尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「韃靼の馬」、国境を超える大歴史冒険小説-辻原登を読む⑦

2014年06月26日 21時40分39秒 | 本 (日本文学)
 一冊の本の紹介としては最後となる、辻原登「韃靼(だったん)の馬」(2011、日本経済新聞社)は、639頁もある長大な歴史冒険大ロマンだけど、ものすごく面白い。2400円もする分厚い本だけど、思い切って買って、重いけど毎日持ち歩いて読み切った。こんなに面白い充実した読書体験ができるとは。第15回司馬遼太郎賞受賞とあるけど、多くの人はまだ知らないのではないか。なんともったいないことか。

 帯の言葉を引用すると、「18世紀、激動の東アジア。伝説の天馬を追って、海を越え、大陸を駆け抜けた日本人青年がいた。」「爛熟期の徳川(パクス・トグガワーナ)、緊迫化する日朝関係を背景に、壮大なスケールで贈る一大伝奇ロマン!」

 この小説には多くの実在人物が登場する。新井白石とか雨森芳洲とか。雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう)といっても知らない人もいるだろう。江戸時代に対馬藩で朝鮮外交を担った儒学者で、白石とは木下順庵門下の同窓である。5代将軍綱吉が死去し、6代将軍に甥の家宣が就任すると、新井白石は側近として政治の実権を握り政治改革を進める。そして、将軍交代を機に派遣されてくる「朝鮮通信使」も両国で準備が進められていた。

 ところが事務折衝の最終段階になって、白石は朝鮮側からのあて名を「日本国大君」から「日本国王」に変えさせようとする。この問題は複雑な経緯があるので、詳しいことは書かないが、その是非とは別に困ったのは対馬藩である。対馬藩はつねに日本側(徳川幕府」と朝鮮側に挟まれ苦労が絶えなかった。その対馬を軸にして、日本と朝鮮の関係を描くのがこの小説である。と言っても、これでは何も伝えられない。実在人物は小説世界を成り立たせる道具立てに過ぎず、主人公は対馬藩の通訳の家に生まれた青年、阿比留克人(あびる・かつんど)で、彼の日本、朝鮮、さらには「満州」へと至る、冒険と謀略の大歴史ロマンなのである。

 物語は二部に分かれ、一部は先の家宣将軍時代の朝鮮通信使の話である。何とか無事に済ませたい対馬藩の一員として、阿比留克人は縦横無尽の大活躍。しかし、どうしても決着をつけねばならぬ問題があり、やむを得ず朝鮮側武将と決闘に及び、罪に問われる。そこまででもめったに読めない歴史小説の傑作である。朝鮮通信使を案内して、日本の当時の事情が物語られるのも興味深い。特に大阪の町で、米の先物市場を見て商品経済の本質を考える場面、日経新聞連載にふさわしい読者サービスだろうが、「日本」を考える際に参考になる。

 克人はやむを得ぬ次第とはいえ日本に住めない身となり、武士ながら死ぬことならず、朝鮮へ逃亡することとなるのが第二部の設定である。当時の事情を物語りながら、日本と朝鮮の文化、歴史の違いなどがだんだん理解されてくる。これは江戸時代を舞台にした「カルチャー・ギャップ」小説とも言える。当時、国を捨て、国を超える生き方は出来なかった。しかし、ここに小説というフィクションによって、国にとらわれず義で結ばれる関係が描かれる。ある種の「ユートピア」でもある。

 朝鮮王朝からも自由な村を作り、陶芸に生きる克人。しかし、歴史は彼にもう一つの使命を与えるのである。それは対馬藩から吉宗将軍に献上する「伝説の汗血馬」を探し出せと言うものだった。何と言う破天荒な話だろうか。でも、年に一度、満州族が国境の町に来て馬を売買するらしいという。その北国の馬市に乗り込み、さらに国境を越え、満州の荒野へ。これはチベットやモンゴルを舞台にしたいくつもの冒険ノンフィクションより断然面白い。こんなに面白い冒険小説は、今までに何冊も読んでないと思う。

 しかも、「伝説の汗血馬」をめぐる場面は、動物小説としても最高の出来で、馬をめぐる小説や映画はいっぱいあるけれど、ここまで馬が生き生きと描かれているものも少ないのではないか。いや、ビックリの小説で、興奮すること請け合い。恋愛ロマンの彩りもほのかに漂い、政治謀略小説や経済小説、武侠小説でもあり、かつ動物小説でもあるが、一言で言えば大冒険小説。重くて大変だけど、これは絶対に面白い。

 でも、これを読むと、日本と朝鮮半島の関係をじっくり学び、考えることになる。「ジャスミン」で現代中国を考え、「韃靼の馬」で前近代の日朝関係史を考える。双方の誤解の上に成り立っていたとも言える「朝鮮通信使」という存在もよくわかる。朝鮮という文化と向かい合う大変さも理解できる。そういう意味では、今まさに読んでおくべき現代性も持っている。こんな面白くて、ためになる本を読んでないのは人生の大損である。(竹島をめぐる小さな記述だけが余計なように僕には思えた。)
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