カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ありえなさを吹き飛ばす笑い   ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋

2021-01-31 | 映画

ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋/ジョナサン・レヴィン監督

 勤めている出版社が、敵ともいえる大手の出版社に買収され、激怒したフレッドは勢いで辞職してしまう。そういう彼を慰めるために友人が誘ったパーティで、女性のやり手の国務長官が出席していた。実は彼女はフレッドの幼なじみであった。ちょうどそのシャーロット国務長官は、次期大統領選に出馬を画策しており、ジャーナリストであるフレッドをスピーチライターとして採用することにする。フレッドは、生きたスピーチのするためには、シャーロットのことをさらによく知る必要があると急接近するうちに、さらに親密になっていき……。
 まさにありえない設定の上にありえない恋が展開されるわけだが、いわゆるロマンチックというのはどうなのだろう? 下ネタ満載で、セックスシーンもほぼギャグである。会話はジョーダンばかりだし、国際関係の重要な対談はドラッグでラリッて対応してしまう。ハチャメチャコメディで突っ切ってしまう物語である。
 もともと現大統領が次期大統領選に不出馬するということから、初の女性大統領を目指すという伏線がある。勝つためには現大統領の力を借りなければならないし、嫌な奴だが権力者であるメディア王の言うことも聞かなくてはならないという立場である。そのために、高校生のころから最大の関心事である環境問題を、国際協力のもとに何とかしたいという夢の実現と天秤に掛けなければならない状況になる。政治的な駆け引きを取るか、実際の重要なアジェンダを取るかという選択を迫られることになる。さらにちょっと不釣り合いな男とともに。
 結局ノレるかどうかという感覚の問題が大きいと思う。現実とのあまりのギャップに、それは無いだろうと思ってしまうとダメな映画かもしれない。シャーリーズ・セロンは、若い頃からセクシー女優としてスパッと脱いでしまうようなところがあったが、今回も脱がないまでも妙なセックスはさせられるし、重要である。いわゆる男性の理想像なのかもしれないが、女性的にもかっこいいのかもしれない。実際にこんな人だったら、大統領になれるかもしれない。そもそも目指さないだろうけど。
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焼酎って孤独だ

2021-01-30 | culture

 先日観た映画(※1)の中で、観ていてなんだか気になるというか、違和感の残るところがあった。舞台は鹿児島にある島(※2)であるようなんだけど、そこは漁師町で、皆は焼酎を中心に飲んでいる。それ自体は何の問題も無いのだけれど、そのコップで飲んでいる焼酎に、五合瓶などでそのまま焼酎を継ぎ足して飲んでいるのである。廻りにいる人の焼酎が少なくなっても、そのまま瓶から焼酎を継ぎ足すのである。
 鹿児島では特殊な容器(※3)に割った焼酎を入れておいて、それを相手に注ぐ、ということはするようだけれど、瓶のままの焼酎をひとのコップに直接注ぎ足すというのはあまりしないと思われる。要するに、これはこの地区の習慣ではない何処かべつのところではないか、という感じがどうしてもしてしまうのである。監督さんは鹿児島の人ではないようだし、それは仕方のないことかもしれないが、恐らくロケの多い撮影にあって、地元の人も黙っていたのかな、というのがなんとなく気になったのである。
 もちろん僕は現地には行ったことが無いので、現地の人がそうするのであるというのであれば、これはもう僕の至らなさに違いない。指摘するのも見当外れだ。しかしながら、恐らくだが、一般的に焼酎を飲むというのであれば、特に五合瓶に入れてあるような一般的な焼酎ということになると、やはりこういうことはしないだろう。俳優さんやスタッフも、現地の人は居なかったのかもしれない。
 実はこれには困った記憶があって、他でもなく焼酎の注ぎ足しをしてくださる人がいるものなのである。普段の生活では廻りにそういう人は皆無だけれど(要するに皆、たいてい地元の人だし、それなりにのん兵衛ということか)、「まあどうぞ」とやられると、つい杯を差し出したりしてしまう。まあ、ちょっとくらいはいいか、と思って少しやると、また「どうぞ」とやられたりする。仕方がないので「これはお湯割り(または水割り)なので」と言ったりすると、「まあ、そういわずに」と言った人もいるし、ある時は「これはちょっといい焼酎なので(割らずに飲んだ方がいい、という意味だろう)」と言った人もいる。これには困る。そういう問題ではそもそも違うのである。それにそういう意味だとしても、そうである限りは器を変えるとか、そういうことをして欲しい。のん兵衛もいろいろとうるさいのである。
 さてしかし、問題は日本酒の文化の方かもしれないな。とも思う。そういう風に飲んでいた文化というのは、なかなか廃れはしない。そういう文化の中に生きている人にとっては、焼酎という異文化が、それなりに遠いところにあるのかもしれない。とかいっても、僕らの地方では、高々数十年であるが。


