カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

5月後半。会議はつづく

2023-06-15 | 日記

2305
体重は終末結婚式もあったし、増えている感じ82キロ台後半へと推移。 

2305
タスク 夜の準備 委員会の説明 それ以外何か? 本を少し カーペンターズ ブラックキイズ 委員会編成会議 まずまずが ビールを継いで回った感じでは、 スタートの期待と様子見もあるんだろう 人数確認のむつかしさ 出欠の連絡の分かりにくさ 委員長は個性的 ベテランは分かっている 欠席の人批判はやはりある みんな事情はあるんだろうけど 引継ぎということも 新人T中うるさい 7年もご無沙汰 サンスパ4700円お釣り問題(今後の準備は注意を) 刺身、鯨、肉焼き、混ぜご飯アサリなど、豚肉蒸し。 足りない人焼肉。ビール、日本酒、芋水割り。/ 夕方一瀬君迎え。上Dのつなぎ満なんとか君、中古らしい。/長男が帰って来ている。睦月寝せない。 

2305
明太子(生)ソーセージ切り焼き ごはん納豆沢庵塩昆布梅干し豆乳(ホット)
発熱37.8℃。ロキソニン呑む。 雨天 睦月職場に来る(海―長男も)串揚げ ゆで卵二個 
出席委員会 地元社協(会員勧誘) 本、ルシアン・フロイド 

2305
雨天 自分傘を持っているが、借りた傘をさす /深堀会計説明 駐車場で読書 次の会議はシャンシャンか 移動で帰って少し歩く 小さい雨が涼しい 野菜の計算 

2305
散歩でおとなしくなる睦月 散髪3640円(そういえばいつから値上げだったんだっけ)
5時過ぎから飲みだす、早く寝るため。早く起きるため。

23052
3時頃から目覚める 二三度寝 スープは飲む すぐに時間が無く移動 全体うち合わせの時は、長いトイレには行っていた(後でこれが良かったわけだが) お米を詰めて 10番ホール送り出し 皆さんスタートは緊張している(当たり前) /ゴルフの勧誘受けるが、何故やらないかは伝わっただろうか? /昼かき揚げ丼と暖かい蕎麦。/送り出し、話し合い。コーヒーおごってもらう(N堂さん)/ホール片付け。ブレ―してる人は、やはり楽しそうだ./夕方までぎりぎり片付け。夜は一角反省会。やはりかなり疲れた。来年の委員会の話など/終了後歩いて帰る途中拾ってもらった。

2305
さすがに疲れた朝 ゆで卵無し オイスターソースでのチャーハン 九十九のお店は「お焼き鳥の店」らしい ブリックホールとなりココに送ってもらう 会議後雨になる 傘はマツキヨで700円台 ごみは捨ててくれるんだな おかげで散歩できたが、暑かった 駅は工事中で分かりにくい タクシー乗り場とか(のちに案内に苦慮した) 懇親会は朝次郎 会費も安かったけど、それでよかったのか /新幹線。迎え来てもらう

2305
またブリック役員会。雑談も結構盛んになる。やはりリアル開催の醍醐味か。/鈴乃屋浜口歩いて移動。タッチパネルガンガン注文。料理は今風。終了後まだ外は明るい。/タクシー、かもめ横了でSさん、Rくんと。こういうのもなかなか楽しい。/新幹線、らくちんいいな。 

2305
梅雨入りしたらしい 海老とほうれん草ホタテ貝 

2306
連話連絡 出張前に片づける事多数。とても時間足りない。/埼玉の地図、眺めたり。新宿周辺物色。/着替えに帰る。母はまだ朝食中。DVDを最初にセットし、歩いて待ち合わせ場所へ。途中で雨が降り出した。/武雄でL研修会。リベラルっぽいが、しかし女性に興味ある人なんだろうな。話は面白いので聞けるが、それでも僕より上世代に響く話なのではないか。 考えてみると僕は新たに会長をするという気分では無いのかもしれない。不思議な気もするが、事実はそうだ。ポイントは基本から。それは他のことでも変わらない行動指針である。変えても仕方ない事なんだしね。/雨は上がって、他の人は予定がたくさんあるそうだ。僕も助かります。/骨付き鶏もも肉、冷奴、豚肉とゴーヤーのみそ炒め、カツオのたたき。赤毛のアンの最初を見てまた涙。日本の中古品の質の高さ。料理番組、韓国ドラマ。
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マイ・ディア・ミスター~私のおじさん/③

2023-06-14 | ドラマ

 観終わった。一話80分とか90分ものの連続ドラマなので、満腹感がある。それにロスも。非常にまとまりのいい終わり方をするのだが、それだからもう絶対に終わりなのだと思うだけで切ないというか……。
 一番の会社のゴタゴタの行く末は、そうなるだろうな、という結末には落ち着く。そうではあるが、結局おじさんは会社には執着しなかったという事か。しかし部下はごっそり連れて出ていくので、倫理問題としてはどうなのか? と日本の会社人間の僕は、考えてしまったりする。独立は一人でやった方がいいし、別に雇った方がいい。ふつうの生き方というのは、そういうものである。倫理というか仁義というか、結局業界で生きていくというのは、そういうものなのである。もちろんそうでない人がいるから、そう思うのだけど。
 後半の一番の大きな物語は、ほかならぬ一番兄の欲望が満たされることにある。人のために尽くすという図式ではあるが、それは立派な葬式をあげることなのである。要するに見栄であって、そういう満足感に浸っていることを、周りがちゃんと認めてあげることである。お金はたくさん使うが、しかし他人の葬式である。感謝はしてくれると思うが、生きているときにしてやった方が、ずいぶん違ったことだろう。やはり日本人の僕は、そう思ってしまう。生きているときの関係があって、葬式もある。その方がずっと自然である。
 家族の問題もある。裏切りの代償はあったと思うが、僕は最初からおじさんは、不倫されても仕方のない人間にしか見えていない。寂しい妻を無視し続け、自分の悩みの中に閉じこもり、しかし兄弟と飲み歩いてばかりいる。そういう自分との関係から遠ざかってしまう近しい人に、失望を覚える妻の方が自然である。不倫相手はそれでよかったのか問題はあるが、不倫なんだからそんなもの選んでいても仕方なかろう。つまりは最悪の人間だったから、戻れもしたのかもしれない。計算できるものだったとしたら、ずいぶんな才能だけれども。息子の問題もあるし、家族としてはそれでいいのかもしれないが、必ずしも元には戻らないだろう。それがおじさんと派遣社員の恋の顛末に寂しさをたたえさせている。そういう選択でいいはずの無い本当の恋があったのに、彼らはそれを選ぶことができない。彼女はそれを強く望んでいるにもかかわらず、やはり答えてはくれないおじさんがいる。最後まであくまでいい人すぎるから、つまるところはそうならざるを得ない。しかし、そんな人間だからこそ、深く愛してしまったことに抗うこともできなかった。そう解釈するのが、このドラマの本流だろう。そう思わなければ悲しすぎるわけだし。
 という訳で、本当に終わってしまった。また韓国ドラマを観るべきか、それとも映画生活に戻るべきか。僕にとっては韓国社会は突っ込みどころが多すぎて、自分なりに疲れるのだけど、やはり感情を動かされるという意味では、見事な物語構成だったというしかないだろう。そういうものを、全体として浸るものが、ドラマの力なのであろう。
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空き家が増えていく住宅街

