カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

いじめの見本のような事件

2010-06-30 | 時事
大相撲-いじめ的処罰を悲しむ

 日本というのは、大人が寄ってたかって弱いものをいじめる文化があるのではないかと、僕は疑いたくなっている。自業自得とはいえギャンブルで借金したものを路頭に迷わせて終わりなんだろうか。彼らは悪の道に入るより、今後は生活ができなくなってしまうのではなかろうか。このような残酷なショーだからこそ、人々は喜んで楽しんでいるのかもしれない。日本って不公平なうえに生きにくい社会なんでしょうね。
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禁止を歓迎してもいい

2010-06-30 | culture
 昨夜はインターネットや携帯電話から子供を守るにはどうしたらいいのか(テーマ自体にセンスが無い。ってウチの学校が選んだ題材だけど…)というテーマでブレストした。
 大方の予想通りなんで時間つぶしのようなものだが、特に携帯については禁止という意見が明確に出ていた。インターネットについても技術的に閲覧制限するか、子供だけでアクセスできない設定にするように強く求められているようだった。ブレストは他人の意見を批判しないのがルールなので黙っていたが、アホくさいなと正直に感じた。
 前提としてインターネットや携帯電話があるから子供が危険にさらされるという考え方に誤りがあると思う。いや、確かにそういう道具を使って危険な状態にさらされるということがあるんだからという理屈は一応了解した上で、それでも携帯やインターネットが悪いというのは筋違いなんだと思う。銃などを規制するのとは根本的に違う。ましてや法律違反ですら無いし。しかしながら親に自分なりの考えがあって自分の子供に対して規制をするのはまったくかまわない。勝手に好きにしていい。よそ様の家庭の事情など知ったことではない。そういう家庭に生まれた子供は自分の運を呪えばいいのである。
 しかしながら、親や先生がこのように認識しているというのは、逆にメディアを自由に使える家庭の子供にとっては大変に優位であるということは考えられる。根本的に誤っているからこそ、簡単にその優位な立場を享受できる。これは大変にありがたいことなのかもしれない。もちろん日本の一地方の狭い事情だけの話であるにせよ、普通に使えて普通に便利な生活ができるだけで、その子供の情緒もずいぶん安定することだろう。すでにゲームなどでは自由かつ高度にその内容を楽しむことができる彼らの将来は、僕らの現在よりはるかに多様的で明るいものなのではなかろうか。そういう世界にあってさらにスタート地点から先を進むことのできる環境を手にした子供は、その社会の中で圧倒的に有利である。まったく自然にそういう立場にいられる幸運を降って湧いたように手にできるのであるから、黙ってその地位をもらっておいて申し訳ないくらいである。
 などと考えてみたが、余分によその家庭まで規制しない程度にはそのような偏見が蔓延するのは別にどうでもいいことではあるようだ。実際に大人になった時には誰もがおそらく普通にそのようなツールは必需品として使っている訳で、早い遅いはそんなに関係はないことかもしれない。彼らにしてみたら、昔はそんなことに親が騒いでいたなあ、などと馬鹿にしながら振り返ることになるのであろう。
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日本人経営者最高額の程度

2010-06-29 | 時事
役員報酬、4億7726万、日本人経営者最高額

 僕自身がものすごく素直に感じた印象は「そんな程度なのか」というがっかり感だ。日本の企業が元気ないのも当たり前なのかもしれない。頑張って仕事しても最終的にはそんな感じしかもらえないのであれば、宝くじ買うのも無理ないことかもしれない。
 もちろん日本の大企業の多くは、日本人の感覚的にはオーナー経営者というものより、企業の社員代表者という性格のものが多いのかもしれない。そういう企業はほとんど役場と同じなので、落ち着くところは億を超えたくらいのところということなのかもしれない。そうして会社の資源を私物化した方が公平感のあるという矛盾した行動を助長させるような気がしないではないが、まあ、彼らの考えなんだからどうでもいいか…。
 しかしながらこの記事の感覚的なところは違うようで、こんなに報酬をもらっているんだ、ということを言いたいような気がしないでは無い。まったくいつからそんなあさましい人が増えたんだろうか。巨人軍の選手と比べても低い人たちに嫉妬してどうするんだろう。
 アメリカだと報酬を開示したらさらに報酬額が大きくなったという話も聞いたことがある。あそこがそれくらい貰うんだったら、ウチはもっと出してもいいはずだ、という競争が生まれてどんどん報酬額が吊り上っていったのだという。これもアメリカらしくあさましい話だが、日本の場合よりある意味では人間らしく健全だ。少なくとも見え透いた嘘がない。
 日本の場合はアメリカの例を見習ったわけではおそらくなく、報酬を抑えようという意図があってこのような開示義務が行われているのだろうと考えられる。誰が考え付いたのか知らないが、そのようなメンタリティは日本人として本当に情けないことだと感じる。今は世界的に完全に有利な立場にありながら、日本という国はどんどん凋落していくしかないという象徴的な考え方だと思う。このような馬鹿げた考え方を歓迎する人が多くなればなるほど、日本という国の立ち上がるチャンスを失わせるだけだと気づいた方がいいのではなかろうか。
 というよりその前に、日本人にはもっと良識を取り戻してほしいものだと率直に感じる。そんなことも分からない人たちなんて、まったく悲しいばかりじゃないか。
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鬼太郎ナンバープレート