※1 「夕陽のあと/越川道夫監督」いい映画だったと思います。
※2 鹿児島県長島町。阿久根市と橋でつながっているようだ。地図で見る限り熊本の天草とも近く、熊本と鹿児島との中間のような感覚があるかもしれない。僕は行ったことは無いのだけれど、九州人の感覚からすると、もうちょっと鹿児島県人の気質があるところではなかろうかと推察する。
※3 黒じょか、といわれるものなど。土瓶のようなお銚子の代わりのようなもの。鹿児島の特殊な風習なので詳しくは知らないが(いや、あちらでは見たことがあるし、これで注いでもらったこともあるけど)、事前に水割りを作って置いて、温める。ということをするようだ。生地をお湯で割るよりまろやかだし、香り立って旨いとされている。他の県では、面倒なのか、あまりしない。少なくとも長崎県ではあまりしない。よっぽど鹿児島文化に根付いたところならいざ知らず。
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友情も愛情も大切だ   11人いる!

2021-01-29 | 読書

11人いる!/萩尾望都著(小学館文庫)

 宇宙大学の最終試験は、外部との接触(助けを呼ぶなど)をしたら終了という状況で宇宙船に乗り込んで53日間放浪する、というサバイバルものだった。10人1チームで行うことになるのだが、なんと、最初から11人いるのである。誰かが秘密で何の意味があるか分からないながら紛れ込んでいることは確かだ。最初は犯人捜しのようなことで混乱するが、宇宙船の中でもトラブルがいろいろと起こり、文字通り協力しなければサバイバル試験に受かることができないのだった。
 超名作の名高い作品で、当然ながら僕も読んだことがあるはずで、どこかにすでに思っているはずの本である。最近萩尾望都の解説がなされたテレビ番組を見て、懐かしくなってまた手に取ったのだ。それというのも持っているはずの本は見つからないし、「ポーの一族」も「トーマの心臓」もよく覚えているのに「11人」はなんだか忘れていたからである。
 これを読んだのは、中学生の時に同級生の女の子が教えてくれたからである。僕はSF漫画や小説などを読み始めたころで、しかし男物(少年)の作品しか知らなかった。だからちょっと抵抗はあったし、絵柄がいわゆるメカニック中心のかっこいいSFという感じではない。しかしとにかく面白いんだから、っていう話で、読んだら衝撃を受けた。その後「ポー」や「トーマ」で、さらに爆発的な衝撃を受けることになるのだが、その前哨戦として、十分に驚いたし、やはりこれを読んだ後だからこそ、「ポー」などの作品も受け入れやすかったのではなかろうか。
 今回読み返してみて思うのは、思ったよりバタバタした展開やコマ割りだし、ギャグも多かったんだな、ということである。読み物として少年少女に親しみやすい配慮をしている、という感じもする。しかし一方で、それはそれでやっぱりSF的な要素もしっかりしている。つまり、やっぱり傑作なのだ。
 僕らは萩尾望都の存在した世界に生まれてきて、つくづく幸福だと思う。萩尾望都が居なかったら、こんなに豊かな世界では無かっただろうから。ということで、大部分忘れていたので、本当に楽しめました。
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母親とは何か、家族とは何か   夕陽のあと

2021-01-28 | 映画

夕陽のあと/越川道夫監督

 都会からやってきたらしい茜は、島の食堂で働き物珍しさもあるのか人気者になっている。一方港で夫婦ともに働く五月は、子宝に恵まれなかったらしく、養子縁組を見据えた里親として「豊和(とわ)」という男の子を育てている。五月夫婦は、豊和と暮らすようになり、家族としての絆も深まり、温かいしあわせを感じている。息子の豊和も地元の子供と馴染んでおり、いい子に育っている様子だ。そういう中で、一定の年齢までなら正式に養子縁組が可能であることから手続きを進めようとするが、東京にいるはずの豊和の実母のゆくえが分からなくなっており、同意をとることに難航していることが発覚する。資料によるとその実母の名前が、都会からやってきた茜と同姓同名である。五月は動揺し、茜のところに遊びに行っていた豊和を乱暴に連れ戻し、茜にこの島から出て行けというのだった。
 重いテーマの物語だが、実母である茜の過去が明かされるところから、一種のサスペンスじみては来る。茜は実母として親権を拒否することはできない様子だ。日本の法律は特殊なところがあって、実母の権利が強いことでも知られている。しかしながら既に愛情をかけて育ててきた時間が、五月の感情を割り切らせることを拒んでいる。
 まさに究極の選択、という感じある。だけれど、物語は静かに進行して、二人の「母親」の心情をひも解いていくように進んでいく。そもそも簡単に割り切れない問題がそこにある。どうすればいいのか、という解答は、さらにどうすべきかなどという倫理は、そこでは通用しないことなのかもしれない。
 こういうのをいい映画、というのではないか。社会問題や法的な不備を、見事にとらえて抉り出している。都会と過疎地の問題も絡み、そうして時間を共有してきた者たちの心の傷を深くしていく。惜しむらくは科白をとらえる音声がはっきりしないことで、このようなロケが多く、さらに自然でシリアスな演技をする言葉回しがはっきりと聞こえない。日常会話なんてそんなものかもしれないが、映画だと、ちょっとで済まない気になるところである。DVD化される日本映画は、どんなものにでも字幕を付けるべきではなかろうか。
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いやこれは犯人逃げられたかもしれません   どんなに上手に隠れても

