カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

やめたらいいと思うのならば……

2023-06-30 | culture

 僕でもサワリくらいは知っているくらいだから相当な騒ぎだろうと想像する「W不倫事件」だが、こういう事が起こる度にある種の内省的な意見というものが聞かれる。それはもう本当に毎回聞かれる。これは一体どういうことなのか、とも思う訳だ。
 一つ代表的なものは、海外比較だ。日本だと国を挙げてのバカ騒ぎだが、まあ、海外だってスキャンダルには違いないが、社会的に抹殺されて、例えばタレントさんがテレビに出られなくなるとか(事務所が出さないとか)いう事はあり得ないのにな(日本ってバカだよね)、というもの。ただし海外では個人攻撃は収まらないので、家に石が投げられたりはするらしい。大変であるが、それはそうだと思う。タレントさんならスキャンダルの最中は顔や名前が売れているので、かえってかきいれどきになっていいのではないか。買わない人は買わなければいいし、それで儲かった資金で、被害を被った人に補償するなどの原資に充てれば合理的だ。図太さは必要だが、心の傷はいくらか早く癒えるかもしれない。
 今回はラブレターなりに、個人情報駄々洩れで、いささかやりすぎなのではないか(毎回やりすぎだと思うが)、というのもある。なぜそこまでやらなくてはならないのか、という疑問を呈する人も多い。答えとしては、それをやっていいと考えているやりすぎの人を助長させるほかならぬ世論があるためだろう。やってはいけないのなら、訴え返すなどの処置をちゃんと火中の人がやればいいのだが、日本の空気感でそれをするのも許されないというのがあるのだろう。怖いものが無いのなら、どんどんやり放題でやるのである。それが日本社会であり、いじめの構造である。割に合わないのならやらないので(例えばいじめが咎められて、被害を被るのならいじめはやらないのである)、叩きまくるのは社会が助長しているのである。
 いやだからそんなことをしなくていい、という意見を言っているではないか、と考えている人もいるかもしれない。それはたぶん甘い考えであるだけでなく、加害者のくせに自分を守っている人の意見である。そもそもそんなことが行き過ぎであると考えている人は、こんなことは話題にもしない。聞こえてくるのは仕方ないが、つまるところ関心が無いので、無視できる人のみが正しい行動である。そういう人が多数なら、このようなことにはならないからである。
 二次的にこのようなことを言っているので、僕だって助長組である。反省すべきは自分であって、叩かれている人たちではない。彼らはこの状況下で生き延びることを考えなければならないので、非常に困難な道を行くしかない。報道は余分だが、それこそが最も大きな懲罰になっている。すべての人を不幸にした後に残るものは、結局はその不幸な後の姿の面白さなのだろう。そう考える人間のいやらしさというのが、大衆の本性なのである。
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質問は盛り上がりすぎてもいけない

2023-06-29 | つぶやき

 ここ二カ月にわたって、ほぼ連日役員会理事会総会などの会議に出ているわけだが、さすがに終盤になると疲れてきて、もうどうでもよいような気分になってくる。自分が主催しているものを除くと、黙って座っていてもいいのであるが、なんの意見もないものが、よい会議とは限らない。よく準備されているものは説明が長すぎて退屈だが、内容がそれなりにお粗末なものもないではない。そういうのは突っ込みどころが結構あるのだけれど、しかしひどすぎるものほど、質問がしにくい場合がある。いわゆる紛糾してどうにもならないものがあったりすると、それはそれで参加していて残念だったりもする。その場で収まらなければ、会議が増えてしまうかもしれない。
 そうしたものも含めて、僕は比較的発言をする方である。これは性格もあるとは思うのだが、主催者側の視線など含め、何か適当なことを言って欲しい圧力に屈してしまうためのようだ。そうすると、何か指摘事項というよりも、相手が答えやすいもの、というのをできるだけ質問しようという事になる。簡単に答えられるもの、というよりも、これは相手が本当は言いたかったことなのではないか、ということになる。明らかな間違いや誤字などを指摘する場合もあるが、そういうものの上に、ついでにという感じでこれこれはどうしておられますか? とやるわけである。これが呼び水になってほかの方が質問を続ける場合もあるし、話題が広がる場合がある。うまくいくと、なんとなく満足感を伴うのである。
 しかしながらこれが上手くいきすぎるというか、脱線の呼び水になってしまう場合もあるのだ。脱線の上に雑談が勃発して騒々しくなったりする。こうなると、なんだか収集がつかなくなって、僕のせいでごめんなさい、という感じになってしまう。皆がおもむろにやっちまった感で、この混乱に気づくまで、しばらくの時間が経過する。そうして、そろそろやめますか、となるまで終わらない。会議の終了後は、そそくさと会場を逃げるように後にする。まあ、帰宅が早くなるのは、それなりに助かることではあるのだが……。
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自由奔放なムーミン   トーベ