2023-06-13 | 散歩

 犬と一緒に散歩していたこともあって、歩き出すと自然と車の少ない道を選んでいる感じがある。車は通らない訳では無いが、比較的静かな通りというのは、山の中でない限り住宅街が多い。商業地にも人は住んでいるのかもしれないが、だいたいにおいて家の立ち並ぶ住宅街というのは、大きな通りから一つ別に入り込んだようなところが多い。ずいぶん前から歴史的に人が住んでいるというのを別にすると、開発で分譲されたようなところというのは多いのかもしれない。それというのも僕の住んでいるまちというのは、戦後一旦は人が少なくなった後に、徐々に人口が増えたようなところで、そのために開発も進んでいったという変遷があるようだ。ちょうど僕の親世代が新たに住み始めて家を建てたような住宅街が多くあって、僕としても子供のころからなじみのある所でもある。その後どんどん住宅街は拡張するのだが、そういう僕の親世代が建てた家の多い場所というのは、家の年代もあって、なんとなく特徴が分かる感じがある。
 さらにその特徴を印象付けられるのは、空き家が増えていることかもしれない。僕の親世代なので、高齢化がかなり進んでいるからである。さらに僕らの世代のことを思うと、学校を卒業後には都市部に就職した人間の方が多数かもしれない。そうしてその地で家族を作り、まだ現役で働いている人間がほとんどだろう。きょうだいが地元に居るならともかく、そのようにして家を出た人間が仕事を辞めてまで地元に戻るのは、非常にハードルの高い選択であろう。そうであるならば地元の家の住人は、代々住む場所ではなくなっているということになる。僕は比較的例外的な人間かもしれず実家を建て替えて住んでいるわけだが、僕の住んでいる周りにもずいぶんたくさんの同級生がいたはずだが、同じように地元に居たというのは数人しか知らず、やはり盆正月に地元に帰って来る友人とともに、年に一二回しか会わなくなっている。まだまだ親が元気にしている家はすぐにわかって生活感があるのだが、そうでなければ徐々に空き家になってしまっているわけだ。
 なかには定年退職後に、地元に戻って来ようかと考えている人間もいないわけでは無かろう。しかしながら都市部周辺に暮らして子供などの居る人間の家族にとっては、そういう思いを共有できる存在を作ることは難しいのではないか。奥さんが何処の出身かもあるだろうし、子供にとって祖父母の家は、田舎にある遠くの場所に過ぎないのではないか。
 奥さんや夫を説得できたとしても、戻って来て住んだとしても、それは果たして住みよい環境なのだろうか。両親と住んでいたとはいえ、住み続けるためにはリホームや建て替えが必要なのではあるまいか。退職金で一時は何とかなったとしても、自分たちの老後の資金まで考えると、不安の方が大きくなる可能性もある。そうまでして地元に戻ることは、逆に生活を不安定化させかねないのではないだろうか。
 そういうことを考えながら、空き家の増えていく住宅街を歩いている。たまに立て替えられ表札の名前の変わった場所を見ることがあるが、現実的な選択をしたのかもしれないと思う。もちろんそのような選択は自由なことだが、そうやって新しく変わっていく家並みを見る方が、なんとなく安心できることも確かである。先のことなんてよく分からないが、そのために放置される家よりも、ずいぶんといい事だけは間違いなかろう。
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日本のプレゼンスが下がっている結果

2023-06-12 | ドキュメンタリ

 物価上昇のセオリーは、需要が高まるために起こるとされる。欲しい人が多ければ、欲しがられるものの値段が上がっていく。オークションが分かりやすいだろう。そういう全体像が、インフレと言われる訳だ。
 ところで現在様々なモノの値段が上がっているように感じられる。僕のような仕事をしている人間でも、モノの値段が上がるのは、それなりに困る。入ってくるお金は増えないのに、出ていくお金が増えていく。いわゆる経費がかさんでいくし、足りなくなれば借りなければならない。借りたら返さなきゃならないし……。
 ところが現在の状況は、必ずしもインフレではないのだという。どういうことかというと、確かに欲しい人が今までより高くても買うので上がっているように見えるけれど、実際には高くても買わざるを得ない状況なので買っているだけだからだ。これは供給不足によるものであって、安いものが無くなりつつあるので、代替できずに買っている。そういう状況だと、売っている方も値段上昇で儲けが増えている訳ではないことになり、儲けが無いと給料も上げられない。購買力が無い人が高いものを買うと、さらに貧乏になってしまう。
 このことは、国同士の相対的な問題なのだという。要するに日本が他国に対して、国のレベルとして力を落としていることが、物価の上昇につながっているようなのだ。
 世界の穀倉地帯であるウクライナの問題じゃないのか、と思う人もいるだろう。確かにそれは要因の一つとして考えられる。しかし、この戦争以前から値段は上がりだしたと言われている。物を作ったりするのに必要な、電力やその他のエネルギーの問題もある。比較的に安価で供給できる火力への投資が止まっているうえに、地震のショックもあって、原子力も多くが止まったままである。十年前には、電気代が上がるくらいは平気なもので、その他の電力へ転嫁すべきだという輿論が圧倒していたのだが、そうなった現在は、そんなこと言う人は声をひそめてしまった。卑怯者というのは、そういう人たちのことである。
 さらにこれまで日本は、貿易相手に対して、価格を叩いて買っていても相手が言うことを聞いてくれていたに過ぎなかった。それは相対的に日本の円が強かったり、多くのものを買ってもらえるという期待値でもあったかもしれない。しかし、それよりも高いお金で、さらに多くのものを買ってくれる別の相手が現れたらどうなるだろう。
 要するに事実上の米中の冷戦に巻き込まれたために、日本を相手に安価で安定的に供給をしてくれる国が減っているのである。そういう外交に対して、国内世論も政治が上手くコントロールを果たしていないために、経済に縛りがあるままになっているのである。その結果として、供給を満たすことが叶わなくなった。
 円安になった分、外貨を稼いで儲かればいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、儲かる以前に経費の上乗せされた分を支払わなければならないので、余裕のない状況になっていて安いものしか買えないのである。しかし安かったものは品薄で、これからも入ってこない。既に国内で作ることすら難しい。
 ほとんど願いのようなことになっているのだが、それでも大企業から給料を上げる動きが無い訳ではない。下々の者までいきわたるには時間がかかるかもしれないが、そういう人がたくさん消費することで、段々と潤いが浸透してくる可能性が無いではない。そういう需要に対して売るものが増えると、循環として望ましくなる、ということになるのかもしれない。
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差別から逃れる帰国事情の顛末