2021-01-27 | 読書

どんなに上手に隠れても/岡嶋二人著(講談社文庫)

 まだ高校生のアイドル駆け出しの女の子が、テレビ局の控室から消える。そのまま誘拐されたことが分かり、犯人から身代金一億円が要求される。女の子が所属する事務所は、何とか要求通りに金を運ぶが、なかなか犯人グループは慎重で、二転三転する。その頃、女の子はある商品のCMに関わっており、そのスポンサーは、この誘拐事件をそのまま大きな宣伝として利用しようと考える。誘拐事件の報道なら、生きて帰っても、残念ながら死んだとしても、相当に大きく報じられることだろう。そうして思惑は当たって、商品はバカ売れすることになるのだったが……。
 岡嶋作品の面白さはいくつか読んでいたので知っているはずなのだが、これはもう、やっぱり面白かった、というしかない。読んでいてやめられなくなるし、忙しいのに困るのだ。さらにこの書かれているトリックに、読みながら当然いろいろ考えていたわけなのだが、途中途中で、あれっ、してやられた! というのが何度もある。もう、何度も何度もある。これが読み終わるまでずっと続く。凄いのである。
 出てくるキャラクターも生きている。物語の中で二転三転と人生の明暗が変わるものがある。そうしてそれ自体が、なんと、伏線にもなっている。そういう手があったのだ、ということに、結局舌を巻かざるを得ない。やはりこの物語全体が、ものすごく緻密な構成によって成り立っていることを思い知る。それでいて文章が読みやすく、小説としての細部のやり取りも面白いのである。
 確かに今読んでみると、時代が違うというのはある。携帯電話は無いし、テレビ局の事情もいくらかは違うかもしれない。僕が子供のころのアイドル歌手の時代背景ということだろうか。しかし同時に、何か古びれていない感覚も味わうのである。いろんな時代の風俗を紹介しながらも、そうしてそういう時代の空気がありながらも、基本的にこの物語は古びてはいない。トリックにしても素晴らしいし、その筋書きが明かされていく人間模様も素晴らしい。いわゆる普遍性があるせいなのではないか。人間の感情的なものも含め、そういう立場の人間だったら犯してしまいかねない、ちょっとした真実である。単に頭の中でこねくりかえして作り上げただけのものとは違う、いわば血の通ったような物語と、その展開なのだ。そうしてその緻密さゆえに、この展開以外ではちょっと考えられない。歴史的事実がそうであるように、その一回性という時間の刻まれ方に意味があるかのようだ。
 個人的には、また買って読んでしまうのだろうな。まあ、楽しいのだから、ありがたい話である。
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まさにお勧め傑作(2020年をふりかえる)

2021-01-26 | なんでもランキング
 
 「脳外科医マーシュ」は、医療現場の話を書いた本人の告白のような本なのだが、下手なミステリ小説を読むよりもスリリングで、そうして臨場感や哀愁が漂っている。実に正直な人らしく、恐ろしい失敗談もちゃんと書いている。恐らく当事者も読んでいるはずで、ものすごい勇気のある行為ではないか。そうして、この医療の大変な現場を思い、敬意とあこがれを持つのではないか。いや、とても僕にはできないことではあるのだけれど……。
 「おかしな二人」を読んで、僕は岡嶋二人のファンになった。でもずいぶん前の人たちだったんですね。僕は国産ミステリを見下している訳ではないのだが、あんまり読んでなかった。そうしてこれで後悔することになった。だってこんなに面白いものを知らなかっただけなのだ。まあ、徐々に取り戻していかなければ。
 「イタリアンシューズ」はミステリ作家が、ミステリではない人間ドラマを描いたもの。でもまあ、ミステリの要素はふんだんにあって、先が気になる。親子の再生の物語でもあるし、いや、自分自身を取り戻すお話なのかもしれない。北欧の暗い世界が、じわじわと馴染んで離れがたくなるだろう。
 「井上陽水」の詩は、日本語で聞いていると不思議な言葉遊びのような感じがあって、そんなに意味深であるとは思えなかった。いや、意味深なんだろうが、よく分からない。ところが、英訳してみると、なるほど、そういう意味だったのか! と分かるのである。著者の内面とともに、陽水の詩の広がりがほとばしる。