2010-06-29 | 時事
ゲゲゲの鬼太郎ナンバープレート

 鬼太郎ファンではあるけど、特にナンバープレートをそうしたいという欲求は無い。しかし、調布市という場所については、いいところだという印象は持った。調布市ができるのならおそらく他の市でもできる試みだろうから、先鞭をつけていろいろなことが気できそうな気がした。
 もちろん実際に市のマークやらをかたどったものなどはあるんじゃなかろうかという予想はできる。しかし、思い切ってこのような話題性のあるものにするということがエライのではないかと思ったまでである。こういうのはやる気が分かるというか、やれるところほど住みやすいという印象も生まれ得るのではなかろうか。
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少ない収穫であったとしても

2010-06-27 | 雑記
 昨夜の最終便で帰ってきたのでちょっとだけウラシマ状態。今朝の予定が流れたので調子に乗って情報収集しているだけで時間を使ってしまった。いろいろ変化あったようにも見えて、実はいつもとそんなに変わらないというところなのかもしれない。空白があったほうがいいこともあるのかもしれないとは思う。

 研修会の内容自体にはかなり不満足だったけれど、それはよく考えてみると、ある程度こちらの方が先行して動いているという現実があるせいかもしれない。本当に動いていない側の方があれこれ先の可能性について、もしくは問題の方を詮索して悩んでいるということが多すぎるように僕には見える。そうして答えだけを人から得ようと考える人が多すぎるのだ。答えは教えてもらってもそんなに意味なんか無い。たとえ間違った答えを導き出したとしても、それを自分自身で考えて選択したことの方がはるかに意義深い。そういう当たり前のことを当たりまえに実行していくしか打開策は無いのではないか。天から降ってくるように自分を助けたり導いたりする力を求めてばかりでは何にもならないのではないか。まあ、そうしたいという人間心理自体は分からないではないが…。
 それともうひとつ感じてまずいのではないかと思うのは、何か安易に一発ですべての問題が解決できるということを願っている人が多すぎるようにも思う。制度などを変えて問題を一気に解決できるように言う人が多すぎるのだ。何かそういう大きな根本を変えることは、もちろん最終的には必要なことではあっても、しかしそれは唯一の解決策ではありえないと思う。物事には必ずといっていいほど二面性がある。ひとつの問題点の解決になっても、その裏側では不都合が生じてしまう。しかしその公平性や妥協点を見つけ出して接点をどこに定めるのかということこそが、根気も必要だし厄介極まりないけれど、とにかくとことんやるべき作業なのだ。そういうところから逃げて仮定の論議を重ねていることに、僕自身が一種の徒労を覚えているのかもしれない。もっと体を動かしている人と論議をしたい。今は純粋にそういう渇望を持っているのである。
 しかし分かっている人も確かにいるようではあるのは分かった。グループで討議をしていて、何人かの意見には聞くべきエッセンスが含まれていた。現場で動いている人には、感覚的に嗅ぎつけているものがあるらしいのだ。本来は年齢は関係ない要素だが、やはり若い人からそのような意見が出ていたように感じた。もう少しではじけるように、あふれ出すように物事が動いていくのではないか。そのような人たちがそれぞれ確実に動いていくことによって…。
 さて資料は重かったのでホテルのクロークの人に全部捨ててくれるように頼んだ。僕にはメモが残っているので十分だ。報告するだけの目的で持ち帰るには多すぎるし重過ぎる。結局は何を選択するのかが重要なので、捨てられるものは捨ててしまったほうがいいのだ。そのあと鞄が軽くなったので人の荷物を持たなければならなくなったけど、余裕ができたからそのようなことができるわけであって、徒労なのではない。収穫が少なかったことが今回の収穫だったということなのかもしれないのだった。
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タカダワタル的ゼロ

