尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』ー金子光晴を読む①

2023年07月10日 22時39分53秒 | 本 (日本文学)
 最近金子光晴(1895~1975)をずっと読んでいる。有名な詩人で、昔から関心があって本をずっと買っていた。中公文庫にいろいろ入ってるのである。特に70年代に発表された自伝的放浪紀行三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』は、当時からものすごく面白いと大評判だった。『どくろ杯』は1976年に中公文庫に入った時に買ったんだけど、実は今まで読んでなかった。案外字が詰まっていて面倒そうだなあと思って、そのままになってしまった。今回読み始めたら、もう字が小さくて読みにくいったらない。2004年に大きな字に改版されているので、思わず買い直してしまった。
『どくろ杯』
 金子光晴は亡くなる直前の70年代には、ある種「怪老人」といった感じの人気者だった。同じ詩人、小説家の森三千代という妻がいながら、若い「愛人」とも長く続いていた。本になって、東陽一監督『ラブレター』(1981)という映画にもなったぐらいである。(日活ロマンポルノの一本だが、ポルノ色を薄めてヒットした。)もうすぐ2025年には没後50年、生誕130年という記念の年が来るが、僕は金子光晴が再び脚光を浴びるのではないかと思っている。ここまで本格的に「自由人」あるいは「変人」、さらに言えば「非国民」だった人は珍しい。戦時中に反戦詩を書いていた「不逞」な精神は今こそ必要じゃないか。
(金子光晴)
 『どくろ杯』(1971)、『ねむれ巴里』(1973)、『西ひがし』(1974)は、金子光晴、森三千代の二人が1928年から1932年に掛けて、中国、マレー、蘭印(現在のインドネシア)、フランス、ベルギー等を放浪した旅の追憶を書いたものである。40年以上経っているから、記憶違い、自己正当化(というより逆の自己卑小化というべきか)もありそうだが、むしろフィクション化もされているらしい。それにしても長大で、どうも少し飽きてしまうぐらい。紀行には一種スピード感も必要と思うが、この4年近い旅は途中で停滞するところが多い。そこが魅力だという人しか読めないが、この流されるままという感覚が大好きというファンも多い。
(『金子光晴を旅する』所載の旅行地図』)
 旅までの事情を簡単に書くと、金子光晴は養父の遺産で1919年に洋行し、帰国後に詩集『こがね蟲』(1923)を発表して評判を得た。1924年に東京女子高等師範在学中の森三千代(1901~1977)と知り合い、すぐに妊娠して森は退学して結婚した。息子乾が生まれたが、病気になって森の実家長崎に子どもを預けることになり、その間に夫婦で一ヶ月上海を訪問した。1927年にも子どもを預けて、今度は金子一人で三ヶ月上海に出掛けてしまう。当初からお互いに束縛しない約束だったようだが、その間に三千代には若い恋人が出来た。それが後の美術史家で神奈川県立近代美術館館長を務めた土方定一なんだという。

 金子も帰国して悩んだらしいが、一緒にパリに出掛けようと三千代に提案した。小さな子どももいるのに、これに三千代も乗ったのである。飛行機でちょっと一飛びという時代じゃない。船で何ヶ月も掛けて行くのである。「洋行」は一生に一度出来るかどうかの大事業で、やはり文学を志す三千代に取っても、すでに洋行を体験していた金子が誘うのは魅惑だったのである。ところが、実は金子光晴は詩が書けなくなっていて、雑文を書き散らしていたけれど、貧乏の極致なのである。ヨーロッパまで行ける金もないのに、とにかく出掛けてしまった。取りあえずは旧知の上海まで行く。それが『どくろ杯』である。
『ねむれ巴里』
 何とかシンガポールまで行くが、やはり金がない。上海ではエロ小説を書いたりしたが、シンガポールではマレー半島、ジャワ島などを訪ね回って絵を売ったりしていた。詩を書く前に日本画を勉強していたのである。下手を自称しているが、残された絵を見ると結構良い。「無名詩人」だから価値がないと思われたが、後の大詩人の絵という目で見れば貴重。その他、あらゆる金策をして、まず三千代夫人だけをパリに送った。その後、果たして後を追えるのかと心配になるが、何とか追いかけた。インド洋の航海中も奇妙な話が多いが、何とかフランスに着いてパリで奇跡の再会。

 中国では文人との付き合いもあったが、マレーでは植民地下層の人々と日本の植民者を見た。フランスでは日本人の画家たちが多いが、皆成功を夢みながら苦労している。金子にとっては、どこへ行っても人種や民族にこだわらず、人間の実相をつかむ。それは貧困のため、様々の仕事をしたからでもあるだろう。悪評が付きまとって、夫婦でいると森三千代まで就職出来なくなるので、パリで合意の上協議離婚したぐらいである。日本からは三千代の実家から一人で帰ってこいと金を送ってきたが、金子が一人で使ってしまう。もうメチャクチャで、破滅的なのである。
『西ひがし』
 そして、仕事がベルギーで見つかった三千代を置き、金子光晴だけ先にシンガポールまで戻ることになった。そして、またマレーで停滞するのだが、要するに東南アジアの風物に魅せられたのだろう。キレイじゃないとダメ、文明国が良いなどという金子光晴ではない。どんな貧苦にも耐えながらも、自然と人間を見つめるのである。単純なヒューマニズムを越えて、人間性の限界まで見た感じ。どうもやり過ぎのように僕は思い、そこまで行くと僕は楽しく読めないという箇所も結構あった。だが、世界と時代を見る目は確か。「満州事変」が起き、日本が世界から孤立していく様子を実感しているが、周囲の日本人はまだほとんど危機感を持っていない。「日本人」のニセモノ性を鋭く見つめた旅でもあった。
『金子光晴を旅する』
 今になると,時代も経ってしまい、大評判だったこの三部作も少し読みにくいかもしれない。地図も出てないし。そこで2021年に中公文庫から出た文庫独自編集の『金子光晴を旅する』が非常に役だった。金子光晴は開高健寺山修司との対談が載っていて、この二人を煙に巻く怪人ぶりに舌を巻く。一方、森三千代夫人の100頁を越えるインタビューが載っていて、背景事情が良く判る。聞き手は松本亮で、インドネシアの影絵芝居ワヤンの研究で知られた人である。またこの本には、実に様々な人(吉本隆明、茨木のり子、沢木耕太郎、角田光代等々)の金子光晴論が入っている。

 三部作には面白すぎるエピソードがいっぱいで、ここでは特に紹介しなかった。一つ挙げれば、やはり第一部の題名にもなった「どくろ杯」ということになるか。またフランスへ向かう船中で、中国人留学生の泊まっている部屋に入り込んでしまうところも面白い。中国も東南アジアもパリでさえ、安宿は悲惨。虫がいっぱいだったりするのが読むのも嫌という人は読めないかもしれない。けれど、そういう潔癖性こそおかしいという著者のスタンスがあふれ出る大著で、一度は読んでおきたい紀行だと思う。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 好調ホン・サンス監督『小説... | トップ | 母の死の報告ーしばらくお休... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
カッパブックスの他 (指田 文夫)
2023-07-17 20:56:16
カッパの新書で出たほか、テレビの『11PM』にも出ているのを見たことがあります。
他の高校ですが、やはり愛読者がいました。

コメントを投稿

本 (日本文学)」カテゴリの最新記事