尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

自民党の「テレビ要望」問題

2014年11月30日 00時00分48秒 |  〃  (安倍政権論)
 映画や本、教育問題など書きたいことがたまっているので、できればこのような問題はスルーしようと思っていたのだが、なんだかだんだん腹が立ってきたので書くことにする。

 その問題というのは、自民党がテレビ各局に「選挙報道は、公平中立、公正の確保」を要望する文書を送っていたという問題である。20日付で、萩生田光一・筆頭副幹事長と、福井照・報道局長の連名だそうである。4項目の具体例があがっている。
出演者の発言回数や時間などは公平を期す
ゲスト出演者などの選定についても公平中立、公正を期す
テーマについて特定政党出演者への意見の集中などがないようにする
街頭インタビュー、資料映像などでも一方的な意見に偏らない

 その前に、解散当日に安倍首相がTBSの「NEWS23」に出演して、番組で紹介された「街の声」に「逆ギレ」するという「事件」が起こっている。僕は見ていなかったので、その内容をネットで調べると、以下のようだったらしい。「街の声」では、「株価が上がってきてアベノミクスの効果はあった」「解散・総選挙で民意を問うのはよい」といった好意的な声もあったが、「お給料は上がってない」「景気も悪い」「全然アベノミクスは感じていない」「大企業しか分からへん」など否定的なものが多かった。これを流した後で、毎日新聞の岸井成格特別編集委員が質問しようとすると、安倍首相はそれを制止し、「これはですね、街の声ですから。みなさん選んでいると思いますよ、もしかしたらね」と言った。その意味は、TBS側が街の声を意図的に編集したのではないかと言いたいんだろう。

 一体、これは何なんだろう。テレビは確かに放送法で「不偏不党」を求められている。第4条では、以下のことを謹呈されている。
公安及び善良な風俗を害しないこと
政治的に公平であること
報道は事実をまげないですること
意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること
 しかし、その前の第3条では、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」と「放送番組編集の自由」も明記されているのである。

 安倍首相は、この「番組編集権」にイチャモンを付けているとしか思えない。この解散について、「なんで選挙するのか」「アベノミクスは大丈夫なのか」と多くの人が思っている。「アベノミクス」が順調なんだったら、あえて今選挙する必要もないだろうに、任期を2年も残して、野党側が準備していない時をねらって解散するというのだから、疑問を持たない方がおかしい。

 その場合、「街の声」を、安倍首相支持と不支持を半々にするということが、「公平」なんだろうか。街頭インタビューの結果、どっちかの意見の方が多かったら、その割合で紹介する方が正しいのではないか。そうでないと、先の4条の3にひっかかる。「報道は事実をまげないでする」とあるんだから、反対の方が多ければ反対意見の方を多く紹介しなければおかしい

 そういう問題もあるんだけど、そもそも「せっかく首相が来ているんだから、街の意見の中でも厳しいものを聞いてもらう」というのが、「真の報道」というものではないか。自民党や首相の広告ではないんだから、ヨイショ的意見は一つか二つあればいいではないか。「厳しい声」をぶつけて、首相がそれにどのように答えるか、誠実に答えるか、はぐらかすか、理解が食い違うか、そういった反応もニュースであって、それこそ「報道」ではないか。

 首相の側からしても、そういう時に「宰相の器」を国民に示せるわけで、厳しい声に向き合うのも「公人の務め」だろう。芸能人が時に私的な交際などを報道されて、記者会見などで突っ込まれることもあるが、それも「芸能人の仕事」だろうと僕は思う。安倍首相は、せっかく「批判に誠実に答えて、首相のマジメさを印象付ける」機会を自ら放棄したのである。やっぱり、「しょせんその程度」だったということだろうか。

 何でだろうか。その後、大学生が小学生を装って批判したブログを首相が非難するという出来事があった。そのネタは「保守速報」というところで知ったらしいが、どうも首相自身がFacebookで「お友達」に「いいね」してもらえることに慣れ切って、仲間うちしか見えなくなっているのではないか。だから、批判発言が多いと、「わざと仕組んでいる」と感じてしまうのではないか。思えば、首相の敬愛する祖父、岸信介元首相も安保闘争の時に安保反対運動を「国際共産主義の陰謀」と見なし、国民の「声なき声」は自分を支持していると言っていた。そういった感性を受け継いでいるのかもしれない。

 ところで、自民党も昔は様々な人材がいたものだが、今は誰も首相を批判できない。従来の「保守」を打ち破るような方針をどんどん進めていても、党内から批判が出ない。今回のテレビ局への要望問題も、明らかに首相の対応を受けてのものである。はっきり書いてしまえば、首相側近の「茶坊主的対応」としか見えない。「要望」ではあるが、「月がない夜は暗いよね」と言われているような「怖さ」がある。野党が与党を批判するのは当たり前。数は野党が多いから、「公平に」紹介していると批判の方が多くなる。しかし、それも許されないのか。ゲストも公平にと言われたら、選挙報道番組はできない。「開票速報」まで何もできなくなってしまう。何で、こんなことを言うのか。誰が何を批判しようと、「国民がアベノミクス成功を実感している」と思えば、全然心配しないだろう。だから、安倍首相と自民党は、ホントは自信がないんだろう。でも、権力を持っているんだから、「鷹揚に」構えていれば「大宰相の器」に見えてくるものを、「逆ギレ」してしまった。ここに、安倍晋三という人を見ることができる。
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「増税先送り」は正しいのだろうか

2014年11月29日 00時04分15秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍首相は、2015年10月に予定されていた、消費税10%への再増税を凍結し、2017年4月に延期する方針を表明した。そして、そのことを「重大な変更」として、国民に信を問うと衆議院を解散したわけである。その解散の問題は、そのうちたくさん書くとして、与野党こぞって、この延期そのものは支持している。2017年に必ず上げると言い切るのはどうかとか、5%に戻せとか言う野党もないではないが、そもそも延期すべきでない、来秋に増税せよと主張する党はないようだから、選挙結果がどうなろうと「増税延期」になるんだろう。そして、消費増税は福祉や子育てに使うとしたわけだから、「一部の施策は実施できない」とされてしまうんだろう。(実際に、「年収360万円未満の世帯の5歳児の保育料をただにする『幼児教育の一部無償化』は見送り」と報道されている。)

 ところで、まるでもう既定事項のような「増税延期」なんだけど、それは果たして正しい措置なんだろうか。そのことへの疑問があるので、ここに少し書いてみたい。だから、「消費税そのもの」や、「財政再建はどうするべきか」、「高額所得者への累進課税を強化すべきだ」などの問題は取り上げない。僕にも意見はないではないが、データを示して細かな議論をするほどの知識はない。一応、消費税はあるものとし、5%だったものが、今年8%になり、やがて10%に増税せざるを得ない、という論理を思考の前提とする。「景気回復」のためにはどうするべきなのか、を考えてみることにする。

 総選挙をひかえて、自民・公明の与党は、再増税に当たっては「軽減税率」を「具体的な検討を開始する」などと言っている。それだけ聞くと、「いいことではないか」「よくやってる」などと思うかもしれないが、もともと「平成26年度税制改正大綱には「消費税増税時に軽減税率を導入することを検討する」(6頁)ことが書いてある。検討の期限もきちんと書いてあって、「平成26年12月までに結論を得て」と明記してある。選挙する必要などない。今年の12月に具体的な結論が出てないとおかしい。その後、自民党から具体化が難しいという話が出てきて、なかなかどうも…というムードもあったが、本来は「2015年10月に、軽減税率を導入する」のが政府の方針だったのである。ところが、再増税そのもの延期してしまった。つまり、今回の安倍首相の方針は「軽減税率先送り」なのである。

 そして、僕の理解では「軽減税率とは、食料品の消費税を5%以下にする」ことである。食料品を8%に留めて、他を10%にすることではない。EU諸国では、消費税(に当たる税)が20%を超えている国が多いが、全ての国に軽減税率がある。その税率は国によって異なるが、食品に関しては5%かゼロの国がかなり多い。10%の国もあるが、本来税率20%で、食品は半分の10%である。ウィキペディアによって、ヨーロッパ主要国を見てみると(本来税率:食品税率)、ドイツ(19:7)、イギリス(20:0)、フランス(20:5.5)、イタリア(20:10or4)、スペイン(21:10or4)…といった具合である。そうすると、日本でも10%増税時には、食料品はゼロにせよとは言わないまでも、せめて5%程度にしなくてはいけないと思う。だから、安倍首相の方針は「食料品減税の先送り」である。

 金持ちは高い消費税でもいい、低所得者に給付すればいいという意見もある。軽減税率は面倒すぎるという人もいる。でも、EU各国でやってることが、どうして日本ではできないのか、僕には理解できない。(財務省の天下り先になる団体ばかりできるという反対論もあるようだけど、それがこの問題の本質とは僕には思えない。)プアでもリッチでも、毎日何か食べなきゃいけないんだから、その「生きていくことの再生産」に必要な分は、消費税を軽くして当然だ。(もちろん、諸外国のように、外食は軽減税率ではなくなると思うので、高いレストランに行く金持ちほど消費税負担が大きくなる。)

 消費が低迷しているという。7~9月期のGDP速報値がマイナスだったのは、僕も驚いた。その結果、一気に「再増税は先送り」が決まったかの感じになった。28日に発表された家計調査では、冷蔵庫やエアコンが14.4%減、住居は12.5%減などとあるが、今年の夏は東日本では猛暑の時期が短かったので、エアコンが思ったほど売れなかったのも当然だろう。使いっぱなしでは故障の確率も高くなる。大体、消費増税が判っているんだから、買い替えるえるべき人は大体買い替えたんではないか。突然故障するのは仕方ないけど、冷蔵庫やエアコン、テレビやパソコンなどを今ごろ買う人がいる方が驚きである。これらはそんなに買うもんじゃない。10年にいっぺんである。いや、冷蔵庫やエアコンはもっと使ってる。

