カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

空き家が増えていく住宅街

2023-06-13 | 散歩

 犬と一緒に散歩していたこともあって、歩き出すと自然と車の少ない道を選んでいる感じがある。車は通らない訳では無いが、比較的静かな通りというのは、山の中でない限り住宅街が多い。商業地にも人は住んでいるのかもしれないが、だいたいにおいて家の立ち並ぶ住宅街というのは、大きな通りから一つ別に入り込んだようなところが多い。ずいぶん前から歴史的に人が住んでいるというのを別にすると、開発で分譲されたようなところというのは多いのかもしれない。それというのも僕の住んでいるまちというのは、戦後一旦は人が少なくなった後に、徐々に人口が増えたようなところで、そのために開発も進んでいったという変遷があるようだ。ちょうど僕の親世代が新たに住み始めて家を建てたような住宅街が多くあって、僕としても子供のころからなじみのある所でもある。その後どんどん住宅街は拡張するのだが、そういう僕の親世代が建てた家の多い場所というのは、家の年代もあって、なんとなく特徴が分かる感じがある。
 さらにその特徴を印象付けられるのは、空き家が増えていることかもしれない。僕の親世代なので、高齢化がかなり進んでいるからである。さらに僕らの世代のことを思うと、学校を卒業後には都市部に就職した人間の方が多数かもしれない。そうしてその地で家族を作り、まだ現役で働いている人間がほとんどだろう。きょうだいが地元に居るならともかく、そのようにして家を出た人間が仕事を辞めてまで地元に戻るのは、非常にハードルの高い選択であろう。そうであるならば地元の家の住人は、代々住む場所ではなくなっているということになる。僕は比較的例外的な人間かもしれず実家を建て替えて住んでいるわけだが、僕の住んでいる周りにもずいぶんたくさんの同級生がいたはずだが、同じように地元に居たというのは数人しか知らず、やはり盆正月に地元に帰って来る友人とともに、年に一二回しか会わなくなっている。まだまだ親が元気にしている家はすぐにわかって生活感があるのだが、そうでなければ徐々に空き家になってしまっているわけだ。
 なかには定年退職後に、地元に戻って来ようかと考えている人間もいないわけでは無かろう。しかしながら都市部周辺に暮らして子供などの居る人間の家族にとっては、そういう思いを共有できる存在を作ることは難しいのではないか。奥さんが何処の出身かもあるだろうし、子供にとって祖父母の家は、田舎にある遠くの場所に過ぎないのではないか。
 奥さんや夫を説得できたとしても、戻って来て住んだとしても、それは果たして住みよい環境なのだろうか。両親と住んでいたとはいえ、住み続けるためにはリホームや建て替えが必要なのではあるまいか。退職金で一時は何とかなったとしても、自分たちの老後の資金まで考えると、不安の方が大きくなる可能性もある。そうまでして地元に戻ることは、逆に生活を不安定化させかねないのではないだろうか。
 そういうことを考えながら、空き家の増えていく住宅街を歩いている。たまに立て替えられ表札の名前の変わった場所を見ることがあるが、現実的な選択をしたのかもしれないと思う。もちろんそのような選択は自由なことだが、そうやって新しく変わっていく家並みを見る方が、なんとなく安心できることも確かである。先のことなんてよく分からないが、そのために放置される家よりも、ずいぶんといい事だけは間違いなかろう。
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