識だ。三島がずいぶん喫煙しているのにも驚いた。
(左=芥正彦)
 議論自体はここでは触れない。というか、あまり覚えてない。今となっては、「全共闘」も「楯の会」(三島が作った私兵組織)も意味を失っている。三島は討論の中で「全学連」と言うことが多く、「全学連」と「全共闘」の相違を意識していない感じがする。この違いを理解出来ない人が今は多いらしいが、「全共闘」は左翼セクトとは違う(「隠れ新左翼」はいたかと思うが)。今見ると、戦後思想の異端だった「全共闘」と「三島」が「価値破壊者」、あるいは「反知性主義」としての共通性が多く見えてくる。

 映画を見るだけでは「三島の魅力の優勢勝ち」だ。本を読んだときは「引き分け」に思ったが、映像で見ると三島の反応の良さに感心する。中でも触れられているが三島は「からっ風野郎」(「やくざ映画」と紹介されているが、確かにヤクザ役だが、増村保造監督の作品である)という劇映画に出ていた。「大根役者」というにも当たらない無様な演技だった。その後「人斬り」、自ら作った「憂国」などにも出ていて、映像で三島を見る機会は多いのだが、それらで見る違和感と違ってユーモアたっぷりで余裕も感じさせる。大学の討論会によく出ていたらしいが、議論の方が得意だったということだろう。

 三島由紀夫は1970年11月25日に自衛隊に乗り込み割腹自殺をした(いわゆる「三島事件」)わけだが、思えば2020年は「50周年」になるのである。今生きていれば95歳になるので、映画に出てくる瀬戸内寂聴は97歳だから瀬戸内の方が年長ではないか。この映画のコメンテーターの多くは、理解を深めるという意味ではあまり参考にならない感じだが、取りあえず気分転換にはなる。

 三島はこの時に有名な言葉、「君たちが天皇と一声言えば共闘できる」と言ったわけだが、50年経って映画に出てくる内田樹を初め多くの人が「天皇主義者」を自認するに至った。しかしこれは「共闘」じゃなくて「屈服」(現代的大衆社会に適応した政治制度に対する)だと思う。僕はこの討論会に出ていた小阪修平(評論家、「思想としての全共闘世代」など、2007年没)が生きていればどんなコメントをするだろうと思ってしまった。
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「江南の発展」ー中国史の新しい見方

2020年03月22日 22時46分26秒 |  〃 (歴史・地理)
 岩波新書で「シリーズ中国の歴史」の刊行が始まった。11月に第1巻「中華の成立 唐代まで」(渡辺信一郎著)、1月に第2巻「江南の発展 南宋まで」(丸橋充拓著)が出た。今までの中国史のイメージは王朝ごとに区切って語ることが多かった。しかし、今度のシリーズでは、「草原の制覇」「陸海の交錯」「『中国』の形成」と「地理」を重視して構成されている。これが最大の特徴で、新しい中国史がイメージされている。1巻目の「中華の成立」は新書というより論文みたいで、難しくて紹介しなかった。第2巻「江南の発展」も難しいがチャレンジする価値がある。
(「江南の発展」)
 普通に「中国」と言うとき、現在では普通は「中華人民共和国」の大きな面積を思い浮かべる。そして、それが「中国」という国だと思う。もちろん、チベットウイグルなどの独立運動はあるし、近代になって政治的に別個の存在となったモンゴル(外モンゴル)や台湾香港マカオなどもあって、「中国」も複雑だぐらいの認識はある。だけど、一般的にはそれらを含めて「大きな領域としての中華圏」を自明視しているだろう。しかし、「江南の発展」を読むと、「中国」の地理的イメージが揺らいでくる。

 中国史でよく「南船北馬」と言われる。これは有名な言葉で一般的にも知られているだろう。この第2巻はその「船の世界」を中心に古代中国史を書き直したものだ。そこではまず王朝が成立した「中原」は北辺の「馬の世界」を通して中央アジアからヨーロッパへ通じている。一方、中華世界は江南(長江流域)に拡大していき、その「船の世界」は台湾、フィリピンを通じて東南アジア、インド、西アジアへ通じている。つまり「江南」とは「東南アジアの北端」なのである。

 よく「古代中国の政治制度」と我々が思っているものがある。例えば「律令制」「均田制」など、遣唐使を通して日本に影響を与えた。日本史の教科書に出てくるから、「租庸調」という言葉なんか今でも覚えている人がいるだろう。ところがビックリしたことに第1巻を読むと、「庸」なんてものはなくて「租調役制」なんだという。後世間違って記録されたらしいのだが、日本では果たしてどうだったのか。それはともかく、「皇帝専制」や「科挙」など中国らしい政治システムが形成される。それを中国史では「古典国制」と呼ぶ。そして「江南」では「古典国制」が浸透しなかった。

 「一君万民」を志向する皇帝に対し、江南では「幇(ほう)の論理」で対抗した。「幇」とは人と人のつながりだが、個人的なつながりで結成された任意団体にもなる。近代になっても、蒋介石政権下で「青幇」(チンパン)といった「秘密結社」が大きな役割を果たすが、「幇」の重要性が超時代的に続いていることが初めて理解出来た。その社会的背景には「家産均分慣行」があったという。つまり日本や西欧のような「長子相続」による「家父長制」が成立しなかったのだという。皇帝専制の中で、「封建制」による「領主支配」も形成されなかった。有力者一族も財産が子孫に均分されると次代には弱小化する。

