草原の実験/アレクサンドル・コット監督
題名もそうなのだが、まさに実験的な映画なのかもしれない。全編科白なしで進められ、あんまり説明がないので、まあそれなりに訳が分からない。親娘のドラマでもあるし、三角関係の恋愛劇でもある。そうしておそらく当時のロシヤの科学実験の社会批判が、根底にあるような感じなのだろう。衝撃のラストには、こちらの言葉さえ奪ってしまうものがある。確かに最後がこれでは、この映画は終わらざるを得ないだろう。
映像美を観る映画でもあるし、さらになんと言ってもヒロインの少女の表情を眺める映画であるともいえる。何度も何度も、さまざまなシチエ―ションで少女の表情を映し出すのだが、そのたびに様々な想いと共に、ハッとするような少女の表情に惹きつけられるはずである。男性でなくとも、おそらくだがそう感じるだろうカメラワークであり、あえて科白が無いために、それが引き立つ感じもある。何かを話すその声が、ひょっとすると少女の魅力さえも損ないかねないところが、あるのかもしれない。監督はロシヤの方かもしれないが、少女の顔はむしろヨーロピアンでなく(韓国とロシヤの混血であるようだ)、そうして中央アジア的であろう顔立ちなのである。よくまあこういう人を探し出したものだ、と思う。おそらくだが、この少女を撮りたいがために、その為だけに撮られた映画である、と言われたとしても納得いくだろう。もうお話の筋なんてどうでもよくて、基本的に彼女のプロモーション芸術に徹している、と言えるかもしれない。
父親などは何やら悲しい境遇に陥っているのだが、それでもファンタジーのようで、悲しさというものはあんまり感じられない。これからの生活はどうなっていくのか不安になるのもつかの間、以前から付き合っていただろう男との関係というよりも、ファンタジーを選ぶ感じもした。恋愛というのは理屈ではなく、どう落ちてしまったのか、ということに尽きるのだろう。
そんなに時間の長くない映画なのでなんとか見続けることができる訳だが、基本的には何かよく分からないままに衝撃のラストを迎える。呆然としてしまう訳だが、妙なものを観てしまった感慨は残る。これってホントに名画だったのだろうか。まあ、しかし普通では無いのは確かで、話のタネには観た方がいいのかもしれない作品だったのである。