 毎日消費するのは、交通費(定期券でも、使用すれば「消費する」と考える)、外食を含む飲食費である。野菜や肉を自分で買わなくても、外食する店では増税分を含めて材料を仕入れている。現金をあまり使わない日でも、コーヒーやお茶の缶ぐらい買うことが多いのではないか。でも、僕は安い自販機でしか買わないようになってしまった。とにかく毎日何かのかたちで消費している食料品が、これだけ高くなっていては、他のもの、洋服や娯楽、教養、旅行などの費用を節約しようとするのは当然だろう。そして、食品の値上がりの最大の理由は、消費増税ではない過度な円安である。消費税は3%上がったが、円安は15円ほども進行している。安倍政権発足時からは、40%ぐらいになるのではないか。外国人投資家は日本株を買いやすく、外国人旅行客は増加して土産を買いやすい。しかし、輸入品はその分上昇する。国産品でも、エネルギーや流通コストがアップしたから、影響を避けられない。だから「アベノミクスの負の側面」が景気低迷の一因なのは間違いないと僕は思う。

 もう一つ、「8%は過渡的な税率」だとされている。数字的にも中途半端で、計算しにくい。だから、今まで「内税」というトリックで、1000円ポッキリとかの支払いが結構あった。外食で、カレーやパスタにサラダと飲み物付けてセットにすると、1000円とか。レシートをよく見ると、「本体価格952円」などと書いてある。でも、あまり意識しない感じになっていた。それが、今はほとんど外税になってしまった。パスタの原料が円安で上がっているから、消費増税をきっかけに外税にしたうえで、いつのまにか値上げもしている店が多い。パスタセット1000円とあるから、前と同じ感じで頼むと、1080円を請求された、とか。本来は3%増税だったわけだけど、円安と外税により、負担感が増しているのだ。

 再び「内税」化するのがいいかどうか、僕には疑問だけど、もし10%になって、しばらくもう上がらないとなると、また「内税」になっていくのではないか。そうなると、初めからその値段だと判って買うので、痛税感が少し薄れてくるだろう。また、再増税が決まれば、2%と言えど、また「駆け込み需要」が起きるのではないか。そうすると、今回の「増税先送り」は、「駆け込み需要」を遅らせ、いつまでも「外税」が続くことになり、景気回復にはむしろ悪影響を与えるのではないだろうか

 以上の議論は、そういう観点もあるのではないかということである。別に、早く10%にした方がいいとまでは思わない。というか、よく判らない。僕に判るのは、食品は5%以下の軽減税率にすべきだということだけである。そして、もう一つ、重大な問題がある。それは、「人間はどういう場合に、冷蔵庫やエアコンを買うのか」ということである。主な電機製品はもう持つべき人は皆持ってる。よほど高性能になったとか、故障した場合しか買い換えないだろう。洋服や本は趣味で集める人がいるが、冷蔵庫コレクターはいないだろう。でも、例外がある。それは「新しく住む」場合である。「結婚」と「都会の大学に入学する」というケースが多い。だから、住宅や電機製品が売れるためには、結婚(同棲でもいいけど)が増える、そのためには正社員が増え、若い世代の可処分所得が増える…ということが、即効性はないように思えても一番重要な景気対策ではないだろうか。老人世代は、旅行したり孫のものは買うかもしれないが、今さら電機製品をいっぱい買うわけがない。節約第一もあるし、もうマニュアルの字が小さくて読めない。若い世代の支援策、広い意味での教育投資こそが、遠いようでも重要なことではないかと思うのだが。
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ルーマニア映画「私の、息子」

2014年11月27日 21時54分37秒 |  〃  (新作外国映画)
 引き続き、25日に見た映画。ルーマニア映画で、2013年のベルリン映画祭金熊賞(最高賞)、国際映画批評家連盟賞を受賞した「私の、息子」である。カリン・ペーター・ネッツァ-監督、ルミニツァ・ゲオルギウ主演、と言われても全然なじみがない。だから、映画祭受賞という実績と、この映画を最初にロードショーした東京・渋谷のBunnkamura(東急文化村)の信用で見た人が多いだろう。僕はロードショーは見逃してしまったのだが、映画評を見て是非見たいと思っていた。見たら、これもまた、とんでもなく凄い映画だった。驚きの世界である。
 
 実はルーマニア映画は近年評価が高くなり、「ルーマニア・ニューウェーブ」などと言われている。日本ではほとんど公開されず、クリスチャン・ムンギウ監督の「4カ月、3週と3日」や「汚れなき祈り」ぐらいしか公開されていない。日本ではこれらもあまり高い評価は得られなかったが、とにかく最近のルーマニア映画というだけで注目する必要がある。

 冒頭で、ある中年女性が友人に息子の態度が悪いと言い募っている。友人は「だから、もうひとり産んでおけばと言ったでしょ」と取り合わない。その母親コルネリアの誕生パーティがあるが、息子は当然現れない。集まったメンバーを見ると、父と母は結構セレブな社交界の一員らしい。父は医者らしく、母は舞台美術家、建築家であるらしい。そんなある日、息子バルブが交通事故にあったと連絡があった。息子を心配するが、実は「息子が交通事故を起こして、子どもを死亡させてしまった」というのが、事故の真相だった。そこから、息子を救うのは自分しかいない、息子を刑務所に入れることは許さないという、母の大車輪の「暴走」が始まっていくのである。

 母がひとり息子を溺愛する映画は珍しくないし、現実にもよくあることだろう。でも、ここまでうっとうしい母親も珍しいし、息子を救うというより、こうやって息子を支配してきたのかとつくづく納得できる。カメラは冒頭からは激しく手持ちで揺れ動き、その激しさにげんなりするんだけど、だんだん慣れてくると、というかストーリイの暴走が始まると、臨場感あふれる工夫にさえ見えてくる。その場で誰かが話したら、そっちにカメラを向けるというドキュメンタリー感覚である。その結果として、こんなに「うざい母」の存在感も珍しく、これほどの存在感は杉村春子以来ではないかと思うぐらいである。だから、邦訳題名も「私の、」と「、」が入っているのである。

 事故は高速道路で追い抜きをしようとスピードをあげて車線変更した時に、子どもが出てきて跳ね飛ばしてしまったというもの。高速道路の最高速度は110キロらしく、追い抜こうとした車も110キロ。だから、息子は140キロぐらいは出していたということだ。それでは困るので、警察に行けば、140キロを認めてはいけないと息子に強要する。110キロと供述調書を変えてもらいなさいと言って、変えさせてしまう。警官側も、最初は何という母親かと迷惑視していた感じだが、次に行くと有力者だと判ったからか、供述調書のコピーをくれて、代わりに頼みごとをしてくる。しかし、抜かれた方の供述も変わらない限り、追い抜くにはそれ以上出さないといけないんだからと、次はそっちも供述も変えてもらおうとする。運転手の連絡先を聞いて、コルネリアは彼に会いに行く…。

 という具合で、単なるクレーマーの域を超えている。自分は有力者で、世の中は金とコネですべてが決まるんだから、自分がすべて決めていくと心底信じ切っている感じである。いやあ、EUに加盟したルーマニアが、こんなに有力者が何でもできる国だったのか。それにしても、母がこれだけ強くては、子どもは困るだろうと思うと、案の定「自立」できていない。親の許しなく、息子は子ども連れのカルメンという女性と同棲している。母は、こんな事故を起こしたら実家で暮らすべきだと、留守中に息子の家に行き、下着などを持ってきてしまう。しかし、息子はもう二度とそっちから電話するな、必要な時はこっちから連絡すると激高する。その後、コルネリアが同棲相手カルメンと話すと、息子の意外な面が見えてくる。そして、3人で被害者宅を訪れることになるが、息子はどうしても車から降りることができない。母とカルメンだけが向かっていく。被害者の父と母は一体、どのような反応を示すだろうか。それは、映画で見ることで、もうここで書くことは止めておきたい。

 原題は「チャイルズ・ポーズ」(胎児の姿勢)で、車にこもって被害者に会いに行けないような息子の姿を指している。このような、「愛情という名の支配」はどこの国にもある問題なのだなあと思う。しかし、息子が警察に捕まっても、関係者の供述調書をカネで変えさせようなどと思う母親はいないのではないか。というか、そんなことは普通は民間人にはできない。(冤罪事件の場合、警察、検察が真実を語っている関係者を何度も何度も呼び出して供述を変えさせようと強要するケースはよくあるが。)そういうルーマニア社会への驚きが非常に大きい。だけど、だからといって、これほどトンデモナイ母親も珍しく、それを堂々と演じきったルミニツァ・ゲオルギウという女優はものすごい実力だと思う。

 ところで、なんで高速道路に子どもが入れるんだろう。老人が運転して出口から逆走して高速に入り込むという事故は日本でも時々報道される。しかし、高架になっていて、高いフェンスもあるから、子どもが高速道路を渡ろうとすることなどできないだろう。村上春樹「1Q84」や映画「新幹線大爆破」では、高速道路から降りていく主人公が出てくるが、そんなことをしている人を見たこともないが、まあ、それは大人ならやってやれないこともないんだろうけど。子どもが入れるようでは事故も危険だし、騒音もうるさい。何の防御策も取らないことは日本では考えられない。有力者の金力がものを言うらしいルーマニアでも、着実な交通事故削減策を取っていかないといけないと思う。父親が子どもに高速に入るなと注意してなかったと嘆くシーンがあるが、そういう問題ではないだろう。劇映画に言っても仕方ないけど。失われた命は帰ってこないが、教訓にしていくことはできる。
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ジャ・ジャンクーの新作「罪の手ざわり」

2014年11月26日 21時40分49秒 |  〃  (新作外国映画)
 25日にキネカ大森の名画座で2本の映画を見たので、その感想。もうロードショーは終わっているわけだけど、今後各地で上映に機会もあると思う。どちらもものすごい作品で、是非どこかで見て欲しい映画。今年は数年ぶりで外国映画の当たり年だと思う。まず1作目は、中国映画の第六世代を代表する映画作家、賈樟柯(ジャ・ジャンクー)の「罪の手ざわり」である。