 それを防ぐため一族で才能があるものに重点的に科挙合格を支援し、一人が合格して官僚になれば全員がうるおう仕組みを作る。宋代(南宋)には商品生産が拡大していくが、中国史の特徴は「商人が豊かになっただけ」なのだという。つまり「ブルジョワ階級」を形成しなかったのである。そもそも中国には「法共同体」がなかった。「」「」「職能団体」などが社会的に不在だったのである。もちろん「有力一族」や「地方行政」はあるが、日本では家父長や領主が独自な権力を持って、内々のことは自決権を持っていた。

 「皇帝専制」対「幇の論理」の中で、人々は「法共同体」による保護を受けられない。だから、それぞれの団体の代表が集まって決定を下す「議会政治」が現れない。革命が起こっても毛沢東の「皇帝専制」が現れ、その後の「改革開放」を経ても「中間層」が民主政治を進めるシステムが出来ない。むしろ「党官僚」として出世する人と「幇」の関係を結んで、権力のお裾分けに預かることを目指す。千年前の話だけど現代中国理解のためにも必読の書。「目からうろこ」本。
(「中華の成立」)
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意味がなかった「一斉休校」ー新型コロナウイルス問題

2020年03月21日 21時15分10秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 安倍首相が突然2月27日に「全国の学校の一斉休校」を要請して、ほぼすべての小中高特別支援学校が授業を取りやめてほぼ一ヶ月近くが過ぎた。政府はこの休校要請に関して、「4月の新学期から解除する」方針を決めたと報道されている。
(解除方針を発表する萩生田文科相)
 安倍晋三首相は20日、首相官邸で開いた新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で「新学期を迎える学校の再開に向けて、具体的な方針をできる限り早急に文科省で取りまとめてほしい」と指示した。萩生田光一文科相は会合終了後、一斉休校の要請について「延長しないことを確認した」と記者団に述べた。「新学期からの学校再開に向けた考え方、留意事項をとりまとめたガイドラインを来週の早いうちに公表したい」と説明した。(毎日新聞)

 この方針は「それ自体としては理解出来る」と思うが、2月末のの休校要請との整合性は取れていない。毎日新聞のサイトで時系列を調べてみると、2月27日段階の感染者は(クルーズ船関係者を除き)156人だった。3月20日段階では感染者は829人というから、「今が山場」だとして休校を要請した時点から大きく増えているではないか。安倍首相は「何よりも子どもたちの命と健康が大事」とか言っていた。その理由が本当だったとしたら、休校はずっと続けるしかないはずである。

 もちろん、安倍首相のもともとの理由説明が「ウソ」だったということだ。その当時に批判記事を書いておいたが、そもそも若年者が感染しても重くなることはほぼないと言われている。県内に一人の感染者もいない地方で「子どもの命を守るため」として休校する意味があるはずがない。しかし、首相の要請は重いとして離島の小学校まで一斉に休校してしまった。文科省が「アクティブラーニング」などと言っていても、現実には教育界は「上意下達」なのである。

 安倍首相は支持率低下に対する「ショック療法」として、専門家会議の意見も聞かずに「感染防止上の証拠」もないまま「休校要請」に踏み切った。そんな「暴挙」には批判が集まるかと思えば、予想されたことだが支持率は下げ止まり、上昇に転じた。意味があるから支持するのではなく、何でもいいから「英断」すれば支持する層がいるのである。それはかつての「北朝鮮ミサイル発射問題」を思い起こせば判るだろう。現実的に判断すれば意味がない「ミサイル警報訓練」まで行われたのである。そして批判者には「100%ないと言えるのか」などと「御用コメンテーター」が「恫喝」した。

 突然の休校要請で、多くの問題が発生した。一番は「子どもの面倒を誰が見るか」だが、不思議なことに「学童保育」は中止ではない。僕は当初から「給食をどうするか」と指摘したが、やはり困った給食用食材を(政府が送料を負担して)販売するサイトが出来たという。(上記画像)もともと学年末で、中学や高校ではほとんど授業も終わっていただろう。小中では給食まで実施して下校すればいいはずだ。授業や給食には一定程度の「感染リスク」はあるが、親も含めて「町全体の外出禁止」をしていない以上、休校にしても感染リスクは存在する。

 部活動も出来なく、公営の多くの施設も閉まっている。外で遊べば非難の声もあるという。これでは中学生が「ゲーム漬け」になってしまうと悲鳴も上がる。体力も落ちるし、学力の保証も難しい。それを考えると「学校再開」も当然と思うが、それを言えば「そもそも休校の必要があったのか」を問わなければいけない。「ゲーム依存症」も病気だし、「新型コロナウイルス」も病気だ。どちらのリスクが高いかと冷静に判断して政策決定を行うべきなのだが、それは現内閣(その内閣の支持者が多い国民にも)には不向きなことなのだろう。

 未だ一人の感染者も報告されていない県もある。新学期からの学校再開は当然だ。しかし、感染者が増えている都府県もある。東京では小中の「学校選択制」というバカげた制度があるが、基本的には小中学校は「地域の子どもが通う」場所だ。もともと新型コロナウイルスは外国由来なんだから、子ども社会内部にはウイルスは存在しない。「家族」か「教職員」が持ち込まない限り、子どもたちのウイルス感染は起こらない。「子どもたちが学校に通う」ことはむしろ感染防止にも役立つ。