2023-06-28 | 映画

トーベ/ザイダ・バリルート監督

 「ムーミン」の原作者であるフィンランドのトーベ・ヤンソンの伝記映画。トーベの父は国民的に著名な彫刻家で母も画家だったようで、家では弟子たちがひしめき合って創作活動をしているような奇妙な生活をしている。父からはトーベの漫画のような絵は、なかなか認めてもらえてないような感じだった。トーベは政治家の男性と不倫関係にあったが、ある時舞台演出家の背の高いかっこいい女性に惹かれていき、恋に落ちてしまうのだったが……。
 ヘビースモーカーで、活発で奔放なトーベの若き頃の姿をみると、ムーミン村の物語作家としては、いささか意外な印象も受ける。しかしながらそのような環境にあって、葛藤を経ながら、漫画のような絵を描くトーベは成功の階段も登っていくことになる。当時としては高給取りの漫画家兼物語作家になるのである。一方で恋の行方の方は……、という物語になっている。
 時折当時描かれていたであろうムーミンの絵もふんだんに出てくるが、日本のアニメで育った僕としては、ちょっとソリッドな感じの絵に、なるほど彼女は元々絵画としての作家だったのだ、ということを改めて認識し直した。絵の才能はもちろんあるが、父に認められたい葛藤も秘めながら、財政的には成功を収めることになる。ある意味割り切っているらしいところもあったようだ。作品は舞台化されるなど話題を呼び、ひいては日本のアニメになったということだろう。
 トーベには子供もいたようなので、女性との恋愛もありながら結婚もしたのであろう。そのような時代の断片を描いた映画で、いわゆる純愛ものである。別段隠された事実ということでもないのかもしれないが、時代が変化して改めて表に出されるべき物語になったのかもしれない。改めて思うことだが、男女の恋愛は、今や純愛とは呼べなくなってしまった感がある。表に出るべきものというのは、そのような時代の先見性なのかもしれない。
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変わりゆく難しさと変わらない先の格差を思う

2023-06-27 | net & 社会

 子供の時代には冷戦があったので、核兵器の恐怖を描いた作品というのは多かったと思う。それでもいつの間にか冷戦は終わってしまって、そういうものはないことになったと聞いてはいた。しかし、大人になって今の状況を見てきた中で思うことがあるのは、冷戦は続いており、ちょっとしたはずみで、変わりゆく人生のようなものがあるのかもしれない、とは思うわけだ。それでいいという事ではないのだけれど……。 
 ウクライナで戦争が行われていることは報道を通じて分かっているのだが、それなりに時間が経過してきており、諦めめいた空気感もあって、日常化しているというか、それほど気にも留めなくなっているように感じる。ある意味仕方ない面もあるのだろうけど、そういう後ろめたいような感覚を持ちながらも、平然と暮らしている現実がある。それは個人の力では抗いがたい事であり、そうであるならば、このような運命めいたことというのは、やはり防ぎようがないことなのかもしれないと、示唆されてもいる。自分たちには関係ないようでいて、しかし避けがたい危機にあることに目を向けなくなっている。またはそのような考えに、仕方なく傾いているのではないか。近くには紛争の火種がたくさんあるにもかかわらず、それはもう避けることは不可能に近く、止めるには武力行使しか選択が無さそうでもある。恐ろしいことなのだが、外交的な手段は、ものすごく小さいように感じられる。起こってしまえば、すべてが終わってしまうかもしれないのに……。
 武力行使は最終手段であるとされるが、今の状態を打破するにも、結局はそのような力を示す以外に、本当に方法は無いのだろうか。実際の外交の取引として、条件を突き合わせるためには、バックには軍事力という背景が必要なのだろうか。もっとも相手が欲しいものに対して、譲歩的に何かを差し出すことが、本当にいいことなのだろうか。話し合いのためには、そのようなものが無い限り、成り立たないのではないか。
 そうであるならば、大切であるとされる対話以前のものが、やはり必要そうにも見える。また、民主国家というものは、その時の状況で為政者が選挙によって選ばれて変わってしまう。その分世論をくみ取りやすいとも考えられるが、継続して対話するには、それなりに無理が生じるように思える。それは日本だけの問題ではなく、諸外国においても同じことである。独裁者や独裁的な組織運営である国家と渡り合うには、タイムスパンの軸が違いすぎるのである。刻々と変わり得る状態に住んでいる我々は、旧態依然の組織や歴史観を持つ国とは、きわめて渡り合いにくいということになってしまう。その為に、今の状況に不利になる可能性があるのは、変わりゆく国の方なのかもしれない。
 もっともそれは、やはり近視眼的な見方であって、自由で豊かな国が形成されるのは、やはり変化の賜物だろう。そうして時間軸が移って豊かさの失われた側の方が、緩やかに譲歩に歩み寄ってくるかもしれない。少なくともそちら側に住む人々が、耐えられなくなっていくのではないか。願わくばそれが、近い将来であって欲しいものなのである。
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ほんとにあれば行ってみたい店   タルト・タタンの夢