2010-06-22 | 映画
タカダワタル的ゼロ/白石晃士監督

「タカダワタル的」を観て、これも観なくてはと思った。もともとのファンでも何でもなかったが、この映像でいっぺんに持っていかれたクチである。
 吉祥寺にあるらしい焼鳥屋の「いせや」の閉店(新装開店のためらしいが)と絡めて、高田渡の年越しライブの映像を撮ったものである。泉谷しげるとか柄本明、ベンガルもちょっと出ている。彼らはむしろ純粋に高田渡のファンだったり支援者だったりするんじゃなかろうか。僕は年代も違うし特にフォークファンじゃないからなんとなくしか知らないが、一部の人間が神格化して高田渡を語るのを知らないわけではない。たぶん映像も子供の頃に見たことがあったような気がするが、その時は関心が無かったのだろう、ただのおじさんとしか思ってなかった。しかし改めて観てみると、当時の僕が分からなかったとしても当然だろう。この感じは、この枯れた感じだからこそいいのかもしれないと思わせられるのだった。
 歌もなんともいいのだが、その語りがさらにいい。漫談でしゃべっているわけでもなかろうが、実にとぼけていて思わず腹を抱えて笑ってしまう。バックの演奏もしっかりしているし、ご自分のギターの腕も悪くないのに、何故か歌いだしても危なっかしい。楽譜が無いと一曲ちゃんと歌えないのではないかと疑いたくなる。
 しかしそれも含めて高田渡。酔っても歌っても、なんとなく目を離せなくなる人物。コンサートも終わってほしくない余韻が漂い、彼がめんどくさくなかったらいつまでも歌い続けて欲しいとみんな願っているようなのだった。

高田渡_私の青空


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パンツが脱げて恥をかく

2010-06-21 | 時事
パンツ脱げて恥をかく
 ワールドカップって注目あつめるだけにいろいろとあるんでしょうね。

 個人的に気になるのは、超スローモーションでの再現の際に結構ヘディングで目をつぶっている人が多いことかもしれない。僕はサッカー少年だったのだけど、しっかりボールを見ながらヘディングするように教えられたものだ。しかし実際にはヒットする瞬間人間の本能として目をつぶってしまうような気がしていたのである。なんだかそれが実証されているような気がして遅ればせながら意を強くしているのであるが、多くの人には何の興味もないことかもしれませんね。すんません。
 
 それにしてもピッチ上で手鼻かんだりして、外国の選手たちは江戸っ子が多いなあとも思います。
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このセンス、まるでダメだ

2010-06-20 | 時事
菅首相、「リストラする経営者ほど立派というのは大間違い」

 かなりあきれた発言だ。リストラを首切りとしか認識していない勘違いも含めて、リーダーとしては最悪の間違った思想だ。人はどんな考えを持っても自由かもしれないが、リーダーとして間違うと被害が大きくタチが悪い。政治家は経営者ではないから何とかなるのかもしれないけど、ほんとに会社の経営なんかを間違ってすることにでもなったら、従業員はかなり迷惑したことだろう。この発言で多くの人は退職するのではなかろうか(結果的にそれはいいことかもしれないが)。そういう意味では政治家で助かったのかもしれないが、日本国民は間違いなく不幸な将来を手にしたということになるのかもしれなかった。政治家は嘘をつくらしいから、リップサービスの嘘であってほしいものである。
 日産の社員の誰しもやるべきことは知っていた。しかし日本社会のしがらみにあって、誰もやるべきことをできなかったのだ。そこでゴーン社長がみんなの望むことをかわりにやることができた。それを人は優れた経営者というのである。彼がリストラの手段として首切りを含めてそういう判断を実行できなかったなら、街には日産の失業者があふれたことだろう。今はそういう結果のあきらかかな状態なのだから、そこを読み間違うような人がよっぽどの節穴なのである。偏見や色眼鏡で世の中を見ると、曲がったものしか見えなくなるのだろう。菅首相がどのような教育を受けて成長したのか知らないが、このような間違った大人にならないために子供の教育を見直すべきではなかろうか。
 しかし、既に手遅れなのかもしれないところが、限りなくかなしい現実かもしれない。
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梅雨の合間の散歩

