尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

業績なき史上最長の安倍政権

2019年12月30日 22時34分11秒 |  〃  (安倍政権論)
 2019年11月20日、安倍内閣が史上最長を記録した。2886日である。何と何と、1年で退任した1期目を覚えている人は、まさかこんな日が来るとは想像も出来なかっただろう。それにしても安倍首相の業績は何だろうか。よく思いつかないんだけど…。5年間だった中曽根康弘小泉純一郎両首相は、良きにつけ悪しきにつけ、もっと強烈な印象を残している。それに比べて、長い内閣になると「業績」を思い出せない。以下の4人が任期が史上1位から4位の首相だが、名前を言えるだろうか。

 左から、安倍晋三桂太郎佐藤栄作伊藤博文である。この4人には共通点がある。それは山口県出身ということだ。桂太郎は陸軍出身で、日露戦争時の首相である。戦争前後は変えられないので長くなったが、顔を見ても名前を判らない人の方が多いだろう。佐藤栄作は「日韓国交正常化」「沖縄返還」が実現した時の首相だが、今に残る問題を残したとも言える。伊藤博文は名前は一番知られているだろうが、首相じゃない時の出来事の方が重要だろう。首相任期歴代順位は以下の通り。

 安倍内閣復活より、すでに7年。その間何をしたのか、よく判らない。取りあえず「景気はそこそこ回復した」かもしれないが、これは首相の業績か。リーマンショック(2008)と東日本大震災(2011)による大規模な景気縮小の後に、東京五輪誘致とトランプ政権発足があった。アメリカでは株価が史上最高値を更新しているんだから、日本の株もあがる。だが米中貿易摩擦が報じられると一気に下がる。その繰り返しみたいな株価変動で、安倍政権の政策によって経済が活性化したと思えない。
(史上最長任期を迎えた安倍首相)
 それより日銀による「異次元の金融緩和」によって、2年間でデフレを克服し2%の物価上昇率を実現するとかいう話はどうなった? もう僕はそんな物価上昇も困るんだが、それはそれとして全然実現せずに先送りじゃないか。日銀も誰も責任を取ってない。実現しなければ辞めるとか言ってた人がいたはずだが。「天皇代替わり」「五輪」があってムード的に忘れられてるけど、つまりは「アベノミクス」は当て外れだったということか。

 消費税は安倍政権下で5%から10%に上昇した。しかし、それは是非はともかく、野田前政権下の「三党合意」によるものだ。沖縄では度重なる民意表明を押しのけて強引に進めてきた辺野古埋め立ては軟弱地盤とかで10年延びるとか。元々は「普天間基地の返還」問題なので、非常に危険な米軍基地をそのままにしておくのか。鳴り物入りで整備するとかいう「IR(統合型リゾート)」、つまりはカジノだが、実現どころか早速怪しいカネに手を出す与党議員が現れたとは恐れ入った。

 外交に目を向ければ、拉致問題を解決するというのはどうなってるのか。ロシアのプーチン大統領とは何度も何度も会っていて、「平和条約の締結」、つまりは北方領土問題の解決を目指しているということだった。外交は相手があることだから、一概に政権の責任とも言えない場合もあろうが、トランプ政権に従う姿勢ばかり思い出されて、近隣諸国との関係は悪化した印象だ。トランプとゴルフをするのを「業績」と呼べるなら、それこそが安倍政権の最大の業績かもしれない。

 この間、「特定秘密保護法」「安保法制」「共謀罪」を強行し、保守の首相取り巻きからすると「業績」なのかもしれない。だが、これらは「法の整備」なので、そのこと自体で社会がすぐに変化するわけではない。「いざというとき」のために「政権の武器」を整備するもので、それは「業績」とは呼べないだろう(政権支持の立場からしても)。安倍首相は「地方創生」「一億総活躍」「女性活躍社会」「希望出生率」だの判ったような言葉を散々並べてきたが、どれも実現しないどころか悪化したとしか言えない。

 こうなってくると、「業績が上がる」=「政権の終わり」とでも思って、第4次政権は「天皇代替わり」と「東京五輪・パラリンピック」をそこそこ無事に終えればいいと思って、特に業績を上げる気もないんじゃないかとさえ思える。そうとでも考えないと、全然後継者を育てる意思がないのが理解出来なくなる。いろんな課題が「先送り」されている。官僚の世界は、ほとんど「忖度」になってる感じで、「虎の威を借る」とでも言うように、官房副長官や首相補佐官ばかりが力を振るっている。

 最大の失政は、麻生財務相を切れないことだ。国際的に問題となる「失言」を繰り返してきたが、特に2018年には「森友文書改ざん問題」が起きた。同時に財務次官によるセクハラ問題が発覚し、麻生大臣は「セクハラ罪という犯罪はない」とか問題発言を繰り返した。いくら何でも責任を取るかと思ったら、今も居座っている。いくら批判されても、部下が大問題を起こしても、一切関係なくポストに居座る姿を見せられてきた。その「無責任」が社会を害する度合いは非常に大きい。安倍氏は権力維持のため「泣いて馬謖を斬れない」のである。権力構造内部の人間だけしか頭にない。

 自分から辞表を出した下っ端大臣は辞めるけれど、政権維持に必要な麻生、菅、二階は代わらない。いくら問題が起きても、失言しても、ずっと続ける。これでは、ただ単に「長期政権維持そのものが自己目的化」していると言われてもやむを得ないと思う。日本全体も「改元」「五輪」で2年間浮かれて貴重な時間をロスしそうだ。安倍政権は「岩盤の支持率」を誇ってきた。今の権力構造をそのままにすることに利益を見出す人がいるということだ。しかし、そうそろそろ、自民党支持者も、野党支持者も、政治に無関心な人も、「安倍政権の終わらせ方」を真剣に考えないと大変なことになるだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥田英朗「罪の轍」、1963年の東京ミステリー

2019年12月29日 22時43分39秒 | 〃 (ミステリー)
 トニ・モリスンをやっと読み終わって、ようやく年末のミステリーに取りかかった。ミステリ-の記事もヒットしないんだけど、自分が好きで書いてる。奥田英朗の「罪の轍(わだち)」は、多くの年末ミステリーで上位になっている。まさに「オリンピック直前」の東京の変貌を背景に、格差や虐待などを織り込み、多面的に犯罪と警察を描き出した巨編だ。587ページもあるが、長さを感じずにひたすら読みふける。北海道の礼文島東京の下町(南千住、浅草、上野など)を結ぶ構想力が素晴らしい。

 東京五輪直前というのは、もちろん前回の五輪。1963年の東京はあちこちで建設工事が行われ、日々変化している。国立競技場は完成しプレ五輪が実施されている。新幹線や代々木体育館の工事はまさに進行中。警視庁でも、昔ながらの警官が多い中、大学出の警官が捜査一課に配属されるようになった時代だ。落合昌夫はそんな期待に応えるべく張り切っている。明治大学剣道部出身だということが捜査に生きてくる場面はとても印象的である。

 一方、その前に冒頭では礼文島が出てくる。ニシンが突然不漁となり、かろうじて昆布で持っている。昆布漁師の見習いをしている二十歳の宇野寬治は、周りから「莫迦」(バカ)と呼ばれて下に見られている。記憶が長く持たず、何事も続かない。集団就職で札幌に勤めたものの不祥事を起こしクビになる。礼文に戻っても、母も冷たい。再び空き巣を繰り返し、やがて東京に出たいと思っている。そんな宇野寬治がどうやって島を出て、東京へ行けるのか。

 ある日、荒川区の南千住時計商が殺される事件が起きる。事件を捜査するが、真夏の昼間で証言が得にくい。子どもなら何か見ているんじゃないかと話を聞くと、林野庁の腕章をした男という証言が相次ぐ。それが北海道から抜け出た宇野寬治らしいということになり、落合たちは礼文島まで捜査に出張する。もちろん飛行機は予算上使えない。列車で青森へ、青函連絡船に乗って札幌へ。そこから稚内を目指す大変な旅行である。電話やテレビがようやく一般家庭に普及してきた時代だ。そんな世相が事細かに描かれ、時代の空気を濃密に再現している。

 もう一人、山谷で簡易旅館を営む家の長女、町井ミキ子を通して、山谷の状況が出てくる。町井一家は朝鮮人だったが、ヤクザの父が警察で死亡し、以後母は大の警察嫌いとなっている。その後、日本に帰化して旅館業を続けているが、弟はヤクザの下っ端になってしまった。ミキ子は商業高校を出て、一般会社に就職をしたかったが、家庭環境からかどこも採用してくれなかった。今は家の手伝いをしながら税理士を目指して勉強している。山谷のヤクザや左翼活動家などの関わりが、この小説に単なる警察小説を越えた社会的視野を与えている。

 時計商殺しの捜査が続く中、浅草の豆腐店の子どもの誘拐事件が発生する。落合たちは誘拐事件の捜査に回され、被害者宅に詰めたりする。まだ「逆探知」も出来なかった時代である。ところが、この事件でも宇野寬治が子どもたちと遊んでいたという証言が出てくる。宇野が犯人なのか。それにしても、宇野寬治はどこにいる? ミキ子は珠算教室で被害児童の姉を教えていた。一方でミキ子の弟は宇野と知り合い、仕事を見つけてやったりしたようだ。弟も事件に絡んでいるのだろうか。