2023-06-26 | 読書

タルト・タタンの夢/近藤史恵著(創元推理文庫)

 これはドラマを観て、原作も、ということで買ってあった。何故か読まずにいて(ちょっと読んでいたかもしれない)、改めて手に取った。短編集になっていて、小さなビストロ店の中で起こる、ちょっとした謎解きミステリである。一品一品料理との絡みなどがあって、うまい仕掛けが施されている。探偵は出てこないが、シェフの三舟の洞察力が、そうした謎を解き明かしていく。
 出てくる人々にも、ちょっとしたミステリが隠されている感じがする。それはドラマも見ているので知っているはずだが、ドラマのキャストとは、なんとなく違った印象もある。そこのところはあえて変えてあるということかもしれない。もちろんこちらが原作で、これはドラマ化したくなるのもよく分かる。食べ物は旨そうだし、設定も、よく考えると無いのかもしれないが、なかなかによく出来ているとも思う。なるほどと思う仕掛けと、しゃれた文章に唸らされるという塩梅かもしれない。
 東京地方なら存在しうる店かもしれなくて、常連の様子も分かるが、なかなかこういう店というのは、見当たらないとも思う。そういうあたりも一つのミステリかもしれなくて、続き物を意識して作られているのかもしれない。いろんな客にいろんな事情があるものである。ソムリエがいて、ひとり一万円以下の店というのもあり得ない気もするが、フランス料理に興味の無い人間でも、こんな店があれば、絶対に通うはずである。フランスにはあり得るのかもしれず、そういう店だからこそ日本にあって欲しいところかもしれない。
 まだ続刊があるようで、気になるが、どうしたものだろう。軽いミステリだが、中毒性はありそうなのである。
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みんな変だが、騙される   去年の冬、きみと別れ

2023-06-25 | 読書

去年の冬、きみと別れ/中村文則著(幻冬舎)

 映画化されているらしいが、そちらは未見。中村正則なんで、読む方が先でまちがいなかろう。
 本にするつもりで、連続殺人犯の写真家に面会に行くライターがいる。写真家は、恋人をはじめ二人の女性を燃やして殺したとされる。話の内容を聞く限りは、きわめて怪しいのだが、どうも何か変だということは文章から伝わる。だんだんこれを書いているはずの主人公も変だ、という感じになっていく。
 芥川龍之介の「地獄変」がモチーフになっていて、文中でもたびたびそのことが出てくる。写真家は天才肌らしいが、わざわざ女の人を二人も燃やして殺したのに、肝心の写真は撮られていないか、失敗した模様だ。そういうあたりに何か秘密が隠されている様子で、さらに怪しげな人形師のような人の証言も混ざっていく。そうしてライターはなんだか変になって、本にするのを断念すると言い出すようになって……。
 終わりくらいになって、これはミステリ作品だったのだな、と分かった。分かりにくいところはあるんだけど、おおむねそれはトリックのための仕掛けだろう。確かによく出来ていて、最初のころの印象からいって意外性はある。しかし何か変なのは最後まで続いていて、そういうことを最後まで信用していいのかは、僕には分からない。概ね最後の方を信用することにして、なるほどね、と思うよりないだろう。映画の方がどうなるか、観てみようか迷っている。
 出張の帰り、別に読んでいたものを読み終えて、なんともなしに手に取った。そんな感じだったが楽しめた。ちょっとした運の良さを感じさせられる。他の作品も面白かったので当たり前のはずだが、忘れていたのである。またこの作家の別作品を読むか、文中に出ていた作品を読むか、今はまだ迷っている。
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変化した立川とか。