2010-06-19 | 散歩
 梅雨入りしているらしい。雨が降ると鬱陶しいという話は一般的だが、今年は四年に一度のお祭りで、日中は確かに困るような気がしないではないが、夜には引きこもってもテレビが楽しいということになっており、日本にとってはちょうどいい事になっているのではないか。健全なる引きこもり。変な祭りである。
 雨で困るのは何と言っても犬たちのようで、催促されてもとても散歩には行けない。雨でも散歩するという猛者もいるだろうが、傘をさしてさらにびしょぬれになる犬を部屋に上げる億劫さを考えると、やはり断念せざるを得ない気がする。散歩の途中のお勤めを拾い上げる際も、雨天の路面では都合が悪い。
 しかしながら出張があったりしてさらに御無沙汰感が増している中の霧の朝になり、雨粒が落ちていない状態であれば、期待に応えないわけにもいかない。激しく前足でつつかれせっつかれして、どうしても起きなければ許してくれない。外に出てみると流石に体の疲れが出て足取りは決して軽くはないのだが、それなりにふやけた体には外の空気はありがたいものかもしれないとは思う。湿気が多いのですぐに汗ばんでしまって快適とも言えないが、杏月ちゃんの足取りが軽やかなのを眺めていると、まあ、外の世界は魅力的なのかもしれないとは思いなおすのであった。
 サッカーが盛んな国では、どうしてこうも熱狂的に国民が応援しているのかというのは代理戦争という側面である程度は説明はできるとは思う。しかしもう一つ忘れてはならないのは、トトカルチョがサッカー賭博のみをさしていることでもわかるとおり、勝敗に関しての賭けが盛んなこともあるのではないかと思われる。全試合には様々な機関がオッズを提示しており、それを参考にしてかしないでか、いろんな人たちが同元になって、激しく資金が舞うのであろうと思う。自国の負けに悲観して自殺したり、審判を撃ち殺したりというような過去のニュースには悲惨なものが多いが、その背景の多くに、多額の資金の動きや恨みがあるのではないかと邪推したりも出来る。それだけ入れ込められるだけのお金も入れ込んでしまったのではなかろうか。
 奇しくもそういう時期に日本では相撲界での野球賭博のニュースが賑わしてもいる。実際には琴光喜が暴力団に恐喝されていたという被害者にもかかわらず、相撲界を叩けば面白がるマスコミの悪い癖で盛り上がっているだけのようなのだが、きれいごとでイジメ出すと止まらない世論を味方につけて妙な展開になっている。これで喜ぶのは圧倒的に暴力団関係者で、この世論に乗じて脅されている人が日本全国に蔓延しているに違いない。賭博が悪いというのは、そりゃあ法律の建前では悪いということに間違いが無いというだけの話であって、人間の本質的なところでは恐喝の方が遥かに悪いのである。立場上弱いところをついて脅しているのはマスコミもヤクザも同罪である。心あるヤクザは野球賭博という商売自体をおっぴらに続けづらくなることもあって残念に思っているだろうが、タチの悪いものほど現在の状態に感謝しているに違いない。これを叩いている新聞社なりテレビ局の社員の中に、野球賭博にかかわっている人を探してみると面白いことになりそうだが、身内に関して自浄作用など考えているはずはなかろうから、そういう展開にはならないのだろう。本当に卑怯な連中である。
 それにしても散歩中すれ違う人が少ないと思っていたら土曜日だった。最近は土曜も日曜のように人々の朝の動きは鈍いようだ。雲と霧で日は差していないが気温は高くなりだしており、朝の散歩もスポーツのような感じになってきた。観ているだけでは確かに不健康なので、少しくらいは体を動かして観戦に備えなければならないのかもしれない。
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興味本位でニュースにもなるし

2010-06-15 | 時事
「出張先でアダルトサイト」過労死訴訟の証拠

 こういうのはかなり難しさを感じる。過労死という社会的問題と個人の嗜好の問題とプライバシーとの関係性は複雑に絡んでいる方が自然だろうからだ。亡くなった方にはお気の毒だと思うものの、会社と対決姿勢での過労死判定にはこのような問題を多く含んでしまうように思われる。突然死の原因が何であるのか。働き盛りの人間に仕事の影響が無い方がおかしい訳で、過労死の拡大解釈は企業にとっても防衛的にせざるを得ない問題なのではないか。なんにしても、世知辛い世の中であることを身につまされる事例のように思った。
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だし汁だけ出ても…