 しかし、それは地方の場合である。「親」や「教職員」が長時間の通勤を強いられる都市部では「感染リスク」は否定できない。現在の日本は「一定程度持ちこたえている」とされるが、東京や大阪の感染者は100人に達している。まあ人口が多いから、確率的には少ないけれど心配だという人はいるだろう。本来は2月末ではなく、現時点で「春休みの延長」を考えるべきだったのではないだろうか。家でしっかり面倒を見られますという家だって多いだろう。そういう家でも4月からは登校せよというのだろうか。心配な場合は、「家庭学習で出席扱い」をすることを通知するべきだ。
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「リスクは民主的である」を考えるー新型コロナウイルス問題

2020年03月19日 22時38分36秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 新型コロナウイルス問題は中国から欧米の問題へと拡大してしまった。終息に向かう道筋はまだ見えていない。複雑に織りなされた世界経済システムがあっという間に機能停止してしまったことの意味は、ウイルスが終息を見ても今後様々に論じられるだろう。ほとんど世界各国が「鎖国」に近くなり、経済活動が大きな影響を受けることは間違いない。日本に生きている以上、地震や台風などの自然災害のリスクはある程度想定しているだろう。しかし、このような「パンデミックにより外国人観光客がほぼゼロになる」事態は想定していなかった人がほとんどだと思う。

 まさに現代社会は「リスク社会」だということを、今回の事態はまざまざと示した。この「リスク社会」というのは、ドイツの社会学者ウルリヒ・ベック(Ulrich Beck、1944~2015)が主張した概念である。著書「リスク社会」(Risikogesellschaft、1986)は日本で「危険社会」と訳されたが、今は「リスク」と「危険」の意味に違いがあることから元の「リスク社会」として論じることが多いだろう。次の著書「世界リスク社会論――テロ、戦争、自然破壊」の副題を見ると、ベックの意図した「リスク」が判る。
 
 偉そうなことを書いているけど、僕は他分野の理論的な本をちゃんと読んでるわけではない。だけど、今回のような事態になるとベックの名前と「リスク社会」という言葉を思い出すのである。特に原著はチェルノブイリ原発事故と重なったこともあり、予見的な書となった。リスク社会とは何か。「産業社会が環境問題、原発事故、遺伝子工学等にみられるように新たな時代、別の段階に入り、それまでとは質的に全く異なった性格をもつようになった社会のことである。」(日本大百科全書ウェブ版)
(ウルリヒ・ベック)
 ベックの言葉に「困窮は階級的であるが、スモッグは民主的である」とあるという。そうなんだろうかと思わないでもない。富裕層はスモッグの影響の少ない郊外に大きな家を持てるし、景色のよい場所に別荘も持てる。貧困層は大気汚染の進んだ地域に住み続けるしかない。そういう風にも言えそうだが、外国ニュースで見る北京やニューデリーの大気汚染を見ると、「スモッグは都市生活者に等しく降りかかる災厄」だとも思う。ベックが何を言いたいかは何となく伝わる。

 19世紀の産業革命期に、急激に工業化、都市化が進行したが、農村が分解し都市になだれ込んだ下層労働者は都市のスラムに集住した。この時代には「疾病」も「戦争」も確かに「階級的」だった。貧富の差が病気にも反映され、貧しきものは乳幼児死亡率も高く、結核などの当時は治らない病気もあって成人になることも難しい。戦争でも主に貧困層が兵士となって戦死する確率が高い。当時の戦争では富裕層の子どもは将校になったりして最前線に出ないで済むことも多かっただろう。

 そういう戦争が大きく変わったのが第一次大戦後の「総力戦」であり、第二次大戦における「戦略爆撃」や「核兵器の開発」だ。一つの都市をまるごと消してしまえるような技術が開発されたわけである。第二次大戦後は「疾病」においても画期となった。ペニシリンに始まる抗生物質の開発によって、結核などの細菌性感染症がかなりの程度「治る病気」になった。そして、戦争や疾病に大きな変化をもたらした技術革新によって、「高度経済成長」が成し遂げられたわけである。

 その後、21世紀に入った段階で「IT化」によって、人類史上かつてない「グローバル化」が起こった。1980年代に書かれた「リスク社会」は、まさにテロや「金融危機」(リーマンショック等)を予見したと言ってもいい。そして今回の「ウイルスの世界的感染」が起こった。全世界的であり、いつ誰がどこで感染するか判らないという意味では、今回の事態は「超国家的」であり「超階級的」には違いない。

 じゃあ、どういう風にとらえればいいのか。このグローバル化は逆転不可であって、今後もパンデミックが時々起こりうる世界で生きていくしかないと考えるべきか。あるいは一度壊れた「グローバル化」は違った道をたどっていくことになるのか。新型コロナウイルス自体は永遠に感染が拡大するわけではなく、どこかで終わる。そのうちワクチンなども開発されるだろう。だが新しい病原体はいつも出現する。人類はその「リスク」とどう向き合って生きていくのか、少し時間が経たないと見えてこないと語れないことが多いが、みんなが考えていかないといけない。
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3D中国映画「ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ」