2023-06-24 | 散歩
 前の日にはホテル側との打ち合わせ済ませ、何故かホルモン食べて寝ました。
 そんでもって本番当日の朝です。会場はパレスホテルだったんですが、なんと今年いっぱいで閉館するそうです。二十年以上利用してると思うんですが、ちょっと残念であります。


 朝飯食べてそこらあたり散歩しました。イケヤ(ア)は相変わらずありますが、ここらあたりけっこう変わってました。


 三本のプラタナスとしあわせな三楽士。


 以前はこの辺り何にもなかったんですが、きれいな建物が立ってるんですよね。ヤギが放牧されてた記憶があるんですが……。


 美術館までできてました。


 運営委員会で打ち合わせして、昼ご飯。何故か牛タン。そうして何故かおごってもらいました。ごちそうさま。


 ここからはずっと会議やら懇親会やら、二次会やら、で役割果たしました。立場上いろいろあるんですよ。
 しかしながら久しぶりの人や、新しく変わった人や、情報交換たくさんできました。こういうの本当に久しぶりという人もいて、やはり皆さん大変だったんだな、と改めて思いました。
 一週間前にまたクラスター発生という職場もあったそうで、もうほんとに大変です。今はだいぶ対応が変わりましたが、そうすると今まではいったい何だったのか? という意見もたくさん聞きました。一所懸命やって来たことがすべて否定されたようで、複雑な心境の人も多かったようです。



 ということで、翌朝になりました。


 この日もまた研修行って、終了後講師の先生交えて食事して、中央特快に乗って霞が関行って陳情して、役員は解散。お疲れさまでした。

 連れの人が子供におみやげ買うんだとかで東京駅地下に行きました。
 ここ以外でも様々なキャラクタ―専門店が軒を連ねていて、たくさんの外国人がたむろしてました。日本はオタク聖地なんでしょうね。


 皇居前に戻って東京駅見物。


 地下鉄一駅乗って、銀座に行きました。


 銀座はじめてだと聞いたんで来たんですが、来たら来たことがあるって言ってましたね。まあ、そうだろうなと思うのですが、来たところが銀座だったと無意識でいたことの方が面白いですけどね。


 ここはアジア系の外国人が特に多いですね。ものすごく買い物してるおばさんがいたりして、凄まじいな、と思いました。


 歌舞伎座から地下に潜って帰ります。ここからだと乗り換え無しで帰れますんで。しかしながら夕方になってて、ずっと座れず疲れました。


 乗る飛行機も遅延。到着時間30分くらい遅くなったですかね。ほんとに疲れてしまってどういう訳か膝まで痛くなってしまって、これから僕はどうなってしまうのでしょうか……。

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渋谷と新宿散歩

2023-06-23 | 散歩
 今回の便はちょうど昼くらいに到着だったので、まあ空港で飯にしましょうか、ということになりました。到着出口すぐの店に入ったのですが、どうも札幌ラーメンの店だったようです。美味しかったけど汗かいちゃった。


 移動してどこ行こうかということになりましたが、同行の人が行ったことないということで、渋谷にしました。
 そんでもって着いたらモアイ像。


 元祖待ち合わせ定番、ハチ公前。外国人がたくさん写真撮ってましたので、諸外国でも有名なんでしょうね。
 それにしてもあいにくの雨ですし、同行の人はスーツケースですのでコインロッカー探すも、駅は大改装中なんでうまく探せません。やっと見つけてもスーツケースが入るロッカーは使用中ということで、まあ、大変でした。