2023-06-11 | HORROR

 北朝鮮帰国事業というのが、戦後大規模に行われたことがある。戦後復興に喘ぐ日本にあって、共産主義国として国家指導で重工業などに力を入れて成長著しいと漏れ伝えられていたお隣の国は、日本の知識人からも「地上の楽園」と謳われ、日本の国内だけでは崇められるような風潮があったという。さらに日本国内には、50万ともいわれる在日朝鮮人が暮らしていた。彼らは何かと日本国内で差別を受けたとされ、十分な待遇を得にくいと考える人々も少なくなかった。そうしてこの帰国事業に乗じて、家族ともども北朝鮮に移住しようと考える人々で殺到した。なかには思想的な人もいたのだろうが、朝鮮人に限らず日本人妻などもともに同行し、延べ93000人にも達したという。
 当時共産主義国から逃れて亡命する人はあっても、西側諸国から共産主義国に逃れる人は皆無と言われた。このような日本の機運に北朝鮮側も戸惑いを覚えていたが、プロバガンダ政策として、同胞ソ連などから強い要請もあり、日本からの移住を受け入れる姿勢に転じていった。
 そうして双方の大いなる夢を乗せて北に向かった船がたどり着いた北の港で、すでに喜劇的な何かの悲劇が始まっていった。北は港をあげて大歓迎の踊りで出迎えたのだが、そもそも日本では虐げられてやって来る可哀そうな一団であるという認識であった。ところが船に乗っている人々は、明らかに小ぎれいな服を着て、ヘアスタイルは多様で、実に豊かそうな人々ばかりなのだ。
 一方船の人々も、港の情景を見て、なんだか異様なものを感じていた。港に舞う土埃の中迎えに来ている人々の顔は、皆黑く日焼けしているように見えた。これは何かの間違いなのではないか。ひょっとすると騙されたのではないか。
 そのようにして悲劇の引き上げ事業は十年近くにもわたって継続された。北に渡った人々は、持ってきていた貴重品や服などを売って糊口をしのぎ、尽きるとそのまま貧困化し、飢えに苦しんだ。多くのものは、再度亡命し韓国や中国、そして日本に帰ってきた。そのまま命尽きるものも少なくなかった。日本からやって来た人々は、皆わがままで言うことを聞かず、政治犯として捕まりやすく監視下にも置かれた。日本で受けてきた朝鮮人という差別から逃れてきたにもかかわらず、帰国人としての差別を受ける生活になったということだったのである。
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台湾有事は起こりうることなのか

2023-06-10 | 時事

 台湾有事が取りざたされて、日本は難しい立場にある。何しろ近いしお隣だし。関係も悪く無いので、とうぜん日本は台湾の側に立たされる。そうすると中国と対峙して戦わざるを得ないことになる。後方には米国がいて、事実上の中米戦争になるということになろう。
 そういう事が起こる理由として、そもそも中国は朝鮮戦争の勃発する二日後だかに、台湾に侵攻する予定にしていた過去があるとされる。実際朝鮮戦争に軸足を取られ、当時の同盟国であるソ連と足並みを揃えるしかなかった。多くの力を使ったために、台湾進攻は先延ばしされつづけたということだ。
 しかしながら時代は変わってきた。台湾は中国よりも先に大きな経済発展を遂げ、小さな存在ではなくなった。国土は小さいが、ヨーロッパの国と比肩しても小国とはいえない存在である。同盟関係の国々も数多く、中国が圧力をかけて国と認めさせないでいるだけのことで、存在感は十分に大きい。同じ漢民族がまじりあっているうえに言葉も通じる間柄だが、さらに経済的にも結びつきは強くなっているにもかかわらず、政治的には対立を強めている。
 もっと大きな問題になっているのは、ほかならぬ中国そのものが巨大国家になりすぎていることである。既にアメリカと実際にがっぷりと対峙する存在になった。もともと巨大国家であったのだが、近代はずっと寝ていたために取り残されていただけのことであって、再び世界的な覇権国家になってしまった。今であれば、アメリカと揉めても、十分に戦える力を備えたという自信もついているのではないか。またアメリカは警戒するあまり、露骨に中国をいびって揺さぶりをかけてくるようになった。面白くなくなっていることは間違いなくて、アメリカに泡を吹かせてやりたくて、しょうがなくなってきているのではないか。そこで、そもそも中国の一部である(と主張している)台湾を今取り込むことで、自分の力を証明することになるのではないか。実際のところアメリカが介入すると厄介だが、太平洋の反対側国家が、本当にまともに台湾を守る気になれるものなのだろうか。その為に米国人の血を流す犠牲を出すつもりが、本当にあるのだろうか。それは日本もしかりなのだが。
 多くの識者は、台湾有事はあり得る自体になった、と認識しだすようになっている。あんまりやる気の無いように見える日本が、実際に軍備などに着手しだしたことは、自分の意志であるというよりも、米国の圧力や、現実的な対応を迫られている証左であるとみて間違いないだろう。そのような抵抗無しに、有事を食い止める術は、すでに無くなっているのだろう。
 ところでそういう状況を理解する必要があるにせよ、ロシヤのウクライナ侵攻を中国がどのように捉えたかというのは、重要な試金石であると思う。当初中国は、西側に完全に同調したとはいえないにせよ、それなりに距離を取り続けていたように見えた。今や力の上では自分の方が上であるとはいえ、兄貴分のようなロシヤに完全に同調したわけでもなさそうだった。それは現在のロシヤの状況を冷静に見るならば、ウクライナ侵攻の判断は、失敗したものだと感じているのではないのか。もしそうであるのであれば、同じく台湾有事というものは、踏みとどまることになるのではないか。そもそも戦争を仕掛けたところで、核なき戦闘においては、かなり難しいものになっていることが見て取れる。いくら党の独裁的な政治体制であるとはいえ、そのような判断を下せる状況にあるのだろうか。
 つまるところそういうバランスにおいて、台湾有事が現在起こっていないというに過ぎないのかもしれない。それがいつまでも、ということは、わかり得ないことなのだが。
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マイ・ディア・ミスター~私のおじさん/②