2020年03月18日 20時43分03秒 |  〃  (新作外国映画)
 ビー・ガン監督の「ロングデイズ・ジャーニー この世の涯てへ」という映画が上映されている。とても不思議な感覚で作られた映画で、一種の「奇作」「怪作」と言えないこともない。何しろ世界映画史上初めての「途中からの3D映画」なのである。冒頭に案内があり、映画の途中で主人公がある合図をしたら観客も3Dメガネを掛けるようにと出てくる。それまでも夢幻の世界みたいだが、特に後半3Dシーンは60本ノーカットの夢魔としか思えない見応えある映像になっている。

 監督のビー・ガンは1989年に中国・貴州省凱里で生まれた。短編で認められ、2015年に自主製作した「凱里ブルース」(2020年4月公開予定)がロカルノ映画祭、ナント三大陸映画祭などで高く評価された。長編第2作の今作「地球最后的夜晩」(原題)はカンヌ映画祭「ある視点」部門で上映されたほか、世界各地の映画祭で評価され、本国では公開初日で41億円の大ヒットを記録したという。中国でもアート系映画がヒットするようになっているのである。
(ビー・ガン監督)
 経済発展が背景にあるんだろうが、中華圏でも「ジャンル小説」「ジャンル映画」が多くなっている。ミステリーやSFで世界的に注目される作品が現れるようになったのである。映画でもちょっと前の巨匠は「国民的物語」を語っていたが、最近の注目される映画には「ノワール映画」が多い印象がある。「ロングデイズ・ジャーニー」も同様に「ノワール仕立て」とでもいう作風だが、ストーリーはよく判らない。

 ホームページからコピーすると、「ルオ・ホンウは、何年もの間距離を置いてきた故郷・凱里へ、父の死を機に帰還する。そこでは幼馴染 白猫の死を思い起こすと同時に、彼の心をずっと捉えて離れることのなかった、ある女のイメージが付き纏った。彼女は自分の名前を、香港の有名女優と同じワン・チーウェンだと言った。ルオはその女の面影を追って、現実と記憶と夢が交錯するミステリアスな旅に出る... 。」と出ている。まあ言われてみればそういう感じで、「幻の女」を求めるミステリーである。

 特に後半の3Dシーンはまさに「夢世界」であって、リクツで考えては理解出来ない独自のイメージの連続。ほとんど「ブレードランナー」が現実化したような夢幻の町(地下世界)を主人公はさまよい続ける。ノスタルジックな映像や音楽に浸りながら、細かなストーリーはどうでもよくなって映像に没頭する。世界各地で熱狂する人がいるのも無理はない。この映画をヒッチコック「めまい」やタルコフスキー「ストーカー」と並べて語る人もいるというが、それもなるほどと思わせる。

 「夢」というものは不思議なもので、誰もが思い当たるだろうけど、「決してたどり着かない」という特徴がある。どこかに紛れ込み、思い出が錯綜し続け、どんどん脱線していくが、夢の中では急いでいるのに必ず落とし穴にはまる。今度の映画でも、不思議な卓球少年とか、ビリヤードの女など途中に「関所」が続々と現れる。2D上映もあるんだけれど、3Dで見られるなら一度は体験する意味もあると思う。世界映画史に残る不思議な映画だと思う。予算面もあるから、ゴダールみたいな巨匠は別にして、アート系の3D映画は珍しい。今後も「途中から3D」なんて映画を作る監督は出て来ないだろう。
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和田誠「銀座界隈ドキドキの日々」、幸せな読書

2020年03月17日 23時07分51秒 | 〃 (さまざまな本)
 新型コロナウイルス問題を書いてたら、やはり気持ちが明るくなるとは言えない。その頃に島本理生の長大な「アンダスタンド・メイビー」を読んでて、とても面白かったけど結構心に辛い気分になった。そこで次は幸せな気分になれる本を読みたいなと思って、最近買ったばかりの和田誠銀座界隈ドキドキの日々」(文春文庫)を読むことにした。そして何だか幸せな気分になった。もっとも帯に「追悼 和田誠」と書いてあって、古い本なのに特設の棚に並んでた。だから追悼読書だったのだが。

 元は「銀座百点」(銀座のタウン誌)に連載され、1993年に単行本になった。その年の講談社エッセイ賞林望の「林望のイギリス観察辞典」とともに受賞している。1997年1月に文庫化され、今回第5刷と奥付に出ている。単行本ならともかく、文庫になったら買ってもよさそうなもんだけど、今までこの本があることにも気付かなかった。90年代以後、あまり本屋に行けない勤務環境になって見逃すことが多くなった。こんな面白い本を今まで知らなかったとはもったいなかった。

 和田誠(1936~2019)は多摩美大卒業後、1959年に銀座のライトパブリシティに入社した。この会社は日本初の広告宣伝制作の専門会社だという。「高度成長」さなかの東京の熱気を体言するような会社だった。1968年に退社するまでの思い出が語られているが、綺羅星のように若き有名人が出てくる。才能のほとばしるまま、若いアーティストたちとの熱い日々が語られる。ジャズや映画の話題も満載で、読んでいて楽しい。銀座にあった会社だから、「銀座百点」から執筆を要請されたが、著者はほとんど銀座の話じゃないと断っている。その通りで題名と違って銀座の本ではない。

 有名な「ハイライト」(タバコ)のパッケージのデザインなど本職の話もある。しかし、若い和田誠は大企業の宣伝を任されることは少なく、むしろ会社以外の話が多い。今では「兼職」がどうのとか言われるだろう。勤務時間内に会社以外の仕事をしているわけだが、会社の方も鷹揚だった時代である。「イラストレーター」という言葉もほとんど知られていなかった時代に、会社としても社外で有名になることも悪いことではなかったのである。

