カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

元祖引きこもりといわれる人   モリのいる場所

2019-08-31 | 映画

モリのいる場所/沖田修二監督

 主人公の熊谷守一は、日本の画家。昭和52年8月。97歳で没。変な絵を描いているらしいということは示唆されるが、もっぱらこの老人の庭でごそごそと何かを観察しているらしい日常を描いている。昆虫たちを眺め、ため池のメダカなどを眺める。そうやって一日無為に過ごす芸術家である。そんなにスジがあるわけではないが、そのような熊谷と家族の日常を描くことと、近隣にマンションが建つことになるらしく、何か不穏な空気がある。支援者も含め、この芸術家の生活を守ろうじゃないか、ということらしい。
 客も多く、著名な画家から絵や書を頂戴したいという考えの人がやってくる。気が向かなければ庭でボーっとするのに忙しいと言って断るが、何かの間違いなどで気が向いたら、注文とは別に、自分の書きたいものを書いてしまう。基本的にいい人のようにも見えて、面倒くさい変人である。
 本人に何をしたいという明確な意思は感じられないが、小さいながらも小動物たちにしてみれば広大な森の中にあり、日々充実してもっと生きていきたいということのようだった。仙人のような人だけど、俗なのである。しかしこの人に引き付けられる現代人は多いようで、カメラマンや訳の分からない人や、建設業などがなんとなく押しかけてきている。演じている山崎勉も大変なファンだったそうで、引きこもりの王様のような守一に、ほとんど同化しているような演技であった。
 実際のところは、病気をした晩年に引きこもった(30年とかいう長さではない)ようだし、もっと狭いところだったともいわれている。ものすごい貧乏で、5人の子のうち3人を亡くしている。有名な画家でもそういう感じなのだろうから、奥さんが偉い人なのかもしれない。
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自己責任が果たせない不真面目な日本人

2019-08-30 | culture

 外国人が日本に来て驚くことの代表的なものに、「電車で寝ている人」というのがある。諸外国は違うらしいが、日本だと多くの人が寝ている。一般的に締まりのない日本人であるとか、平和な日本としての風景(寝ていても物を取られない)として語られているものである。視覚障害の外国人が日本の電車に乗ると、人がいっぱいいるのに静かなのに驚くらしい。外国では電車内で大声で話をするとか電話しているとかが一般的で、人が居るんならうるさいのが当たり前らしい。まさかスマホでゲームするか寝ているかの人々がひしめき合っているなんて、想像もできないことだろう。
 しかしながらこの電車で寝ている人の原因は、他ならぬ日本人の睡眠不足にあるのではないかという。適正な睡眠時間には個人差があるので絶対的とは言えないまでも、7時間から9時間程度といわれている。なかには6時間から10時間というデータもあるようだが、医学的な検証をもとにそれなりに確かそうなことである。面白いのは短いのはもちろん論外だけれど、長すぎても死亡率は上がるらしい(特に女性)。日本人は比較的短めでもよいとする説もあるようだが、それでも最低7時間というラインは毎日寝る必要があるらしい(導眠や目覚めの時間を含めて8時間とするのが一般的だが)。週末の寝だめというのは、寝ないよりはましかもしれないが、生活習慣上は問題がありすぎる補正であって、危険が多い。毎日コンスタンスに平均的に寝るより他に、方法は無いという。時間がどうというよりも、通勤など日中に眠気を感じるというのは、少なくとも疲れのとれるほど十分な睡眠がとれていない証拠なのだという。つべこべ言わずに寝るべし、というのが、絶対的な正解なのだ。
 というのは分かり切っている事実であるはずなのだが、それでも守ろうとしないのが日本人の多くの精神性だろう。それでも何とかなる方法があると思っている人が、多いように思う。要するに日本人は、睡眠に関しては極めて不真面目なのである。しかし日本人は、外国人の睡眠に関して、欲望に忠実に眠たいから寝ているだけの性格だろうと思っているのではないか。彼らが自分に正直なのは、人として生きていることに誠実だからである。不真面目な日本人は、そのことにすら傲慢に、自分が寝ていないことを、仕方がない要因のせいであると考えているきらいがある。自分のやらかしてしまっている自分の責任問題なのに、他人事にしている人が多いのではないか。コンビニの24時間がどうとかいうよりも、まず22時以降活動しない人が増えると、日本人は健康になるのではないだろうか。
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人生を奪われた女性の半生   アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル

2019-08-29 | 映画

アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル/クレイグ・グレスピー監督

 フィギュアスケーターのトーニャ・ハーディングの物語。事件のことは多くの人が知っていることだが、実像はそんなに知られていないのではないか。とにかく最初から変わった家庭に育った天才少女だったことから、もともと境遇が悪すぎて、かわいそうな気もする性格の悪い人に育ってしまった歴史である。
 スケートに関しては天才少女だったことは間違いなさそうだが、この子を育てた母親が強烈な変人である。こんな人作り話で存在したのなら、嘘っぽすぎて脚本家が笑われる。そうして事件を起こした夫とその友人が、典型的なアメリカ人的にバカである。裁判では死刑にすべきだったのではなかろうか。しかしそういう人とパートナーになったトーニャという女性だからこそ、運命的な不幸を背負ってしまったということなんだろう。まったく可哀そうなことであった。
 演じているのは女優さんなんだと思うが、氷上の演技も見事に見えるので、たぶん特撮なんだろう。ドラマ中心の映画ではあるが、こういうのは、現代的な技術の進歩のたまものだと思う。違和感なく、そうして迫力がある。疑似ドキュメンタリーが混ざるが、そういう処理も上手いと思う。アメリカではたいへんに盛り上がっただろうお茶の間のスキャンダル事件だったんだな、ということが改めてよくわかった。いや、日本でも騒ぎにはなったはずだが、こんな話だったのかは正直よく知らなかった。まあ、知っている人も知らない人も、楽しめる映画ではある。いや、楽しい話では無いけど、これだけバカな人達の半生を観て楽しめるのが人間のサガである。
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徘徊は良い生活のため

2019-08-28 | 掲示板

 夏バテというか、けだるい。疲れが溜まりやすくなっているのではないかと思われる。事実疲れている。そうしてその疲れが容易にとれない。体が重たい。そうしていつも眠い気もする。
 睡眠が大事だというのは分かる。若い人はそれでも無理をしがちだが、やはり体力があるのだろう。無理をしても頑張ろうとして、そうして結果的に疲れたとしても、それは結局元気な証拠だ。僕らの場合は、もうそういうことではない。はっきり違いが分かるほど、年老いてしまった。何しろそういう無理をする前に無理だと分かっているので、もう無理をあきらめている。準備など十分やるものではない。不十分は何も補えない。ごまかすのみである。
 だから最大の努力は先に休んでおくこと。それができない老体は、単に馬鹿なだけであろう。もしくは、経験を活かせない愚か者である。なのだが、そうして休んでも疲れが取れていない。睡眠の質が悪い。そういう感じもある。寝る体力さえ落ちているのだ。十分に寝ようとして、早く寝すぎると、そういうことがかえって露呈する。ちゃんと眠くなるように、その前の準備が必要だ。適当な運動があったり、規則正しい生活だったり、深酒をしなかったり、そういうことかもしれない。それがあっての良い睡眠なのだ。
 しかしすでに怠いのではどうか。軽く足踏みや、階段を上るなどする。心臓がちょっとドキドキするくらい体を動かしてみる。そうすると、ちょっとの間くらいは頭がさえる。座ったままだとずっと怠い。そもそも日本人は座りすぎだという。30分以上連続して座るのは、すでに体に悪いのだそうだ。学生生活は、不健康だったんだな。しかし若かったから、何とかなっていたのだろう。僕らは座る事さえ危険な世代になった。ウロウロして、煙たがられない程度に、徘徊すべきなのかもしれない。
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オリンピック・ボイコットも是非お願いします