2023-06-09 | ドラマ

 このドラマは一話が90分あるんで、その分余裕をもって内容を掘り下げている感覚はある。登場人物の掘り下げ方が、詳しくなる感じかもしれない。主人公は建設会社の部長(ただし厳密にいうと、日本の会社の場合だと部長というより課長に近い感じの働き方であるが。)と派遣社員の女の物語が中心であるはずなのだが、部長の兄弟やその周辺の人にまでエピソードの細部までたどる感じがある。うだつの上がらないお兄さんの事情もそれなりに分かるし、中盤に来て、下の映画監督だった弟の描写も多くなってくる。ただしこの弟君は、ある意味で韓国の男の典型であるようで、すぐに怒ったり地団駄踏んだり騒いだりする。そうして誰かを殺してやると言って、走り出したりする。それは愛する家族である兄の為であったりする。そうして、自分の過去と向き合う鏡のような美しい女優には、いつまでも冷たい。そういう男性像というのが、やはり韓国の男性像なのではないか、と思われる。非常に面倒くさいのだが、分かりにくいなりに、いい奴なのである。単純なところが多いので分かりやすいはずなのに、少なくとも僕ら日本人には、分かりにくくなっているのではないか。しかし兄の会社では、実際は兄に使われている立場でありながら、兄よりはよく働いている感じはする。文句はいつも言っているようだが。
 次男の部長さんは、会社では常務に昇進する流れになっている。もちろん会社では陰謀も含めてごたごたが続いているのだが、社長を含めての悪党軍団は、必ずしも能力が高くない。要するに詰めが甘いところが散見され、何か強力に不条理に苦しめられている感じがしなくなってきた。それというのも派遣社員の工作員が、段々と部長の味方になってきている感じが透けて見えるからである。さらに借金取りとの関係において、部長が重要な行動に出る。これに恩義を感じない人間が居るとは思えない。つまり大筋の流れとして、これは結論の道筋が見えたと言っていいだろう。さらに妻と社長の不倫騒ぎも解消の道筋になり、そうなると妻は社長と対立する方向に傾いていくのだった。
 観ている人間からすると、派遣社員は必ずしも悪人では無いことを最初から知っている訳だけれど、しかしながらドラマの人物たちからすると、この若い女は得体がしれないだけでなく、態度も悪いし、嫌われて当然という感じの人物である。廻りに打ち解けようという気もさらさらない。もちろん精神的には部長には気を許してきているが。金を受け取って様々な工作を仕掛けただけでなく、部長の携帯電話に仕掛けをしていて、常に盗聴もしている。部長が善人なので自分の悪口を言わないだけのことで、ふつうの人間なら、もっと悪く言っても当然のことを散々している。しかし、盗聴において様々な秘密を知っている存在なので、人々の行動を陰でコントロールできる力も発揮できる、ということなのかもしれない。また彼女の弟もそういう裏工作に関しての役割は、熟知している。普段はゲームオタクで、いったいどうやって食っているのか不思議な兄弟であるのだが。
 基本的には慣性で見ている感じもだんだんしてきたが、さすがにここまでくると最後はどうなるのか気になってきている。もはや、それが最大の関心になっているかもしれない。それというのも、最後に感動したという感想を述べる人のコメントを、どこかで読んでしまったこともありそうだ。そういうのってものすごく気になる。しかし感動できなかったら、自分はどうなってしまうのだろう。そういう気分も、なんだか不安なところなのである。
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マイ・ディア・ミスター~私のおじさん/①

