カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

石巻、大川小学校

2018-10-31 | 散歩
 実は5時過ぎに揺れたんですよね。二回ほど。直前に目が覚めてましたが、もう完全に起きちゃった。まだまだ頻繁に揺れるんだという話は、のちに聞いたところです。



 こっち方面が海岸かな、と思いながら小高い丘を下ります。





 出ました。五大堂ですね。観光しませんけど。



 昨日は寺の方行ったので、逆方向に行きましょう。



 バスでは通ったので、ぐるっと回れるでしょう。



 観光地のつぶれた店ってのは物悲しいです。



 昨夜のコンビニはここでしたね。



 ホテル帰って朝飯。ものすごい行列で、たくさん泊まってられたのが改めて分かりました。



 

 バスで移動して、向かったのは石巻。



 被害の大きかった大川小学校に行きました。



 北上川の河口から4キロの位置にあるこの学校の悲劇は、報道で聞いたことはあると思います。全校児童108名中74名が亡くなるか、行方が分からなくなっています。先生は13人の内10人が犠牲になっています。助かった1名の先生は、いまだに職場復帰してないそうです。
 


 校舎の二階の天井まで、もうぐしゃぐしゃです。がれきはきれいに撤去されていますが、もう何だか胸が押しつぶされてしまうような気分になってしまいました。





 ちゃんと避難はしている最中だったにもかかわらず津波に巻き込まれたようですが、避難場所がすぐ裏にある山(当時シイタケ栽培などがされていて、そういう場所には子供が行かないように指導していたとも考えられるそうです)ではなく、迂回していく場所だったために間に合わなかったと考えられています。それとこの場所にいて確かに分かることは、まさかここまで津波が遡上してくるとは、とても考えられない感じです。最初に石巻のまちからバスでやって来たのですが、4キロって言ってもかなり内陸ですよ。こういう遺構が残っていなければ、報道で知っていてもピンとこない場所かもしれません。



 石巻の市内へ戻りました。



 あのポールの先端くらいまでが津波の高さ。これはみんな飲み込まれるわけですよ。





 車窓からも被災状況はいまだに見て取れます。



 高台の公園からの眺め。







 高台のウラに続く北上川。その周りも津波が飲み込んでいったのでしょう。







 さて、街の方へ降りてきました。



 デパート跡地が市役所になってました。



 昼飯は、結婚式場に併設されている寿司屋さんだそうです。





 昼食後は、あちらに見える変な建物が目的地です。


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もはや自己責任論では無い

2018-10-30 | 時事

 安田さんが殺されなかったというのは良かったのかもしれないが、この解放についての議論というのは、なんだかどうも変な感じになっているようだ。自己責任論という妙な取り扱いで議論になったりしている。
 もともと自己責任論は安田さん本人が言っていたことらしく、意味としては「勝手に報道に行くのだから、日本政府は俺には構わないでくれ」という事だったらしい(本人の自己責任であるということ)。報道のためとはいえ危険な地区に日本人が行くことはまかりならん、という日本政府に対して批判したものである。にもかかわらずご本人は何度か拘束された過去もあるものだから、身勝手ではないかという批判があるわけだ。
 さらにこのような拘束というのは要するに金の問題で、今回はカタール政府が関わって数億の金が動いたと言われているので、たとえ日本政府が金を払わなかったという事であるにしても、カタールは当然日本政府と関連を考えての行動であるから、何らかの取引を政府がやっていることになるはずである。これも聞くところによると、いまだに安田さんは政府(特に安倍政権)批判をしているそうで、助けられたにもかかわらず見苦しいといわれている訳だ。いったい何を考えておられる人なのだろう。
 ところがこれを政府批判の材料として、やはりおおむねメディアは安田さんを擁護するものが多い。この違和感にネット社会は大反発している(もしくは議論を二部している)という構図になっているように見える。
 メディアのいやらしいところは、やはり海外の取り扱いとして、主に海外に出ている著名な選手などのコメントを利用したりしている。同じ日本人であっても、外国にいる人であれば、このような勇気ある報道姿勢を正当に評価できるのであるという説教である。それは意見としてはそうであっても、要するに海外にいるので、日本のことを理解できていないだけのことではないのか。
 結局これは自己責任論でもなんでもない。自己責任論で自殺しようとしても、周りは止めようとはするだろう。問題は、金を稼ぐために報道しようとしている個人に対して、このような問題を起こしてしまいかねないことについての議論に絞るべきだろう。
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松島、瑞巌寺