 「罪の手ざわり」は、現代中国の恐るべき心の荒廃を圧倒的な映像で描き出した犯罪映画の傑作である。ジャ・ジャンクーは、2007年のキネマ旬報外国映画ベストワンになった「長江哀歌」(ベネチア映画祭グランプリ)という凄まじい傑作があった。それまでにも「プラットホーム」、「青の稲妻」、「世界」と驚くべき映像作品を作っているが、何しろ重厚長大というか、とにかく長くて、ストーリー性が希薄、ひたすら情景を凝視するような作品が多く、中国映画に関心があるシネフィル向けという面があった。「長江哀歌」は判りやすいうえに、108分と比較的短い。その後、「四川のうた」やドキュメントを作ったが、「罪の手ざわり」は久々の本格的新作という感じで、2013年のカンヌ映画祭で脚本賞を得た。

 この映画も129分と長いが、話は4つに分かれ、ほとんどオムニバス映画なので、今までで一番判りやすい。ジャ・ジャンクーの入門として最適。いつもと同じく、製作には北野オフィスなど日本の映画界が協力している。4話すべて、現実に起こった事件だというが、その暴力的な風土に驚くほかないような映画である。1話目は、山西省の元炭鉱夫が、村有の炭鉱を売り払って財閥になった昔の同級生や村長を恨み、個人的に決起する。「カネがすべて」の社会に生きられない男の侠気が、雄大な風景の中に展開する。2話目は、重慶の男が妻に隠して、犯罪に生きている姿を描く。この男は冒頭に出てきて、強い印象を残している。3話目は、湖北省の女が愛人の男ともめている。結局、男は広州へ戻り、サウナの受付をする女は仕事に戻るが、カネにあかせた男がマッサージを強要してきて、キレてしまう。4話目は、広東省の若い縫製工の男が仕事を逃げ、風俗産業に移り、そこで働く女に恋してしまう。4話目も悲劇だけど、普通の犯罪ではない。

 一つ一つの話は短いけれど、少しづつ人物が重なっていて、見ているうちに現代中国への壮大な告発になっている。「カネがすべての夜の中」への反発がすべてで見られ、特に3話目や4話目では主人公が金持ちに奴隷のような屈辱を味わわされる。まるで近松門左衛門の人形浄瑠璃である。このような中国社会の心の荒廃が一番印象的で、しかし、アメリカン・ニュー・シネマのことなどを思い出しても、自国の暗部を摘出する映画を作る人材が存在するということが社会の健全さでもあると思った。北京や上海と違う、地方都市の様子もうかがえ、中国ウォッチングの意味でも見逃せない。路地で演じられている京劇がたびたび挿入されるが、古典の世界と現代がつながっているような世界なのかと思う。

 
 ジャ・ジャンクーは、第5世代の陳凱歌(チェン・カイコ―)や張芸謀(チャン・イーモウ)に影響されて映画を志した世代だが、前世代の圧倒的な物語世界は封印してきた。しかし、中国の雄大な風景描写は今までも印象的で、今回の映画でも各地の様々自然描写が印象に残る。中国映画は世界に衝撃を与えてから、もう30年近くたち、最近は中国映画の存在感も薄れてきた。イランと同じく、社会的な困難さが映画作家にも影響を与えているのだろうと思う。ロウ・イエやワン・ビンのように、中国国内で公開できない道を選んだ作家もいる。ジャ・ジャンクーの場合は知らないが、やはり国際的な知名度ほどには国内で見られていないのではないか。

 こんなすごい映画を見ないで置くのは損だと思うが、「犯罪」に手をそめた人間の悲しさ、やるせなさが見る者に迫ってくる。こういう映画は昔の日本映画にもよく見られた。内田吐夢「飢餓海峡」とか、今村昌平「復讐するは我にあり」とかの、巨大スケールの「犯罪映画」である。そして、ジャ・ジャンク―が紛れもなく、内田吐夢や今村昌平に匹敵する映画史上の巨匠になったことを示しているのが、この映画だろう。
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善光寺坂のムクの木-小石川散歩④

2014年11月25日 22時57分12秒 | 東京関東散歩
 小石川も広いが、小石川植物園などは別に書くこととして、いったんこれで終わる。最後はカテゴリーも変えて、文学散歩である。青木玉さんの「小石川の家」(講談社文庫)という本がある。幸田露伴(こうだ・ろはん)の孫幸田文(あや)の娘である玉さんが、母や祖父との幼い頃を回想した自伝的エッセイ。昭和初期の生活の香りが懐かしい。と言っても、僕は最近初めて読んだんだけど、どこかで小石川に住む幸田家の前には大きなムクの木がある、と聞いたことがあるようなのである。このあたりを歩くんだったら、是非そこに行ってみたい…と露伴も文もほとんど読んでないのに、何となくそう思ったわけである。文庫本の表紙は幸田家を訪れた安野光雅が描いている。まずはそれを。

 場所は地図をよく見て、大体判った。まずは伝通院である。一回目に書いたように、春日駅から春日通りを西へ10分ほど歩くと、伝通院下に出る。伝通院から右側へ坂が下りている。これが善光寺坂だが、そこを少し下っていくと、道のど真ん中に大きな木が見えてくるではないか。そのインパクトはかなり強烈。最初に見たのは6月だが、秋になって最近2回見に行った。写真に撮ると、向かいのビルが傾いているかに見えるが、これは広角のマジックで、もちろんそんなことはない。
   
 もう道の真ん中にある感じで迫力が凄い。「善光寺坂のムクノキ」という案内板がある。では、幸田家はどこにあるかというと、すぐ真ん前の家がそんなんだと思うけど、まあ個人の家だから塀だけを。幸田露伴(1867~1947)は、漱石と同年生まれ。「五重塔」などで有名だが、僕の世代だと「名前は聞いたことがあるけど、読んでない」人が多いのではないか。もう一世代下だと、名前もよく知らないだろう。向島に住んでいたが、震災以後、井戸に油が混じるようになり転居を決意、生家のそばの小石川に転居したとある。娘の幸田文(1904~1990)は、1938年に離婚して娘を連れて父の家に戻った。父の死後、随筆や小説で有名となり、映画化された「流れる」「おとうと」は見ているが、原作は読んでない。晩年に日本各地の崩壊地形を見て回った「崩れ」を読んだだけである。
 
 「家の庭の向こうに、道路の真ん中、大きな椋の木があって、道いっぱい枝を拡げていた。二階の祖父の書斎に座れば、まるで木の枝の上に居るような感じで廊下のガラス戸を開ければ枝先がさわれそうだ。目の前に青々とした枝が拡がって、家の庭にも実生の何本かが伸び、どの枝が親木の枝で、どれが庭の塀越しに枝を伸ばしている若木か見極めがつかない。」(「小石川の家」72頁)この樹は近隣の人々にも近隣の雀にも、安らぎの樹木となっていたという様子が続いて書かれている。「ムクノキ」(椋の木)は東アジアに分布する落葉高木で、特に西日本に巨樹があるようだ。ムクドリは、よくムクノキの実を食べることから名が付いたという。

 この木をもう一度見たいと思い、そろそろ落葉かなと思い、11月半ばに訪ねてみた。今度は、坂の下の方から行ってみる。こんにゃく閻魔を過ぎ、小石川2丁目という信号を左に行くと、すぐに坂。ここを登っていくと、少し先にムクノキが出てくる。その前に坂の由来の善光寺がある。そのすぐ先である。こっちの道の方が駅から行きやすいように思う。
   
 晴れていたので、背景の空に良く映えるが、落葉はまだほとんどないではないか。では、もう一度と23日に行ってみたのだが…。なんと、伸びすぎたので17日に区が伐採すると貼り紙があるのだった。
   
 これはまたすっきりしてしまったもんだ。こうなっては、また伸びる来春以降にまた行くべきか。それとも雪の日かなんかに見に行こうかな。そう、なんだか気に入ってしまって、また見に行きたいのである。ムクノキのすぐ近くに、慈眼院・澤蔵司稲荷(じげんいん・たくぞうすいなり)がある。ここのホームページを見ると、ムクノキは江戸時代から有名だったとある。境内には、芭蕉の「一しぐれ 礫や降って 小石川」の碑もあるというが、よく判らなかった。秋に行くと、紅葉がきれいで、絵を描いている人が多いのに驚いた。坂道の途中で気持ちのいい場所である。坂の下の善光寺は、もとは伝通院の塔頭だったが、明治になって信州の善光寺の分院になったという。坂の名の由来。写真は省略。
   
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小石川後楽園-小石川散歩③

2014年11月24日 23時27分15秒 | 東京関東散歩
 小石川散歩の3回目は「小石川後楽園」。僕は小石川という地名をこの庭園で知ったんだけど、所在地の地名は今は「後楽」という。春日通りの北に、今「小石川1丁目」から「小石川5丁目」までの町名があるが、本来の小石川はもっとずっと広い地名なんだろう。岡山に有名な日本三名園の「後楽園」があるが、1923年に国の史跡、名勝に指定される時に、岡山と区別するために「小石川後楽園」と言うようになったという。今は国の特別史跡特別名勝に指定されている。もっとも「昭和の子ども」にとって、後楽園と言うのは野球場であり、遊園地である。それと別に「小石川後楽園」というものがあると知ったのは、ずいぶん後のこと。初めて行ったのも数年前である。

 ここは前に取り上げた六義園(りくぎえん)と並び、大名庭園の中でも名園中の名園だと思う。非常に素晴らしい日本庭園の美を味わうことができる。今は外国人観光客も非常に多く、数か国語のパンフが置いてある。今回は、10月の終り頃と11月23日に行った。その間の紅葉の違いなどを比べてみたい。(東京都心の紅葉はもう少し後の方が良かったようだ。)まずは10月末の写真。
   
 池に景色が映り、とても美しい。しかし、東京ドームやシビックセンターなどが背景に写ることを避けられない。では、11月23日の写真。
   
 この写真は中へ入って少し右の方、駐歩泉の先あたりで池を見る構図で撮ったもの(紅葉の4枚目を除き)だが、ここが一番構図が決まるのではないか。都立の庭園は9つあるが、面積は浜離宮が圧倒的に大きい。でも水の部分が多い。その次が六義園で、次いで後楽園。じっくり回ると、かなり時間もかかる。ここは、江戸時代の水戸藩上屋敷(元は中屋敷)で、水戸藩初代の徳川頼房が作り始め、2代目光圀の時代に完成した。幕末の斉昭時代のものもあり、歴史的に貴重なものがあるが、安政の大地震、関東大震災、空襲と3回の被害を受け、案外古い建物は残っていない。中では、「得仁堂」(とくじんどう)が光圀が18歳の時に「史記」を読んで、伯夷・叔斉(はくい・しゅくせい)の木造を安置したというところ。その近くには、朱塗りの「通天橋」や、石造りの「円月橋」がある。
   