2023-06-08 | ドラマ
マイ・ディア・ミスター~私のおじさん/①

 雑誌のコラムで角田光代が紹介していた。好きなドラマということだった。それがきっかけで見だしたのは確かだが、最初のちょっとした謎めいた展開ときょうだいのグダグダのバランスがよく分からず、戸惑った。それに11話くらいなら、と思って観始めたにもかかわらず(しかしそれ以上あると後に分かるのだが)、一話が90分あるのである。ドラマを見だすと、一日に数話続けて観る醍醐味があると思うが、とてもそんな芸当は出来そうにないのだった。何度か断念しそうだったが、今も途中であるが、なんとか見続けている感じかもしれない。
 韓国のドラマがどのようなものなのか、というのは、実はいまだによく知らない。僕が知っているのは「冬のソナタ」であり、何話か宮廷もののようなのは見た覚えがあるが、それが何だったのかはよく分かっていない。要するに知識が古い。韓国の映画はあんがいよく見ているのに、ドラマを観ないのはどういう訳だろう。もっとも日本のドラマも、そこまでよく見ていると言われるほどではない。大河さえ見ないし、朝ドラもほぼ見ない。そういう事とも関係あるのかどうかは自分でもわからないが、最近「エルピス」は見たので、そういう一連の趣向の流れというものがあるのかもしれない。
 さて、マイディアであるが、やはり派遣社員の謎の感じ悪い女こそが、お話の基本のようだ。だんだんと明かされるが、過去に人を刺して殺したことがあるようだ。もっともそれは、自分の祖母をひどく殴る借金取りを刺したのであるが、その借金取りの息子に恨まれ、自分も執拗に取り立てを受けているという構図である。暴力も受けている。この女は借金返済のために、派遣以外にも皿洗いなどの仕事を掛け持ちし、祖母の介護もし、ゲームオタクのような弟もいるが、自分が主に苦労して、座ったまま眠るような極限生活をしている。そうして会社の人事のゴタゴタの裏工作も派遣会社の依頼を通じてやっているわけだ。その裏工作の罠にはまるのが、直属の上司である「おじさん」である。
 「おじさん」は明らかにいい人であるが、社長の先輩で出世し遅れている。美しい弁護士の妻がいるが、妻は後輩である社長と不倫をしている。兄弟仲が非常にいいが、兄は会社を辞めてうだつが上がらず見栄っ張りで、弟は才能はあったのかもしれないが、映像監督として何か失敗して干されている。「おじさん」は、そのような家族の援助もしているが、要するに妻とは冷たい関係になっていて、毎晩きょうだいとひたすら飲み歩いている。
 まあ、前半はこういうところでそれぞれの事情においての人間関係が描かれていく。
 韓国社会というのは、何か常識的に縦社会の縛りが非常に強いもののようで、ちょっとでも上のものになると、威張り散らして下に迷惑をかける。それで平然としていて、比較的いい人である「おじさん」も仕事関係では例外ではない。観ていてなんだか情けない人ばかりなのだが、そういうことを改めようと努力する人は皆無だ。妙なものを見ているな、とは思うが、そういう厳しい社会の中にあって、さまざまな罠にはまりながら、自分の強さも活かしていくトリックが時折みられる。やはり少しくらいは賢く勝負度胸もあるものが、勝者となっていく社会なのかもしれない。まあ、そんなのあたりまえのことだけれど。
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ヘルメットはかっこよすぎる

2023-06-07 | culture

 自転車もヘルメットをかぶることが義務化されることになるという。気軽に乗れる移動手段だからいいという感覚からすると、なんだか余計なお世話のような気もするが、余計なお世話こそが安全対策というものなのかもしれない。僕が自転車に乗るような機会が今後あるとは考えにくいが、そういう事ならもう乗れない気もする。
 そういえば、という感じで大人の人でもヘルメットをかぶっている人が増えているような気もする。以前ヘルメットをしている人と言えば、かっこいい自転車とセットだった。だから競技用の穴がポコポコ空いたような流線形のものを見かけた。最初はなんだか異様なものを見てしまったと感じたものだが、あんがい慣れてきて、宇宙から来た人には見えなくなった。それなりにかっこいい人もいるが、やはり決定的に似合わない人も多い。あれは体形もそれなりでないと、似合わない帽子である。
 先日すれ違った自転車のおじさんは、明らかにオートバイのヘルメットをしていた。何か作業着を着た人で、バイクにも乗るし自転車にも乗るということだったのだろうか。今となっては確かめようも無いが。
 ネットで見てみると、以前と比べるとずいぶん値段もお手ごろになっている。おそらく以前は競技用のもののみだったのだろう。やはり皆が買うようになると、値段での競争ということになっていくもののようだ。
 それでさらに驚いたのだが、ふつうの帽子っぽいヘルメットが結構あるのである。いわゆる野球帽のようなキャップに、あご止めがついているようなものである。先日亡くなったのっぽさんが被るような帽子型もある。バードウォッチングなんかをするような、ハット型のヘルメットもある。一見してヘルメットだとはとても思えないが、そういう感じでお洒落にかぶるヘルメットが増えているのかもしれない。それらなら被って自転車に乗っても、違和感がなさそうだ。売る側もよく考えているようである。
 しかしながらきわめて普通の帽子と見た目が変わらないヘルメットであるとすると、取り調べ側からすると、見た目での判断が極めて難しくなりそうだ。とりあえず帽子をかぶって対応していても、警察から止められるようなことは無くなるのではないか。わざわざヘルメットを買わずに済ませる人も、結構いるのではないか。まあ、取り調べのために被るわけではないのだが、最初は啓蒙のために、警察はそういう事に力を入れるはずである。少なからぬ混乱は必至だろう。
 地元の自転車事情を考えると、いわゆるママチャリの人々と通勤の人々以上に、やはり生徒学生さんが目立つように思う。中学生は決められたダサいヘルメットをしているが、高校生はほぼノーヘルである。これがどのように変化するのか。お洒落を気にする年頃であることを考えると、ヘルメットは更に多様化するのではなかろうか。でもまあ通学だから、無難なところに落ち着くことになるのだろうか。
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マッコウクジラVSダイオウイカ

2023-06-06 | Science & nature

 鯨とイカが戦っている絵というのは、子供のころから見た覚えがある。深海にはまだ、未知の生物がうようよいて、しかしその姿を確認することは困難である。しかしながら時には漁師の網や、陸に上がって来る死体などで、体長10mを超える巨大なイカがいることは知られていた。そのダイオウイカという存在は、近年深海をさぐるカメラなどに一瞬であるが姿を現すという記録がとられるようになっている。
 また新海深くまで潜るらしいというマッコウクジラの体には、時にダイオウイカのものと思われる巨大な吸盤の跡がついていることがある。その事からも、マッコウクジラとダイオウイカは、深海において戦いの場があるらしいことは確実視されていた。しかし実際にその映像が撮られたことも無く、もちろん目撃したという情報も無い。あくまでそれは想像上の壮絶な戦いに過ぎなかったわけである。
 ところが、ある時マッコウクジラの群れが水上近くまでひしめき合って、何かを捉えている様子がうかがえる撮影が成功した。これこそダイオウイカとマッコウクジラの戦いの場面であると期待されたのだったが、そこに見られたのは、既にダイオウイカの足の一部とみられる残骸のみであった。もっともマッコウクジラの個体の中には、大きな吸盤の跡が物々しく残されたものも確認された。
 これらのことから、マッコウクジラはダイオウイカを集団で捕獲して食べているということが考えられた。戦いが行われていることは確実だが、基本的にはマッコウクジラが、ダイオウイカを捕食する図式であるようだ。いわば集団で分け合って食べる、巨大なごちそうなのかもしれない。
 ともに巨大な存在なので、食うや食われるかの壮絶な戦いであればという期待もほのかにあったのだが、集団で狩りもすることができるマッコウクジラの方に、軍配はあがったということなのだろう。もっともまだ決定的な捕獲の映像が撮られた訳ではない。あくまで空想上のことかもしれないが、深海では壮絶な戦いが繰り広げられているのかもしれないのであった。
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ペレがアメリカに渡った時代

