3月11日、埼玉県川口リリアで行われたフォーラムの内容について概略、ご紹介した。当日のテーマは、「日本人の誇りを育てる」だった。この機会に「日本人の誇りを育てる教育」について、私見を述べたい。
今日の日本人は、国に対する誇りを失い、日本人としての誇りを持っていない人が多いのではないか。
誇りとは何だろう。『広辞苑』を引くと、次のような語義が載っている。
●誇る=得意のさまを示す。自慢する。いい気になる。光栄とする
●誇り=ほこること。自慢に思うこと。また、その心。
この説明によれば、誇りとは、自慢に思うこと、得意に思うことである。それは得意ぶっていい気になるという場合もあれば、光栄に思うという場合もある。
光栄については、次のような説明がある。
●光栄=はえあること。ほまれ。名誉。
そこで、誉れについて引くと、次のような説明がある。
●誉れ=ほめられて光栄あること。評判のよいこと。また、そのような行い。名誉。名声。
この誉れとか評判という言葉を使って、最初の誇りの語義を見直してみよう。すると、誇りとは「得意のさまを示すこと。自慢すること。光栄とすること。評判がよく、ほまれ、名誉とすること」と定義することが可能だろう。
誇りは、何かについての誇りである。それは、家や先祖や国についての誇りであり、会社や職業や、場合によっては自分自身についての誇りである。そして、こうした誇りには、家や先祖や国等について、良いと思い、喜びや満足を感じること。また、その良いところを失わないようにしたいと思う心という意味が含まれていると思われる。
また誇りは、「自分は○○である」というアイデンティティと関わる。それは「○○である自分」を肯定的にとらえる評価に裏づけされている。また「○○である」ことは、良いこと、うれしいこと等の感情が伴っている。そして、「○○であること」に恥じることのないようにしたい、評判を落としたくない、名誉を汚したくないという気持ちが含まれているのだと思う。
日本人としての誇りは、「自分は日本人である」というアイデンティティと関わる。日本人としての誇りを感じるというときは、日本に生まれてよかった、日本人でよかったというように、「日本人である」ことは、良いこと、うれしいこと等の評価が、そこになされている。
国に対する誇りは、先祖や国の良いところを学ばないと育たない。伝統や文化や国柄を学ぶこと。さらに、それが単なる「知識」にとどまらず、喜びや満足を感じる「感情」にまでなったときに、誇りとなる。
日本に生まれてよかった、日本人に生まれてよかったという感情を持つにいたると、誇りが生まれる。そして、日本及び日本人のよさを保とう、誉れを保とう、名を汚してはならないという「意思」が生まれる。
この「知識」⇒「感情」⇒「意思」という深まりが重要である。
ところが今日、多くの日本人は、日本人としての誇りを失っている。いやむしろ、日本人としての誇りが持てないような教育を受けえてきたため、誇りそのものが育っていないのだ。誇りを持つことは、すなわちおごりであり、他者への思い上がりだというような意識を植え付けられている。誇りという評価や感情が持てないような規制が心の中に働くようになってしまっている。「知識」が与えられず、「感情」を抑えられ、「意思」がくじかれている。
その原因をとらえたうえで、方策を考えることが、日本の教育の課題である。
次回に続く。
今日の日本人は、国に対する誇りを失い、日本人としての誇りを持っていない人が多いのではないか。
誇りとは何だろう。『広辞苑』を引くと、次のような語義が載っている。
●誇る=得意のさまを示す。自慢する。いい気になる。光栄とする
●誇り=ほこること。自慢に思うこと。また、その心。
この説明によれば、誇りとは、自慢に思うこと、得意に思うことである。それは得意ぶっていい気になるという場合もあれば、光栄に思うという場合もある。
光栄については、次のような説明がある。
●光栄=はえあること。ほまれ。名誉。
そこで、誉れについて引くと、次のような説明がある。
●誉れ=ほめられて光栄あること。評判のよいこと。また、そのような行い。名誉。名声。
この誉れとか評判という言葉を使って、最初の誇りの語義を見直してみよう。すると、誇りとは「得意のさまを示すこと。自慢すること。光栄とすること。評判がよく、ほまれ、名誉とすること」と定義することが可能だろう。
誇りは、何かについての誇りである。それは、家や先祖や国についての誇りであり、会社や職業や、場合によっては自分自身についての誇りである。そして、こうした誇りには、家や先祖や国等について、良いと思い、喜びや満足を感じること。また、その良いところを失わないようにしたいと思う心という意味が含まれていると思われる。
また誇りは、「自分は○○である」というアイデンティティと関わる。それは「○○である自分」を肯定的にとらえる評価に裏づけされている。また「○○である」ことは、良いこと、うれしいこと等の感情が伴っている。そして、「○○であること」に恥じることのないようにしたい、評判を落としたくない、名誉を汚したくないという気持ちが含まれているのだと思う。
日本人としての誇りは、「自分は日本人である」というアイデンティティと関わる。日本人としての誇りを感じるというときは、日本に生まれてよかった、日本人でよかったというように、「日本人である」ことは、良いこと、うれしいこと等の評価が、そこになされている。
国に対する誇りは、先祖や国の良いところを学ばないと育たない。伝統や文化や国柄を学ぶこと。さらに、それが単なる「知識」にとどまらず、喜びや満足を感じる「感情」にまでなったときに、誇りとなる。
日本に生まれてよかった、日本人に生まれてよかったという感情を持つにいたると、誇りが生まれる。そして、日本及び日本人のよさを保とう、誉れを保とう、名を汚してはならないという「意思」が生まれる。
この「知識」⇒「感情」⇒「意思」という深まりが重要である。
ところが今日、多くの日本人は、日本人としての誇りを失っている。いやむしろ、日本人としての誇りが持てないような教育を受けえてきたため、誇りそのものが育っていないのだ。誇りを持つことは、すなわちおごりであり、他者への思い上がりだというような意識を植え付けられている。誇りという評価や感情が持てないような規制が心の中に働くようになってしまっている。「知識」が与えられず、「感情」を抑えられ、「意思」がくじかれている。
その原因をとらえたうえで、方策を考えることが、日本の教育の課題である。
次回に続く。
今回もワクワクしながらご期待申し上げます。
やはり未だに東京裁判史観に汚染されたままなのか、故意に日本を貶める輩が教育界、
マスコミ等に潜り込んでいるためか。
急務は教育改革ですね。
有難うございます。今回は要点だけとし、3~4回で書くつもりです。
おっしゃるとおりです。
東京裁判史観と反日自虐史観の混合物が、日本人の誇りを奪わせる教育を生み出しています。米・旧ソ・中・韓の対日政策が、日本の教育に干渉しているのです。
もちろん教育は非常に大切なのですが、もう時間がないのでは?ここ数年間が国の存亡をかけての戦いになると思っております。
来年度の教科書検定も竹島については日本の固有の領土としての主張をしておりますが、依然として南京大虐殺や従軍慰安婦は肯定されております。
2010年に日本が中国に併合と噂されるなか、あと数年が日本国の存亡をかけた戦いになるのでわと危惧しております。
>あと数年が日本国の存亡をかけた戦いになるのでわと危惧しております。<
同感です。
中国の脅威はもとより、財政的にも2008年問題、2013年問題など、わが国は国家破産とそれによる国民分裂にいたらんとするところに来ています。日本人が日本精神を取り戻し、団結力を強めないと、中からの崩壊、外からの侵略でぺちゃんこになりかねません。
とりわけ私はこの1年は、非常に重要な、わが国の歴史の中でも大きな節目の年となると思います。
気付いた者から、頑張ってまいりましょう。