 渋谷スカイに上ろうかとも思ったんですが、雨天は屋上展望中止ということで断念。以前も断念してたんで二度断念。残念でした。


 気を取り直してぶらぶらしますかね。


 道玄坂を登ります。しかしながら雨だから湿度も高いし、汗かくんですよね。あんまり登るのもどうかな、ということでラブホテル街を抜けて隣の坂に行こうとするも、どうもうまくいきません。


 迷ってたら忽然と千代田稲荷神社に突き当たりました。
 前にも来た記憶があるんで、同じようなところを迷ったことがあるのかもしれません。


 坂が込み入っていて、結局また、道玄坂方面に戻るよりないみたいですね。


 でたらめにぶらぶらして文化通りの方に抜けたのかもしれません。


 スクランブル方面は外国人がしきりに動画撮ってました。やっぱり映えるってことなんでしょうかね。


 そんでもってついでに新宿移動しました。今度はロッカーに預けられましたよ。
 そんでもって定番のアルタ前。先週も来ましたが……。


 ちょっと歩いて、新宿区役所前ブロンズ像「光る波」。


 一応ディープスポットなんで、ゴールデン街も観てきました。先週とまったく同じです。
 しかしながら連れの人々は、目の前にある吉本興業の会社の方が気になるようでした。そういうものですかね。


 この辺りは、いわゆるホストの店が多いようですね。


 なんかまた適当になってきたな。


 ああそういえば、ということで、新歌舞伎町タワーにまた来ました。
 奇妙な外観と外国人がたくさんで、新観光スポットなのは間違いなさそうなんで。


 で、近くのゴジラも見たいというご要望がありましたので。


 ちょっと離れて見ないと分かんないんですよね。


 新宿の雑踏は、雨の日でも健在。


 準備もあるんで、この辺でまた移動しましょう。

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若者の生きづらさは……

2023-06-22 | つぶやき

 若い人は結婚もしなくなったし、その上子供も欲しがらなくなったという話になった。まあ、そうかもしれないし、本当にそうなのかな、という疑問は持っているわけだ。結婚については、結婚という形態にこだわらない人がいるらしい、ということと、結婚という形式自体に、何かあらがうような気分のようなものがありそうである。さらに結婚に求めるハードルのようなものが、それなりに高い可能性もあるし、それにこたえられる相性に相違が出ているようにも感じる。子供については、だからその延長として、持ちたくないというか、もてない感じが積み上がっていくものであろう。先行きの不安というものに、現実の子供が負担に思うことと、実は若くなくなっている時間のタイムリミット問題もあるのかもしれない。日本社会においては特に、働き方や家族のありように、子供が現実的でなくなっているということなのかもしれない。
 実際の統計上の話になると、数十年前に比べると、若い人は着実に豊かにはなっているのは間違いないのだが、それでもそのような社会構造の中にあって、結婚や子育ての選択が狭まっているのではないか。
 ところがここで、「豊かになっている」という言葉を使ってほしくない。と横やりを入れてくる人がいて、まったく閉口してしまうことになる。その方は団塊の世代なのだが、自分たちの若い頃の方がはるかに豊かで、今の若者に豊かさは無い、という持論を持っておられたわけだ。よくよく聞いても最初は意味が分からなかったのだが、要するに精神的な豊かさは、昔の方があったのだ、ということらしい。
 そういうのは、自分の若い頃を懐かしんでいるだけのことで、本当に比較になっている話なのかはかなり疑問ではある。しかしながらそうであるとすると、今の若い人は、何か勘違いをして豊かさを享受できない感覚に陥っているということなのだろうか。
 基本的には、そのような無理解の圧力があって、現在の豊かさを享受できないし、それよりももっと良いと思われる自分のスタイルを、見出せないのではないかとも思う。少なくとも僕らより上の世代は、そういう事に鈍感でも生きていけた、ということなのかもしれない。しかしそれが自らのしあわせであったとすると、やはり昔の人は今より強かったとはいえるのかもしれない。
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いい不良って幻想ではなかろうか   SABAKANサバカン