2023-06-05 | ドキュメンタリ

 ペレは元々ものすごく世界的に偉大なスターだが、それはサッカー界でということでもあったのかもしれない。最終的にプレーしたのはアメリカで、それはサッカーの不毛国での啓蒙活動が含まれていた。当時はたいへんに高額な移籍金でもって大きな話題を集めたが、実際にアメリカ人はペレの華麗なプレーを見て熱狂するに至る。それはアメリカという世界最大の影響力のある国の熱狂にとどまらず、それ以外のサッカー不毛国へも響き渡る影響力を持っていた。もともとサッカーの大天才が、真のサッカーの神様として後の世まで語り継がれる伝説のフィナーレでもあったのかもしれない。実際にはプレーヤーとしては全盛期を過ぎていたかもしれないが、それでも天才は天才である。プロプレイヤーとしてのレベルは頂点のまま、華麗に得点を重ねる活躍をし続けた。
 僕の子供の頃には既に伝説的な選手だったが、残念ながらほとんどリアルタイムで見る機会は無かった。日本は野球の国なので、サッカーの試合というのは、年末年始の天皇杯くらいしか中継が無かったのではないか。海外ニュースなども少なかったが、さすがにワールドカップなどはニュースとして伝えられるくらいのものだっただろう。
 そういう中にあって僕はサッカー部に所属する一応のサッカー少年で、当然ペレは知っていた。雑誌の切り抜きくらいは持っていたかもしれない。それはほんの二年間のことだったのに、アメリカの資本がサッカー界をさらに華やかにさせたということのようだ。そういう最後の活躍が、日本にも改めてサッカー熱の温床を育む土台になったのではなかったか。それまでもサッカーは普及の途上にあったことだろうが、僕の子供のころから徐々に、少年サッカーは熱を帯びてきたような印象がある。釜本さんは焼肉のたれの宣伝にも出ていたし、家庭においてもサッカーの面白さの認知が進んでいたのであろう。
 サッカーはペレだけの功績で普及したのではないが、ペレの功績でさらに巨大な憧れを含む神格化した大衆スポーツへ登り詰めたのかもしれない。莫大な資金を集めて注目されるスター選手の多くは、スキャンダルとも隣り合わせに居る立場の人が多い。そういう中にあって常に品行方正で、人格的にも尊敬を集める人だった。さらに期待に応える楽しい面も持っていた。スポーツ選手でこれだけの人というのは、やはり生まれにくいたぐいまれな人物だったということなのであろう。
 しかしながらこういうドキュメンタリを見て、改めてアメリカにわたってのサッカーの啓蒙活動というものが、ペレの王様としての伝説のフィナーレであったことを知った訳だ。アメリカ人の多くはペレに熱狂し、さらに多くのスター選手をアメリカに呼び込む結果にもなった。今はそれほどではないようにも感じられるが(アメリカはローカルなアメリカ的なスポーツが盛んな国だから)、アメリカにもサッカー熱が盛り上がった時代があったというのは、一つの大きな歴史の一部だったのである。
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あんがいインバウンドの未開拓かも

2023-06-04 | culture

 温泉で入れ墨の人はお断り、という但し書きがある。確かに今はめったに入れ墨を入れた人が入っているのを見なくなったが(僕の目が悪いせいもあるのだろうか?)、僕が子供のころには、刺青のおじさんは何度も見たことがあった。あれは銭湯も含まれていたのだろうか? いや、父と一緒に嬉野の温泉に入っているときに、刺青のおじさんの絵を注視していて、このおじさんから声を掛けられたことがある。触らせてもらって、絵が取れないのが不思議な感じだった。今なら当たり前だと分かるが、親切なヤクザ(元ヤクザかもしれないが)もいたものである。その時は父もいたはずなんだが、なんか仲良くなっていたようだった。
 友人を介して知り合いになった人とサウナに行こうということになって服を脱いだら、紋々の入っている奴だったということもある。「あれ、あなたヤクザさんだったんですか?」と聞くと「ええ、まあ、ちょっと抜けられなくて……」と言っていたのが印象に残っている。見た感じはふつうのお兄さんで、まぎらわしいものだな、と思った。もちろん、もう会わなくなってしまった。
 ところで入れ墨お断りは、やはりゆっくり風呂につかろうという別の客への配慮なのだろうけれど、実際に入ってしまうと、店側が入っている客を追い出すということなのだろうか。そういう機会に遭遇したことは無いが、どうなのだろう。基本的には入れ墨が入っている人に対して、一応は注意書きしてあるんで、ご配慮お願いしますってことなのかもしれない。
 あんまりないことだが、外国人で腕に模様のような文字のようなものを入れている人が入っているのも見たことがある。あれはいわばファッションのタトゥーというものだから、いいということなんだろうか。注意書きを読めなかったのでパス出来たということか。でもまあ、そんなもんかな、ということで気になるものでもない。しかし考えてみると、日本人ならダメで外国人ならよいというのは、どうなんだろう。入っていた客が、あとで店側に苦情を言ったりするんだろうか。単に風呂に入って出るだけのことなのでよく分からないことだらけだが、別段風呂の入れ墨お断りの注意は、要らないものなのではなかろうか。
 でもまあ、日本以外に混浴文化というのはあんまりなさそうなので、そもそも外国人が来ている割に温泉では見かけないだけなのではなかろうか。そうだとすると、これは売り込むチャンスなのではなかろうか。
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帝銀事件は今も残っている?