2018-10-30 | 散歩
 昼飯であります。



 既に誰かが注文してたので仕方なく。



 蕎麦は弾力のあるやつでした。



 向かったのは松島です。ああ松島や~。



 観光船の二階を独占致しました。



 とにかく島がたくさんあるのでした。









 島の名前は忘れちゃったけど、いろいろ説明ありました。ググったら分かるんですけどね。









 四つの穴がある島もあります。地震で一つはかなり崩れてますが…。



 東北は日の暮れるのが早いですね。





 終了。選手交代です。



 真ん前の瑞巌寺に向かいます。



 以前はもっとうっそうとしていたと思いますが、津波で杉の木を伐採したようですね。





 ここまで津波の水が来たということでした。



 洞窟のようなところもあります。松島の岩は柔らかいのか、削りやすそうです。



 杉もりっぱですね。







 雷がゴロゴロなって、多少雨が降りました。本堂や資料館は撮影禁止。だけどいろいろ見て勉強になりました。かなり整備されていて見やすくなった印象がありました。





 近くのホテルについて、少しのんびりします。







 宴会も盛り上がりました。



 食後に散歩がてらコンビニでも探します。



 これがけっこう遠くて、行き帰り30分くらいかかったかもしれません。一人二次会しました。





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ハロウィン・田舎ではいまだに盛り上がってないと思うが

2018-10-29 | culture

 テレビを見ていると、渋谷のハロウィン騒ぎを連日取り上げている。過剰な騒ぎ方とゴミなどの問題などが関連して報じられ、おおむね批判的な視点が多いように思う。店などの都合でいうと商売的にはいいのかもしれないが、迷惑には違いないだろう。路上で無く店の中などで何かできないのだろうか。一種のカーニバル的なもので、そぞろ歩くだけの楽しみなんだろうか。酒は飲むのだろうけど。
 さらに以前はハロウィンという発音が多かったが、今年はハロウィーンとのばして発音するアナウンスが多い。どの時点で分岐した問題だろうか。誰か注意でもしたのか。
 個人的にハロウィンを知ったのは30数年前。留学生の多い学校だったので、留学生と一緒に一部仮装する学生がいた。パーティなどがあって、僕はバンドマンだから演奏したりしたのかもしれない。もっともマイナーな感じだったので、そんなに盛り上がりはしない。それくらい前だと、ほぼ日本社会はハロウィンを軽く無視していた。
 その頃聞いたのは、収穫祭などの関連行事もあるし、主にアメリカのみで子供の行事として発展したのだろうという事だった。大人も便乗して仮装して治乱騒ぎをするとも聞いた。あちらの人は仮装して夜の刺激を求めているのだろう、という解説をする人もいた。要するにヘンタイ祭りのような扱いをメディアはしていた。日本人でそんなことをするのは、だからちょっと変な人という感じだろう。
 そうして服部君射殺事件が起こった。フリーズという言葉が広く知られるようになり、アメリカ(特に南部)なんかで気軽にハロウィンに参加するのは危険なような雰囲気になる。
 結局廃れたものと思われていたが、近年になって若者の騒ぎとして復活した。映画のスパイダーマンなど、仮装するには関連のしやすいものが流行ったためかもしれない。ゾンビやお化けの仮装というのは、なりきる人達にとっては楽しいものかもしれない。
 クリスマスやバレンタインなどと同じような文化になったとも言われている。そうなのか。要するに米国化するグローバル(もしくは国際化)な問題なのだろう。さらにいうと単純化である。老人ホームでもやっているのかもしれない。大人が居なくなる社会という感じが、何とも悲しい情景である。
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よく分からない戦争体験   この世界の片隅に

