志とは、人生の目標設定の高さを表す言葉である。
人生は、どんな『目標設定』をするかだけで、そのほとんどが決まってしまう。
近い未来の目標設定は、マイルストーンとしては良いが、志にはなりえない。
企業が持つ『志』もまた同じである。それは、社会的責任として検証される。
「目標はありますか?」と問いかければ、多くの人は「ある」と答えられます。
しかし、「志はありますか?」と問いかけると、多くの人は首を傾げてしまいます。
『志』とは、社会的目標設定であり、『夢』とは、個人的目標設定と私は考えています。
個人的目標には、協力者が現れません。せいぜい、家族くらいです。
社会的目標には、多くの協力者が現れる可能性があります。
企業の社会的責任とは、企業が持つ志に関係します。
社会的責任とは、高い志を実現さていくプロセスの中で当然負うべきものとなります。
それは同時に、企業の『社会的目標設定』の検証道具にもなっているのです。
それには幕末の維新志士を考えるのがよい。彼らに共通していたのは、日本をよくしたいという強烈な思いである。
彼らの頭の中には「自分」というものがなかった。ひたすら日本のため、民衆のために活動していた。
「他者」を中心を生きられなければ、真の志は持てない。
真の志がなければ、多くの人の信頼と協力を得ることはできない。
しかし、人間は本能的に「自己中心」的な生き物である。
なぜなら、自分自身の「体」を持っているため、それを「保つ」ことを優先してしまう。
ゆえに、他者(社会)を中心に生きることは、非常な苦しみを伴う。
それだけに、これを実践している人には、多くの理解者・協力者が集まるのである。
だから、企業だけでなく、個人にも志が必要なんですよね。
②気付き・・変更はいきなり来る。
③教訓・・常に臨戦態勢。
④宣言・・私はいつでも変更に対応出来る人間です。
②気付き・・疲労度が激しい。
③教訓・・それでも気持ちは確かに持たねばならぬ。
④宣言・・私は常に精神の安定を保つ人間です。
『志を立てよう』
志を立てよう。本気になって、真剣に志を立てよう。生命(いのち)をかけるほどの思いで志を立てよう。志を立てれば、事はもはや半ばは達せられたといってよい。
志を立てるのに、老いも若きもない。そして志あるところ、老いも若きも道は必ずひらけるのである。
今までのさまざまな道程において、いくたびか志を立て、いくたびか道を見失い、また挫折したこともあったであろう。しかし道がない、道がひらけぬというのは、その志になお弱きものがあったからではなかろうか。つまり、何か事をなしたいというその思いに、いま一つ欠けるところがあったからではなかろうか。
過ぎ去ったことは、もはや言うまい。かえらぬ月日にグチはもらすまい。そして、今まで他に頼り、他をアテにする心があったとしたならば、いさぎよくこれを払拭しよう。大事なことは、みずからの志である。みずからの態度である。千万人といえども我ゆかんの烈々たる勇気である。実行力である。
志を立てよう。自分のためにも、他人(ひと)のためにも、そしておたがいの国、日本のためにも。
②気付き・・平凡であったとも言える。
③教訓・・万事、多面的要素を持つ。
④宣言・・私は物事を多面的に捉えられる人間です。
②気付き・・非常に慌ただしい。
③教訓・・一つ一つしっかりこなして行く事が大切。
④宣言・・私は物事を一つ一つしっかりこなして行く人間です。