2023-06-03 | ドキュメンタリ

 戦後最大のミステリとも言われた帝銀事件だが、それは松本清張がこの事件を取り上げて冤罪の可能性をリポートしたことも大きいようだ。実際12人もの銀行員(関係者)が一人の男に毒殺され金を奪われるという恐ろしい事件であり、後に犯人として捕まった画家が、当初は犯行を認めたとされた後証言を翻し、死刑判決後も獄中死するまで再審を求めた。実質上死刑執行が行われなかったのは、この再審の可能性が何十年にもわたって残されていたともされ、松本清張の筆によって世論が動いたせいでもあろう。
 松本が疑ったのには理由があって、青酸化合物をスポイドで正確に致死量を量って皆に冷静に飲ませることが、あんがいにむつかしい行動であったこと(それを素人の画家ができたのか)。そのようなことに長けた可能性のある戦中の特殊部隊の人間の方が怪しかったこと(しかし最後まで個人の特定は難しかった)。戦後米軍がその特殊部隊の存在を秘匿した可能性があること、などがあった。特殊部隊とかかわりのあった人間の証言にも、このような冷静な人殺しができるのは、自分たちの部隊内の人間の仕業だろうと思っていたらしいこともあった。
 しかし当時それなりに著名だった画家の平沢貞通には、逮捕後過去に詐欺事件を起こしていたことが発覚すると世論は平沢犯人説に大きく傾き、そのまま死刑判決への流れを覆すことができなかった。しかし実証主義の松本にとっては、疑わしいのみで犯人に確定することに抵抗があったのだろうと思われる。結果的に振り返ってみて未解決事件と言われることになったのだが、では、本当に冤罪だったと言えるのだろうか。
 ドキュメンタリを見た印象としては、確かに冤罪事件としての振り返りの仕方だったこともあって疑わしいのだが、しかしさらに疑わしいとされる特殊部隊の人間に、本当に捜査の手がちゃんと伸びなかったのかというのもよく分からない問題だとも感じられた。特殊部隊の戦争犯罪は許しがたいものが多く含まれているが、その断罪が上手く行ったとはいえないようにも感じられる。そういう背景も含めて、戦後軍隊に対する国民の不信感も、この事件の背後にはあったのではなかろうか。松本清張の中にも、そのような軍部への、戦争への怒りが、この事件の真相解明ということに向かわせたのではないのだろうか。
 しかしながら、この帝銀事件という凄惨な殺人事件をクリアな形で解決できなかった戦後日本というのは、その後の冤罪の可能性などのある事件への影響も無かったとは言えないのではなかろうか。日本の検察の異常な強さと、裁判の在り方に対する不信感は、今に至っても払拭しきれていないのではないか。そんなことまで考えさせられれてしまうのだった。
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日記。総会シーズン突入

2023-06-02 | 日記

2305○○
何故かゾンビーズを買って聞く。/新聞で手塚原稿発見とある。もう死後何年なんだろう。/バングラ火力発電、日本は援助を停止するらしい。サミット前に間違った政治判断を繰り返す見本。こういうのは僕が死ぬ前くらいには、歴史を振り返ってバカだったと思う事項の一つだろう。現代人は本当に愚かだ。/逸ノ城引退。(名前が三浦駿だった)大器だと言われ続けて、しかし何か面白くなさそうな相撲人生のように傍からは見えた。今後どうするのだろう。
三四郎あらすじを読む。高校生くらいの時に読んだ記憶と一致しない。/石田千エッセイの一節、「文庫本はジーンズと同じ」なるほど。/「和解」と「海からの贈り物」ポチる。/昼 ゆで卵二個(剝いてあった。初)/ブログ2本(ドキュメンタリ) ヒューイルイス MD村上さん編集/ Ⓛの文章進まず 歩いているときは結構考えるのに、書くとまとまりを欠ける。/本。利己的奉仕主義斜め読み→返すので/何度もパソコン作業/元々黒沢清を探してた△ 彼の作品はくだらないのも多いが、印象的なものもある。/石田千で検索数度。届いた本も少し読んだ(文章上手い) 

2305○○
僕にはあまり関係なかった連休明け/雨天後晴れだが寒い/石川の地震は?/コロナ明け マスクは続いてるな /Lの準備△広報誌打ち合わせ業者のところへ。K澤さん、K祐くんと。スケジュールと広報内容、大まかなアウトラインは出来た。金曜写真など資料集めなど確認。文章について、チャットGPTは使えるそうです。/睦月散歩、ちぐはぐだが、少しできるようになってきたか/ カレー、サラダ。/ 録画、伊豆半島など。 映画は「赤い殺意」観る。

2305○○
 映画ブログ 利用者さんからの注文代行。CD千昌夫など数枚。/先の研修案内来る。スケジュール/ 午後の監査などの逆算時間の使い方など考える。/監査。役員会。対面いいですね。/素案というか広報文とか書く。/結構暑い一日で、シャワーでさっぱりした。

2305○○
電話しなくては、と思いながらずるずる先延ばしにしていた依頼の件。やっとかけてみると先方は会議中。→夕方先方から折り返しの電話いただき、なんと向こうから引き受けましょうと簡単に承諾受ける。N村さんありがとう。二十五年くらい前に箱根でグダグダいろいろ話をしたのを思い出される。お互い若かったね。案ずるより産むが横山やすし(古)。

2305○○
 夜諫早。U大学会打ち合わせ。ちょい懐かしの顔。話題は親の教育が悪いから犯罪が起こるなど。嘘をついてはいけないとか。毎回のことだが、そんな根拠のない話題が一般人感覚なんだろうか(テッチ君の考えだけかもしれないが)。気の置けない関係だからかもしれないが、ちょっと熱く語ったりする。刑務所関係や交通警察の取り締まりのいい加減さなども。ブログ話題にはいいかも。7月にはセミナー開けそう。/刺身盛り合わせ、餃子、すり身、チーズ揚げ。色々食べたが大半は忘れてしまった。JR、迎えも来てもらう。

2305○○
例会。M田さん金婚式か。凄いな。僕が生きているうちには無理そうだ。/新入会二人。/ヘアドネーション。/カツとじ丼、みそ汁、エビの入ったサラダ、杏仁豆腐とフルーツ。/終わって来週の委員会編成会議打ち合わせ。/それでもその後会議までちょっと時間あり散歩大村公園。汗かいた。/H会定例総会。新議員さんなど多し。この会は高齢率も高いが、あんがい女性も多い。僕ら世代くらいの方が、かえって女性比率は低いのかもしれない。/バス移動、懇親会てん新。寿司とか刺し盛とかいろいろあったが、食べたのは茶碗蒸しと小鉢。天ぷらはパス。/二次会スナック。皆よく歌うな。長崎からの偉い人も気さくに歌う。L会の方で検討して欲しいという案件ももらう。スジがいいのかどうなのか。/頃合いみて三次会。Sさん、I瀬君。今日はすぐに帰るって言ってたくせに……。/タクシーで帰宅。