 寺山修司横尾忠則粟津潔立木義浩篠山紀信谷川俊太郎武満徹矢崎泰久、いやいや、もっともっと出てくるが思い出せないぐらい数が多い。もっと大物の先生方も出てくるが、それよりも「その当時は無名の若者だった」人々の若き姿が興味深い。寝食を忘れて自己表現を競い、また同時に全身で楽しんだ若き日々の記録である。60年代は日本だけでなく、世界中で「文化革命」が起こった時代だ。新しい感性が様々な分野で求められていた。

 60年安保の時に、何もしなくていいのかという声が出たという話もある。デモに行くよりも、自分たちならではのことをと思って、ポスターを作った話。そこから社会党のマークを頼まれた話など興味深いエピソードが出てくる。アメリカの映画、アメリカの音楽、アメリカの美術などに親しんで育ったが、だからこそアメリカが間違ったベトナム戦争には憤る。反戦ポスターを作り、また反戦広告を考えるが企業には理解されない。ほとんどが絵と音楽と映画の話だけど、戦争は嫌は共有されていた。

 「60年代青春物語」は大体面白い。テレビ界を描いた小林信彦テレビの黄金時代」、出版界を描いた嵐山光三郎口笛の歌が聴こえる」、村松友視夢の始末書」、フォークソングのなぎら健壱日本フォーク私的大全など、すべて抜群に面白い。他にもたくさんあると思う。何がそんなに面白いかというと、勤務時間とか「闇営業」とか気にしなかったのである。和田誠も勤務開始の10時にはほとんど出社せず、11時頃だったという。途中で抜けることも多いが、会社の仕事が終わらないとずっと残って完成させる。そんな夢のような時代の思い出で、二度と戻ってこないんだろう。

 ところで、和田誠の膨大な作品、及びコレクションはどうなるんだろうか。もちろん家族がきちんと考えているんだろうけど、散逸しないで数年後には「和田誠展」が開かれることを願っている。
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「影裏」、映画と原作

2020年03月16日 21時06分25秒 | 映画 (新作日本映画)
 沼田真佑(しんすけ、1978~)の芥川賞受賞作「影裏」(えいり)が映画化された。「Red」と同じく、つい原作(原作者)に惹かれて映画を見てしまうことがある。これは僕の弱点で、概ね不満足な思いをする。しかし、映像で見て初めて判ることも多いから、まあいいとするしかない。映画は綾野剛松田龍平出演で宣伝していたが、案外ヒットせず興行収入ベストテンにも入らなかった。もう上映もほとんど終わりつつあるが、一応記録として書いておきたい。

 原作は2017年の「文学界」5月号で新人賞受賞作として発表され、大震災を文学で表現したとして評判になった。そのまま7月に芥川賞を受賞したが、沼田真佑はテレビに出たりしいてないから知名度はそんなに高くないだろう。未だに「影裏」以後の単行本も出てないし。最近文春文庫に入ったので読んでみたが、非常に感銘深い作品だった。原作は原稿用紙にして93枚という短編で、その「語り切らない」描写に余韻がある。近年の芥川賞受賞作では、村田沙耶香「コンビニ人間」と並ぶ完成度だ。

 岩手県盛岡市に転勤した青年、今野秋一(綾野剛)に初めてできた友人日浅典博(松田龍平)。二人は岩手の川で釣りを重ねながら親交を深める。しかし突然会社を辞めてしまった日浅の謎に満ちたいくつもの顔。「震災小説」というよりも「LGBT小説」、というよりも「釣り小説」の趣がある話で、映画も川釣りの場面が美しい。日本の「リバー・ランズ・スルー・イット」みたいな触感の映画である。

 映画は岩手県出身の大友啓史(「ハゲタカ」、「るろうに剣心」シリーズ、「三月のライオン」等)が監督を務めているが、地元の協力を得てロケは見映えする。しかし、どう見ても語りすぎだと思う。原作が短いんだから、映画も簡潔にまとめれば良かった。テーマの一番重要な部分を見せすぎていると思う。(それは今野のセクシャリティに関わる部分。)脚本は澤井香織(「愛がなんだ」等)、撮影が芦沢明子(「トウキョウソナタ」「世界の終わり、旅の始まり」等)で、技術的な一定の安定感はある。

 ストーリー自体は原作と同じだが、そこに多少の説明的要素、あるいは一緒に祭りを見に行くシーンなどを加えている。それが余計だと僕は思うのだが、人気俳優を使って全国展開する映画としては必要なのかもしれない。もともとミニシアターで公開すべき原作だったのかと思う。そのぐらい原作は媚びた部分がなく、孤高のイメージを持っている。「震災」と「LGBT」(GとTだが)という要素があって注目されてしまった。僕は作品的には納得できない部分があると思ったが、見ないと判らない岩手の川のシーンなども豊富で退屈はしない。原作を知らないと、ラストの展開にビックリするかもしれない。