2018-10-29 | 映画

この世界の片隅に/片渕須直監督

 まあ大変に話題になっていたので、いつかは観てみようとは思っていた。しかしながらなかなかDVDが回ってこない。都合待ち受け1位のまま半年以上繰り越されたのではなかったか。それだけ人気作という事だろうけど。もともと漫画原作があり、さらに実写のドラマもあるらしい。それらは未見だったが、ただし普通の戦争ドラマでは無い、というくらいの予備知識はあった。
 すずという女性の結婚と戦争体験をつづった物語。十代でもらわれるように結婚し、呉のまちで暮らすようになる。絵が好きでのほほんとした性格らしい。食糧難の時代なので、食べ物を工夫してこしらえる。出戻りの小姑が意地が悪く苦労させられる。姑は体が弱く寝ている。呉は軍港なので、激しい空襲に合うし、もちろん広島なので、近くに原爆も落ちるのである。
 いろいろあるが、もともと好きだった男とは結婚できず、結婚後一晩過ごす機会もあるが、特に性行はしていない様子だった。戦時中の悲惨な状況で、実際に大泣きするような事にもなるが、基本的には戦時中でも明るくひたむきに暮らしている様子を描いているのかもしれない。
 正直に感じたことは、なんだかよく分からないお話だった。さらにいうと、何を言いたいのか物語として不明な感じなのだ。戦争中でも楽しい日常があるのだ、という解説めいた話は聞いたことがあるが、そんなことは当たり前だろう。何しろ若いのだし、戦争も当時の人には青春である。人が死ぬから悲惨だが、そういう日常に暮らさなければならない人々は、さまざまな思いがあって当然だろう。被害者だからいつまでもどうだという話しかドラマ化しないから特異なものになるのかもしれないが、そうでは無いという事くらいは、誰だって知っていたことだろう。分かろうとしない人々を除いてはだが。
 確かにすずという女性は大変に魅力的である。とぼけた味のある、いわゆる天然ボケの人のようでもある。何か思想を持っている訳では無いが、性格がいいので他人にも好かれる。また特別にいじめられることも無いが、割に合わない境遇にもめげない力が備わっているようだ。深くは考えていないが、何も考えていない訳では無い。たくましくないが、そういうところが人間として強いとさえ感じさせられる。
 そういうものを観る作品ではあるらしい。考えるのではなく、その時間を楽しむものなのだろう。ただし、やはり人を選ぶかもしれない。結局僕には特に何もわからなかった。僕にはできないだろう生き方の人だし、そのようには物事を考えることも無いからだろう。そういえばこの監督のマイマイ新子も何か分からない作品だったな、と思い出した。こればっかりは感受性の足りない自分を恨むより無いのだろう。
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毛越寺、中尊寺。

2018-10-28 | 散歩
 朝飯であります。



 次に向かったのはガイドさんの独断です。



 厳美渓であります。



 多少の紅葉もあり綺麗でした。





 厳美渓では、「空飛ぶだんご」というのが名物だそうで、テレビなんかでも有名だそうです。民放を見ない僕には初耳でしたが、観光客の皆さんはテレビで見た通りということでした。面白かったですけどね。



 



 僕らも注文していただきました。
 厳密には僕らが最初で、そのあと次々に注文殺到。いい商売ですね。









 仲間たちは、南部鉄の風鈴とかクリスタル製品を何万も買い占めまして、またしても大興奮という感じでした。

 そうしてやっと次の観光地へ。



 ほとんど記憶ないけど、毛越寺(もうつうじ)であります。



 いやあ、広くていいところですばい。



 池を見て、やっと初めての場所じゃないな、という記憶がありました。



 そうして中尊寺へと向かいます。



 ものすごい人だかりでありました。




 何年前かに来たときは、修復作業されていてあんまり見ることのできなかった金色堂も、たっぷり見ることができました(撮影禁止)。



 後はもう、このあたりを散策し放題です。





 とにかく人が多いです。世界遺産というのは観光客に響くのでしょうかね。
 学生さん、ご年配の集団、外国人。とにかく幅広いです。



 芭蕉さんも来たらしいですね。





 松も曲がって風流ですな。





 モミの木もデカいッス。



 神楽。
























 杉の木の大きさを見ると、やっぱり古くからのところなんだな、って感じですかね。







 菊もあちこちに飾られておりました。



 バスもたくさんでんな~。



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ソ連は材料になるのか   チャイルド44 森に消えた子供たち