 事件についてはこれ以上書かないが、途中から宇野寬治の特異な生い立ちが重要な意味を持ってくる。継父から虐待されていたのだが、最近のケースでもそのような例があった。そして彼は空き巣を繰り返しても、罪の意識を全然持たず、記憶も時々飛んでしまうようになった。このような犯人像は60年代的ではなく、むしろ21世紀的だ。果たして60年代初期の警察は、彼にうまく対処できるのだろうか。

 後半に出てくる「吉夫ちゃん誘拐事件」は、当時を知っている人ならすぐ判るように「吉展(よしのぶ)ちゃん事件」をモデルにしている。1963年3月31日に、東京都台東区入谷の4歳児が誘拐された。日本初の「報道協定」が結ばれた事件である。身代金を持ち逃げされながら子どもの行方が判らず、警察が大きく批判された。犯人からの電話録音を公開し、警視総監がテレビで犯人に呼びかけるなど、実際の事件と小説は基本的に展開が共通する。この事件の経過は簡単に調べられるから、ここでは書かない。電話が逆探知できるようになったのも、この事件以後。非常に大きな影響をその後に与えた事件で、当時小学校低学年だった自分はよく覚えている。

 僕はかつて訪れた礼文島がすごく気に入って、数年後にもう一回旅行した。風景の美しさは変わらないだろう。東京の南千住に話が飛ぶと、こっちは毎週何度も通り過ぎている。北千住にあったお化け煙突もチラッと出てくる。山谷や浅草の内情はさすがによく判らないけど、東京東部の事件なので何となく土地勘がある。ミキ子が出た商業高校はどこかな、台東商業の可能性が一番高いかななんて考えながら、ずっと読みふけった。前回五輪の頃は、東京はまだこのレベルだったのか実感出来る。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケン・ローチ監督「家族を想うとき」を推す

2019年12月27日 22時29分23秒 |  〃  (新作外国映画)
 映画を見るも見ないも自由だし、何を見るかも好きにすればいい。年末年始なんだから楽しく見られる映画を見たい人が多いだろう。でも「世界のいま」を考えるために、イギリスのケン・ローチ監督の新作「家族を想うとき」を見て、是非多くの人にもこの映画を見て欲しいと思った。この映画を見ても何だかユウウツになってしまう。結論は出ないし、どうして世界がこうなってしまったか考え込んでしまう。そんな映画だけど、東京では上映館が広がっている。ミニシアター系だけど、けっこう入っている。

 ケン・ローチ監督は前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」でカンヌ映画祭パルムドール、キネマ旬報外国映画ベストワンに選ばれた。「新自由主義」的な現代社会で人間の尊厳が奪われている様を圧倒的な迫力で描いた感動作だった。「家族を想うとき」は、映画的な完成度では前作に及ばないかと思う。(実際、2019年のカンヌ映画祭では無冠に終わった。)しかし、「家族」を見つめる視点、「独立自営業者」という労働業態など、非常に身近なテーマを扱っていて、他人事に思えない。

 ニューカッスルに住むリッチーアビーの夫妻には、セブ(男)とライザ(女)の二人の子どもがいる。様々な建築現場の仕事をしてきたリッチーだが、現場仕事は大変で子どもを養うために、今度は宅配ドライバーになることにした。会社に雇われた労働者ではなく、会社と契約したフランチャイズの独立自営業者になるという。しかし会社による厳しいノルマ管理があり、配達時間厳守も求められる。自分で車を買うか、会社の車をレンタルするか迫られ、高いレンタル代を避けるため大きな車を買った。

 妻のアビーはホームヘルパーをしていたが、夫の車を買うために自分の車を売る。その後はバスを乗り継いで、幾つもの老人家庭を掛け持ちする日々が始まる。リッチーの仕事はやってみれば時間とノルマに追われる重労働で、最初は頑張っていたが次第に無理が重なるようになった。セブが学校をサボりがちで、問題を起こす。突然学校から呼び出されても、リッチーは仕事を抜けられない。警察沙汰になったときは、さすがに仕事を放って駆けつけるが、制裁金を課せられる。
(父の仕事に付き添ったライザと)
 宅配と介護でイングランドの幾つもの家庭の状況が見えてくる。どこも孤立していらだっている。夫も妻も疲れてしまい、子どもも荒れてくる。そんな家の救いだった一番下のライザだったけど…。しかし、これはただ外国の問題だとは思えない。日本でもコンビニ店主は自由がないのに「独立自営」だとされてしまう。「ウーバーイーツ」ではまさに同じような問題が生じている。そんな中で家庭がバラバラになってゆくのを、彼らは止められるのか。その苦闘に共感しつつ、涙を禁じ得ない。

 現代社会はいつからこんなシステムになってしまったのか。原題の「Sorry We Missed You」は、宅配業者の「不在通知」のことである。日本でも留守中に宅配が来た場合、通知の紙が入っている。いつ再配達すればいいかを知らせて欲しいと書いてある。昔は日本でも隣の家に預けるというのが普通だったが、今はそれはほとんどなくなって、再配達だろう。「すみませんが、あなたがいなかったので」ぐらいのニュアンスで、その下に「隣家にあずけてあります」とか「改めて配達します」とかに○を付けて投函している。原題はその通知の上に書いてある文言なんだけど、それだけでなく「我々の社会」が「マジメに働いているあなたがた」を見失って、申し訳ないという含意もあるんだろう。
(ケン・ローチ監督)
 ケン・ローチ(1936~)は、60年代末の傑作「ケス」などから、現在まで一貫して社会の中の弱き者に寄り添い、権力の不正を追及する映画を作ってきた。闘争の映画ばかりではないが、鋭く歴史を見つめた映画に傑作が多い。カンヌ映画祭でパルムドールを取った「麦の穂をゆらす風」と「わたしは、ダニエル・ブレイク」がやはり最高傑作だろう。そこまでの傑作ではなくても、現代社会について考えさせ、イギリス労働者の生活が判るから、ずっと見続けてきた。現代世界でも最も偉大な映画監督の一人だ。

 そんなケン・ローチによりによって、フジサンケイグループの「高松宮殿下記念世界文化賞」なんていう賞が与えられたことがある(2003年)。ケン・ローチは賞の背景を知った上で受賞し、イギリスの鉄道民営化を批判し、賞金を日本の国労争議団にカンパしたものだ。サッチャー元英国首相が死去した際には、「彼女の葬儀は民営化しよう。競争入札にして、一番安い応札者に決めよう。彼女はそれをこそ望んだろう。」と述べた。日本で新自由主義的改革を進めた中曽根が死んだ時に、これほど痛烈な言葉を発した人がいただろうか。ケン・ローチはまさに「筋金入り」である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八甲田山-日本の山⑫

