カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

帝銀事件は今も残っている?

2023-06-03 | ドキュメンタリ

 戦後最大のミステリとも言われた帝銀事件だが、それは松本清張がこの事件を取り上げて冤罪の可能性をリポートしたことも大きいようだ。実際12人もの銀行員(関係者)が一人の男に毒殺され金を奪われるという恐ろしい事件であり、後に犯人として捕まった画家が、当初は犯行を認めたとされた後証言を翻し、死刑判決後も獄中死するまで再審を求めた。実質上死刑執行が行われなかったのは、この再審の可能性が何十年にもわたって残されていたともされ、松本清張の筆によって世論が動いたせいでもあろう。
 松本が疑ったのには理由があって、青酸化合物をスポイドで正確に致死量を量って皆に冷静に飲ませることが、あんがいにむつかしい行動であったこと(それを素人の画家ができたのか)。そのようなことに長けた可能性のある戦中の特殊部隊の人間の方が怪しかったこと(しかし最後まで個人の特定は難しかった)。戦後米軍がその特殊部隊の存在を秘匿した可能性があること、などがあった。特殊部隊とかかわりのあった人間の証言にも、このような冷静な人殺しができるのは、自分たちの部隊内の人間の仕業だろうと思っていたらしいこともあった。
 しかし当時それなりに著名だった画家の平沢貞通には、逮捕後過去に詐欺事件を起こしていたことが発覚すると世論は平沢犯人説に大きく傾き、そのまま死刑判決への流れを覆すことができなかった。しかし実証主義の松本にとっては、疑わしいのみで犯人に確定することに抵抗があったのだろうと思われる。結果的に振り返ってみて未解決事件と言われることになったのだが、では、本当に冤罪だったと言えるのだろうか。
 ドキュメンタリを見た印象としては、確かに冤罪事件としての振り返りの仕方だったこともあって疑わしいのだが、しかしさらに疑わしいとされる特殊部隊の人間に、本当に捜査の手がちゃんと伸びなかったのかというのもよく分からない問題だとも感じられた。特殊部隊の戦争犯罪は許しがたいものが多く含まれているが、その断罪が上手く行ったとはいえないようにも感じられる。そういう背景も含めて、戦後軍隊に対する国民の不信感も、この事件の背後にはあったのではなかろうか。松本清張の中にも、そのような軍部への、戦争への怒りが、この事件の真相解明ということに向かわせたのではないのだろうか。
 しかしながら、この帝銀事件という凄惨な殺人事件をクリアな形で解決できなかった戦後日本というのは、その後の冤罪の可能性などのある事件への影響も無かったとは言えないのではなかろうか。日本の検察の異常な強さと、裁判の在り方に対する不信感は、今に至っても払拭しきれていないのではないか。そんなことまで考えさせられれてしまうのだった。
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