2010-06-15 | 雑記
蛇口ひねるとうどんのだし汁

 気持ちは分かるが、その前にうどん玉と器はどうするという感じがしないでは無い。それも空港という空間を考えると、今ひとつイメージがわかない。コップにだし汁を飲む習慣があるのなら別だが。
 空港でのイベントにおいて鍋を温める火器の使用に問題があるとか、そういう事情があるのではないか。だし汁が出るから話題になるというのがどうにもかえって疑問が膨らむのだった。その地区が蛇口にだし汁が普通なんだというシュールな環境ならケンミンショーなどで話題になって大いに驚くところだが。
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「和醸会」初参加

2010-06-14 | 
 かねてよりobaken亭日常では見たことがあった和醸会に初めて参加させてもらう。それなりに酒のみのくせに日本酒は苦手で、長い間敬遠していた。はっきり言って日曜開催というところも恐ろしい。お誘いを受けたものの、参加者が誰かなど基本的な情報も知らないままである。今回の開催場所も失礼ながら知らない。だいたいの目星程度には聞いていたが、結局迷ってやっと見つけた。ちょうどメンバーの人らしい人が店に入るところで、その後ろについてノコノコ部屋まで上がっていった。
 部屋に入るとこの会の事務局のobakenさんと、PTAの先輩で姉の同級生でご近所のM利さんの顔も見える。何か見たことあるな、という人もいて後でお名前をお伺いすると御近所の医師の方だったりして、なあるほど、というメンツだった。この日は僕を入れて9名の参加で、よく覚えていないが大小取り混ぜて5、6本の様々な酒を楽しんだ。後で計算したところによると一人4合程度といったところだろう。口当たりも楽しく香りもそれぞれでなかなか感じいって飲むことができた。僕はあんまり味覚が優れていないけれど、それでもその個性はしっかりと分かる程度にはそれぞれ面白い顔をした日本酒を堪能することができた。
 この会を最大に気に入ったところは、なんといっても誰も強要しない手酌で勝手にやるというスタイルだった。もちろん人に注いでもいいんだろうけど、自分で気に入った瓶をむんずとつかんで自分のコップにドボドボ注いでも誰も何の文句も言わない。もちろん色々飲みたいという欲求もあるから、自然とバランスよく全部を飲むことができたようにも思われた。当たり前だが最初の方が酔ってないので香りについては敏感に味わえたような気がするが、酔ってから旨い酒というのもあるから、ある程度はそういうことも鑑みて選択吟味されてなんとなくの順番で栓が開けられていった模様であった。一連の流れが自然で、僕のような初参加でも気さくに受け入れてくださって有難かった。
 いきなりから最後まで酒オンリーで、いつの間にかの酒量はちゃんとあったのでそれなりに酔って料理も品よく食べて、なかなか愉悦のひと時だった。全部飲んだという頃合いにはだいたいのメンバーはあっさり解散するというのも、かえって好ましく思えた。若手っぽい4名は店のカウンターに席を移して、さらにビールで酔いざましのように飲んで名残惜しく話をして帰っても、午前様にはまだ間があったようだった。翌朝はもちろんすっきりとした目覚めで、完璧に素晴らしい流れだったと思った。これほど日本酒との付き合いの幸福な時間の使い方はそうそう無いのではないか。和醸会恐るべしと、すっかり感心してしまったのである。obakenさんありがとうございました。
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さくら

2010-06-14 | 読書
さくら/西加奈子著(小学館文庫)