2023-06-21 | 映画

SABAKANサバカン/金沢知樹監督

 小学生の友情物語。クラスにいる貧乏な友人と仲良くなって、イルカを見るために小さな島に泳いで渡る小冒険を行う。自転車に乗ったり、不良に絡まれたりする。あと、家庭の事情が絡んでいたり、両親が仲良かったりする。サバカンというのは、その貧乏な友人が、サバの缶詰で作ったお寿司のことらしい。全体的にいい話である。
 監督さんが長崎の出身であるらしく、長崎の風景が上手く撮られているのも見どころである。ただし長崎市が中心なのだろうけど、島原やその他の地区が混然一体となっており、物語があの辺りの話じゃないかな、という具合にはならない。僕らのように長崎県出身の人間にとっては、かえって混乱してしまうかもしれない。何故なら長崎市の少年事情と、島原市のそれは明確に違うはずだからである。まあ、彼らの友情物語は、おそらく監督さんの物語でもあろうから、本人が気にして無いのなら大きなお世話だが……。
 1980年代の情景ということになっていて、その頃の風俗も懐かしさはある。僕よりは少し年下の人たちの物語らしい。子供にとっては親の存在は大きい訳だが、親ってこんな感じの家庭もあるんだな、という感じはある。当時の「らしい」はあるのかもしれないが、実は別段標準でもない気もした。また、母子家庭の友人も確かにいたが、だからと言っていつもランニング・シャツってことも無かったし、貧乏な奴というのは、こんな感じでいじられているとも感じなかった。僕が鈍感だっただけなのだろうか? 子供のころの関心というのは、漫画だったり虫だったり魚だったりした訳で、少人数で遊ぶとなると、かなりオタクチックになったりしたものである。僕の家は比較的学校から遠かったので、道草してなかなか家にたどり着かなかった。情景として坂道が多いというのだけは、なんとなく共通するのかな、ということくらいだろうか。
 主人公の草薙君は、実はほとんど出ていなくて、映画としては、そういう風に客を呼ぶ戦略だったのかな、とも思ったことだった。
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飯田橋から大手町

2023-06-20 | 散歩
 最終的にあっち方面にはいくと思うんだけど、もう少し飯田橋方面に行きますかね。


 飯田橋の駅。坂を上っていくと東京大神宮。縁結びで有名ですけど、なら行かんでいいか。


 反対のこちら側が神楽坂。もっと涼しい時期にまた行きますかね。


 ちょっと行くと軽子坂。


 飯田橋歩道橋。交通の要衝のようで、歩く人は登れって事っすかね。



 登ったらあんがい風があって気持ち良かったです。


 日本の法律上すぐに整備できるのは河とか道路の上とか下に限られるので、このような場所に高速道などが複雑に絡むことになります。東京は特にそんな感じですよね。




 ここ来て初めて分かったんですが、ぐるっと回って反対側に来たんですね(意味が分からない人はググりましょう)。


 という事で、飯田橋周遊は終わりにせねば。



 さすがに歩き疲れて小さい公園で休憩。公園内禁煙となってましたが、タバコ吸う人でたむろしてました。まあ、そうなるでしょうね。




 神保町書店街。以前は東京出張の折には必ず立ち寄ってましたが、もうめったに来なくなったですね。9割方ネットですし、書店で本を探す習慣自体が無くなってしまったかもです。



 この辺りは楽器店とかスキー用品とかの店も多いんですよね。大学も多いせいでしょうか。



 小さい鳥居、豊川稲荷。




 豊展観守像。なんじゃこりゃって感じですが……。






 大手町にやってまいりまして、ふと考えると、読売新聞社か。


 そうなるとですね。ちょっと探しましたど、駅伝なんですよね。
 ああ、ここだったんだ、という感慨で一杯になりました。素晴らしい場所ですね。




 今回は珍しくモノレールに乗りました。お疲れさまでした!