 芥川賞受賞作品の映画化としては、近年のものでは「共喰い」(田中慎弥原作、青山真治監督)が最高で、「苦役列車」(西村賢太原作、山下敦弘監督)も悪くなかった。歴史をたどると、第一回の石川達三「蒼氓」に始まり、石原慎太郎「太陽の季節」(古河卓巳監督)、大江健三郎「飼育」(大島渚監督)など注目作は大体映画化されている。村上龍「限りなく透明に近いブルー」は作家自身が映画化し、又吉直樹「火花」も映画化された。しかし風俗映画になってしまうことが多く、作品的に優れているのは「忍ぶ川」(三浦哲朗原作、熊井啓監督)や「月山」(森敦原作、村野鐵太郎監督)、「ゲルマニウムの夜」(花村萬月原作、大森立嗣監督)、そして「飼育」「共喰い」と言ったところか。純文学なんだから、大衆受けではなく独自の表現にふさわしい作品が多い。今回も本来はそのように作れば良かった。
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映画「Red」と島本理生の小説

2020年03月15日 22時36分52秒 | 映画 (新作日本映画)
 島本理生原作の「Red」が三島有紀子監督によって映画化された。作品的にも興行的にも、あまり評価されずに上映も朝か夜に一回程度になりつつある。見てから少し時間が経ってしまったけれど、この機会に島本理生も久しぶりに何冊か読んだので、合わせて書いておきたい。

 三島有紀子監督(1969~)は、親が三島由紀夫にちなんで付けた名前だというけれど、こちらは「有紀子」なので注意。69年生まれだから、三島由紀夫の生前である。NHKでドキュメンタリーを作っていたが、退局して劇映画を作り始めた。「しあわせのパン」「繕い裁つ人」「少女」などを作った後、2017年の「幼な子われらに生まれ」がキネ旬4位、モントリオール映画祭で審査員特別グランプリを獲得した。確かに力強い演出力が印象的だったが、話が嫌な感じで書かなかった。

 今回の「Red」は美しい映像美が印象的。まさに原作題名の意味がよく判るような「赤」が暗い画面に映えている。だけど今度の映画も、どうも嫌な話だと思う。原作(中公文庫)も読んだけど、こんな展開でいいのかと思ってしまった。それでも原作は家族関係が細かく描きこまれているので、主人公の行動も全く理解出来ないわけではない。しかし、映画化すると時間の関係などで描ききれない部分が出てくる。「文芸映画」が満足できないことが多い理由だ。原作と映画でははIT関係の会社と建築設計の会社、出張先が金沢と新潟などといった違いがある。それらは映像処理上の問題だ。

 「Red」は島清恋愛文学賞(島田清次郎にちなんだ賞)を受けているが、堂々たる「不倫」小説である。主人公「塔子」(夏帆)が10年前に愛した男「鞍田」(妻夫木聡)と再会する。その時には結婚して幼い子どももいたのに、鞍田に引きずられるように夫から心離れてゆく。そこに「夫の実家」「自分の母との関係」(父は行方不明)、「女性と職業」などの問題が提起され、さらに働き始めた職場には「小鷹」(柄本佑)という強引な男もいる。映画だけを見ていては、とても塔子が理解できないのではないか。

 映画は原作のストーリーを絵解きする仕掛けではないけれど、物語にストーリー性がある場合は観客が筋書きに納得できないと感情移入できない。「不倫」を描く物語や映画はいくらでもある。「子どもがいる女性」だから「家庭第一」に生きなければならないと決めつけては抑圧になる。だけど「火宅の人」の主人公(檀一雄)のような「破滅型文士」ならともかく、描き方に注意しないと観客が付いていけない場合もある。(檀一雄だって、「妻の目」から見れば違った側面が存在する。)夏帆はいつものような「天然」な感じではなく、悩み苦しむ役に挑戦していて悪くはないが、ラストの決断でいいのかなと思った。

 島本理生(しまもと・りお、1983~)は、19歳で書いた「リトル・バイ・リトル」が2003年1月発表の128回芥川賞の候補作になって注目された。その時点で都立新宿山吹高校に在学中だった。名前を聞いても判らない人が多いかと思うが、日本初の単位制定時制高校で「四部制」(三部制ではなく)になっている。その頃自分も定時制課程の教員だったから、島本理生も読んでみた。その後しばらく読み続けたと思う。2005年の「ナラタージュ」が心に響く作品で、行定勲監督、松本潤、有村架純主演の映画化も好きだった。ほとんど評価されなかったけど、忘れがたい映画だ。
(島本理生)
 2004年1月の130回芥川賞でも島本理生「眠れる森」が候補になっていた。しかし、その時は金原ひとみ蛇にピアス」と綿矢りさ蹴りたい背中」の2作が受賞し、いずれも若い女性作家ということで話題となった。結局、島本理生は芥川賞候補に4回、直木賞候補に2回選ばれ、2018年に「ファースト・ラヴ」で直木賞を受賞したわけである。この小説は最近文春文庫に収録されたので読んでみた。

 僕は「ナラタージュ」以後、少し島本理生を読んでなかった。正直に言って、読むのが辛くなった。「父(的な存在)による(性的な)虐待」や「ネグレクト(的)な母との葛藤」という設定が多いので、それは大切なテーマだと認めつつも、もういいかと思わせる。「ファースト・ラヴ」は意外なことにPSW(臨床心理士)による「法廷ミステリー」(的)だった。女子アナをめざして2次面接まで進みながら、突然面接会場を飛び出した女性が、美術専門学校に押しかけて教師をしている父を刺殺したというスキャンダラスな事件。主人公が過去にいきさつのあった弁護士とともに「動機」を探ってゆく。事件に関しては、ものすごく意外な真相というよりも、「こういうことがあるのか」と深く感じさせられた。今までと同様のテーマに、新たな語り口で挑んだことに意味を感じた。
 