2018-10-27 | 映画

チャイルド44 森に消えた子供たち/ダニエル・エスピノーサ監督

 楽園に殺人は存在しない、という建前のあるスターリン時代のソ連が舞台。しかしそれは建前なので、連続殺人事件が起こってしまうとどうなるのか、ということになる。何と事件を隠蔽しようとする体制側の方が正義となるので、捜査が進まなくなってしまうのだった。この事で都合がいいのは犯人の方で、次々に犠牲者が増えていくことになってしまう。馬鹿な国には馬鹿げた恐ろしさがついて回るのだという事になるだろう。ただでさえ餓死で多くの人が亡くなるような国にとって、建前の楽園の方が大切だという事なんだろう。
 そういう話のスジの中に、スパイ容疑や同性愛問題、さらに自分と妻との関係などの絡みがある。なかなか複雑なストーリーの中で、権力闘争や謎解きが展開されることになる。多少詰め込み過ぎかな、という感じもあった。しかしながらこれはロシヤ映画では無くハリウッドもので、派手なアクションもあるし、娯楽色は強いと思う。しかしながらロシヤでは上映禁止になったそうだけど。やっぱりいまだに建前は強いという事なんだろうか。
 さらにだけど、いくらソ連の軍服を着ている人が多いとはいえ、アメリカの俳優さんたちが英語を使って演技をしている訳で、本当の意味でソ連的な閉塞感や暗さのような感じは薄れているようにも思った。画面を暗くしてそれらしい雰囲気はかもし出してはいるものの、どこかやはり派手さがあるという感じだろうか。まあ最近の映画は、たとえハリウッドでなくてもハリウッド的になってしまっているけれど、本家の米国人を楽しませるためには、どうしてもそのような演出にならざるを得ないのだろう。またそうしないと、その他の国でも上映してもらえないのかもしれない。
 今となってはソ連の時代のロシヤは、かなりわからなくなっている問題かもしれない。確かにだいぶ変化したのだろう。しかしながらつい最近までは確かに存在していた国で、やはりこのような事件がたくさん起こったのではあるまいか。娯楽的なフィクションでありながら、このような設定が出来るような国というのは、確かにずいぶん減ったのかもしれない。もちろん紛争地などはたくさんあるにせよ、このような閉塞感を描くのであれば、後はもう北朝鮮くらいしか持ち出せないのかもしれない。そうすると西洋人には違和感があるので、やっぱりソ連にしようという事になってしまうのだろうか。
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鳴子温泉

2018-10-26 | 散歩
 泊まりは鳴子温泉の予定で、その前に、鳴子こけし工房にお邪魔しました。



 こけしはちょっと怖い(人形はなんでも怖いけど)ので買いませんけど、職人芸は面白かったです。更に面白かったのは、一緒に来てた仲間たちが、ものすごくこけしを買うことでした。何万も札束が飛び交い、小さな店が興奮に包まれました。と言っても我々は僕を含めて6名。恐ろしいメンバーが旅行してたんだな、と改めて思い知らされました。

 あとは旅館に着いて一休みです。



 温泉もなかなかで、白濁したお湯で、湯上りは肌がツルツルになる感じ。こりゃ良かったですばい。

 そうしてやっと宴会です。張り切っていた訳ではないけど、一番乗りです。



 盛り上がって良かったですよ。みなさん大先輩ばかりなんですが、僕は会長兼幹事なんで、ホッと一息というところでした。







 後に部屋でちょい飲みした後爆睡。

 その後5時過ぎには起きて散歩に行きました。



 ホテルから少し登ったところに神社がありました。





 階段上ります。



 他のホテルの駐車場兼、という感じですかね。



 源泉のそばだから神社になったのかな、という感じでした。



 そのままそばのホテルの道を下ります。









 古い町並みにこけしの看板がたくさんあります。
 東北の玩具がこのように売れたんだな、ということを感じた次第です。面白いですもんね。



 足湯もあります。



 もすこし下ると、駅がありました。



 6時前だけど学生さんとか会社員風の人とか、すでに乗り込んでおられました。行ってらっしゃいませ。



 この街の一番の繁華街ってかんじでしょうかね。





 もひとつ別に山道にも行ってみましょう。



 また足湯。



 明らかに源泉からお湯を引いているようであります。



 熱そうだなあ。



 さらに進んで歩きます。





 昔はよっぽど多くのお客さんが訪れたんでしょうね~。









 さびれているけど生きている。って感じは、たぶんですが、こういう昭和な感じが近年再度評価されているからではないかと思いますね。古いながら、なんとなく若者の息吹が感じられます。結局生きているというのは、若さなのでしょう。



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強敵はどこまで我々を欺き続けられるのか    ウォッチメイカー

2018-10-25 | 読書

ウォッチメイカー/ジェフリー・ディーヴァー著(文藝春秋)