2019年12月25日 22時43分34秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 毎月書いていても、あまり読まれてない「日本の山」シリーズだが、自分じゃ珍しく書いてて楽しい気分になる。思い出を書いてるだけだからかもしれない。まだまだ2年ぐらいは続けられそうだ。前回が北海道の幌尻岳だったので、少し南へ行って、今回は東北北部の八甲田山。ここは80年代半ばに初めて行ったが、山や温泉の初歩としては最高の山域だと思う。標高がそんなに高くないのに、緯度が高いから本州中部なら3千m級の植生を見られるのである。そして八甲田ロープウェーがあるから、登山しない人でも山岳ムードを楽しめる。広い山域のどこを歩いても素晴らしい温泉が待っている。
(八甲田山の最高峰、大岳)
 この地域には2回行ってる。どっちも夏休みの旅行。一度目は電車とバスで行った。まだ東北新幹線が盛岡までしか通じてない頃だった。盛岡から青森へ、そして国鉄バスで八甲田へ。「国鉄バス」は「JRバス東北」と名を変えて、今も同じ路線を走っている。一日目は酸ヶ湯温泉(すかゆ)泊。こういう本格的な「秘湯」の宿に泊まるのも初めて。有名な「千人風呂」にはビックリだ。何しろ完全な「混浴」だったから。泉質も強力な酸性で、白濁した湯も素晴らしい。源泉をなめるとものすごく酸っぱい。
(酸ヶ湯温泉千人風呂)
 翌朝にバスでロープウェー乗り場まで行って、一気に標高を上げる。酸ヶ湯が標高890m、ロープウェー山麓駅が標高670m、山頂公園駅が1300mである。最高峰の大岳山頂が1584mだから、300メートルも登らない。ハイキング気分では登れないルートだが、そんなにきつくないのである。登山初歩者には最適だ。まず赤倉岳に登り、大岳ヒュッテまで緩やかに進む。きついところをロープウェーで登っちゃうので、気分の良い道を歩くことが出来る。そして大岳頂上まで直登。最後は大変だが、気持ちのいい展望が期待を裏切らない。これで東北の登山&温泉にはまった。
(八甲田大岳山頂)
 山頂から大岳ヒュッテに戻って、そこからひたすら毛無岱(けなしたい)を下りてゆく。広大な湿原である。下りれば酸ヶ湯温泉に戻る。しかし、なかなか長くて下りでも2時間ほどかかる。登りより大変かも。毛無岱というのは不思議な名前だが、この地域の湿原などによく「岱」の字が付いている。毛無岱にも上中下があって、ずっともう草原に近いような広々とした湿原に木道が通っている。もっとも30年前は木道がずいぶん古くなっていて、このルートは大丈夫かという感じだった。今は整備されてるんだろうが。次第に酸ヶ湯が見えてきて、しかし「見えてからが遠い」の格言通り。
(毛無岱)
 酸ヶ湯で一服、多分遅いお昼を食べて、バスで蔦温泉へ。ここがまた素晴らしい温泉で、風呂の下から湧き出る温泉が忘れられない。人生でまた行きたい温泉ベスト5に入るところ。裏に広がるブナの森と沼めぐりも楽しい。次の日は奥入瀬から十和田湖へと、北東北のメイン観光をして帰った。八甲田は良かったねと夫婦でも思い出で、20年ぐらいして八甲田を再訪した。この時は車で行って、もう登山はしなかった。でも残った温泉、猿倉温泉八甲田温泉などを回って立ち寄りで入った。酸ヶ湯温泉が作った、ちょっと離れたところにある八甲田ホテルに泊まった。ここはまた泉質が違う。高級な洋風ホテルで、もう泊まれない。そこで酸ヶ湯まで送ってくれて、立ち寄りでまた入ることができた。
(八甲田山テレカ)
 富士山や利尻岳、鳥海山、大山など独立峰は見て楽しいが、登って同じところに下りてくることが多い。同じ青森の岩木山もそうだ。一方、大雪山や八ヶ岳、霧島、行ってないけど九重山などは広大な山域で、いろんな登山ルートがある。周りには多くの温泉があって、それが楽しい。そんな山域が日本にはあちこちにあるが、八甲田山は一番簡単で楽しいところだと思う。まあちょっと遠いけれど。新田次郎の小説、そしてその映画化「八甲田山」の影響で、八甲田山をなんだか怖い山に思い込んでる人がいる。真冬に地図もなく豪雪地帯を歩き回れば、今だってみんな死んでしまう。でも実際は夏にルート通り登るなら、すごく楽な山になる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イラン映画「ある女優の不在」、ジャファル・パナヒ支援のために

2019年12月24日 22時42分35秒 |  〃  (新作外国映画)
 イランの映画監督ジャファル・パナヒ(Jafar Panahi)の「ある女優の不在」が公開されている。東京のヒューマントラストシネマ渋谷他上映館が限られているが、この映画は特別な重みがある。ジャファル・パナヒは2009年の大統領選で改革派のムサヴィを支持してアフマディネジャド政権(当時)に拘束され、「20年間の映画製作禁止」を言い渡された。しかし、その後も「これは映画ではない」(2011)や「人生タクシー」(2015)などの作品を作って映画祭で受賞してきた。今回の「ある女優の不在」も2018年のカンヌ映画祭で女優賞を受賞した。「表現の自由」を守るための、不屈の作家精神に敬意を表したい。

 「これは映画ではない」や「人生タクシー」も僕は見ているが、ここでは書かなかった。映画製作禁止なんだから、大規模なセットなどは使えない。しかし今では多くの人がスマホで撮った映像を世界に発信する時代だ。映画製作は禁じられたが、映像撮影を禁じられたわけではない。そういうリクツで、自宅に置かれた小型のカメラで近況を撮ったのが「これは映画ではない」。次の「人生タクシー」は個人タクシーの運転手になったパナヒ監督が、車内の積載カメラで乗客の会話を撮影したもの。こんなにドラマチックに乗客が話すはずはなく、実際はセリフだと思うが、タテマエ上はやはり「映画ではない」。どちらも興味深かったけれど、さすがに製作上の制約が大きすぎたのは否めない。

 今回の「ある女優の不在」は全編ロケでイラン社会の現実を鋭く追求する姿勢が素晴らしい。有名女優が出るなど、ずいぶんイラン内部の変化もうかがわれる。今回もタテマエ上は「監督の私的な旅行を撮影した」という体裁を取っている。しかし、監督や女優以外に「専属カメラマン」がいるのは明白だ。イランでもSNSが発達して、多くの若者が利用している。ある日、有名な女優のベーナズ・ジャファリに、見知らぬ少女マルズィエから、「テヘランの芸術大学に合格したが、家族が進学を認めず自殺を決意した」という動画が届く。動画はマルズィエの首にロープが架かりスマホが落下して終わる。
(ジャファリとパナヒ監督)
 テレビドラマ撮影中だったジャファリは気になって仕方なく、撮影どころではない。そこで友人のパナヒ監督に頼んで、車で少女の住む村まで行くことにする。そこは西北部のアゼルバイジャン地方で、ペルシャ語は通じない。車があって現地の言葉も判るパナヒ監督が重要なのである。という設定で、イラン辺境の恐るべき「家父長制社会」の状況が明らかになってゆく。村へ着いても少女のことは誰も教えてくれない。「自殺?撮影場所」らしき洞窟を見つけるが、少女はいない。一体真相はどこに?

 ジャファリは撮影現場を留守にする。少女は村にいない。これが「ある女優の不在」の二人だが、原題は「3faces」である。ここで旧弊な村で長く孤立してきた昔の大女優シャールザードがクローズアップされる。イラン・イスラム革命(1979)以前に大女優として人気を誇ったが、革命後は映画に出られなくなった。村でも孤立していて、いつも絵を描いて暮らしている。この女優は実際にいる人だと言うが、住んでいるのは別の場所だという。企まれたシナリオによって、辺境の村の女性問題を主に描きながら、イスラム革命そのものへの批判もにじませている。
(村人に囲まれる人気スター、ジャファリ)
 日本でも女性が高等教育を受けるには強い抵抗があった。つい最近も医学部入試で女性差別が明らかになったばかり。だがマルズィエは許嫁との結婚承諾を条件に進学を許されたのである。難関のテヘランの芸術大学に受かるはずがないと思ったのだ。ここで抵抗しないと「意に染まない結婚」を強いられて、村と家庭に閉じ込められてしまうのである。この危機状況にどう立ち向かうか。それが動画作戦だった。この「現代」と「伝統」の確執は世界中で大きな問題だろう。

 舞台となっているのは西北部のアゼリー人が多い土地である。言語はアゼルバイジャン語と呼ばれることが多いが、映画では「トルコ語」と表現されている。イランの北にある旧ソ連のアゼルバイジャンは、総人口約1千万のうち9割ほど、900万ぐらいがアゼルバイジャン人(アゼリー人)。一方、隣国のイランには1800万ものアゼリー人が住んでいて、イラン在住の方が多いのである。アゼルバイジャン語はほぼトルコ語で、トルクメニスタンを含めて大体相互に通じると言われる。

 パナヒ監督はアッバス・キアロスタミ監督の下で助監督を務め、デビュー作「白い風船」でカンヌ映画祭新人監督賞を受賞した.その後「チャドルと生きる」(ヴェネツィア映画祭金獅子賞)、「オフサイド・ガールズ」(サッカーを見られない状況に抵抗する女性たちを描く)など女性の苦闘をテーマにしてきた。今回の映画は辺境の山岳地帯の女性を描く。その厳しい風景を見るだけでも映画の意味がある。すれ違い不能の山道をクラクションを鳴らして通る人々。その道幅の狭い、厳しく長い曲がりくねった道(ロング&ワインディング・ロード)はイランの女性の、あるいはイラン国民すべての自由への厳しい道のりを暗示しているかに見えて、忘れがたい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パラダイス」と「ジャズ」ートニ・モリスンを読む④

2019年12月23日 22時45分28秒 | 〃 (外国文学)
 1993年にノーベル文学賞を受けたアメリカの黒人女性作家トニ・モリスンを一月一冊のペースで読んできた。ノーベル賞作家というのは、かなり手強い作家が多い。それにしてもトニ・モリスンがこんなに読みにくいとは思わなかった。ハヤカワ文庫epiに入っているものを買ってあったので、文庫になるぐらいだからある程度読者もいるんだと思うが。読み始めた以上、途中で止めたくないから、ガマンして何とか読み切った。だからオススメしないが、どうして僕に判りにくいのかを考えてみたい。

 今までに書いた記事は以下の通り。
「青い眼が欲しい」と「スーラ」ートニ・モリスンを読む①(2019.9.3)
「ソロモンの歌」ートニ・モリスンを読む②(2019.9.23)
「ビラヴド」ートニ・モリスンを読む③(2019.10.25)

 順番に読んできて、本来なら11月に「ジャズ」(Jazz、1992)を書くはずが、あまりにも判らないので止めることにした。この小説には後で触れたい。続いて最後の6冊目が「パラダイス」(Paradise、1997)である。これはノーベル賞受賞後の初の小説で、文庫本で解説を入れて600ページもある大長編である。21世紀になって、「ラヴ」(2003)、「マーシイ」(2008)、「ホーム」(2012)、「神よ、あの子を守りたまえ」(2015)という小説があって翻訳も出ているが、文庫化されてないので敬遠することにする。読みたければ、図書館で探せば大体見つけられるんじゃないかと思う。