 それより僕が面白かったのは、1400枚を超える文庫本2冊の著者最大の大長編「アンダスタンド・メイビー」だった。長いから敬遠していたけど、一気読みできる面白さ。直木賞候補になったが、選評を調べると「ファースト・ラヴ」を評価した人は同様にこっちも推していて、反対派はどっちも評価が低い。「アンダスタンド・メイビー」は波瀾万丈だが、確かに主人公の行動には納得できない。読んでる間は面白いが、読み終わると登場人物が極端すぎる気がしてくる。それでも「性的虐待」や「母との葛藤」が壮大な物語にまとめ上げられている。人間がわかり合うことは難しい。いや理解不能な人間存在にたじろぐしかない。主人公「藤枝黒江」の運命や如何に。若いうちに多くの人々が読んでみるべきだ。まあ学校の推薦図書などにはならないかもしれないけど。
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劇作家・別役実の逝去を悼む

2020年03月13日 21時12分41秒 | 演劇
 劇作家の別役実が3月3日に死去した。82歳。葬儀は親族で営み、訃報は10日に発表された。姓の読み方は「べつやく」だと思っていたし新聞の訃報にもそう出ているが、日本人の姓としては「べっちゃく」と読む方が多いらしい。訃報を見ると、どれも「不条理演劇を確立した」と出ている。カフカやベケットの影響を受け、日本で不条理演劇を書き始めたとか…。まあ、その通りなんだけど、それでは一度も見てない人はきっと「すごく難しいお芝居なんだろうなあ」と思ってしまうだろう。

 僕が最初に見た別役戯曲はテレビだった。文学座アトリエ公演「にしむくさむらい」が評判になって教育テレビで放映していたのである。その不思議な劇世界にものすごく心惹かれた思い出がある。(ところで最近は「西向く侍 小の月」を知らない人がいるらしい。)別役は生涯に144本もの劇を書いていて、全部が載ってるサイトが見つからない。だから正確な時期が判らないけれど、同名の戯曲集は1978年に刊行されているから1970年代後半だ。自分は大学生だったからお金の問題で演劇を気軽に見に行くことは難しい。映画だってロードショーじゃなくて、ほとんど名画座で見ていた時代なんだから。

 いつ実際に公演を見に行ったのかも覚えてない。でも別役実の新作はできるだけ見ようと思っていた時があって、結構見ている。その多くは信濃町の文学座アトリエで見たと思う。「天才バカボンのパパなのだ」(これが最初かも)、「ジョバンニの父への旅」「やってきたゴドー」なんかは見たと思う。文学座の名優三津田健の最後の作品「」も見てる。どうも「見てると思う」という書き方になってしまうけど、別役作品は「ストーリー」じゃなくて「シチュエーション」(状況)だから、どれを見てもストーリーで覚えていることが出来ない。それが「不条理演劇」ということになる。

 あり得ない状況がすでに設定されていて、そこにあり得ない展開が連続してゆく。見てると笑いの連続で、しかし「世界のフシギ」が露出している感じがする。状況がおかしいので、普通に話せば普通のはずのセリフが微妙におかしく感じられる。晩年になると、どうも毎回似てるな感が強くなったきがするが、いずれにせよ、そこには「世界の荒涼」が見え隠れする。70年代、80年代の劇にはそんな感触が強かった。僕は面白いからというよりも、その精神の荒野に惹かれて見ていたと思う。

 そしてそれは別役実が「引揚者」だったからだろうと思っていた。別役は1937年に当時の「満州国」の首都「新京」(長春)で生まれ、幼くして父が亡くなり敗戦とともに母と長野県に引き揚げてきた。そこで生まれたんだから、元々は日本の侵略だと頭で理解出来ても「ふるさと」を失ったという思いは消えない。1932年生まれの作家、五木寛之も生後まもなく朝鮮半島に渡り父の勤務とともに各地を転々とし、敗戦後に日本に帰った。21世紀になって、仏教(というか親鸞や蓮如など)の作家というイメージになったが、若い頃は「デラシネ」(根無し草)を称して漂泊者のロマンを紡いでいた。

 他にも安部公房日野啓三三木卓など、「引揚者」の文学系譜がある。30年代生まれの子どもたちが幼くしして故郷を失い「本国」へ戻っても受け入れられない現実に直面した。その子どもたちが70年代、80年代に「自己表現」を始めたのである。時間が経って忘れられたかもしれないが、僕の若い頃には多くの人が意識していた。これらの人々の書いたものには、どこか共通の感覚がある。何だか日本じゃないような場所で、幻想か現実かも判らないような不思議な世界。別役実の劇世界も、僕はそのような日本近代史の背景の中で出てきたものだと思っている。

 劇だけじゃなく、小説、エッセイ、評論もものすごくたくさん書いている。評論はあまり読んでないが、エッセイに当たるんだろう「虫づくし」(1981)は面白かった。「○○づくし」というシリーズがある。小説というか童話なんかも沢山書いていて、教科書にも載ってるらしい。「別役実」と検索すると「別役実 教科書」というワードが出てくる。残された別役世界はずいぶん広いようだ。