 車椅子捜査官の活躍する、いわゆるリンカーン・ライム・シリーズの7作目らしい。殺人現場にある型の時計を残していく謎の連続殺人犯を追って、特捜チームが奔走する。同時にライム特別顧問が捜査の中心人物であることには変わりないのだが、もう一人の主人公の、ライムの公私ともにパートナーでもあるサックス捜査官が、父を含む過去の刑事の汚職事件を追っている。尋問についてはダンスという西海岸から一時期来ている警官が、かなり重要な役回りを演じる。役者がそろって重厚な構成の物語が緻密に展開されるサスペンスになっている。
 二段組みで500ページを超える分量なのでさすがに重たいが、最後が気になって読んでいるというより、いくつもいくつも様々な山が連なって物語が進んでいくので、読んでいる時間自体がエンタティメントで楽しめる構成になっている。改めてこの作者の恐るべき力量と、アイディアの豊富さに舌を巻くより無い。まあ、多少は出来すぎではないかというような完全な筋書きの展開が、本当に齟齬無く実行可能なのか疑いを覚えることはあるが、文中世界の中においては、そういう問題はほとんど無いように感じられる。構成力がずば抜けていることは間違いないだろう。そうでありながらスケールは後半どんどん大きくなって、アッと驚くどんでん返しが何度も起こってしまう。これはもうテレビ・シリーズをやるか、映画にするかという事で、さまざまなエージェントがてんやわんやの騒ぎを演じているのではないだろうか。
 この物語のように、一見関係ない事象が後から密接に絡んで驚かされるという構成は、やはり事前に計画されたのちに構築されていくものと思える。これをいくつもやりすぎると、いくらなんでも収拾がつかなくなってしまうことにもなる。実際に細やかに人々を追って考えてみると、それぞれに別の分野に発展しそうな話もあるし、厳密に言ってウォッチメイカーは未完に終わっている可能性がある。そういうことを含めて、別の派生のシリーズがまた生まれていくという事になる。ある意味で大変に商売上手である。
 心理葛藤も物語の重要な流れになるが、ある意味でキャラクターの性格がそれなりに極端なところがあって、そういう部分だけは分かりやすく描かれているようにも感じる。結果的に主人公たちには優しい話になっているようにも…。このあたりは作者の愛着のようなものがあるかもしれないし、シリーズとしてファンの要望があるのかもしれない。いつまでも走り続けることは大変だと思うが、これだけの作品を生み出す能力のある人ならば、いつまでも走り続けるより無いのであろう。
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青葉城、瑞鳳殿

2018-10-24 | 散歩


 今回は何処でしょうね。ということで乗り換えでごんす。



 空港の動く歩道は何にも気にしてなかったけど、乗り換えの時は、ものすごく助かる感じですね。


 
 ということで、移動いたしましたよ。
 分かりにくいかもしれませんけど、水が到達した高さが記されております。
 そうです、仙台空港なのです。




 伊丹経由してたどり着いて、やっぱり最初は昼飯ですね。



 笹かまぼこの有名どころらしいですが、七夕の資料館になってます。





 いろいろ凝ってますが、要するに笹かまってそんなに売れたのでしょうね。確かに旨そうですけどね。



 で、ごはん頂きました。



 鐘崎笹かま館っていうのでしたかね。
 なんとかいう人の有名な切り絵が凄かったです。



 まあ、食った後だし、何か物色してみっべ。



 それからは、やっぱり移動です。何度か来たことはあるんですが、それなりに新鮮な気分です。



 着いた先でみなが騒いでたのは、狂い咲きの桜。

 聞くところによると、台風の影響で葉が落ちてしまい、更にいい天気である後に晴天になり、八重の桜が咲いているとのことでした。



 さあて、散策始めます。



 仙台城(青葉城)も地震の被害を受けた訳ですが、その中でも西南戦争等の戦没者を顕彰した慰霊碑のてっぺんにあったトビが落っこちたのは有名でした。
 元の場所には戻さず、真ん前に置き換えてあるそうです。記憶はあいまいだけど、以前来たときは落ちたままになっていたような気がします。



 そんで、伊達政宗の騎馬像。



 ここは眺めがいいんですよ。



 土井晩翠の荒城の月の句碑なんかも見物したんですが、写真が飛んでました。ちょうど音楽が鳴ったりして面白かったんですけどね。荒城の月と言えば九州では圧倒的に滝廉太郎なんだけど、ここ仙台では土井晩翠の方がクローズアップされるわけですね。