2019-08-27 | 時事

 韓国のGSOMIA破棄のニュースは、実際問題としては十分に予想されていたことである。いや、さすがにそこまではしないだろう、と思っていた人が居たとしても、今の熱量であれば、ありうるかも、くらいには思っていたのではないか。いくら何でもそこまでは、と思う前に、今の感じならそこまで行くかもな、が先に来ていたのではないか。で、実際にそうなってみて、ほほう、ほんとにそう来たな、と思ったのではないか。そうであるなら予想の範疇だが、まあ、ほとんどの人は、そんな約束してたんだね、くらいかもしれない。そうして、いつものことではあるけど、まあなんというか、愚かだよな、と思っていると、今度はさすがに米国も黙っていない感じになって、やっぱり今度は間違ってなかったんだと思った人も多かったのではないか。それを単に日本が喜んでいる図式になっているのであれば、なんとなく情けないが、ちょっとだけ溜飲が下がってしまう心情は仕方ないかもしれない。そういうわけではあるが、実際のところは予想通りなのである。
 さらに多少そう思っている人の中には、韓国がそのように踏み外すという予想であることで、うまく引っかかってくれた、という感慨もあったことだろう。だから本来は驚くべきことではないのだが、ことさら驚いて見せて、辛辣に非難し返しているという感じが盛り上がっているわけだ。それをまた批判したい人がいるのであるが、非難できる状況であるのは当然なので、行き過ぎと非難するには当たらないのである。さらにもっと踏み外すように、何か仕掛けをしないでいても、今後も何かしそうであるとは理解できるだろう。そういう意味では、その愚かさを叩くだけでよくなっているわけで、楽である。
 もちろん、基本的にあちらがやっているのは、自分たちの満足のための嫌がらせにつながると思われる行動である。それをやると、国内的に盛り上がるし、最終的には日本が観念するはずであるという根拠のない信念であるから、また、妙なことを言い出すことに変わりはないのである。日本が逃げられない(と差別的にとらえて日本を叩く準備をしているメディアに対して)と考えている、戦争歴史問題をぶり返す道を模索しているはずで、これを特に米国世論が支持しやすい論法で、感情攻撃を仕掛けてくるはずである。実際そういうことに関しては、米国世論もよくわからないなりにわかりやすく間違いやすいので、これまでも安易に同調するものが居たのである。しかしながら基本的には明らかな間違いなんだからと思ってこれまでのように傍観していると、何か事実というものが変貌していって、妙なことになってしまっていたのである。結局は、やはりいかに不当であるかということくらいは、発信せざるを得ないだろう。めんどくさいが、呆れながらもやるしかない。
 ちょっとでもメディアの方が、日本にも責任があるような論調に傾くと、それはさらに韓国の嘘を助長させることにつながっていくだろう。これまでもそうして勝利を収めてきた(と考えてきたから、繰り返し嫌がらせをしていた)わけで、そういう方策に頼るしか道が無くなっているのだろうと思われる。前にも書いたが、ある程度長期的に教育をし直す必要があり、本人が病状に気づくまでの道のりは、それなりに長くなるということになろう。人道的に考えるならば、病気であることは明確なのであり、今は治療の最中なので、処置は続けざるを得ないのである。
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ベアトリスという猫

2019-08-26 | ことば

 朝の番組の猫の名前だったと思うが、ベアトリスということだった。種類や顔かたちは忘れてしまったが、名前は記憶に残った。ペットの名前というのは、どういうわけかちょっといい加減に呼びやすいものが多いように思うが、これはなんとなく目を引いて、かえって覚えてしまったのだろうか。散歩してても、何度も思い出した。どうしてだろう。なんとなくいい加減に感じないからだろうか。しかしベアトリスというのは、歴史がかった女王様のような名前だ。当然知人にはいないし、しかし記憶にある著名人にもいない。いや、映画で見た名前にあったかな。しかしそれはどんな映画だったか。
 人名語辞典を読むと、ラテン語のビアトリクスを語源としているようだ。意味としては「幸せにする人」。「神曲」に出てくる天使のような女性で、ダンテが愛してやまない永遠の女性の名前として知られているという。ベアトリスは、主にフランスやスペイン経由のようだ。
 あの猫は雌だったのだな。そんなことも忘れていた。しかし普段からベアトリスと呼ぶのだろうか。ベアちゃんとかトリスちゃんと略するのか。あんがいベスもありか。でも略さないほうがいいな。ベアトリス。まあ、なんとなく猫にはふさわしいような名前のように思えてきた。ちょっと貴族的で嫌な感じがいいのかもしれない。
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偉大なダーウィンの犬になろう   ダーウィンの夢

2019-08-25 | 読書

ダーウィンの夢/渡辺政隆著(光文社新書)

 ダーウィンの進化論は、今や猫でも知っている理屈だろう。しかしながらあんがい理屈自体は、誤解している人も多いのではないかと思われる。たとえば人間はサルから進化したと考えている人もいるかもしれない。サルと言ってもいろいろあるが、チンパンジーは、きわめて人間に近い種である。しかしながらチンパンジーが進化していくと人間になるのか? おそらくならない。サルと人間は進化の途上で枝分かれした違う種だからである。サルと人間の共通の先祖がいるわけで、きわめてそれはサルらしいのかもしれないが、ちょっと違うのかもしれない。また、犬と猫はかなり近い種であると言えば、これまた意外に思う人もいるかもしれない。しかし人間とサルのように、共通の先祖であるというのは、考えてみると当たり前ではないか。
 著者は大変に文章が上手いだけでなく、その構成も素晴らしい。いつの間にか読まされるように読んでいって、驚くべき進化の歴史を具体的に理解することができるだろう。そういう意味でお得な本なのである。そうしておそらくだけど、僕らはダーウィンの信者になるのではなかろうか。
 進化論が実感として分かりにくいとすれば、それは時間の問題かもしれない。人間の寿命というサイクルで考えると、例えば2000年前のキリストの時代の人間と我々は、進化の途上で何の変化もないように見られる。時代背景はまったく違うが、生物としての人間としての比較は、何の違いも見つけられないのではないか。しかしながら、数百万年という時間軸に置き換えていくと、人類は間違いなく大きな進化を遂げているはずなのだ。それを裏付ける化石が見つかり、考察は進んでいる。
 さらに人間は、その進化の理由を手っ取り早く理解しようとする。キリンの首が長いのは、より高い枝の葉を食べたいという思いがそうさせたと考えるように。しかし実際にはそのようなキリンの意思のようなもので首が長くなったわけでは無く、まさにたまたま首の長いものが生きながらえて淘汰されてきた結果が現在そう見えるだけの事である。そういうあたりが進化論の誤解を大きくしている。
 そういうことで、進化論は有名であるばかりでなく誤解だらけの理論である。専門家であっても、ダーウィンの進化論とたもとを分かつ議論が現在にもある。それくらい進化という考え方のバリエーションも多いわけで、科学として実証のむつかしい時間を論じているせいなのではなかろうか。
 ダーウィンを知るということと、この生物進化を知る術として、これ以上に有用な入門書、読み物はそう多いものではない。いや、世間には多すぎる解説書は既に存在しているのだが、あえてこれは貴重なのである。まあ、面白いので読んで得というのが一番であろうけれど。

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エジプトと宇宙人

2019-08-24 | Science & nature

 エジプトのツタンカーメンのお墓に、一緒に埋められている装飾品の中に、いまだにほとんどさび付かない短剣がある。鉄には違いないが、当時どのような技術があってこのような加工ができるのか、分析にかけられた。ところが驚いたことに、この鉄を組成する物質は、地球上には存在しないものだった。恐らく隕石を加工して短剣にしたということかもしれないが、もちろん当時のエジプト人は、そのような優れた素材であることを知ったうえでそうしたはずである。この「証拠」から、エジプトと宇宙人との関係は、現実味のある話ではないかということが言われるようになっていく。
 確かにエジプトにあるピラミッドの多くには、それなりに謎があるという。現代の技術でもってもかなり困難な作業を、古代人は正確にやり遂げている。さらに実際にはピラミッドには砂岩などでコーキングが施されていたことが分かっているが、後の人たちがこれらをはがして、別の寺院の材料にしたといわれている。エジプト後期の人間が余分なことをしなければ、ピラミッドは、いまだにその姿を崩すことなく存在出来たかもしれない。要するにそれは、当初は人間以外の人知が混ざって建設されたものだったが、人間のみで何かをやろうとしたら、レベルが落ちたのではないかということらしい。
 また当時の風習もあるとはいえ、後頭部が突き出て長い頭をした骨も、たくさん見つかっている。子供のころから頭にひもなどをまいて頭部を変形させるという風習はあったようだが、そのようにして変形させた頭部は、容積自体が変わるわけではなく、当然脳が大きくなるわけではない。しかしながら古代エジプトで発見されたいくつかの頭蓋骨は、明らかに突き出した骨が、大きな脳を入れて巨大化したように見えるものがあるという。それはすでに人間のものであるかも怪しいという。
 まあ、他にもいくつかあったが、僕が子供のころから何回か聞いてきたオカルト話ではある。しかしながら謎が実際に解明されていないようなものもあるし、宇宙人が来たのは本当であるかもしれない。僕らの体には、宇宙人が書き込んだDNAの暗号が埋め込まれている可能性は否定できないし、そうであるから、今暮らしていけるのかもしれない。
  もちろんそうだとしても、目的は分からない。彼らが旅行がてら、飢えを満たす肉を調達させたいからかもしれない。地球の進化した文明と、改めて交わりたいからかもしれない。一応物理の法則があるから、現状そばに宇宙人と交わり得るほどの痕跡を見つけることはできないが、超非現実的な物理革命がおこるかもしれない。
 まあしかし、頭が大きくなったら、それなりに生活には影響がありそうだけどね。
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面白くなりそうだったが駄目だった   ローガン

2019-08-23 | 映画

ローガン/ジェームズ・マンゴールド監督

 アメリカアメコミ映画化作品。ウルヴァリン・シリーズというのか、後日談のようなものなのか。ともかくミュータントはさびれているようで、うらぶれたミュータントの男は、リムジン・カー(ハイヤーということか)の運転手をしながら、アル中の生活を送っている。また昔の仲間の介助もしながら暮らしているようで、えらいといえば偉い。そういう中ある少女をカナダまで送ってくれと依頼を受けるが、依頼した女性は何者かに殺されてしまう。金だけは残されていて、そのまま不思議な少女(同じくミュータントであることは明白)を伴いながら、強大な組織に狙われ襲われる中逃避行の旅に出る。
 なんか煮え切らない男がフラフラしながら苦しんでアクションを行う。もともと猛烈に強いということであるようで、それが無ければ生きてはいけない(というか不死身みたいだけど)。皆、すごい殺傷能力を持っているわけだが、人間の組織は多くの犠牲を払いながらも、何とか彼らを抹消しようと努力している様子だ。結局無残に多くの人間は殺されまくるのだけれど…。
 多少ドラマ的なものでの展開はあるが、主人公が馬鹿なので盛り上がらない。もう少し物事は考えながら生活したほうが良いように思う。要するに共感しにくいのである。少女との謎解きドラマにはそれなりに面白いところがあるので、つまらないわけではないが、ちょっと残念な出来栄えかもしれない。まあ、原作のアメコミを読んでいる場面があったりして、重層的な謎解きになるような期待はあったのだけれど、もはやこれまでであった。
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狩猟をするという生き方

2019-08-22 | 境界線

 京都で兼業猟師をやっているという、千松信也さんのドキュメンタリーを見た。鉄砲ではなく罠を仕掛けて、イノシシやシカを捕らえる。後で補足的にネットの記事などでも確認したが、誰かが殺して肉だけを食べるということの漠然とした疑問があったようで、自分が生きていくために食べる肉は、自分で捕ろうということのようだ。二人の息子と妻と四人家族で、捕ってきたイノシシなどを解体して食べる様子などが紹介されていた。
 僕は知らなかったのだが、近年は狩猟というのはそれなりにブームになっていて、猟をする人は増えているのだという。いろいろ考え方はあるようだが、自然の中に生きるということとか、ジビエのような料理に注目があつまるなど、様々な要因が絡んでのことらしい。また、いわゆる農業被害の拡大に伴う駆除として、農家などが自営的に行っているものが、自治体などの援助を受けて、仕事として請け負うような人もいるようだ。食べていけるような専門の猟師もいるらしい。
 先に書いたように千松さんは生き方として猟師をしているということで、もちろん経済的にも肉を買う必要が無い分収入を減らせる(運送の仕事もしているようだが、肉が捕れたら仕事を制限して、あまり働かなくて済むということのようだ。肉などを買う現金が必要ないのだから)という考え方をされているようで、副業なのだが、イノシシや養蜂などから得られる収入もそれなりに考えて、仕事をしているようだった。子供も二人いるわけだし。これは想像だが、そういうことに特化してお金を考えているのではないか。
 哲学的に面白い人なのだが、ドキュメンタリーでは、この捕らえた動物を仕留めて殺す場面を克明に描いていた。狩猟のリアルを伝えるためだとは思うが、それなりに残酷である。罠にかかったイノシシを、棒で頭などを叩いて弱らせて、動きが弱くなったら心臓に刃物を突き刺して絶命させる。イノシシは断末魔の叫びとともに絶命する。命をいただく代償は、このような残酷さと向き合う苦痛を伴うということなのだろうか。
 要するに我々は、この大切な部分を端折って生きている訳である。イノシシ(豚や牛や鳥だろうが)の生きている(または死んでいる)姿は、まったく意識しなくても、肉はグラム幾らの商品として、食材として、クリーンに食べている。死ぬときに叫び声をあげたことなど、知りはしないし、想像もできない。それは、単に逃げているからかもしれない。
 さて、この苦痛を知らない僕らはしあわせなのだろうか。知っている千松さんは、しあわせなのだろうか。もともとそのようにして里山で暮らしていただろう人々も、それは昔はいたのだろうが、経済活動の変貌とともに廃れてしまった。そうして千松さんのような人は、実はきわめて現代的な生き方の一つをしているのではなかろうか。恐らく、自分で生きる満足感と、家族とともに、そのようにして生きていこうというスタイルが、彼を狩猟へと駆り立てているのではあるまいか。そうしてやはり、希少だからこそ、やっている価値があるということなのだろう。
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お互いが分かり合うという布石(単にやり返してるだけだが)

2019-08-21 | net & 社会

 友人と飲んでいたら、日韓問題でだいぶ損しそうだという話をしていた。実際問題としては隣国である韓国との経済的なつながりはそれなりに深いわけで、そういう関係の上で仕事をしている人には、大打撃は免れない状況であろう。お気の毒である。もともとこのような経済的なつながりがあって、なおかつ民間の交流があるからそこ、国と国は平和的な友好関係が築けるのであるといわれていたわけで、僕もその通りであるとずっと思っていた。しかしながら逆説的に言うと、これだけ深い間柄になってもこのような状態に陥ってしまう両国の関係性が問題なのであると、今回のことを鑑みてつくづく思わざるを得ない。あちらでは不買運動などもっと大変だとは思うが、こちらで韓国の商品の売り上げが、極端に下がるなどは、あまりないのではないか(それなりの自然減にはなろうけれど)。まあ、好きなものを買えばいい自由さが失われないことは重要だろう。
 さらに今回は、非常に珍しく日本がちょっとだけ強硬な姿勢を見せてはいる。これはもう致し方ない処置を最小限にやっているだけことではあるが、本当に珍しい。経産省あたりに切れ者がいて、ふつうにゲーム理論を使って粛々と手を打っているのだという話は漏れ伝わってくる。国民世論の強い下支えもあり、必要なら次の手も考えてあることだろう。ある程度の長期化もやむなしという覚悟もあるようで、ひょっとするとこれは日韓の正常な付き合いへの幕開けの下準備に発展するかもしれない。まさに慶賀に値するわけだ。
 それでもマスコミ的には煽り的批判は時折みられるし、韓国側は相変わらずである。そういう反応だから日本はうんざり呆れてこうしているだけのことだから、もう少し小さい扱いに徐々になっていくのではないか。両国間の関係は小さくないことは先に述べたが、しかし今回の問題は、これからどう付き合うかを決めるためのものである。一定期間このままでないと、お互いに理解などできない相談であろう。それに解決方法はだいたい決まっているわけではあるが、道筋はまだ分からないだけのことである。それが一抹の不安につながっているだろうとは言え、そんなに悪くない状態なのではなかろうか。
 それにしても相手のことを思いやって考えるというのは、よくしてやることとは限らないわけである。日本人もやっと普通にふるまうことができた、ということなのであろう。
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感謝していいのか木星

2019-08-20 | Science & nature

 空気に重さ、圧力があることは、普段は意識しない。しかし例えば数百から千mくらいの山の山頂でペットボトルを空にして蓋をする。下山して海抜数mくらいの場所でこのペットボトルと取り出してみると、いびつに変形しているはずである。山頂の圧力より平坦な地表では圧力が強くなっている。それは大気の厚みがそうさせているのだ。海の深いところには水圧がかかることは容易に想像できるが、大気の圧力はなかなか感じられないものかもしれない。
 大気は、地球の表面上に張り付くように、薄く張り巡らされている程度なのだという。それは地球の大きさに比べてそうだということであるが、人間のスケールだとそれなりに厚い。赤道付近と北極などは大気の厚みが違うらしいが、おおよそ十キロ程度の大気の厚みがあるという。地表の人間は、その重みの中で生活をしているわけだ。
 地球は岩石の惑星だが、星によってはガス惑星というのがある。土星や木星などがそうである。太陽系で最も大きな木星は、水素やヘリウムなどを中心としたガス惑星である。木星の大きさは地球の約十一倍という。地球が1400個分入るくらいの違いがある。中心には小さな核があるものとは考えられているが、岩石や氷など、その状態のままではいられないほどの圧力があるのだという。ちょっと想像しがたいが、いくらガス惑星といっても、その質量の大きさによる重力はすさまじく、星の中では大気によるものすごく強い圧力に押しつぶされてしまうのだそうだ。
 この大きな星である木星の強力な引力によって、軌道上ははじき飛ばされた岩石が地球に衝突したこともあったという。しかしながら恩恵もあって、地球より外側を周回している木星があるからこそ、太陽系外から飛んでくる彗星などが地球に衝突する確率をグッと下げてもいるのだという。僕らが生かされているのは、ひょっとすると木星のおかげなのかもしれない。
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人間の二面性が面白い   ザ・コンサルタント

2019-08-19 | 映画

ザ・コンサルタント/ギャビン・オコナー監督

 原題はaccountantなので会計士である。実際に主人公は超人的な計算能力を持つ会計士で、自閉症のこどもだった過去がある(今もその傾向はあるという設定だが)。しかし彼には別の顔があって、殺傷能力の高い殺し屋というか殺人鬼というか、とにかく強い人なのだった。要するにダークヒーローだけどいい人で変人という設定なのである。基本的には漫画的なヒーローであるが、まあ、設定のための設定ということで、この人物の謎解きとアクションが融合した娯楽作品になっている。続編も検討されているとのことで、シリーズ化に耐える出来栄えだったということだろう。
 自閉症の特徴をとらえている面もあるが、誤解を助長するようなところもある。まあ、娯楽にとやかく言っても仕方ないが、結果的にスパルタがいいような表現であるので、実際問題としては困るような気もする。能力をうまく活かすということではあるんだろうけど、自閉症の人には酷な話である(自閉症でなくとも、例えば星飛雄馬などは虐待の犠牲者だろう)。
 ちょっと強すぎてどうなのか、というところはあるが、痛快で面白い。話の展開や謎解き、そうして会話もなかなかシャレている。脚本がいいのかもしれない。謎解きの方は、なんとなくそうなるんじゃないかという予想はついたが、やはり面白いと思う。これは今後も使えるネタではあるだろう。いろいろ謎はあってすべて終結しているようには見えないので、もともとそういう考えがあって製作されているものかもしれない。要するに制作陣もそれなりに自信をもってヒットさせるつもりがあったに違いない。アメリカにありがちな分かりやすすぎて薄っぺらいものにならなかった分だけ、大ヒットしなかったのかもしれないが(つまりアメリカン人には難しい内容かもしれない。日本人には普通に理解可能だが)。
 荒唐無稽でありながら、それなりの水準を保って観られたのはありがたい話である。考えてみると、主人公以外の人物にもそれぞれに二面性が潜んでいるようで、そういうところが面白さの秘密であろう。実際にこんなことが起こると歴史的な大事件としてものすごい騒動になりそうだけど、やはり水面下で物事は進んでいくのだろう。どうぞ楽しんでみてください。
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英語は必要ない言語

2019-08-18 | ことば

 日本人が英語ができないというのは事実である。何しろ、ほぼ全員といえる人々が、中学・高校と長い年月学んでいたにもかかわらず、出来るのはほんの一部、それもものすごく特殊な人のみだろう。できない人からするとものすごくできるようになっている人であっても、そんなに自信が無いという話も聞く。できる人でさえコンプレックスがあるようだ。それくらい英語は恐ろしく難しい言語のようだ。
 できない理由というのは、ほぼ決着がついていて、必要ないから。英語圏でなく英語ができる国の人々に共通するのは、英語が生活に結びついていること。収入に関係あることである。英語は生活必需になるとできるようになる能力なのだ(あたりまえだけど)。まあ、他の言語も同じだが。だから多くのアメリカ人は、当然ながら日本語ができない(勉強もしていないが)。何しろ日本語が必要ないから。日本語がうまくならない欧米人は多いが(特に米・英・豪)、彼らは傲慢なのもあるが、多言語を必要としない英語の利便性を享受しているからだ。日本も一億を超える人口や、国土も広く経済的にも豊かな大国であるために、日本語だけで一生完結して暮らしていくことができる。さらにほとんど内需でまかなえるために、一部の貿易にさえ頼ればいいという条件も、外国語を必要としない要件になっているのかもしれない。英語は必要になってから覚えたらいいことと、日本語のできる人を起用して事足りるということも、一般の人の能力を上げない理由かもしれない。
 また、今後は何といってもAIの時代である。同時通訳は、きわめて完成度の高い水準まで翻訳可能になっている。よっぽど才能のある人や、趣味的に楽しめる人を除いて、英語教育の必要はどんどん薄れていくだろう。また、出来ない身分としては、堂々とそうなってほしいという願望があるのは、確かなことだけれど…。
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昔の人は美人に対して皆冷たい   ローズ秘密の頁

2019-08-17 | 映画

ローズ秘密の頁/ジム・シェリダン監督

 ホテルに改装されることになった古い精神病院の患者に、引っ越しを認めない老婆が居た。過去に息子殺しをしたとされ、錯乱も多く手を焼かれている。ある医師がこの患者の担当になり、彼女が40年余りも精神病院で暮らしているもとになった物語を徐々に明かしていくことになる。
 当時のアイルランドは、英国との複雑な関係により、ナチス・ドイツの脅威がありながら、英国に協力できないという世論のようなものが醸成されていた。英国に協力するものは敵なのである。またこの映画を見る限り、禁酒もカトリック系で奨励されている風であり、酒屋を営むマイケルは、商売がやりにくくなり、英国空軍に志願して街を出ていく。
 主人公の女性は、大変に魅惑的で自由な性格の若い女性で、戦争の渦中にあって、街に残った多くの男たちを自然に惑わすような存在になっている。当然のようにその魅力のせいで、恋愛をめぐってのトラブルが絶えず、あろうことか、街の風紀を取り締まる立場の若い神父の心をとらえて離さなくなる。普段はおばの経営する街のホテルで働いていたが、おばは神父とのうわさを重く見て、人里離れた一軒家に隔離するように、いわば町から追放するように住まわせるのであった。
 そういう時、負傷した英国の戦闘機が、この森のどこかに墜落する。女は木に引っかかったパラシュートの兵隊を発見する。それは酒屋のマイケルだった。街の反政府男たちから匿い、森の中で暮らすようになる。しかし、反政府の男たちはたむろしているし、どうしてもこの女性を諦めきれない神父まで、この森を訪ねてくるようになるのだが…。
 精神病院のベットサイドで、老婆の回想を聞きながら、フラッシュバックでドラマが再現される。赤ん坊殺しの肝心な場面は、それぞれの目撃者の見方で大きく結果が違うようだ。いったい何が真実なのかを追っているうちに、何か時代のいたずらが大きく動き出していくのである。
 病院の方針のようなものが何か妙な権威主義的で、さらに時代もあろうけれど、病院内での患者に対する虐待が、一人の若い女の精神を蝕んでいくようにも感じられる。欲望や嫉妬の結果、虚偽の判定で隔離されているようでもあり、さらに夫殺しは計略でもありそうである。本来は大きな罪を伴う事件が偶発しているように見えながら、それらは不問とされている様子である。現在は精神的にそれなりに安定しているようには見えるし、この状態での入所が必要だとは考えにくい。何十年という歳月もあるが、どこかの行政サービスで、改めるべき対象であろう。
 それにしてもまったく悲しい話を見てしまった。僕のものではないが、青春を返して欲しい。さらにカトリックでなくプロテスタントの教会では、婚姻の記録が簡単に見つかるはずである。そういうことをちゃんと捜査すべきだったのだ。映画に文句言っても仕方ないが、本当に残念で悲しかったのでありました。
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