 これらは何となく中国風の感じがあるが、それは明の遺臣・朱舜水の意見によるという。園の名も朱舜水の命名で、中国の「岳陽楼記」と言う本の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から付けられた。幕末の水戸藩に生まれた藤田東湖は、水戸学の集大成として大きな影響力を持ったが、安政の大地震に際して、母を援けるために屋敷に戻って圧死した。後楽園の一番奥の方に、東湖の記念碑が建っている。中国の西湖に見立てたという堤とか、道々に敷かれた石畳などが中国風だという。もう僕などにはよく判らないが。
   
 最後に、入口のところや園内のあちこちの写真を載せておく。広くてノンビリできるということでは、六義園と後楽園かなと思う。だけど、JRの水道橋、飯田橋のちょうど間で、少し遠い。地下鉄の後楽園が近いが、入り口に近いのは、都営地下鉄大江戸線の飯田橋駅だと今回知った。もっとも大江戸線は入り口から駅までが遠い。
   
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こんにゃく閻魔と牛天神-小石川散歩②

2014年11月23日 21時17分37秒 | 東京関東散歩
 東京の地図を見ていると、面白い名前のお寺や神社が多い。巣鴨のとげぬき地蔵などは、有名になり過ぎて何も感じなくなっているけど、文京区の小石川あたりには「こんにゃく閻魔」とか「牛天神」がある。ちょっと離れるので今回は行ってないけど「しばられ地蔵」というのもある。東京は大企業の都市だというのも間違いないが、一方で江戸時代以来の庶民の町的な部分もけっこう残っている。自分にはほとんど信仰心というものがないのだが、町を歩いて小さな寺社を見つけると、そこに地元の人(と思われる)が信心に来ているというのは、なんだか懐かしくなる光景だなと思う。

 では、こんにゃく閻魔に行ってみようと思うが、その前に寄るところがある。というか、実は一番最初にここに行ったのである。そして多くの人にお勧めなのが、まず「シビックセンター」に行くことである。要するに文京区役所なんだけど、すごく高いビルになっていて、高層に展望台がある。そして、一階に文京区観光協会があって、そこで散歩地図や博物館、美術館などのチラシが置いてある。文京区は歴史ある坂の町で、詳しい地図がないと探し物が見つからない。散歩に必須だから、まずここに行くべきだ。シビックセンターは集会などでよく使うところだが、上に上がったことがない。せっかくだから、一番上まで行くと、文京区がすっかり見渡せる。(最初の写真の緑が小石川後楽園。)ここは都営地下鉄三田線、大江戸線の春日駅から直結している。地名も春日で、今まで意識しなかったけど、これは春日局から来ている。江戸時代初期、3代将軍家光の乳母だった春日局にこの地の所領が与えられたという。隣の公園に春日局の銅像があった。
   
 シビックセンターから冨坂下信号のところを北へしばらく歩くと、こんにゃく閻魔(えんま)がある。正式の名は源覚寺。創建は江戸初期の1624年だから、日本全国的には格別古くないが、新開地江戸としてはそれなり。寺域は案外小さく、建物も新しい。由来となった仏像も見られない。ここには「こんにゃく閻魔」という仏像があり、右目が濁っているという。江戸時代中頃に、ある老婆が眼病の治癒を祈願したところ、夢に閻魔大王が出てきて、自分の目を代わりにして治してあげようと告げた。眼病は治り、老婆は好物のこんにゃくを断ってずっと供えた。これが「こんにゃく閻魔」の由来だとか。「汎太平洋の鐘」という、1690年に完成し、戦前にサイパンに贈られ、戦後になってテキサスで見つかったという鐘があるが、逆光でよく撮れなかった。
   
 その前の通り「えんま屋」という居酒屋があった。昼に通ったけど、ランチで流行っていた。その通りの店は「えんま商盛会」と名乗っていて、ホームページもある。道には「好きです この街 小石川 えんま通り商店街」と書いた旗が吊るしてある。そこをしばらく行って、小石川2丁目の信号を左折すると善光寺坂で、ずっと行くと伝通院。善光寺坂は別に書くので、今はここで終わり。ここからは本郷も近く、一葉や賢治など文学散歩の場所だけど、そっちもまた別に書きたい。
  
 さて、「牛天神」は伝通院前から安藤坂をずっと下って行ったところにある。後楽園駅から小石川税務署を通り過ぎ、坂の方を登ったすぐ。天神に牛は付き物だから、この名は不思議ではないけど、神社が「牛天神」と名乗っているのも他にない。道を少し入ると上り口があるが、ものすごい急な階段で、夏に行ったときは登る気にならなかった。今回は菊まつりで菊が置いてあった。登りきると、牛のかたちにくり抜いた板があり、おみくじが結び付けられている。下の安藤坂に明治中期、歌塾「萩の舎」があった。樋口一葉が通ったところである。(その説明板は前に「荷風散歩」の中に載せた。)その「萩の舎」の主催者だった中島歌子の歌碑が牛天神にある。
   
 下の写真の最初は牛天神の本殿だが、ここの一角にもう一つ別の神社があった。それが三枚目の写真。「太田神社」と言って、芸能の神だという。震災の頃までは、芸能界の信仰篤かったというが、今は忘れられている。芸能界を目指す人は行ってみたらどうか。またここの御神木である「木斛」(もっこく)が珍しい。どちらも行ってみたら小さな寺社で、ここだけ訪れるのはどうもというところだったけど、近くに見所が多いので、東京ドームの近くにこんなところもあるという紹介。
   
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伝通院-小石川散歩①

2014年11月22日 21時43分50秒 | 東京関東散歩
 散歩の写真がたまっているので、少し現実を離れて東京散歩のまとめ。小石川伝通院あたりから。初めて行ったのは6月なんだけど、10日ほど前にもまた行ってみた。もともと永井荷風の生地に近く、荷風のエッセイに「伝通院」があるから行ってみたのである。ついでに周囲の小石川一帯に史跡がたくさんあるので、最近はよく散歩している次第。

 「小石川」という地名は、小石川後楽園とか小石川植物園というのがあるので昔から知っていた。でも、戦前まであった「小石川区」が「本郷区」と合併して、今の文京区になっているので、「小石川」と言われても今ではあまりなじみがない。JRや地下鉄の駅名にないと、土地勘が判らなくなるのである。ネット検索では「小石川中等教育学校」(旧府立五中、都立小石川高等学校)が最初に出てくる。僕も東京の教員をしていたから、小石川というと学校の名前という感じなんだけど、所在地は文京区の北の方である。一応、旧小石川区の外れにあるようだけど、文京区の南の方の小石川後楽園とはずいぶん離れている。一体、「小石川ってどこだ」と昔から思ってきた。

 だんだん判ってきたけど、荷風が書いてた伝通院(でんづういん)がとても大事なのである。ビルが立ち並んでいるから、もうよく判らないが、伝通院というお寺のある場所が高台の頂点で、その辺りの川に小石がいっぱいだったのが地名の由来だとある。伝通院と言っても、僕は最近になるまで名前を聞いたことがある程度だったけど、ここは江戸時代には「江戸の三霊山」だった。他は上野寛永寺と芝増上寺である。つまり将軍家ゆかりの寺である。伝通院も同様で、ここには徳川家康の生母、「於大の方」の墓所がある。そもそも於大の方の法名が「伝通院殿」だったから、ここは伝通院なのである。そして小石川一帯は、江戸時代はほぼ伝通院の所領だった。

 というようなことが判ってきて、では伝通院に向かう。地下鉄の春日または後楽園からしばらく歩く。文京区役所前の大きな通り、春日通りを西へなだらかに登って行き、冨坂警察署を過ぎると「伝通院前」という信号がある。右を見わたすと、道路の突き当りが伝通院。荷風の時代にも火事になっているが、空襲でも焼けた。まず見えてくる大きな山門は2012年再建なので、真新しい姿で町を見下ろしている。山門の前に「酒を帯びて入るな」と書いた石柱があるが、これは今はない処静院(じょじょういん)という塔頭(たっちゅう)にあったものだとある。
    
 山門を入ると、かなり大きな境内だが、本来はもっと大きく、隣にある淑徳SC中等部・高等部という女子校も元は伝通院の中だった。山門前に会った石柱の処静院(じょじょういん)だけど、そこは1863年に浪士組が結成され集まった場所である。清河八郎らが将軍警護を名目に浪士を集めて、京都に旅立った。様々な経過があるが、この浪士組が後の新撰組となる。集まった250名ほどの中には、近藤勇、土方歳三、沖田総司、芹沢鴨らがいた。このような歴史の舞台となった伝通院だけど、今の本堂は1988年に再建されたもの。
  
 ということで、建物には古いものはないので、現在は歴史散歩的には「墓めぐり」が中心。徳川関係だけでなく、有名人の墓がいっぱいある。墓地に入る前に案内図がある。ともあれ、まずは大きく目につくのが徳川関係で、於大の方だけでなく、千姫の墓もある。先の3つが於大、最後が千姫。他にもずらっと将軍の正妻の墓などが並んでいるが、省略。
   
 その他のお墓には、ズラッと並んでいるのが歴代住職の墓。次が作家・佐藤春夫、浪士組結成の呼びかけ人・清河八郎、明治時代の思想家・杉歌重剛
   
 続いて、明治初期の外務卿で、幕末の尊皇派公家・沢宣嘉、日本画家・橋本明治、作家の柴田錬三郎。柴田錬三郎は、眠狂四郎シリーズなどで有名で「シバレン」と呼ばれたが、他の歴史上の有名人と違い、大きな案内版がない。だから少し探してしまうけど、案内図の位置からしてこれだろう。本名は斎藤と言うようだし。
  
