去る11日は、埼玉県の川口で行われたフォーラムに出演しました。アサヒビール名誉顧問の中條高徳先生が、「日本人の誇りを育てよう」と題して、基調講演をされました。私は中條先生、勝岡寛次先生(明星大学戦後教育史研究センター)とともにパネルディスカッションに登壇しました。内容は後日ご紹介したいと思います。
当日は、MIXIでご案内した人たちにも来ていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。また、都合で参加できないというご連絡を戴いた方々も多く、併せて御礼申し上げます。
翌日の12日には、名古屋市で行われたセミナーに出演しました。NHKテレビ「あの時、歴史が動いた」等で知られる上之郷利昭先生が、「世界に誇る日本の歴史」と題して、基調講演をされました。私は上之郷先生と二人で、パネルディスカッションを行いました。こちらも内容は後日ご紹介したいと思います。
やはりインターネットを通じて来場された方があり、うれしく思いました。
以下は、本日の掲示です。3回に分けて揚げる予定です。
■嵌められた日本~田中上奏文1
東京裁判において、日本は、国家指導者の共同謀議によって、昭和3年(1928)以来、計画的に侵略戦争を行ったとして、断罪された。その裏付けの一つとされたのが、『田中上奏文』である。
この20世紀最大の謀略文書について、最近、ソ連がねつ造したものであることが明らかになった。また、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方が主流になりつつあるという。
まったくわが国は、共産主義の謀略に見事に嵌められたものである。
この文書がどういうものかということを振り返りながら、明らかになりつつある実態を確認してみたい。
『田中上奏文』には、世界制覇の野望に基づく計画が書いてあり天皇も承認した、それを実行に移したのが昭和3年の張作霖爆殺事件だ、その後の日本の行動はこの文書に書かれた計画に基づいている、と流布されている。
その一節には、「世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。わが国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までがわが国の威風になびくだろう」とあるとされる。
今日『田中上奏文』または『田中メモランダム』『田中メモリアル』と呼ばれる文書の存在に、日本政府が気づいたのは、昭和4年(1929)の9月だった。その時点で、すでに中国語版と英語版の両方があったようだ。そして12月に、初めて中国語版の全文が活字の形で公表された。南京で出版された月刊誌『時事月報』においてである。翌5年2月、外務省は中国各地の領事館に対し、流布の実況を調査し、中国官憲に抗議、取締りを申し入れるよう訓令した。
英語版の公刊は、昭和6年(1931)9月、上海の雑誌『China Critic』に出たものが最初とされる。1930年代、米国で英語版のパンフレットが作られ、世界各国に広く配布された。ソ連に本部のあるコミンテルンは、昭和6年12月、雑誌『国際共産主義者』にロシア語版を発表した。
産経新聞は、平成11年9月7日号で『田中上奏文』について報じた。前田徹ワシントン支局長は、次のようにリポートしている。
「ソ連国家政治保安部(GPU)がその偽造に深く関与していた可能性が強いことが、米国のソ連関連文書専門家によって明らかにされた。亡命したソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の2年も前にモスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、日米対立を操作する目的で工作したと推測している」と。
この専門家とは、米下院情報特別委員会の専門職員として、ソ連の謀略活動を研究してきたハーバート・ロマーシュタインである。彼は、米国でのソ連KGB活動の実態を明らかにするため、元KGB工作員で米国に亡命したレフチェンコ中尉と共同で調査を行った。その際に、『田中上奏文』の作成にはソ連の情報機関が関与していたのではないか、との疑惑が浮かんできたのである。そしてトロツキーが、『田中上奏文』について証言した文書を発見したと伝えられた。
ロシア革命の英雄・トロツキーは、レーニンの死後、独裁を狙うスターリンに「人民の敵」というレッテルをはられ、海外に逃亡した先で暗殺された。その死の直前に書いた論文を、トロツキーは、昭和15年(1940)に、雑誌『第4インターナショナル』に投稿した。
この論文によると、トロツキーはまだソ連指導部の一人だった昭和元年(1925)の夏ごろ、GPU(ゲー・ペー・ウー、KGBの前身)のトップ、ジェルジンスキーから次のような説明を受けた。
「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。日本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。天皇も承認している。これが明らかにされれば国際問題化し、日米関係がこじれて戦争に至る可能性もある」と。
トロツキーは、最初この文書に否定的だった。しかし、内容が日本の好戦性を示し、帝国主義的政策を説明するものだったため、ソ連共産党の政治局で取り扱いが協議された。そこでトロツキーは、直接ソ連からではなく、米国で報道関係者に流して、公表すべきだという意見を述べ、それが採用されたという。
この公表計画は、米国共産党が中心になって進め、1930年代に大量の英文パンフレットが、米国内及び世界に配布されたのである。
さきほどの産経新聞の記事は、「ロマーシュタイン氏はこうした経緯を検討した結果、GPUが1925年に日本外務省内のスパイを通じてなんらかの部内文書を入手した可能性は強いが、田中上奏文は、盗み出した文書を土台に、27年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している」と記している。
次回に続く。
当日は、MIXIでご案内した人たちにも来ていただきました。この場を借りて御礼申し上げます。また、都合で参加できないというご連絡を戴いた方々も多く、併せて御礼申し上げます。