 「パラダイス」は長い割には、文章が読みやすく判りやすい方だ。しかし、登場人物が多すぎて途中で困り果てる。「ビラヴド」や「ジャズ」と同じく、トニ・モリスンはアメリカ黒人史の中から珍しいエピソードを見つけ出し想像力の翼を広げる。それはつまり、アメリカ黒人史のメインストリートの物語ではなく、どちらかと言えば「マイノリティの物語」である。アメリカ社会全体では黒人はマイノリティなわけだが、その黒人社会の中のマイノリティである。それは「肌の黒色が薄い」ことで「より黒い黒人」に差別されたり、貧しい黒人が多い中で、「裕福な黒人」というケースである。

 黒人の解放奴隷がまとまって居住できる場所を求めた。オクラホマ州を目指し、自由に住めるはずが受け入れられない。そんな黒人たちが自分たちだけでルビーという町を作った。固い絆で結ばれ、経済的にも裕福になるが、やがて「創業」一族が支配する保守的な町となる。アメリカである以上、男たちは第二次世界大戦やヴェトナム戦争に徴兵されることを避けられない。ルビーではありえない人種差別にさらされ、外部世界を知った若者たちは町を去る者、ルビー以外の人と結婚する者も出てくる。町を覆う不安や怒りがやがて、町外れに住む「修道院」に住む女たちへの怒りとなり爆発する。

 100年以上の物語、100人以上の人物が錯綜する小説で、すごいけれど外国人には判りにくい。町に住む保守的な長老黒人の不安や怒りもよく判らない。若者たちが公民権運動に共感するのに対し、長老たちが批判的なのも判らない。黒人なら誰もが共感するのかと思うと、町の秩序を破壊する恐れを感じるのである。そんな世界の崩壊、そして再生はあり得るのか。この壮大な現代の神話は読み応えがある。ナチスドイツに迫害されたユダヤ人が建国したイスラエルが、今度はアラブ人を抑圧する国家となる。そんなような構図だと思う。実際にそのような黒人だけの町が作られていたらしい。

 「ジャズ」は1920年代の「ジャズエイジ」を舞台に、まさにジャズのような、音楽的、詩的な文体である犯罪を描いた作品。ページ的には短いが、大変読みにくい。男が愛人である若い女を撃ち殺し、男の妻は激しく怒って棺の中の女の顔を切りつける。しかし、妻は次第に死んだ愛人のことを知りたいと思い始める。「饒舌な謎の語り手」(と裏表紙に出ている)も全然判らないし、視点が変わりすぎる。それもあるが、別れを切り出されたわけでもないのに、男が女を殺すのも理解不能。妻が次第に愛人を知りたいと思うようになる…というのも全然判らない。読んでいて展開が理解出来ないのである。

 そんなトニ・モリスンの大長編がアメリカではベストセラーになる。それは何故だろうか。僕には完全な答えはないけれど、一つは文体の問題もあるだろう。翻訳は読みやすいけど、原文の詩的、神話的な喚起力が完全には翻訳不能だと訳者も書いている。また「黒人史」の特殊性もあるだろう。僕は今までできるだけ「アフリカ系アメリカ人」と書くようにしてきたが、今回は「黒人」と書いている。肌の色で区分される「人種」という概念そのものに問題はある。それは理解出来るが、では一挙に大陸の名前なのか。日本と中国と韓国とインドとヴェトナムと…アメリカには多くの「アジア系」がいるが、複雑な歴史はアジア系とひとくくりにはできないだろう。

 それが「アメリカ黒人」の場合は、奴隷と解放という過酷な歴史の中で、元々は「母国」であるアフリカとのつながりを完全に絶たれた。だから「アフリカ系」とひとくくりにするしかない。完全に独自な存在として、新たな「アメリカ黒人」という民族とでも考える方が近い。残酷な奴隷制度の中で、人々は自分がどういう運命をたどるか、自分で決められない。だから、あらゆる黒人の運命が自分の運命と感じられるだろう。トニ・モリスン文学で、実に多くの「アメリカ黒人」の性差、年齢差を越えた運命が語られる。読者はそれを「もう一人の自分の運命」と感じる。そこに特徴があるのかなと思った。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴダールの「気狂いピエロ」について

2019年12月22日 22時54分42秒 |  〃  (旧作外国映画)
 ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」(À bout de souffle)と「気狂いピエロ」(Pierrot Le Fou)をキネカ大森で見た。それぞれ何回も見ているが、何回見てもいいものはいい。寺尾次郎新訳字幕のデジタルリマスター版もすでに見ているが、毎回発見がある。今回はアンナ・カリーナの訃報を聞いたばかりなので、「気狂いピエロ」を見たいなあと思った。プログラムの作家山口路子の文章にこんな一節がある。「それにしてもこの映画の、アンナ・カリーナの天衣無縫の魔性といったら、こういうのを天下無敵と言うのだろう。」(ゴチック=引用者)まさにその通り、言い得て妙。

 「気狂いピエロ」は非常に大好きで大きな影響を受けた。中学3年で見て、早速当時流行っていた「白い本」(何にも書いてない、つまり自分で書くための本)に「気狂いピエロ」と名付けたぐらい。そこに詩(らしきもの)やエッセイ(らしきもの)を書き付けていたわけである。なお題名は「きちがいぴえろ」である。そうは読めない、「きくるいぴえろ」だなどと言い張る人がいるが、それは違うだろう。「狂った」でも「狂気の」でもいいはずで、「狂った果実」や「狂った野獣」などは何の問題もなく、今でも違和感はない。でも語感的に「気狂いピエロ」が一番印象に残るのは何故だろう。

 それは映画リズムの「疾走感」に一番合っているからだと思う。もう少しするとハリウッド製のカーアクションというジャンルが登場する。そしてその後は宮崎駿のアニメで空を飛べるようになった。でも60年代半ばは、まだ「じっくり物語る」ことを良しとする風潮が強かった。しかし「気狂いピエロ」はストーリー展開の整合性など気にもしないで、ひたすら破滅へ向け走り去ってゆく。だからセリフものようだし、時にはミュージカルになったりする。そんな映画見たことなかった。

 この映画は表面的には「フィルム・ノワールのパロディ」である。長編デビュー作の「勝手にしやがれ」も同様。フランスの「ヌーヴェル・ヴァーグ」はシャブロルやトリュフォーも犯罪映画が多い。もともとアメリカのB級犯罪映画を「フィルム・ノワール」と名付けたのが彼らだった。だがゴダールの場合、フィルム・ノワール的ではあっても、大体はパロディである。犯罪映画という枠組みを使って、「詩と政治」の考察を行うのがゴダールのもくろみだからだ。そのためストーリーをマジメに受け取ると、理解出来ないことになる。荒唐無稽なシーンの連続だし、話がおかしい場面、都合の良すぎる場面が多い。

 パリでいい暮らしをしながら、心はくすぶっていたフェルディナンジャン=ポール・ベルモンド)。気に沿わないパーティに行くと、そこにアメリカ人がいる。それが監督のサミュエル・フラーで、「映画とは戦場のようなものだ」という歴史的名言を語る。つまらないパーティを早抜けして家に戻ると、臨時のベビーシッターは昔の恋人のマリアンヌアンナ・カリーナ)だった。時間が遅いので車で送っていくと、焼け木杭に火がつく。朝起きると、そこには謎の死体が… もっと大騒ぎするはずが、マリアンヌは全然動じない。二人はマリアンヌの兄がいるという南仏を目指して逃避行を始める。

 この冒頭シーンは短くて、すぐに逃避行が始まり以後は「ロード・ムーヴィー」である。そこも好きな理由で、自分自身も旅行好きだが、そのころいっぱい見たアメリカの「ニューシネマ」も大体はロード・ムーヴィーだった。農村地帯から中央山地、リヴィエラ海岸と風景も美しく飽きない。二人の逃避行は笑っちゃうほどチンケな犯罪の連続で、その中でマリアンヌ=アンナ・カリーナの絶好調ぶりが印象づけられる。しかし、そこにも謎の組織の手が伸びてくる。それはOASの残党一味だと思われる。OASはアルジェリア独立に反対し武装テロを行った秘密組織である。ドゴール大統領暗殺未遂事件(小説「ジャッカルの日」のモデル)もOASが絡んでいると言われる。

 65年当時は弱体化していたと思うが、現実のOASというわけではなく、要するに「謎の極右組織」のシンボルなんだと思う。壁に書いてあるのはおかしいけれど、ゴダールの政治的メッセージである。マリアンヌが兄といってるのも、どうも兄ではないかもしれず、イエメン内戦に武器を密輸する組織らしい。しかし、その金をマリアンヌが持ち逃げしている。マリアンヌはフェルディナンを道中何度も「ピエロ」と呼び、いちいちフェルディナンが訂正する。ピエロと言われるのは過去の理由があるようだが、要するに「マリアンヌの心は他にある」ということに聞こえる。それはまた破綻したアンナ・カリーナへのゴダールの眼差しにも読み取れる。そこが切ない。欺されても愛してしまったのだ。