 ところで、伝通院の前に「浪越指圧専門学校」がある。「指圧の心は親心 おせば生命(いのち)の泉湧く」の言葉で存命時は超有名人だった浪越徳治郎の作った学校である。学校の前に本人の像などがあるが、伝通院に入って左手奥に「指塚」もある。これも珍しいもので、見逃せない。
  
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争点は「安倍首相自身」である

2014年11月22日 00時06分56秒 |  〃  (安倍政権論)
 いやあ、ホントに解散しちゃったよ。まだ任期が2年以上あるし、与党議員が国会の3分の2を占めているというのに、この人は何で選挙やりたいの?
 と大方の人は思っているだろう。今のところ、解散をめぐる世論調査を発表しているのは、朝日新聞と共同通信かなと思うけど、どちらも解散に納得できないという声が圧倒的である。(朝日新聞では、「解散に賛成=18 反対=62、共同通信では解散が「理解できない」=63・1、「理解できる」=30・5)。朝日ではついに、内閣支持が39.不支持が40と逆転している。もっとも、両方の調査とも投票先では自民が民主を圧倒していて、もちろん他の政党はもっと低い。)

 安倍首相の記者会見では、「アベノミクス解散」と名付けて、「アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか。それを問う選挙であります。」と高らかに宣言した。だけど、あと2年も絶対多数を持って政権運営ができるんだから、選挙などやる必要もなく、「アベノミクスを前に進め」て行けばいいだろうと普通は思うだろう。そのことを批判もできるし、アベノミクスそのものをこの機会に問い直すことも大事だと思う。しかし、それ以前に「この人は大丈夫か」と思ってしまうのである。

 今思えば、朝日新聞を「ねつ造」だと罵倒した時も、枝野民主党幹事長のJR総連の政治献金問題で大騒ぎした時も、吉田社民党首の質問に逆切れした時も、どうもおかしいと思ったんだけど、本人はすでに妄想的な戦闘モードに入っていたのだと思う。だから、僕の感じ方で言えば、争点はアベノミクスではなく、集団的自衛権や特定秘密保護法や原発再稼働問題や沖縄の基地問題などでもなく、いや、それらも大いに議論すべきなんだけど、安倍首相の特異な政治手法独特の世界観からして、この首相にまた日本を託して大丈夫なのかということになると思う。

 これから発表される「公約」や「マニフェスト」が重要でないとまでは言わない。でも、この2年間を見て判ることは、復興だの経済再生だの言って政権を取れば、公約にないことをどんどんやりだすということである。だから、消費税再増税を先送りし、軽減税率を導入するなどというのも、うっかり信用できないと思う。結局、検討の結果、実施には難しい問題が多いと「軽減税率は実施しない」となるかもしれない。もちろん、その他の問題もそうで、公約にははっきり書かずに、極右政策を着々と実施していくことになるだろう。

 原発は前回の選挙では、どう書かれていたか。「原子力に依存しなくてもよい社会・経済構造の確立を目指します」と明記されているのですよ。全くウソだったではないか。民主党政権時代の脱原発政策を国民的議論なしに変えてしまった。(変えようとした後で、一応パブリックコメントを募ってはいたが。)特定秘密保護法は政権公約では全く触れていない。だから、公約に何か良さそうなことも書かれたとしても、僕には信用することができないのである。

 でも、自民党以外の政権にすべきなのか。首相をまたどんどん変える日本に戻していいのか。大体、民主党は政権獲得に必要なだけの候補者を小選挙区に立てられそうもない。他党と協力すると言っても、政権協議がまとまるとも思えないし、「民主+維新」ができるはずがない。もし、できても自民よりいいとは思えない。もちろん、共産党はすべての小選挙区に候補を立てると言ってるから、雪崩を打って皆が共産党に入れれば共産党政権ができることになるが、可能性があるわけではないし、参議院があるから政治が進まない。しかし、そういうことを僕が言いたいわけではない。自民党が減ればいいのである。もちろん、減って減って過半数を割るなら、それが一番いい。安倍首相が退陣すると言ってるから。でもそこまで減らなくても、大きく減ればいいし、必ず減るはずだと思う。

 僕はもともと第一次安倍政権教育基本法を改悪し、教員免許更新制を導入した時から、安倍首相の危険性をよくよく実感している。だから、安倍首相という人を信用できないのだが、それはこの2年間の安倍政権の運営で証明されたと思う。安倍首相だから、山谷えり子や稲田朋美などという政治家が閣僚に登用されるのである。自民党でも、他の人が首相ならここまで露骨な身びいきはしない。だから、自民党が安倍総裁以外だったら、まだずいぶん耐えられると思う。だから、自民党内で安倍総裁の権威に揺るぎが生じるというのが一番大事なことで、それはこの「大義なき解散」でもう半分ぐらい始まっている。安倍首相の暴挙で、正月を国会議員として迎えられた同志が多数落選の憂き目を見るはずである。

 もう一つ言いたいことは、公明党支持者は一体何を考えているのだろうかということである。「平和の党」の看板を下ろしてしまうのなら、僕に言いたいことはない。でも、集団的自衛権容認を目指す安倍政権にどこまでついて行くのか。比例区で公明党を支持するのはともかく、小選挙区で自民党に入れることは止めたらどうなのか。それで何十人もの自民党議員が落ちたら、今度こそ「公明党の重要性」を自民党が実感するはずではないか。

 2007年の参議院選挙では、当時の安倍首相が予想されていた投票日をあえて一週間遅らせた。2010年の参議院選挙では、当時の菅首相が逆に、投票日をわざわざ一週間早めた。どっちも政権党の負けである。争点の問題もあるが、急に投票日を変えてはいけないのではないか。前から予定していた人は困ってしまう。それでも参院選は7月にやると決まっているが、今回は全く突然で誰も予定していない。赤穂では義士討ち入りの祭りと重なるといって困ってる。NHKは「黒田官兵衛」の最終回が選挙特番と重なるので、どうするかと悩んでいる。中央官僚は予算作成が遅れて年末の休暇が飛んでしまうとガッカリしている。そんな話が出ていたけど、選挙特需で儲かる人もいるわけだけど、大方の人は寒い中で何で選挙なんだと思ってる。「拉致被害者が帰国したら解散する」という予測をする人もいたけど、これで「拉致問題」もまた棚上げだろう。選挙結果を見なければ、「北」も「調査結果」を知らせてくるはずがない。安倍首相の「思い」があるはずの「拉致被害者」でさえ、自分の政権維持のためには「切り捨ててしまう」のである。僕はそう思ったんだけど。
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「健さん」が「テロリスト」だった頃-追悼・高倉健

2014年11月20日 23時25分41秒 |  〃  (旧作日本映画)
 高倉健が亡くなった。1931.2.16~2014.11.10。83歳だった。発表されたのは一昨日で、解散・総選挙という大ニュースがすっかり霞んでしまう結果になった。それがいいのか悪いのか判らないけど。「高倉健」という存在は日本映画に止まらず日本文化のあり方を考えるうえでとても重要な意味を持つと思う。ちょっと遅くなったけど、やっぱり書いて残しておきたい。下の写真を見れば判ると思うが、若いころと晩年の風貌がほとんど変わっていない。
 
 俳優だから演技をして他人になるわけである。その演技力で評価するというのが本当ではないかと思うが、日本では演技力より、「空気」というか「佇まい」(ただずまい)のようなものが大きな意味を持つことがある。出てくるだけである種の雰囲気で場を満たしてしまう。そういう「オーラ」のようなものである。晩年の宇野重吉、大滝秀治、あるいは笠智衆などもそうだったけど、何と言っても渥美清と高倉健。誰でも知ってて、もう画面に出てくるだけで観客をつかむ。もっとも渥美清の場合、寅さんが渥美清か、渥美清が寅さんかという感じになっていたが、現実では渥美清は寅さんではなかった。でも高倉健最後の「あなたへ」を見ると、もう高倉健が「高倉健」を演じているんではないかという段階になっていたのではないか。こういう人は他にいないでもないけど、スケール的には「不世出」のスターなのではないか。「スター」という存在そのものがもうありえないのかもしれない。

 「不器用」で「寡黙」な「含羞」(がんしゅう)の人だが「誠実」で「一生懸命」な男というのが、その役回りである。それを突き詰めると「精神主義」、「一生懸命生きている、それでけで尊い」という感じも出てくる。そうなると何だかそれを利用する人が出てくる気がして、僕は好きになれない。現に文化勲章までもらってしまい、「国民的俳優」視されてしまった。それまで任侠映画のスターというイメージを背負っていた高倉健が、1977年から「超大作」と「名作」に出る俳優になった。205本出た中で、そういう大作期(第3期)の作品は、ちょうど20本である。僕はそのうちの半分ぐらいしか見ていない。「大作」が嫌いだからである。ヒットする大作というのは、社会の中の多くの人共感されるように作られているはずである。そういうものが嫌なのである。

 山田洋次の「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」はさすがに一定の出来になっている。でも僕はあまり好きではない。見直すと、結構トンデモ映画ではないかと思った。「駅」や「あ・うん」などはそれなりに面白かったけど、中国映画「単騎、千里を走る」などは、チャン・イーモウとは思えぬほどつまらない。全部触れても仕方ないので「鉄道員」(ぽっぽや)だけ書くと、撮影で魅了する映画ではあるが、主人公はこんな人間でいいのだろうか。原作が感傷的なメロドラマだから仕方ないが、当時僕はJRから解雇された国労労働者にカンパしていたので、見ているうちに腹が立ってきた。この人は本物の国鉄労働者なんだろうか。自己犠牲の上に築かれる人生に感動してはいけないのではないか。最近も「教師は新入生の担任だったら、我が子の入学式にも出てはいけない」とか大真面目に主張する人がいるけど、そういう「ぽっぽや意識」こそ日本人を不幸にしているんじゃないか。