翌日の12日には、名古屋市で行われたセミナーに出演しました。NHKテレビ「あの時、歴史が動いた」等で知られる上之郷利昭先生が、「世界に誇る日本の歴史」と題して、基調講演をされました。私は上之郷先生と二人で、パネルディスカッションを行いました。こちらも内容は後日ご紹介したいと思います。
やはりインターネットを通じて来場された方があり、うれしく思いました。
以下は、本日の掲示です。3回に分けて揚げる予定です。
■嵌められた日本~田中上奏文1
東京裁判において、日本は、国家指導者の共同謀議によって、昭和3年(1928)以来、計画的に侵略戦争を行ったとして、断罪された。その裏付けの一つとされたのが、『田中上奏文』である。
この20世紀最大の謀略文書について、最近、ソ連がねつ造したものであることが明らかになった。また、中国では田中上奏文は存在しなかったという見方が主流になりつつあるという。
まったくわが国は、共産主義の謀略に見事に嵌められたものである。
この文書がどういうものかということを振り返りながら、明らかになりつつある実態を確認してみたい。
『田中上奏文』には、世界制覇の野望に基づく計画が書いてあり天皇も承認した、それを実行に移したのが昭和3年の張作霖爆殺事件だ、その後の日本の行動はこの文書に書かれた計画に基づいている、と流布されている。
その一節には、「世界を征服しようと欲するなら、まず中国を征服せねばならない。中国を征服しようと思うなら、まず満州と蒙古を征服しなければならない。わが国は満州と蒙古の利権を手に入れ、そこを拠点に貿易などをよそおって全中国を服従させ、全中国の資源を奪うだろう。中国の資源をすべて征服すればインド、南洋諸島、中小アジア諸国そして欧州までがわが国の威風になびくだろう」とあるとされる。
今日『田中上奏文』または『田中メモランダム』『田中メモリアル』と呼ばれる文書の存在に、日本政府が気づいたのは、昭和4年(1929)の9月だった。その時点で、すでに中国語版と英語版の両方があったようだ。そして12月に、初めて中国語版の全文が活字の形で公表された。南京で出版された月刊誌『時事月報』においてである。翌5年2月、外務省は中国各地の領事館に対し、流布の実況を調査し、中国官憲に抗議、取締りを申し入れるよう訓令した。
英語版の公刊は、昭和6年(1931)9月、上海の雑誌『China Critic』に出たものが最初とされる。1930年代、米国で英語版のパンフレットが作られ、世界各国に広く配布された。ソ連に本部のあるコミンテルンは、昭和6年12月、雑誌『国際共産主義者』にロシア語版を発表した。
産経新聞は、平成11年9月7日号で『田中上奏文』について報じた。前田徹ワシントン支局長は、次のようにリポートしている。
「ソ連国家政治保安部(GPU)がその偽造に深く関与していた可能性が強いことが、米国のソ連関連文書専門家によって明らかにされた。亡命したソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の2年も前にモスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、日米対立を操作する目的で工作したと推測している」と。
この専門家とは、米下院情報特別委員会の専門職員として、ソ連の謀略活動を研究してきたハーバート・ロマーシュタインである。彼は、米国でのソ連KGB活動の実態を明らかにするため、元KGB工作員で米国に亡命したレフチェンコ中尉と共同で調査を行った。その際に、『田中上奏文』の作成にはソ連の情報機関が関与していたのではないか、との疑惑が浮かんできたのである。そしてトロツキーが、『田中上奏文』について証言した文書を発見したと伝えられた。
ロシア革命の英雄・トロツキーは、レーニンの死後、独裁を狙うスターリンに「人民の敵」というレッテルをはられ、海外に逃亡した先で暗殺された。その死の直前に書いた論文を、トロツキーは、昭和15年(1940)に、雑誌『第4インターナショナル』に投稿した。
この論文によると、トロツキーはまだソ連指導部の一人だった昭和元年(1925)の夏ごろ、GPU(ゲー・ペー・ウー、KGBの前身)のトップ、ジェルジンスキーから次のような説明を受けた。
「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。日本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。天皇も承認している。これが明らかにされれば国際問題化し、日米関係がこじれて戦争に至る可能性もある」と。
トロツキーは、最初この文書に否定的だった。しかし、内容が日本の好戦性を示し、帝国主義的政策を説明するものだったため、ソ連共産党の政治局で取り扱いが協議された。そこでトロツキーは、直接ソ連からではなく、米国で報道関係者に流して、公表すべきだという意見を述べ、それが採用されたという。
この公表計画は、米国共産党が中心になって進め、1930年代に大量の英文パンフレットが、米国内及び世界に配布されたのである。
さきほどの産経新聞の記事は、「ロマーシュタイン氏はこうした経緯を検討した結果、GPUが1925年に日本外務省内のスパイを通じてなんらかの部内文書を入手した可能性は強いが、田中上奏文は、盗み出した文書を土台に、27年に就任した田中義一首相署名の上奏文として仕立て上げたと断定している」と記している。
次回に続く。
田中上奏文が虚偽であることも、マッカーサー証言と共に、日本の侵略国というレッテルを剥がしてくれますね。そして東京裁判の成立根拠も無くしてくれます。
とても充実したBLOGをやっていらっしゃいますね。
>3月10日の外務委員会に於ける松原仁議員の、南京大虐殺が大嘘だと言う内容の質問があり、ついに日本にもこのような議論が国会でできるようになったかと、喜んでいます。<
松原議員が、そうですか。こういう議論を国会で、どんどんやってもらいたいものです。
>田中上奏文が虚偽であることも、マッカーサー証言と共に、日本の侵略国というレッテルを剥がしてくれますね。そして東京裁判の成立根拠も無くしてくれます。<
おっしゃるとおりです。
インターネットを使って、多くの人たちに、誤った歴史認識を改めてもらえるように、伝えてまいりましょう。