 ラスト、再び出会って、また欺されたフェルディナン。島まで追っていって、銃でマリアンヌも撃ってしまう。その後、顔を青く塗りたくり、ダイナマイトを顔に巻き付けて、後悔しながら死んでゆく。カメラは静かに右にパンしてゆく。これは溝口健二「山椒大夫」のラストへのオマージュだというのは有名。そしてランボーの有名な詩、「また見つかった!何が? 永遠が 太陽と共に去った 海が」(寺尾訳)が出る。何が起こり、何故死ぬのか、説明不能だが、画面は一気に進行して疑問を感じさせない。ほとんど完成された神話的イメージの連続だ。

 フィルム・ノワールであり、ロード・ムーヴィーであり、永遠の愛を求めて挫折した男の映画であり、「運命の女」(ファム・ファタール)の考察である。詩であり、政治的メッセージでもあるが、もう一つ「引用の織物」でもあり、それが幾つ判るかで面白さも変わってくるだろう。このように現代芸術の様々な特質をすべてそろえて見せてくれる映画でもあった。だからアルジェリア戦争やヴェトナム戦争が昔のことになって現実的意味を失っても、今でも面白い。むしろつまらないもうけ仕事に飽き飽きして、自ら破滅に飛び込むなんていうプロットはますます人を引きつける。原色にあふれた画面構成も素晴らしく、多義的な意味を読み取れる傑作だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さくらを見る会ー柴又散歩

2019年12月20日 23時03分31秒 | 東京関東散歩
 葛飾区柴又の散歩記。柴又は案外行きにくい。大方は京成金町線柴又駅から行くだろう。金町線というのは、京成高砂から柴又を経て金町駅に通じる短い線。金町はJR常磐線も通じている(が、JRじゃなくて東京メトロ千代田線しか止まらない)。寅さん記念館で昔の寅さん映画のビデオを見たら、京成電車が「押上」行になってたけど、今はそれはあり得ない。昔は上野や押上への直通電車があった。2010年に高架化され、すべての電車が金町ー京成高砂間の往復となったという。(今初めて知った。)
  
 駅前に「男はつらいよ」の寅さん像が造られたのが1999年。寅さんだけでは寂しいと「見送るさくら像」も2017年に立てられた。どっちもカメラ(スマホ)を向ける人でいっぱいだが、平日なら少し待てば大丈夫だろう。僕は寅さん像も初めてだけど、さくら像の方が見たい。実は寅さん映画の傑作が相次いだ70年代初期から半ばに掛けての倍賞千恵子が大好きなのである。だから「さくらを見る会」。
   
 倍賞千恵子はデビュー時から「下町の太陽」として人気を博し、寅さんシリーズでは助演で支えた。観客はどうしても渥美清とマドンナ女優を見てしまう。バイタリティあふれる妹もいて、どうも倍賞千恵子は「美人女優」と認識されず損をしてる。でも70年代半ばの寅さんシリーズを見ると、倍賞千恵子演じる「さくら」の美しさにはっとさせられる瞬間がある。上の写真は「寅さんから見たさくら」「さくらから見た寅さん」「寅さん像下の山田洋次の文章」「さくら像下の山田洋次の文章」。
 
 駅前から間違いようもなく帝釈天参道に出る。一回車道を渡るが、そのまま少し曲がりつつ帝釈天に至る。この辺りは文化庁の「重要文化的景観」に2018年に指定された。確かに古き良き情緒を感じられるが、案外短い。映画では全体を映さないから、浅草の仲見世ぐらいありそうな感じを受けるが、そこまでではない。昔からの団子屋に加えて、くず餅の船橋屋や亀戸升本など他地域の店もあった。
  
 参道はどうしても他の客が映り込んでしまう。撮ってる時は自分の意識内でシャットアウトしてるわけだが、後で見ると人が大きすぎる。それが帰りにまた通ったら、夕陽が向こう側から差し込み、客も少なくなって街灯も点いていい感じ。
  
 参道が終わると見えてくる山門が「二天門」。通れば題経寺(だいきょうじ)である。1629年開基と伝えられる日蓮宗寺院だが、この地域は下総中山の法華経寺の勢力が強く、その影響で開かれたと思われる。帝釈天とは何だとは僕もよく知らない。調べれば判るから省略。「庚申」(こうしん、かのとさる)の日が縁日で賑わう。漱石の「彼岸過迄」にも出てくるというが忘れた。現在のお堂がいつ建ったのか、全然出て来ないが、特に文化財指定もないんだから、割と新しいんだろう。
  
 帝釈堂の周りには仏教の縁起を彫った彫刻がズラッとあって「彫刻ギャラリー」と呼ばれている。庭園と一緒に有料で公開されているが、是非見るべき。1922年から1934年にかけ彫られたもので、仏教説話に基づく意味が書いてあるが不案内で判らない。庭園も見終わって江戸川土手に向かうと、お寺の外に石柱があって名前が彫ってあった。写真を拡大すると、渥美清倍賞千恵子三崎千恵子の名が刻まれている。その隣が春風亭柳昇で、昇太の師匠だった落語家。
   
 江戸川土手に登ると、広々して気持ちがいい。映画でも背景によく映ってる塔のような施設は「取水塔」で、「東京水道名所」に選ばれている。塔は二つあって、映画の背景によく出てきた。1枚目の写真左に見える「金町浄水場」で浄水され、東京東部の水道に送られる。確か小学校で見学したと思う。
  
 上の写真が「矢切の渡し」で、3枚目が「矢切の渡し」の歌碑。今は土日祝日しか渡し船は出ない。向こうは千葉県である。30数年前に乗って渡った思い出がある。
  
 そこから山本亭を見て、葛飾柴又寅さん記念館。公園の下にある立地にビックリ。リニューアルされて、なかなか充実している。「男はつらいよ」を全然知らない人は楽しめないだろうけど、そういう人は元々入らない。ファンだったら楽しめると思う。2枚目は上の方に昔の松竹映画のポスターが貼ってあった。左から「淑女は何を忘れたか」(小津)、「陸軍」(木下恵介)、「愛染かつら」「君の名は」「東京物語」で一番右が見えないけど「二十四の瞳」。「山田洋次ミュージアム」が併設されている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴又の𨗉渓園と山本亭ー東京の庭園⑧

2019年12月19日 22時40分54秒 | 東京関東散歩
 東京もそろそろ散歩の季節が終わりつつあるが、関東の冬には時に「陽だまり散歩日和」がある。今年は特に暖冬らしいから、まだまだ庭園散歩ができるかもしれない。都立庭園9つのうち7つに行ってみたが、紅葉の季節にはスタンプラリーもあって動機付けになる。しかし、東京には国営(新宿御苑や皇居東御苑)もあれば、区営や私営の庭園もある。夜に浅草で浪曲と落語を聞いた日、昼間は暖かな一日だったのでしばらくぶりに葛飾の柴又へ行ってきた。ここにも庭園がある。

 今年は「男はつらいよ」公開から50周年。なんと新作が公開されるということで、柴又も観光客が多くなりそうだ。「男はつらいよ」シリーズを見ていると、柴又帝釈天は東京中の人がよく行く一大観光寺院のように思えてくる。時々偶然のように寅さんとマドンナが柴又で再会したりするが、柴又はそんなに誰もが行くとこじゃない。地元の人を除けば、映画で知られたところだと思う。(客が多いのは浅草がダントツで、次は巣鴨のとげ抜き地蔵だろう。)僕も柴又に行ったのは2回だけ。一回は千葉県市川市に住んでいたときに「矢切の渡し」を使って往復した。だから京成線柴又駅を利用するのも2回目だ。

 柴又全体の話はまた別にして、今回は庭園に絞って。まず「𨗉渓園」(すいけいえん)だが、「すい」の字が「遂行する」じゃなくて難しい。誰も書けそうもない庭園で、名前を言われても判らない人が多いだろう。これは柴又の中心、映画では笠智衆が御前様を演じていた「帝釈天」つまり「経栄山題経寺」(きょうえいざん・だいきょうじ)のお庭のことである。そんなものがあるのかと思う人がいるかもしれない。「彫刻ギャリー」とセットで有料になったゾーンである。本堂の奥の方に回廊で続いている。
   
 上の写真で判るように、この庭園はとても素晴らしい。ウィキペディアで調べると、向島の庭師永井楽山の設計により1965年に作られたという。いわゆる池泉回遊式だが、今までに訪れた庭園は自分で歩き回るが、ここは周りの回廊から見る形式である。そこが不満でもあるが写真としては面白い面もある。まあ時間的には少し短いかな。本堂から回廊を歩くと、こんな感じで建物に入る。
   
 彫刻ギャラリーも含めて庭園の回廊めぐりも、靴を脱いで回る。靴下だけだから冬は寒いかもしれない。途中に休憩できる場所がある。それが最初の写真2枚目と下の写真1枚目。ちょっと庭に突き出た場所にある。無料でお茶を飲めるから、ここで休んで写真を撮ってる人が多い。400円掛かるが、柴又帝釈天へ行ったら是非寄ってみるべきところかなと思う。
 