 僕が映画を見るようになったのは1970年ごろだが、高倉健はその当時東映任侠映画の主演者として、非常に有名だった。しかし高校生が見に行くにはけっこうハードルが高く、また自分でも「遅れた日本」を象徴する映画のように思えて、見たいと思わなかった。では、僕が最初に見た高倉健の映画は何だろうか。もう覚えていないんだけど、アメリカ映画に出演した「ザ・ヤクザ」(シドニー・ポラック監督)か、それとも斎藤耕一の「無宿」(やどなし)だろうか。「無宿」は勝新と高倉健の共演で、フランス映画「冒険者たち」の翻案と言えるが案外面白くない。でも、ヒロインの梶芽衣子が素晴らしく、僕も梶芽衣子を見に行った記憶しかない。となると、同時代作品として見て印象的だったのは、1975年の「新幹線大爆破」ということになるだろうか。

 当時は、名作と言われる任侠映画が名画座によくかかっていた。多分、銀座並木座や池袋の文芸地下(今、新文芸坐のある土地にあった文芸坐の地下にあった日本映画専門の名画座。文芸坐は洋画専門)で初めて見たと思うが、三島由紀夫がギリシャ悲劇と言った「博打打ち 総長賭博」や「明治侠客伝 三代目襲名」には感動した。もっともこれらは鶴田浩二主演。高倉健映画も併映されてて見たように思うけど、あんまり記憶がない。当時は学生運動のよすがが残っていたころで、高倉健がタンかを切ると、画面に向かって「ヨシ!」と大声を上げる手合いが本当にいた。そういう話はどこかで聞いていたけど、ホントにいるんだと思ったものである。

 任侠映画時代の最高傑作は、「日本残侠伝 死んで貰います」(1970、マキノ雅弘監督)だと思う。山田宏一が日本映画ベストワンにしていたから見たかったのだが、僕が見たのはずいぶん後。でも、その後2回以上見たと思う、マキノ監督の長い監督人生の最後の時期の大傑作だと思う。恐ろしげな題名から受けるイメージとは少し違い、老舗料亭をめぐる争いである。料亭の跡取りとして生まれながら、父の後妻に妹が生まれ、家を出て渡世人となる花田秀次郎(高倉健)。この料亭をめぐる乗っ取り争いと家族への思い。自分の幸せを封印して、周りの幸せを願う高倉健のセリフがいちいち心に刺さる。ここにあるのは、自分たちの共同体を守るために「テロリスト」となる主人公である。60年代末から70年代初期の社会変動の中で、高度成長の下で取り残された青年に受けたのもよく判る。

 そのように、やむに已まれず自己を守るために「孤独なテロリスト」となるというのが、この時代の高倉健のイメージである。そういう風に考えると、「新幹線大爆破」で犯行のリーダーとなる工場主こそが一番「健さんらしい」と言えるのではないか。この映画は全体としてはあまり評価しないのだが、犯行のアイディアと高倉健の演技は最高である。「寡黙」で「誠実」な人間が犯罪者となっていくのである。このように高倉健のイメージは、後に「国民的スター」となる前に作られたものから「テロリスト性」を引いたものだと思う。そういう「危険なイメージ」が落とされた第3期の映画は、僕にはつまらない。「世の中に受け入れられない」という主人公でなくては、「暗闇の中で心震わす」ことはできない。 
 
 ところで、今ほとんど触れられないのが、初期の助演作品である。特に内田吐夢監督の宮本武蔵シリーズの佐々木小次郎、「飢餓海峡」の若手刑事、もっと前の武田泰淳原作の「森と湖のまつり」(主演)などは印象が強い。また「人生劇場・飛車角」の宮川、「ジャコ万と鉄」などもいいけど、香港ロケした「ならず者」とか戦争映画「いれずみ突撃隊」なんかのあまり知られていない映画が素晴らしいと思う。なお、「悪魔の手毬歌」では探偵・金田一耕助を演じた10何人かの俳優のひとりになった。

 1965年の「網走番外地」「昭和残侠伝」の大ヒットから、東映を背負う大スターとなる第2期が始まる。「網走番外地」というから北海道かと思うと、シリーズ化されると、「南国の決闘」とか、最高傑作とされる「望郷扁」のような長崎が舞台だったりする。それにしても、「網走番外地」から始まる「北」とか「雪」の「寒いイメージ」が後の第3期で完璧に生かされる。八甲田山で遭難したり、雪の駅で立ち尽くしたり、果ては南極とくる。この寒そうなイメージ、自己犠牲と感謝という高倉健のイメージの表象化でもあるだろうけど、演歌にも「北国」だの「冬景色」とかよく歌われるわけで、日本人の心の底に「北方」にひかれる一面があるのだろう。寅さんは北海道にも何度も行くが、最後は加計呂麻島でリリーと暮らすことを思えば、高倉健のイメージが北方志向で作られた意味は、日本の大衆文化の中で解かれなければならない謎だと思う。でも、ちょっと寒すぎる感じが僕にはしてしまう。
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須賀敦子展と石川文洋展

2014年11月18日 23時28分12秒 |  〃 (美術・音楽等)
 神奈川近代文学館で、11月24日まで須賀敦子展ををやっている。そのことは知っていたけど、会期末が迫ってきて、これは逃してはいけないということで、今日横浜まで行ってきた。
 
 須賀敦子(1929~1998)が亡くなって、もう15年以上過ぎてしまった。イタリア文学の優れた翻訳者として知っていた須賀敦子という人が、「ミラノ 霧の風景」で突然読書界にデビューしたのは、1990年、すでに61歳になっていた。評判になり、一読、並々ならぬ力量に感嘆するとともに、その背景にあるだろう世界の奥深さに恐れを抱いたものである。続いて書かれた「コルシア書店の仲間たち」(1992)では、ミラノにあったカトリック左派の書店を舞台に、後に夫となるペッピーノ(ジュゼッペ・リッカ)との出会い、その家族との深いつながりを描いた。僕はこの作品に深く心を打たれ、何度も何度も読み返した。まるで映画「鉄道員」のような貧しい鉄道員一家に生まれた夫、60年代の熱狂と社会変革への熱い思いを共有しながら、やがて立ち行かなくなるコルシア書店。そしてわずか6年間の結婚生活を残して、あっという間に先だった夫。一度読んだら永遠に忘れられない世界。間違いなく、現代に書かれたもっともすぐれた文章表現だと思う。

 こうして20世紀の最後の10年を須賀敦子を読むことを心の支えにして生きていったわけだが、生前に遺した著作はわずか5作、1998年に69歳で亡くなってしまうとは思いもよらないことだった。「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」を書き、様々な翻訳、特にナタリア・ギンズブルグやアントニオ・タブッキ、そしてウンベルト・サバなどの素晴らしい詩の数々を遺し、あっという間に逝ってしまった。没後にも多くの著作が出ているが、生前の5作の印象が強い。僕は単行本で読み、文庫で読み、さらに全集で読んでいる。今は河出文庫に全集が入っているが、さすがにそこまでは買っていない。でも文庫版全集が出ているくらいだから、須賀敦子を心の糧にしている人は思いの他多いのではないか。今日もかなりの人が来ていたようだったし。

 没後に出た追悼本の中で、夫のペッピーノの姿などには接していたが、今回の展覧会では幼年時の芦屋や夙川(しゅくがわ)の住まいの写真、コルシア書店のあった場所に今もある書店(中のようすはほぼ同じだという)、聖心女子大の卒論、ローマ留学時代の写真、須賀敦子がイタリア語に訳した日本文学の数々(「春琴抄」「陰翳礼讃」「山の音」「砂の女」「夕べの雲」など多数にわたる。)、そして多くの書簡や本などなど、様々な展示物に目を奪われる。まあ、須賀敦子を読んでない人には何の意味もないし、説明のしようもないんだけど。

 神奈川近代文学館は、「港の見える丘公園」を元町・中華街駅からずっと歩いて行く。寒い北風の吹く日だったけど、空は晴れて気持ちがいい。まあ今は「高速道路がよく見える丘公園」だと思うけど。このあたりは東京の学校だと遠足でよく行くところで、僕も何回か行っている。自宅からはちょっと遠いので、あまり個人的によく行くところではなく、近代文学館も堀田義衛展しか行ってないような気がする。手前に大佛次郎文学館があり、前に一度行った。今回は他のところはすべてパス。その横に陸橋があり、「霧笛橋」という。大佛(おさらぎ)の作品名から付けた名前。その先に近代文学館。
    
 丘を下りて、ずっと歩いて地下鉄の日本大通り駅まで。けっこう歩きがいがある。最近、天地真理主演の「虹をわたって」という映画を神保町シアターで見たら、元町あたりに水上生活者がいっぱいいて、そこに家出した天地真理が転がり込むという設定だった。いやあ、70年代初期までそんな生活が残っていたのだろうか。(この映画は初見なんだけど、天地真理は結構ファンだったので楽しく見られた。)元町から中華街入り口を経て、県庁のところまで。県庁前のイチョウが黄葉の初めできれいだった。その角に「新聞博物館」で石川文洋写真展をやっている。石川さんは確か2004年に、都立中高一貫校の教科書問題で集会を開いた時に講演をお願いした。中高一貫化でなくなってしまった都立両国高校定時制の出身である。石川さんのベトナム戦争の写真は、何度も見ているけれど、同時代の沖縄の写真も展示されている。12月21日まで。この新聞博物館は一度は行っておきたい場所で、なかなか勉強になる。横浜に行ったら是非。
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心打つ映画「ショートターム」

2014年11月17日 23時25分51秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ショートターム」という映画を見た。あまり大規模な公開ではないし、キャストもスタッフも有名な人はいないので、知らない人が多いだろう。11月15日公開で、公開直後の映画を見ることは少ないんだけど、是非見逃したくない映画だったのでさっそく見に行った。心打つ映画で、現代の日本で是非見て欲しい映画。見逃し禁止。(特に教育や福祉を志す若い人に是非。)
 
 原題は“SHORT TERM 12”で、なんだかよく判らないけど、これは12カ月を期限とする短期の児童保護施設というか、親と暮らせない子供たちのグループホームのことである。もっとも事情により12カ月を超えて在籍する子どもも多いという話がプログラムに出ていた。そこの様々な子どもたちと、スタッフの事情が細かく描かれる。児童虐待と、その心の傷が残り続ける様子を非常に心に残る形で映像化していると思う。監督はデスティン・クレットンという人で、これが2作目。実際にこのような施設で働いた経験があり、その時のことをもとに短編を作り、認められて長編映画にしたという。