 石垣も立派でした。バスも細い道頑張って走ります。



 次に向かった先は、急な坂道を登ります。



 瑞鳳殿であります。ここに前に来たときは汗びっしょりになった記憶があるんで、季節もあるけど、だいぶ涼しくなってるんでしょうね。





 資料館観て、さらに先に…、は行かず次に行くことになりました。これも高齢化問題かもしれません。ガイドさんは歩くばっかりで先はそんなに見るべきものは無い,とおっしゃってましたが、以前はずいぶんいろんなものを見た記憶があるけどね。




 
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偏りのある歴史を知る   世界史序説

2018-10-23 | 読書

世界史序説/岡本隆司著(ちくま新書)

 副題に「アジア史から一望する」とある。内容はまさにこの副題に尽きるかもしれない。世界史と言えば、キリスト教史と重なるところが多く、そのような世界基準のようなものがあって、どうしてもヨーロッパ的な考え方を中心とした記述のされ方に偏っている。しかしながら当然そのような視点のみで歴史を語るのは、偏りすぎた考えに過ぎない。何しろ完全にアジアの視点が抜けているからである。むしろ歴史はアジア的なものを考えなければ成り立たないものがあって、当然古いそのような基礎の後に、ヨーロッパ的な世界史が始まるとでも言えるのかもしれない。
 中国やモンゴル、インドといったアジアの歴史が古いことは当然だが、日本人の感覚からは中東から地中海近辺というのは、すでにアジア的な感じは無いかもしれない。しかしながら地中海の歴史というのは、実はアジア的な基礎が多分にあるのである。またイスラム文化というのは他の文化に対して寛容なところがあって、多くの文明と共存して繁栄してきたという事実がある。そのような土台があってこそ地中海の歴史が形作られ、そうしてやがて西洋の歴史の始まりとなっていく。
 また、その後ヨーロッパには中世という時代がやってくるが、アジアにはその中世が抜けているのだという指摘は面白い。アジアはそのまま変わらずに古代的に続いて行ったが、ヨーロッパは暗い中世を体験する。その後に一気に近代の坂道を駆け上るのである。
 この本ではないが、世界的に抜きんでて文化的に繁栄してきた中国が、何故そのまま産業革命を起こせなかったのか、という話を読んだことがある。謎ではあるが、十分にその力量がありながら、近代の爆発的な展開を見せる産業革命に後れを取った東アジアが、イニチアシブとることは出来なかった。結果的に西洋列強に蹂躙されてしまう不幸な体験を味わうことになるのだが、実は西洋であっても、先に強大になったポルトガル、スペイン、そしてオランダでは無く小国の英国が躍進してしまう。それは政治と軍事と経済の連携が、信用を基準にして膨張していける仕組みを、いち早く確立させた国だったからだという。
 過去の歴史から必ずしも未来を予測できるものでは無いが、今の世の中は過去からの連続で成り立ってはいるものの、ある時を境にして、大きく変わる可能性がある。そのようなダイナミックな変貌を過去に何度も体験しており、その新たなきっかけは、必ずどこかで生まれえるものであるように感じられる。そのような考え方を学ぶためにも、やはり広範な歴史のひも解き方は知っておいた方がいいのかもしれない。
 繰り返すが、やはり西洋史は偏っている。そのことを知るだけでも、今の世界がかなり愉快に見えてくるのではないだろうか。
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こんなに旨いものがあったのか