 そこから少し歩くと「山本亭」がある。元は瓦工場があったが関東大震災で倒壊し、その後台東区でカメラ製造をしていた山本栄之助氏が庭園を整備した。1933年頃に完成したらしい。近代和風建築と純和風庭園が見事に調和とパンフに出ている。葛飾区が1988年に取得し、お庭を見ながら緋毛氈に座って抹茶を飲める喫茶をやってる。最近、外国人観光客に人気が出ていて注目されている。
   
 喫茶なしなら100円、近くの葛飾寅さん記念館との共通券は550円。僕はお茶は飲まなかったが、それはこのレベルなら他にもあると思ったからだ。ガラス戸越しに庭園を見るだけだから、はっきり言って日本人には面白くない。それだけで庭に出られないのである。正直、なんだという感じ。裏を回って「寅さん記念館」に行ける。その道も案外つまらない。今回は「庭園散歩」を目的にしているので、全然散歩にならないのでガッカリなのである。外国人観光客には珍しい日本情緒なんだろうが。隣が「柴又公園」でその下に「寅さん記念館」がある。その公園に登ると、山本亭が見晴らせる(最後の写真)。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木馬亭で玉川奈々福の浪曲を聴く

2019年12月18日 22時21分37秒 | 落語(講談・浪曲)
 トロイの木馬像がトルコの町チャナッカレという町にあるという話を書いたばかり。一方、浅草には「木馬亭」という寄席がある。日本で唯一「浪曲の定席」があるところだ。今朝新聞を見たら、席亭の根岸京子さんが91歳で亡くなったという記事が掲載されていた。根岸京子という人は、浅草で有名な根岸興業部の一族で、僕の大好きな映画監督根岸吉太郎の母にあたる。1970年以来、浪曲の定席を守り続け、その功績で2015年に松尾芸能賞功労賞を受賞した。

 僕はその木馬亭に16日の夜に行ってきたばかり。浪曲の玉川奈々福と上方落語の桂吉坊が二人で続けてきたコラボ企画「みちゆき」の第10回にして最終回である。僕はその会に後半半分ほどを妻に連れられて見に行ってる。7時始まりで、最後にある実に面白いトークまでたっぷりと聞いてると10時になってしまう。翌日が早かったので、トークを聞かずに出てしまって残念だった。この会は相当に「通好み」の演題が多く、あまりここでは書かなかった。
(玉川奈々福)
 今回もスルーするつもりだったが、席亭の訃報を聞いて書いておこうかと思った。浪曲という芸能は、昔は大人気だったと知ってるが、僕はマキノ雅弘監督の「次郎長三国志」シリーズで広沢虎造がうなっているのを思い出すぐらいだ。一時は国本武春が若い人気者になったが早く死んでしまった。もう聞くこともないかと思っていたら、女性浪曲師、玉川奈々福の人気がブレイクしてきた。今や「知る人ぞ知る」段階を過ぎて、「えっ、まだ聞いたことないの」レベルまでは来てるだろう。

 今回の「親鸞聖人御伝記 六角堂示現巻」は他では聞けない演題だった。何しろ築地本願寺の依頼るで作った新作で、他ではやってないという。それをやったのは本人の希望と言うより、企画者がリクエストしたらしい。親鸞、あるいは鎌倉仏教の始祖たちの浪曲はかなりあるというが、築地本願寺住職でもある宗教学者、釈徹宗氏が今までの台本は却下、新作を依頼したという。そこで出来た作品だが、叡山を下り京の六角堂で聖徳太子の夢告を受けた場面に絞り込んでいる。奈々福さんの声はいつものように素晴らしいんだけど、「親鸞聖人」という枠がある以上マジメ一途で、どうもゆとりがない。
(吉坊と奈々福)
 桂吉坊の落語は「弱法師」(よろぼし)という噺で、これは冒頭で断りがあったが全く笑いもギャグもない。それどころか内容が暗くて、これは何だという思い。元々謡曲だったもので、おとなしくて口答えできない息子に父親が怒鳴りつけ家を出て行けという。真に受けた息子が家を出てしまい、それ以来どこでどうしていることやら。そして一年が経って…という展開だが、頑固な父と間に入って取りなそうという母を演じ分ける吉坊の芸は完成されて見事だ。だけど、一体何なの、この噺、笑いがなくてもいいけど、その場合は涙と人情が欲しいのにそれが全くない。浪曲の方とは「聖徳太子」つながり」かな。
(天中軒すみれ)
 今回の収穫は、前座で出た浪曲の天中軒すみれ。なんと芸大出の才媛で「すみれ嬢」と呼びたい感じ。演題は「山内一豊の妻」だったが、時間的に中途で終わった。声が素晴らしくて顔もカワイイんだから、アイドル浪曲師としてブレイク必至と見たがどうだろう。今後の成長が注目される期待株。
(根岸京子さん)
 木馬亭の席亭はどうなるんだろうか。今や浪曲定席も一週間だけで、後は貸席である。上が木馬館という大衆演劇の舞台。東京で二つしか残っていない。僕は夜行くと、いつも迷ってしまう。不思議に毎回迷うんだが、夜の浅草も迷宮的でどこがどこだか判らない。そんな浅草に残った不思議の空間がいつまでも続いて欲しいと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ映画「読まれなかった小説」

2019年12月17日 22時50分10秒 |  〃  (新作外国映画)
 トルコの巨匠ヌリ・ビルゲ・ジェイラン(1959~、Nuri Bilge Ceylan)の新作映画「読まれなかった小説」が公開された。前作「雪の轍(わだち)」(2014)がカッパドキアの壮大な風景美を描いたのと違って、今回は冒頭から海辺の町が出てくる。アナトリア半島西北部が舞台になっているが、今回も文学的な香り高い作風だ。この映画は「父子の対立」に焦点を当てながら、長い長い対話劇を創造した。トルコ社会の状況も垣間見える興味深い作品だ。3時間超と長いけれど、退屈なシーンはなかった。

 映画の中で「トロイの木馬」の復元像が何度か出てくる。これは西北部の海辺の町チャナッカレに置かれている。トロイ遺跡観光の拠点となる町だという。主人公シナンは町の大学を卒業して、そこからバスで90分ほどの内陸部の出身池に帰ってくる。就職は決まってないが、「野生の梨の木」(原題)というなの小説を書き上げ出版を望んでいる。その小説はエッセイ的でもある作品で、父との葛藤も出てくるという。町へ帰ると、早速父の借金のことで町民から苦情を言われる。
(シナンと父)
 父は小学校の教員として尊敬されていたのに、競馬に入れ込んで皆の信用を失い生活も苦しい。妻と娘とも疎遠となり、田舎の老父の家で井戸掘りをしている。水が出ると信じているのに、周囲の誰もが水が出る土地ではないと言っている。ほとんど皆に相手にされない変わり者になっていて、息子のシナンも父のようにはなりたくないと思っている。この「父子の対立」というのは、多くのドラマの主題になってきたが、この映画もその系列の物語と言える。

 映画はリアリズムのように見えて、幻想的というかというか、予知夢なのか幻覚のようなシーンがところどころに出てくる。また作家志望のシナンが有名作家スレイマン(架空の作家)に偶然書店で出会って長々と語りかけるシーン、町に戻った時にイスラム教の導師2人と宗教や人生に関して語り合うシーンなど忘れがたい「討論シーン」が出てくる。こんな映画はかつて見たことがないぐらい、抽象的セリフが飛び交う映画だ。それは決して難解ではなく映画世界に没入するようなシーンになっている。

 直接的にトルコ社会を描く映画ではないが、それでも随所にトルコ情勢を知ることは出来る。例えば、大学卒業後の進路。文学青年のシナンは小説家として認められたいが、それがダメなときは教師になるか、軍隊に入るか。どっちにしても「東部」に送られるという。後で出てくるが、実は父も最初は東部で教師生活をスタートしていた。「東部」とは「クルド人地帯」のことで、テロや内戦の危険もあるし山地で条件も悪いんだろう。「新採教員」は東部からスタートするのか。父は小学校教員だが、国が一括して採用して配属するんだろうか。そしてシナンは結局軍隊に入って東部に赴任する。
(トロイの木馬象がある町で)
 また故郷に帰って、幼なじみの女性に再会するシーンがある。高校時代に多くの青年が争ったという過去があるらしい。シナンは最初は気づかず、声を掛けられて判る。スカーフを被っていたからという。世俗的イスラム国家のトルコでは、公の場でスカーフを被ることは禁止されてきた。シナンの家族も(家庭内しか描かれていないが)スカーフはしていない。イスラム色が強いエルドアン政権が長くなり、次第にスカーフを被る女性が多くなっている事情を物語るのか。それは判らないが、高校時代はスカーフをしてない女性も、結婚が近づけばスカーフをするのかもしれない。

 ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督は前作「雪の轍(わだち)」(2014)でカンヌ映画祭パルムドールを受賞した。さらに前の「昔々、アナトリアで」(2011)はグランプリ、「スリー・モンキーズ」(2008)は監督賞と何度もカンヌで受賞している世界的巨匠である。僕も「雪の轍」を見た時はその壮大な世界と映像美に感嘆した。今回の「読まれなかった小説」もカンヌに出品されたが、無冠に終わった。「万引き家族」「ブラック・クランズマン」「COLD WAR あの歌、2つの心」「ドッグマン」があった年で、無冠もやむを得ないだろう。セリフが多すぎて観念的で、どうも前作ほどの完成度はなく、感銘も少ないとは思う。でも巨匠の新作であり、人生への省察に満ちた作品だ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女優アンナ・カリーナを思い出して

2019年12月16日 22時54分35秒 | 追悼
 フランスの女優、アンナ・カリーナ(Anna Karina)が亡くなった。1940年9月22日~2019年12月14日、79歳。ほとんど60年代初期のゴダール映画のミューズとして記憶されていて、その後も女優をしていたけれども、あまり評判になった作品はなかった。最後までファッション界などでは注目されていたようだが、僕もゴダール映画との関わりでしか知らないし関心もないのが正直なところだ。
(小さな兵隊)
 アンナ・カリーナと言うけど、実はデンマーク人である。本名は Hanne Karen Blarke Bayer で、若い頃は家庭的に恵まれず家出を繰り返していたという。14歳で出演した短編映画がカンヌ映画祭で受賞している。17歳でパリに出てきて、芸名はココ・シャネルが付けたという。1960年にジャン=リュック・ゴダール監督の「小さな兵隊」に出演して一気に注目された。その頃のキュートな魅力は抜きん出ていて、ゴダールも魅せられたんだろう、二人は1961年に結婚した。
(ゴダールとアンナ・カリーナ)
 それ以来、初期ゴダール作品には連続して出演している。ちょっと挙げてみると、1961年「女は女である」(ベルリン映画祭女優賞)、1962年「女と男のいる舗道」、1964年「はなればなれに」、1965年「アルファヴィル」、「気狂いピエロ」、1966年「メイド・イン・USA」と続いた。ゴダールとは1965年に離婚したが、その後も出演しているのがうれしい。ゴダールのような男と暮らしていけないのは判る気がする。以後のゴダールは「政治の季節」に入る。

 60年代後期に「ゴダール」がどれほど輝いた存在だったか。今となっては当時の雰囲気を知らない人には判らないだろう。もちろん僕も世代的にはずれているけれど、1970年にはゴダールを見始めていたから何となく判る。当時の雰囲気はフランス文学者海老坂武の回想録三部作の第2巻「かくも激しき希望の歳月1966ー1972」によく書かれている。単なる映画監督の一人ではなく、それどころか「文化」や「表現」のレベルでもなく、むしろ「革命」の象徴のようにゴダールの映画が見られていた。日本では「ゴダール全集」まで出ていた。今では過大評価に思えるけれど、それでも「気狂いピエロ」のスリリングな疾走感は忘れがたい。それらの映画を支えているのがアンナ・カリーナの魅力だった。

 この間、ゴダールはアンナ・カリーナの出ない「軽蔑」(1963)や「男性・女性」(1966)なども撮っている。しかし、「女と男のいる舗道」や「はなればなれに」などアンナ・カリーナが出ている映画の魅力が抜けていると思う。「はなればなれに」は日本では長く未公開で、2001年にようやく公開された。もしこの映画が60年代に紹介されていたら、アンナ・カリーナが二人の男友だちとルーブル美術館を駆け抜ける素晴らしいシーンが大きな影響を与えていただろう。アンナ・カリーナの追悼なのに、ついゴダール映画を語ってしまっているが、それがアンナ・カリーナの悲劇だっただろう。
(映画「アンナ」)
 最近テレビ映画として作られた「アンナ」が日本でリバイバル上映された。僕は上映が終わらないうちにと急いで見に行った。デンマークからやってきて、たまたま写真に撮られた女子社員。彼女に魅せられた宣伝会社の社長は、謎の女性を探して街を歩き回るが、実は自分の会社の社員だったのに…。そんなおとぎ話をアンナ・カリーナの魅力だけで撮ってゆく。まあ案外アンナ・カリーナが普通っぽい女の子だったと感じたが、ゴダールが掛けた魔法が解けるとそうなるのかもしれない。僕はやはりゴダール映画のミューズだったアンナ・カリーナが好きなんだと思った。
(2018年に来日したアンナ・カリーナ)
 ヴィスコンティが監督したカミュ原作の「異邦人」にはアンナ・カリーナがマリー(ムルソーの女友だち)で出演していた。僕もその映画は見てるが、覚えていない。主人公ムルソーがマルチェロ・マストロヤンニだったことは覚えているけれど。その後も日本に紹介された映画にずいぶん出ているが、あまり大きな印象はない。私生活ではゴダール以後に4回の結婚歴がある。日本には何回か来ていて、1997年の夕張ファンタスティック映画祭で審査員を務めた。2018年にも来日している。1930年生まれのゴダールが今年新作が日本公開されたのに、アンナ・カリーナが先に亡くなるとは思いもしなかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多和田葉子の小説を読む

2019年12月15日 22時34分21秒 | 本 (日本文学)
 11月18日に多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」というのに行った話を前に書いた。『多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」』(2019.11.20)だが、その頃に多和田葉子の本も読んでみた。実は何冊か持っていたのである。聞きに行く前に片付けるつもりが案外時間が掛かった。パスしてもいいかなと思ったけど、あまりに不思議な世界だから紹介しておきたい。

 多和田葉子(1986~)は東京生まれで早稲田大学を出た時の専攻はロシア文学だった。その後ハンブルクの書籍取次会社に入社し、1986年からハンブルクに在住し、その間にハンブルク大学大学院の修士課程を終えた。2006年からベルリンへ移り、30年以上ドイツに住んでいる。永住権も持っていて、ドイツ語でも創作活動を行っている。日本人作家としては非常に珍しい存在だとと言える。

 1993年に「犬婿入り」で芥川賞を受賞。その後、泉鏡花賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、読売文学賞など日本の主要な文学賞を次々と受賞。そればかりか、シャミッソー賞クライスト賞など、どういう賞か知らないけれどドイツの文学賞も受けた。その後「献灯使」が全米図書賞翻訳部門を受けるに至って世界的な名声を得ることになった。今最注目の作家の一人と目されている。

 今まで読んでいたのは「犬婿入り」(講談社文庫)だけだが、これが面白かったのでその後も何冊か文庫本を買っていた。でも内容をすっかり忘れているので、探し出して再読してみた。どうも不思議で変な話なんだけど、リズム的にスラスラ読めて面白い。普通のリアリズムみたいに始まって、奇譚になってゆく。芥川賞受賞者で多和田葉子の前後には、辻原登小川洋子辺見庸奥泉光笙野頼子保坂和志川上弘美目取真俊など現代日本文学を支える作家が集中している。僕もよく読む作家が多いが、新人賞である芥川賞受賞作の完成度ではベストレベルじゃないかと思う。
 
 今回は続いて「聖女伝説」(1996,ちくま文庫)、「尼僧とキューピッドの弓」(2010、講談社文庫、紫式部賞)、「雪の練習生」(2011、新潮文庫、野間文芸賞)、「献灯使」(2014、講談社文庫)と読んだ。前の2作は僕にはよく判らなかったので省略。というか後の2作もよく判らないんだけど、その判らなさがぶっ飛んでいるので、そこに関して書いておきたい。まず「献灯使」だけど、これは言うまでもなく大昔の「遣唐使」のもじりだ。多和田文学には「言葉遊び」が非常に多いが、単なるダジャレじゃなくてもっと切実な使われ方をしていることが多い。

 2011年の大震災に続き、数年後に日本は再び大地震に襲われ再び大規模な原発事故も起きる。日本はほとんど壊滅し、政府も「民営化」されてしまい、「鎖国」状態になる。日本から外国へ行く飛行機や船は途絶し、外国からも来れない状態が長い。東京も人が住めなくなり「23区」は無人状態。そんな「近未来」に生きる人々を描くのが「献灯使」で、その意味は小説内に説明がある。その世界では何故か生まれる子どもが虚弱化し、一方で老人が逆に元気になる。だから100歳を越えても死ねない老人が、弱っちいひ孫の面倒を見ている。家族は崩壊していて、娘は食料が豊富だという沖縄へ移住したが、その後沖縄とも交通が途絶しているから会えない。

 そんなバカなという感じだが、そういう「逆転世界」を描く「ディストピア(反ユートピア)小説」はかなり多い。この小説のアイディアは、放射性物質の特性に関しては無理筋だろう。放射性物質が大量に放出されて人々の体質を変えてしまうというわけだ。だが、それほどの大量被ばくがあっても、放射性物質の性格上、影響はアトランダムになるはずで、その影響は体力がすでに弱い老人から現れるだろう。子どもは弱くなり、老人は強くなるなんて、そんな放射線の影響は考えられないが、それを言ったら多くの小説は成り立たない。そんな「奇想」を思いっきり広げた小説で、ベースにある人間社会に対するペシミズム(悲観主義)が今は人々を引きつけるのだ。