2305○○
職員の結婚式。あいにくの雨天。バスはキャンセルして、長崎まで送ってもらう。/尾ひれから始まるコース料理。蒸した鯛、ソース多めローストビーフなど。ビール、シャンペン、ハイボール、芋の水割り。美男美女カップルと言っていい。親戚も美形が多い感じ。友人も美形がやや多いか。それにしてもみんな若いな。というか、僕が年を取ってしまっただけのことかもしれない。/スピーチはまずまず上手くいったことにしておこう。/帰りはバス。空調が暑いと赤ちゃん連れた若いお母さん言っているが、なかなかエアコンの効きが悪かった。駅に迎えに来てもらって帰宅。/昼酒は得意じゃなくて、夜は珍しく飲まず食事もパス。/録画を見て韓国ドラマ。寝付けず苦労した。

2305○○
資料作り。連絡。決算打ち合わせ。メール。前日母の日でごちそうだったので、残り物の弁当アリ。ポテトサラダも。/散歩。/電話数件。再度打ち合わせ。トイレ読書はSF、科学者の勉強の話、谷崎文学のことなど/夕方L事務局明日の資料再確認。日曜ゴルフの僕の役割。/給油、着替え、送ってもらったがR会遅刻。夕方は車が多すぎる。/お話は強烈なところもあったが面白かった。人生は無謀な方が学びは多いのかも。/太麺皿うどん、サンドイッチ、から揚げ、刺身。ほとんど手を付けず腹減ったが、我慢。ビール、ハイボール。/二次会。Nぼっちゃん独擅場だが一理ありとは思う。結局遅くなり、無理に捕まえられたK村君に送ってもらい、しかし某法人の役員人事や事務局問題点など送り先で再度話をする。期待してたんだけど、上手く行かない人は上手く行かない。仕方ないが、割り切ってもらうよりないか……。
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幸せ至上主義がまねく不幸

2023-06-01 | net & 社会

 SNS依存症というのがあるのは、前々から問題にはなっていた。ちょっとした日常の出来事をUPしているということなのだが、そのちょっとした自慢めいたものの方が、そうでないものより多くなる。美味しいものを食べた(以前はこれがほとんどだった)というのを写真付きでつぶやくのが典型で、美しい風景だとか、珍しい出来事とか。写真の上手下手もあるかもしれないが、補正する技術もあるらしく、それらしく加工して素晴らしい、というのもあったのかもしれない。
 一方でこれを、いわゆる「リア充」自慢として妬む人のコメントも結構あったりする。直接うざいとか書き込む人なんかもいる。それなりにひねくれているわけだが、つらいものはつらいのかもしれない。まあ、見なければいいというだけの気もするが、利用する人にはいろいろ事情があるのだろう。むしろひどく毒を吐いている人のを見ることもあって、見せられる方はその方がつらい。そういう人はおそらくそれには気が回らないようで、慰めて欲しいのかどうかは分からないが、ひどく甘えているようにも感じる。それにちゃんとフォローする仲間が居られることは救いだが、それすらないと、ちょっと警戒感が漂う。そういうこともあって、リア充の報告がたくさんある世界の方が、どちらかというとふつうに健全そうに感じるのだが、まあ、それもバランスかもしれない。
 そういう風に思っていたのだが、しかしこの皆から「いいね」をもらう事での満足ということには、少なからぬ危険が潜んでいるそうだ。「いいね」というのはいわゆる評価であって、それの多寡によって自己の承認欲求を満たすことに問題があるらしい。
 何が言いたいかというと、そういう承認欲求に満たされなければならないということに、自分が振り回されてしまう、ということらしい。そういう欲求を満たすために、いつもいいものを食べ、美しい場所を訪れ、きれいに着飾って、そうしてメイクなんかにも凝っていく。すべては他人から、「いいね」をもらうためだけのために。
 そういうのを「幸福至上主義」というらしく、そのような考え方が、実は自分の幸福度を下げる結果に陥らせるらしい。皮肉めいているのだが、何故なら自分の幸福は、他人の評価次第だからだ。自分がいいと思われたいところを、他人の「いいね」にゆだねてしまっているのが、問題なのだ。しかしそれが、SNSの本質でもあるわけだが……。
 なかなかに難しいものだな、とも思うのだが、はて、しかし僕自身も長年ブログを書き、SMSにあげてはいるわけだ。
 確かに「いいね」がたくさんつくと、「おお」っという嬉しさがあったのはあった。正直言って今もあるかもしれない。そうなんだけど、やはり僕はそういうのとは、実はちょっと違うところがそもそもあるのだ。
 経過からするとすでにブログ自体は十数年(※後で考えると20年近くでした。少なくとも17年以上にはなるようだ)にはなっていて、フェイスブックが始まってすぐに連動しだしたと思う。最初は十数個すぐに「いいね」がついたりして、いい気分はあったかもしれない。しかし僕のブログはそもそも長いし、読んでくれている人は実際には数人だろう。一時期フォローするカウント数も250を越えたりして、さらにいい気分だったが、しかしその後は下がり続け、もう何年も100ちょっとというのが続いているかもしれない。まあ、これも慣れと言いますか、書いていることはそれなりに変化しているものと僕自身は思うのだが、つまるところ考え方がそう変わるわけではないので、ずっと読んでくれている人がいるというよりも、ちょっとずつくらい変化もありながら変遷があるのだろうな、ということに過ぎないと思われる。気にしてない訳では無いが、基本は備忘録と、自分の考え方のまとめなので、書かざるを得ない事情が僕なりにあって書いているものを、たまたまこういうかたちで上げているということなのだ。
 それはあまり理解されづらいことではあるようで、つまるところ評価されるのを求めてというよりも、他人の目がある前提でものを書くという自分なりの訓練のようなものであって、そういう中で物事を考えていくことが、自分にとってはそれなりに必要な手段ではないのか、という実感があるためなのである。
 多少無理やりに自分に納得させている面があるにはあるが、たぶんそんなような感じで間違いなさそうだ。もちろん突然やめてしまうかもしれないが、文章を書くというのはちょっとした快感もあるので、そういう意味では依存症ではあるかもしれない。自分なりに書いて、書き直したりする作業に没頭すると、それ自体が楽しいのである。もちろん楽しくない時も、あるのだけれど……。
 という感じで自分の考えを表に出そうとすると、字数が増えていく。単にそれだけのことなのであって、これって幸せ至上主義にあてはまることなのだろうか。
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