2018-10-22 | 

 まずい店、不味かった店の情報を聞かされることがある。あそこは酷かった二度と行かん、とおっしゃる。まあ、ひどい目にあわれた事はお気の毒かもしれない。多少問題に思うのは、僕はそんなこと思ってなかった時である。それなりに美味しかった記憶のあるところを激しく非難されることもある。人の味覚なんて千差万別だと理屈では思うものの、何か釈然としない気分だ。
 古い話になるが、30年くらい前に「美味しんぼ」という漫画が流行っていた。僕はその影響だとにらんでいるのだが、やたらに素材に執着(当時「こだわる」とも言っていた。まったく嫌な言葉だよ)したり、批評したりする人が見られるようになった。食べて偉そうな人が増えたのである。まあ、以前から食通ぶる(実際に食通もいるんだろうが)人は一定数いるだろうが、それは金持ち自慢のようなもので、見た目はもともと下品である。しかしこの漫画以降、何かそういう人が量産された。店の内部事情などに通じ、料理法なども解説してくれたりする。そういうことが楽しい場合も当然あるが、それをもとに非難する場合がいけないのかもしれない。理屈で味が悪くなるというか、気分が悪くなるのである。味の分からない人間は、何か下等な生物であるかのようなことを言われる。ちょっと理不尽ではないか。味の分からない人間と人格は、何の関係も無い。人格が悪くても、味のわかる人間が存在することが、人間の本質である。
 まずいものを食わされたことは当然あるんだが、まあ運が悪かったと諦めるより無い。食えないほどだったら食わなければいいし、店を変えたらいいと思う。腐ったりしていたら、店員に教えたらいい。その時まずいと思っても、次回はそうでもない場合だってある。自分の体調を疑うことも、時には必要かもしれない。僕はタコ焼きやカレーが嫌いだったが(体調が悪い時に食べて、もどした経験がある所為だと思う)、今はそうでもない。人間にはそういうことが起こりうるのである。
 時々不味いと言われていた店の暖簾を、あえてくぐってみる。なるほどまずいな、というのはそんなにあるものでは無い。僕が寛容であるとか、味音痴である可能性は高いが、そんなものである。本当に不味かったら面白かったのにな、とも思う。ちょっと残念かもしれない。
 僕自身は、常日頃はあんまり旨いものを食わない方がいいのではないかとも思っている。そうすると時々旨いものを食う時に、感動が深まるのではないか。人間はなんにでも飽きる能力が高い。日々贅沢をしている人は、食通にはなれないと思う。何故ならそういうものの味が、分からなくなる可能性があるからである。
 昔の人の話で、こんな旨いものがあったのか、と驚いた記憶のことを聞かされることがある。戦後に貧しくて腹を空かせていたり、日ごろから芋ばかり食べていたようなことがあり、そんなにごちそうでなくても、ひどく感動した食の思い出があるのだろう。生活は貧しくても、それは豊かな思い出なのではないだろうか。
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純粋すぎて燃えるもの   バクマン。(実写版)

2018-10-21 | 映画

バクマン。(実写版)/大根仁監督

 高校生の二人が漫画雑誌の少年ジャンプ誌上で、人気投票の頂点を目指して奮闘する物語。原作の人たちも(高校生ではないが)コンビで漫画を製作しており、勝手な想像ながら、そのような制作秘話的な感じもある。まんが道ものというのは、漫画世界ではそれなりのジャンルになっている訳だが、当然彼らの日常的に行っている私小説的な側面があって、そういう部分に多くの読者は惹かれるところがあるのだろうと思われる。この作品はエンタティメントとしての爆発的な面白さがありながら、現在の漫画家たちの生態のようなものが事細かく分かるという点でも、非常に興味深く、また貴重な作品になっているように思う。僕なんかはこんな世界に住むのはまっぴらごめんだけれど、この世界を純粋に目指す(主に若者だろうけど)人達にとっては、この上ない作品なのではないだろうか。
 実写版なので漫画的な意味では、かえってデフォルメがむつかしいものと思われるのだが、集英社の編集部の様子というのは、恐らくかなりリアルなのではないか。ここだけでもかなり異常な世界があるのだけど、編集者という人達も、漫画に対して異常な情熱をもっていることが分かる。ある時は作者に対して巨大な障害のように立ちはだかることもあるが、時間のかかる漫画制作において、どれだけその作品が面白くなるのかという事にひたむきだという事が分かる。それは作者たちにとっては本当に命をすり減らす過酷な課題なのだが、その為に非常に質の高い作品が生み出される原動力になっていることも理解できる。日本が漫画王国である一番の理由は、ひょっとするとこのような現場のヒエラルキーがある所為なのかもしれない。もちろんこういう世界に向かない作家もいるのだろうけれど、実際にこの高校生たちも、ある意味ではタイミング的には向かないともいえるのだけど、異常な漫画世界で生きて行く厳しさと面白さが、ひしひしと伝わる作品なのではないかと思う。僕は男という事もあるのか、いわゆる男の子として燃えるものがあって、観ながら思わず声を上げてしまうような興奮があった。実際に書いているのは地道な作業に違いないのだけれど、非常にエキサイティングでスリリングで、なおかつ泣けるのだ。
 一つだけ思うことは、高校生で漫画家という立場は貴重なのかもしれないけれど、やっぱり学校は辞めて漫画を描いた方がいいとは思った。彼らは漫画の道で頂点を目指しているのであって、学校の勉強というのは、障害にしかならない上に、不必要なものである。本当に才能のある人間は、学校に行く必要などない。そういうことに彼らもまわりの人間も、もっと早く気付くべきだとは思った。まあ、作品上仕方のないことだけれど。
 少年ジャンプの3大原則は「友情・努力・勝利」なんだそうだ。世の中というのはそんな単純なものでは無いけれど、少年が生きて行く上では本当に必要なものなんだな、という事が改めて分かる。そういう要素に特化した物語とは何だ、という答えが、この作品そのものなのであった。
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Jの鷹といってもカントリー