 ということで、振り返りは一応終了。昨年もいろいろ面白かったな。今年もいろいろ面白いといいですね。まあ、少しは時間がありそうで、そうしてこれは奇跡的なことかもしれないので、もっと楽しんでいくよりないと思います。単なる現実逃避かもしれないけれど、それが自らの豊かさの広がりになるのなら、それはそれで儲けものではないですか。

脳外科医マーシュの告白/ヘンリー・マーシュ著(NHK出版)
おかしな二人/井上夢人著(講談社文庫)
イタリアン・シューズ/ヘニング・マンケル著(東京創元社)
井上陽水英詩訳詩集/ロバート・キャンベル著(講談社)
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新書・文庫は持ち歩いて楽しむ(2020年をふりかえる)

2021-01-25 | なんでもランキング
 
 「ふしぎな県境」は、もともとネットの記事を書籍化したものだ。おふざけのような、遊びのような内容だけれど、県境にこれだけのロマンがあることを知るだけでも刺激になるのではないか。以前赤瀬川原平の「トマソン」を見て面白さに開眼させられたことを思い出す。目の付け所で、世界はいくらでも面白くなる。
 「番号は謎」も面白い。面白いから読んでみたら、とひとに貸したら、まったく返ってくるそぶりが無い。レファレンスしたい本なので、僕のような失敗無きよう。でもまあ、数字の謎ってまだまだたくさんありそうで、そういう目で廻りを見てしまう日常にも気を付けなければならなくなるだろう。
 「教育勅語」も、なるほど、詳しく知るという面白さを堪能して欲しい。日本って天皇の国だったんだなあ、って思いました。ま、知らなくてもいいことだけど、面白いです。
 「すごいトシヨリ」も、何気なく暮らす日常を楽しくすると思う。別段年寄りでなくても、楽しくなると思う。若い人なら、これからずっと楽しい時間が増えるということです。
 「努力論」は、当たり前のストレートにガツンとくる一冊。著者は英語の先生だが、もう言っていることに微塵の狂いもなくその通りでございます。武骨だけど、努力に勝るものなし。人が生きる道に、努力が欠けたら歩けなくなることでしょう。
 「万能感」ということを知ると、なるほど世の中の対人関係の基礎問題がスルスルと解けていくに違いない。今苦しんでいる人は、この本を手に取るだけで、ずいぶん救われることだと思う。苦しまないで生きるというのは、それだけで温かい生き方ではないだろうか。
 「ゲンロン」は年末に読んで、一番楽しかった。起業する人とか、経営してる人とかに限らず、読んで損はない。というか、自分で見たくないものに、失敗の原因があるのかもしれない。身につまされるので、笑いながら反省しよう。


ふしぎな県境/西村まさゆき著(中公新書)
番号は謎/佐藤健太郎著(新潮新書)
くわしすぎる教育勅語/高橋陽一著(太郎次郎社エディタス)
すごいトシヨリBOOK/池内 紀著(毎日新聞出版)
努力論/斎藤兆史著(中公文庫)
万能感とは何か/和田廸子著(新潮文庫)
ゲンロン戦記‐「知の観客」をつくる/東浩紀著(中公新書ラクレ)
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漫画篇、この枠で語りきれない(2020年をふりかえる)

2021-01-24 | なんでもランキング

 漫画を読んでいて思うのだが、当たり前だが文字だけでは味わえない、文学性がある。漫画の力はそこにあるのだが、しかしこの時間のかかる表現方法を、よくぞ文化的に根付かせてくれたものだな、と思う。こういうのは、漫画という文化が、文学より格下のサブカルチャーだからこそ這い上がってできた功績ではないかと思う。クールジャパンとして格が上がると、段々と衰退するのではないかと勝手に懸念している。
 ところで「遥かなる町へ」だが、素直に感動したのである。48歳の男が中学生になると、楽しく切なくなるのである。そうして人生の悲哀を知る。まさに名作である。
 「太陽のイジワル」はちょっとびっくりした。ちょっとした表情で、様々な感情が語られている。いや、漫画はそういう表現方法を様々にとっている訳だが、その切りとり方が実に見事というか、あっぱれというか、やられました。お話もよく練られて面白いです。
 「娚の一生」は、僕とそんなに変わらない年頃の男が、少し年齢の離れた女にはどうみられているのか、という感じも確かめたかったのだが、まったく僕とは違うタイプで、確かめようがなかった作品。まあそれでもいろいろ面白いのだが、少しわかったのは、オジサンというのは、限りなくお爺さんだということかもしれない。残りの人生頑張ってまいりましょう。
 高橋留美子は、「めぞん一刻」は熱心に読んでいたのである。それからずいぶん離れていた。少年誌らしいアクションもあるが、時折女の意見が女なのだな、とよく分かる。我が強いのである。それに男の姿が、男が考えるよりちょっと男らしい。これが理想像なのだろう。
 「金の国」は理想像すぎる話かもしれないが、なるほど、西洋的な細部はよく書き込まれている。アニメーション的というか映画的というか、その世界にいつの間にかいざなわれていくような快感がある。こういうのが、絵の好きな人が描いた絵というのかもしれない。
 「僕の姉ちゃん」は、絵的には、これまで紹介した漫画たちとは対極にあるデフォルメ世界だ。女性の描いた絵なのに、きれいな女性というのが限りなく記号的にきれいなのかどうかさえよく分からない。しかし内容はショッキングで、否応なく崖から突き落とされる。その後の心配は一切されない。僕にも姉がいるが、幸いなことに年齢が離れている。だからこのような姉は知らないのだが、知らなくてしあわせだったのだなと改めて思う。世の中には、妙なしあわせがあったものである。