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人生は犯罪と隣り合わせにある   犯罪

2023-06-19 | 読書

犯罪/フェルディナント・フォン・シーラッハ著(創元推理文庫)

 短編集。著者は弁護士ということで、実際の犯罪のことを書いているのかとも思われるのだが、あくまで小説なのだという。凄惨な殺人描写もあるし、拷問もある。不幸な事故などもあって、なかなかに読むものを戸惑わせるものがある。独特の乾いた文体で、簡略な説明のみで話が進んでいく場合が多く、これは本当は小説でなく事実なのではないか、とついつい考えてしまう。少なくともおそらく限りなく事実なのではないか。しかし、事実だとすると、やはりちょっと凄いものだな、という印象も受けるのだが。だから小説として描かれたということなのだろう。
 若い頃の誓いを守って、罵声を浴びせかける妻を長年我慢しながらも愛し続けようとするが、ついには殺してしまう老医師の話。資産家でありながら、父の愛を受け止められない姉弟が事故に遭い不幸のどん底に陥ってしまう物語。銀行強盗をしてアフリカに逃亡するが、そこで現地のコーヒー農園で成功したのち捕まって強制送還される男の話などもある。どれも印象的で、人間の生きている世界は、なかなかに困難が伴うこともよく分かる。幸いにしてそのような境遇に陥らず、犯罪とかかわらない人生を送っていることに感謝したくなるほどだ。
 犯罪を扱う上に、語り手は弁護士なのだから、犯罪の善悪を問うものがありそうなものだが、筆者の立場は、非常にフラットというか、むしろ弁護側として犯罪者に有利でありさえすれば、それでいいという感じだ。事実を後に知っても、特に感想も無い。そういうところに、読むものはなんだか不安を感じたりもする。本当にそれでいいのだろうか。まあ、読者にどうしようもないことなのだが……。
 妙なものを読んでいるという実感はあるが、しかしこれが面白いのも確かである。起承転結が明確ではないものの、思わず引き込まれて読んでしまう。これはどうなるのか気になるのである。そのまま終わるものもあるし、意外な結末を迎えるものもある。それらすべてが、妙な余韻を残す。この作品集が多くの人に読まれ翻訳までされたのは、実際問題としてその為なのであろう。
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国立競技場から市ヶ谷へ

2023-06-18 | 散歩
 妙な色合いの建物。


 目の前にだんだんと巨大なものが見えてきました。


 神宮外苑の表示があります。


 また来てしまった国立競技場。ほんとにでかいです。


 右行くと青山の方だろうから、四谷のほうに行こうかな。


 聖徳記念絵画館。



 神宮球場の方にはいかなくて、赤坂離宮のほうに行こう。


 なんかちょっと通りが複雑で、うろうろしてしまった。


 このあたりは緑いっぱいであります。


 神社庁ってあるんだな。





 安鎮坂。ググってみるとビートたけしが事故ったところ、と出る。へえ。


 みなみもと町公園。子供たちが野球やってました。


 学習院初等科、らしい。


 四谷見附公園。


 右手が赤坂とか紀尾井町とかですね。道が開けてきました。


 左手が四谷中学校。


 四谷見附橋。四ツ谷駅と谷はさんで麹町でしょうか。


 これまた飲んべえの聖地、しんみち通り。


 まっすぐ行くと市ヶ谷、靖国方面だよね。


 新四ツ谷駅前ビル。


 さすがに疲れてきてどこかで休憩したいかも。



 グランドヒル市ヶ谷。


 路地奥に見えるのは。


 市谷亀岡八幡宮。







 奥に見えるのが大日本印刷ビル。


 外堀挟んで向こう側が靖国神社なんかがあるんではなかろうか。



 庾嶺坂(ゆれいざか)。


 東京理科大前にある坊ちゃんの塔。漱石の坊ちゃんは、東京理科大の前身の学校卒業だったんだって。数学教師だったんだね。



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新宿を南に行く

2023-06-17 | 散歩

 朝は和定食。味噌汁は具沢山でした。


 ホテルのそばだった花園神社。蚤の市やってました。


 この神社でたくさんのドラマとか映画の撮影が行われていて、きっとあの場面だ!っていくつも思い出せると思います。


 そのわきを抜けていくと。


 飲兵衛のメッカ、ゴールデン街があります。


 素晴らしい混沌の飲み屋街なのですが、僕もここにあこがれて適当な店に入って飲んでたら、常連さんらしいおじさんからコンコンと説教されてちっとも面白くなくて、それから二度とここで飲んでません。どういう訳か、どこの店だったのかもどうしても思い出せません。三十年近く前のことですしね。無理ないか。