 
 映画の中心は、グレイス(ブリー・ラーソン)という女性スタッフとメイソン(ジョン・ギャラが-・Jr)という男性スタッフ。二人とも20代で、一応周りには公言しないけど、付き合っている。この二人が子どもたちと関わりながら、自分たちの問題とも向き合う。こういうように、子どもたちだけでなく、若い世代のスタッフの悩みも等身大に描くという構成は、とても貴重なのではないか。そう思って、この映画を見てみたいと思ったのだが、実はこの二人も壮絶な過去を抱えているのだった。だから子どもたちの悩みもよく判るのだろう。絶妙な距離を保ちつつ、子どもたちに関わり続ける。

 18歳になり施設を出ていく時期が近づき荒れているマーカスという黒人少年。メイソンはある日、彼の作ったラップを聞かせてもらう。また所長の知り合いから預かる15歳のジェイデンという少女は、最初は全く心を開かない感じである。グレイスは彼女と関わる中で、自分の過去とも向き合う。ジェイデンが作った「タコと鮫」の童話は、見たら一生忘れられない強烈な哀しみに満ちている。これらの素晴らしいシーンは絶対見る価値がある。毎日毎日何かが起きるような施設の中で、そうした子供たちの様子を見守る。精神的にも肉体的にも大変な仕事であるが、彼らはユーモアと協力で乗り切っていく。スタッフ二人の関係がどうなっていくかは、映画で見てもらいたいので、ここでは語らない。

 僕がこの映画を見たのは、間違いなく「テーマ性」のため。そして、大変ためになった。人間の心の奥にあるもの、それは闇でもあるけど光でもある。これは若い人のための映画である。同世代の10代の若者も、また教育や福祉を志す若者も。いわゆる「映画ファン」「映画マニア」のための映画ではなく、もっと直接にこの映画を必要としている人に届くといいなと思う映画。だから、見て感想を書いているけど、大都市でないと公開されない感じだが、どこかでチャンスがあれば是非見て欲しいし、若い人に薦めて欲しい。見れば必ず何かを感じるだろう。日本でもこういう映画を作って欲しいな。虐待は他人ごとではない。親や関係施設や社会一般を非難していれば済むという問題ではない。自分ならどうするか。ここまで真っ直ぐ関われるだろうか。
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沖縄知事選の結果を考える

2014年11月17日 21時45分22秒 |  〃  (選挙)
 11月16日に、今年の日本で最も重要な選挙である、沖縄県知事選挙が行われた。これは「一種の住民投票」であり、スコットランドやカタルーニャなどの「独立を問う投票」、あるいはウクライナの議会選挙などと同じような世界史的意味を持つように思う。結果は皆の知るごとく、辺野古移設反対派翁長雄志氏が勝利した。

 現職の仲井真弘多知事は昨年の辺野古埋め立て承認以後、沖縄県内で支持率が非常に下がっていたから、この結果自体は「多くの人の想定するところ」である。しかし、両人の他に、下地幹郎、喜納昌吉の両候補が出馬し、特に下地氏は一定の支持基盤を持つので、「仲井真+下地が翁長の得票を超えるかどうか」が最大の焦点になっていた。県内の首長の多くは保守系なので、安倍政権は最後の最後まで圧力をかけ、「仲井真氏、猛追」という予測もあった。(それでも「翁長氏、優勢」という予測は一度も覆らなかった。)結果を見ると、翁長氏が有効得票の51.6%を獲得し、全体の過半数を得たのである。(なお、同時に翁長氏後任を選ぶ那覇市長選、及び那覇、沖縄、名護で県議会議員の補欠選挙が行われた。県議補選は本土紙が全く報じないので、ここで結果を紹介しておく。那覇と名護では、反自民候補が当選し、沖縄市では自民公認候補が当選した。)

 市部も郡部も翁長氏が仲井真氏を上回っているが、県選管発表の数字を細かく見ていくと、すべての市町村で翁長氏が第一位ではないことが判る。まず、宮古島市だが、ここは下地氏の生地で一定の支持基盤を持っている。下地 9275 仲井真8826 翁長6879 と翁長氏は三番手になっている。他にも石垣市で仲井真市が一位、票数が少ない地域だけど、竹富町、与那国町、北大東村、南大東村など宮古、八重山を中心に沖縄本島から遠い離島地区で仲井真支持が多い。これらの地域では、中央政府への期待のようなものが大きいということだろうか。

 まあ、そのように細かく見れば、難しい構図を見えてくるわけだけど、基本的には「辺野古移設問題」に対する県民の意思がはっきりしたと言えるだろう。自分の意思で県内に米軍基地を新設することは認められない、沖縄県の住民には自由な意思決定ができないのか、ということである。普天間基地の危険性は重大で、一刻も早い「解決」が求められている。それは「普天間基地」の「移設」ではない。それが県民の意思だということだ。仲井真氏は安倍政権の沖縄への経済政策と引き換えのように、辺野古埋め立てを容認したと受け止められた。これが沖縄県民の「怒り」「疑問」を呼び、仲井真氏の支持率が急激に下がった。もともと保守系の翁長氏が出馬を決意したのも、「オール沖縄」の心を結集するためである。翁長氏が「(自分は)保守は保守だが、ウチナーンチュ保守」と言っていた。

 これは言うならば「沖縄ナショナリズム」である。沖縄の問題は、保守、革新の争いを超えた新しい段階に入ったのではないか。自分たちの意向を聞かずに、日米で決まった政策を押し付けるだけなら、これは「沖縄差別」だという訴えである。その訴えは非常に重く、僕は軽々に「翁長勝利」を党派的に喜ぶことができないものを感じている。しかし、本土の反応は非常に鈍い。驚くべきことに、沖縄知事選の結果が一面トップではない新聞もあった。安倍政権は沖縄の世論に向き合うことなく、解散に踏み切りそうである。一種の「沖縄知事選隠し」のような事態が本土にはある。
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化けの皮はがれる前に総選挙

2014年11月17日 00時07分58秒 |  〃  (安倍政権論)
 安倍首相が衆議院を解散、総選挙に踏み切るという観測が広がっている。ほんの二週間前にはそんな話はほとんどなかったけれど、今は各マスコミが既定の事実のように報じている。首相本人は、APECからG20へと外遊で首脳外交を繰り広げていて、「国内では憶測に基づく動きがある」などと言っている。きっぱり否定しないんだから、本人もその気なんだろう。僕がそう考えるのは、中国での記者会見で「解散の時期・タイミングは何ら考えていない」といった発言をしたときである。解散の時期は考えていないというのだから、解散の日は決めてないけど、解散はありうると言ったのと同じではないか。そういう政界用語を使ったわけで、僕はこの時解散する気だと思ったものである。

 臨時国会で「重要法案」だったはずのものも、成立断念や成立が不安視されている。今さら解散すると言ったことはないと逃げたら、党内求心力が落ちるから、もうやるしかない段階ではないかと思う。僕には「殿、ご乱心」としか思えないけど、誰も止める人がいない。「解散は首相の専権事項」などというけど、国民の人心が選挙を求めていると判断するのか。「党利党略」の選挙だと国民が判断した時、どのような結果になるか。「国民世論への畏れ」がないのだろうか。

 「消費税再増税を先送りする」判断をして、それを国民に問うとか言ってるようだが、僕ならずとも「解散する理由になるのか」と疑問に思うだろう。大体、消費税再増税の判断は12月に下すと言っていた。その時はもう臨時国会が終わっているから、国会で議論できないのかと批判されていた。7~9月期のGDP速報値は17日に発表されるが、それではなくGDP改定値(速報値に反映できなかった統計データを追加して修正した数値)が、12月8日に発表されるので、それを待って決断するという話だったのである。まだ各界の意見聴取も終わっていない。

 大体、大方の人が知っているように、法律の附則に「景気条項」が付いていて、再増税を先延ばしすることは当初より考えられていたことで、政権の判断で決めればいいことである。再増税を延期すれば、野党は「アベノミクスの失敗だ」「国民に信を問え」と言うだろうが、どんな問題でも大体そういう訳である。「集団的自衛権容認」や「原発再稼働」は国民に問わないのか。しかし、国民からすれば同じである。こちらの方で、集団的自衛権や原発を争点化していけばいいだけのことだ。

 アベノミクスは成功しつつあるし、集団的自衛権の限定容認で「日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」んだそうだ。そうだったら、来年になって集団的自衛権を法制化し、日本経済がもっとよくなった時に総選挙すれば良さそうなもんだ。それが「支持率がこの後下がるしかないから、今のうちに選挙してしまおう」と言うんだから、「アベノミクスは失敗する」「集団的自衛権はやっぱり危険だ」と「自白」したようなもんだと僕は思う。

 確かにこの時期の選挙を予想してなかったから、野党の態勢は整っていない。だから、今やってしまおうでは、勝っても価値がないと僕は思う。圧倒的多数を誇る自民党は「横綱」ではないか。それなのに「横綱相撲」を取らずに、横綱が変化しようというんだから、もうその時点で「首相の権威」は落ち始める。ちょっと前まで、安倍長期政権に耐えるしかないのかと思われていたわけだが、この総選挙をきっかけに「安倍政治の終わりの始まり」はやってくる。また、そのようにしなくてはならない。

 ここで、データをいくつか確認しておきたい。衆議院は小選挙区と比例代表区に分かれるが、300あった小選挙区は次回から295に削減される。その削減区で自民がどのように調整するか判らないので、一応「300」で考えることにする。自民が出ずに公明党が当選しているところが「」ある。だから、自民党は「291」の小選挙区に立候補した。当選したのは「237」である。小選挙区だけで、自公が過半数を取ったのである。ところで、自民が小選挙区で落選したところでも、ほとんどは比例区で当選した自民党で当選した議員がいない小選挙区は全国で11あるが、そのうち10が近畿ブロックである。他では、千葉4区の野田前首相のところだけ。首都圏では民主党の枝野幹事長、長妻元厚労相、江田「維新の党」共同代表や、浅尾「みんなの党」代表などが小選挙区で勝利しているが、いずれも自民の対立候補も比例で当選した。

