『神足神社
旧神足村の産土神。式内社で「延喜式」にのる乙訓十九座の一つで「神足神社」とみえる。また、文徳天皇の斉衡元年(八五四)に国の官社にあげられている。
祭神は、「舎人親王(天武天皇の子)」であるといわれている。
当社には「桓武天皇の夢」として次のような伝説が残っている。<田村(神足村の旧名)の池に天から神が降り立ち、宮中を南から襲おうとした悪霊を防いでおられた夢を見られたと言う。天皇は目覚められ、田村にこの神を祭る社を建てさせ、太刀と絹を秘蔵させた。>以後、この社は「神足神社」と、田村は「神足村」と呼ばれるようになったと言われる。
長岡京市観光協会
(社)京都府観光連盟』
神足神社に行く。神社は JR長岡京駅から南の方にある。ずいぶん久しぶりの訪問となった。ネットの写真でチラッと梅の花が見えたので訪れてみた。
神足神社は平安時代初期の創建で桓武天皇が関わっている。桓武天皇というのは都を平城京から長岡京へ遷都させた人物だ。平城京においては貴族と共に仏教勢力が強い力を持つようになり、それを避けるために都を移したと言われる。そして長岡京からわずか10年で平安京に遷都した。
「こうたり」という名称は、上記の説明文に記されている。桓武天皇が見た夢を確かめるために家臣を田村の池へ遣わし、すると家臣はそこで、宮中を襲おうとしている魔物を懸命に抑える神の姿を見たという。しかしあまりにもまばゆいために神の足しか見えなかった。 そこから田村の地名が「神足」と呼ぶようになったとのことだ。京都に多々ある難読地名の一つとなる。
神社は延喜式神名帳に記される式内社であり、格式の高い由緒のある神社だ。市の名前は 長岡京市となっているが、神足の地名は今現在も大字や学校名等として残っている。 JRの駅の名前もかつては神足だった。
鳥居をくぐって参道を進むとすぐに本殿が見えてくる。やはり格式を感じる。そして紅梅が結構多く残っているのが見えた。多分満開は過ぎて散り始めているのだとは思うが、その一方でつぼみのようなものも多数見られた。写真を撮る上ではなかなか絵になるいい風景だ。まだまだこうして残っているのも貴重であり、今までの例からしても神社と梅という組み合わせは、思いのほかよく合うものだと思える。近くにある勝龍寺の近くでもあり、ともに梅の花を撮影することができて満足だった。