 出張のお供に読んだ。たまには小説もいいかなと思ったもんだから。
 読みやすい物語だしぜんぜん面白くないわけではないのだが、まあ、よその家族の物語だし、感情の入り込めるような一般的な人たちの話では無いようだし、妙にエキセントリックな出来事ばかりが起こるからそりゃないだろうという突っ込みを入れつつ付き合った。男の子の感情としてそんな人もいるんだなあということは感じたが、必要以上にカッコよすぎたりきれいすぎたりする人が多すぎて、その割に結果的にあんまり凄くないことに落ち付いたりするので、まあ、詩を楽しむようなものなのかもしれないなというような感想を持った。正直言って途中で放り出そうとは思ったけど、ここまで付き合ったんだしというサンクコストもかさむし他に読むものも無かったので読み進んだのだけど、後半になって激しい怒りを感じるエピソードにぶつかって、かなり動揺してしまった。いくら小説だって人間としてやってはいけないことだろうって、殺したくなるような人間に出会ってしまってショックだったのだろう。そういう意味では意外性のある物語だったと言えるかもしれない。僕は許す気になれないけど。この家族は崩壊して実に当たり前である。
 しかしながらこのような小説を読んでみて、そしてそれなりに受け入れる人が多かったらしいということには、なんだかちょっとだけ考えさせられるものがあるのかもしれないとは思うのだった。平凡すぎる人たちだと読んでもつまらないだろう訳であって、しあわせすぎるような、ある意味出来すぎた人たちのつながりの中にあって、禁断の恋が生まれてしまう悲劇という物語なのかもしれなかった。なるほど、それならそういう不幸を読むということをする人がそれなりにいてもおかしくないのかもしれない。
 しかしながら僕なりに違和感の抜けない話に思えたのは、やはり家族としてもう少しドロドロした鬱積するような諦めや怒り、または恥ずかしさというものが、どこか他人事のような表面的なところで止まってしまっているように感じられたからかもしれない。もちろん好き好きの範疇であるという人もいるだろうからそれはそれでいいのかもしれないが、日常の瑣末な出来事の中にあっての小さな冒険が、とても特殊な一事情のような印象になってしまうのは惜しいと思ったのだった。よそとは違う私んち。それは誰だって同じだけど、そういう結果になるのはそれなりの葛藤あってのことなんじゃなかろうか。
 小説の世界というのは外国の話程度の方がかえってリアルを受け止めやすいということはあるのかもしれない。日本の家族関係を描こうとすると、小さな差においても共感の破綻を生みだしてしまう危険があるともいえるのではないだろうか。いつの時代の物語なのかはよく分からないが、日本の中の生活に対する違和感が、僕には強すぎたのかもしれなかった。

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日本以外の試合でも面白いです

2010-06-14 | 時事
 日本の勝敗に興味が無いわけではないが、なんとなく日本というチームには悲壮感があり過ぎて、かえって距離感を持った方がいいような気がしている。もちろん僕一人がそうしたとしてもたいした違いなどないだろうけど、僕個人的な精神的負担として、そのような感じの方が衛生上いいということにすぎない。もちろん勝つといいなあという程度の希望はあるけど、どうしてもベスト4になどという野望はまったく持たない。予選リーグの突破などというものも、是が非でも必要な結果だとは到底思えない。結果的に突破しちゃったなあというようなことになってくれればいいのだけれど、現時点でグループのすべてのチームが格上にあるような状況であるようにも思えて、善戦できればもうけもの、程度のことなのかもしれないのであった。まあ、それはそれで仕方のないことだし、せっかくアフリカで開催されていることでもある訳で、アフリカ大陸のチームの全体的な成績が良い方が、俄然大会は盛り上がるはずで、基本的に距離感のある大会として、そのような結果がそろった方がよろしいと思う程度である。
 さてしかし、やっぱり開催されてみると面白さは格別である。オリンピックは特殊な人たちの特殊な催しという感じだけど、サッカーはモロに代理戦争という感じになっており、他人事でも面白い。やっぱり固くなって試合運びが悪くなったりしているチームを見ていると、日本人だから特に精神的に弱いなどというのはまったくの嘘だなあとよく分かる。人間誰だって熱狂的な国の声援を背負うと、プレッシャーに耐えるのは普通に大変なことなのだ。ガチガチになりながらもがいて点をもぎ取り歓喜する選手の姿は、まさに感動的な動物の喜びそのものである。サッカーが強いからといって、必ずしも相手国より偉いわけでも何でもないが、理屈上そうであっても、サッカーの強い国は世界でも偉い国であるように振る舞えるのではないか。少なくとも勝利に酔った国の人々は、そのような錯覚に酔うに違いないのである。
 寝不足で事故を起こさない程度には、出来るだけ試合を観たいものだと思う。個人的にはスペインやドイツが勝ってくれるといいなあとは思っております。お隣の韓国も想像以上によさそうなので、アジアでは韓国応援してます。この際だから北にも勝ってもらっていいけど、グループGではお気の毒ということなのかもしれませんね。
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痩せ薬の開発

2010-06-13 | 時事
夢の「やせ薬」
 たとえ動脈硬化のリスクがあったとしても、当然この薬の使用を希望する人が殺到するに違いない。問題は値段だけど…。
 オーストラリアみたいに外科手術で胃をリンクで小さくしてやせる方法もあるらしいが、薬ならもっと抵抗が無いだろう。人間の臨床には僕を実験に使って欲しいくらいである。
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