2018-10-20 | 音楽

 最近息抜きに何聞いているのかというと、ジェイホークス。名前もダサいし、日本ではなんとなくさえない感じもするかもしれないカントリーバンドだ。80年代あたりから活動しているらしいが、しかも主要な一人は抜けているらしいが、そこのあたりは後になって、つまり最近知った。というかもともとぜんぜん知らなかった。
 要するにファンでもなんでもなくて、これまでもまったく聞いたことが無い。ラジオ番組で二曲だけ聞いて、それからなんとなく気になって時々ユーチューブで見てしまう。
 映像でみると、さすがにおっさんたちという感じである。ロックを聞く年齢層は高齢化の一途だが、カントリーも同じらしい。いやカントリーはもともと高齢化していたような気がしないでもないが。
 そこでだが、実は一番気に入った曲があって、主にその曲を聞くのである。曲名はcome cryi’n to me. ふだんはコーラスくらいは入るみたいだけど、バックでキーボードを弾いている女性がメインで歌う。まあ、メンバーが高齢化しているので、はっきり言っておばさんっぽい人である。他のメンバーもカッコいい人なんていないが、この人もそんなにイケてはいない。
 そうなんだけど、これがお姉さんって感じでいいのである(僕から見てという相対的な意味ですよ)。ホーンセクションもカッコいい。一昔前のクイッシー・ハインドみたいなものだろうか。いや、まあ違うんだけど、映像を見ないで聞くと、けっこう渋い歌だな、と思います。
 ついでにと言っちゃあなんだが、他の曲もいいですね。自分たちが好きで歌っていて、でもそんなに自己中心的でない。ちゃんとキャッチーだと思う。そういう感じが心地よくて、それでいて凝るところは凝っているし、安定してカッコいいのである。
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下から横からか議論は、考えたらすぐわかる   打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?

2018-10-19 | 映画

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?/岩井俊二監督

 テレビ番組用に作られた作品らしい。後にアニメ映画にもなっているが、観たのは古い実写版。14歳の奥菜恵が出ている。
 クラスにいる美少女に男の達は憧れている。親友もいつか告白すると言っている。水泳の勝負の審判を、この子がしてくれる。アクシデントがあって大差がついて、告白すると言っていた方が勝つ。彼に対して彼女は、一緒に花火に行こうと誘う。この男は様子がおかしくなる。そうして男の子たちがみんなで花火に行こうと約束していた方に、テンション高く参加してしまう。
 もう一つ話があって、とり残された少女のことを知って、負けた方の少年は彼女と駆け落ちのまねごとのようなことに付き合う。小さな恋のメロディである。しかしながら少女の方は怖くなったのか、逃避行は止めて帰ってしまう。
 一緒に逃げるのは誰でも良かったのか? これはある意味ではそうで、ある意味では違ったかもしれない。それで少年たちは翻弄される訳だ。そうしてこれは恋なのかというと、単に親への反抗なのだろうとも思う。少年たちは振り回される訳だ。結局彼女は立ち直ったのかというと、たぶんこれで立ち直れるのだろう。しかし、少年たちには傷が残るわけだ。激しい夏の思いなのだが、まったく届くことは無い。それでいてその後の一生に何らかの影響があるわけだ。
 岩井監督の視線というのは独特なのだが、いわゆる正直でもある。架空の夢のような話しながら、なんだか体験したことがあるような感覚にもなる。これって出演していた親たちがみたら、なんか変な気分になるんじゃなかろうか。
コメント
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