遥かな町へ/谷口ジロー著(小学館)
太陽のイヂワル/惣領冬実著(講談社)
娚の一生/西 炯子著(小学館)
人魚の森/高橋留美子著(小学館)
金の国水の国/岩本ナオ著(小学館)
僕の姉ちゃん/益田ミリ著(マガジンハウス)
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読書、ミステリ作品(2020年をふりかえる)

2021-01-23 | なんでもランキング

 「絆」は古い作品ではあるが、繰り返しドラマ化などされている。なるほど、映像化向けの物語ではあるし、それだけ普遍的な驚きのドラマという気もする。過去と現在、そうして演技合戦にも向いている。もちろん、読んだ方が面白いとは思うのだが……。
 「愛についての」は、地元作家だから読んだという動機だが、拾い物だった。面白いからである。連作になっているが、それぞれ短編としても楽しめる。主人公は、今や僕よりはるかに若い人なのだが、そういえば、確かに考え方に若さがあるのだが、しかしちょっと昔風である。古本屋という商売は簡単ではなさそうだけど、これを読む限りでは、ちょっと楽しそうである。いや、あくまで人間ドラマとして、ということである。文章も上手いです。
 「そして扉」と「クライン」は、マイブームだった岡嶋二人のものだ。どちらも面白いが、ちょっと雰囲気が違う。両方とも現実にはどうなのか、というところはあるが、物語が古びていないし、いや、むしろその時代によくここまでの普遍的な作品が生み出せたものだと思う。そうして「クライン」で、岡嶋の共同執筆が終わるというのは、背景を知っているので感慨深い。ミステリもそういう風に楽しめるのだと知って、個人的に面白かった。その上で「99%」は、さらにあり得ないながら、首一つ抜けて傑作である。日本の小説で、これだけの構成とスケールで書ける人がいたんだなあ、とため息が出そうである。
 「殺人者の顔」は、北欧らしく、なんだか暗い。しかしこの暗さが何とも言えず良い。主人公は何度も失敗するし、日本では考えられないくらい大失敗もする。あちらの国にも人情というか、忖度というか、そういうものがあるんだなあ、と思う。そうして悩みに悩んで物語はそれなりに意外に反転する。読んでいる文章そのものが魅力のミステリである。
 「未来」は読めと勧められて読んだ。正直言って、そういうことで感心するような作品は少ないのだが、これは、なるほど、と思った。最初はちょっと僕の世代ではどうなのかとも思ったのだが、読み進めて重層的に考えさせられて、嫌な気分にもなりながらも感動的である。さすがに流行作家というのは力があるものだと、自分の無知を恥じました。
 「沈黙の森」の主人公も、なんとなくパッとしない。それで苦悩しているし、給料が少ないので、家族にも迷惑をかけている。そういうところが身につまされるし、そのために嫌なことも引き受けそうになるところは、可哀そうでもある。水戸黄門ではないが、そういう鬱憤もあって、最終的にいい気分になるのかもしれない。環境問題も考えることになって、現代人にはそれなりに有益なミステリではないだろうか(作品はもはや古典的だが)。
 


絆/小杉健治著(集英社文庫)
愛についてのデッサン 佐古啓介の旅/野呂邦暢著(みすず書房)
そして扉が閉ざされた/岡嶋二人著(講談社文庫)
クラインの壺/岡島二人著(新潮文庫)
99%の誘拐/岡嶋二人著(講談社文庫)
殺人者の顔/ヘニング・マンケル著(創元推理文)
未来/湊かなえ著(双葉社)
沈黙の森/C.J.ボックス著(講談社文庫)
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良い子は観てはいけません(2020年をふりかえる)