追加・そう言えば小室等と六文銭が歌った「雨が空から降れば」は別役実の作詞だったと人から指摘されて、そうだったっけと思い出した。そうだ、それは70年代にはとても意味を持っていたことだった。調べてみれば、「スパイものがたり」というミュージカルの挿入歌だったとある。2015~16年に開かれた「別役実フェスティバル」では「別役実を歌う~劇中歌コンサート~」というコンサートまで開かれていた。僕は行かなかったので、当時チラシを見たことをすっかり忘れていた。「雨が空から降れば」は、僕らの世代では今でも雨の日につい口ずさむ名曲だ。作詞のことはすっかり忘れてた。
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「感染リスク」と安倍政権の対応

2020年03月12日 22時57分56秒 |  〃 (新型コロナウイルス問題)
 2020年3月11日、WHO(世界保健機構)のテドロス事務局長は「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」と宣言した。「パンデミック」(pandemic)とは感染症の世界的流行のことで、語源はギリシャ語の「パンデミア」(パン=すべて、デモス=人々)だという。確かにここ数日のヨーロッパ各国の広がりを見ると、武漢のような「一部地域」のものではなく、韓国の新興宗教のような「一部集団」のものでもない段階に入ったと言える。3月12日の状況を以下に載せておく。前日比で日本国内の感染者数は「+52人」、死者は「+3人」、世界の感染者数は「+4570人」、死者は「+277人」となっている。

 このような一覧表はマスコミ等のサイトに多いが、コピー出来ない設定が多い。ここではYahoo!の「新型コロナウイルス感染症」サイトから引用した。僕はヨーロッパ各国の死者数の増加が納得できないでいる。イタリアが827人と突出し、スペインが55人、フランスが48人となっている。韓国が60人なので、イタリアの深刻度が判る。何故なのかに関してはよく判らない。イランも354人で、中国の3136人には及ばないが、感染拡大の事情は不明だ。日本だけ押さえ込んでも意味がない。
(パンデミック宣言を行うWHO事務局長)
 ところで安倍首相の対応をどう評価するべきだろうか。スポーツやイベントの自粛を求め、さらに学校の休校を求めたが、その理由が「感染リスク」ということだった。そこには安倍政権の直面した様々な難題が集約されていたと思う。2月になってからクルーズ船対応などで「後手後手」と批判されていた。一方で「桜を見る会」や「検事長定年延長問題」での国会答弁がめちゃくちゃで支持率が下がっていた。予算案の年度内成立のためには「何か」が必要とされていた。また一部では「東京五輪は大丈夫か」という声も上がり始めていた。そんな難局がガラッと変わったことは事実だ。

 何よりも「東京五輪」ホスト国責任者として、「思い切った手を打つ指導者」イメージを必要としていた。僕はそれが一番大きいのではないかと思うが、同時に他の問題の批判をかわすために「別の大きな問題」を上書きしようとしたこともある。そこでは「専門家の声を聞かない」「有効性に疑問がある」要請があえて行われた。大きな影響を受ける子育て世代には批判が強いが、もう休校してしまった以上「やむを得なかった」ということにされてしまうだろう。安倍首相に対して「理性的」「学問的正しさ」を求める支持者はいない。そういう人はもともと支持しない。

 しかし安倍首相が「リスク」(risk)をきちんと理解しているかどうかは疑問がある。「リスク」は確率的で不確実な危険のことで、誰が見ても危ない「danger」とは違う。休校要請の時には「子どもたちの命を守るため」などと言っていたが、もともと学校閉鎖は子どものために行うものではない。社会衛生上の観点から、より弱い高齢者等を守るために行うものだ。その県にひとりも感染者が確認されていないような場合、登校しても「danger」は考えられないが、「risk」はゼロではない。誰もが絶対に未感染であるという確証は誰にもできない。だから休校は正しいと考えてしまうと、今度はいつから授業を再開するかのメドが立たなくなる。そもそも登下校中に事故に合うリスクもあるわけで、リスクを高く見積もると学校も会社もあらゆる場所を永遠に閉鎖するしかない。

 たとえで言えば、「danger」なのは「高速道路を逆走する」ようなものである。一方「risk」とは「高速道路で逆走する車に出会うこと」である。安倍首相の休校要請は「逆走する車が危険だから、全国の高速道路の使用自粛を要請する」というようなものである。ほとんどないけれど、そういう事態がゼロであるとは誰にも言えない。こういうレベルで休校要請を行った以上、今度は「絶対に感染者がいない」状況、具体的には「(日本全国でなくても)近隣地方で新たな感染者が出ていない」状況が「2週間続くこと」(潜伏期間が最長2週間とみて)にならない限り、授業再開には踏み切れないのではないか。

 すでに3月中旬になっている。このままでは4月からの授業再開はかなり難しいのではないか。プロ野球やJリーグの試合もメドが立たない。日本及び世界各国の状況は、今すぐ収束するとは思えない段階にある。安倍首相が「リスク評価」の基準を自ら高くしてしまったために、今度はスポーツなどの再開基準が不明になった。自分で東京五輪への疑問を呼び起こしてしまった。僕はもともと石原元都知事が言い出した五輪招致に反対だった。しかし五輪が決定し、準備も進んでいる。安倍政権に反対だからと言って、今の段階で五輪中止を僕は望んでいない。それは世界がさらに混乱し多くの死者が出ることを意味している。そのような事態を望んではいけない。
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