 今、民主党や「みんなの党」、「維新の党」などで「選挙協力」という話が出ている。「野合」に見えなくもないけど、とにかく自民党はほぼ全選挙区で候補がいるわけである。しかも自民党は120人もの新人議員がいる。2年しか経っていないから、今回引退する議員も少ないはずである。野党の方で、自民党に「押しかけ連立」したくても、自民も小選挙区で受け入れることができないのである。事情がちょっと違うのは、大阪を中心とする近畿ブロックで、前回は「日本維新の会」が第一党だったのである。あおりを受けて、大阪では7つもの小選挙区で自民党候補が比例当選もできなかった。(大阪の小選挙区は、維新12、公明4、自民3と維新が圧勝した。)この「大阪の維新勢力はどうなるか」は全体情勢に大きな影響を与える可能性がある。今回、橋下、松井両氏が立候補するかどうか。ある意味では「行き詰る大阪都構想」からの「逃げ場」を与える意味があるのかもしれない。

 衆院選比例区の得票を見てみると、
 自民党は2005年の郵政解散選挙で、2588万を得た。2009年は1881万、2012年は1662万。
 2012年は自民が大勝利したわけだが、得票は民主党が勝った2009年よりずいぶん少ない。投票率が低かったのである。
 参院選を見ると、2007年が1654万、2010年が1407万、2013年が1846万である。時々の民主党の得票により、勝利したり敗北したりするけど、小泉時代の勢いは安倍首相になって回復したわけではない。安倍首相は支持率こそ下がっていないけど、「弱い支持」「他にいない」「近々選挙も自民総裁選もないから、他に代わる人もいない」という支持がある程度あると思われる。もちろん右翼的な首相の政治姿勢を断固支持して首相のFacebookに支持するコメントを書き込むような人も多いだろうが、全体としては決して多数派ではないだろう。あんまり突然の選挙で、自民支持層がどこまで動員できるか。「道徳」のことももう一回書きたいのおだけど、とりあえず、総選挙問題の一回目。
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「道徳」は評価できるのか-道徳「教科化」問題③

2014年11月14日 22時33分38秒 |  〃 (教育行政)
 道徳の「教科化」などということにでもなれば、一番困るのは「評価」の問題である。道徳は果たして評価できるのか?その本質的な問題は後で検討するとして、とりあえず文章であれ何であれ「評価」しなければならなくなったとする。そのときはとんでもなく大変な事態が起きるだろう。つまり、全学級担任が関わっているのだから。学年生徒を何人かの教師で分担して教えることがある。4、5クラス規模ぐらいだと、学年を一人で持つことも可能だけど、大規模校だとそれはできない。また、社会科で歴史分野と地理分野を分けて担当するような場合もある。そういう場合、「評価」が教員ごとに大きく違ってはまずい。だけど、普通の教科であれば、定期テストの点数という一番基本になるものがある。そこに提出物や授業中の意欲などを加味すれば、大体「統一基準」が出来てくる。

 ところが「道徳」の場合、テストにはなじまないし、作文等の採点も教員ごとに基準がずれてきやすい。何しろ全担任が関わってくるので、「あの先生は厳しい」「あの先生は甘い」となってはまずい。基準をどうするか、その基準に沿って実際にどう評価するか。ものすごく多大な校内研修と作業時間が必要になるのは、目に見えている。生徒に道徳を説くはずが、生徒と接する時間が削られ会議と資料作成に追われることになるだろう。そのことに対する行政の配慮はできるのだろうか。

 その配慮とは何かと言えば、一言で言えば「教員定数の加配」である。つまり、担任が担当する時間とされていた道徳が、一つの「道徳科」という教科になったならば、教員定数を計算する際の「持ち時数」にならないとおかしいのである。そうでなければ「教科」とは言えない。「教科」にすると言っているのは教育行政の方なんだから、「道徳」を「担当授業時間数」に加えなければおかしい。そうすると、例えば6学級規模の中学校の場合、18時間の授業が新規に増加するわけだから、当然その分の教員が一人加配されなければおかしい。小規模校の場合は一人分にはならないかもしれないが、「道徳」分の講師時数増加が認められるべきである。それが「教科化」というもんでしょ。

 だけど、小学校1年生の「35人学級」にさえ文句を言う財務省の壁を、文部官僚が突破できるわけがない。結局、担任が負担を押し付けられるに決まっている。その時は教員こぞって反対するべきだけど、それも考えがたく「ま、仕方ない」程度になってしまうと思われる。で、どうなるかと言えば、校内に作られる「道徳教育委員会」などが「モデル評価文章例」を作成し、通知表作成時にパソコンで「コピペ」していく。または道徳評価の文章例が入ったソフトが開発され、それを統一して用いる。担任に多少裁量の自由があるだろうが、基本は学年で3つか4つのパターンに収まる文章が作られていく。そんなことではないか。確かに今までよりは手間がかかる。でも、まあ、そのくらいならいいかという範囲になってくる。そうでなければ現場はやっていけない。名前だけ「教科」になるが、だから一応文章評価はするけど、限りなく意味なき作業になっていく。思えば、ほとんどの学校で「総合的な学習の時間」も、そんなもんでしょ

 ところで、「道徳は評価できるのか」という本質問題に移る。中学、高校の教員免許は大学で「教職課程」を取るのが一般的だろう。その際、教科教育に関する教育と別に、教職に関する科目を取らないといけない。「教育原理」とか「教育心理学」などに加え、今では生徒指導やカウンセリングなどの授業もある。その中に「道徳教育の研究」とか「道徳教育指導法」といった講座があり、それを取らないと中学の免許が取れない。だから普通は中高の免許は両方持っているものだが、一部に高校の免許しか持たない教員もいるのである。

 僕の場合、その講義では「道徳は評価しない」「評価しないから道徳の授業が成り立つ」と教えられたものである。担当教員によって多少は違うかもしれないが、大方は「道徳は評価しないんだ」と教えられたと思う。「評価しない」のは、「評価できない」からである。それはもちろん、前回書いたような道徳で扱ういくつもの項目を解説することはできる。それを適切な題材を用いて、生徒に説得力をもって指導することもできるかもしれない。でも、しょせんは教師も人間、生徒も人間で同じ地平に立っている。「先生」と言われて、確かに「先に生まれている」けれど、だから「人生の先輩」として経験や知識は生徒より豊富だろうけど、生徒に求められる道徳は本来は教師にも求められている。だから、他の教科学習と違い、「教師も生徒も同じ立場で道徳を考える」のであり、確かに授業の進行ではリーダーシップを発揮するけれど、評価はできないのである。

 具体的に一つの項目を示す。「1の4」に「真理を愛し,真実を求め,理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていく」という文章が書いてある。これが人生において大切な教えだというのは、まあ大方の人が納得するだろう。「このことの大切さを理解できたかどうか」なら評価できないこともないだろう。でも、この文章を生徒と一緒に読んでみて、その生徒を「道徳」という教科で評価できると言える教師、あるいは親はいるだろうか。ほとんどの大人は子どもが勉強や部活動などでコツコツ努力する姿を見ていれば、自分の今の姿より立派だと思うのではないか。「理想の実現を目指して自己の人生を切り拓いていく」?ホントは他の仕事に就きたかったのに教師をしている自分の人生は何だと思う人も多いだろう。こんな「道徳」を教えて、生徒を評価できるなどと言える教師がいるだろうか。

 なぜ「道徳」の評価はしなかったのだろうか。「修身復活」への反発に対応して、戦前とは違い「評価はしない」という形で導入したという経緯が大きいだろう。が、それだけでなく、日本国憲法のもとでは「国家は国民の内面に介入しない」ということが大きいのではないかと思う。外形的な規制はできないことはない。デモを申請しても、公共の福祉の観点からデモの進路を変更させられることもありうる。しかし、その際に、デモの趣旨そのものを取り締まるわけではない。学校もまた、服装や頭髪の決まりを作ることはできる。そのルールを守らない生徒を指導することもできる。しかし、その生徒を「道徳的に劣っている」と評価してしまうことはできない。まあ、そういうロジックなのではないか。

 「道徳教科化」に伴い「道徳の評価」をすることになると、それは大変なことになると判るだろう。教師に生徒の内面評価の権限を与えることになる。それは「教師の内面」の方も腐敗させていくに違いない。「善なる目的」でそういうことを始めたとしても、教師が生徒を道徳的に評価できるんだったら、生徒が生徒を道徳的に評価してもいいではないかなどと思い込む生徒も出てくるだろう。「暗くて、遅くて、集団に迷惑な生徒」は、道徳が指導すべき「4の4」にある「自己が属する様々な集団の意義についての理解を深め,役割と責任を自覚し集団生活の向上に努める。」から見て問題がある。よって、道徳的に劣った生徒は「クラス皆で引き上げてあげる」べきである。これは実際は「皆でちょっかいを出す」という意味である。こうして、かえって「いじめ」は増加してしまう。そんなことはないか。

 「道徳教科化」のあかつきには、全国の様々な小中学校で、「道徳の評価法」に関する「研究」が盛んになるだろう。文科省や都道府県教委指定の「道徳教育研究校」がいくつも生まれる。かつて、大津市でいじめ事件が起きた中学は直前に「文科省指定道徳教育研究校」になっていた。僕もかつて、道徳研究校の直後に「荒れ」を経験したことがある。不思議というか、当然というか、教員が「道徳」を勉強する学校で問題が起こりやすいのではないか。偶然かも知れないが。でも、目の前の生徒を置き去りして、会議ばかり必要になるんだから当然かもしれない。特に「道徳」は全教員が関係するし、内容が内容だから、研究発表の論文などでも指導主事からのチェックが厳しい。正直言えば、生徒指導に手が回らない時もあるだろう。対応が後手後手になってしまうこともある。「道徳教科化」の果てに、かえって学校と教師の荒廃が起きる…という悪い予測をしてしまうのは僕だけではないだろう。
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