2021-01-22 | なんでもランキング

 これはもう、さすがにみても損するよ、という映画のご紹介。そんなの意味あるの? って感じなんだが、それでも観ようっていうつわものだっているんじゃないか、というおふざけであります。
 まずは「トレジャーハンター」なのだが、これは正直言って訳がよく分からないのである。しかし実話をもとにしていて、この映画を監督した人も俳優として出ている。要するに、このように面白い異国(日本人)の女がいたということに、この監督さんはインスピレーションを得たという訳だ。でも物語はつまらなくて、残念である。
 「新聞記者」は、面白くないだけでなく、ひどい出来栄えでの上に、頭が悪い感じだ。要するにジャーナリズムということの勘違いと偏見に満ちている。これだけひどいのも珍しいと思っていたら、日本の映画賞をとってしまった。うーん、付ける薬がないというのは、困った以上に呆れたことだ。
 「クライマックス」は、どう考えていいのかよく分からない作品だ。面白くはないが、実験的ではある。それは分かるが、この映画自画自賛していて、最高の映画だと自ら言うのである。外国人には困った人も多いのだが、この監督さんにも困りものだ。そうしてファンがいたりするのだ。自分たちのサークル内で頑張ってくれないものだろうか……。
 「マンディ」はカルト映画なので仕方のない面はあるが、見た人の多くは、失敗したなあ、と自分の選択を恨むに違いない。それだけ無駄な時間を買っている訳で、馬鹿である。しかしカルトな人々はこれを喜ぶ。人間というのは罪深いのである。
 「旅の終わり」は、あんがいいい映画ではある。そんな印象もあるかもしれない。でもまあ、失敗作であることに変わりはない。というか、あえてそんな風に作ってしまった感じもする。人が悪い監督が、僕らを馬鹿にして作ったのである。それは疑いないが、付き合った人が悪いことになっている。それが映画という作品なのだろう。
 ということで、後味悪く、映画篇は終了。


トレジャーハンター・クミコ/デヴィット・ゼルナー監督
新聞記者/藤井道人監督
クライマックス/ギャスパー・ノエ監督
マンディ 地獄のロード・ウォリアー/パノス・コスマトス監督
旅のおわり世界のはまり/黒沢清監督
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あひるやおばあちゃんは近くにいる   あひる

2021-01-21 | 読書

あひる/今村夏子著(書肆侃侃房)

 父が知り合いからあひるをもらい受けて飼うようになる。すると近所の子供があひるを見に集まってくるようになる。書いている娘は二階で資格試験のための勉強をしている。だから二階から、子供らが集まってあひるを眺めたりかまったりしている様子を聞いている。子供が集まるようになると両親は喜んで、子供におやつなどをやるようになる。子供の中には、家に上がって宿題をして帰るような子も出てくる。ある日母親は、そういう子供の集まりの中にあって、家で誕生会の準備をするのだったが……。
 表題作の「あひる」以外にも二編が収められている。字が大きくて短い作品が三つなので、一時間もあれば読んでしまえるかもしれない。しかし、読んでいる途中から、確かになんだか胸がざわざわしてくる感じになってくる。いや、他の人の感想でそんなことが書かれてあったようだけど、確かに考えてみると、そんな感じだったかもしれないと思っているだけかもしれない。お話の要点は正直に言ってよく分からないのだが、平易な文章にありながら物語に引き込まれていき、そうして妙なことが起こるたびに、なんだかよく分からないながら、感情が揺り動かされていく感じなのだ。あるいはこれは、確かに児童虐待的なことも書かれているのかもしれないのだが、それに何か暴力に対しての恐怖感もあるのだが、しかし、そういうことを摘発したりするような話なのかさえ分からない。子供たちの境遇はそうかもしれないが、それでも何か温かいものがあるし、その不思議さの中に、それなりに人々が暮らしている確かさらしいものがある。そうでありながら幻想世界もすぐそばに存在していて、そういう幻想の方こそ、ちょっとしたリアリティを放っている。
 なるほどなあ、こういうのを文学というのかもしれないな、と改めて思う。文学賞というのに興味も感じないし、そういう賞をとった作品ということで手に取ったりはほとんどしない。どのみち理解できる自信も無いし、たいていは分からないから残念に思うだけだからだ。でもこれは読んでよかったな、と思える。そうしてまた別のものをクリックしてしまった。読んでいて楽しいし、確かに力のある作品だ。正確に分かるようなことは無いのかもしれないが、読んだ後にもなんだかしばらくぼーっとしてしまう。そうしてそれが心地いいのである。
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ひねくれたファンタジーを観る(2020年をふりかえる)

2021-01-20 | なんでもランキング

 映画を観る楽しみにファンタジー世界を堪能するってのがある。でもまあ、ファンタジーというのは、実は厳しい世界だったりするわけだ。もしくは、人はどうしてファンタジーを欲するのか? という問題だったりする。
 「パンズ・ラビリンス」は、残酷な世の中にあって、心の平安を持つと、このようなダークなものになってしまう、という話なのかもしれない。いや、そうじゃないかもしれないのだが、この気持ちの悪い違和感に、恐れながらも興味が尽きないのであった。
 日本人というのも変な人が多い国である。「散歩する侵略者」は、その変な国ぶりがいかんなく発揮されている。その変な世界に生きながら、その変な人たちを放って置くことができない変な日本人がいる。と考えると、ちょっと怖い気もする。まあ、面白いんで、いいですか。
 でも韓国になると、かなり違う。「バーニング」は村上春樹原作だが、そうして確かにそんなような話のはずだが、韓国映画らしい恐ろしさに打ちひしがれる。親戚であるお隣の国で、いったい何がこうも違うのだろう。いい映画って感じではないが、作品には力がある。最後の勝負で日本人には出せない底力が、韓国人にはあるように思う。
 「岬の兄妹」の設定は衝撃的だが、社会派の物語なのかどうかはよく分からない。ある意味で可哀そうだけれど、しかし、ある意味で、彼らの選択でもあるからだ。孤立した社会だとこうなってしまいがちかもしれないが、現代日本では、こういう選択をする人は少数派だ。しかし、簡単にそうなってしまいそうな人たちは居て、それが障害者だということなのかもしれない。
 「魂のゆくえ」は、基本的に何もかもクレイジーなのだけれど、それが宗教であり、原理主義的な現代人の素直な姿なのかもしれない。おそらく現代人が共通に認識しているはずの問題意識というものがある。例えば地球温暖化のようなイシューでもいいが、しかしそれは、個人の問題に還元すると、どうすべきなのか。こじれていく解決方法が、この映画の回答のようなことなのかもしれない。

パンズ・ラビリンス/ギレルモ・デル・トロ監督
散歩する侵略者/黒沢清監督
バーニング劇場版/イ・チャンドン監督
岬の兄妹/片山慎三監督
魂のゆくえ/ポール・シュレイダー監督
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作品より背景が話題の作品   エジソンズ・ゲーム

2021-01-19 | 映画

エジソンズ・ゲーム/アルフォンソ・ゴメス=レホン監督

 アメリカの初期送電システムをめぐり、その覇権を競った発明王エジソンと、今では東芝の子会社となって負債を膨らむだけふくらました張本人の作った会社ウェスティングハウスとの確執を描いた作品。おそらくそのような歴史的な史実をもとに作られた作品なのだろう。
 エジソンといえば偉人伝であるというくらい、僕らの教育に影響を与えた人物だが、この映画の売りというのも、恐らくそういうイメージと違う人物が、どういう立ち回りをしていたか、という興味もあるのだろうと思う。偉人だったはずのエジソンは、妙なこだわりを捨てきれないうえに、何故自分の作った会社の社名に、自分の名前が残らなかったかということも分かる。一方ウェスティングハウスは、アメリカを代表する巨大企業としてアメリカの工業時代を牽引した会社だが、その後は世界的にも再先端技術を持ちながらも、原発事業など政治的な背景で衰退し、東芝に身売りされるまでになったのである。結局東芝はその負債で苦しみ、現在に至っている。
 まあ、そういうことはこの際どうでもいいことだが、映画自体は歴史的著名人がたくさん出てくる割に、なんだかパッとしない。巷間でもそういう評価があるようで、盛り上がりそうな機運があって、両者が出会って話をする機会があるのだが、ああ、そうですか、って感じで終わってしまう。そういうことになってしまった背景には、プロダクション会社の重鎮であるワインスタインという人が、しつこく介入したせいだともいわれている。結果的にワインスタインはセクハラ事件で全米を揺るがす著名人になってしまうわけだが、まあ、そうなってしまったので、このような介入もバラされてしまったという構造でもあるように思われる。人間落ち目になると、皆が容赦無く叩く。そういう国際的ないじめが生み出した作品という烙印が押されてしまった訳である。歴史というのは、そのように結局は人間の感情のおりなす都合なのかもしれない。
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設定が面白いかな、倫理問題映画(2020年をふりかえる)