 朝の十時過ぎですが、昨夜から飲み続けているのか、それとも朝から飲んでるのか、数件の店は客がごった返してました。


 この怪しさが何ともいいんですよ。行かないですけど。


 そこから四季の路を抜けると。


 ザ・新宿って感じになります。


 あちこちにビールなどの空き缶が落ちてて、掃除が大変な街だと思います。ドブネズミも名物で、夜にはよく見ますしね(昨夜も見ました)。


 目の前がいわゆるアルタ前。


 今日は南側を下っていきましょう。


 南口階段。


 目の前にnewomenタワー。


 日陰になってて歩きやすかった。


 千駄ケ谷5丁目交番。


 この日の日差しは強くて暑かった。



 後で調べると、ほぼ新宿のれん街っていうところらしいです。


 道渡って、影の多いビルのそばを歩きます。



 埼京線と中央線と線路は分かれ、その先は首都高ですね。南から東に進路を変えます。


 向こうよりこっちが影が多いですね。


 何しろ首都高の影になってますから。


 国立能楽堂。用はないです。


 千駄ヶ谷駅。


 東京体育館。心なしか走ってる人が増えてきました。


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川越行って、新宿で飲む

2023-06-16 | 散歩
 今回は珍しく(以前は当たり前だったけど)品川で乗り換え。山手線に乗ることにします。


 池袋の地下でうろうろ。東武東上線に乗り換えます。
 この後地上に出て、風景見ながら電車に乗るのも楽しかったです。


 そうして着いたのは川越です。今や人気の大観光地。でも僕は今回は、残念ながら観光目的ではありません。普通なら右側に行く人が多いわけですが、反対側の西口から出ていきます。


 こっち側もけっこう立派ですね。後で聞いたところによると、以前とはだいぶ変わったんだそうです。


 ショピングモールとホテルみたいですね。涼しいんで沿って歩きます。


 わきの警察署を抜けていくと。


 目的地のウェスタ川越がありました。
 どうも文化ホールといいますか、多目的の総合文化会館みたいです。


 でもついてみると、ちょっと早すぎる時間帯でありまして、さらに僕は一人でいるときは、基本的に昼ご飯は食べません。ダイエットもあるのですが、一人でいるときは歩いている方が気楽なので、そうしているだけなんですけどね。


 しかしまあ、土地勘もあるわけではないので、本当にその辺をぐるっと、というイメージでしょうか。


 この建物は明らかに怪しくて、元は仏具店だったようですが、廃墟と化してます。


 さらにその向かいの家も廃墟化してまして、明らかにこの辺りで何かがあったはずなのです。関連のあるものかどうかまでは分かりえませんが、放置せざるを得ない事情だってあるはずで、たまたまですが、川越の暗部を見てしまったような感じも致しました。


 ということで、だいたいの感じで戻ることにしますか。


 そうやって時間つぶして、会場には入り、挨拶をして研修を受けて、しかしこの日の前と朝方まで記録的な大雨であったという事で、実は参加者はあんまり多くなかったのです。


 主催者側は大変な運営だったと思いますが、僕はいろいろと発言に刺激を受けて有意義でした。ありがとうございました。


 でもですね、事情があって僕は新宿へ行かなくてならなかったのです。
 省略しますが、これもいろいろあって場所間違えて、何とかミッションは果たすことが出来ました。いや、楽しかったですよ。これはいずれご報告ができることかもしれませんが、今は家庭の事情で話せません。またの機会のお楽しみという事で……。


 いや、楽しかったです。いろんな意味で、人生にはこんなこともあるんだな、と思ったことでした。


 場所は新宿ですが、宿はだいぶ遠かった。事務局の計らいなので、何の不満もございません。


 また歌舞伎町に戻って息子と合流。やっぱ新宿ってところは、若いころから変化し続けて刺激的なものであります。


 新しくできた新宿らしい場所という事で、歌舞伎町タワーに行きました。


 DJが居たりして、ガンガン音楽が流れる中で、モールで食事する人たちでごった返しておりました。凄いところです。でもまあ、河岸を変えますかね。


 結局焼き鳥屋に入って息子と呑んでました。じつは大人になってからいろいろ話を聞くことになって、息子ってこんな考え方してたんだな、って思ったりしたんですよ。知らないことだらけです。男親って、馬鹿かもしれませんね。いや、一般化することはできません。僕は馬鹿でしたね。



 ということで、眠らない街新宿で普通に飲んで、ホテルに帰って寝たのでした。



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