 続いて「雪の練習生」だが、これは僕は今までに読んだ数多くの小説の中でも、飛び切り変テコな設定の小説だ。それでもスイスイ読ませる筆力は確かで、間違いない傑作。これは恐らくは世界に一つしかない「シロクマ」の3代にわたる自伝である。シロクマをめぐって人間が書いているんじゃなくて、シロクマ自身が書いている。まあシロクマ自身が書けるわけないから、多和田葉子が成り代わって書いてるわけだが、そんな変な小説がこの世にあったのか。

 最初はソ連にいたシロクマ「わたし」で、サーカスの花形から転じて作家となった。いや、シロクマが会議に出たり、文章を書くという世界なのである。そして娘の「トスカ」、その息子の「クヌート」と話は続いてゆく。これは何なんだ。ソ連や東ドイツの「社会主義体制」に対する風刺なんだろうか。そういう側面もあるだろうが、それ以上に「動物から見た人間社会」の風刺的面白さだろう。動物文学は多いけど、大体は人間が動物を書いている。動物が人間を書いているのは、この小説の他に読んだことがない。そして後書きを読んでビックリ。後書きには「後書きから読むな」と注意書きがある。この注意には是非従うべき。読んでみて、この不思議な感触の世界を思う存分楽しむべきだろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浜離宮ー東京の庭園⑦

2019年12月14日 21時10分12秒 | 東京関東散歩
 東京の都立庭園の中で「浜離宮」にはしばらく行ってなかった。ここは隅田川が海に出る辺りで、浅草から隅田川を下る「水上バス」の発着所がある。昔は本当に「ポンポン蒸気」という感じの船で、ノンビリ水辺から東京を楽しめた。下町の定番デートコースで、僕も何回か行った気がする。実はそれ以来で、しばらくぶりで行ってみると、約25ヘクタールという大きさが印象的で風格の大きな庭園だった。今も海水を取り入れ「潮入の池」を楽しめる。国特別名勝特別史跡。正式名称は「浜離宮恩賜庭園」。
   
 浜離宮も芝離宮や小石川後楽園のように、周りをビルで囲まれている。だが園内が広いので圧迫感が少ない。上の写真で見るように、むしろ借景として楽しめるんじゃないだろうか。どうしてそこまで広いのかというと、ここは大名庭園ではあるけれど、もっと格上の「将軍庭園」なのである。1654年に4代将軍家綱の弟で甲府藩主だった徳川綱重が海を埋め立てて作った。綱重の子家宣が6代将軍になったのを契機に将軍家の別邸になったと案内に出ている。それ以来「浜御殿」と呼ばれ、鷹狩り、鴨猟場として使われた。今も正月には鷹を放つ「放鷹術」が行われている。(2、3日)
   
 訪ねた日は静岡旅行の前で、予報では晴れだったのに実際には曇っていた。例年なら紅葉も終わりだが、今年は東京都の「庭園へ行こう」というホームページを見ても、まだ各園の紅葉情報が載っている。ただ浜離宮は場所柄か日当たりが良さそうで、紅葉は盛りを過ぎていた感じだった。「浜御殿」は明治になって皇室所有の「浜離宮」となり、1879年にグラント米国前大統領が訪日した際は浜離宮の延遼館に一ヶ月間滞在し明治天皇が訪れた。浜離宮が「迎賓館」だったのである。延遼館は日本初の洋風石造建築だが、1892年に老朽化で解体された。舛添知事時代に再建計画があったが凍結。
   
 浜離宮は駅で言えば、都営地下鉄大江戸線汐留、築地市場が直近となるが、JRで言えば新橋駅12分。正門に当たる大手門から多分始めて入ったと思うが、これはまるでお城とお堀。さすが将軍の庭だと思う。中へ入ると、かなり広くて池が遠い。基本は池泉回遊式庭園だが広くて歩き甲斐がある。
  
 海辺というか川辺に出るとこんな感じ。4枚目は海水の取水口。
   
 気持ちのいい道を歩く。中が広いから、ところどころ池も川も見ない山の中の小道みたい。
  
 園内にはかつて多くの建物があった。少しずつ再建されていて、「中島のお茶屋」(下1枚目写真の池向こう)では抹茶などを頂けたらしいが、工事中で見られなかった。「松のお茶屋」「燕のお茶屋」「鷹のお茶屋」が再建された。まだ古色がないから風情を感じないけど。その周辺を水辺を中心に。
   
 大手門近く左手に「三百年の松」がある。行く時には逆方向に歩いていて気づかなかった。この松は6代将軍徳川家宣が植えたというから、それが本当なら確かに300年だ。表から見ると大きく広がった感じに見えるんだけど、裏を見てみると遠くに根があってずっと広がっているのに驚いた。
  
 新橋駅から浜離宮に行く途中に「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」がある。日本最初の駅があった場所だ。前に見てるから今回はパス。
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白籏史朗、眉村卓、白川勝彦等ー2019年11月の訃報

2019年12月12日 22時58分36秒 | 追悼
 中曽根元首相に関しては、まだ書き足りない思いが残っているが一応終わりにして、他の人を。まず山岳写真家の白籏史朗。11月30日没、86歳。有名な人だったし、多くの人がテレビやカレンダーで見たことがあるはずなのに、案外訃報が小さかった。僕はよく山へ行ってた時期に雑誌「山と渓谷」を読んでたから、その活躍を覚えている。ヒマラヤ、カラコルムなど海外へも行っているけど、一番は南アルプス富士山だろう。山梨県の奈良田温泉に「南アルプス山岳写真館・白籏史朗記念館」がある。名前をきちんと覚えてなくて、「白旗史郎」だと思い込んでいた。今回よく見たら「白籏史朗」。
  
 SF作家の眉村卓(まゆむら・たく)が11月3日に死去、85歳。60年代から作家活動を続け、「司政官」シリーズなどが代表作と言うけど、僕は読んでない。なんと言ってもジュブナイルSFが思い出されて、「なぞの転校生」「ねらわれた学園」などは読んだり見たりしてなくても、今では定番の設定として知っているだろう。角川映画「ねらわれた学園」(1981、大林宣彦監督、薬師丸ひろ子主演)のテーマ曲が「守ってあげたい」である。もう名前を忘れていた21世紀になって、病床の妻にショートショートを書き続けた「妻に捧げた1778話」が大評判となり映画化もされた。
(眉村卓)
 女優の木内みどりが18日に急死、69歳。若いときに劇団四季に入り、その後多くのドラマや映画に出演した。今記録を見てみると、ずいぶん僕が見ているものがあるが、正直言うとあまり覚えてない。例えば映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」で森山未來の母だったんだけど…。結局覚えているのは、脱原発運動に参加し熱心な活動家になったことだ。夫は元西武百貨店社長、元参議院議員の水野誠一。
(木内みどり)
 橋本内閣で自治相を務めた白川勝彦が18日に死去、74歳。旧新潟4区から当選6回の自民党議員だが、著書を挙げると、「新憲法代議士 : 新潟四区、燃える手づくり選挙 護憲リベラルの旗をかかげて」「戦うリベラル : いま、政治の季節」「いまリベラルが問う」などがある。「リベラル」という言葉が「護憲保守」を指す政治用語だった時代を代表する政治家である。僕が知っているのは、若手弁護士時代に「大森勧銀事件」という冤罪事件を担当していたから。政治家になっても死刑廃止などの集会に参加していた。自社さ連立時代に公明党を批判し、そのため小選挙区になって落選。2001年には自民党を離党して新党「自由と希望」を立ち上げ比例区に立候補した。自公連立を批判して30万票を得たが落選。非拘束名簿式の個人得票落選者の第4位になっている。
(白川勝彦)
 エピソードを細かく書いていると終わらないので簡単に。
・俳優、声優の井上真樹夫が29日に死去、80歳。元々俳優だったけれど、多くのアニメの声優や外国映画の吹替えで有名になった。「ルパン三世」の石川五ェ門、「巨人の星」の花形満など。
ヨネックス創業者米山稔が11日に死去、95歳。
・政治学者、ロシア研究者の木村汎(ひろし)が14日に死去、83歳。京大で猪木正道門下で、北大教授となり北方領土問題も論じた。北方領土やプーチンに関する多くの著者がある。
・日本近世文学研究者の中野三敏が27日に死去、84歳。「戯作研究」でサントリー学芸賞。文化勲章。
(井上)(米山)(木村)(中野)
中山仁、俳優。10月12日に死去と11月に講評。「サインはV」などのドラマで知られた。
小川誠子(もとこ)が15日に死去、68歳。女流棋士として活躍して女流本因坊などのタイトルを取った。テレビでも活躍した有名人だった。夫は山本圭。
・特撮監督の矢島信男が28日死去、91歳。深作欣二「宇宙からのメッセージ」などを手がけた。

 ラトビア出身の指揮者、マリス・ヤンソンスが30日に死去、76歳。正直業績をよく知らないが、旧ソ連で頭角を現し、留学してカラヤンに師事、世界的に活躍した。バイエルン放送交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団などの首席指揮者を務めた。訪日好演も多かったという。

 フランスの女優、マリー・ラフォレが2日死去、80歳。「太陽がいっぱい」のヒロイン役で有名。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする