ナイチンゲール/ジェニファー・ケント監督
夫と赤ん坊を殺された上に、本人は強姦され殴って殺されたと思われた女性は、実はなんとか死を免れていた。あまりのことに復讐を誓い、アボリジニのガイドを雇って、この卑劣な軍人を追って山に入るのだった。
どうも映画のテーマは、オーストラリアのアボリジニの迫害について描きたかったようだ。胸糞が悪くなるような暴力の数々が、単に人間を貶めるためだけに行われる。そういうことを行ってきた英国人の歴史を暴く、ということなのだろうか。差別意識があって人を殺すという実情が、こういうことなのだろうか。とにかく平然と差別的に、時には無差別に、そして唐突で気まぐれな暴力と殺人描写に、ちょっと唖然とする思いで映画を観ることになる。相手を殺すだけの復讐劇で、本当にいいのだろうか。もっと復讐として、残酷にこれらの蛮行を行った人々は殺されなければならないのではないだろうか。そういう精神的な葛藤を抱えながら、被害者の救済を待つのだった。
愛する夫を目の前で無残に殺され、赤ちゃんが泣いてうるさいから、振り回されて壁にたたきつけられ殺される。自らは乱暴に後ろから犯されて、殴打されて気絶する(彼らは殺したと思っていたが)。復讐心に燃えるのは当たり前である。しかし相手は軍人で、やはり銃をもって戦うよりほかに無さそうだ。ガイドは差別されているアボリジニの青年で、しかし後々分かっていくが、仲間が次々に白人に殺されて、内面では反抗心を持っている。さらにアボリジニの一族でも、誇りをもって戦う部族の青年である。また、地理にも当然強く、白人に支配されている地域は、もともとアボリジニの住んでいたものなのである。
やっと復讐のチャンスを迎えるが、女は意外な行動を取って、物語は一見どうなるか分からなくなる。そこからなんだかわからないが詩的な感じにもなり、歴史の哀しさが増す。まったく妙な映画である。白人にもわかっている人間は居て、しかし彼らを助けることはできない、ということなのかもしれない。
変な映画だけれど、賞を取ったりして、妙に感心させられるところがあるのかもしれない。確かにオーストラリアの負の歴史を知るということはできるのだが、そういう悪い個人がいたかもしれない、ということのようにも感じられる。こんな変な人が軍人としてのし上がること自体が、組織としての腐敗であろう。身分制度というのは、西洋も日本も、同じように残酷であるということはよく分かるのではあるが……。