2021-01-18 | なんでもランキング

 「小さな独裁者」は、敗戦濃厚なドイツにあって将校の服を偶然見つけて身に着けたことによって、周りが勝手に勘違いして権力を握ってしまう男の姿を描いている。いわば普通の人間が、異常な権力を握るとどうなるのか? という設定を突き詰めて考えた物語だ。要するに、恐らくなのだが、ヒトラーは人間離れした怪物ではないのではないか。そう思いたくない人が、実は本当に怪物なのかもしれないのだ。
 「伝令」は、映画としてものすごいつくりになっている。もちろんちゃんとカットはあるのだが、ほとんどそのカットに切れ目が分からないように映像が進んでいくのだ。そのために様々な仕掛けが仕込んであり、登場人物との臨場感がひしひしと伝わってくるような展開になっている。監督が他の映画製作者に向けてドヤ顔をしている姿が浮かんでくるようだ。
 「パッセンジャー」は、恐らく道徳心に激しく訴えかける物語ではなかろうか。主人公は、人間として決してやってはならない倫理的な過ちを犯す。しかし同時に、人間的には致し方のない欲求でもあるわけだ。当初女の方もこの事故による仕方なさを認めていたが、その倫理観に逆上してしまうのだ。人間にとって時間とはいったい何なのだろうという問いかけもある。娯楽作だが、問題作である。
 「トンネル」は、韓国映画らしい作品である。韓国社会を韓国人が鋭く批判しているとも見て取れる。しかしながら、同時に、ある種の人間の根源的な倫理観にも訴えかけるものがある。絶望的な状況にあって、しかし、人間は本能のみに生きている訳ではない。もう一人の動けない女性と犬が、この物語に、ちょっとしたひねりを加えている。
 「手紙」は、いまだに続くナチスものだが、ラストのどんでん返しに、かなりの工夫がある。いや、それまでの展開にも十分ひねりが加えられている訳だが、なるほど、人間の恨みというものは、このように根深いものだというのが、改めてよく分かる。これは、やはり強烈な本能なのだろう。
 日本映画も紹介しなければ。「マスカレード」は、優れたミステリ作品だと思うが、同時に、なかなか映画としても凝っている。キムタクと長澤のアイドル映画でありながら、これも倫理問題を考えさせられるのである。本来漫画的な仕掛けがありながら、それなりにピースのはまり具合に快感がある。
 「ハウスメイド」は、これもやはりザ・韓国映画だろう。こういう映画の展開や、いわゆるショック度の高さというのは、(日本映画と比べて)韓国映画というのは、たいへんに優れている。そうして、本当に嫌な感じで恐ろしい。僕はこんな取り返しのつかない恐ろしさに、怯えているのかもしれない。

小さな独裁者/ロベルト・シュヴェンケ監督
1917命をかけた伝令/サム・メンデス監督
パッセンジャー/モーテン・ティルダム監督
トンネル 闇に鎖された男/キム・ソンフン監督
手紙は覚えている/アトム・エゴヤン監督
マスカレード・ホテル/鈴木雅之監
ハウスメイド/イム・サンス監督
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古典的遊びを今もやっている   ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密

2021-01-17 | 映画

ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密/ライアン・ジョンソン監督

 ベストセラー作家で大富豪の爺さんの誕生パーティの翌朝、その爺さんが首を切って自殺したようにみられる。そういうわけで家族はそろっている訳だが、殺人事件なのかという疑いもあり、さらにその遺産相続問題もあって、それぞれの腹のうちの黒いものが、ミステリアスに明かされていく。ところがこの遺産相続人として弁護士が明かしたのは、他ならぬ若い家政婦だった。さらにこの家政婦には、富豪の爺さんが亡くなる直前まで一緒にいた重要参考人でもあったのだった。
 おおげさな演出もあるが、古典的な名作へのオマージュ的なサスペンス・コメディなのだと思われる。一番怪しいうえに、決定的な秘密をもっている家政婦は、嘘をつくと吐いてしまうという特徴がある。で、時々嘘をついて吐いてしまう。そこには本当のことが隠されている訳だが……。
 ミステリとしてどうこう言うようなお話でもないはずだが、一応どんでん返しのようなことも起こる。人間心理をついているようなところも無いではないが、金があると本当に家族の皆がこんな感じになるんだろうか? まあ、ありがちなのかもしれないですけどね。
 それというのも、確かに皆が働かなくなって爺さんの金だけが目当ての生き方になるとしても、そうであるなら、皆が爺さんをサポートして、例えば生産性を上げるなど努力をしていたとするならば、ふつうに遺産を相続したところで、何の悪いところがあるというのだろうか。むしろこんなことをすると、後々もっと問題が大きくなることが分かり切っている。死後もそのような混乱のあること自体を、爺さんが喜んでいるというのなら別なのだが。ああそうか、ミステリ作家としては、その方が楽しいということなのだろうか。
 要するに作り物としての箱の中の世界を楽しむ映画である。それで何の悪いことはありませんが、外国人はそういうのが好きだよなあ、と改めて思った次第。確かに元ネタになっているクリスティ作品というのは、そうやって読み継がれているのかもしれない。
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